2013年06月20日

親のしごと教師のしごと



先日紹介した「居場所のない子どもたち」を書かれた鳥山敏子さんの本です。

実は、こちらを先に読み始めたのですが、途中でやめていました。

と言うのは、国旗を掲揚するときや国歌斉唱のときに起立させることに、反対しているかのような記述が最初の方にあったので、単に戦争反対を訴えるだけの思想の持ち主かと思って、少々がっかりしていたのです。

それが悪いということではありませんが、相手には相手の正当な理由があるわけですから。自分の考えだけが正しく、相手は間違っていると切り捨てる考え方には、私は賛同できないのです。

それでもせっかく買った本なので、もう1冊の方はどうかと思って、「居場所のない子どもたち」を先に読んだのです。

すると、そちらにはそういった左翼思想的な記述がなく、もっと精神的に深遠な内容だったため、著者に対する考えを改めました。

そしてこの本を読んだのですが、読み進めるについれて、鳥山さんの精神レベルの深さに感動しました。


鳥山さんは、私が評するのもなんですが、頭でっかちなタイプではなく、体で感じて動きながら思索を深めるタイプではないでしょうか。

それにしても、よくぞここまで深いレベルに到達されたものだと、精神世界の師と仰ぎたくなるほどです。


鳥山さんが感じられたのは、子どもは親の課題を解決するという使命を担っているということです。

たとえば子どもが問題行動を起こすとき、親の育て方が悪いという見方を、一般的にはされます。

けれども鳥山さんは、そんな単純な問題ではないと考えておられます。

親自身に何か解決しなければならない人間としての課題があり、その課題に気づかせ、必死で取り組ませるために、子どもはあえて問題行動を起こすのだという見方なのです。

まるで1つにつながった生命が、分化した魂同士を結びつけながら、その生命全体として進化しようとしているかのようです。

ですから、子どもの問題行動に限らず、起こる出来事はすべて必然で、起こるべくして起こるのだと言うのです。


問題に対する考え方次第で、一見まずいと思えるようなことも、新しい気づきをくれたり、行動を触発してくれたりするために起きているともとれ、その人にとって必要だから起きているだけだということにもなっていきます。こういうことが分かってくると、自分の身や家族、学校、社会に起きていることには、何一つ悪いことも無駄なこともないとも言えるのです。」(p.84)

子どもたちのからだにいま起きているさまざまな問題は、教師や親が子どもを見る目がなかったことが原因です。「何が本当の教育なのか考えろ」というメッセージとして受け止め、取り組むまで続くということに私たちは早く気づかなければならないでしょう。すべての問題は、起きるべくして起き、事の本質、事そのものからのメッセージを、大人たちが全身全霊で感じ取れる次元に立つことができるようになるためのものでもあると考えられます。」(p.181 - 182)


このように言って、私たちの人生に起こるやっかいな出来事というのは、それぞれの人、特に大人の、人間としての課題を成し遂げさせようとするメッセージであり、その機会を与えてくれる贈り物なのだと訴えます。

ですから問題から目をそらさず、臭いものにフタをするのではなく、しっかりと受け止めることが重要になります。


最近は宇宙からのメッセージを伝えるような、面白い子どもが増えてきたそうです。

前に紹介した「自分をえらんで生まれてきたよ」印鑰理生(いんやくりお)くんもそうでしたが、この本では日木流奈(ひき・るな)くんのことが紹介されています。

流奈くんは重度の脳障害で体が不自由ですが、両親は流奈くんのことを嘆いていないそうです。

その流奈くんが語っていることが、また素晴らしいのです。


「私の母など私が苦しんでいても決して代わってあげたいと思ったことはないと断言します。父などはもっとひどくて私の管だらけの姿を指さして笑っていました。目の手術のあとなどもっとひどくて、顔中に包帯が巻いてあったため、再起不能の赤ちゃんモードの私を見せ物にして見せ物料を取ろうなどと冗談を言ってました。もしかしたら本気だったのかもしれませんが、ただ能天気な親たちと言ってしまえばそれまでなのですが、おかげで私は物事を悲観的にとらえる術を学ぶことなく、身体を動かすこともままならないというのに結構気楽な気持ちで生きています。プラス思考でという言葉をよく聞きますが、そう思考しようとしてもなかなか難しいもののようです。世間ではプラスに考えるというより、目の前のことを嘆くことなくそれを受け止め、最善を尽くせばいいのではないでしょうか」(p.214 - 215)

これを読むと、流奈くんが素晴らしいのも、その障害を持った流奈くんを、そのままで受け止めているご両親が素晴らしいからだとわかります。

嘆くのではなく、そうなった事実を受け止めること。

結果にこだわることなく、やることをやればそれでいい。

流奈くんは、こんな風に言っているそうです。

幸せへの道はずばり能天気になることでしょう。思い煩うことはありません。何かに囚われる心が人を不幸にするのです。」(p.215)

親のしごと教師のしごと



日木流奈(ひき・るな)くんは、こんな本も書いています。

 

「伝わるのは愛しかないから」は、私も以前読んで、すごく感動した本です。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月21日

映画「ワールド・ウォー Z」を観ました(ネタバレ注意)

