2013年09月02日
あの世に聞いた、この世の仕組み
スピリチュアルな本は数多くありますが、これほど不まじめに見える本は、他には「夢をかなえるゾウ」くらいでしょうか。
それだけ表現がくだけているというだけで、内容がいい加減というわけではありませんよ。
実際、この本をなにげに開いたとき、そこに書かれていることをチラッと見て驚きました。
「モーセはね、戒律を述べたのではないんだよ。訳し方・伝わり方が違っているんだ。
「十戒」とは、のちに他者が当てた言葉だよ。原語のヘブライ語では、単に「十の言葉」となるんだ。だから、もともと戒律・規則を語っているわけではない。「汝、殺すべからず」なんかも訳し方が違う。ヘブライ語を直訳すれば「殺してはいけない」ではなく、「あなたは殺さない」となる。つまり、これは命令や強制ではなく、「まさかまさか。あなたが人を殺すなんてことはないよね」という、自発的な行いを促した言葉なんだ。」(p.139)
もうこれで、私の心は完全にとりこになってしまいました。(笑)
だってこれこそ、「神との対話」シリーズで唯一、神学的なオリジナルと言われている内容ですから。
神が決めた戒律なんて存在しない。絶対的な善悪の価値観なんて存在しない。
そんなことを語るのは「神との対話」シリーズくらいかと思ったら、ここにもあった。
それが、とても驚きだったのです。
最初から読み始めると、もう驚きの連続です。
なぜって、そこで語られている内容は、ほとんど「神との対話」シリーズと同じだったからです。
パクったということではなく、同じようなインスピレーションを受けて書かれた、と表現する方が正しいと思います。
しかも、その説明方法(たとえ話)にはユニークなものがあり、わかりやすいです。
特に、人が死ぬことについて、生まれてもいないのに死ぬことがあろうか、という論理は斬新でした。
「ワンネス」という言葉で表現されていますが、究極には「ひとつのもの」しか存在しないということも、しっかり書かれています。
輪廻転生についても、その「ワンネス」と合わせることで、実は今目の前にいる他人とは、他人ではなく自分なのだと説明しています。
これなども、理屈からすれば当然なのですが、一歩進んだ説明です。
ともかく読みやすいので、一気に読めてしまいました。
もちろんそれは、「神との対話」シリーズなどで、そういう話に対する理解があったからかもしれません。
初めてそういう話を知る人は、すらすらとは読めないのかも。
まあでも、読み物としても面白いし、何度でも読んでいれば、そのうちに理解できるのではないでしょうか。
笑いながらこの世の本質を知る本。オススメです。
なお、上記の本は、2010年に出版されたものです。
元は著者の雲黒斎(うん・こくさい)さんが2006年からブログに書いていたものだとか。
それが今年の8月に続編の「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」が出版され、売れ行きが好調なのだそうです。
その話を聞いたので、私も興味を持って買ってみたというわけです。
続編も続けて読みましたが、こちらも濃い内容で面白かったです。
特に、超訳「般若心経」はすごかったです。
わかりやすくて、面白くて、それでいて核心を突いている。
もう、これを読むだけで価値があると思います。
2冊目が出版されました
早々と2冊目の出版をしました。
と言っても、電子出版ですけどね。Kindle版がアマゾンで販売されています。
今回のは、約70ページの短編集です。
15話の、幸せを考えるきっかけを与えてくれる物語。それを電子書籍としてお届けします。
実はこれ、「SJ会員」の特典として、週に1話ずつメールで配信していたものなのです。
せっかくだからもっと多くの人に知ってもらおうと思って、電子出版することにしました。
それで特典の方はメール配信をやめて、この短編集をPDF版でダウンロードできるように変更しました。
Kindle版を購入していただいてもいいし、「SJ会員」に登録して、無料の特典として受け取っていただいてもかまいません。
短い物語ですが、考えさせられるような内容になっています。
どうぞこれを読まれて、ご自身のことを考えてみてくださいね。
と言っても、電子出版ですけどね。Kindle版がアマゾンで販売されています。
今回のは、約70ページの短編集です。
15話の、幸せを考えるきっかけを与えてくれる物語。それを電子書籍としてお届けします。
実はこれ、「SJ会員」の特典として、週に1話ずつメールで配信していたものなのです。
せっかくだからもっと多くの人に知ってもらおうと思って、電子出版することにしました。
それで特典の方はメール配信をやめて、この短編集をPDF版でダウンロードできるように変更しました。
Kindle版を購入していただいてもいいし、「SJ会員」に登録して、無料の特典として受け取っていただいてもかまいません。
短い物語ですが、考えさせられるような内容になっています。
