2013年11月19日
君と会えたから
おなじみの喜多川泰さんの小説を、Kindle版の電子書籍で読みました。
必ず深い気づきを与えてくれるという安心感と、どうストーリー展開するのかというワクワク感が、喜多川さんの小説にはあります。
今回も、主人公は成長する若者です。その指南役は、なんと同年代の女の子。
という形になっていますが、その元は、その女の子の父親だったというお話です。
あまり詳しく書くとネタばらしになってしまうので、このへんでやめておきます。でもこれは、若者だけでなく、親御さんに読んでほしいと思いました。
テーマを要約するならこうなるでしょうか。
「生きていればなんでもできる。」
まさにNHKドラマ「開拓者たち」の主人公ハツの言葉のようです。
ただ、そのためにどうするのか?という問題があります。
金持ちになりたい。そう考えて、金持ちになるためにあらゆることを情熱的にやる人がいるかもしれません。
時には誰かを騙し、損をさせ、それでも自分は敗者にはなるまいと頑張る。
マネーゲームととらえるなら、そういう生き方もあるでしょう。
でも本書では、違うアプローチを示します。
それは、他の人を助けること。
今日できる何かを、必ず今日行うこと。
そうやって日々の行動を積み重ねる中で、自然と自分の目標が実現すると言うのです。
「よく死ぬことは、よく生きることだ。」
誰かがこんなことを言っていました。
すべては振り子のようなもので、一方を極めれば、もう一方も極めることになるのだと。
普段は意識しない死というものを見つめたとき、この1日をどう過ごすのかを、真剣に考えられるのかもしれません。
一期一会という茶道の言葉を持ち出すまでもなく、この一瞬一瞬が宝であり、すべての出会いが奇跡なのです。
そう思えば、生きていることに感謝する気持ちが湧いてくるでしょう。
私たちはすでに、奇跡を行っているのです。
ただそれを、奇跡と考えない人がいるだけのこと。
さあ、あなたはどう考えるのでしょうか?
喜多川さんの小説を読む度に、私自身がどう考えるのかと問われているような気がします。
2013年11月20日
豊かさを導く31の「与え方」
ご存知、兄貴こと丸尾孝俊さんの本です。
今回のは、ヨガ第一人者の藤本憲幸氏が兄貴から聞いたことを、兄貴の言葉と藤本氏の解説という形で、31の話にしています。
兄貴の言葉の部分は、これまでの本ですでに語られている内容なので、他の本を読んだ人は、同じことの繰り返しと感じるかもしれません。
その兄貴の言葉に、藤本氏が自らの体験を元に解説することで、その言葉の背景であったり、あるいは深い意味を知ることができるようになっています。
タイトルに「与え方」とあるように、兄貴の教えは、乱暴にひとことで言うなら、「自分のことを気にせず与えよ」というものだと思います。
第1章は、「お金は、人のために使い続けるべきなんや」というものですが、まさにそのことを物語っています。
自分のことは放っておいても、必死で他の人のためにつくしている人を神様が見捨てるはずがない。
この信念が、兄貴の心には貫かれているように思いました。
「相手にとっての成功は自分にとっての大成功やねん。自分だけの豊かさなんて続かないし、おもろないで。」(p.15)
バリ島の兄貴に、ぜひ一度お目にかかりたいなあと思いました。
2013年11月21日
どん底から最高の仕事を手に入れるたった1つの習慣
これまたおなじみの福島正伸さんの本です。
福島さんの本は何冊か読んでいますが、これもまた素晴らしい内容でした。
2人の親友がそれぞれ別の人生を歩む中で、自分の人生を素晴らしいものにしていく物語です。
そこには、さまざまな出来事があります。良いと思われることもあれば、悪いと思われることもある。
そうした中で、人生って結局はこうなんだなと気づく展開になっています。
この中には、有名な駐車場の管理人さんの話も出てきます。
どんな仕事をするかが重要なのではなく、どのように仕事をするかが重要だ。
そのことを教えてくれる素晴らしい物語です。
