2013年09月12日

「手紙屋」



通称「またかな」こと、「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」が素晴らしかったので、喜多川泰さんの本を買ってみました。

この「手紙屋」は、就職活動に臨む主人公を、手紙によって励まし、成長させていく物語です。

仕事とは何なのか?生きるとはどういうことなのか?

そういったことを、10通の手紙を通じて主人公に示し、主人公もまたそれによって啓発されて成長していきます。


もし私が、自分が就職活動をするときにこの本を読んでいたら、おそらく今とは違った人生を歩んだでしょうね。

当時の私は、営業など対人業務が苦手だから、事務職、研究職などを考えていました。

ただそういう職種の募集は少なかったのです。そこで目をつけたのが、プログラマーとかSEという職種でした。

幸いなことに当時は、世紀末には10万人くらいSEが不足するなどと言われ、どこも引く手あまただったのです。

ですから入社したとき、音大出身とか家政科出身など、畑違いの人が大勢いるのでびっくりしましたよ。

まあ私も、政治学科卒ですから他人のことは言えませんが、少なくとも理数系が得意だったし、コンピュータについても多少習ってましたから。

しかし、この主人公が最初にやろうとしたのと同様に、安定した会社、少しでも給料の良い会社を選んだことは間違いありません。

せいぜい、教育に関することにタッチしたいなという、わずかな希望があったくらいで。


まあでも、就職だけですべてが決まるわけでもありません。

それはこの本にも書かれているように、どういう会社を選んだとしても、最終的には自分が決めたゴールにたどり着くのだと思います。

そうだからこそ、会社の安定性とか給料などで選択することは、もったいないことなのですね。

 

このあと続けて、喜多川さんの「「福」に憑かれた男」を読みました。



これまた素晴らしい内容ですね。

福の神が主人公に憑(つ)くのですが、どうにも思い通りに幸せになってくれない。

それで先輩の福の神のアドバイスを受けたりしながら、主人公が幸せになっていく物語です。


その中でも、すごいことが語られています。

何はなくとも「今、幸せだ!」「僕の人生は成功している!」ってことに今すぐ気づくことができれば、一生幸せで、成功した人生が約束されます。」(p.86)

なんだかまるで、幸せ実践塾の講義みたいですね。(笑)


喜多川泰さんの小説は、本当にためになる言葉が散りばめられています。

もっともっと読んでみたくなりました。

「手紙屋」,「福」に憑かれた男
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:03 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

義父を偲んで

先月の13日、妻のお義父さんが急逝されました。

死因は腎臓の病気のようですが、詳しくはわかりません。


日本では、1周忌が過ぎてから祥月命日ということで、毎月の命日と同じ日に法要を行うようです。

まあ一般的には、特にお寺さんに何かをしていただくというより、お墓参りをしたりするくらいでしょうか。


タイでは、初七日とか四十九日という法要は、どうやらなさそうですね。(未確認です。)

その代わり亡くなられた日の翌月から、同じ日にお寺に行ってタンブン(徳を積むこと=お参りしてお布施をする)をするようです。


妻のお義父さんは、私とそれほど歳が違いません。たしか54歳くらいだったと思います。

4月のソンクラーンのときにお会いしたのが最後になりました。

以前はお酒をよく飲まれていたそうですが、今はもう飲まないと言われてたのに、このときばかりは私を誘ってくださって、一緒にビールを飲みました。

娘が、自分と同じくらいの歳の、しかも異国の男と結婚する。

そのことをどう思われたのか、聞いたこともないのでわかりませんが、よく許してくださったものだと思います。


特にお金を無心されるようなこともありませんでした。

娘が幸せならそれでいい。そのくらいの気持ちではなかったかと思うのです。


一方、私の父親は、最初は反対していましたからね。

もう50歳にもなろうという息子が結婚するのに反対だなんて、私からすれば「何を考えてるの?いい加減にしてくれよな。」と言いたくなるところです。

もちろん、それは子どものことを心配する親心とは思いますけどね。

その父も、今では完全に心を開いてくれました。私と妻が幸せに暮らしているから、安心してくれたのでしょう。

 

