自分で自分の心を癒すための方法として、私は「鏡のワーク」というものをおすすめしています。
「鏡のワーク」がどういうものかは、「鏡のワークのやり方」という記事で簡単に説明していますので、そちらをご覧ください。
もっと詳細にやり方を知りたいという方のためには、「鏡のワークの詳細はこちら」という記事に書いていますように、別のブログに書いたものを紹介しています。
これをスマートフォンとかiPadなどで手軽に見たいという方のために、Kindle用の電子書籍を出版しました。
Amazonにて100円で購入していただけます。
電子書籍だと、さくさくページがめくれるので、とても読みやすいですね。
内容量は18ページですが、スマートフォンだと、約3倍くらいページをめくる必要があるようです。
この電子書籍には、「鏡のワーク」に必要なものや、実施する上でのポイント、実践例が盛り込まれています。
これを読めば、具体的にどうすれば良いかが、よくご理解いただけるものと思います。
気分が落ち込んだとき、一歩踏み出す勇気が出ないとき、なんとなくむしゃくしゃするときなど、どうぞこの「鏡のワーク」をやってみてください。
きっと、素晴らしい効果に驚かれると思います。
2013年08月24日
2013年08月26日
起こる変化はすべて良いこと
昨日は日曜日で、特に予定もなかったので部屋でまったりと過ごしました。
朝は例によって、近くのドライビングレンジでゴルフの練習。
それから部屋に戻って、掃除、洗濯、アイロンがけと、家事をこなしました。
妻は、今週中にはバンコクに戻ってくるとのこと。洗濯やアイロンがけも、これが最後でしょうか。
その間に、ブログのネタ用に地カレーを食べて、写真を撮って送信しておきます。
午後からはFacebookをチェックしたり、LINEで妻に近況報告したり、本を読んだりしながら、1日を過ごしました。
読んでいる本は、「神との対話」シリーズの12冊目、「変えれば、変わる」です。
もちろん、読書のお供はビールです。(*^_^*)
タイのシンハーというメーカーが作っている格安ビール、LEOです。タイ人はこれを、リオーと言います。1缶が33バーツほどなので、約110円ですね。
眠くなったらソファーで眠り、起きては本を読み、時には本を置いて思考を巡らせます。
これも300ページはある厚い本ですが、この日だけで3分の2くらい読んでしまいました。
この本も、もう3回目か4回目になるはずですけど、何度読んでも新鮮で、そのたびに気づきがあります。
今回の一番の収穫は、「変化はすべて良いもの」という事実です。
これまで、「出来事はニュートラル(中立)で、自分の意志で意味を与えることで、それが自分の現実になる」というような言い方をしてきました。
たしかにそう言っても間違いではないのですが、魂のレベルで考えるなら、変化、つまり起こる出来事は、すべて良いことなのです。
これに気づくと、もうどんな変化も怖くなくなります。
失恋や家族の死という人間関係の終りも、リストラや倒産という社会的あるいは経済的な関係の終りも、それ自体は悪いことではありません。
本の帯に書かれているように、「一つのドアが閉まるたび、もう一つのドアが開く。」のです。
1つの人生では、同時に複数の生き方をすることはできません。
何か新しい関係を作るときは、それまでの関係を終わらせなければならないのです。
ですから、今、何かが終わろうとしているということは、何かが始まろうとしている、ということなのです。
頭(理性)は、それを怖れ、今までの関係を続けようともがくかもしれません。
しかし、魂には、今までの関係に留まっていても、進化成長できないことがわかっています。
ですから、無理にでも新しい関係の中に、自分を放り込もうとするのです。それが変化です。
本を読んだり、あれこれ考えたりしながら、まったりと過ごした1日です。
考えてみれば、こんなゆったりした時間が過ごせるということは、私は本当に恵まれていますね。
安心の中に1日が過ぎていく。ありがたいことだと思いました。
朝は例によって、近くのドライビングレンジでゴルフの練習。
それから部屋に戻って、掃除、洗濯、アイロンがけと、家事をこなしました。
