2013年07月29日

意味のある偶然の一致(シンクロニシティー)がありました

東京から戻ってきました。

今回は、出版オーディションの2次審査を受けるのが一番の目的でした。


審査に通るかどうかわかるのは、8月中旬くらいのようです。

ただ私が受けた印象では、ちょっと難しそうってことです。

なぜかと言うと、編集者の方は私が提出したプロフィールしか読まれていないようで、私のメルマガはもちろん、ブログもご覧になられてはいない感じだったからです。

まあ当然と言えば当然で、それを伝えるのがオーディションを受ける側の努めなのでしょう。

それで、私のやっていることの特徴をちょっと話したのですが、相手に入って行く感じがしませんでした。


考え方は人それぞれですし、私のやり方が一番だとか、私の方法だけが正しいなどと言うつもりはまったくありません。

ですから、受け入れるかどうかは相手次第です。

結果はどうなるかわかりませんが、あの場で私が受けた印象は、「受け入れられてないな」というものでした。

だからと言って、私がこの活動をやめるわけではないので、これもワンステップだと思っています。

 

そのオーディションの後、普段はなかなか会えない日本の友人たちと、3ヶ所に分けて会うことにしました。

まず1ヶ所目は新宿のジャズバーで、地下にあるおしゃれな店でした。

ここにはオンラインの起業セミナー仲間の方が2人来てくださったのですが、初めて親しく話をさせていただきました。

ネット上では連絡を取り合っていても、会って話をするのは初めてだったのです。

あとで気づいたのですが、この3人に共通するキーワードは「海外」でした。

1人は、韓国に長く住んでおられた方で、韓国語が堪能な方です。

もう1人は車関係で世界を飛び回っておられた方で、タイやヨーロッパ、アメリカでも働いておられました。

こういう3人ですから、話題はもっぱら海外と起業のこと。楽しい時間があっという間に過ぎてしまいました。


次は、渋谷駅前のおしゃれなカフェ。そこで場に似つかわしくないおじさん2人が落ち合うことにしたのです。

最後まで未定だった女性の方も合流されたため、おじさん2人はホッとしましたよ。だって周りはほとんど女性なのですから。

このお二人とも、お会いするのは初めてです。

女性の方は、オンラインの起業セミナー仲間で、男性の方はFacebookで知り合った方。

まったく縁のない3人が寄り合って、最初に話したのが住んでいる場所の話。

その話題の中でわかったのが、3人とも島根県に縁があるということでした。

私と男性が、出身地が島根県です。そして女性は、ご主人の実家が島根県。

東京で偶然のように出会った3人が、「島根県」というキーワードで一致点があるなんて、なんと驚くべきことでしょう。


こういうのを、「意味のある偶然の一致(シンクロニシティー)」と言うのでしょうね。

シンクロニシティーが立て続けに起こるとき、運命が導かれている証拠だということを、「「東の大富豪」の教え」の中でナタリー・ユエンさんが言われていました。

実はこの2つ目の会合で「島根県」というキーワードで一致していたのだと気づいたとき、最初の会合も「海外」というキーワードがあったなあと思ったのです。

シンクロニシティーが起こっていても、気づかない人は気づかない。そして気づかないから運命に導かれない。

改めて、「「東の大富豪」の教え」を読んでいて良かったと思いましたよ。


そして3つ目の会合は大久保です。そこにある居酒屋に、昔の仕事仲間が集いました。

最終的には私を含めて8人になりました。

その内訳は、最初に就職した会社の仲間が3人、3つ目の会社で参加した大きなプロジェクトの仲間(他の会社の人)が3人、そして私が就職してから参加していた草野球の仲間が1人です。

こちらは全員、私にとっては顔見知り。疎遠にしていた人もいましたが、会えばすぐに昔を思い出して肩を叩けるくらいの仲です。

後でこの集まりのキーワードを探してみました。

「仕事」だと、1人合わない人がいます。「旧友」とか「懐かしさ」とか、そんな感じでしょうか。

 

日本滞在が約30時間という、前回の福岡と同様に慌ただしい一時帰国でした。

シンクロニシティーもあったし、これが私の人生において何らかのステップになっていると感じます。

ですから、このことに直接的な利益を求める気持ちはありません。

ただ、人生は思い通りに進んでいるのだなという気持ちが、心の底から湧いてくるのです。


今回の一時帰国で得られたキーワードは、「海外」「島根県」または「故郷」「旧友」または「懐かしさ」です。

このキーワードが何かに関係するかどうか、今はまだ何もわかりません。

けれど、どれも私にとって親和性のあるキーワードだと感じます。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:31 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自助論