お義父さんを亡くして、妻は寂しい思いがあるようです。当然のことだと思います。

写真を見ては、寂しさが込み上げてくるのでしょう。

せめてもの救いは、結婚して幸せに暮らしている様子を見せられたことでしょうか。

そういう意味では、今年の4月に一緒に田舎に帰ってあげたことが、妻のためにとても良かったと思います。


人は、いつ亡くなるかわかりません。

明日があると思っているのは自分だけで、そんなことは誰にも保証されていません。

だからこそ、今日を精一杯、自分らしく生きなければと思うのです。

親鸞上人も、次のような歌を遺しています。

明日ありと 思う心の 徒桜(あだざくら) 夜半(やわ)に嵐の 吹かぬものかは


将来のことが不安になって、今、萎縮してしまうなら、もったいないことだと思います。

明日は明日で何とかなる。そう腹をくくって、今を自分らしく生きよう。そう思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:33 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

百姓が地球を救う



ご存知、放置しても腐らない奇跡のリンゴで有名な木村秋則さんの本です。

最近、自然農法という農業手法に興味があって、そういう関係の本をいくつか読んでいます。

木村さんのリンゴはあまりに有名だったので、つい後回しになっていました。

判官びいきというか、メジャーだとそれだけで、ちょっと避けたくなるんですよね。天邪鬼な性格ですから、私。


しかし、読んでみると、さすがにメジャーになられる方だけに、素晴らしい気づきがありますね。

自然農法の本を読みながら、どうしてこんなに涙がこぼれるのかと、自分のことがおかしくなりましたよ。


少し読んでは、「あー、そうだなあ。」なんて本を置いて考え、ベランダへ出て観葉植物たちに話しかけます。

どうしても、彼らに話しかけたくなるのです。

「そうだよなあ、大きくなれなんて、勝手な期待を押し付けちゃいけないよなあ。あなたはあなたとして、精一杯に生きればそれでいいんだよ。それで十分に素晴らしいんだから。」

彼らだって、生命の一部だし、頑張って生きているんだという気がしてくるのです。

すると、それまで腰掛けていたソファーに対しても、机に対しても、床に対しても、見上げた時の天井に対しても、声をかけたくなります。

「ごめんなあ、いつも気づいてあげなくて。ありがとうね。あなたがそこにいてくれるから、私はこうして快適に生きていられる。本当に、ありがとう。」


この本を読むまで、農薬や化学肥料の使用量で、日本が世界のダントツNo.1だということを知りませんでした。

また、残留農薬のチェックなどもほとんどなく、農家は農家で、決められた量以上に使っているということも知りませんでした。

これでは、アトピーなどの異変が起こっても、不思議ではありません。

安全だと日本人が思い込んでいる日本の野菜や米が、世界で一番危険だったという笑えない事実。

これを知って、「変えなければいけない」と思わないのだったら、もはやそれは人間の心を捨てたとしか言えないでしょうね。

 

生命は、すべて必然で無駄がないということも、農業を見ればわかります。

益虫とか害虫とか、人間が勝手にレッテルを貼っているだけで、彼らの存在はすべて生命に貢献することなのです。

雑草だって同じことです。人間が勝手に、農作物以外の草にそうレッテルを貼っただけ。

雑草があれば、農作物のための栄養が奪われると、不安に感じたからです。

これはまさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。蜘蛛の糸を自分のためだけにあると考えたカンダタは、他の人を雑草か何かのように蹴落としたのです。