妻は、今週中にはバンコクに戻ってくるとのこと。洗濯やアイロンがけも、これが最後でしょうか。
その間に、ブログのネタ用に地カレーを食べて、写真を撮って送信しておきます。
午後からはFacebookをチェックしたり、LINEで妻に近況報告したり、本を読んだりしながら、1日を過ごしました。
読んでいる本は、「神との対話」シリーズの12冊目、「変えれば、変わる」です。
もちろん、読書のお供はビールです。(*^_^*)
タイのシンハーというメーカーが作っている格安ビール、LEOです。タイ人はこれを、リオーと言います。1缶が33バーツほどなので、約110円ですね。
眠くなったらソファーで眠り、起きては本を読み、時には本を置いて思考を巡らせます。
これも300ページはある厚い本ですが、この日だけで3分の2くらい読んでしまいました。
この本も、もう3回目か4回目になるはずですけど、何度読んでも新鮮で、そのたびに気づきがあります。
今回の一番の収穫は、「変化はすべて良いもの」という事実です。
これまで、「出来事はニュートラル(中立)で、自分の意志で意味を与えることで、それが自分の現実になる」というような言い方をしてきました。
たしかにそう言っても間違いではないのですが、魂のレベルで考えるなら、変化、つまり起こる出来事は、すべて良いことなのです。
これに気づくと、もうどんな変化も怖くなくなります。
失恋や家族の死という人間関係の終りも、リストラや倒産という社会的あるいは経済的な関係の終りも、それ自体は悪いことではありません。
本の帯に書かれているように、「一つのドアが閉まるたび、もう一つのドアが開く。」のです。
1つの人生では、同時に複数の生き方をすることはできません。
何か新しい関係を作るときは、それまでの関係を終わらせなければならないのです。
ですから、今、何かが終わろうとしているということは、何かが始まろうとしている、ということなのです。
頭(理性)は、それを怖れ、今までの関係を続けようともがくかもしれません。
しかし、魂には、今までの関係に留まっていても、進化成長できないことがわかっています。
ですから、無理にでも新しい関係の中に、自分を放り込もうとするのです。それが変化です。
本を読んだり、あれこれ考えたりしながら、まったりと過ごした1日です。
考えてみれば、こんなゆったりした時間が過ごせるということは、私は本当に恵まれていますね。
安心の中に1日が過ぎていく。ありがたいことだと思いました。
2013年08月27日
マジだぜ!
元暴走族の総長だったという異色の非行カウンセラー、伊藤幸弘氏の子育て論が書かれた本です。
自身が非行に陥っていただけに、非行に走る子どもの心理がよくわかる。
この子たちを、このままにしておけない。
そんな思いから、非行に走る子どもの面倒を見るようになり、それがきっかけでカウンセラーの道へ。
伊藤氏は、「親が変われば、子どもは変わる。」と、何度も本の中で言います。
非行に走る子は寂しいのだ。親がこれまで「過干渉」で子どもを精神的に虐待してきたから、耐えられなくなった子どもが悲鳴をあげているのです。
だから、子どもを「過保護」にすべきだと言います。
ここで言う「過保護」は、世間で言うところ過保護とは違います。
よく、「甘やかすからダメになる」という言い方をしますが、「甘えさせないからダメになる」のです。
伊藤氏はこのことを、「依存させる」ことだと言います。
私がふだん使っている「依存」とは、また違う意味になります。「甘えさせる」という表現が、ふさわしいと思います。
と言うのも、伊藤氏も本の中で、前に紹介した佐々木正美さんの考えを支持しているからです。
この本には、伊藤氏がどうやって子どもたちを救ってきたかが、手に取るように書かれています。
それを読んでいると、1つのパターンがあることがわかりました。
それは、ガツンと怒って、子どもが萎縮したときに優しく語りかけるというやり方です。
目覚めさせるためにショックを与えるというやり方ですが、私自身は、その必要性もないと感じるのです。
本気であることが伝われば良いのですから、方法はあります。
