今ちょうど読んでいる本があります。
居酒屋「てっぺん」の大嶋啓介さんと、クロフネカンパニーの中村文昭さんの共著です。
また今度、読み終えてから紹介しますね。
その中に、自信に関して書かれた部分があり、それをちょうど今日、読んだところなのです。
「根拠のない自信」についても、大嶋さんが書かれてましたね。大リーガーのイチロー選手が言っていたのを聞いたのだとか。
いろいろ示唆を受けたこともありますので、その詳細はまた、本の紹介でお伝えします。
今日は、それを読みながら得た気付きについて、書くことにします。
それは、自信ということは、自分を信じることだということです。
中村さんも、よく「どうすれば自信を持てますか?」と聞かれるのだそうです。
そういうとき、考えすぎずにスッキリするまで行動することを勧めるのだとか。
大嶋さんも、近くのコンビニのバイトでいいから、良く使われるように、0.2秒の返事を心がけるのだとか。
また、これはたしか中村さんのパートでしたが、空手家の人から面白い話を聞いたのだそうです。
その空手家の息子さんが、小学生で全国大会に優勝するほど強かったのですが、すべて父親の指示にしたがってやっていたのです。
すると、それだけ強いにも関わらず、試合の前にはいつもビクビクしているのだとか。
そこで空手家の人は、それ以降は考えを改め、なるべく指示をせずに自分で考えさせるようにしたそうです。
最初はやはり負けるようになったのですが、自分で工夫して練習を積むことで、自信がみなぎるようになったのだとか。
これは、本当に素晴らしい体験談だと思います。
そこで先ほどの言葉です。自信とは、自分を信じることですよね?
では、自分の何を信じるのでしょう?
空手家の息子さんのように、お父さんの指示を信じて戦っていたときは、たとえ勝っても、自信が持てなかったのです。
つまり、自分の考えだとか、自分が決めたことを信じなければ、自信にはならないのですよ。
最初は未熟ですから、上手く行かずに失敗するでしょう。
でも、そこでも自分をあきらめないことが大切です。
失敗から学んで、次はその経験を生かせば良いのです。
そうやって、いつも自分で考え、自分で決めるということを繰り返していると、自信が生まれるのです。
これは別の表現をすると、「責任を負う」ということでもあります。
自分で考え、自分で決めてやったことですから、その結果がどうであろうと、その責任は自分にあります。
その責任を負う覚悟が、自信につながるとも言えるのです。
また、この「責任を負う」ということは、「結果を引き受ける」ということでもあります。
さっきも言ったように、最初は未熟ですから、上手くいかないことが多いはずです。
つまり、失敗という結果が山のように生じるはずです。その失敗という結果の山を、自分が生み出したものとして受け入れることが重要なのです。
何があろうとも、それは自分が創ったもの。
そうやって、すべての結果を引き受けることで、自分を信じられるようになり、自信が生まれるのです。
上手く行くかもしれないし、上手くいかないかもしれない。どちらにしても、自分が決めたことだ。
そう思って、泰然自若としている姿は、まさに自信の塊ではないでしょうか。
虚勢を張っているのとはわけが違います。自分を偉そうに見せようとして威張り散らすのは、本当は自信がないからです。
荘子に木鶏の話があります。
不滅の69連勝を達成した大横綱、双葉山関が敗れたときに「イマダモクケイニオヨバズ」と、旅行中の安岡正篤氏に電報を打ったと言われています。
双葉山関は、安岡氏から木鶏の話を聞いていたのでした。
その電報を見たとき、安岡氏は双葉山関の連勝が終わったことを知ったのでした。
本物の自信とは、根拠のない自信とは、まさにこの木鶏のような自信なのです。
他の鶏が突っかかってこようと、まったく相手にせずに動じることがない。
まったく殺気も出さずに悠々としているから、もはや敵になる鶏がなかったのだとか。
自分を信じるというときの自分とは、単に顕在意識のことでもないし、肉体だけのことでもありません。
大宇宙と一体化した、神としての自分です。
そうなったとき、もはやこの世に敵など存在せず、不安がまったくない自信の塊となるのです。
2013年10月12日
2013年10月14日
我が家に家族が増えました
土曜日に、BIG-Cという名の大手スーパーマーケットへ行き、妻と買い物をしました。
買ったのは洗濯機です。
それまで使っていたものが故障したため、買い換えることにしたのです。
これまでのは8kgサイズの日立製。新たに購入したのは9kgサイズの東芝製でした。
8kgでも布団が洗えるサイズですが、さらに大きい9kgにこだわったようで、最終的に妻が決めました。
おそらく、洗濯する間隔が広がることを望んでいるのでしょう。
今は1周間に1回、1度に2回洗濯しているようです。
まあ普段、妻が使うものですから、妻の意見を優先しましたよ。
もう1つ購入したのは、前から「買わなきゃね」と言っていた鉢植え用の土です。
球根を、すでに観葉植物が植えてある鉢に植えて、間借りしていたのですが、それがかなり大きくなっていたため、早く移植する必要があったのです。
さっそく妻が植え替えたようです。
それにしても、うちのベランダの観葉植物たちは、本当に大きく成長しました。
鉢の大きさからは考えられないくらいに成長しています。
別に肥料を与えているわけでもありません。水をやって、声をかけてあげているだけです。
でもこうやって声をかけて、家族同然に扱ってあげれば、植物だって、機械だって、喜ぶのだと思います。
すべてのものには生命が宿っています。
いえ、正確に言うなら、生命という「ひとつのもの」が、すべてのものを支えています。
ですから、何かを大切にして愛情を注ぐということは、その元になる「ひとつのもの」を大切にすることであり、それは自分自身を大切にすることになるのです。
明日の夜から、また1週間ほど帰省のために一時帰国します。
その間、水やりができないのが心配ですが、きっといい子で待っていてくれることと思います。
またその間、ブログの更新ができませんことを、予めお知らせしておきます。
再開はおそらく、来週末くらいになるかと思います。
買ったのは洗濯機です。
それまで使っていたものが故障したため、買い換えることにしたのです。