どうぞこれを読まれて、ご自身のことを考えてみてくださいね。
2013年09月04日
誰もが強制されるのを嫌がる
9月になりましたね。
1日(日)に、妻も無事に戻ってきました。
お義父さんの病気が破傷風ではなく、腎臓の病気だったという意外な情報もありました。
言葉の問題なのか、勘違いによるものかはわかりませんが、かくも意思疎通が正確にできないものだということを、改めて感じましたよ。
さて、今日届いた水野浩志さんのメルマガに、面白いことが書かれていました。
水野浩志さんは、「セミナービジネス実践講座」という動画セミナーをやっておられた方です。
私が出版オーディションの2次審査でスピーチをやることになったとき、メンターの吉江勝さんが紹介してくださったもの。
その内容がとても素晴らしかったので、メルマガも購読していました。
このメルマガが、また素晴らしいんです。いつも考えさせられます。
それで今回のメルマガは、「明らかに落ち込んでいる人に対して、『ポジティブな声かけ』をする人に腹が立つ」という意見についてでした。
その人は、それが正しいことだとしても、余計なお世話だと感じているわけです。
うっとうしいと感じて、腹を立てているのです。
それで水野さんは、「なぜこの人は怒りを覚えているんだろうか?」と考えてみたそうです。
その答は、「人の役に立とうという意識から生まれる無神経さに腹を立てている」ということでした。
そしてその根底には、「自分を他人の意志で変えられたくない」という思いがあるのだと。
私はよく、「他人は変えられない」と言うのですが、それは、人の本質は自由だと思っているからです。
自由ということは、自分で決められるということ。他人から強制されないということです。
ですからさっきの人の怒りは、自由が侵害されそうだという感覚に対する怒りだと思うのです。
水野さんの分析を読んで、なるほどと思った次第です。
どんなに自分が「良いこと」と思っても、それは自分の価値観において、そう思っているだけです。
これも私がよく言うことですが、「価値観や考え方は人それぞれ」ですからね。
昔、標語をパクった面白い言い回しがありました。
「小さな親切 大きなお世話」
これ、真実をついていると思いませんか?
そうなのです。アドバイスを求められてもいないのに、余計なことをする必要はないのです。大きなお世話ですから。
ただ、その人が「他の人を助けたい」という願いを持つことは自由です。
それを押し付けなければ良いだけ。
「助けを求められたら、いつでも助けてあげます。だから遠慮しないで。」
「でも、あなたがそれを希望しないなら、私はいつまでもあなたを見守っています。」
こういう感じでいることが、良いように感じますね。
これって、要は愛ですよね?
関心を持ちながらも、相手を自由にさせる。
そして相手が必要とするなら、自分にできる最大限のことをしてあげる。
愛とは、そういうものだと思います。
1日(日)に、妻も無事に戻ってきました。
お義父さんの病気が破傷風ではなく、腎臓の病気だったという意外な情報もありました。
言葉の問題なのか、勘違いによるものかはわかりませんが、かくも意思疎通が正確にできないものだということを、改めて感じましたよ。
さて、今日届いた水野浩志さんのメルマガに、面白いことが書かれていました。
水野浩志さんは、「セミナービジネス実践講座」という動画セミナーをやっておられた方です。
私が出版オーディションの2次審査でスピーチをやることになったとき、メンターの吉江勝さんが紹介してくださったもの。
その内容がとても素晴らしかったので、メルマガも購読していました。
このメルマガが、また素晴らしいんです。いつも考えさせられます。
それで今回のメルマガは、「明らかに落ち込んでいる人に対して、『ポジティブな声かけ』をする人に腹が立つ」という意見についてでした。
その人は、それが正しいことだとしても、余計なお世話だと感じているわけです。
うっとうしいと感じて、腹を立てているのです。
それで水野さんは、「なぜこの人は怒りを覚えているんだろうか?」と考えてみたそうです。
その答は、「人の役に立とうという意識から生まれる無神経さに腹を立てている」ということでした。
そしてその根底には、「自分を他人の意志で変えられたくない」という思いがあるのだと。
私はよく、「他人は変えられない」と言うのですが、それは、人の本質は自由だと思っているからです。
自由ということは、自分で決められるということ。他人から強制されないということです。
ですからさっきの人の怒りは、自由が侵害されそうだという感覚に対する怒りだと思うのです。
水野さんの分析を読んで、なるほどと思った次第です。
どんなに自分が「良いこと」と思っても、それは自分の価値観において、そう思っているだけです。
これも私がよく言うことですが、「価値観や考え方は人それぞれ」ですからね。
昔、標語をパクった面白い言い回しがありました。
「小さな親切 大きなお世話」
これ、真実をついていると思いませんか?