昨夜は、例によって妻と映画デートでした。

これまでも「バットマン」「ピー・マーク・プラカノン」などを観て、その感想を書いてきましたが、今回はブラッド・ピットが主演の映画「WORLD WAR Z」です。

日本では、8月10日全国拡大ロードショーとなってますね。全米公開が6月21日となってましたが、タイではそれより前に公開されたってことですかね。

本当は別の映画(スーパーマン)を観たかったのですが、良い席が売り切れだったので、仕方なくこちらにしました。ブラピのファンには申し訳ありませんけど。

けれど、こちらもほぼ満席状態でした。あとで調べてみると、かなり期待されてる映画のようですね。


さて、その映画の感想を書きたいのですが、どうしても一部ネタバレになってしまいます。

これから映画を観て楽しみたい方で、ネタバレは嫌だという方は、以下をスルーしてください。

 

ストーリーをかいつまんで説明すると、以下の通りです。(ネタバレ注意)

謎のウィルスに感染した人がゾンビみたいになって他の人を襲い、噛まれた人は感染して同じくゾンビのようになっていきます。

その勢いが凄まじく、次から次へと感染が拡大して行くのです。

そこに立ち向かうのが主人公のジェリー(ブラッド・ピット)です。

最終的には、ジェリーが感染を抑える(正確にはちょっと違いますが)ワクチンを入手し、それによって人々が救われるのです。


 

映画そのものは、とてもよくできていると思います。特に最初にゾンビが現れるシーンは、見ている自分まで逃げ場のない恐怖のどん底に突き落とされたような気になりました。

ただ映画の最後の場面で、私は違和感を覚えました。

感染してゾンビ化した人々を、次から次へと殺して行きます。まるでゴミか不要物であるかのように。

音でスタジアムにおびき寄せたところへミサイルを打ち込む。火炎放射器で焼き殺す。死体をブルドーザーで始末する。

まるで後片付けでもするかのように、大量に発生したゾンビを駆逐していくのです。



聖書にある最終戦争がモチーフなのでしょう。

世界は神の側とサタン(悪魔)の側に分かれて大戦争を行い、天使ミカエルに率いられた神の軍団がサタンの軍団を討ち滅ぼす。

だから容赦の無い殺戮が正義の行いとして称賛されるのです。


しかし、その光景を見て、私の心に喜びとか快感はありませんでした。

「あなたの親が、子どもが、恋人が、あの中にいるかもしれないのですよ?それで平気なのですか?」

そう問いかけたくなったのです。


実際、映画のストーリーでも、それを示唆する内容がありました。

ジェリーの家族はゾンビたちから逃れようとして、ある男の子とその両親の家に逃げ込みます。

しかし、いつまでもそこにいるわけにも行かず、ジェリーたちは脱出を試みます。

ビルの屋上まで逃げたとき、あの男の子が逃げてきて合流しました。

ジェリーは男の子を連れてヘリで逃げますが、その途中で何人かのゾンビを殺します。

その中に、その男の子のお父さんがいました。そしてお母さんも。

男の子にとってみれば、両親を目の前で殺されたのと同じです。



そんなシーンがありながら、どうして最後のシーンが、まるで邪魔者であるかのようにゾンビを皆殺しにするのでしょう?

感染を防ぐワクチンでさえ作れたのなら、ゾンビ化した人々を治す薬だって、何とかなるのではありませんか?

涙ひとつ見せず、自分の家族が助かったら、それでOKなのですか?あなたはそれで平気なのですか?

私の心には、そういう怒りを伴う問いかけが満ちていたのです。

 

もちろんこれは、映画の話です。

映画そのものにケチをつけるつもりはありません。

ただ私はこの映画によって、自分の中にはこういうストーリーに違和感を感じ、こういう結末は嫌だという思いがあることが明確になったように感じました。

手塚治虫さん「海のトリトン」で示されたのは、どちらが善でどちらが悪かわからない世界でした。

ただ戦うことの虚しさだけが残るのです。


神が愛だと言うなら、どうしてサタン(悪魔)を抱きしめないのか?

サタンを癒すことさえできなくて、どうして愛が勝利できるというのか?


最終戦争の話には、疑問を感じざるを得ません。最終的にすべてが滅べば良いのなら、そういう選択肢もあるのでしょうけど。

 

さて、あなたはこの映画を観て、どんなふうに思われるでしょうか。

いやー映画って、本当にいいもんですね。(水野晴郎ふうに)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:23 | Comment(28) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月22日