これまでのは8kgサイズの日立製。新たに購入したのは9kgサイズの東芝製でした。
8kgでも布団が洗えるサイズですが、さらに大きい9kgにこだわったようで、最終的に妻が決めました。
おそらく、洗濯する間隔が広がることを望んでいるのでしょう。
今は1周間に1回、1度に2回洗濯しているようです。
まあ普段、妻が使うものですから、妻の意見を優先しましたよ。
もう1つ購入したのは、前から「買わなきゃね」と言っていた鉢植え用の土です。
球根を、すでに観葉植物が植えてある鉢に植えて、間借りしていたのですが、それがかなり大きくなっていたため、早く移植する必要があったのです。
さっそく妻が植え替えたようです。
それにしても、うちのベランダの観葉植物たちは、本当に大きく成長しました。
鉢の大きさからは考えられないくらいに成長しています。
別に肥料を与えているわけでもありません。水をやって、声をかけてあげているだけです。
でもこうやって声をかけて、家族同然に扱ってあげれば、植物だって、機械だって、喜ぶのだと思います。
すべてのものには生命が宿っています。
いえ、正確に言うなら、生命という「ひとつのもの」が、すべてのものを支えています。
ですから、何かを大切にして愛情を注ぐということは、その元になる「ひとつのもの」を大切にすることであり、それは自分自身を大切にすることになるのです。
明日の夜から、また1週間ほど帰省のために一時帰国します。
その間、水やりができないのが心配ですが、きっといい子で待っていてくれることと思います。
またその間、ブログの更新ができませんことを、予めお知らせしておきます。
再開はおそらく、来週末くらいになるかと思います。
2013年10月24日
映画「奇跡のリンゴ」を観ました
しばらくブログの更新をしてませんでしたが、やっと日本から戻ってきました。
台風26号と27号の間をすり抜けるように、かろうじて帰省旅行ができました。感謝ですね。
さて、機中の楽しみの1つに映画があるのですが、今回は「奇跡のリンゴ」などを観ました。
「奇跡のリンゴ」と言えば、前に「百姓が地球を救う」で紹介した木村秋則さんの物語です。
すでにストーリーは本を読んでだいたいわかっていたのですが、それでも映像で観ると、また新たな感動がありますね。
木村さん役の阿部サダヲさんもはまり役だと思いましたが、特に、無口なお義父さん役の山崎努さんの演技が素晴らしく、心情がよく表れていました。
お義父さんの気持を思うと、本当に泣けましたね。
物語の感動とは別に、3つの気づきがありましたのでシェアしますね。
まず1つ目は、「植物に声をかけることが大切だ。」ということです。
私も、ベランダの観葉植物たちに声を掛けるようになって、その効果に驚いています。
紹介した本には、声掛けのことはあまり書かれていなかったように思うのですが、映画では、そのことが明確に語られています。
雑草を刈ることが悪かったのだと気づいて、本当の自然農法を実践するようになった2年目、念願のリンゴの花が咲きました。
しかし、2本だけ花をつけない木があったのです。
それを木村さんの子どもたちが見つけて不思議そうに問うと、木村さんは、「この木には声をかけなかったからな」と答えたのです。
つまり、自然農法だけの成果ではなく、声掛けによる成果も加わっていることを、木村さんははっきりと明言しているのです。
2つ目の気づきは、それと関連することですが、「他人にどう見られるかを気にしていては、自分らしく生きられない。」ということです。
木村さんが声をかけなかった木は、隣の畑から丸見えになっていたのです。
つまり、そこでぶつぶつと言いながら声を掛けていると、隣の人からは気が狂ったように思われる。
それが恥ずかしくて、木村さんは声を掛けなかったと言うのです。
私たちは、ついつい他人の目を気にしてしまいます。
けれども、他人からどう見えるかということは、客観的に自分を分析するためには重要なことですが、自分の考えや行動を決める原因にしてはいけないのだと思います。
他人からどう思われようと気にすることなく、自分がこうすべきだと思ったことを行う。
そう、まるでラ・マンチャの男(ドン・キホーテ)のように。
最後3つ目の気づきは、「生命は調和している。」ということです。
自然農法というのは、自然な状態こそがベストなのだという気づきに他なりません。
私たちが人間の恣意的な考えで、これは害虫、これは益虫などと言っていますが、昆虫界に害虫も益虫もないのです。
それぞれが自然界で必要な働きをして、それによって全体として整合性がとれるようになっている。必要だからこそ、存在しているのです。
これは雑草に対しても同じです。「雑草という名の草はない」と言われたのは、たしか昭和天皇でしたね。
人間が勝手に、自分が必要としない草に「雑草」というレッテルを貼っただけなのです。
しかしその雑草たちも、必要があってそこに存在している。それが自然農法の気づきです。
ですから、存在するものを邪魔だからと考えて排除しようとするのではなく、その役割をまっとうさせてあげようとすることが大切なのです。
いわば自然に対して戦いを挑むのではなく、自然の声を聞き、自然を愛しむことです。
ガンの治療法として、手術や薬物に頼らない自然治癒力を生かす医療を提唱する人がおられます。
そういう人は、まずガンと戦わないことを教えるのだそうです。
ガンもまた自分の体の一部であり、必要があって生まれたのだから、それを受け入れてあげるのだとか。
これなどもまさに、自然農法の極意ではないでしょうか。
さらに視野を広げてみれば、私たち人間社会にも同じようなことが言えます。
悪人とか善人などというのも、私たちが勝手に貼ったレッテルに過ぎません。
それぞれの人の価値観に従うなら、けして間違ったことはしないのです。
世間的に悪と呼ばれることをしている自覚があるとしても、その人は、そうせざるを得ない何らかの理由があって、そのためにそうしているのです。
それを一方的に悪と決めつけて排除しようとするなら、それは口が自分と違うからと言って鼻に噛み付くようなものです。
生命全体として、それがいかにバカげたことか、総合的に考えればわかると思います。
農薬で虫を殺すことで美味しいリンゴを作り続けた既存の農業。でもそれによって、大地は疲弊し、人間は病に冒されるようになりました。
そういう農業が、本当に私たちが望む農業なのでしょうか?
