ときどき妻のことを書いていますが、22歳年下の妻は、とても切れやすい性格です。
ヒステリック体質とでも言うのでしょうか。
機嫌が良いと思っていても、何かの拍子にパッと表情が変わってしまいます。
「逆鱗に触れる」という表現がありますが、本当にそういう印象ですね。
私自身は、何がそんなに怒らせることなのかよくわからないことで、激怒することがよくあります。
ここのところ、あまりそういうことがなかったのですが、昨夜は久々に切れました。
昨夜は妻と、恒例の映画デートだったのです。
見た映画は、「ジャックと豆の木」。こういう童話をモチーフにした映画がけっこうありますね。
映画を見る約束を妻としたのですが、私には気がかりがありました。
それは、日曜日にソフトボールをやる予定なのですが、その道具を友人から預からなくてはならなかったのです。
道具を持っている(正確には私から預かっている)友人が仕事が忙しく、何時に会えるかわからないと言います。
客のアテンドがあるから、夜10時までは無理だと思われることから、私は妻と映画を観て、その後、部屋で待てばちょうど良いと考えたのです。
でも最悪、映画の最中に電話があったら、抜けだして受け取れば良いとも考えました。
映画館の前で妻と落ち合い、チケットを買いました。
それから食事へ行こうとしたとき、私は妻に言いました。
「もし友だちから電話があったら、抜けだして荷物を受け取りに行くからね。」
すると妻の表情が変わりました。
「どうしてそれを先に言わないの!?」
「それだったらチケットを買わずに、食事だけすれば良かったのに。」
いや、そんなことを言われても、もうチケットは買っちゃったし...。
それに私がどう考えたかなど、詳細をきちんとタイ語で説明できるほど、私はタイ語が堪能ではありません。
詰問調の問にどう答えようと、それはむなしいことだとも思いますし。
「しょうがないじゃん。もう買っちゃったんだし。」
「あなたはいつもそうやって「しょうがない、しょうがない」って言うばかり。どうして先に言わないのよ!?」
私はもう、黙るしか仕方ありません。
まあ、そのうち気が収まるでしょう。
そう考えながら、妻の後をついてレストランに入ります。
しばらく無言で食事をしました。味気ないですね。
「怒ってるの?」
しばらくして妻がそう尋ねます。どうやら、機嫌を直してくれたようです。
私は説明しました。
「さっき友人へはSMSで、22:30くらいまで映画だから、その後、部屋で荷物を受け取ると伝えておいたから。きっとだいじょうぶだよ。」
食事の後、友人から電話があり、道具はアパートに預けておいてくれることになりました。
これで安心して映画を観られます。良かった、良かった。
と、これで丸く収まれば良かったのです。
そうは行かないから、人生は面白いんですよね。
映画を楽しんでアパートに戻ると、ロビーに道具が預けてありました。
それを受け取り、リフト(エレベーターのこと)に乗ろうとしたとき、妻が尋ねました。
「これは誰のもの?」
厳密にはチームのものなのでしょうけど、説明が面倒だから「私のもの」と答えました。
すると、「今まで見たことがない。」と言います。
それで、「いつもはオフィスに置いてあるから。」と答えます。
「じゃあどうして、今日は部屋に持ってくるの?」
なかなか妻はしつこいです。
「友だちに預けてあったのを受け取ったんだよ。」
そう前から言っているのにと、だんだんとうっとうしくなります。
「どうして今日は友だちから受け取るのよ?」
もう面倒です。「アティバイ・ヤーク(説明するのが難しい)」そう言って、この話を終わらせようとしました。
ところが妻はあきらめません。
「何が難しいのよ?いつもは部屋に置いてないのに、どうして今日は持って帰るの?」
だんだんと声が機嫌悪そうな感じになってきたので、また私は黙ることになりました。
「あなたはすぐにアティバイ・ヤークとか言って、きちんと話さないじゃないの。話したくないなら、話さなくてもいいわよ。」
なんでこんなことで機嫌が悪くなるかなあ?本当に困ったものです。
その後、妻はシャワーを浴びて着替えると、一言も発さずに寝てしまいました。
私は、嫌な気分を抱えたまま、リビングのソファーにいました。
すぐに妻の横に行って寝る気にはなりません。
スマホのゲームをやっても気もそぞろで、ちっとも楽しくありません。
「そうだ、本を読もう。そうすれば、また考え方も変わるだろうから。」
そう思って、読みかけの「神との対話」を読み始めました。
本の内容に気持ちが集中していくと、だんだんと私の気持ちも落ち着いてきました。
わかっているんです。いつものことです。明日になれば、妻も機嫌を直すでしょう。
私には、いろいろな選択肢があります。