なぜそんなことを言うかというと、これを読んで、短絡的に「やはり体罰が有効なのだ」と思われたくないのです。
叩かれて、痛みを与えられて、愛情を感じることはありません。
伊藤氏がやっているように、そのあとしっかりフォローする中で、初めて愛情を感じるのです。
だとしたら、無理に痛みを与えなくても、目覚めさせる方法は他にあると思うのです。
しかし、そういうことはあっても、本気で子どもと向き合い、何とかしたいという伊藤氏の姿には頭が下がります。
本に出てくる母親との話し合いを読んでも、伊藤氏の言う「過保護」と「過干渉」の違いをなかなか理解できない親がいることがわかります。
そういう親を相手に、間違いに気づかせ、親自身が変わるようにしむける。
これだけでも大変なことだなあと思うのです。
2013年08月28日
幸せ実践塾の目的
先月末、出版オーディションの2次審査を受けるために、日本へ行ったことを書きました。
そのオーディションの結果ですが、残念ながら決勝戦には進出できませんでした。
しかし、そのオーディションを受けたことが、まったく無駄だったわけではありません。
まず、日本に行ったときに、大勢の友だちと会うことができました。
それに、その2次審査で行ったスピーチが、「著者として読者に伝えたいこと」というテーマだったのですが、その構想を練る中で、私がこの「幸せ実践塾」を行う目的が明確になったのです。
そのスピーチを、オーディションの1回だけで終わらせるのはもったいないと思い、先日、動画にしてみました。
約15分間のスピーチですが、やっとユーチューブにアップできたので、よろしければ見てくださいね。
カメラの位置が低くて変ですけど、立ってやった方がスムーズにできそうだったので、こうしてみました。
次回からは、ちゃんと三脚を用意してやりますので、今回はこれでご容赦を。
ここで語っているように、この「幸せ実践塾」の目的は、みなさんに幸せになる方法をお伝えすることです。
その方法の特徴は、「誰もが、今あるそのままで、たいした努力もせずに、簡単に幸せになれる」という点にあります。
そして、その方法のポイントは、「理論」と「実践」の2つを同時並行的に行うことにあるのです。
しかし、幸せになることそのものは、人生の目的というような大げさなものではありません。
と言うより、幸せになることなんて簡単なことですから、人生の目的などにしてほしくないのです。
それより、まず幸せになって、今度はその幸せな状態を原因として生きてほしい。
そうすることで、あなたがどれほど素晴らしい人間かということが、はっきりとわかるからです。
「幸せ実践塾」でお伝えすることは、その足がかりです。
ここから、あなたの素晴らしい人生がスタートするのです。
そのオーディションの結果ですが、残念ながら決勝戦には進出できませんでした。
しかし、そのオーディションを受けたことが、まったく無駄だったわけではありません。
まず、日本に行ったときに、大勢の友だちと会うことができました。
それに、その2次審査で行ったスピーチが、「著者として読者に伝えたいこと」というテーマだったのですが、その構想を練る中で、私がこの「幸せ実践塾」を行う目的が明確になったのです。
そのスピーチを、オーディションの1回だけで終わらせるのはもったいないと思い、先日、動画にしてみました。
約15分間のスピーチですが、やっとユーチューブにアップできたので、よろしければ見てくださいね。
カメラの位置が低くて変ですけど、立ってやった方がスムーズにできそうだったので、こうしてみました。
次回からは、ちゃんと三脚を用意してやりますので、今回はこれでご容赦を。
ここで語っているように、この「幸せ実践塾」の目的は、みなさんに幸せになる方法をお伝えすることです。
その方法の特徴は、「誰もが、今あるそのままで、たいした努力もせずに、簡単に幸せになれる」という点にあります。
そして、その方法のポイントは、「理論」と「実践」の2つを同時並行的に行うことにあるのです。
しかし、幸せになることそのものは、人生の目的というような大げさなものではありません。
と言うより、幸せになることなんて簡単なことですから、人生の目的などにしてほしくないのです。