悪人を処罰し、排除し、その恐れを抑止力としてきた社会政策。でもそれによって、安全の維持コストが高くなり、人は精神的な苦しみを捨てられずにいます。
そういう社会が、本当に私たちが望む社会なのでしょうか?
そんなことを考えさせられる映画でした。
考え方は人それぞれですから、私の考えが絶対に正しいなどと言う気はありません。
みなさんもぜひ、映画を観るか、本を読まれて、考えてみていただきたいと思います。
台風26号と27号の間をすり抜けるように、かろうじて帰省旅行ができました。感謝ですね。
さて、機中の楽しみの1つに映画があるのですが、今回は「奇跡のリンゴ」などを観ました。
「奇跡のリンゴ」と言えば、前に「百姓が地球を救う」で紹介した木村秋則さんの物語です。
すでにストーリーは本を読んでだいたいわかっていたのですが、それでも映像で観ると、また新たな感動がありますね。
木村さん役の阿部サダヲさんもはまり役だと思いましたが、特に、無口なお義父さん役の山崎努さんの演技が素晴らしく、心情がよく表れていました。
お義父さんの気持を思うと、本当に泣けましたね。
物語の感動とは別に、3つの気づきがありましたのでシェアしますね。
まず1つ目は、「植物に声をかけることが大切だ。」ということです。
私も、ベランダの観葉植物たちに声を掛けるようになって、その効果に驚いています。
紹介した本には、声掛けのことはあまり書かれていなかったように思うのですが、映画では、そのことが明確に語られています。
雑草を刈ることが悪かったのだと気づいて、本当の自然農法を実践するようになった2年目、念願のリンゴの花が咲きました。
しかし、2本だけ花をつけない木があったのです。
それを木村さんの子どもたちが見つけて不思議そうに問うと、木村さんは、「この木には声をかけなかったからな」と答えたのです。
つまり、自然農法だけの成果ではなく、声掛けによる成果も加わっていることを、木村さんははっきりと明言しているのです。
2つ目の気づきは、それと関連することですが、「他人にどう見られるかを気にしていては、自分らしく生きられない。」ということです。
木村さんが声をかけなかった木は、隣の畑から丸見えになっていたのです。
つまり、そこでぶつぶつと言いながら声を掛けていると、隣の人からは気が狂ったように思われる。
それが恥ずかしくて、木村さんは声を掛けなかったと言うのです。
私たちは、ついつい他人の目を気にしてしまいます。
けれども、他人からどう見えるかということは、客観的に自分を分析するためには重要なことですが、自分の考えや行動を決める原因にしてはいけないのだと思います。
他人からどう思われようと気にすることなく、自分がこうすべきだと思ったことを行う。
そう、まるでラ・マンチャの男(ドン・キホーテ)のように。
最後3つ目の気づきは、「生命は調和している。」ということです。
自然農法というのは、自然な状態こそがベストなのだという気づきに他なりません。
私たちが人間の恣意的な考えで、これは害虫、これは益虫などと言っていますが、昆虫界に害虫も益虫もないのです。
それぞれが自然界で必要な働きをして、それによって全体として整合性がとれるようになっている。必要だからこそ、存在しているのです。
これは雑草に対しても同じです。「雑草という名の草はない」と言われたのは、たしか昭和天皇でしたね。
人間が勝手に、自分が必要としない草に「雑草」というレッテルを貼っただけなのです。
しかしその雑草たちも、必要があってそこに存在している。それが自然農法の気づきです。
ですから、存在するものを邪魔だからと考えて排除しようとするのではなく、その役割をまっとうさせてあげようとすることが大切なのです。
いわば自然に対して戦いを挑むのではなく、自然の声を聞き、自然を愛しむことです。
ガンの治療法として、手術や薬物に頼らない自然治癒力を生かす医療を提唱する人がおられます。
そういう人は、まずガンと戦わないことを教えるのだそうです。
ガンもまた自分の体の一部であり、必要があって生まれたのだから、それを受け入れてあげるのだとか。
これなどもまさに、自然農法の極意ではないでしょうか。
さらに視野を広げてみれば、私たち人間社会にも同じようなことが言えます。
悪人とか善人などというのも、私たちが勝手に貼ったレッテルに過ぎません。
それぞれの人の価値観に従うなら、けして間違ったことはしないのです。
世間的に悪と呼ばれることをしている自覚があるとしても、その人は、そうせざるを得ない何らかの理由があって、そのためにそうしているのです。
それを一方的に悪と決めつけて排除しようとするなら、それは口が自分と違うからと言って鼻に噛み付くようなものです。
生命全体として、それがいかにバカげたことか、総合的に考えればわかると思います。
農薬で虫を殺すことで美味しいリンゴを作り続けた既存の農業。でもそれによって、大地は疲弊し、人間は病に冒されるようになりました。
そういう農業が、本当に私たちが望む農業なのでしょうか?