「オレがタイ語で説明できないのがいけないんだよな。オレってダメだなあ。」というように考えて、自己卑下することもできます。
「いちいちこんなことで切れるなよ。気分が悪い。いつだって別れてもいいんだからな。いい女は、他にもいっぱいいるし、別に1人でも困らないんだから。」と考えて、妻を責めることもできます。
でも、私はどちらも選択しません。なぜなら、それらはどちらも私らしくないと感じるからです。
私は、愛を経験したい。私の魂は、そういう私のために、最善の条件を用意してくれたはずです。
ですから、私はこの状況でも愛を選びたいのです。
私が妻を愛するのは、妻が優しいからでも、性格が良いからでも、美人だからでもありません。
私が愛することを決めたから愛するのです。愛する条件などないのです。
仮に妻が私に対してひどいことをしようとも、私はそれに対して愛することしかしないと決めました。
なぜなら、私は愛を経験したいから。
そのことを思い出しながら本を読んでいると、穏やかないつもの気分になれました。
「さあ、そろそろ寝るか。」
妻を起こさないように気遣いながら、そっとベッドに横たわります。
小声で、「おやすみ」と声を掛けます。
横で寝息を立てている妻を見ながら、私は心の中で言いました。
「結婚してくれてありがとうね。別れずにいられるのは、あなたのお陰だ。私から別れるという選択肢はないけれど、あなたは自由だから。それでも別れずにいてくれるのだから、本当にありがたいことだと思うよ。」
今朝、妻の機嫌は直っていました。
いつも通りにハグしてキスをして、出勤する私を見送ってくれました。
2013年03月01日
2013年03月02日
この世に偶然起こる出来事は1つもない理由
今朝、「神との対話」シリーズの1冊目を読み終えました。
続けて2冊目に入ります。
私がどうしてこんなにもこのシリーズにハマったかと言うと、やはりそこに私の真実があったからだと思うのです。
つまり、魂が喜ぶ体験とでも言うのでしょうか、「これだよ、これ。」と心の底から思えたからです。
最初は意味がわからないこともあったし、オカルトっぽく感じたこともありました。
でも、どうしても「ここには何かがある」という思いが捨てられなかったのでしょうね。
特に、よく言われるようなことでも、そこに論理的な理由が示されていることが大きかったです。私は理屈っぽい性格ですから。
たとえば、「この世に起こることはすべて必然で、偶然はない。」などと言います。
今では私もそう言いますが、どうしてそんなことが言えるのでしょうか?
その理由を「神との対話」では、明確に示しています。
つまり、出来事は私たち自身が創造しているから。
よく考えてみてほしいのです。
もともと起こっている出来事の中で、たまたま時間と空間が一致したときに体験するのだとしたら、これは偶然に左右されないはずがありません。
中には必然的に導かれるものもあるでしょうけど、多くは偶然でしょう。
だって、その時間にその場所にいるかどうかなんて、今の私にはわからないし、何によって予定が変わるかもしれないのです。
でもそれが、私たちが自分でその出来事を創造しているとしたらどうでしょう?
原因はすべて自分にあります。自分が原因となって、出来事という結果を生み出しているのです。
これは原因と結果の法則に縛られていますから、必然でないはずがありません。
「いや、そうは言っても出来事には1人で経験するものばかりじゃなく、いやむしろ、多くは何人かで経験することじゃないの。それを自分だけが原因かのように言われても...。」
気持ちはわかります。私も同じように思いましたから。
そこを「神との対話」では、集団的な意識が集団としての経験を生むと説明します。
つまり自分一人の思いではなく、私たちの思いが合成されて、1つの出来事を引き寄せるのだと。
「それぞれが自由に考えることができて、その考えが原因となって出来事を引き寄せるのでしょう?誰と誰がどこでどんな出来事に遭遇するかなんて、そんな複雑なパズルみたいな組合せができるはずないでしょう。」
これについても、私も同じように考えました。
まあたしかに神様は全知全能ですから、そんなことができるのかもしれませんけどね。
それにしても、神が人間の考えにノータッチなら、なかなか難しいことのように思います。
それを「神との対話」では、私と神とは一体であり、あなたと神ともまた一体だと説明します。
つまり、私たちはバラバラのように見えて、実は「ひとつのもの」なのだと言うのです。
もし「ひとつのもの」であるなら、そんな複雑なパズルの組合せも、不可能ではないかもしれません。