そうなのです。アドバイスを求められてもいないのに、余計なことをする必要はないのです。大きなお世話ですから。
ただ、その人が「他の人を助けたい」という願いを持つことは自由です。
それを押し付けなければ良いだけ。
「助けを求められたら、いつでも助けてあげます。だから遠慮しないで。」
「でも、あなたがそれを希望しないなら、私はいつまでもあなたを見守っています。」
こういう感じでいることが、良いように感じますね。
これって、要は愛ですよね?
関心を持ちながらも、相手を自由にさせる。
そして相手が必要とするなら、自分にできる最大限のことをしてあげる。
愛とは、そういうものだと思います。
2013年09月05日
ヒザ痛が完治する金気功
昨日は、つぼやクリニックの野村先生と、そのお弟子さんたちの会食に招かれて参加しました。
そこに参加されていた乾真人さんが私のセミナー友だちという関係もあり、タイに来られたなら一緒に食事でもと声をかけたら、それが実現したというわけです。
スクンビット・ソイ36にあるビエンチャン・キッチンという名のイサン料理屋で、野村先生夫妻とお子さん、乾さん、日本から来られたお弟子さん3人、そして私という顔ぶれです。
野村先生とは、治療の時に世間話をしただけだったので、こうやって飲みながら話をできたのは有意義でした。
前に、野村先生の金気功を受けていることをブログに書きましたが、もう治療が終わりました。
施術は1回20分程度で、それを1〜2週間に1回の頻度で通い、3回目を受けた後で、ほぼ治っている感じがしていました。
4回目は、完治の報告みたいなものですね。
2年間、歩くときもそろそろと気をつけながら歩かなければならないほど壊れていた両膝が、わずか4回の治療で完治したのです。
これには私もビックリです。
ゴルフで痛めた肘は、まあ放っておいても治るかもしれないと思っていました。
そっちももちろん治ったのですが、これは当然くらいの気持ちです。
でも、まさかまさか、この膝が治るとは驚きです。
お陰様で、今年は4月くらいから、ソフトボールもプレーできるようになりましたよ。
そんな体験があったので、この金気功はぜひ、広めていただきたいと思っています。
野村先生も、金気功を教える人を育てることで、これを世界に広めたいと言われていました。
金気功協会とか、そのうちできるかもしれませんね。期待しています。
友人の乾さんは、金気功でも使われる金箔入りのローション(優艶ゴールドローション)などを作られています。
この金箔入りのローションや、金箔を顔に貼るという美容法が、とても良いのだそうです。
「純金美容道」というFacebookページがありますので、そちらをご覧くださいね。
そこに参加されていた乾真人さんが私のセミナー友だちという関係もあり、タイに来られたなら一緒に食事でもと声をかけたら、それが実現したというわけです。
スクンビット・ソイ36にあるビエンチャン・キッチンという名のイサン料理屋で、野村先生夫妻とお子さん、乾さん、日本から来られたお弟子さん3人、そして私という顔ぶれです。
野村先生とは、治療の時に世間話をしただけだったので、こうやって飲みながら話をできたのは有意義でした。
前に、野村先生の金気功を受けていることをブログに書きましたが、もう治療が終わりました。
施術は1回20分程度で、それを1〜2週間に1回の頻度で通い、3回目を受けた後で、ほぼ治っている感じがしていました。
4回目は、完治の報告みたいなものですね。
2年間、歩くときもそろそろと気をつけながら歩かなければならないほど壊れていた両膝が、わずか4回の治療で完治したのです。
これには私もビックリです。
ゴルフで痛めた肘は、まあ放っておいても治るかもしれないと思っていました。
そっちももちろん治ったのですが、これは当然くらいの気持ちです。
でも、まさかまさか、この膝が治るとは驚きです。
お陰様で、今年は4月くらいから、ソフトボールもプレーできるようになりましたよ。
そんな体験があったので、この金気功はぜひ、広めていただきたいと思っています。
野村先生も、金気功を教える人を育てることで、これを世界に広めたいと言われていました。
金気功協会とか、そのうちできるかもしれませんね。期待しています。
友人の乾さんは、金気功でも使われる金箔入りのローション(優艶ゴールドローション)などを作られています。
この金箔入りのローションや、金箔を顔に貼るという美容法が、とても良いのだそうです。
「純金美容道」というFacebookページがありますので、そちらをご覧くださいね。
2013年09月06日
子どもを持つ夫婦に起こる変化
「マチコミ図書室」さんが提供する「みやざき中央新聞」さんのバックナンバーをときどき読みます。
今日は、2002年8月19日の社説を読みました。
※「マチコミ図書室」さんの自宅サーバーのため、だいたい23時〜7時の間は表示されません。ご了承ください。
タイトルは、「子どもの誕生と夫婦の質的変化」です。
この中で、安室奈美恵さんの電撃離婚の話を取り上げながら、子どもが生まれたことによる夫婦の変化について、「子供をもつと夫婦に何が起こるか」(ジェイ・ベルスキー/草思社)という本から引用して説明しています。