そしてこの本もまた、2人の生き方を通じて、私たちがどう生きるべきなのかを示してくれます。いくつか、私が気になったところを引用しましょう。
「失敗の連続は自分の弱さを知り、自分を磨いて本当の強さを持つために起こることなんだから、あきらめちゃもったいないよ」(p.38)
「人に会うのは、自分の思い込みに気づき、自分を変えるためだったんだ!」(p.41)
「信頼っていうのは、相手の発言や行動を見て、それが信頼できるかどうかじゃない。相手をそのまま受け入れることなんだよ。つまり、思い通りにならない相手をこちらが信頼することさ」(p.116)
「あんたのその姿を、人に見せてあげなさい。一度やると決めたことは、どんなことがあってもあきらめない。そして、毎日成長し続ける。そんなあんたの姿が、人を育てるのよ」(p.135)
「でも、できるかできないかじゃなくて、こういうときは、できたらいいことに挑戦するしかないと思うんだ。ピンチはチャンスにもなるんだから」(p.145)
「俺は、始める前に決めているんだよ。一生賭けても何も成果が出ないかもしれない。それでもあきらめずにやるって。」(p.154)
「人生は、どんなに努力をしても、思い通りにならないことが、次々と起こってくることがある。それによって、努力とはまったく正反対の結果になることもあるかもしれない。だけど、どんな結果になろうとも、その先に未来があるって・・・・・・」(p.217 - 218)
「仕事っていうのは、その仕事に取り組む人が、その仕事の意味をつくっているんだよね。」(p.240)
「人生の素晴らしさは、毎日が感謝と学びで満たされるってことだと思うんだ」(p.242)
「そうそう、成長する楽しみを知ると、将来のことを心配することもなくなるんだよ。だって、将来がどうなろうが、そこでまた成長することを楽しめばいいんだから」(p.242)
どうですか。こんな素敵な言葉が、あちこちに散りばめられた物語です。
感動すること、涙を流すこと、請け合いですよ。
2013年11月23日
夢が現実に変わる言葉
また福島正伸さんの本です。
前に紹介した「どん底から最高の仕事を手に入れるたった1つの習慣」の物語で、左遷された親友を励ますために、毎日、元気が出る言葉をハガキに書いて送るという場面があります。
あれも実は、福島さんがされてたことなのですね。
そのことが、この本に書かれていました。
そしてこの本は、そうやって生み出されたたくさんの元気が出る言葉の中から選び、まとめたものなのです。
また、その言葉とともに、背景の解説があるので、よりその言葉の意味が深くわかります。
今はメルマガでも配信されてるそうですが、この本の言葉を毎日1つずつ読むことでも、元気づけられると思いますよ。
どんな言葉が書かれているのか、いくつか引用してみましょう。
「自分を
小さくしているのは自分
自分を
大きくするのも自分」(p.28)
「できる」と思うか「できない」と思うかは自分の考え方次第ですからね。
他人がどう言うかに関係なく、自分がどう考えるかによって、自分の大小が決まるのです。
「できるかできないか
ではなく
やるかやらないか」(p.38)
新しいことをやるのに結果にこだわり過ぎると、「できない」理由が出てきます。
ですから、「やりたい」か「やりたくない」かを考えて決めることが重要だと言います。
そして「やる」と決めたなら、あとは「どうすればできるか」を考えれば良いのだと。
「「最悪の事態」という
チャンス」(p.52)
これはちょっと説明が必要でしょうね。
「最悪の事態」という状態になったとき、それが「チャンス」だというのです。
なぜかと言うと、ともかく頑張るしかなくなるからです。
気を失うくらいに、努力するしかない。そういう状態に追い込まれるのです。
つまり、「最悪の事態とは最強の決意ができるとき」(p.54)だと言います。
だから自分が変われるのです。
こんな素敵な言葉を、常に自分に対してかけてあげたいですね。
そうすることで、自分を愛してあげましょう。