他にも、「私たちはなぜ自由を喜び、自由をもっとも大切に考えるのか?」「思考が原因で出来事が結果なら、どうして思い通りにできないことがあるのか?」「性欲を抑えないと大変なことになるのに、どうしてそんな危険な性欲というものを人は持ち、セックスに対して大きな快楽を感じてしまうのか?」などなど。
様々な疑問に感じることに対して、論理的に理由を説明しています。
そしてそれらの説明に矛盾がなく、体系的になっています。全体的に理論が統合されているのです。
その美しさに感動しました。
この本の中で、まずは自分がそのように生き、その真実を包み隠さずに語ることだとありました。
ですから私は、そうしようと思ったのです。
それが具体的にどう誰かの役に立つのかとか考えず、ともかく自分がそのように生きることと、私自身のことを正直にすべて話そうと思いました。
このブログは、その試みでもあるのです。
さて、今日はFacebook友だちの福本さんに紹介されて、「つぼやクリニック」というところへ行って来ました。
なんでも金気功を取り入れ、鍼灸と同じように筋肉の疲れを取り、身体を癒してくれるのだとか。
福本さんが、つぼやクリニックの野村先生が私とよく似ていると言うので、興味を持ったのです。
いつもなら、「あまり必要とも思えないし、適当なことを言って、行かずにおこう。」と思うところです。
ともかく自分のことに対してはお金をかけないのが私のモットーですから。
病院も、滅多なことでは行かないと決めていますし。
しかし今回は、せっかく紹介されたのだから行ってみようと思いました。
ちょうどヒザとヒジを痛めていて、特に最近痛めたヒジが良くならないと、ソフトボールもゴルフもできなくなりそうです。
それで、その治療もできるならということで、予約したのです。
行ってみると、小さな整体院といった感じです。
でも整体とはまたちょっと違った感じで、患部あたりをポンポンと指で叩きながら施術してくださいます。
聞くと、金箔(金粉?)を塗り込みながら、筋肉を緩めたり引き締めたりするのだそうです。
原理的には針とかお灸とかと同じようなのですが、それを金箔を使ってやっているのだとか。
どうやってそういう方法を見つけたのか尋ねると、タイに来て、みんなが仏像に金箔を貼っているのを見たとき、何かあると感じたのだそうです。
日本の寺社などで香を炊いて、その煙を頭にかけたり、身体の位が悪いところにかけるという風習がありますが、実はあれも元はお灸から来ているのだそうです。
ですからそういう風習には、何か理由があるはずと睨んだわけですね。
目が悪い人は仏像の目に金箔を貼る。そういうタイの風習から、金箔と治療の関係に気づき、鍼灸師としての経験から、試してみた金箔でも同様の効果があったということなのでしょう。
ヒジは筋肉が弱っているとかで、その働きを強めるためのテーピングをしてもらいました。
そして、筋肉を強めるための運動を毎日するようにと、その方法も教わりました。
「ヒザは潤滑油不足ですね」と言われ、こちらはなかなか治りにくいようです。
35歳くらいのとき、富士山へ登る準備として高尾山に登ったとき、下りの途中で痛めた左ヒザです。
そして富士山登山のときも、下りで歩けないほど痛くなりました。
草野球でキャッチャーをしていて、その立ったり座ったりの動作の中でも右ヒザを痛めました。
タイに来てからはなんともなかったのですが、2年くらいまえ、曲げ伸ばしすると関節がポキポキと音がするようになってから、すぐに両膝が痛くなりました。
病院へも行きましたが、結局、炎症が引くまで待っただけで、何も治療らしいことをしていません。
今は痛みはほとんどないもの、ヒザの違和感は残ったままで、不安で走れない状態です。
さて、こんなヒジとヒザの故障ですが、金気功とやらで治るのでしょうか?
野村先生は、タイに9年住まわれているとか。
プーケットの津波、クーデター、黄シャツによる空港閉鎖、赤シャツと警備隊との衝突、洪水など、共通する話題で盛り上がりましたよ。
風貌は、たしかに私と似ているところもありますね。
しばらく通ってみようと思っています。
続けて2冊目に入ります。
私がどうしてこんなにもこのシリーズにハマったかと言うと、やはりそこに私の真実があったからだと思うのです。
つまり、魂が喜ぶ体験とでも言うのでしょうか、「これだよ、これ。」と心の底から思えたからです。
最初は意味がわからないこともあったし、オカルトっぽく感じたこともありました。
でも、どうしても「ここには何かがある」という思いが捨てられなかったのでしょうね。
特に、よく言われるようなことでも、そこに論理的な理由が示されていることが大きかったです。私は理屈っぽい性格ですから。
たとえば、「この世に起こることはすべて必然で、偶然はない。」などと言います。
今では私もそう言いますが、どうしてそんなことが言えるのでしょうか?