今夜出発します

今夜の便で、バンコクを出発して福岡に向かいます。

先日お知らせしたように、本田健さんの読者の集いに参加するためです。


本田健さんは、顔写真が公開されていません。

ちょっと謎めいた感じがして、ぜひお会いしたくなりました。


まあそれもありますが、1番の理由は、精神的に深いものを持っておられる方に、ぜひお会いしたいと思うようになったのです。

会って何かをしたいというわけではありませんが、その表情や仕草、声などを、自分で感じてみたい。

それで私自身がどうなると期待しているわけではありませんので、ただ単に憧れみたいなものでしょうか。

50歳も過ぎたおっさんが、アイドルの追っかけみたいなことをするわけですね。

そういう、自分の愚かしいところも好きです。

少年のような純粋さと言えば、ちょっとかっこ良すぎるでしょうか。

でも、そういうワクワク感を持ち続けたいと思っています。


あと他に会ってみたい人に、「西郷隆盛 人間学」「安岡正篤「宇宙と人生」」などを書かれた作家の神渡良平さんがいます。

実はすでにお会いしたことはあります。今から20年くらい前ですが、川崎市のご自宅に伺ったのです。

そのころ、神渡さんの本を読んでいたので、それを知った私の知人が、神渡さんに会いに行くというので付いて行きました。

何か話をしたかどうかも覚えていませんが、にこやかに迎えてくださったことは印象に残っています。


あとは、最近読んだ本「親のしごと教師のしごと」の著者で、鳥山敏子さん。そして、「自然農という生き方」で紹介した自然農をされている川口由一さんも。

このお二人は知り合いのようですが、宮沢賢治氏が到達した世界を共有されている感じがしました。


中村天風氏安岡正篤氏にもお会いしたいところですが、残念ながらすでに他界されています。

書物とかCDを通じてしか接することができませんが、それでも近づきたい気持ちが湧いてきます。


最後に、サイ・マー・ラクシュミ・デヴィさん

今日読み終えたばかりなので、まだ本の紹介をしていませんけど、「天恵(グレース)の花びら」を読んで驚きました。

サイ・ババ氏の弟子になるのでしょうか。とても深い精神的な世界を開かれた方です。


とまあ、そんなことを考えていますので、これからもまだまだやることがたくさんです。

先月、帰省から持ち帰った本が25冊ありましたが、残り9冊となりました。

しかし、これからまた日本へ行って、19冊ほど持って戻ります。ということで、未読が28冊になります。

さらにまた、実家に9冊届いてますし、さらにもう1冊届く予定です。

なかなか少なくなりませんね。(笑)


インプットしたら、またどんどんアウトプットしたいと思います。

良い本はそのまま紹介しますし、そうでなくても、それらを読むことで得られた気づきなどを、発信していこうと思っています。

では、行ってきまーす!(次のブログ更新は25日か26日になる予定です。)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:01 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

「本田健 読者の集い」に参加しました

6月23日(日)に福岡で行われた、「本田健 読者の集い」に参加してきました。

これは、本田健さんの新刊「大好きなことをやって生きよう!」が販売10万部を突破した記念として、各地で行なっているものです。

100人ほどの少人数で行われるとのことで、近くでお顔を拝見できると思い、ワクワクしながら参加しました。


健さん(親しみを込めてそう呼ばせてください)は写真がNGなので、ネットで探してもどんな方なのかわかりません。

ですから、どんな顔をされているのか、どんな格好をされているのかなど、お会いするまで想像を楽しんでました。

いざ健さんが登場すると、最初に心に浮かんだのは「へっ?この人?イメージとぜんぜん違う。」という思いでした。

水色のアロハを着ていて、なんとなくホワっとした感じで、年齢は30〜40歳くらいに見えました。


でもさすがに、聴衆の心をつかむ術は身につけていらっしゃるようで、あっという間に引きこまれてしまいました。

神戸出身ということもあるのか、関西人の血が流れているのでしょう。お笑いのセンスは抜群です。

あとで言われたのですが、笑いのネタを日々仕込んでおられて、セミナーの内容とか状況に応じて、笑いの程度を自由自在にコントロールされているそうです。


前半は健さんのスピーチでしたが、後半はQ&Aになります。このQ&Aがもう、「素晴らしい!」の一言ですね。

聴衆から「こんなときどうしたら良いでしょうか?」というような質問が出されます。それに対して健さんは、的確に答を出されるのです。

当たり前かもしれませんが、私が同じことができないと感じたので、やはり素晴らしいと思います。


こういうときの聴衆の質問は、論理的に筋が通っていないことがままあります。つまり、「何を言いたいのかわからないよ」と言いたくなるような質問です。

「どう答えるのだろう?」

そう思いながら健さんの答を聞くのですが、みごとにその質問者の言いたいことを探り当てていきます。


そして時折、他の聴衆に向けて「このことがわかりますか?」と言って手を挙げさせます。

そして、「自分のことはわからないけど、他人のことだとよくわかりますよね。」と言って、そのやり取りが質問者のためのようであって、実は聴衆一人ひとりのためのものであることを伝えるのです。


3時間ほどのセミナーの中で、私がメモをした内容はノート4ページに及びます。

常に「あー、これはメモしとかなきゃ」と思わせる内容のオンパレードなのです。

一部を披露しましょう。


・人生は、自分自身にする質問で決まる。

「なぜ彼女ができないのか?」という質問をすると、彼女ができない理由を探してしまう。そして、自分の資質だとか環境などのせいにして、自分が変わることを困難にする。

「どうすれば彼女ができるだろう?」と質問すれば、彼女ができる方法を探そうとする。そうすれば、具体的な行動が見つかり、それを行う中で目標が実現に向かう。


・安定を求めると不満が生じる。自由を手に入れようとすると不安が生じる。安定・不満はセットで、自由・不安もセット。安定・自由はセットにならない。

安定・不満の人生から自由・不安の人生に移行するには、付き合う人を変えるのが良い。普段、付き合っている人というのはだいたい30人くらいなものだが、その平均が自分の生き方になっているから。