それより、まず幸せになって、今度はその幸せな状態を原因として生きてほしい。
そうすることで、あなたがどれほど素晴らしい人間かということが、はっきりとわかるからです。
「幸せ実践塾」でお伝えすることは、その足がかりです。
ここから、あなたの素晴らしい人生がスタートするのです。
2013年08月29日
本を読む瞑想
昨日、実家から荷物が届きました。
このことを、「EMSが届いた」とFacebookに書いたら、友だちから「EMSって何?」って聞かれ、びっくりしました。
EMSなんて誰でも知ってると思っていたのですが、大きな勘違いでしたよ。
考えてみれば私だって、13年くらい前にタイに来る時まで、EMSの存在を知りませんでしたから。
EMSとは、国際スピード郵便と呼ばれるもので、Express Mail Serviceの略なのです。
強いて言えば、航空便の速達ですかね。
別に速達でなくても良いのですが、手軽で追跡もできるので、あえて航空便にせずにEMSにしています。
改めて、人の認識はそれぞれだなあと感じた次第です。
さて、送ってもらった荷物の中には、今回も本がたくさん入ってました。
今回も10冊ほど。未読の本がまだ10冊以上あったので、また未読が20冊以上に増えました。
きっと死ぬまでゼロにはならないんだろうなあ。そんな気がします。
読書が好きな私ですが、どうも瞑想は苦手なんですよね。
座禅とか試みることはありますが、長続きしません。だって、それほど気持よく感じないんですもの。
それを我慢してやってれば、何か見えてくるのかもしれませんけど、我慢してまでやろうという気にならないのです。
でも、神渡良平さんもそうですが、瞑想を勧める人は大勢います。
「神との対話」シリーズでも、瞑想の重要性が書かれています。
ただ、「神との対話」では、瞑想は必ずしも座ってする瞑想だけではないと言います。
歩く瞑想とか止まる瞑想など、やり方はいろいろあると。
著者のニール氏自身は、書く瞑想が性に合っていると言ってますね。
それで言うと、私は読む瞑想かななんて、都合よく解釈しています。
昨夜は、シリーズの11作目、「神より幸せ」という本を読んでいました。
※前に「変えれば、変わる」を11作目と書きましたが、間違いでした。前の記事は訂正してあります。
これももう3〜4回目になりますが、それでも新たに気付かされることが多いです。
今回も読みながら、心に湧き上がる熱い想いがあって、涙が溢れてきました。
「あー、そうだった。そうなんだよ。あー、もう充分だ。これでいい。これでいいんだ。」
そんな気持ちです。
言葉にすると、わからないですよね。
たしかに、しばらく時間がたつと、その感動した部分を思い出してみても、同じような感情にはなりません。
あのときは、心の状態がまったく違うのです。
ですから、私としては読書をしながら瞑想していた気分なのです。
具体的にどういう気付きかというと、私とはすべてのものだということです。
これは、私たちは「ひとつのもの」だというのと同じことです。
あるいは、神とか宇宙霊はすべてだと言うのも同じです。
でも、いくら言葉でそう言っていても、ピンときているかどうかとは別の問題なのです。
読書をしていたあの瞬間、その部分を読みながら、心に何かがカチッとはまったのです。
「そうだよ、これだよこれ。こういうことなんだよ。」
魂が自分自身を発見した喜び、と言えば良いのでしょうか。
すでに知っていたことを追認しただけなのに、まるでアメリカ大陸を発見した時のコロンブスのように、心が狂喜したのです。
こういうことがあるから、読書ってやめられないんですよね。
特に「神との対話」シリーズは。
これを読み終えたら、またシリーズ1作目の「神との対話」に戻ります。
次からは、その日に読んだ中で気に入ったところを、Facebookに書こうかなと思っています。
このことを、「EMSが届いた」とFacebookに書いたら、友だちから「EMSって何?」って聞かれ、びっくりしました。
EMSなんて誰でも知ってると思っていたのですが、大きな勘違いでしたよ。
考えてみれば私だって、13年くらい前にタイに来る時まで、EMSの存在を知りませんでしたから。