その理由を「神との対話」では、明確に示しています。
つまり、出来事は私たち自身が創造しているから。
よく考えてみてほしいのです。
もともと起こっている出来事の中で、たまたま時間と空間が一致したときに体験するのだとしたら、これは偶然に左右されないはずがありません。
中には必然的に導かれるものもあるでしょうけど、多くは偶然でしょう。
だって、その時間にその場所にいるかどうかなんて、今の私にはわからないし、何によって予定が変わるかもしれないのです。
でもそれが、私たちが自分でその出来事を創造しているとしたらどうでしょう?
原因はすべて自分にあります。自分が原因となって、出来事という結果を生み出しているのです。
これは原因と結果の法則に縛られていますから、必然でないはずがありません。
「いや、そうは言っても出来事には1人で経験するものばかりじゃなく、いやむしろ、多くは何人かで経験することじゃないの。それを自分だけが原因かのように言われても...。」
気持ちはわかります。私も同じように思いましたから。
そこを「神との対話」では、集団的な意識が集団としての経験を生むと説明します。
つまり自分一人の思いではなく、私たちの思いが合成されて、1つの出来事を引き寄せるのだと。
「それぞれが自由に考えることができて、その考えが原因となって出来事を引き寄せるのでしょう?誰と誰がどこでどんな出来事に遭遇するかなんて、そんな複雑なパズルみたいな組合せができるはずないでしょう。」
これについても、私も同じように考えました。
まあたしかに神様は全知全能ですから、そんなことができるのかもしれませんけどね。
それにしても、神が人間の考えにノータッチなら、なかなか難しいことのように思います。
それを「神との対話」では、私と神とは一体であり、あなたと神ともまた一体だと説明します。
つまり、私たちはバラバラのように見えて、実は「ひとつのもの」なのだと言うのです。
もし「ひとつのもの」であるなら、そんな複雑なパズルの組合せも、不可能ではないかもしれません。
他にも、「私たちはなぜ自由を喜び、自由をもっとも大切に考えるのか?」「思考が原因で出来事が結果なら、どうして思い通りにできないことがあるのか?」「性欲を抑えないと大変なことになるのに、どうしてそんな危険な性欲というものを人は持ち、セックスに対して大きな快楽を感じてしまうのか?」などなど。
様々な疑問に感じることに対して、論理的に理由を説明しています。
そしてそれらの説明に矛盾がなく、体系的になっています。全体的に理論が統合されているのです。
その美しさに感動しました。
この本の中で、まずは自分がそのように生き、その真実を包み隠さずに語ることだとありました。
ですから私は、そうしようと思ったのです。
それが具体的にどう誰かの役に立つのかとか考えず、ともかく自分がそのように生きることと、私自身のことを正直にすべて話そうと思いました。
このブログは、その試みでもあるのです。
さて、今日はFacebook友だちの福本さんに紹介されて、「つぼやクリニック」というところへ行って来ました。
なんでも金気功を取り入れ、鍼灸と同じように筋肉の疲れを取り、身体を癒してくれるのだとか。
福本さんが、つぼやクリニックの野村先生が私とよく似ていると言うので、興味を持ったのです。
いつもなら、「あまり必要とも思えないし、適当なことを言って、行かずにおこう。」と思うところです。
ともかく自分のことに対してはお金をかけないのが私のモットーですから。
病院も、滅多なことでは行かないと決めていますし。
しかし今回は、せっかく紹介されたのだから行ってみようと思いました。
ちょうどヒザとヒジを痛めていて、特に最近痛めたヒジが良くならないと、ソフトボールもゴルフもできなくなりそうです。
それで、その治療もできるならということで、予約したのです。
行ってみると、小さな整体院といった感じです。
でも整体とはまたちょっと違った感じで、患部あたりをポンポンと指で叩きながら施術してくださいます。
聞くと、金箔(金粉?)を塗り込みながら、筋肉を緩めたり引き締めたりするのだそうです。
原理的には針とかお灸とかと同じようなのですが、それを金箔を使ってやっているのだとか。
どうやってそういう方法を見つけたのか尋ねると、タイに来て、みんなが仏像に金箔を貼っているのを見たとき、何かあると感じたのだそうです。
日本の寺社などで香を炊いて、その煙を頭にかけたり、身体の位が悪いところにかけるという風習がありますが、実はあれも元はお灸から来ているのだそうです。
ですからそういう風習には、何か理由があるはずと睨んだわけですね。
目が悪い人は仏像の目に金箔を貼る。そういうタイの風習から、金箔と治療の関係に気づき、鍼灸師としての経験から、試してみた金箔でも同様の効果があったということなのでしょう。
ヒジは筋肉が弱っているとかで、その働きを強めるためのテーピングをしてもらいました。
そして、筋肉を強めるための運動を毎日するようにと、その方法も教わりました。
「ヒザは潤滑油不足ですね」と言われ、こちらはなかなか治りにくいようです。
35歳くらいのとき、富士山へ登る準備として高尾山に登ったとき、下りの途中で痛めた左ヒザです。
そして富士山登山のときも、下りで歩けないほど痛くなりました。
草野球でキャッチャーをしていて、その立ったり座ったりの動作の中でも右ヒザを痛めました。
タイに来てからはなんともなかったのですが、2年くらいまえ、曲げ伸ばしすると関節がポキポキと音がするようになってから、すぐに両膝が痛くなりました。
病院へも行きましたが、結局、炎症が引くまで待っただけで、何も治療らしいことをしていません。
今は痛みはほとんどないもの、ヒザの違和感は残ったままで、不安で走れない状態です。
さて、こんなヒジとヒザの故障ですが、金気功とやらで治るのでしょうか?
