2013年09月22日



昨日の「器」に続き、三部作の2冊目になります。

第1章を斎藤一人さんが書かれ、第2章から第4章までをお弟子さんの柴村恵美子さんが書かれています。第5章は斎藤一人さんの講演の書き起こしになります。

また付録として、第5章の内容に相当する斎藤一人さんの講演が、CDとして付けられています。

活字を読むよりも、音声で聴いた方が、一人さんの気持ちが伝わりやすいということなのでしょう。文章を読んでも、かなり激しい感じはしますけどね。


自分の運勢をよくしようと思ったら、”人助け”をするのが一番なんです。自分が助かろうとしているうちは助からないの。自分を助けたかったらまず、人助けをするの。そうすると必ず運勢がよくなるんです。」(p.41)

運を良くする方法として、ツイている人と付き合うようにする、という話は聞いたことがあります。

けれども一人さんは、そういうことは言われません。

前に「黄金律(ゴールデン・ルール)の見方が変わりました」という記事で黄金律について書きましたが、一人さんもそれを勧めています。

まさにこれが王道ですね。


一人さんは昔から、「困ったことは起こらないよ。もし困ったことが起こったら、それは学ぶときが来ただけだよ」と言っていました。
 それと同じで、運がいい人にとって、運が悪いという現象は起こらないのです。起こる出来事すべてが必然であり、学びなのですから。
」(p.128)

これほど本質を突いた理解はないでしょうね。

都合の良いことが起こったときに「ツイてる」は誰でも言えます。問題は、都合が悪いことが起こったとき、それでも「ツイてる」と言えるかどうかなのです。

現象的には同じだとしても、運がいい人は常に「ツイてる」と言い、運が悪い人は時に「ツイてない」と考えるのです。

それだけの違いだと言うのです。


起きた出来事は変えられなくても、それをどうとらえるかを選ぶことはできます。そして考え方や使う言葉も選ぶことができます。その選んだことによって結果は変わります。つまり、あなたは考え方や使う言葉を選ぶことによって、あなたの人生を選ぶことができるのです。」(p.137)

もうまさにその通り。しかり、アーメンですよ。

自分の意思で選択することで、人生を創っています。そのことに気づく必要があるのです。


最後に一人さんの、「覚悟の重要性」に関する講演が載っています。

かなり激しい口調で、「覚悟を持て」ということを言われていますね。

覚悟とは、自分の意思を決めるということです。

何があろうと関係なく、自分の在り方を選択しなさいということです。

要はそういうことなのだと思います。

運
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:00 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月23日



お待たせしました。ご期待通りに、斎藤一人さんとそのお弟子さんの柴村恵美子さんの共著、三部作の最後を飾る本を紹介します。

すでに「器」「運」を紹介していますが、それらはすべて、ここで書かれている「天」に対する考えから来ているものなのです。


一人さんは「上気元の行」という修行をやるのが人生なのだと言います。

いつでも、何があっても、自分の機嫌を自分でとって、機嫌良くしていること。それが上気元です。

なぜそうするかと言うと、「天(=神様)」の意図は、分霊(わけみたま)である私たちの魂を上のレベルに引き上げることだから。

そのための修行なのだからと言うのです。

神がもし、あなたにハンデを与えたのだとすれば、それはあなたが優秀だからなんだよ。」(p.60)

神の意図が、私たちを滅ぼすことでなく、引き上げるものだとすれば、乗り越えられない壁など存在しないはずです。

そして、大変な目に合うということは、それだけ私たちが優秀で、その壁を乗り越える能力があるからです。


それなのに乗り越えられないのは、自分で自分をダメだと思い込んでしまうからだと言います。

一人さんは、ちょっとでもできたなら、昨日の自分より成功しているのだと考えるそうです。

それを他人と比較するから、自分は失敗していると考えてしまって、自己卑下するのだと。

簡単に言うと、成功することよりも、これが成功だと思うことが大切なんです。
 走るのが遅い人は、私の人生はゆっくり行けばいいんだと思えばいいんです。人を追いかける人生でも、追われる人生でもないんだ。落ち着いた人生を歩めばいいんだとわかっただけで成功者なんだよ。
」(p.67)