22日(土)の夜にバンコクを出発し、23日(日)の朝に福岡に到着しました。ホテルに荷物を預け、そのままセミナー会場へ。

10時から1時までのセミナーの後、懇親会にも参加しました。当初は20人くらいの予定だったのが、実際は60人弱になってしまい、立食形式になりました。

せまい場所だったので、あまり移動ができず、多くの人と話すことはできませんでしたが、いろいろお話を伺えて刺激になりました。

取り仕切ってくださったライフワークスクールナビゲーターバロンさんアリスさん、どうもありがとうございました。


その後はホテルに戻り、実家から送ってもらった荷物を広げて整理しました。

実家から送ってもらった本など

ネットで購入した本19冊など。この中には、本田健さんの本も5冊含まれています。


その後は、コンビニで買ったビールを飲みながら、1人満足感に浸っていました。

さすがに夜便で移動したので疲れも溜まっていて、早々と9時くらいに寝ちゃいました。

翌朝は7時半に起きて、24日の午後3時にはバンコクに戻りました。

充実した1泊3日(機中1泊)のセミナー旅行でした。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:54 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弁護士が脱いじゃダメですか?

今日Yahoo!ニュースを見ていたら、面白い記事がありました。

「女性弁護士が「グラビア」に挑戦した理由 「固定観念へのチャレンジなんです」」

 

何が面白かったかと言うと、この弁護士の女性と読者の反応です。

「なぜ弁護士がグラビアに?」

この問いに対して弁護士の女性は、こんな風に答えています。

一番言いたかったのは、『●●だったら●●』っていう構図がおかしい、っていうこと。みんなの頭の中に『弁護士だったらグラビアはやらない』という構図があるから、そういうグラビアを見たときに『えっ』って違和感を持つ。じゃあ、何で『えっ』てなるのか、考えてほしかったんです、本当は。

世間の固定観念に風穴を開けたいという衝動を持っておられるようですね。

奇特な方だと思いました。


そして、その意図を説明するのに、こんなことを言われています。

もし、グラビアアイドルが弁護士になったら、世間は高く評価するでしょう。

でもその逆だったら、「ハレンチや、けしからん!」と反応するはず。

なった結果は同じなのに、順序が違うだけで真逆の評価。

それはおかしいと、弁護士の女性は言います。

 

そして世間の反応は、やはり予想通りです。

Yahoo!ニュースのコメントを見ても、その意図を評価する人は皆無に等しい。

ほとんどが、「売名行為だ」とか、「だったらAV女優になれ」とか、「自己顕示欲の塊」など、否定的なものばかりです。

中に肯定的なものもありますが、それとて「どうてもいい」とか、「まあ好きにやって」みたいな無関心に近いもの。

彼女の意図を正確に理解し、その信念を応援したいというコメントは、私には見つけられませんでした。


もちろん、ここに書かれたコメントだけが、世間の反応ではないでしょう。

彼女はFacebookにアカウントを持っているようで、その友だちは、温かい声援を送っているようでした。

 

私はFacebookを通じて、彼女に応援のメッセージを送りました。

だって、こんな勇気のいることは、普通じゃできませんから。

記事を読むと、後悔はしないけれど、批判的な意見をもらうと落ち込むそうです。

それはそうでしょう。

だから私は、彼女を応援したのです。

 

世間の多くの人は、常識という固定観念に縛られ、自分らしくない生き方をしています。

その不満がストレスとなって溜まり、爆発して誰かを傷つけてしまいます。


通り魔殺人とか、ストーカ殺人とか、形は違っても中身は同じです。

そして、ネットの掲示板などで他人を中傷して喜んでいるのも、同じことなのです。


自分が自分らしく生きて満足していたら、他人がどうしようと関係ないでしょう。

彼女が脱ぐことで、誰か損害を被りましたか?

直接的に迷惑を受けましたか?

それなのに、どうして彼女を、批判・非難しなければならないのでしょう?

彼女を傷つけなければ気が済まないほど、癒されない心があるのはなぜですか?


彼女が問いかけたかったのは、まさにそのことだと思います。

どうしてあなたは、自分じゃないものに縛られることを選んでいるの?

それによって苦しんでいるのは、あなた自身なのに。

 

私は、彼女みたいな人が増えてくると、世の中が変わると思います。

勇気を出して常識を覆す人。

無意味な世間体を気にしない人。

そういう人たちによって、新しい社会が切り開かれます。

閉塞感たっぷりの日本も、こうやって変わっていくでしょう。


そういう人たちのメッセージは、いつか多くの人に伝わるのです。

自分らしく生きていいんだよ。

自分らしく生きているあなたは、とっても素晴らしいよ。


 

本田健さんの夢は、そういう人たちが暮らす社会だそうです。

その夢を、「ユダヤ人大富豪の教え ふたたびアメリカへ篇」の中で登場人物のハリーに語らせています。

それは、人がみんな自由に自分を表現して生きる世界の実現だ。ただ自由に、自分らしさを楽しんでいる。そして、それをまわりの人が楽しんでいる、そんな世界だ。」(p.245)


そんな社会になったら、みんなが幸せになれると思いませんか?