この本によると、子どもの誕生によって夫婦関係が受けた影響を分析したところ、以下のようになったそうです。
・ひどく悪化した・・・13%
・少し悪化した・・・38%
・変化はない・・・30%
・良くなった・・・19%
このように、約半数以上の夫婦が、待望の子どもが生まれた後に、関係が悪化していることがわかります。
100%手をかけなければならない赤ちゃんという存在が入ってくることで、互いの価値観の違いが、許せなくなるのでしょう。
それを「性格の不一致」と表現することもあるでしょうけど、要は相手への期待が満たされなかったとき、そういう相手の存在そのものを否定してしまいたくなる思いがあるのです。
社説ではここで、「関係が向上した」とする19%に注目します。
そういう夫婦は、「@個人の欲求より二人がチームとして一緒に動くことを優先した」など6つのポイントの中の4つ以上について、高い得点を得ていたそうです。
先輩夫婦の事例を教訓に、幸せになってほしいと締めくくっています。
私にはまだ子どもがいないので、こういうことを言うべき立場ではないのかもしれません。
けれども、理屈で考えれば、だいたい起こることをは想像できます。
相手への期待に執着しているから、関係が悪化するのです。
「私がこれだけ大変な思いをしているんだから、あなたはパートナーとして、もう少しやってくれてもいいんじゃないの?」
これは、子どもが生まれるかどうかに関係ありません。
夫婦間に限らず、人間関係では必ず乗り越えなければならない問題です。
それが特に子どもがいることによって、自分が何かをしなければならないと感じることが増えたために、問題が大きく感じられるようになったのです。
また、同じ相手への期待なのですが、価値観が異なる場合もあるでしょう。
「うつぶせ寝はやめてよね。突然死だってよく起こっているんだから。」
「何言っているんだ。うつぶせ寝の方が頭の形は良くなるし、手の力もつきやすくて、赤ちゃんのためにはいいんだよ。」
まあ他にも、抱いてばかりだと抱きぐせがつくとか、いろいろと子育てに関する価値観がありますよね。
その子を愛すれば愛するほど、幸せを願えば願うほど、この価値観の違いを受け入れられなくなるのです。
もちろん、絶対に譲れないと思う価値観もあるでしょう。
そういう価値観が異なるとき、別れるという選択も、必要になるかもしれません。
けれども多くは、そんなに重要な価値観ではないのです。
ただ自分の価値観にしがみついているために、それを否定されることで、自分自身の存在が否定されたような気になる。
それで相手のことが許せなくなるんですね。
これから子どもを作ろうと考えている夫婦の方は特に、こういうことを事前に知っておくといいですよ。
そして、相手のことを否定せずに、「その価値観は本当に重要なのか?」と、何度も自分自身に問うてみることです。
「みやざき中央新聞」さんの記事は、いろいろと考えさせてくれるので、本当に面白いです。
ぜひ、ご覧になってくださいね。
今日は、2002年8月19日の社説を読みました。
※「マチコミ図書室」さんの自宅サーバーのため、だいたい23時〜7時の間は表示されません。ご了承ください。
タイトルは、「子どもの誕生と夫婦の質的変化」です。
この中で、安室奈美恵さんの電撃離婚の話を取り上げながら、子どもが生まれたことによる夫婦の変化について、「子供をもつと夫婦に何が起こるか」(ジェイ・ベルスキー/草思社)という本から引用して説明しています。
この本によると、子どもの誕生によって夫婦関係が受けた影響を分析したところ、以下のようになったそうです。
・ひどく悪化した・・・13%
・少し悪化した・・・38%
・変化はない・・・30%
・良くなった・・・19%
このように、約半数以上の夫婦が、待望の子どもが生まれた後に、関係が悪化していることがわかります。
100%手をかけなければならない赤ちゃんという存在が入ってくることで、互いの価値観の違いが、許せなくなるのでしょう。
それを「性格の不一致」と表現することもあるでしょうけど、要は相手への期待が満たされなかったとき、そういう相手の存在そのものを否定してしまいたくなる思いがあるのです。
社説ではここで、「関係が向上した」とする19%に注目します。
そういう夫婦は、「@個人の欲求より二人がチームとして一緒に動くことを優先した」など6つのポイントの中の4つ以上について、高い得点を得ていたそうです。
先輩夫婦の事例を教訓に、幸せになってほしいと締めくくっています。
私にはまだ子どもがいないので、こういうことを言うべき立場ではないのかもしれません。
けれども、理屈で考えれば、だいたい起こることをは想像できます。
相手への期待に執着しているから、関係が悪化するのです。
「私がこれだけ大変な思いをしているんだから、あなたはパートナーとして、もう少しやってくれてもいいんじゃないの?」
これは、子どもが生まれるかどうかに関係ありません。
夫婦間に限らず、人間関係では必ず乗り越えなければならない問題です。
それが特に子どもがいることによって、自分が何かをしなければならないと感じることが増えたために、問題が大きく感じられるようになったのです。