悪人を処罰し、排除し、その恐れを抑止力としてきた社会政策。でもそれによって、安全の維持コストが高くなり、人は精神的な苦しみを捨てられずにいます。
そういう社会が、本当に私たちが望む社会なのでしょうか?
そんなことを考えさせられる映画でした。
考え方は人それぞれですから、私の考えが絶対に正しいなどと言う気はありません。
みなさんもぜひ、映画を観るか、本を読まれて、考えてみていただきたいと思います。
2013年10月25日
今回の帰省旅行は寺社めぐりをしました
16日から23日まで、帰省を兼ねた旅行をしてきました。
せっかくタイ人の妻と一緒に日本に行くので、日本の良い所を見てもらおうと思って、毎回、帰省を兼ねて旅行をしています。
今回の主目的は、ひたち海浜公園のコキアの紅葉です。
私はまったく知らなかったのですが、妻の友だちが行ったときの写真を見せられて、初めて知った次第です。
不思議な植物があるものですね。
まるでマリモのように、もわもわっとした植物が地表に転がっているように生えていて、それがみごとに紅葉するのです。
日本名はホウキグサ。箒(ほうき)の原材料になるのだそうです。
そんなことも知らずに50年も生きてきたのですから、自分でも呆れるばかりです。
そして旅行のテーマとしては、神社仏閣巡りとしました。
妻はよくタイのお寺に参拝に行くし、日本の寺社に参るのも悪くはなかろうと思ったのです。
最初の2日で、まず茨城県へ行って、それから千葉県を観光するつもりでした。
しかし、台風26号の影響で出発が6時間遅れたため、急きょ予定を変更。
16日は、まず千葉県の成田山新勝寺へ行き、近くにあるワットパクナム日本分院(タイのお寺です)に参って、最後に牛久の大仏を見てホテルへというルートにしました。
成田山新勝寺の古びた建物が、妻はいたく気に入ったようです。
「へぇー、こういうのが好きなんだ。」新たな妻の側面を発見した気持ちになりました。
ところが、ワットパクナムへ行ったときはもう夕方5時近く。タイでは、お寺にお参りするのは午前中なのだそうで、妻から「なぜ最初に言わないんだ」と怒られました。
牛久に到着したときはもう暗くなっていて、大仏も外から見ただけ。けっきょく、初日は成田山新勝寺だけの観光となりました。
2日目は、まず近くの牛久の大仏へ行きました。これが意外と面白かったです。
タイにも大きな仏像やガネーシャ像などがありますが、それ以外が充実していません。でもこっちは、大仏の中でいろいろと見られるようになっていて、楽しめましたね。
そのあとは、主目的のひたち海浜公園に行って、たっぷりとコキアの紅葉を楽しみました。
その後は常陸風土記の丘で縄文・弥生の竪穴式住居を再現したものを見ました。
これも妻は面白かったようです。
その後は、千葉県の市原市にあるホテルまで移動しなければならなかったので、筑波山にも登らずに、ホテルへ向かいました。
予定では3時間以内と計算していたのですが、国道16号線を選んだのが失敗でしたね。すぐに信号にひかかるようになっていて、まるで罰ゲームのようでした。結局4時間かかってしまいました。
もともとは、成田山新勝寺を見てから移動する予定でホテルを選んだので、ルート的に苦しくなってしまいました。
翌日は東京湾アクアラインを通って、海ほたるで休憩してから羽田空港へと考えていたので、市原あたりのホテルが都合が良かったのです。
まあでも、それなりに楽しめたから、いいかなって思っています。
実家に帰省したあとは再び東京へ戻ってきて、鎌倉の大仏や長谷寺の観音様、鶴ヶ岡八幡宮などを見て回りました。
平日だというのに、本当に人が多いですね。その人の多さにビックリです。
鎌倉の後は横浜観光をと思ったのですが、妻が体調不良だったために、早々とホテルに戻って休養しました。
やはり旅行というのは、何がなくても疲れるものなのですね。改めてそう感じましたよ。
今度からは、もっと休憩しながら回れるプランにしたいと思いました。
前半のようにレンタカーで廻るなら、移動の間はまだ妻が休めるから良いのです。私は運転で神経が疲れますが、でも体は楽ですから。
歩いて移動するのが増えると、さすがにこたえますね。(笑)
翌日は、原宿から明治神宮を参拝して、竹下通りなどを見たのですが、妻には不評でした。
「早く渋谷へ行こう」とせっつかれて、渋谷の109へ行きました。ここが妻のお気に入りなのです。
こんな感じで、慌ただしく過ぎた1週間でした。
予定通りにならないことも多く、疲れがたまるとお互いに不機嫌になることもありました。
まあでも、これまでの旅行では一番、波風が立たなかったと思います。
これまでなら少なくとも1回は、「もう二度と旅行に連れてきてやるものか」と思ってましたから。(笑)
一時的にそういうことを思っても、でも私は自分の考え方を見直すのです。
私と違う価値観を持っているから、たくさんの気づきを与えてもらえる。
そのことが、本当にありがたいことだと思うからです。
これからも、妻と一緒に帰省旅行をしていきたいと思います。
せっかくタイ人の妻と一緒に日本に行くので、日本の良い所を見てもらおうと思って、毎回、帰省を兼ねて旅行をしています。
今回の主目的は、ひたち海浜公園のコキアの紅葉です。
私はまったく知らなかったのですが、妻の友だちが行ったときの写真を見せられて、初めて知った次第です。
不思議な植物があるものですね。
まるでマリモのように、もわもわっとした植物が地表に転がっているように生えていて、それがみごとに紅葉するのです。
日本名はホウキグサ。箒(ほうき)の原材料になるのだそうです。