でも本当は、雑草があってこそ土の力は保たれる。それが自然農法の結論です。

生命の本質が愛なら、何かを邪魔者だとして排斥することを是とはしないでしょう。

農業もまた、しかりだったのです。


この本を読んで思いました。

当然のことですが、人の社会もまたそうなのだろうと。

一部の人を邪魔者として排除しようとする姿は、まさにこれまでの一般農業の姿ではないでしょうか。

それによって土地(社会)が疲弊し、ついには農作物さえまともに育たなくなる。

育った農作物は、人間のために作ったにも関わらず、人を苦しめるものになっている。

人間社会で有益だとされた一部の人が、その社会をダメにしている姿と重なって見えます。

農業も、人も、結局は同じなんだなあ。そう思いました。

百姓が地球を救う
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:17 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法



著者はロバート・シャインフェルド氏ですが、私はまったく知らない人です。

ではなぜこの本を買ったかと言うと、翻訳が本田健さんだからです。

幸せな金持ちになる考え方を広めておられる健さんが翻訳されたのですから、きっと素晴らしい本に違いない。

そう思って買ってみたのです。


読み始めて、「これは思っていたものとは違うかも?」という気持ちになりました。

悪い意味ではなく、良い意味でです。しかも、想像を絶する素晴らしい内容ではないかと、読み進めるうちにワクワクしてきました。

なぜならこれは、単にお金の呪縛から自由になれる方法ではなく、人生の呪縛から自由になる方法について書かれていたからです。

そして著者は、それを実践されています。


つまり、私たちが勝手に作り上げた因果関係の外に出て、自由に生きられるようになっているのです。


抽象的な言い方で申し訳ないのですが、詳細はぜひ本を読んでいただきたい。

ここで書かれていることは、まさに「神との対話」を実践するものだと思います。


私自身、清水の舞台から飛び下りる覚悟(ちょっと大げさですが)で、自分が勝手に作り上げた因果関係を捨てようとしてきたし、今もそうしています。

前に書いたように、結婚が破談になったときに私がとった行動も、一般的に見れば盗人に追い銭というおろかしい行為に見えたでしょう。

ひどい仕打ちをされたら倍返しが当然という人にとって、私の行為は右の頬を打たれたら左の頬を差し出すというものですから。

でも、そうすることによって私は自由になれたし、それまでとは違うレベルに進化しました。

そして私自身が進化することによって、この世の出来事が変化したのです。


まあ私のレベルは、まだこの著者のレベルではありませんけど、私にはここに書かれていることがよく理解できます。

まず「自分は何者か?」という問の答として、「肉体的な経験をするスピリチュアルな存在」としています。

次に「自分はなぜここにいるのか?」という問には、「ゲームをするため」と答えます。

ここで「マネーゲーム」との関連が出てきますが、単に「マネーゲーム」だけでなく、人生そのものがゲームだと言います。つまり「人間ゲーム」です。

そして最後に、「自分は何のために生きているのか?」という問に、こう答えています。

人間には共通の目的と、個別の目的があります。共通の目的とは、「人間ゲーム」に参加して、どんなゲームからでも得ることができる、喜びや楽しみ、娯楽、やりがい、成長、発見、可能性の拡大という恩恵を受け取ることです。
 個別の目的とは、ユニークな「無限の存在」としてあなたが選んだ、あなただけの方法で「人間ゲーム」に参加することです。
」(p.36)


私はよく、「人生はドラマだ」とか「人生はゲームのようなものだ」と言います。

この本では、まさにそのように人生を捉えています。たとえ話としてではなく、本当にそういうものとして。

そして著者自身が、このゲームを楽しめる段階に達していることが、とても素晴らしいと思いました。

なぜならそれは、私たち全員の希望になることですから。彼にできることなら、私たちにだってできます。

様々な境遇で苦しんでいる人に、勇気を与えてくれる本だと思います。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:34 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