神様は、私たちを引き上げるために、様々な試練に合わせると言います。

ですから、試練に合ったとき、どう考えるかが大切なのです。

私もあるとき、すごく悩んでいた時期がありました。そこで気づいたのは、悩んでいるときは必ず人のせいにしているということです。
 そして、この悩みは自分がここからなにかを学べという神様からの合図なんだということに気づいたとき、不思議と問題は解決されました。
」(p.178)


お弟子さんたちの成功を、「たまたま一人さんの弟子になれたから運が良かっただけだ」と考える人もいるようです。

そう考えて、自分が変わる努力をしない理由にすることもできますが、それが自分のためになるのでしょうか?

この本の中でも、素直さが大事だと言われています。

どう考えるかは自由だし、その蒔いた種(思考)を自分で刈り入れる(体験)だけのこと。

あとは、自分がどうするかだけなのです。

天
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:37 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

三部作を読み終えて思うこと

最近また、斎藤一人さんの本を読みました。

「器」「運」「天」という三部作で、お弟子さんの柴村恵美子さんとの共著になっています。


最初の「器」は、器量という言葉があるように、人間としての大きさを表します。

この人間の器を大きくするために、修行するのが人生だと、一人さんは言うのです。

その修業方法として、「上気元の行」というのがあるそうです。

これ、とても気に入りました。


一人さんは、機嫌というのは自分でとるものだと言います。

それを多くの人は他人にとらせようとしている。


この説明は、とても面白いなあと思いました。

私もいろいろな言い方をします。

たとえば、自分の人生の手綱を他人に預ける、という表現も同じことです。

要は、自分の心に湧き上がる感情は、自分がコントロールすべきものであって、他人や出来事に翻弄されるべきではない、ということなのです。


それで一人さんは、機嫌は自分でとるものだから、それを修行としてやろうと言うのです。

いつでも、どんなことがあっても、上機嫌でいること。

まるで「少女パレアナ」何でも喜ぶゲームみたいです。

それが「上気元の行」なのです。

それによって人間の器が大きくなると言います。

 

次に「運」ですが、運というのは神様を味方につけることだと言います。

ですから、神様の意図に沿うようにすれば良いのだと。

神様は他人に親切にしなさいよと言っておられるのだから、それにしたがって人助けをするのが、運を良くすることになると説明します。


ただ私がこの本を読んで感じたのは、運が良いということは、自分が望ましいと感じる出来事が起こるようになることだと思うのです。

事業が思うように進んだとか、何かあって災難を逃れたなど。

つまり、自分が望むことが起こることですから、「引き寄せの法則」をうまく使えるというようなことだと思います。

そういう意味だと、人助けをすれば自分が助けられるというのは理屈が通っています。

黄金律というのがまさにそのことですから。

あなたがしてほしいと思うことを他人にしなさい。

要はそういうことですね。

 

最後の「天」は、「器」「運」で語っていることの、土台の部分についての話となります。

つまりこの世の本質は何かという話です。

この中で一人さんは、この世には大霊(たいれい)と呼ばれる1つのものがあると言います。

そして私たちの魂は、その分霊(わけみたま)だと。

大霊のことをヤハウェとかアラーとか、それぞれ言っているだけで、要は同じことだと言います。

 

この3冊を集中して読んだのですが、内容的には「神との対話」シリーズで語られていることと同じですよね。

すべては「ひとつのもの」ですから、不安などは存在しないのです。

なぜなら、「ひとつのもの」とは愛であり、不安は愛の対極なのですから。

ですから、上手くいかないとか、幸せなれないとか、失敗するなんてことはあり得ないのです。

 

ただ、このように理論的に説明しても納得できない方もおられるでしょう。

現実がそうではないと感じているからでしょうね。

そのギャップを埋める説明として、一人さんも言っているのは、それは見方の問題だということなのです。


たとえば、赤ちゃんが最初から走れないのは、「上手くいかない」ことでしょうか?