私は、健さんの夢に共感します。

ですから、この弁護士の女性を応援し、その素晴らしさを伝えたいのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:19 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

天恵の花びら



誰の紹介だったか忘れましたが、信頼できる人が「これいいよ」と紹介してくださったので、迷うことなく購入しました。

天恵(グレース)という言葉もよくわからないし、単に天から啓示を受けたと言っている人の本だろう、くらいにしか思っていなかったのです。

実際に読んでみると、「天からの啓示を受けた」ということは間違いなかったのですが、その書かれている内容に驚きました。

それはまさに、「神との対話」シリーズで繰り返し言われていることだったのです。


すべてはひとつのものであることを、ワンネスという言葉で表現しています。

そして自分もそれと一体であるということや、この肉体は本当の自分ではないということなど、まさにそのままです。

すべてがワンネス(=神=ありてあるもの)であり、私たちもその一部であって、分離することがないのであれば、死というものが存在しないのも当然だし、愛される必要性がないことも明らかなことです。

すべてはいま、ここにある。そう知るだけで良いのです。


最初の辺りで、いきなり衝撃的なことが書かれていました。長いですが引用しましょう。

あなたが真理を発見するまで、マインドはいろいろと幻想を抱かせ、人格はまだ浄化されていないエゴやマインドを信頼してしまい絶望的になります。あなたは心の平和を失います。

時に「幸せ」を感じると、あなたは「これが答えだ!」と考えてしまいます。でも違います。それは表面上のことだけなのです。あなたは理由があって「幸せ」ですが、それは表面だけのことです。私にはあなたが平和でないように見えます。

なぜなら、本当の平和とは混乱の最中にでも体験できるものだからです。職を失ったとき、両親を亡くしたとき、家を火事で失ったとき、パートナー、妻または夫に去られたとき、子どもたちが家を出ていったとき、お金が底をついたとき、事業に失敗したとき−−あなたの世界が崩壊していくとき−−その時、あなたは安穏でいられますか?あなたは自分をゆだねられますか?あなたは恐怖、それとも信仰と平和の中に生きていますか?

自分の中に葛藤、緊張、闘いがある限り、平和を築くことは不可能です。あなたの中に闘いがあるのに、どうしてこの次元で平和を築くことが可能でしょうか。平和は私たち一人ひとりと関係があります。

ある人たちは、この世界は地獄と化していると言います。では誰が地獄をつくっているのでしょう。地球の住人たちです。

常に覚えておいてください。天国か地獄、善か悪、正しいか誤りであるかは、人間のマインドの中でのことです。あなたは何を選択するのでしょうか。

(p.21 - 22) ※適当に改行して読みやすくしました。

このように言って、平和、幸せなどの状態(在り方)は、私たちの心の中にあるもので、それは私たちが選択するものだと言います。

これなどもまさに、「神との対話」シリーズそのものです。


こんなすごい内容を誰が書いているのかというと、著者はサイ・マー・ラクシュミ・デヴィさんという、モーリシャス(インド洋の島国)で生まれた方です。

日本では超能力者として知られていたあのサイ・ババ氏と出会い、その才能が開花したのかもしれません。

あまり詳しい経歴は書かれていませんが、世界中の宗教家と接点を持ち、世界的な平和への活動をされている方のようです。


翻訳が良くないのか、それとも原文がそうなのかよくわかりませんが、多少読みづらく感じると思います。文が長かったり、改行が少なかったり、句読点が少ないせいでもあります。

また、同じようなことを言葉を変えて繰り返し言っていますが、その言葉の意味がわかりづらく、「なぜそうなのか?」ということに対する説明がないため、論理的な思考をする人は、うんざりしてしまうかもしれません。

そういうことを認めた上でも、この本に書かれていることは素晴らしいと感じました。

少なくとも私には、「神との対話」シリーズで言われるように、この時代に多くのメッセンジャー(預言者)が人々を目覚めさせようとしていることを、実感するものとなったからです。

天恵の花びら

※この本は2009年10月に出版されており、今年買ったものがまだ第1刷でした。サイ・マーの活動を広めようとする団体「ヒューマニティー・イン・ユニティー・ジャパン」ですが、本にあったWEBサイトは閉じているようです。英語のサイト「Humanity In Unity」はあります。そこにある「SAI MAA」のタグをクリックすると、なぜか日本語のサイトになるようです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたのお金はどこに消えた?



「本田健 読者の集い in 福岡」に参加して、感想を書いて提出すると、健さんの本が1冊もらえました。

それで選んだのがこの本です。

かわいらしい象の絵が描かれているし、読みやすそうでしょ?


それに、「金持ちゾウさん 貧乏ゾウさんが繰りひろげる 笑いと感動の物語」というキャッチコピーに惹かれました。

そう、「金持ち父さん 貧乏父さん」のパロディーです。それともう1つ、「夢をかなえるゾウ」もパロってますね。

  


カネー村で起こった騒動を、パン屋のナイーゾを中心に物語を展開させています。

その登場人物(象)は、「ユダヤ人大富豪の教え ふたたびアメリカへ篇」で示されたような4つのタイプに分かれています。

彼らが、それぞれの立場に即した反応をすることで、物語が展開していきます。


最終的にはめでたしめでたしなのですが、お金のことについて、いろいろと気付かされます。

銀行に預けたお金がない、というくだりは驚きますね。言われてみれば当然なのですが。

現在は、現金以外にも様々なマネーができています。そのマネーの力によって、私たちのささやかな暮らしが粉砕されることがあります。

お金って、いったい何のためにあるのか?お金がお金を生み出す構造って、本当に私たちの幸せのために良いことなのか?