そんなことも知らずに50年も生きてきたのですから、自分でも呆れるばかりです。
そして旅行のテーマとしては、神社仏閣巡りとしました。
妻はよくタイのお寺に参拝に行くし、日本の寺社に参るのも悪くはなかろうと思ったのです。
最初の2日で、まず茨城県へ行って、それから千葉県を観光するつもりでした。
しかし、台風26号の影響で出発が6時間遅れたため、急きょ予定を変更。
16日は、まず千葉県の成田山新勝寺へ行き、近くにあるワットパクナム日本分院(タイのお寺です)に参って、最後に牛久の大仏を見てホテルへというルートにしました。
成田山新勝寺の古びた建物が、妻はいたく気に入ったようです。
「へぇー、こういうのが好きなんだ。」新たな妻の側面を発見した気持ちになりました。
ところが、ワットパクナムへ行ったときはもう夕方5時近く。タイでは、お寺にお参りするのは午前中なのだそうで、妻から「なぜ最初に言わないんだ」と怒られました。
牛久に到着したときはもう暗くなっていて、大仏も外から見ただけ。けっきょく、初日は成田山新勝寺だけの観光となりました。
2日目は、まず近くの牛久の大仏へ行きました。これが意外と面白かったです。
タイにも大きな仏像やガネーシャ像などがありますが、それ以外が充実していません。でもこっちは、大仏の中でいろいろと見られるようになっていて、楽しめましたね。
そのあとは、主目的のひたち海浜公園に行って、たっぷりとコキアの紅葉を楽しみました。
その後は常陸風土記の丘で縄文・弥生の竪穴式住居を再現したものを見ました。
これも妻は面白かったようです。
その後は、千葉県の市原市にあるホテルまで移動しなければならなかったので、筑波山にも登らずに、ホテルへ向かいました。
予定では3時間以内と計算していたのですが、国道16号線を選んだのが失敗でしたね。すぐに信号にひかかるようになっていて、まるで罰ゲームのようでした。結局4時間かかってしまいました。
もともとは、成田山新勝寺を見てから移動する予定でホテルを選んだので、ルート的に苦しくなってしまいました。
翌日は東京湾アクアラインを通って、海ほたるで休憩してから羽田空港へと考えていたので、市原あたりのホテルが都合が良かったのです。
まあでも、それなりに楽しめたから、いいかなって思っています。
実家に帰省したあとは再び東京へ戻ってきて、鎌倉の大仏や長谷寺の観音様、鶴ヶ岡八幡宮などを見て回りました。
平日だというのに、本当に人が多いですね。その人の多さにビックリです。
鎌倉の後は横浜観光をと思ったのですが、妻が体調不良だったために、早々とホテルに戻って休養しました。
やはり旅行というのは、何がなくても疲れるものなのですね。改めてそう感じましたよ。
今度からは、もっと休憩しながら回れるプランにしたいと思いました。
前半のようにレンタカーで廻るなら、移動の間はまだ妻が休めるから良いのです。私は運転で神経が疲れますが、でも体は楽ですから。
歩いて移動するのが増えると、さすがにこたえますね。(笑)
翌日は、原宿から明治神宮を参拝して、竹下通りなどを見たのですが、妻には不評でした。
「早く渋谷へ行こう」とせっつかれて、渋谷の109へ行きました。ここが妻のお気に入りなのです。
こんな感じで、慌ただしく過ぎた1週間でした。
予定通りにならないことも多く、疲れがたまるとお互いに不機嫌になることもありました。
まあでも、これまでの旅行では一番、波風が立たなかったと思います。
これまでなら少なくとも1回は、「もう二度と旅行に連れてきてやるものか」と思ってましたから。(笑)
一時的にそういうことを思っても、でも私は自分の考え方を見直すのです。
私と違う価値観を持っているから、たくさんの気づきを与えてもらえる。
そのことが、本当にありがたいことだと思うからです。
これからも、妻と一緒に帰省旅行をしていきたいと思います。
2013年10月26日
人生には失敗も成功もありません
前にも記事「自分で考え、自分で決める」で紹介した、居酒屋「てっぺん」の大嶋啓介さんとクロフネカンパニーの中村文昭さんの共著に、また興味深いことが書かれていました。
お二人とも、「失敗も成功もない」という考えをされているのです。
中村さんは、人生には失敗がないのだから、何かで失敗したようなときは、「ネタ作り、ネタ作り」と言うのだそうです。
あるいは、「予定通り、予定通り」とか、「大丈夫、大丈夫」などとも。
失敗だと一般的に思われるようなことも、それがネタになるのなら、失敗ではなく成功だとも言えるわけです。
大嶋さんも、諦めない限り失敗はないのだから、失敗はあり得ないと言います。
また成功したとしても一時的なものであって、そこにあぐらをかいていれば足元をすくわれることにもなります。
ですから、失敗だとか成功などと言うのは、人生の中の一時的な状況に対してレッテルを貼っただけであって、決定的な結果ではないのです。
では、人生に失敗や成功がないのだとしたら、人生とは何だということになりますが、「神との対話」シリーズではプロセスだと言っています。
進化成長のためのプロセスです。
退化はあり得ないので、人生における変化はすべて、進化成長の変化なのです。
一般的に失敗と言われるような、ネガティブに感じられる変化であったとしても、それは見方の問題だと言います。
よく例に出すのですが、人間万事塞翁が馬の故事でも、老人は全財産である馬に逃げられたからこそ、その馬が野生馬を連れ帰ることができ、それによって財産を何倍にも増やしたのです。
こうなると、馬に逃げられたことは失敗だったのでしょうか?