野村先生は、タイに9年住まわれているとか。
プーケットの津波、クーデター、黄シャツによる空港閉鎖、赤シャツと警備隊との衝突、洪水など、共通する話題で盛り上がりましたよ。
風貌は、たしかに私と似ているところもありますね。
しばらく通ってみようと思っています。
2013年03月04日
損を引き受ける覚悟を決める
昨日は、ソフトボールをしました。
朝からどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうでしたが、幸いに天気が持ちこたえてくれました。
その代わり、蒸し暑くてサウナ状態でしたけどね。
12時に練習を終え、昼食をとりにレストランへ向かうときに降り始め、到着したときは土砂降りに。
こういうスコールは久しぶりです。
昼食が終わって外に出ると、雨はほとんどやんでいました。
本当にラッキーです。
部屋に戻って、また「神との対話」シリーズを読んでいました。
そのときふと、頭に浮かんだことがありました。
それは、私がかつて、「損を受け入れよう」と決めた時のかすかな記憶です。
すっかり忘れていましたが、たしかにそういう決断をしたのです。
そのとき、どういう出来事があったのか覚えていません。
でも覚えているのは、起こる出来事の中で、「上手に生きよう」とすることに疲れたのです。
たとえば、誰もがやりたくないことだけど、誰かがやらなければならないことがあったとしましょう。
最初に「あ、それ、私はできないから。」と言って、いち抜けたと抜けられる人がうらやましかったのです。
だって、損なことをせずに済むわけですから。私だって、できることなら損はしたくありませんよ。
でも、それをすると「ひどいやつ」と思われるのではないかと心配で、そういう自分勝手(私はそう考えていたのです)なことができませんでした。
また、最後に引き受けさせられる人のことを思うと、その苦悩が伝わってくるようで、それを無視することも苦しかった。
損することより得することをしたい。けれども、それをはっきり言うと角が立つ(=悪く思われる)。そのジレンマがあったのです。
もし自分が得することをやってしまうと、今度は他人から批判されるのを防がなければならないと感じます。
自分のやったことを正当化しなければならないのですが、それがまた疲れるのです。
そういうことをあれこれ考えた末、私は決めました。
「いい。もう損してもいいから、やらなければならないことがあったら自分がやろう。そう決めておけば、誰も恨まなくて済む。少なくともその方が気持ちがいい。」
まだ「神との対話」を読む前だったと思いますが、私はそんなことを考えたのです。
もちろん、すぐにそれが実行できたわけではありません。
けれども、何度もそういう出来事を経験する中で、少しずつそういう生き方が身についてきたように思います。
前にも書きましたが、タイに来ることを決めたのもそうでした。
私は東京からJターンで岡山の会社に転職したのです。
実家のある島根県に近く、それでいて適度に都会的な街。岡山市での生活は、私の希望どおりだったのです。
だから一生、そこに暮らすつもりで分譲マンションを購入しました。
そんなときに、タイへ赴任する話が持ち上がったのです。
上司は、タイでの仕事のことは話すものの、私に行けとは一言も言いません。
おそらく、それが大変な負担だとわかっているので、言い出せないでいたのだと思います。
そう感じたから、私から言ったのです。「私が行きましょうか。」
私のいた会社で、どう考えても適任者は私しかいませんでした。
独身であること、システム開発に精通したSEであること。
タイという国のこともよく知らず、英語も話せないのに、私は引き受けようと決めたのです。
自分が得をしたいという気持ちは、まったくありませんでした。
いや、考えてしまうと引き受けられなくなると感じたから、あえて考えなかったように記憶しています。
ただそうすることが私らしいことだと思ったから、私の魂の声にしたがうことにしたのです。
その結果が今の私です。
経済的には、赴任する前よりもかなり豊かになりました。
今は少し傾いていますけど。(笑)
でも、それも何とかなると思っています。
それに何より、とても幸せな生活を送っています。
今、ソフトボールチームのリーダーをやっています。
リーダーと言えば聞こえがいいですが、要は裏方です。
裏方の仕事は、練習や試合の進行、グランドの手配、他チームとの交渉、用具の管理、チームメンバーへの伝達、会費の管理など。
以前は一時期、これをすべて私が受け持ってしまったことがあり、さすがにパニクってしまいました。
それで、他のメンバーにも少しずつ負担してもらうようにして、何とか続けています。
メンバーがソフトボールを楽しむためには、誰かが裏方をやらなければなりません。
そういう人がいないと、集団はなりたたないのです。