サミュエル・スマイルズ氏の世界的な名著を紹介しましょう。

現代の日本では、竹内均(たけうち・ひとし)氏が現代語に訳した「自助論」として知られていますが、原著は1858年に出版された「Self-Help, with Illustrations of Character and Conduct」という本です。



日本では明治時代に「西洋立志編」という名で出版され、冒頭の「天は自ら助くる者を助く」という独立自尊のスローガンが、当時の青年たちを奮い立たせ、100万部の大ベストセラーになったのだそうです。

これを現代語に翻訳し直し、蘇らせたのがこの「自助論」です。

私もこの「自助論」を、20代の時に読みました。三笠書房知的生き方文庫です。

最近また話題になっているようなので、買い直して読んでみました。


何が素晴らしいかというと、膨大な量の伝記を読んだであろうと想像させる事例の数々です。

こつこつとまじめに努力し、勤勉に働くこと。それこそが最高の生き方だと語るのですが、それを証明するための著名人にまつわるエピソードが、これでもかと言うほどでてきます。

そういう事例を重ねることで、この本に示される生き方がどれほど正しいかということを証明しようとしているかのようです。


若いころの私も、これを読んで心を震わせました。

器用な立ち回りはできませんが、こつこつとまじめに生きることが最高なのだと、自分に言い聞かせたものです。

「正直に生きよう。ずるいことをせず、良心にしたがって生きよう。」そう思ったのです。


ただ、今の私からすると、「それはちょっと無理があるな」と感じる部分もあります。

強いてあげるなら、子どもに義務の心を植え付けるというくだりです。

それで精神的に強くなり、良い人間になるという考えは、ちょっと安直な気がします。

それは、義務が強制になると、人はそれを喜べないことを知っているからです。


とは言うものの、本全体を通じて言われていることの大部分に共感します。

特に、最後に書かれていたこの部分は、驚くべき内容でした。引用しましょう。

われわれは、幸福でさえ習慣として身につけられる。世の中には、ものごとの明るい面を見ようとする性格の人もいれば、暗い面ばかりに目を向けたがる人もいる。ジョンソンによれば、ものごとのよい面を見る人間は年収1000ポンドの金持ちよりも価値があるそうだ。
 人間は、幸福と進歩を生み出すものに考えを向けるだけの意志力を持っている。反対に、不幸や退廃からは目をそむける力もあるはずだ。他の習慣と同じように、ものごとを楽天的に考える習慣もこの意志力から生まれてくる。楽天性を育て上げる教育は、知識や素養をめいっぱい詰めこむよりはるかに重要な教育といえるだろう。
」(p.274)


ここに、このブログのエッセンスが凝縮されていました。

私はすっかりこのことは忘れていたのですが、間違いなく20代の時に読んだはずです。

その忘れていたはずのことを、今になってやっと実現しようとしている。

人生とは、面白いものだなあと思いました。

自助論
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:16 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月30日

だれもが幸せになるハワイの言葉 ホ・オポノポノ



この前読んだ「アロハ!」ホ・オポノポノのことが少しわかったので、さらに深く知りたくてこの本を買いました。

ムック本ですが、評判が良かったので選んだのです。

薄い本ですけど、内容はとても濃かったです。選んで正解でした。


著者は、イハレアカラ・ヒューレン博士と、カマイリ・ラファエロヴィッチ女史、通称KR女史です。

ホ・オポノポノという問題解決手法は、直接的に現象に働きかけるものではありません。

むしろ、現象がどうなるかということを期待せず、手放すこと(=執着しないこと)が重要だと言います。


では、ここで行われるクリーニングとは何かということになるのですが、現象を作り出している記憶をきれいにすることなのだそうです。

この世に困った(と私たちが感じる)現象が起こるのは、私たちの思いが記憶となって絡まっているから。ですから、その記憶をきれいにしてやらないと、この現象はなくならない。