そうではなく、財産を増やすためのプロセスに過ぎなかったのです。
しかも、その財産が増えるという出来事でさえ、成功などという結果ではなく、プロセスに過ぎないことがわかります。
野生馬を調教しようとしていた老人の孫(息子?)が、落馬して骨折してしまうのです。
こうなると、財産が増えたことが成功だったのではなく、逆に失敗だったとも言えます。
物語はそれでも終わらず、戦争が始まった時に、怪我をしていた孫は徴兵されず、死なずに済んだということになっています。
このように、出来事だけを単独で捉えて、それを成功だとか失敗だなどと言うことが、どれだけバカバカしいことかがわかります。
人生において成功とか失敗などというものはありません。
単に進化成長の中のプロセスに過ぎないのです。
お二人とも、「失敗も成功もない」という考えをされているのです。
中村さんは、人生には失敗がないのだから、何かで失敗したようなときは、「ネタ作り、ネタ作り」と言うのだそうです。
あるいは、「予定通り、予定通り」とか、「大丈夫、大丈夫」などとも。
失敗だと一般的に思われるようなことも、それがネタになるのなら、失敗ではなく成功だとも言えるわけです。
大嶋さんも、諦めない限り失敗はないのだから、失敗はあり得ないと言います。
また成功したとしても一時的なものであって、そこにあぐらをかいていれば足元をすくわれることにもなります。
ですから、失敗だとか成功などと言うのは、人生の中の一時的な状況に対してレッテルを貼っただけであって、決定的な結果ではないのです。
では、人生に失敗や成功がないのだとしたら、人生とは何だということになりますが、「神との対話」シリーズではプロセスだと言っています。
進化成長のためのプロセスです。
退化はあり得ないので、人生における変化はすべて、進化成長の変化なのです。
一般的に失敗と言われるような、ネガティブに感じられる変化であったとしても、それは見方の問題だと言います。
よく例に出すのですが、人間万事塞翁が馬の故事でも、老人は全財産である馬に逃げられたからこそ、その馬が野生馬を連れ帰ることができ、それによって財産を何倍にも増やしたのです。
こうなると、馬に逃げられたことは失敗だったのでしょうか?
そうではなく、財産を増やすためのプロセスに過ぎなかったのです。
しかも、その財産が増えるという出来事でさえ、成功などという結果ではなく、プロセスに過ぎないことがわかります。
野生馬を調教しようとしていた老人の孫(息子?)が、落馬して骨折してしまうのです。
こうなると、財産が増えたことが成功だったのではなく、逆に失敗だったとも言えます。
物語はそれでも終わらず、戦争が始まった時に、怪我をしていた孫は徴兵されず、死なずに済んだということになっています。
このように、出来事だけを単独で捉えて、それを成功だとか失敗だなどと言うことが、どれだけバカバカしいことかがわかります。
人生において成功とか失敗などというものはありません。
単に進化成長の中のプロセスに過ぎないのです。
2013年10月28日
僕たちの“夢のつかみ方”をすべて語ろう!
すでに以前の記事「自分で考え、自分で決める」や「人生には失敗も成功もありません」で紹介してきた、中村文昭さんと大嶋啓介さんの共著になります。
中村さんは、クロフネカンパニーという口コミだけで予約が埋まるウェディングレストランを経営する一方、全国を飛び回って講演をされたり、北海道で引きこもりやニートの青少年を集めて農業をされたりしています。
大嶋さんは、「てっぺんの朝礼」で話題になった居酒屋てっぺんを経営されていて、居酒屋甲子園を立ち上げた方です。
お2人とも、若い頃にはいわゆる「できの悪い子ども」だったようで、そこから様々な出会いがあって、今のような状態になられたという共通点があります。
この話題の2人が、学研からの誘いがあって、この本を書かれることになったのだそうです。
ちょうど、子どもを元気にするには、まずは先生からということで、「先生見本市」なるイベントを考えていたときだったようで、本の中で10月に四日市文化会館第一ホールでやると宣言されています。
そしてそれは、実際に行われたようですね。(本の発行は2008年8月です。先生見本市は同年10月に行われています。)
思い立ったが吉日とは言いますが、まずやると決めてから方法を考える、というスタンスが明確に表れていて、とても興味深かったです。
本の内容は、2人の生き方に対する考え方が随所に表れていて、とても感銘を受けました。
すでに紹介したように、空手家の方の話や、成功や失敗に対する考え方は、本当に参考になりますね。
ブログではなくメルマガで紹介したのですが、ストリッパーになった母親の話は、とても考えさせられるものでした。
それ以外の部分を、ちょっとだけ紹介しましょう。
大嶋さんは、人気の居酒屋てっぺんでの採用基準として、面白い話をされています。
夢があってやる気満々の人が採用されるように考えがちですが、そうではないと言うのです。
「しかし、夢がない人も最高!なのです。」(p.47)
なぜなら、そういう人の心に火がついて、変わっていく姿が感動を与えてくれるからだとか。
「たくさん悩んできた人ほど、たくさん悩んでいる人を救える人間になる」(p.48)
だから、どんな人間でもダメではないのです。
すごい実績を出している人も素晴らしいけど、何をやってもダメな人間も素晴らしい存在なのです。
しかし人は、何もせずに変われるわけではありません。
種から成長して花を咲かせるまでに、根を張り、水や養分を吸収し、葉を出して太陽光から養分を作り出すなどが必要です。
いきなり花がポッと咲くわけではありません。
その変わるために大事なことが、「0.2秒の返事」だとか「頼まれごとは試されごと」と思って、相手の予想を上回る結果を出そうと努力することなのだと言います。
つまり、何をするかが重要なのではなく、今あるその場で、どうやってするかが重要なのです。
そのときの心の持ちようとして、「Mの心」が大切だと言います。
これ、本当に面白いなあと感動しましたよ。
Mとは、サド、マゾというSMのMです。(笑)
打たれれば打たれるほどに快感を得て喜ぶ。それがMです。
困難であれば困難であるほど「チャーンス!」と言って喜ぶ。そして挑戦する。
こういう心の状態を持ち続けることで、いつしか花が咲くようになるのです。
私も、これからは超ドMになって生きようと思いましたよ。(笑)
読むだけで生きる元気が湧いてくる本です。