すぐに結論が出るような問題でもありませんが、私も考えさせられました。


本の最後には、お金の可能性について、健さんの考えが書かれています。

時間が経つと、生鮮食料品のように価値が減っていく地域通貨というのは、なかなかおもしろそうですね。

あと、Facebookにあるような、「いいね!」を押すと相手にお金が移動するという「いいね!」通貨という仕組も、実現したら面白そうです。

その先駆け的なものはありますけどね。企業のFacebookページの「いいね!」を押すと、その企業がそれに応じた寄付をするというもの。

それが個人同士で行えるようになったら、たしかにおもしろいかもしれません。

お金のことを正しく知って、お金に振り回されない生き方をする上で、とても参考になる本だと思いました。

あなたのお金はどこに消えた?
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:43 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

幸せな経済自由人という生き方



「本田健 読者の集い in 福岡」に参加したこともあって、本田健さんの本をまとめ買いしました。

今回紹介するのは、その中の1冊です。


経済自由人という言葉は、おそらく健さんの造語でしょうね。お金を意識しないで生活する人のことです。

ですから、金持ちかどうかは関係ありません。まあ、金持ちにこしたことはありませんが、お金のことばかり気にして囚われているなら、それは経済自由人とは呼べないのです。

むしろ、お金を払ってまで欲しいものが少なくて、それほどお金がなくても満足して暮らせるなら、それは経済自由人だというわけです。

そこで健さんは、まずは幸せな小金持ち「小金持ち」的自由人を目指すのが良いと言います。


この本では、そういう「小金持ち」的自由人になるために、生き方を変える方法などが紹介されています。

いくつか気になったポイントを紹介しましょう。


半年分の生活費を貯めておこう」(p.47)では、半年分の生活費を貯めることを勧めます。

それによって、変化への不安に対処できるからです。たとえば突然仕事を失っても、半年間暮らせるとわかっていれば、気持ちも落ち着くでしょう。

私も、この方法をお勧めします。それは私自身が、1年分の生活費を計算し、それを貯金の目標にしたことがあったからです。

自由に使えるまとまったお金があるということと、それによってどれくらい生きられるかがわかっていることが、安心を支えてくれるのです。


テレビを消して、毎日本を読む人が、成功する」(p.127)では、読書を勧めておられます。

これには私も、諸手を上げて賛成します。たしかにテレビにも良い番組があります。けれど、習慣化してしまうと、ついどうでもよいような番組を見続けることになります。

私は幸いなことに、タイで暮らしています。この前までは、見られる日本語の放送はNHKプレミアムだけでした。

これだけだとさすがに見る番組も減るので、日本にいる時よりも圧倒的にテレビを見なくなりました。

そして結婚したことによって、チャンネルの優先権が妻に渡ったため、私はせいぜい日曜日の大河ドラマとか相撲くらいしか見ませんでした。

今は、NHKプレミアムも映らなくなった(高いので解約しました)ので、私がテレビを見ることは滅多にありません。妻が映画やドラマを見るとき、付き合わされる程度です。

したがって、自宅でも本を読む機会が増えました。

日本で生活されている方は難しいと思いますが、思い切ってテレビを棄てるなど、荒療治をするのも手かもしれませんね。


見返りを期待せずに、ご飯をご馳走してみよう」(p.170)では、食事をご馳走する効用について書かれています。

食事を一緒にすれば楽しいし、相手を大切にする最高の方法だし、相手を味方にできるからだと。

そのとき、ご馳走した相手に見返りを求めてはダメです。せっかくの好意が色あせてしまいます。

「情けは人のためならず、巡り巡って己(おの)が身のため」と言うように、徳を積めばどこからか良い結果がもたらされます。

私も、お金の使い方に一家言あって、自己投資と他人へのもてなしには、お金を惜しまないようにしようと思っていました。

ですから、後輩には喜んで大盤振る舞いをしました。

「いいよ、好きなものを食べて。遠慮しないで。お返しはいつか、あなたの後輩にしてあげなさい。」


でも最近は、日本人と接する機会が少ないこともあって、あまりご馳走していない気がします。妻をはじめとするタイ人には、よくご馳走しますけどね。

この本を読んで、私もまた生き方を考え直そうと思いました。

幸せな経済自由人という生き方
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:07 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

「いいかげん」が「良い加減」

タイで暮らして12年になりますが、よく「よほどタイが気に入られたのですね」とか、「タイはそんなに良いところですか?」などと言われることがあります。

一瞬、何と答えようか言葉に詰まってしまいます。

そして、自分の記憶にある様々な思いが、心を駆け巡るのです。

 

私がタイに来たのは、仕事のためでした。タイ語はもちろん、英語もからきしダメという私は、タイ人の通訳についてもらって、何とか仕事をしたのです。

そのころには、次のように感じていました。

「タイは、遊びに来るなら良いところだけれど、仕事をするのは大変だよね。」

 