2013年11月25日
ソフトボール大会で優勝しました
昨日は、ソフトボール大会がありました。
日本人を主体とした数チームが集まって行っている、私的な大会です。
「ソフトボールを通じて交流しましょう」というような趣旨で、7年前から年に2回ほど行っています。
今回は13回目です。大会名は、「第13回へたくそソフトボール大会」となっています。
略称はHSTで、これは「へたくそ」「ソフトボール」「トーナメント」の頭文字をとってものになっています。
私もその大会の主催者に名を連ねていて、大会前は、その準備で忙しくなります。
「へたくそソフトボール」のブログもありますので、そちらもご覧になってくださいね。
今回は、私が所属しているKB(ケー・ビー)というチームが優勝しました。
すでに4回優勝している強豪の四十路(よそじ)というチームを決勝で破って、2回目の優勝となります。
ゲームを行うわけですから、もちろん勝つこと目指しています。
しかし、勝ちにこだわらないという姿勢も大切にしたいと思っています。
老若男女が集まって、上手いも下手くそも一緒に楽しめるソフトボールを行う。それがHSTの目指すところなのです。
勝ちにこだわれば、下手なプレーが許せなくなります。当然、下手な人の出番はなくなるでしょう。
また、誰かのミスによって負けたりしたら、その人が責められることになるし、またその人も、罪悪感を感じてしまうでしょう。
そういうのは嫌なのです。
ミスしてもいいじゃないですか。上手いプレーができなくても、かまわないじゃないですか。
その人らしく一所懸命にやったなら、精一杯にがんばった喜びがあるはずです。
それをお互いに認め合いたいと思うのです。
毎日のようにトレーニングしているわけでもないし、年をとって体が思うように動かない人もいます。
そういう人に、「もっとやれ!」と言わなければならないことは、私はやりたくありません。
もちろん私自身も、そんなことはしたくありません。
それがやりたい人は、どうぞそういうアスリート系の団体で頑張ってください。それを否定するつもりはありませんから。
そんな感じで、和気あいあいとした集まりを作りたくて始めたHSTですが、足掛け7年にもなりました。
優勝できたことも嬉しいのですが、私としては、ともかく無事に終わったことが何よりも嬉しいのです。
みんなが楽しんでくれて、笑顔がいっぱい生まれて、それが私にとっての最高の報酬なのです。
日本人を主体とした数チームが集まって行っている、私的な大会です。
「ソフトボールを通じて交流しましょう」というような趣旨で、7年前から年に2回ほど行っています。
今回は13回目です。大会名は、「第13回へたくそソフトボール大会」となっています。
略称はHSTで、これは「へたくそ」「ソフトボール」「トーナメント」の頭文字をとってものになっています。
私もその大会の主催者に名を連ねていて、大会前は、その準備で忙しくなります。
「へたくそソフトボール」のブログもありますので、そちらもご覧になってくださいね。
今回は、私が所属しているKB(ケー・ビー)というチームが優勝しました。
すでに4回優勝している強豪の四十路(よそじ)というチームを決勝で破って、2回目の優勝となります。
ゲームを行うわけですから、もちろん勝つこと目指しています。
しかし、勝ちにこだわらないという姿勢も大切にしたいと思っています。
老若男女が集まって、上手いも下手くそも一緒に楽しめるソフトボールを行う。それがHSTの目指すところなのです。
勝ちにこだわれば、下手なプレーが許せなくなります。当然、下手な人の出番はなくなるでしょう。
また、誰かのミスによって負けたりしたら、その人が責められることになるし、またその人も、罪悪感を感じてしまうでしょう。
そういうのは嫌なのです。
ミスしてもいいじゃないですか。上手いプレーができなくても、かまわないじゃないですか。
その人らしく一所懸命にやったなら、精一杯にがんばった喜びがあるはずです。
それをお互いに認め合いたいと思うのです。