誰もがやりたがらない裏方です。私だって、本心で言えばやりたくはありません。
負担ばかりあって、何の見返りもないのですから。
活動日にだけ気楽に参加して楽しめれば、こんな楽なことはないでしょう。
でも、私の魂はそれを望まないのです。
そのことは、私自身がよーくわかっています。
ですから、損とはわかっていても、裏方をやろうと決めたのです。
それでも、他のメンバーが思ったように動いてくれないときなど、イライラすることもたまにあります。
でもそんな時は、そういう出来事があるからこそ、その中で私らしさを表現することができるのだと、思うようにしています。
目先の損得にとらわれず、魂が喜ぶ生き方をしよう。
その決意を新たにするのです。
朝からどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうでしたが、幸いに天気が持ちこたえてくれました。
その代わり、蒸し暑くてサウナ状態でしたけどね。
12時に練習を終え、昼食をとりにレストランへ向かうときに降り始め、到着したときは土砂降りに。
こういうスコールは久しぶりです。
昼食が終わって外に出ると、雨はほとんどやんでいました。
本当にラッキーです。
部屋に戻って、また「神との対話」シリーズを読んでいました。
そのときふと、頭に浮かんだことがありました。
それは、私がかつて、「損を受け入れよう」と決めた時のかすかな記憶です。
すっかり忘れていましたが、たしかにそういう決断をしたのです。
そのとき、どういう出来事があったのか覚えていません。
でも覚えているのは、起こる出来事の中で、「上手に生きよう」とすることに疲れたのです。
たとえば、誰もがやりたくないことだけど、誰かがやらなければならないことがあったとしましょう。
最初に「あ、それ、私はできないから。」と言って、いち抜けたと抜けられる人がうらやましかったのです。
だって、損なことをせずに済むわけですから。私だって、できることなら損はしたくありませんよ。
でも、それをすると「ひどいやつ」と思われるのではないかと心配で、そういう自分勝手(私はそう考えていたのです)なことができませんでした。
また、最後に引き受けさせられる人のことを思うと、その苦悩が伝わってくるようで、それを無視することも苦しかった。
損することより得することをしたい。けれども、それをはっきり言うと角が立つ(=悪く思われる)。そのジレンマがあったのです。
もし自分が得することをやってしまうと、今度は他人から批判されるのを防がなければならないと感じます。
自分のやったことを正当化しなければならないのですが、それがまた疲れるのです。
そういうことをあれこれ考えた末、私は決めました。
「いい。もう損してもいいから、やらなければならないことがあったら自分がやろう。そう決めておけば、誰も恨まなくて済む。少なくともその方が気持ちがいい。」
まだ「神との対話」を読む前だったと思いますが、私はそんなことを考えたのです。
もちろん、すぐにそれが実行できたわけではありません。
けれども、何度もそういう出来事を経験する中で、少しずつそういう生き方が身についてきたように思います。
前にも書きましたが、タイに来ることを決めたのもそうでした。
私は東京からJターンで岡山の会社に転職したのです。
実家のある島根県に近く、それでいて適度に都会的な街。岡山市での生活は、私の希望どおりだったのです。
だから一生、そこに暮らすつもりで分譲マンションを購入しました。
そんなときに、タイへ赴任する話が持ち上がったのです。
上司は、タイでの仕事のことは話すものの、私に行けとは一言も言いません。
おそらく、それが大変な負担だとわかっているので、言い出せないでいたのだと思います。
そう感じたから、私から言ったのです。「私が行きましょうか。」
私のいた会社で、どう考えても適任者は私しかいませんでした。
独身であること、システム開発に精通したSEであること。
タイという国のこともよく知らず、英語も話せないのに、私は引き受けようと決めたのです。
自分が得をしたいという気持ちは、まったくありませんでした。
いや、考えてしまうと引き受けられなくなると感じたから、あえて考えなかったように記憶しています。
ただそうすることが私らしいことだと思ったから、私の魂の声にしたがうことにしたのです。
その結果が今の私です。
経済的には、赴任する前よりもかなり豊かになりました。
今は少し傾いていますけど。(笑)
でも、それも何とかなると思っています。
それに何より、とても幸せな生活を送っています。
今、ソフトボールチームのリーダーをやっています。
リーダーと言えば聞こえがいいですが、要は裏方です。
裏方の仕事は、練習や試合の進行、グランドの手配、他チームとの交渉、用具の管理、チームメンバーへの伝達、会費の管理など。
以前は一時期、これをすべて私が受け持ってしまったことがあり、さすがにパニクってしまいました。