2013年10月29日
テラ・ルネッサンスT,U
誰か知り合いがFacebookかどこかで、「この本はいいよ」と言っていたので、内容もよくわからずに買ってみました。
漫画だからすぐ読めるだろうということと、帯に福島正伸さんの推薦があったので、それなら間違いないと思ったからです。
読んでみて、初めてわかりました。
これはテラ・ルネッサンスというNPOを立ち上げて活動している鬼丸昌也さんたちの物語なのですね。
そのNPOが何をしているかというと、カンボジアなどの地雷除去と、アフリカを中心とした少年兵を救う活動への支援です。
これだけ書くと、「へー、そうなんだ。すごいね。」で終わってしまうかもしれません。
でもこの本を読むと、おそらく何かしなければ気が済まなくなると思います。
そう、私のように。
私は、そういう思いに突き動かされて、急きょこの本をブログで紹介しようと思い立ったのです。
それくらい、私たちの心を奥深くからゆすぶり、目覚めさせてくれる本です。
それは、主人公でもある鬼丸くんの行動力が、その1つの要因になっています。
英語もできないのに、まずイギリスへ行こうと決め、できない英語をどうするかを考えました。
できるからやるのではなく、やらなきゃいけないと決めたからやるのです。
どうやるかは、やると決めてから考えれば、必ず道が開けるもの。そういう信念を持っている人なのです。
テラ・ルネッサンスのメンバーに、トシャさんという人がいます。
彼女は、幼くして家族が虐殺され、天涯孤独になるという出来事がありました。
ルワンダの虐殺は有名ですが、彼女の国、ブルンジ共和国でもツチ族とフツ族の対立があったのです。
おばさんのところに預けられると、今度はおばさんが虐殺されます。
自分は疫病神ではないかと思い、半年間も森で1人で暮らしたそうです。
それからも、難民キャンプへ行ってもひどい扱いを受けるし、生きるためにやっと職を見つけても差別されるという、踏んだり蹴ったりの暮らしが続きました。
それに耐えて生きてきたのです。
彼女は今、自分と同じ境遇のストリートチルドレンを4人、自分の子どもとして育てています。
そして少ない給料から貯金をして、日本へ行きたいと言ったのだそうです。
なぜなら、年間3万人もの自殺者がいるという日本人へ、自分の体験を伝えることで、生きる希望を持ってもらいたかったから。
その希望を叶え、彼女は日本で講演を行ったようです。
トシャさんは言います。
「私は「幸せになる」という選択をし、「人を幸せにしよう」と決心しました。」
境遇が人を不幸にするのではありません。
その人がした選択が、意思が、その人を不幸にするのです。
ならば逆もまたしかりです。彼女でさえ幸せを選択したというのに、恵まれている日本人が、どうしてそういう意思を持てないことがあるでしょうか?
鬼丸さんが感銘をうけた人に、アジアのノーベル平和賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞したアリヤラトネ博士がいます。
彼は、鬼丸くんにこう言ったそうです。
「君が何かを始めようとする時に、特別な知識や、財産はいらないんだよ。
ただ一つだけ忘れないでほしい。それは、障がいの有無や、性別、年齢にかかわらず、どんな人にも自分と社会の未来を創造する能力があるということだ。
そして、その能力を人と比べる必要もない。
大事なのは一人ひとりに必ず能力があると信じることだ。
それが人間の信頼につながり、社会を変革する勇気になる。」
人は、どんな人であっても、絶対に素晴らしい存在なのです。
役に立たない人とか、生きていて意味がない人などいないのです。
その信頼こそが、世界を動かし、私たちの社会を変えていくのだと思います。

2013年10月31日
不安を取り除けば自信が持てる
先日紹介した「僕たちの“夢のつかみ方”をすべて語ろう!」という本で、クロフネカンパニーの中村文昭さんが、幸せについてこんなことを書いていました。
「ちょっとネガティブな発想かもしれませんが、幸せとは何か?と、聞かれれば、それは「不安のないこと」ではないかと思っています。」(p.76)
この表現に、私はちょっとした衝撃を受けました。
不安があると、人は「もっと何かをしなければならないのではないか?」と、急き立てられるのです。
たとえば老後に不安があれば、もっと貯蓄しなければならないとか。
人からバカにされる不安があれば、もっと頑張って高い地位を得なければならないのではないか、というように。
同じ頑張っているのでも、自分を高めることが楽しくてやっている人は、失敗することを恐れません。
いわば、結果に執着していないのです。
「成功すれば嬉しいけど、成功しなくても大したことじゃない。また頑張ればいいだけじゃないか。」
そのくらいなものでしょう。
しかし、不安に突き動かされている人は、もう溺れそうなほどアップアップしています。余裕がないのです。
なぜなら、「もしその結果が得られなければ、とんでもないことになる。」と思っているからです。
ですから当然、他の人のことなど思いやる余裕なんてありません。
そのように、心に不安があるのは幸せじゃないと、中村さんは考えたのだそうです。
逆に言えば、不安がなければ心に余裕が生まれ、穏やかな喜びの中で生きられる。だから幸せではないかと。
これを読んだ時、私は「なるほど!そういう表現もあったなあ。」と感心したのです。
まさに、その通りだと思います。
そして、不安を取り去ることは、本物の自信を持つことにもなると思いました。
不安がないときの自信というのは、たとえばこんな感じです。
どうやればそれができるかわからないけど、ともかくそれをやろうと決めた。そして、それは何とかなると感じている。
「まあ、何とかなるだろう。ともかく、やってみよう!やってみてダメだったら、また別の方法を探せばいいんだから。」
このように、何の根拠もないのに、「なんとかなる」という気持ちになれるのです。
なぜか?不安がないからです。
不安がある人は、「できなかったらどうしよう?」ということばかりが気になって、できる方法が見つかるまで始めようとしません。
これまでやったようなことなら、できる方法も簡単に見つかるでしょう。でも、初めてのことならそうはいきません。
したがって、いつまでも良い方法が見つからないため、何も始められないのです。
そして始めない限り方法は見つからないので、いつまでたってもできません。自信も得られないのです。
では、どうすれば不安を取り除けるのでしょうか?