また、同じ相手への期待なのですが、価値観が異なる場合もあるでしょう。
「うつぶせ寝はやめてよね。突然死だってよく起こっているんだから。」
「何言っているんだ。うつぶせ寝の方が頭の形は良くなるし、手の力もつきやすくて、赤ちゃんのためにはいいんだよ。」
まあ他にも、抱いてばかりだと抱きぐせがつくとか、いろいろと子育てに関する価値観がありますよね。
その子を愛すれば愛するほど、幸せを願えば願うほど、この価値観の違いを受け入れられなくなるのです。
もちろん、絶対に譲れないと思う価値観もあるでしょう。
そういう価値観が異なるとき、別れるという選択も、必要になるかもしれません。
けれども多くは、そんなに重要な価値観ではないのです。
ただ自分の価値観にしがみついているために、それを否定されることで、自分自身の存在が否定されたような気になる。
それで相手のことが許せなくなるんですね。
これから子どもを作ろうと考えている夫婦の方は特に、こういうことを事前に知っておくといいですよ。
そして、相手のことを否定せずに、「その価値観は本当に重要なのか?」と、何度も自分自身に問うてみることです。
「みやざき中央新聞」さんの記事は、いろいろと考えさせてくれるので、本当に面白いです。
ぜひ、ご覧になってくださいね。
2013年09月07日
神を信じることと人を信じることの違い
「幸せ実践塾」のFacebookページでは、主に他の人が発信した素敵な言葉に、私なりの言葉を添えて掲載しています。
他にはお勧めの本の紹介や、このブログの紹介なども載せています。
最近、「【「神との対話」シリーズから】」というタイトルをつけて、「神との対話」シリーズの本を引用しながら、その内容をお伝えしています。
今は1冊目の「神との対話」から始めていて、今日、3回目を投稿したところです。
今日、投稿した内容は、私たちの感情や思考には「愛」と「不安」しかないという話でした。
その前の投稿は「引き寄せの法則」について書かれていた部分で、要は絶対的に神を信じることが重要だというものでした。
この中で私は、「神を信じろ」と言われて「盲信」することに不安を感じる、と書きました。
そして、「神を信じることと、教祖や宗教組織(=他者)を信じることは、まったく別のこと」だという答も合わせて書きました。
今日は、そのことについて簡単に説明したいと思います。
答をズバリ言うと、「神を信じる」ということは、「自分を信じる」ということなのです。
なぜか?
それは、自分自身が神だから。
まあ、これだけだと、初めてこのブログを読む方からすると、もっとわからなくなったかもしれません。
あるいは、私のことをとんでもないヤツだと思われたりして・・・。
私のことが悪く思われるのはまったくかまいませんが、それによって真実を知る機会が奪われるのは残念なので、もうちょっと丁寧に説明します。
「神」とは、「すべて」の存在であり、この世のプロセスです。
東洋では「天(てん)」と呼んだり、「道(どう,タオ)」と呼んだり、「空(くう)」と呼んだりしますが、みな同じことです。
宇宙霊とか、サムシング・グレートとか、ワンネス、エネルギー、生命など、すべて同じことを言っています。
つまり、この世は本来、分別されたものではない、「ひとつのもの」だと言うことです。
本質が「ひとつのもの」だとしたら、私たちの存在もまた、その「ひとつのもの」ではありませんか。
これを東洋では、宇宙霊に対する「分け御霊」という言い方をします。
つまり宇宙霊も分け御霊である私たちの魂も、本質的に同じものだということです。
ですから、神とか宇宙霊に対して祈るということは、自分自身、あるいは自分の内側に対して祈るということになります。
ここが重要なのです。
自分の外にある、何か自分とは別の、分離した何かを神と思っているから、間違うのです。
それと同じ考え方で、自分には何の能力も権威もないから、自分とは別のもっと能力や権威があるものを頼ろうとして、教祖とか宗教組織の言いなりになろうとするのではないでしょうか。
それを本当の意味で「盲信」と呼びます。
しかし、そうすることによって、自分自身がないがしろにされていますよね。
本当は、神は自分の中にあるのに、その神をないがしろにして他を探しにいく。
だから見つからないのです。
他人は、その人の人生をその人なりに生きようとしているだけです。
その人の言うことを、そのまま自分の真実にすることはできません。
それはその人にとって真実だ、というだけなのですから。
自分の真実は、自分自身に問うべきです。
ですから、「教祖や宗教組織(=他者)」を信じてはいけないのです。
もちろん、私の言うことも信じてはいけませんよ、絶対に。
私の言うことが自分の真実だと感じたら、それを感じた自分自身を信じるのです。
それが、神を信じるということなのです。
なお、1回目に掲載したものは、神とコミュニケートする方法についてでした。
神は、言葉よりも感情や経験などを通じて、すべての人とコミュニケートしている、と言っています。
つまり、自分の感情とか経験の中に神を見よ、ということなのです。
ほら、さっき言ったことと同じでしょう?