遊びだと良いのは、日常生活が精神的にも経済的にも楽だからです。

たとえば、タイ人から反日感情を感じたことは、これまでまったくありません。

旅行で韓国に行ったときは、その短い2〜3日の間でさえ、「日本人は嫌いだ」という対応をされたことがありましたから、この差は大違いです。

やはり、最初から受け入れてもらっていると感じられるのと、そうでないのとでは、精神的に随分と違うでしょう。

また私が暮らすバンコクは外国人が多いため、タイ人が外国人慣れしているという理由もあります。

それもあって、外国人である私がすんなりと受け入れられているのでしょう。


しかも物価が安い。都内の移動にタクシーを使っても、だいたい120円程度で済みましたから、日本だと電車の初乗りほどでした。

食べ物も、無理に屋台などで食べなくても、サービスアパートのレストランとか、オフィスビルのキャンティーン(社員食堂みたいな場所)などを利用することで、1日300円程度に抑えられました。

最初は日本での生活のようにケチケチしていた私ですが、先輩から「もっとタイの経済に貢献したらどう?」と言われ、徐々に考え方を改めていくことになりました。


タイ人の金持ちは、自分でできることでもあえて自分ではやらないんですよね。

メイドさんや運転手さん、警備員などを雇って仕事をさせるのです。

最初の頃は「同じ人間を差別するようで嫌だ」と感じていたのですが、でも、そうすることで学歴のない貧しい人でも生活できているという現実があります。

差別するのが嫌だからと言って、メイドの仕事や運転手の仕事を奪ってしまうと、彼らは仕事がなくなります。

ですから、彼らに仕事をしてもらってお金を払うことが、彼らと共に生きることになるのです。


そういうことを感じるようになって、積極的にお金を使うようになりました。

屋台で串焼きを買う時も、自分用に1本2本とケチケチ買うのではなく、10本20本とまとめて買って、他の人に分けてあげれば良いのです。

「こんなの買ってあげても、いらないと思う人もいるだろうしなあ。」

なんていう心配もありましたが、酔った勢いで買って帰り、アパートの守衛さんにあげたことも何度かあります。

また、カラオケ・スナックで働いていた女の子(田舎から出てきた20歳くらいの女性)と親しくなったので、メイドとして働いてもらったこともあります。

週に3日、部屋の掃除と洗濯をお願いして、約1万円を給料として払いました。

日本にいたときは忙しくて、「月に2回1万円で掃除をしてくれる人がいないかなぁ」などと思っていたのですが、タイではそれがいとも簡単に手に入ったのです。


そういう日常の生活では、自分が急に金持ちになった気分がして、気持が良かったのです。

金持ちの感覚というのは、自分が力強くなったとか、大きくなったという感覚に近いです。パワーアップした自分です。

自分にパワーがあると感じることは、人にとって喜びなのですね。

ですから、タイで暮らすことそのものは、楽しく感じたのです。

 

しかし一方で、仕事は大変でした。

言葉の問題もありますが、それ以上に文化の違いが大きいのです。

一言で言うなら、タイ人はあまり合理性がない文化を持っています。


たとえて言うなら、ある目的地に向かう場合に、日本人だったら何も言わなくても最短経路を選択するでしょう。あるいは、もっとも経済的なルートです。

そこには、合理的な理由で選択するという思考があるのです。

ところがタイ人は、多くの場合にそれがありません。

ですからタクシーに乗った時など、「わざと遠回りされてボラれちゃったよ」と言う日本人がいますが、あれは間違いです。

タイ人の運転手からすれば、ただその道を知っているからという理由で、その遠回りの道を選択しただけかもしれないのです。

わざと遠回りをして多めに料金をもらおうなどという計算ができるタイ人は、ほとんどいないと言って良いと思います。


こういう文化の違いがどうして問題になるかと言うと、日本人が「こうするのが当然でしょう」と思うことを、タイ人は当然とは思っていないからです。

そのため、依頼したことが思い通りにならないと、「どうしてそうなるの?普通こうでしょう?」と言いたくなるのです。


たとえば、家を建てるところを見ると面白いですよ。

基礎を作って柱を立てるのは良いのですが、そのあとで床にタイルを敷いたりします。

「えっ、まだ壁や天井ができてないのに。ペンキで汚れちゃうじゃないの?」

日本人だったら当然のように、こうした段取りを考えます。そして、なるべく無駄のないように、効率的な順番で作業をするでしょう。

けれどもタイ人は違います。思いついたところからやるのです。やって上手くいかなかったら修正するのです。

案の定、新しい床のタイルは、天井や壁に塗ったペンキなどで汚れてしまいます。

そのあとを一所懸命にきれいしにしていますが、日本人からすれば無駄な作業ですよね。

「だから言わないこっちゃない。そうなることは見え見えじゃないの?少しは頭を使ったら?」

そう罵倒したくなるのですが、この感覚の違いは大きいですね。


こんな感じですから、納期など守られるはずがありません。約束など、半分は忘れています。

こういう文化を持つタイ人と一緒に仕事をすると、ストレスが溜まりますよ。私も、何度もキレそうになりました。(笑)

 

そのうち、自分の身を守るようになります。

ストレスが溜まって苦しむのは自分ですから、最初からストレスが溜まらないように予防するのです。

たとえば、「どうせ期日なんて守られない」と考えて、余裕を持って仕事を依頼するとか、複数の仕事をいっぺんに依頼しても忘れるだろうからと、非効率でも1つひとつ仕事を依頼するなど、やり方が変わってきます。