毎日のようにトレーニングしているわけでもないし、年をとって体が思うように動かない人もいます。
そういう人に、「もっとやれ!」と言わなければならないことは、私はやりたくありません。
もちろん私自身も、そんなことはしたくありません。
それがやりたい人は、どうぞそういうアスリート系の団体で頑張ってください。それを否定するつもりはありませんから。
そんな感じで、和気あいあいとした集まりを作りたくて始めたHSTですが、足掛け7年にもなりました。
優勝できたことも嬉しいのですが、私としては、ともかく無事に終わったことが何よりも嬉しいのです。
みんなが楽しんでくれて、笑顔がいっぱい生まれて、それが私にとっての最高の報酬なのです。
2013年11月26日
孤独になる前に読んでおきたい10の物語
神渡良平さんの本です。
これはそんなに厚くはありませんが、読みやすい内容になっています。
10の物語とありますが、小説ではありません。
実話を紹介しながら、人生における重要な考え方を教えてくれるものになっています。
ここに書かれた1つの話を紹介しましょう。
「おはなし3」の「私たちはみんなつながっている」というタイトルで、サブタイトルが「病気は気づきを与えるメッセンジャー」とある話の中から抜粋します。
北海道で住職の妻だった鈴木章子さんが乳ガンになり、すでに肺に転移していて手術を受けなければならないというとき、教育者でもある東井義雄住職に手紙を出されたのだそうです。
ご主人のことや子どものこともあって、まだ死ぬわけにはいかない。どうしたら良いか、という悲痛な叫びです。
それに対して、東井住職はこう答えたそうです。
「鈴木さん、ガンを宣告されてベッドに横たわり、明日をも知れない立場に追い詰められてみて、ようやく本当の心の声が聴こえるようになりましたね。
『阿弥陀経』の中には、阿弥陀如来さまがいま現在も説法されていると書かれています。ということは、阿弥陀さまはあなたのベッドの脇で、いま現在も説法されていらっしゃるということです。一人で、ベッドにいるようで、いつも二人でベッドにいることを忘れないで下さい。」(p.40)
こう言われて鈴木さんは、思い浮かぶことをノートに書き留めることにしたそうです。
そして鈴木さんは、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったと、気付かされることになります。
「交通事故で突然の死を
たまわっても仕方なかったのに
ガンをたまわったおかげで
生死の大事について
尊いお育てをいただくことが
できました」(p.42)
著者の神渡さんも、脳梗塞で半身不随になられた経験があります。
そのときは「もう自分はダメだ」と思って落胆し、その不遇を嘆いたこともあったそうです。
しかし、安岡正篤氏など先人の教えの中に光を見出されて、奮起され、今は世界中を旅行できるまでに回復されました。
そのとき、自分は天によって生かされているという思いを強く持たれて、その気づきを世に広めるために本を書かれたり、講演をされています。
この本は、そんな神渡さんが共感されたエピソードをまとめたものなのです。
2013年11月27日
子どもの死というつらさを乗り越える
昨日、神渡良平さんの「孤独になる前に読んでおきたい10の物語」という本を紹介しました。
これをFacebookページの「幸せ実践塾」でも紹介したところ、何人かの方がその投稿をシェアしてくださいました。
その中に、こういう文章をつけてシェアされてる方がいらっしゃいました。
「神渡先生著者の《孤独になる前に読んでおきたい10の物語》の 10番目に森脇文子を載せて戴いています。読む度に 天国に行った次女の康子が 生まれ代わって私の側に帰って来ます。大きな悲しみを乗り越えたり.それを経験した多くの人の経験を 本で知る事によって 更に大きな悲しみが来ても乗り越える精神力が養われます。是非 読んで下さいね(⌒▽⌒)」
私はビックリして、本を読み返しました。