歩いていて転んだら、「失敗した」のでしょうか?

そうではなく、それは進化成長の過程なのです。


上手くできない状況というのは、「あなたはダメな存在だ」ということを示してはいません。

「あなたはこれから成長する存在だ」ということがわかるだけです。

あるいは、「あなたを生かす道は他にある」というメッセージかもしれません。

そういう見方をすれば、上手くできないことが福音になります。


そういう見方をせず、不安に基づいて見ると、「もう自分はダメなんじゃないか」と思えてくるのです。

本当はただ思っただけなのに、それが真実であるかのように感じるのです。


そのことさえわかれば、あとは自分の見方を変えれば良いだけですよね。

これまで習慣化している見方を変え、新たな考え方の習慣を身につける。

そのためにいろいろな人が、様々な行を提唱しています。

一人さんの「上気元の行」というのも、その1つに過ぎません。


本の中では、他の行についても書かれていました。

たとえば、誰かと出会うたびに、その人に対して「すべての良きことが、雪崩のごとくあなたに起きます!」と心の中で言うという行もありました。

こういう行は、それ自体が絶対だと言うものではないと思います。

そうではなく、山頂に登るための1つのルートに過ぎないのです。

どのルートが最も優れているかとか、あまり関係がありません。

自分にあったものをやれば良いだけだと思います。


それで、結果としてどうなれば良いかというと、今あるそのままで幸せだと感じるよう、考え方を習慣化することです。

何があろうと、何がなかろうと関係なく、今の状態のままで幸せを感じて生きる。

そのためにできることは、なんでもやってみたら良いと思いますよ。


本を読むのも、瞑想するのも、講演を聞きに行くのも、ぜんぶそのためです。

そういう生き方をしませんか?

それが私からのお誘いです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:07 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

酔っ払ってしまいました

昨夜は、今までにないくらいに酔っ払ってしまったようです。

と言っても、それほど飲み過ぎたわけではありません。

私の許容量は、ビールを小瓶で5本まで。これだと、次の日に残ることがありません。6本いくと、翌日の午前中まで体にアルコールが残る感じです。

昨夜は、6本目の途中で切り上げたはずなのですが、前日に焼酎などを飲んで酔っ払っていたので、その影響があったのかもしれません。


それでもタクシーに乗って、ちゃんと帰ったのです。

タクシーの運ちゃんが指示したところでアパートに入らずに行き過ぎたので、Uターンしてもらって帰ったことまで覚えています。

それで、メーターを見たら41バーツくらいだったので、50バーツ札を1枚渡して降りた。

そんな記憶があります。でも、それ以降の記憶がありません。


気がついたらベッドで寝ていました。

でも、ワイシャツを着たままです。ボタンは外していましたけど。どうやら、脱ぎきらないうちにダウンしてしまったようです。(^^ゞ


シャワーを浴びて着替えようとしたら、ベルトが見つかりません。

いつも置いておくところにないのです。探しましたが、リビングにもありませんでした。

すると寝ていた妻が目を覚まして、「そこ!」と指を指します。洗い物を入れておくカゴの後にある、洋服掛けの上にベルトのついたズボンが置いてありました。

ひょっとして、私がやったのでしょうか?

妻が脱がして置いたのかもしれませんが、まったく記憶がありません。


さらに、もっとまずいことに気づいてしまいました。

飲んだ場所からアパートまで、タクシーだと70バーツはかかるのです。

メーターが41バーツなんてことはあり得ません。

財布の札を数えると、たしかに50バーツ札が1枚足りないのですが、20バーツ札は減っていません。

まさか150バーツを払うとも思えないのですが・・・。

ひょっとしたら、タクシー代を踏み倒したのでしょうか?