それで、他のメンバーにも少しずつ負担してもらうようにして、何とか続けています。
メンバーがソフトボールを楽しむためには、誰かが裏方をやらなければなりません。
そういう人がいないと、集団はなりたたないのです。
誰もがやりたがらない裏方です。私だって、本心で言えばやりたくはありません。
負担ばかりあって、何の見返りもないのですから。
活動日にだけ気楽に参加して楽しめれば、こんな楽なことはないでしょう。
でも、私の魂はそれを望まないのです。
そのことは、私自身がよーくわかっています。
ですから、損とはわかっていても、裏方をやろうと決めたのです。
それでも、他のメンバーが思ったように動いてくれないときなど、イライラすることもたまにあります。
でもそんな時は、そういう出来事があるからこそ、その中で私らしさを表現することができるのだと、思うようにしています。
目先の損得にとらわれず、魂が喜ぶ生き方をしよう。
その決意を新たにするのです。
2013年03月05日
ルールを教えてくれ
「神との対話」シリーズの2冊目を読んでいます。
昨日読んだ中に、ふと過去の記憶を呼び覚ますものがありました。
今日は、そのことを書きます。
以前の私は、ともかく周りの目を気にして生きていました。
ですから、学校などでは優等生です。
ルールは必ず守るし、先生の言いつけには従います。
親にとっても、先生にとっても良い子だったことは間違いありません。
しかし、それで私が幸せを感じていたわけでもありません。
たしかに優等生として褒められることは喜びでした。
けれども、ルールを守らない人たちへの嫌悪感、それを放置している先生たちへの憎しみなども、心の中に抱えていたのです。
今でこそ、エスカレーターに片側一列で並んで乗るのは異常だと言う私ですが、日本にいるときは、率先してそれにしたがっていました。
電車に乗るとき、乗降口の左右に分かれて並んでいる時など、降りる人を待たずに乗り込む人を見ると、どついてやろうかと思ったくらいです。
そのくらいルールに対して厳格で、ルールを守らない人を憎んでいました。
当然、ストレスの塊だったのです。
そしてまた、ルールがない環境に置かれると、とたんに身動きが取れなくなりました。
「いったい、どうしたらいいんだ?」
上下関係とかがはっきりしない雑多な人間関係の職場に置かれたとき、私は何をどうしたら良いかわからず、とまどってしまいました。
そして何も仕事ができないでいる私を、私の管理者にあたる他社の人が批判しました。
「赤木さんは、SEとしての仕事がまったくできてないよ。」
それは事実でした。事実だとわかっているから、よけいに悔しかったのです。
「ルールがわからないんだから、しょうがないじゃないか。だったらルールを教えてくれよ。」
今なら逆切れと言うのでしょうか。そう反論したい気持ちを押し殺し、私はその管理者に対しての憎しみを抱いたのです。
そんな私の記憶を呼び覚ます内容が、「神との対話A」に書かれていました。
ちょっと長いですけど、引用します。
「たいていのひとは何も考えたくないのだ。自分で考えなくてもいいように、指導者を選び、政府を支持し、宗教を採用する。「気楽にさせてくれ。どうしたらいいか、教えてくれ。」」
「たいていのひとは、それを望んでいる。どこに座ればいいか?いつ立てばいいか?どんなふうにあいさつすればいいか?いつ支払いをすればいいか?どうすればいい?ルールは?限界は?教えてくれ、教えてくれ。誰か教えてくれれば、そのとおりにするよ!それから、うんざりし、幻滅する。すべてのルールに従い、言われたとおりにしたのに。なのに、どうして、うまくいかないんだろう?どうして、こんなにつまらないのか?どうして、何もかもばらばらになってしまうのか?あなたが精神を、創造のための最高の道具(ツール)を捨てた瞬間に、ばらばらになるのだ。」
「もういちど精神とつきあうべきだ。精神と道連れになりなさい。そうすれば、それほど孤独ではなくなる。精神を養いなさい。そうすれば、飢えなくなる。」
(p.138)
まさに、昔の私の姿です。
ルールを求め、他人の指図を待って、そつなくこなすことだけを考えて生きてきました。
そうしなければ、生きていけないと感じていたから。そういう不安を抱えていたからです。
そして、そうしている自分のことを、おそらく自分らしくないと感じていたのでしょう。
だからその責任を他人に押し付けた。楽しい気分になれない原因を、すべて他人に求めたのです。
しかし、これでは他人に翻弄されるだけの人生です。
自分が自由に選択し、自分の人生を創るという生き方ではありません。
私自身が、私の魂が、喜べなくても当然だったのです。
そのことが、今になってみればわかります。
「ルールなんかくそくらえ!」
もし今あなたが、以前の私のような苦しみの中におられるのでしたら、ちょっとだけ考え方を変えてみませんか?