たしかに118ページからの「おはなし10」に、美容室を経営されてる森脇文子さんのことが書かれています。
お子さんを亡くされたつらさを乗り越えたというお話です。
その話の内容を一部引用しながら要約します。
2人目のお子さん(康子さん)が、胎内にいる時にすでに、重い病気だとわかったのです。
ショックで押しつぶされそうな文子さんを、ご家族が支えます。
父親の茂さんは、つらい戦争体験を話して聞かせたそうです。
逃げるときに赤ちゃんが泣き出したため、敵に見つからないようにするために、ナイフで喉を切って殺したという話です。
「みんな申し訳ない、許してくれと嗚咽(おえつ)したよ。」(p.120)
何の罪もない赤ん坊を自ら殺さなければならないつらさ。それを受け入れなければならなかった母親のつらさ。
そのことを想像すると、そのときの人びとの苦悩が伝わってきます。
「お前はいま重い障害がある子を産もうとしているが、お前には守ってくれる家族がいる。働く仕事もある。最新医療を受けることも可能だ。それ以上の幸せはないぞ」(p.120)
そう茂さんは言って、文子さんを励ましたのです。
そのお子さんは、やはり重い障害を持って生まれ、生後すぐに心臓などの手術を受けなければなりませんでした。
そして8ヶ月目には、肝臓ガンも見つかり、文子さん夫妻は手術をすることに決めたそうです。
そのときまた茂さんが、文子さんに声を掛けました。
「お前たちの気持ちはよくわかるが、康子はもうカテーテルの手術を2回、心臓の手術も2回やった。小さな体をこれ以上切り刻むな。自然に任せてやってくれ。私も一緒に行く。康子を一人で寂しい墓に入れるもんか!」(p.122)
どちらが正しいということはありません。
手術をして、少しでも長生きさせたいと思うのも親心です。
また、これ以上苦しませないでくれと願うのも、愛する者の思いです。
それから4日後に、康子さんは亡くなりました。
その4ヶ月後、後を追うように茂さんも亡くなられたそうです。
続けざまに家族の死が訪れたことは、文子さんにとって大変つらいことでした。
その文子さんを、友だちが送ってくれた俳句が明るくしてくれたそうです。
「紅葉の天国散歩 孫連れて」(p.123)
おじいさんはきっと、天国でお孫さんの康子さんと一緒に、美しい紅葉を見ながら散歩しているに違いない。
そう見方を変えることで文子さんは、2人の死のつらさを乗り越えられたのです。
文子さんはそれから、積極的にボランティア活動をされるようになったそうです。
地域交流だけでなく、ミャンマーの井戸掘りなども手がけられたとか。
康子さんの死という出来事はつらいことでしたが、その死があったからこそ文子さんは、人に喜びを与えることを積極的にされるようになったのです。
この話を読んだとき、私は泣けてきました。
文子さんの我が子を失うつらさもさることながら、何もしてあげられないことを苦しまれているお父様の茂さんの思いに、私は深く共感したからです。
戦時中とは言え、赤ん坊の命を奪わなければならなかった体験は、どれほど心に傷を残したことでしょう。
ひょっとしたら、自分が赤ん坊を殺した因果によって、孫が苦しんでいるのではないかと、自分を責められたかもしれません。
その胸の内を思うと、泣けて泣けて仕方なかったのです。
文子さんは、ご友人からの俳句によって救われたわけですが、私は、茂さんの優しさも影響していると思います。
孫に寂しい思いはさせないと言われ、その約束を守るかのように亡くなられた。
その愛に気づかれたから、文子さんは前向きに生きようと思われたのではないかと。
お釈迦様は、我が子を亡くして悲嘆にくれている母親を励ますために方便として、「これまで一度も死者を出したことがない家からカマドの灰を持ってくれば、その子を生き返らせてあげる。」と言ったそうです。
そんな家などあろうはずもなく、その母親は行く先々で亡くなられた肉親への思いを聞かされるのです。
それまでは自分の悲しさやつらさにしか意識をフォーカスしていなかった母親ですが、他の人の話を聞くことで、離れたところから自分を見つめる余裕ができました。