他にはお勧めの本の紹介や、このブログの紹介なども載せています。
最近、「【「神との対話」シリーズから】」というタイトルをつけて、「神との対話」シリーズの本を引用しながら、その内容をお伝えしています。
今は1冊目の「神との対話」から始めていて、今日、3回目を投稿したところです。
今日、投稿した内容は、私たちの感情や思考には「愛」と「不安」しかないという話でした。
その前の投稿は「引き寄せの法則」について書かれていた部分で、要は絶対的に神を信じることが重要だというものでした。
この中で私は、「神を信じろ」と言われて「盲信」することに不安を感じる、と書きました。
そして、「神を信じることと、教祖や宗教組織(=他者)を信じることは、まったく別のこと」だという答も合わせて書きました。
今日は、そのことについて簡単に説明したいと思います。
答をズバリ言うと、「神を信じる」ということは、「自分を信じる」ということなのです。
なぜか?
それは、自分自身が神だから。
まあ、これだけだと、初めてこのブログを読む方からすると、もっとわからなくなったかもしれません。
あるいは、私のことをとんでもないヤツだと思われたりして・・・。
私のことが悪く思われるのはまったくかまいませんが、それによって真実を知る機会が奪われるのは残念なので、もうちょっと丁寧に説明します。
「神」とは、「すべて」の存在であり、この世のプロセスです。
東洋では「天(てん)」と呼んだり、「道(どう,タオ)」と呼んだり、「空(くう)」と呼んだりしますが、みな同じことです。
宇宙霊とか、サムシング・グレートとか、ワンネス、エネルギー、生命など、すべて同じことを言っています。
つまり、この世は本来、分別されたものではない、「ひとつのもの」だと言うことです。
本質が「ひとつのもの」だとしたら、私たちの存在もまた、その「ひとつのもの」ではありませんか。
これを東洋では、宇宙霊に対する「分け御霊」という言い方をします。
つまり宇宙霊も分け御霊である私たちの魂も、本質的に同じものだということです。
ですから、神とか宇宙霊に対して祈るということは、自分自身、あるいは自分の内側に対して祈るということになります。
ここが重要なのです。
自分の外にある、何か自分とは別の、分離した何かを神と思っているから、間違うのです。
それと同じ考え方で、自分には何の能力も権威もないから、自分とは別のもっと能力や権威があるものを頼ろうとして、教祖とか宗教組織の言いなりになろうとするのではないでしょうか。
それを本当の意味で「盲信」と呼びます。
しかし、そうすることによって、自分自身がないがしろにされていますよね。
本当は、神は自分の中にあるのに、その神をないがしろにして他を探しにいく。
だから見つからないのです。
他人は、その人の人生をその人なりに生きようとしているだけです。
その人の言うことを、そのまま自分の真実にすることはできません。
それはその人にとって真実だ、というだけなのですから。
自分の真実は、自分自身に問うべきです。
ですから、「教祖や宗教組織(=他者)」を信じてはいけないのです。
もちろん、私の言うことも信じてはいけませんよ、絶対に。
私の言うことが自分の真実だと感じたら、それを感じた自分自身を信じるのです。
それが、神を信じるということなのです。
なお、1回目に掲載したものは、神とコミュニケートする方法についてでした。
神は、言葉よりも感情や経験などを通じて、すべての人とコミュニケートしている、と言っています。
つまり、自分の感情とか経験の中に神を見よ、ということなのです。
ほら、さっき言ったことと同じでしょう?