EMSとは、国際スピード郵便と呼ばれるもので、Express Mail Serviceの略なのです。
強いて言えば、航空便の速達ですかね。
別に速達でなくても良いのですが、手軽で追跡もできるので、あえて航空便にせずにEMSにしています。
改めて、人の認識はそれぞれだなあと感じた次第です。
さて、送ってもらった荷物の中には、今回も本がたくさん入ってました。
今回も10冊ほど。未読の本がまだ10冊以上あったので、また未読が20冊以上に増えました。
きっと死ぬまでゼロにはならないんだろうなあ。そんな気がします。
読書が好きな私ですが、どうも瞑想は苦手なんですよね。
座禅とか試みることはありますが、長続きしません。だって、それほど気持よく感じないんですもの。
それを我慢してやってれば、何か見えてくるのかもしれませんけど、我慢してまでやろうという気にならないのです。
でも、神渡良平さんもそうですが、瞑想を勧める人は大勢います。
「神との対話」シリーズでも、瞑想の重要性が書かれています。
ただ、「神との対話」では、瞑想は必ずしも座ってする瞑想だけではないと言います。
歩く瞑想とか止まる瞑想など、やり方はいろいろあると。
著者のニール氏自身は、書く瞑想が性に合っていると言ってますね。
それで言うと、私は読む瞑想かななんて、都合よく解釈しています。
昨夜は、シリーズの11作目、「神より幸せ」という本を読んでいました。
※前に「変えれば、変わる」を11作目と書きましたが、間違いでした。前の記事は訂正してあります。
これももう3〜4回目になりますが、それでも新たに気付かされることが多いです。
今回も読みながら、心に湧き上がる熱い想いがあって、涙が溢れてきました。
「あー、そうだった。そうなんだよ。あー、もう充分だ。これでいい。これでいいんだ。」
そんな気持ちです。
言葉にすると、わからないですよね。
たしかに、しばらく時間がたつと、その感動した部分を思い出してみても、同じような感情にはなりません。
あのときは、心の状態がまったく違うのです。
ですから、私としては読書をしながら瞑想していた気分なのです。
具体的にどういう気付きかというと、私とはすべてのものだということです。
これは、私たちは「ひとつのもの」だというのと同じことです。
あるいは、神とか宇宙霊はすべてだと言うのも同じです。
でも、いくら言葉でそう言っていても、ピンときているかどうかとは別の問題なのです。
読書をしていたあの瞬間、その部分を読みながら、心に何かがカチッとはまったのです。
「そうだよ、これだよこれ。こういうことなんだよ。」
魂が自分自身を発見した喜び、と言えば良いのでしょうか。
すでに知っていたことを追認しただけなのに、まるでアメリカ大陸を発見した時のコロンブスのように、心が狂喜したのです。
こういうことがあるから、読書ってやめられないんですよね。
特に「神との対話」シリーズは。
これを読み終えたら、またシリーズ1作目の「神との対話」に戻ります。
次からは、その日に読んだ中で気に入ったところを、Facebookに書こうかなと思っています。
2013年08月30日
仏の声を聞く
わずか100ページに満たない薄い冊子。
しかし、これを読む間に私は、何度、感動の涙を流したことか。
著者は東井義雄氏。教師をされていた関係で、東井義雄先生と呼ばれています。
その一方で、家がお寺だったこともあり、僧侶としての立場でもあります。
私は知らなかったのですが、多くの人に影響を与えた方のようです。
たしか神渡良平さんの本で知って、本を買ってみました。
教師とか僧侶だと言うと、なんだか雲の上の人のように思えますが、まったくそうではありません。
むしろその逆で、ダメな自分をさらけだし、ダメな自分として生きることで、他の人に影響を与えたという方です。
師範学校でのエピソードがそれを端的に表しています。
運動がまったくダメで、サッカー部も、野球部も、テニス部も、水泳部も、陸上部さえも拾ってくれません。
最後にやっと拾ってもらえたのがマラソン部です。
「辛抱強く粘れるか?」と問われ、それくらいならできるだろうと考えたからです。
最初は当然ビリッコです。頑張っても、頑張っても、ビリッコです。