見方を変えることによって苦しみの淵から這い上がることができたのです。
文子さんもまた、見方を変えることで悲しみを乗り越え、喜びの中に生きることができるようになりました。
どれほどこの世は幻想だと言ったところで、現実はあまりに現実的ですから、幻想と信じることは困難です。
それだけに、実際にその現実の苦しみを乗り越えた方の体験は、多くの人に勇気を与えることと思います。
辛い体験から立ち直り、喜びの中に生きておられる森脇文子さんなどの存在が、私たちにとって、とても有り難いことだと思うのです。
これをFacebookページの「幸せ実践塾」でも紹介したところ、何人かの方がその投稿をシェアしてくださいました。
その中に、こういう文章をつけてシェアされてる方がいらっしゃいました。
「神渡先生著者の《孤独になる前に読んでおきたい10の物語》の 10番目に森脇文子を載せて戴いています。読む度に 天国に行った次女の康子が 生まれ代わって私の側に帰って来ます。大きな悲しみを乗り越えたり.それを経験した多くの人の経験を 本で知る事によって 更に大きな悲しみが来ても乗り越える精神力が養われます。是非 読んで下さいね(⌒▽⌒)」
私はビックリして、本を読み返しました。
たしかに118ページからの「おはなし10」に、美容室を経営されてる森脇文子さんのことが書かれています。
お子さんを亡くされたつらさを乗り越えたというお話です。
その話の内容を一部引用しながら要約します。
2人目のお子さん(康子さん)が、胎内にいる時にすでに、重い病気だとわかったのです。
ショックで押しつぶされそうな文子さんを、ご家族が支えます。
父親の茂さんは、つらい戦争体験を話して聞かせたそうです。
逃げるときに赤ちゃんが泣き出したため、敵に見つからないようにするために、ナイフで喉を切って殺したという話です。
「みんな申し訳ない、許してくれと嗚咽(おえつ)したよ。」(p.120)
何の罪もない赤ん坊を自ら殺さなければならないつらさ。それを受け入れなければならなかった母親のつらさ。
そのことを想像すると、そのときの人びとの苦悩が伝わってきます。
「お前はいま重い障害がある子を産もうとしているが、お前には守ってくれる家族がいる。働く仕事もある。最新医療を受けることも可能だ。それ以上の幸せはないぞ」(p.120)
そう茂さんは言って、文子さんを励ましたのです。
そのお子さんは、やはり重い障害を持って生まれ、生後すぐに心臓などの手術を受けなければなりませんでした。
そして8ヶ月目には、肝臓ガンも見つかり、文子さん夫妻は手術をすることに決めたそうです。
そのときまた茂さんが、文子さんに声を掛けました。
「お前たちの気持ちはよくわかるが、康子はもうカテーテルの手術を2回、心臓の手術も2回やった。小さな体をこれ以上切り刻むな。自然に任せてやってくれ。私も一緒に行く。康子を一人で寂しい墓に入れるもんか!」(p.122)
どちらが正しいということはありません。
手術をして、少しでも長生きさせたいと思うのも親心です。
また、これ以上苦しませないでくれと願うのも、愛する者の思いです。
それから4日後に、康子さんは亡くなりました。
その4ヶ月後、後を追うように茂さんも亡くなられたそうです。
続けざまに家族の死が訪れたことは、文子さんにとって大変つらいことでした。
その文子さんを、友だちが送ってくれた俳句が明るくしてくれたそうです。
「紅葉の天国散歩 孫連れて」(p.123)
おじいさんはきっと、天国でお孫さんの康子さんと一緒に、美しい紅葉を見ながら散歩しているに違いない。
そう見方を変えることで文子さんは、2人の死のつらさを乗り越えられたのです。
文子さんはそれから、積極的にボランティア活動をされるようになったそうです。
地域交流だけでなく、ミャンマーの井戸掘りなども手がけられたとか。
康子さんの死という出来事はつらいことでしたが、その死があったからこそ文子さんは、人に喜びを与えることを積極的にされるようになったのです。