2013年09月09日
金のなる木の育て方
バリ島の兄貴こと、丸尾孝俊さんの本です。
兄貴に関する本は、すでに「大富豪アニキの教え」などを紹介しています。
いずれも素敵な本ですので、ぜひ読んでみてくださいね。
今回のは「金のなる木」ということで、大金持ちになった兄貴が、「大金持ちになる」ということの本質について語ったものです。
その考え方に、私はとても共感します。気に入った部分を引用しましょう。
「人と違うってことは素晴らしいことだ。
多くの日本人は「みんな同じであること」を目指してきた。「普通」になろうとして、「普通」がいちばんいいと言われて。そうすると、人と同じでないと安心できなくなる。
「変わってるね」という言葉には、たいてい否定的な意味が含まれている。
でも俺には、褒め言葉にしか聞こえない。」(p.65)
「まず、カネを使うと「失う」という考え方をやめること。
昔から「カネは天下の回りもの」と言うように、カネは誰のものでもない。」(p.78)
「「こうであるべき」とか「こうせなあかん」という思い込みが強い人ほど、成功しにくいと思う。」(p.100)
お金があれば幸せになれるという思い込みが、私たちの心の中に巣食っています。
「そうではない」と言う人でも、その多くが「最低限のお金は必要」と言います。
それに対して兄貴は、そういう考え方さえも否定します。
「「金のなる木」を本気で育てようと決心したなら、お金は貯めてはいけない。
いつか使う予定があるぶんを貯めるのはもちろんいいが、目的もなく貯めるな。貯金が趣味、なんて最低最悪だ。」(p.84)
では、「金のなる木」とはいったい何なのか?
「ごっつい秘密を教えようか?
「金のなる木」は、一人ひとりが自分の中で育てる木だ。
俺の「金のなる木」も最初は小さな苗だったのが、今では巨木にまでなった。」
(中略)
「カネとは、人を幸せにするための道具にすぎない。ひたすらカネに追われていた日本からこの島に来て、俺はようやくそのことに気づいた。」(p.154)
兄貴はこの本の全体を通じて、それぞれの人の金のなる木を育てるようにと、その育て方について教えてくれているのです。
2013年09月10日
妻への感謝
私の妻への感謝の気持ちを、Facebookに投稿しました。
Facebookに投稿した記事をブログに埋め込みできると聞いたので、それを試してみようと思います。
こんな感じです。
月に2回ほど、ソフトボールを楽しんでいます。
芝生のある土のグランドですが、今はスライディング(滑り込み)をしないルールなので、それほど汚れることはありません。
しかしそうは言っても、多少は土や草の汚れがつくものです。
こういう汚れって、普通に洗濯しただけでは落ちないんですよね。
私は、どうせ汚れるものだから、多少汚れたままでもかまわないと思っているのです。
ですから特に何も言わず、洗濯カゴに脱いだ服を入れておくだけです。
それを妻は、少しでもきれいなものを着させようとして、こうやって漂白してくれています。
その手間だけでも大変だと思うのですが、妻は何も文句を言わずにやってくれます。
本当に、ありがたいことですね。
お陰で、毎回、きれいな服でソフトボールを楽しめます。(*^_^*)
Facebookに投稿した記事をブログに埋め込みできると聞いたので、それを試してみようと思います。
こんな感じです。
月に2回ほど、ソフトボールを楽しんでいます。
芝生のある土のグランドですが、今はスライディング(滑り込み)をしないルールなので、それほど汚れることはありません。
しかしそうは言っても、多少は土や草の汚れがつくものです。
こういう汚れって、普通に洗濯しただけでは落ちないんですよね。
私は、どうせ汚れるものだから、多少汚れたままでもかまわないと思っているのです。
ですから特に何も言わず、洗濯カゴに脱いだ服を入れておくだけです。
それを妻は、少しでもきれいなものを着させようとして、こうやって漂白してくれています。
その手間だけでも大変だと思うのですが、妻は何も文句を言わずにやってくれます。
本当に、ありがたいことですね。
お陰で、毎回、きれいな服でソフトボールを楽しめます。(*^_^*)
「神との対話」の要点
「幸せ実践塾」のFacebookページに投稿した「神との対話」の要点を、ここにまとめておきます。
※埋め込みサイズ(横幅)が変更ができないので、ここだけで投稿記事のすべてを読むことができません。したがって、以下の画像をFacebookページへのリンクだと考えて、クリックした後に、リンク先のFacebookページをご覧ください。
※スマホからだと、きちんと見られるようです。
・1回目(2013年9月4日)
・2回目(2013年9月6日)
・3回目(2013年9月7日)
・4回目(2013年9月10日)
・5回目(2013年9月18日)
・6回目(2013年9月24日)
・7回目(2013年10月10日)
・8回目(2013年10月30日)
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・1回目(2013年9月4日)
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・7回目(2013年10月10日)
・8回目(2013年10月30日)
2013年09月11日
2020年東京オリンピック決定おめでとう!