東井義雄「こころ」の教え



前回の「仏の声を聞く」に続いて、東井義雄先生の本を読みました。

今回の本は、小学校や中学校の校長だったとき、生徒との間で行ったリレー交換ノートの中から抜粋してまとめたものです。

これを読むと、東井校長がどういう視点で生徒を見ていたかが、よくわかりますね。


大きな困った問題がやってきたときにも、「いやだなぁ!困った問題を起こしてくれたものだなぁ」と、泣き言を言うのではなく、
「これはいい問題だぞ。よし、自分の力がどれくらいのものか、力だめしをしてみよう」
 と、進んで、その問題にぶつかっていくような考え方が、
「問題に感服して答案を書く」
 ということだろうと思います。
」(p.131)

こう言って、遠足で30kmを歩き抜いたことが印象に残っているという生徒の前向きな姿勢をほめ、そういう生き方をこれからもするようにと励まします。


また、勇気を持って自分の足で幸せへの一歩を踏み出したいという小学生に対しては、次のような言葉を贈っています。

ところが人間というものは、右か左か、幸か不幸か、その道を選ぶ自由を持っています。その自由をうまく生かして、幸福への道を進めば幸福のところへ行き着くことができるのです。不幸になりたければ、そちらの道を選んで進めばいいのです。自分の責任で、その道を選ぶ自由が、人間にはあたえられているのです。」(p.141 - 142)

真理をわかりやすく、かつ子どもだからといって曲げることなく、まっすぐに伝えようとされています。


また、次のようなこの世の深遠な本質を、小学生に対して伝えることもあったようです。

大宇宙はひとつのいのちのあらわれなんです。いのちは一人ひとりのものであるとともに、みんなつながっているんです。」(p.181 - 182)

ひとつひとつばらばらのいのちに立てこもって、ほかのいのちをやっつけようというのは、やはり、頑固にすぎないでしょう。ときには、他の多くのいのちを守るために自分は犠牲になり、自分をほかのいのちのなかに生かしていく、という生き方もあるわけです。」(p.182)


東井先生がこのような深い考えを抱くようになられたのは、やはり若くして両親と死に別れることになったり、ご自身も大病を患われたり、お子さんもまた同様に生死の間をさまよわれるような、大変な出来事があったからだと思います。

その経験を、子どもたちににも率直に語られています。

たとえば、わたしは小学一年で母を亡くしました。家中で一生懸命、よくなってくれるように努力しましたが、死んでしまいました。不幸な運命だったわけです。しかし、そのことによって、わたしは親のない子の不幸というもの、親のありがたさを勉強しました。」(p.161)

自分の子どもが何ぺんも死にかけました。それによって、”生きている”ということが、どんなにすばらしいことか、”生きている”ということをもっともっと真剣に大切にしなければならない、とういことも学びました。」(p.162)

このように、ご自身のたいへんな経験の中で学ばれたことを、小学生や中学生を相手にしても、真剣に共有しようとされているのです。


わたしは、家の子どもが大病をして、もう今夜はいのちが持つか持たないかわからない、というようなときにも、病気をなおしてやってくださいとおねがいしたことは一度もありませんでした。子どもが入学試験を受けるときにも、合格させてやってくださいとおねがいしたことは一度もありませんでした。そのわけは、わたしの信じている仏さまは、おねがいしなかったら言うことをきいてくださらないようなケチな仏さまでないことを、深く信じているからです。」(p.196)

出来事が起こるには、起こるだけの理由(天意)がある。

だから私たちは、それをしっかりと受けとめて、その上で幸せになる生き方を選択する。


それが東井義雄先生の教えなのだと思いました。

東井義雄「こころ」の教え
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:51 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

リンクやコメントについて

【リンク】
当ブログへのリンクは、自由に貼ってくださいね。リンクフリーです。
特にお知らせいただく必要はありません。


【相互リンク】
申し訳ありませんが、相互リンクのお申し入れはお断りさせていただきます。
私の方で紹介したいと思うサイトへのリンクを、右サイドバーのリンク集に載せるようにしていますので。