そして、効率的だとか時間を守るという価値観を重視しなくなります。

それらを重視するから、タイ人の対応に腹が立つのです。ですから重視しないことによって、自分の身を守るのです。


これを俗に「タイ(退)化する」と言っています。

3年もタイで仕事をすると、日本に戻ってから3ヶ月くらいのリハビリ期間が必要だと言われるほど、価値観が変わってしまうのです。

5年以上いると、日本では使い物にならないとさえ言われます。おそらく私も、そうなのでしょう。(笑)


タイの社会に完全に埋没してしまえば、「タイ(退)化」しても問題はありません。

しかし、日本の企業から出向で来ている人は、日本とのやりとりが日常的に発生します。

すると、日本からは「どうしてこれができないんだ!?」と責められることになります。日本の常識からすれば、できて当たり前だからです。

できない理由はありません。でも、タイ人を使ってやらなければならない状況では、それは簡単なことではないのです。

そのため、「だってここはタイだから」という、まったく理由として成立しないような理由を言うしかなくなるのです。

そしてあまりに責められて頭にくると、「だったらお前がここに来てやってみろよ!やってみたら、どれだけ大変かわかるからさ。」とキレることになるのです。


私の場合は幸いにも、日本側との接点が少なくなってきています。意図的に少なくしてきたとも言えますけど。

そのため今では、以前ほどはストレスを感じないでいられます。

それでも時には、価値観の違いに直面させられて、イライラしてしまうことはあります。

でもそれを、いろいろなことを気づかせてくれるチャンス(機会)なのだと考えるようにしています。

 

実際、そんな非効率で合理性があまりないタイ人でも、最終的にはみごとなものを作ったりしています。

あるいは任せた仕事を、与えた納期に間に合わないとしても、こちらが設定しているぎりぎりの期限には間に合わせてくるのです。

ですから、彼らのやり方でも、最終的には80%以上、いや90%以上はちゃんとできているのです。

残りの10%くらいの精度を上げようとして、日本人は命を削るが如く必死になっているとも言えます。


「概ね上手くいっているのに、わずかなことまで完璧にしようとして、あくせくしてイライラするのは、本当に人間らしいことなのだろうか?」

そう考えるようになってから、だんだんと心が自由になってきたように思います。

私は完全主義者の典型でしたから、タイ人の生き方には、「こんな生き方でも許されるんだ」という驚きとともに、解放感を感じました。

いいかげんな生き方をしているようで、それが実はちょうど良い加減なのかもしれない。

自分の生き方を別の視点からながめてみることで、他の選択肢もあることが見えてきたのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:29 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

「また、必ず会おう」と誰もが言った。



著者の喜多川泰さんも、こういう本が出ていることも、まったく知りませんでした。

ひょんなことからFacebook上でサンマーク出版鈴木七沖さんと知り合いになり、その紹介でこの本を買いました。

鈴木さんがそれほど自信を持って勧められるなら間違いないだろうと思って買ったのですが、まさにビンゴでしたね。


通称は「またかな」。3ヶ月後(9月28日全国ロードショー)に映画が封切られるという情報が入ったので、早めに読んでおこうと思いました。

それで昨日、未読の約30冊の中から取り出して、自宅に持ち帰ったのです。

読み始めたら、すぐに引き込まれてしまいました。

ネタバレになるので詳細には語れませんが、どこにでもいるような高校生の何気ないウソがきっかけで、とんでもない冒険旅行が始まるです。

そしてそこで出会う人の人生を巻き込みながら、貴重なアドバイスをもらって成長していく。それと同時に、巻き込まれた人々を幸せにしていくのです。


最近、本田健さんの本をよく読んでいるのですが、そこに書かれているような重要なポイントが、すべて物語の中に網羅されている感じです。

本の帯には、「こんなに泣ける本はない」と言って、本のソムリエの清水克衛さんが推薦されていました。

たしかに私も泣けましたけど、号泣ではありません。静かな感動の涙です。


そして、その日の内に読み終えてしまいました。

読みやすいこともありますが、ぐいぐいと引き込まれるので、本を置けないのです。

もう少しで終わりというころ、私はこの本を私の甥っ子に贈りたくなりました。

大学に進学したものの悩んで、休みがちになっていた甥っ子です。精神が不安定になったときは、「死にたい」とまで漏らしたのだとか。

その甥っ子が私を尋ねてタイに来たとき、私は、私の人生を示し、私の思いを伝えようと思いました。

しかし今思えば、この本の登場人物ほど、上手い教え方ができなかったなあと反省しました。

その代わりでもありませんが、この本を贈って、読んでほしいと思ったのです。


私の甥っ子に、また、悩める多くの青年たちに伝えたいのです。

あなたは素晴らしい存在だ。だから自分を信じて、自分らしく生きなさい。

あなたは自由だ。周りの大人たちの言うことに従う必要はありません。

自分の心の深いところに尋ねて、それが本当に自分らしいかどうかを考えなさい。

そうすればいつか、必ず使命と出合うでしょう。あなたの命を使って惜しくないものと出合うはずです。

輝かせなさい、あなたの生命を。この世は、そのためにあるのですから。

不安と罪悪感にひるまないで。それらは幻想に過ぎないのですから。

希望と勇気を胸に、人生を謳歌してください。

あなたが輝けば、周りが輝き出します。

あなたは人々に幸せをもたらし、それによってまた自分も幸せになるのです。

「また、必ず会おう」と誰もが言った。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:26 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