私には、東京オリンピックの記憶はほとんどありません。
1964年ですから、私は3歳になっていました。
たしかそれに合わせて、我が家でもカラーテレビも買ったはずです。
ビクターのテレビで、例の犬の置物がついていました。
その記憶はあるのですが、オリンピックに関しては、あまりと言うか、まったく思い出せないんですよね。
もちろん、わざわざ東京まで行くこともありませんでした。(ちなみに大阪万博も行ってません。)
ですから、2020年が私にとって、初めて体験するオリンピックになるかもしれませんね。
いやもちろん、それまでだって行く機会はあるかもしれませんけど、基本的に出不精なもので。(笑)
妻は、ちょうどロンドン・オリンピックのときにイギリスへ行きました。
オリンピックが目当てではなく、友だちの結婚式に出るためですけどね。
ドバイで乗り継いで約12時間の移動は、けっこう大変だったようです。
それを考えただけでも、ヨーロッパへ行こうなどという気持ちが失せます。
さて、今回のオリンピックは、東京とトルコのイスタンブール、そしてスペインのマドリードが最後まで開催地を競いました。
そして決定の重要な要因が、最後のプレゼンにあったと言われます。
中でも滝川クリステルさんの「おもてなし」を強調したスピーチや、安全と日本人の思いを伝えた安倍首相のプレゼンが素晴らしかったと言われていますね。
そういうプレゼンをユーチューブで見ていると、たしかに素晴らしいなあと感じます。
けれども私は、もう1つの動画に心を打たれました。
見ているだけで、涙がとめどなく流れてくるのです。
それがこの「TOKYO2020 FINAL Presentation FILM」です。
ご覧になられた方も多いでしょう。
アスリートたちの緊迫感が伝わってくる瞬間、私たちは彼らと「ひとつ」になっています。
そして彼らの挑戦から、勇気をもらうのです。
「よし、オレも頑張ろう!」
そういう気持ちになります。
そしてまた、私たちも誰かを励ましたくなります。
そう、私たちは言葉が通じなくても、スポーツによって心は通じる。
私たちは愛で「ひとつ」になれるのです。
そんなメッセージが伝わってきて、泣けて仕方ありませんでした。
東京に決まったことは嬉しいことですが、それ以上に、オリンピックがあるということが嬉しい。
そういう気持ちになったのです。
1964年ですから、私は3歳になっていました。
たしかそれに合わせて、我が家でもカラーテレビも買ったはずです。
ビクターのテレビで、例の犬の置物がついていました。
その記憶はあるのですが、オリンピックに関しては、あまりと言うか、まったく思い出せないんですよね。
もちろん、わざわざ東京まで行くこともありませんでした。(ちなみに大阪万博も行ってません。)
ですから、2020年が私にとって、初めて体験するオリンピックになるかもしれませんね。
いやもちろん、それまでだって行く機会はあるかもしれませんけど、基本的に出不精なもので。(笑)
妻は、ちょうどロンドン・オリンピックのときにイギリスへ行きました。
オリンピックが目当てではなく、友だちの結婚式に出るためですけどね。
ドバイで乗り継いで約12時間の移動は、けっこう大変だったようです。
それを考えただけでも、ヨーロッパへ行こうなどという気持ちが失せます。
さて、今回のオリンピックは、東京とトルコのイスタンブール、そしてスペインのマドリードが最後まで開催地を競いました。
そして決定の重要な要因が、最後のプレゼンにあったと言われます。
中でも滝川クリステルさんの「おもてなし」を強調したスピーチや、安全と日本人の思いを伝えた安倍首相のプレゼンが素晴らしかったと言われていますね。
そういうプレゼンをユーチューブで見ていると、たしかに素晴らしいなあと感じます。
けれども私は、もう1つの動画に心を打たれました。
見ているだけで、涙がとめどなく流れてくるのです。
それがこの「TOKYO2020 FINAL Presentation FILM」です。
ご覧になられた方も多いでしょう。
アスリートたちの緊迫感が伝わってくる瞬間、私たちは彼らと「ひとつ」になっています。
そして彼らの挑戦から、勇気をもらうのです。
「よし、オレも頑張ろう!」
そういう気持ちになります。
そしてまた、私たちも誰かを励ましたくなります。
そう、私たちは言葉が通じなくても、スポーツによって心は通じる。
私たちは愛で「ひとつ」になれるのです。
そんなメッセージが伝わってきて、泣けて仕方ありませんでした。
東京に決まったことは嬉しいことですが、それ以上に、オリンピックがあるということが嬉しい。
そういう気持ちになったのです。
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