ロードに出ると、キリスト教の女学校の近くを走るのだそうですが、大勢の女学生が見ている前を、1人遅れて犬に吠えられながら走るのは、さすがに辛かったそうです。
それでも2年生になれば、自分より遅い後輩が入るだろうと思ったそうですが、実際には2年生でもビリッコでした。
3年生になれば変わるだろうと思ったそうですが、それでもやはりビリッコでした。
そこで、東井先生は「兎と亀」の話について考えたそうです。
「亀は、いくら努力しても、絶対、兎にはなれない。しかし、日本一の亀にはなれる。そして、日本一の亀は、つまらない兎よりも、ねうちが上だという話ではないかと考えました。そして、私も「日本一のビリッコ」にはなれるのではないか、と、考えるようになりました。」
(中略)
「そのうちに、また、気がつきました。「もし、ぼくがビリッコを独占しなかったら、部員の誰かが、このみじめな思いを味わわなければならない。他の部員が、このみじめな思いを味わうことなく済んでいるのは、ぼくが、ビリッコを独占しているおかげだ」ということに気がついたのです。「ぼくも、みんなの役に立っている」という発見は、私にとって、大きなよろこびとなりました。」(p.18)
こうして、自分がダメなことを受け入れることで、ダメな生徒に寄り添ってあげられる教師になろうと考えたそうです。
さらに、ご自身が癌になったり、最愛の息子さんが植物状態になったりと、大変な状況が続きます。
それでも、これは自分が受け入れなければならない因縁なのだと思われて、その状況の中に救いを見いだされるのです。
野村康次郎という人の「雨」という詩が引用されていましたが、その詩が端的にそのことを語っています。
「雨は
ウンコの上にも
おちなければなりません
イヤだといっても
だめなのです
誰も
代ってくれないのです
代ってあげることも
できないのです」(p.25)
雨だってそうなのですから、人間だって、自分の人生を誰かに代わってもらうことはできません。
ですから、癌になるというつらさも受け入れます。
それよりもっとつらい、息子さんが植物状態になって代わってあげることができないことも、また受け入れていかれるのです。
またこの本の中には、私がとても驚いたエピソードが書かれていました。
このことは長くなるので、メルマガ「SJ通信」に書きます。
メルマガに登録されている方は、そちらでお読みください。
登録が間に合わなかった方は、「SJ会員」になられることでメルマガの過去ログが読めますから、そちらでどうぞ。
<2016年11月4日追記>
メルマガの過去ログは、メルマガの最後にあるメルマガ会員の特典の中から読むことができます。現在はSJ会員をやめていますので、メルマガ登録されてからご覧ください。
2013年08月31日
すべての道は神に通ず
田舎に帰っていた妻は、明日の朝、バンコクに戻ってくるそうです。
特に何も予定がなかったので、それなら最後の洗濯をやろうかと思い、洗濯をしました。
洗剤がなくなったので、妻が普段使っているものをと思って、近くのスーパーまで買いに行きましたよ。
イオンが経営するマックスバリューには置いてなかったので、セブン-イレブンへ行ったら、そこにありました。
花王の洗剤で「3 in 1」と書かれています。どうやら、柔軟剤とかも入っているタイプのようです。
900gを2袋で200バーツ弱。本来は妻の財布から出すべき出費ですが、私が出すことにしました。
もうアイロンがけは終りと思っていたのですが、洗濯物を干すスペースを空けるために、干してあったワイシャツとスラックにアイロンをかけました。
だいぶ慣れたとはいえ、なかなか上手くかけられません。
洗濯はスイッチぽんで全自動ですけど、アイロンは大変ですね。妻に感謝です。
洗濯が終わってから、本を読みました。
「神との対話」シリーズの「神より幸せ」を読み終えました。
これでシリーズ全てを読み終えたので、また最初の「神との対話」に戻ります。
ただ、そのシリーズばかり読んでも面白くないので、他の本も同時並行的に読んでいます。
今回持ち帰ったのは、「あの世に聞いた、この世の仕組み」と「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」です。