この話を読んだとき、私は泣けてきました。
文子さんの我が子を失うつらさもさることながら、何もしてあげられないことを苦しまれているお父様の茂さんの思いに、私は深く共感したからです。
戦時中とは言え、赤ん坊の命を奪わなければならなかった体験は、どれほど心に傷を残したことでしょう。
ひょっとしたら、自分が赤ん坊を殺した因果によって、孫が苦しんでいるのではないかと、自分を責められたかもしれません。
その胸の内を思うと、泣けて泣けて仕方なかったのです。
文子さんは、ご友人からの俳句によって救われたわけですが、私は、茂さんの優しさも影響していると思います。
孫に寂しい思いはさせないと言われ、その約束を守るかのように亡くなられた。
その愛に気づかれたから、文子さんは前向きに生きようと思われたのではないかと。
お釈迦様は、我が子を亡くして悲嘆にくれている母親を励ますために方便として、「これまで一度も死者を出したことがない家からカマドの灰を持ってくれば、その子を生き返らせてあげる。」と言ったそうです。
そんな家などあろうはずもなく、その母親は行く先々で亡くなられた肉親への思いを聞かされるのです。
それまでは自分の悲しさやつらさにしか意識をフォーカスしていなかった母親ですが、他の人の話を聞くことで、離れたところから自分を見つめる余裕ができました。
見方を変えることによって苦しみの淵から這い上がることができたのです。
文子さんもまた、見方を変えることで悲しみを乗り越え、喜びの中に生きることができるようになりました。
どれほどこの世は幻想だと言ったところで、現実はあまりに現実的ですから、幻想と信じることは困難です。
それだけに、実際にその現実の苦しみを乗り越えた方の体験は、多くの人に勇気を与えることと思います。
辛い体験から立ち直り、喜びの中に生きておられる森脇文子さんなどの存在が、私たちにとって、とても有り難いことだと思うのです。
2013年11月29日
子どもを励ますことば
アマゾンでも取り扱われていないようなので、最初に写真を載せておきます。
ほるぷ九州が発行する坂本光男さんの本、「子どもを励ますことば」(税込み1,260円)です。
坂本さんの詩が、たしか神渡良平さんの本に紹介されていて、それで気に入って詩集を買いました。
そのときついでに、この本も買ったのではないかと記憶しています。
坂本さんはこの本の中で、子どもは「ほめる」のではなく、「励ます」べきだと言います。
「ほめる」も「励ます」も似ているようですが、まったく違うと言うのです。
たとえばボール遊びをしたとき、上手にできた時に「できたね。すごーい!」と言ってあげるのは、単に「ほめる」ことです。
つまり自分の価値観において賞賛できると感じたときだけ、その行為をたたえています。
その理屈で行くと、上手くできなかった時はほめられません。「ああ、だめだ。」「また落とした。」と、けなしてしまうこともあるでしょう。
これが「励ます」だと、違った対応になります。
「いいよ、それでいいよ。さっきより手の中に入れるのがうまくなったよ」(p.10)
このように小さな変化(進歩)を見つけながら、それを喜んであげるのです。
そうやって励まし続けると、子どもはやる気になると言います。
坂本さんは、子どもの今をそのまま受け入れることが大切だと、言われているのだと思います。
できてないところに意識をフォーカスするのではなく、今をありのままに受け入れる。
そこからスタートして、子どもの変化を見守りながら、その変化を喜んであげることだと。
それはまさに、愛することだと思います。
120ページほどの薄い本ですが、他にも様々な気づきを与えてくれます。
愛を持って子どもと接するなら、自然と励ますようになるんだなと感じました。
その根本の愛に対する誤った理解があるために、子どもを傷つけることになってしまうのだと。
子育てで悩んでいる方には、ぜひ読んでいただきたい本です。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。