ただ、別の形での相互リンクが可能になっています。
現在、右サイドバー下に「逆アクセスランキング」というツールを貼ってあります。
ですから、あなたのサイトに当ブログへのリンクを貼り、そこからのアクセスがあれば、このツールに自動的に、あなたのサイトが表示されます。
これによって、実質的に相互リンクさせていただいたことになります。

ただ、名称をこちらでセッティングしないとURLだけ表示されることになりますので、もし、この名称を使ってほしいなどの希望がありましたら、別途、メールなどでご連絡ください。
できる限り、ご希望に添うように変更したいと思いますので。


【コメント】
コメントは、各記事ごとの表示にした時に書くことができます。記事タイトルをクリックして、その記事を表示するようにすると、記事の下にコメント入力欄が表示されます。

現在、記事にコメントをいただいた場合、私の方でチェックした後に表示されるようになっています。
記事と関係のない内容であったり、ただ別のサイトへの被リンクを増やす目的でのコメントは、表示させないようにしています。

私の記事への批判や反論のコメントは、原則的に受け付けます。(表示するようにします。)
ですが、誹謗中傷だけで内容のないコメントに関しては、表示させませんのでご容赦ください。
また、名前(ペンネームでけっこうです)の記入がないコメントも、原則としては表示させません。
以上、ご理解の上、ご協力ください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:29 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

素晴らしいことは素晴らしいと言おう

列島を縦断した台風18号は、また多くの被害をもたらしました。

3人の方が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りします。


そんな中にあって、明るい話題もありました。

増水した川で流されていた子どもを、中国人の留学生が飛び込んで助けたというものです。

荒れ狂う川に飛び込むなんて、私にはきっとできません。まあ、泳げないこともありますけど。

ただいくら泳ぎが達者とは言え、そうそうできることではありません。

事実この方も、「自分も死ぬかと思った」と後で言われています。


そんな自分の命さえ投げ出そうとするほどの勇気ある救助に対して、多くの人が賞賛しています。

私ももちろん、素晴らしいことだと思います。


以前、新大久保駅で転落した人を救助しようとして、命を落としてしまった韓国人の青年がおられましたね。

あの事故のことも思い出しましたよ。

どこの国民だとか、何人だとか関係なく、素晴らしい行為は素晴らしいと賞賛したいです。


孟子は、人には惻隠の情があるとして、性善説を唱えました。

井戸に落ちそうになっている子どもを見たら、自分の欲得抜きで助けようとする。

それが人というものなのです。


こういったニュースに対して、それでも韓国や中国に対する批判を言わなければ気が済まない人もいるようです。

まあそれもその人の自由なのですが、私はそういう行為は心が狭いなあと感じます。

私は自分をもっともっと大きなものにしたいし、本来は大きなものだと思っているので、そういうところで批判めいたことを言いたくありません。

そういうことを自分がしたら、自分をちっぽけな存在にしてしまう気がするからです。


良いものは、誰がやっても良いものなのです。

素晴らしい行いは、どこの人がやっても素晴らしい行為なのです。

それを私は、はっきりと「良い」「素晴らしい」と言いたい。そう思います。


スポーツなどは、そういう気持ちを持っていないと、まったく楽しめません。

対戦相手が素晴らしいプレーをしたなら、それによって味方が敗れるとしても、「素晴らしい!」と声をかけたい。

たとえ負けたとしても、一所懸命に精一杯にやったことを讃えたい。

そこには勝ちも負けもなく、力を出し切った、精一杯に自分として生き切った、人の姿があるだけですから。


そういう気持ちを持てたら、自分のことがもっともっと好きになると思いませんか?

私はそう思うので、そういう人であろうと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:16 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

観葉植物に名前をつけました

バリ島の兄貴こと、丸尾孝俊さんは、自宅で買っているアロワナなどに名前をつけて、しょっちゅう話しかけているそうです。

そればかりか、通路を横切っているアリの行列にまで話しかけるとか。

そういう習慣って、どう思います?