著者は、ペンネームで雲黒斎(うん・こくさい)さん。
「もっと・・・」が最近出版され、良いと評判だったので、最初の本も買ってみたのです。
Facebookで友だちになったサンマーク出版の鈴木七沖(すずき・なおき)編集長の紹介です。
それで最初の本を読み始めたのですが、これがびっくりです。
もう「神との対話」シリーズと同じようなことが書かれていたのです。
偶然に開いたページに、モーセの十戒について書かれていました。
そこには、あれは戒めじゃないという話があったのです。
戒めとか規則じゃなく、人間はそうなるというか、そういうものなんだという話でした。
これ、まさに「神との対話」に書かれていたもの。
いやパクったとか、そういうことじゃないんです。
パクったとか言い出したら、「神との対話」だってそうですよ。
老子とか仏陀とか出てきて、「それはオレが2600年も前に言ったことだろうが!」と言い出しそうです。
そうじゃなく、みんな同じことを言っているんだなあってことなのです。
神を超弩級の人間のようにしてしまったのは組織宗教ですが、その教祖が受けたインスピレーションをそのままに理解すれば、それは東洋思想が言っている天(てん)そのものです。
老荘思想ではそれを道(どう,たお)と呼びますが、これも同じです。
つまりその示すところは、「すべて」であり、「究極の原因」であり、「絶対的な存在」なのです。
「すべて」なのですから、神以外に存在するものがあるはずもなく、人が神から分離していると考える方が無理があります。
天とか宇宙霊の分け御霊が人の魂だとする東洋思想でも、同じようにすべては天であり、人の魂もまたその一部なのだと言っているわけです。
ですから、自然との一体感が重視されるわけです。
分離しているように見えても、本当は同じもの、ひとつのものだということなのです。
同じようなことを言う人が増えてきたというのは、嬉しいことですね。
だってそれは、人類が精神的にその方向に進みつつある証拠ですから。
2012年が転換点だったという話がありますが、本当にそうかもしれません。
もう1つ驚いたことがありました。
さっき、雲黒斎さんのブログを見たのです。
その中にブログを始めて7年の記念か何かで、本のプレゼントがありました。
その本の中に、アダム徳永さんの「スローセックスの教科書」があったのです。
そのコメントとして、「これからの時代、特に僕たち日本人は、「お金」と共に「性」の誤解を超えていかなければならないと、僕は思っています。」とありました。
嬉しいですねえ。私も同感です。
実は私も、アダム徳永さんの本を読みました。
アダムタッチが効果的かどうかは置いておいて、男女ともセックスを楽しむべきだという考え方には共感します。
相手を支配するためとか、自分をよく見せるためなど、無意識にいろいろな理由をつけてセックスしているものなんですよね。
そのために、純粋に楽しむとか、純粋に愛するということができなくなっています。
これは私の反省もこめているのですが、そういう不純な思いから性を解放することは大事なことだと思います。
まあ、ブログに書けるのはここまでですね。
これ以上の露骨な表現は、メルマガ「SJ通信」の方に譲ります。
最近はちょっと18禁の話題が少なくなってますけど、考え方は変わってませんから。
そういう話題も読みたいという方は、ぜひメルマガに登録してくださいね。
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特に何も予定がなかったので、それなら最後の洗濯をやろうかと思い、洗濯をしました。
洗剤がなくなったので、妻が普段使っているものをと思って、近くのスーパーまで買いに行きましたよ。
イオンが経営するマックスバリューには置いてなかったので、セブン-イレブンへ行ったら、そこにありました。
花王の洗剤で「3 in 1」と書かれています。どうやら、柔軟剤とかも入っているタイプのようです。
900gを2袋で200バーツ弱。本来は妻の財布から出すべき出費ですが、私が出すことにしました。