もしそうだとすると、本当に申し訳ないことです。

でも、アパートの入口から歩いてエレベーターに乗るまで、誰も声をかけてこなかったはずだし・・・。

うーん、記憶がないだけに、よくわかりません。


帰ってから、ソファーに座ってスマホをいじっている間に寝るということは、これまでも何度かあります。

ところどころ記憶が飛んでいることも、珍しいことではありません。

でも、服を脱ぎかけて寝てしまったというのは初めてです。


反省して、今夜はまっすぐに帰ります。

帰ってから、家でビールにしますよ。(*^_^*)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:49 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

すべての良きことが雪崩のごとく起きます

斎藤一人さん三部作「器」「運」「天」を読んだ影響で、最近、ある行(ぎょう)をやってます。

それは、通勤途中で出会った人に対して、心の中でこうつぶやくのです。

「(あなたに)すべての良きことが雪崩のごとく起きます」


目についた人すべてにそう言うことを自分に課して、約15分間の徒歩通勤をしています。

なかなか全員に言うのは難しいですけどね。集団で来られたときは、まとめてってこともあります。

また、歩くとは言っても車に注意しなければならないし、バンコクは犬の糞にも、上から落ちてくる鳩の糞にも注意は欠かせません。(笑)

ふと気がつくと、言わずに通り過ぎてしまってたなんてこともありますが、あまり細かいことは気にしません。

ともかく気がついたら、その目の前の人に対してつぶやくのです。


行(ぎょう)の良いところは、あまり考えずに済むということです。

ともかく、それをやりさえすれば良い。それでいて効果がある。それがメリットです。

実際、これをやってると、人に対して悪い感情を抱かずに済みます。


歩いていると、わざわざぶつかる進路をとる人がいますよね。

「こっちが右端を歩いているのに、なんでこっちへ寄ってくるの!?反対側を歩けばいいじゃないの!?」

そう言いたくなるときって、ありませんか?

いったい何を考えているのか、頭をかち割って覗いてみたくなるほどです。


でも、その人にはその人なりの理由が必ずあるのです。

ボーっとしてて、あまり意識していないのかもしれないし、あるいは考え事をしていて、私の存在に気づかないこともあるでしょう。

あるいはその日、むしゃくしゃすることがあって、「お前が避けろよ!」という気分だったのかも。

また、私を避ける進路上に、自分が通りたくない部分があったかもしれません。

タイの人は、歩道上にある下水の蓋の上を歩かない人が多いです。落ちることを心配しているのでしょうね。

日本ならまずあり得ないでしょうけど、たまに落ちるんですよ。ですから、落ちるはずがないとは思えないのです。


しかし、相手の事情を想像できないときや、合理的な説明ができない場合に、相手に対して悪感情を抱くことがあります。

それがこの行(ぎょう)をやっていると、そういう悪感情を感じなくて済むのです。

だって、その人の幸福を願いながら、「このやろう!」とは思えないでしょ?


「ありがとう」を1万回唱える行というのもありますが、やはり行には行の良さがあるんだなあと思います。

別に1万回唱えたから、神様とか仏様が「よし、良くやったから褒美をやろう」と言って、幸運を授けてくれるわけではないのです。

行をやることによって、自分自身をコントロールするのです。


私はそう思って、日々、何かしらの幸せ実践をしています。

良い本を読むのも、ある意味ではですよね。それによって、良い言葉、ポジティブな考え方を、自分に対してインプットするのです。

ベランダの観葉植物への声掛けも、またのようなものです。語りかけている対象は植物ですが、本当は自分自身なのです。

だって、この世にはたったひとつの存在しかなく、その「ひとつのもの」が分化して見えているだけなのですから。

他人にすることは自分に対してすること。

ですから、いつも他の人を励まし、勇気づけ、幸せな気分になってもらえることをしようと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:37 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月27日