普通だったら、大の大人が水槽の魚に話しかけていたら、「きもちわるー!」って感じですよね。

ましてやアリに話しかけてたら、「ちょっと、大丈夫?」なんて心配になるかも。

でも私は、これを知ったときに素晴らしいなあと思ったのです。


なぜなら、この世はすべて「ひとつのもの」なのです。

人に限らず、動物に限らず、植物に限らず、ありとあらゆるものがそうなのです。

般若心経ではこれを、「色即是空 空即是色」と言っていますよね。

そしてその「ひとつのもの」とは、別名を神、宇宙霊、サムシング・グレート、などと呼びます。

あるいは、生命、愛とも。


こういうことを知った上で動物や植物を見れば、その1つひとつが「もうひとつの自分」だとか、「別の生き方を選択した自分」だとわかります。

でも、それを知っていることと、それを体験することは、また別の次元なのです。

多くの人は、上記のようなことを聞いても、「ふーん、そんな考え方もあるよね。」くらいで終わってしまいます。

一部の人は、「そうだそうだ。そういうように考えないといけないなあ。」で、こちらもこれで終わってしまいます。

さらにわずかな人だけが、この知識を得た上で、体験しようとするのです。


私は、体験する生き方をしたいと思います。

ですから、ベランダの観葉植物たちに話しかけることにしました。


さらに名前までつけちゃいました。だって、呼びかけるのに「あなた」とか「お前たち」だと、イマイチ親近感がないんですよね。

やはり名前を呼んであげるから、より親しく感じるようになるんです。これ、人間だって同じでしょ?




マリちゃん、サリーちゃん、シンゴちゃん、アグネスちゃん、ナーンちゃんです。

一応、シンゴちゃんはオカマという設定にしました。タイらしいでしょ?

この5人の美女(?)たちに、朝と晩に声をかけているんです。

そのせいか、ここのところ急激に成長したんですよ。半年前には、もう枯れそうだったのに。

肥料をやったりなどはしていません。強いて言えば、自然農法を参考に、枯れた葉っぱなどを鉢の上に置いていっただけ。

でもきっと、そんなことよりも話しかけた影響の方が大きいと思っています。


毎日毎日、「あなたたちはすごいよ!」というようなことを、愛でながら言っているのです。

だって、本当に素晴らしい存在なんですよ。太陽光からエネルギーを生み出している存在って、植物だけなのですからね。

水は潤滑油みたいなもの。実質、太陽光だけからエネルギーを得て、自らを成長させています。

そしてその成長した体は、いずれ朽ちて大地を豊かにします。

こんなこと、私にはできませんから。

だから「本当にすごいなあ」と感心しながら、声をかけているのです。


でも、この植物たちに励まされているのは、私の方なんですよね。

愛することは愛されること。

植物を誉めて、愛しているようでいて、それによって私自身が勇気づけられています。

生命を愛するとは、生命に仕えるとは、こういうことなんだなと実感しています。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:50 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