その記憶をクリーニングしてほしくて、ウニヒピリ(=潜在意識のこと)が現象を見せてくれている、ということなのです。

そのウニヒピリの存在に気づき、見せてくれる現象をすべてクリーニングすることによって、私たちは至高の存在とつながるようになり、すべての問題が解決する。

だからホ・オポノポノは問題解決手法なのだ、ということのようです。


そのクリーニングにはいろいろ方法がありますが、代表的なのは「ありがとう」「愛しています」「ごめんなさい」「許してください」という4つの言葉を唱えるというもの。

全部でなくても、「ありがとう」や「愛しています」だけでもいいようです。

しかも、気持ちを込める必要はなく、ただスイッチを入れるようなつもりで、それらの言葉を心の中で唱えれば良いのだとか。

小林正観さんなどが言われているように、「ありがとう」を何万回か唱えるというやり方と、同じような感じですね。


では、「なぜこの世の仕組はそうなのか?」ということに対しては、何の説明もありません。

インスピレーションで与えたから、ということなのでしょう。

あるいは仏陀が言ったように、そういう理由を知ろうとするより、今すぐに救われる方が重要ではないか、ということかもしれません。


私はまだ、ウニヒピリという存在については、ちょっと懐疑的です。

「自分のウニヒピリは女性で・・・」とか、「ウニヒピリが名前を教えてくれた」などと言われると、ちょっと眉唾ものだなという気がします。

でも、そう感じる人の気持ちが嘘だとは思いません。そう感じる人は、間違いなくそう感じるのでしょう。

けれど、そう感じているからと言って、実際にそうなのかどうかとは、また別の問題だと思っています。

私は、理屈で説明できないことは信じられないタイプなので。

 

本の後半には、ホ・オポノポノを実践することで、人生が変わったという人の事例がたくさん載っています。

本当かウソかはわかりませんが、そういうことがあっても不思議ではないでしょう。

けれども先ほども書いたように、変わることを期待してもいけないのです。

期待する思いが湧いたら、その思いさえもクリーニングする。それがホ・オポノポノなのです。


その事例を読んで私が感じたのは、この人たちはみな、自分というものを一歩下がった視点から見ている、ということでした。

つまり、現実に起こる出来事に溺れていない感じです。これは、ものごとに執着しない状態ではないでしょうか。

そう気づいたとき、ホ・オポノポノによって人生が変わるのは当然だなあと得心しました。


ホ・オポノポノクリーニングを、魔法のように考えて実践するのも間違いではないでしょう。

しかし私は、これは自分自身を意識するステップだと思うのです。

つまり、自分がどう感じたとか、何を考えているとか、一歩下がった視点から見てみること。


それができないと、その思いをクリーニングできませんから。

逆に言えば、クリーニングしようとすることで、自然と一歩下がった視点から自分の感情や思考を観察できるようになる、ということなのです。

そしてクリーニングするということは、起こる現象の責任を引き受けることだと言います。

つまり現象の原因は自分にあるということです。

原因が自分にあるから、自分にクリーニングさせようとして、ウニヒピリがその現象を見せてくれている。

そうだとすれば、これもまた原因と結果の法則(引き寄せの法則)であるとも言えますよね。



私には、このホ・オポノポノで説明する仕組が正しいかどうか、まだ何とも言えません。

しかし、結果として人生が良くなっていくということには、間違いないだろうと感じています。

理屈より直感を重視するタイプの人には、こういうやり方が合うのかもしれませんね。

だれもが幸せになるハワイの言葉 ホ・オポノポノ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:08 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月31日

ホ・オポノポノ的な見方について

最近、ホ・オポノポノがじわじわとブームになっている気がします。

何だかよくわからないホ・オポノポノという不思議な言葉に惹かれて、私のように興味を持つ人が多いのでしょう。


昨日の記事「だれもが幸せになるハワイの言葉 ホ・オポノポノ」でも紹介しましたが、ホ・オポノポノというのはハワイに伝わる問題解決手法です。

様々な方法を使ってクリーニングと呼ばれることをすると、自然と問題が解決してしまうのだそうです。

ではなぜこれで問題が解決するかということなのですが、それにはこの世をどう見るかというホ・オポノポノ的な見方を知る必要があります。


ホ・オポノポノによると、この世の現象は、記憶の再生至高の存在からのインスピレーションなのだそうです。

そして、問題が起こるのは記憶が再生されているからで、至高の存在からのインスピレーションを受ける状態なら、何も問題が起こらないということになります。

記憶というのは、潜在意識(ウニヒピリ)に蓄えられた記憶で、それは自分の記憶だけでなく、ありとあらゆるものの記憶です。

無機物にさえ記憶があると言います。

こうした様々な記憶が、私たち、つまり顕在意識(ウハネ)にクリーニングしてもらいたくて、記憶を再生しているのです。

「なぜそうなのか?」ということに対する説明はありません。

おそらくインスピレーションによってそう知らされた、ということなのでしょう。


クリーニングの方法については、一部を昨日の記事で紹介しました。

特徴的なのは、気持ちを込める必要がないということ。

単にクリーニング装置のスイッチを入れるようなつもりで、クリーニングをすればよいということなのです。

 

理屈っぽい私からすると、この説明ではどうにも納得できません。

仮に、潜在意識(ウニヒピリ)がクリーニングして欲しくて記憶を再生しているとしても、なぜそれを直接的に解決することではなく、魔法の呪文を唱えるようなことでクリーニングできるのでしょう。

そこにいったいどんな意味があるのか、理解できないのです。

もしそれが正しいなら、私たち人間は何のために存在しているのでしょう?何のために創られたのでしょう?