自信があれば楽しく生きられる

「あなたとHくんとの違いは、自信があるかどうかだね。」

親友のHくんとの違いを、母親からそう指摘されたのは、たしか中学2年か3年のときだったでしょう。

臆病で、内気で、傷つきやすくて、女の腐ったようなヤツ(女性の方には申し訳ありませんが)という表現がピッタリな私でした。

一方、Hくんは自信の塊のような男でした。


学校の成績なら、私はHくんには負けません。自慢じゃありませんが、中間試験や期末試験では、総合得点で80人中3位以内を争うくらい、私は優秀だったのです。

運動神経では、客観的に見ればそう見劣りしなかったでしょう。

にも関わらず、Hくんは自信に溢れ、私は引っ込み思案だったのです。

当然のように、Hくんは女性からもモテたし、後輩からも人気がありました。

一方の私は、女性と付き合ったこともなく、告白する勇気すらありません。

「優しい人」

そう思われるのが、せいぜいだったのです。


今思うに、母親の指摘は的を射ていました。

Hくんと私の大きな違いは、ただ自信があるかどうかだけだったと思うのです。

自信のあるHくんは、活き活きとして、ハツラツとして、青春を謳歌している感じがしました。

しかし私は、将来に対して不安を抱き、ただひっそりと生き延びることだけを願っているような存在でした。


「ぼくも、Hくんみたいに自信を持って生きたい!」

そういう気持ちはありました。

「勉強じゃあ負けとりゃあせんのんだろうがね。(勉強では負けてないんしょう?)」

母親から指摘されるまでもなく、たしかにそうなのですが、そういう事実を突きつけられても、私は自分に自信が持てなかったのです。


今、私は、「自信たっぷりに見える」と言われるほど、子どもの頃とは別人のようになりました。

様々な経験をする中で、自然と自信をつけてきたのでしょうね。

ナイーブで繊細な性格は変わっていないと思うのですが、子どもの頃ほど不安を覚えることがなくなったのです。


私自身がそういう人生を送ってきたので、今、以前の私のように自信が持てなくてオドオドしている人を見ると、なんとかしてあげたいなあという気持ちになります。

なぜなら、どんな人でも私のように、自信を持てるようになるとわかっているからです。

しかも、自信を持つために、何か他人より優れているところがある必要性はありません。


幸いなことに、私は自分の経験において、そういう他人と比較して優秀であることが、自信という面では何の役にも立たないことがわかっています。

ですから、成績が悪くても、運動神経が鈍くても、太っていて不格好でも、顔が不細工でも、まったく関係ないのです。


以前の記事「謙虚さと自信を併せ持つこと」で、根拠のない自信について書きました。

本物の自信は、根拠がないのです。他人と比較して優れているという理由が不要なのです。

そういう自信を手に入れれば、あなたも人生が変わると思いませんか?

そのための方法について、この「根拠のない自信」というカテゴリで書いていこうと思います。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:51 | Comment(0) | └ 根拠のない自信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月30日

賢者の書



ご存知、喜多川泰さんデビュー作です。

私が最初に読んだのは、「またかな」こと「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」だったのですが、これが素晴らしかったので、喜多川さんの本を選んで買っています。

ちなみに「またかな」は映画化され、28日から上映されているようです。

その後に読んだ「手紙屋」も、本当に素晴らしいです。

生き方についての考え方と言うか、成功哲学的な感じの物語なのですが、その視点が斬新です。


この本でも、投資についての考え方が書かれていましたが、その切り口に驚きました。

投資する財産はお金ではないというのです。

人が誰も平等に持っている財産、つまり時間を投資するのだと。

ネタばらしになるから詳細なことは書きませんが、「よくこんなことを思いついたなあ」と感心しますよ。


今回は、電子書籍(Kindle版)で購入しましたが、新装版が出版されています。

9人の賢者が、主人公の少年を賢者にするためにどういうアドバイスをしたのか、ぜひ読んでみてください。

なお、主人公が少年ということで、子供向けという感じがするかもしれませんが、実は隠れた主人公がいます。

それは50歳代の、人生に疲れた男性です。

その男性に私自身を重ねて、とても勇気をもらえたことを告白しておきます。(*^_^*)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:20 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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