健康で長生きする

日本は、世界一の長寿国。

長寿というのは、とても素晴らしいことだと思います。

それだけ平和で、生活環境が良く、発達した医療の恩恵を受けられる、ということですからね。


そんな日本の中にあって、わが故郷の島根県は、日本一の長寿県なのだそうです。





人口10万人あたりの100歳以上の人数が82.46人。これは全国平均の倍にもなるのです。

いやぁー、素晴らしいなあ。

まあ裏を返せば、それだけ高齢化が進んでいるということなのですが、見方はいろいろですからね。


高齢化や過疎化が進んでいるということは、紛れもない事実です。

これを変えようとしても、なかなか大変です。

たいした産業もない山陰のへんぴな場所に、好んで住もうという人も少ないでしょうから。


でも、それも考え方次第だと思います。

100歳以上の人が多いということは、少なくとも病弱じゃないと思うのです。

病弱だったら、とっくに死んでいるでしょうから。

100歳まで生き延びたということは、やはり健康に気遣って来られたわけですから、その健康法を集大成すれば、素晴らしいものになると思うんですよね。


高齢者の医療費が国の財政を圧迫する構図がありますが、予防医療に力を入れれば、医療費を抑えることだってできるはずです。

体力づくりはもちろんですが、健康的な考え方も重要だと思います。

そして、そういう考え方を支えるような人間関係も。


とかく田舎は、人間関係が難しいです。近すぎるが故に、他人との違いを許せないのでしょう。

私も18歳までは田舎暮らしですから、そういう大人の事情も多少はわかります。

そういうところが改善されれば、田舎ほど暮らしやすい社会はないと思うのです。

都会は人が多過ぎて、いるだけでストレスを感じますから。


島根県にはぜひ、高齢化・過疎化を抱えた地方の、希望の星となってほしい。

穏やかで、明るくて、器の大きな人がたくさん暮らすところ。

そうなったら、日本中の人が島根県で暮らしたいなあと思うようになるんじゃないかな。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:29 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月21日



斎藤一人さんと、そのお弟子さんの柴村恵美子さんの共著になります。

これは人間の大きさを意味する「器(うつわ)」をテーマにした本ですが、このあと続く「運」「天」と合わせて三部作になっています。


第1章から第3章までを柴村さんが書き、最後の第4章を一人さんが締めくくる。そういう構図になってますね。

柴村さんが一人さんと出会って、どうやって器を大きくしていったかということを中心に、斎藤一人さん人の器(=器量)に対する考え方が書かれています。

一部を引用してみましょう。


私はこの、人間が生まれもった未熟さがあるからこそ、成長する喜びを感じられるのではないかと思うのです。
 何もできなかった赤ちゃんが、声を発するようになり、それが単語になって、やがて会話になります。寝返りをうてるようになれば、次はハイハイができるようになり、つかまり立ちができるようになれば、次はよちよち歩きができるようになります。
」(p.66)

このように言って、人間は成長することを喜ぶものだと説明します。大人になると失敗を怖れて、自ら限界を決める人もいるけど、本当はいつになっても成長を喜ぶ存在なのだと。

この考え方は、私も以前「人はなぜ立つこともできない赤ん坊として生まれるのか?」という記事を書きましたが、共感しますね。


つまり、どんなことが起こっても、自分に起きた現象は自分にとっていちばんいいことだと思うようにする。そしてそれを、自分の器を大きくするための訓練だと思えばいいのです。」(p.118)

器量が小さいっていうのは、誰かに幸せにしてもらいたいってことなの。誰かに幸せにしてもらおうとか、誰かに機嫌をとってもらおうとしていること自体が、自分の器量を小さくしているのです。」(p.125)

それで、人間の器を大きくするためにはどうすればいいんですかっていうと、結局は”上気元”でいることなんですよね。つまり、自分の機嫌を自分でとって、常に上気元でいる。そして、自分の元気という気も、常に上を目指して上げていくのです。
 いつも上気元でいられるために大切なのは、「意思」なんだよね。
」(p.130)

幸せというのは意思なの。自分で決めていくの。だから、上気元で生きるという意思が大切なんです。」(p.135)

だから、「成功の極意とはなんですか?」って聞かれたら、「上気元」であることなんです。だいたい、人生の成功って、上気元でいたいということなんだよね。幸せになりたいって、上気元でいることなんだよね。だから、人の究極的な目的は上気元で生きることなんです。そうすれば人間の器量もよくなります。」(p.139)


第4章の一人さんの言葉は、核心を突いているし、重みがありますね。

私も完全に同意します。幸せとは意思なのです。

自分で自分の在り方を選ぼうとする意思。突き詰めれば、それだけのことなんですよね。

器
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:53 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