それについては、これまでもブログなどで何度も説明しています。
簡単に言えば、「必要性はない」ということを頭で理解し、次に腑に落ちるまで自分の中で繰り返し叩きこむ(=習慣化する)ことです。
つまり、いつも言うように理論と実践なのです。
小さな成功体験を積むことも、もちろん助けにはなるでしょう。
けれども、それだけではいつか壁にぶつかります。
たとえそれが、どんなことであっても何とかなる。
そういう考えが信念とならない限り、根拠のない自信は創られないのです。
以前、NHKのドラマ「開拓者たち」の主人公ハツの言葉を紹介しました。
「なあに、なんとかなる。生きていさえすれば、なんとかなるって。」
想像を絶するどん底状態をくぐり抜けたハツには、もう頼るものはその思いしかありませんでした。
そしてその言葉を口癖のように繰り返す中で、それを自分の信念にまでしたのでしょう。
だから何とかなった。不安に打ち勝って、生き残ってきたのだと思うのです。
「ちょっとネガティブな発想かもしれませんが、幸せとは何か?と、聞かれれば、それは「不安のないこと」ではないかと思っています。」(p.76)
この表現に、私はちょっとした衝撃を受けました。
不安があると、人は「もっと何かをしなければならないのではないか?」と、急き立てられるのです。
たとえば老後に不安があれば、もっと貯蓄しなければならないとか。
人からバカにされる不安があれば、もっと頑張って高い地位を得なければならないのではないか、というように。
同じ頑張っているのでも、自分を高めることが楽しくてやっている人は、失敗することを恐れません。
いわば、結果に執着していないのです。
「成功すれば嬉しいけど、成功しなくても大したことじゃない。また頑張ればいいだけじゃないか。」
そのくらいなものでしょう。
しかし、不安に突き動かされている人は、もう溺れそうなほどアップアップしています。余裕がないのです。
なぜなら、「もしその結果が得られなければ、とんでもないことになる。」と思っているからです。
ですから当然、他の人のことなど思いやる余裕なんてありません。
そのように、心に不安があるのは幸せじゃないと、中村さんは考えたのだそうです。
逆に言えば、不安がなければ心に余裕が生まれ、穏やかな喜びの中で生きられる。だから幸せではないかと。
これを読んだ時、私は「なるほど!そういう表現もあったなあ。」と感心したのです。
まさに、その通りだと思います。
そして、不安を取り去ることは、本物の自信を持つことにもなると思いました。
不安がないときの自信というのは、たとえばこんな感じです。
どうやればそれができるかわからないけど、ともかくそれをやろうと決めた。そして、それは何とかなると感じている。
「まあ、何とかなるだろう。ともかく、やってみよう!やってみてダメだったら、また別の方法を探せばいいんだから。」
このように、何の根拠もないのに、「なんとかなる」という気持ちになれるのです。
なぜか?不安がないからです。
不安がある人は、「できなかったらどうしよう?」ということばかりが気になって、できる方法が見つかるまで始めようとしません。
これまでやったようなことなら、できる方法も簡単に見つかるでしょう。でも、初めてのことならそうはいきません。
したがって、いつまでも良い方法が見つからないため、何も始められないのです。
そして始めない限り方法は見つからないので、いつまでたってもできません。自信も得られないのです。
では、どうすれば不安を取り除けるのでしょうか?
それについては、これまでもブログなどで何度も説明しています。
簡単に言えば、「必要性はない」ということを頭で理解し、次に腑に落ちるまで自分の中で繰り返し叩きこむ(=習慣化する)ことです。
つまり、いつも言うように理論と実践なのです。
小さな成功体験を積むことも、もちろん助けにはなるでしょう。
けれども、それだけではいつか壁にぶつかります。
たとえそれが、どんなことであっても何とかなる。
そういう考えが信念とならない限り、根拠のない自信は創られないのです。
以前、NHKのドラマ「開拓者たち」の主人公ハツの言葉を紹介しました。
「なあに、なんとかなる。生きていさえすれば、なんとかなるって。」
想像を絶するどん底状態をくぐり抜けたハツには、もう頼るものはその思いしかありませんでした。
そしてその言葉を口癖のように繰り返す中で、それを自分の信念にまでしたのでしょう。
だから何とかなった。不安に打ち勝って、生き残ってきたのだと思うのです。
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