もうアイロンがけは終りと思っていたのですが、洗濯物を干すスペースを空けるために、干してあったワイシャツとスラックにアイロンをかけました。
だいぶ慣れたとはいえ、なかなか上手くかけられません。
洗濯はスイッチぽんで全自動ですけど、アイロンは大変ですね。妻に感謝です。
洗濯が終わってから、本を読みました。
「神との対話」シリーズの「神より幸せ」を読み終えました。
これでシリーズ全てを読み終えたので、また最初の「神との対話」に戻ります。
ただ、そのシリーズばかり読んでも面白くないので、他の本も同時並行的に読んでいます。
今回持ち帰ったのは、「あの世に聞いた、この世の仕組み」と「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」です。
著者は、ペンネームで雲黒斎(うん・こくさい)さん。
「もっと・・・」が最近出版され、良いと評判だったので、最初の本も買ってみたのです。
Facebookで友だちになったサンマーク出版の鈴木七沖(すずき・なおき)編集長の紹介です。
それで最初の本を読み始めたのですが、これがびっくりです。
もう「神との対話」シリーズと同じようなことが書かれていたのです。
偶然に開いたページに、モーセの十戒について書かれていました。
そこには、あれは戒めじゃないという話があったのです。
戒めとか規則じゃなく、人間はそうなるというか、そういうものなんだという話でした。
これ、まさに「神との対話」に書かれていたもの。
いやパクったとか、そういうことじゃないんです。
パクったとか言い出したら、「神との対話」だってそうですよ。
老子とか仏陀とか出てきて、「それはオレが2600年も前に言ったことだろうが!」と言い出しそうです。
そうじゃなく、みんな同じことを言っているんだなあってことなのです。
神を超弩級の人間のようにしてしまったのは組織宗教ですが、その教祖が受けたインスピレーションをそのままに理解すれば、それは東洋思想が言っている天(てん)そのものです。
老荘思想ではそれを道(どう,たお)と呼びますが、これも同じです。
つまりその示すところは、「すべて」であり、「究極の原因」であり、「絶対的な存在」なのです。
「すべて」なのですから、神以外に存在するものがあるはずもなく、人が神から分離していると考える方が無理があります。
天とか宇宙霊の分け御霊が人の魂だとする東洋思想でも、同じようにすべては天であり、人の魂もまたその一部なのだと言っているわけです。
ですから、自然との一体感が重視されるわけです。
分離しているように見えても、本当は同じもの、ひとつのものだということなのです。
同じようなことを言う人が増えてきたというのは、嬉しいことですね。
だってそれは、人類が精神的にその方向に進みつつある証拠ですから。
2012年が転換点だったという話がありますが、本当にそうかもしれません。
もう1つ驚いたことがありました。
さっき、雲黒斎さんのブログを見たのです。
その中にブログを始めて7年の記念か何かで、本のプレゼントがありました。
その本の中に、アダム徳永さんの「スローセックスの教科書」があったのです。
そのコメントとして、「これからの時代、特に僕たち日本人は、「お金」と共に「性」の誤解を超えていかなければならないと、僕は思っています。」とありました。
嬉しいですねえ。私も同感です。
実は私も、アダム徳永さんの本を読みました。
アダムタッチが効果的かどうかは置いておいて、男女ともセックスを楽しむべきだという考え方には共感します。
相手を支配するためとか、自分をよく見せるためなど、無意識にいろいろな理由をつけてセックスしているものなんですよね。
そのために、純粋に楽しむとか、純粋に愛するということができなくなっています。
これは私の反省もこめているのですが、そういう不純な思いから性を解放することは大事なことだと思います。
まあ、ブログに書けるのはここまでですね。
これ以上の露骨な表現は、メルマガ「SJ通信」の方に譲ります。
最近はちょっと18禁の話題が少なくなってますけど、考え方は変わってませんから。
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