訳もわからずクリーニング装置のスイッチを入れるだけの一生を送るために、創られたのでしょうか?

私は、そういった論理の一貫性がないと、納得できないのです。


もちろん、だからと言ってホ・オポノポノが間違っていると言いたいわけではありません。

私には理解できないというだけです。

 

ホ・オポノポノが正しいかどうかは別として、私の考え方と一致している点もあります。

それは、この世の現実が実は現実ではない、という見方です。

そのほとんどが記憶の再生にすぎないのであれば、それは現実ではないということですよね。つまり幻想に過ぎません。

幻想に過ぎないのであれば、そのものに直接係る必要性はないのです。


もちろん幻想と言っても、この世はあまりに現実的です。

物質を触れば、触った感覚があります。

したがって、ここで言う幻想という言葉は、日常的に使われる幻想とか夢とはちょっと違います。

本質的ではない、と言った方が正しいでしょうか。


ホ・オポノポノでも、記憶の再生と言いながら、やはり具合が悪いときは病院へ行くべきだと言います。

ただそのとき、クリーニングすれば問題が解決するように導かれると言うのです。

幻想であっても、問題解決のために幻想世界の法則を乱すものではない、ということでしょうか。


また、クリーニングによって問題が解決するプロセスですが、それもなぜそうなるのか私には理解できません。

ただ、クリーニングすることによって、自分が一歩下がった視点から自分の思考や感情を見られるようになる、ということが重要なのではないかと思っています。

自分の思考や感情を客観的に見つめられるようになると、出来事に反応しなくなります。

出来事に反応しないということは、そこに別の考え方を挿入できるということです。

したがって、自分の思考が変わるのですから、創りだす未来が変わったとしても、「原因と結果の法則(引き寄せの法則)」にしたがうなら不思議なことではないのです。

 

たとえば、こういうことになります。

体調が悪くて病院へ行ったら、癌だと告げられたとしましょう。しかも進行していて、手の施しようがないと。

そんなときにホ・オポノポノなら、まずこれは記憶の再生であると認識します。つまり、本質的な現実ではないのです。

そして、クリーニングをすることで問題は解決するとわかっています。

さて、もしホ・オポノポノを信じて実行していたら、どうなるでしょうか?

はっきりしているのは、「不安から解放される」ということです。

だってこれは記憶の再生なのですし、たいして難しくもないクリーニングによって解決するのですから。

不安から解放されたら、悪くなるような想像をしたり、そういう思考にとらわれたりするでしょうか?

するはずがありません。明るい未来を描かないとしても、少なくとも自分の将来を悲観したり、意気消沈して憔悴することはありません。

こういった自然なポジティブ思考は、私たちの身体に何か影響を与えないでいるでしょうか?

これは科学的に言っても、良い影響があることは間違いありません。

ですから、癌が消えてなくなっても不思議ではないのです。


では、自分自身のことではなく、地域や他人に対しての影響はどうでしょう?

ホ・オポノポノでは、すべての人やものに対して影響があると言います。

つまり、誰かがどこかでクリーニングしたことが、自分へも影響するのだと。

このことは、私にすれば当然のことだと思います。

なぜなら、私たちの本質は「ひとつのもの」なのですから、影響がないわけがありません。

これは物質的に直接影響するものしか信じない人にとっては、理解できないかもしれませんね。

 

このように、ホ・オポノポノ的な考え方を丸ごと受け入れられるわけではないのですが、本質的には私の考え方と同じだと思います。

この世の出来事を幻想だと見抜き、出来事にとらわれることなく、本来の自分でいられるように努めるなら、問題は解決すべき時に解決するのだと思うのです。

だから、人生に起こる出来事は必然で無駄がないと言うのです。

無駄には発生しないのですから、必要がなくなった出来事は、消滅するしかありません。

病気になるのも必然なら、治るのもまた必然なのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:21 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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