少なくともルールだから守るのではなく、自分が守る必要があると考えるから守るというように、考え方をシフトするのです。
そうすれば、ルールに縛られた被害者を演じなくて済みます。
交通規則を守るのも、会社に遅刻しないで出勤するのも、それがルールだからではなく、ルールを守るのが自分らしいから守る。
外見的には同じでも、意識の中ではまったく異なります。
ルールの奴隷から、ルールの主人へと自分自身を引き上げることになるのですから。
人生にあるのは常に機会です。義務ではありません。
自分とはいったい何なのか?
それを表現する機会なのですから。
昨日読んだ中に、ふと過去の記憶を呼び覚ますものがありました。
今日は、そのことを書きます。
以前の私は、ともかく周りの目を気にして生きていました。
ですから、学校などでは優等生です。
ルールは必ず守るし、先生の言いつけには従います。
親にとっても、先生にとっても良い子だったことは間違いありません。
しかし、それで私が幸せを感じていたわけでもありません。
たしかに優等生として褒められることは喜びでした。
けれども、ルールを守らない人たちへの嫌悪感、それを放置している先生たちへの憎しみなども、心の中に抱えていたのです。
今でこそ、エスカレーターに片側一列で並んで乗るのは異常だと言う私ですが、日本にいるときは、率先してそれにしたがっていました。
電車に乗るとき、乗降口の左右に分かれて並んでいる時など、降りる人を待たずに乗り込む人を見ると、どついてやろうかと思ったくらいです。
そのくらいルールに対して厳格で、ルールを守らない人を憎んでいました。
当然、ストレスの塊だったのです。
そしてまた、ルールがない環境に置かれると、とたんに身動きが取れなくなりました。
「いったい、どうしたらいいんだ?」
上下関係とかがはっきりしない雑多な人間関係の職場に置かれたとき、私は何をどうしたら良いかわからず、とまどってしまいました。
そして何も仕事ができないでいる私を、私の管理者にあたる他社の人が批判しました。
「赤木さんは、SEとしての仕事がまったくできてないよ。」
それは事実でした。事実だとわかっているから、よけいに悔しかったのです。
「ルールがわからないんだから、しょうがないじゃないか。だったらルールを教えてくれよ。」
今なら逆切れと言うのでしょうか。そう反論したい気持ちを押し殺し、私はその管理者に対しての憎しみを抱いたのです。
そんな私の記憶を呼び覚ます内容が、「神との対話A」に書かれていました。
ちょっと長いですけど、引用します。
「たいていのひとは何も考えたくないのだ。自分で考えなくてもいいように、指導者を選び、政府を支持し、宗教を採用する。「気楽にさせてくれ。どうしたらいいか、教えてくれ。」」
「たいていのひとは、それを望んでいる。どこに座ればいいか?いつ立てばいいか?どんなふうにあいさつすればいいか?いつ支払いをすればいいか?どうすればいい?ルールは?限界は?教えてくれ、教えてくれ。誰か教えてくれれば、そのとおりにするよ!それから、うんざりし、幻滅する。すべてのルールに従い、言われたとおりにしたのに。なのに、どうして、うまくいかないんだろう?どうして、こんなにつまらないのか?どうして、何もかもばらばらになってしまうのか?あなたが精神を、創造のための最高の道具(ツール)を捨てた瞬間に、ばらばらになるのだ。」
「もういちど精神とつきあうべきだ。精神と道連れになりなさい。そうすれば、それほど孤独ではなくなる。精神を養いなさい。そうすれば、飢えなくなる。」
(p.138)
まさに、昔の私の姿です。
ルールを求め、他人の指図を待って、そつなくこなすことだけを考えて生きてきました。
そうしなければ、生きていけないと感じていたから。そういう不安を抱えていたからです。
そして、そうしている自分のことを、おそらく自分らしくないと感じていたのでしょう。
だからその責任を他人に押し付けた。楽しい気分になれない原因を、すべて他人に求めたのです。
しかし、これでは他人に翻弄されるだけの人生です。
自分が自由に選択し、自分の人生を創るという生き方ではありません。
私自身が、私の魂が、喜べなくても当然だったのです。
そのことが、今になってみればわかります。
「ルールなんかくそくらえ!」
もし今あなたが、以前の私のような苦しみの中におられるのでしたら、ちょっとだけ考え方を変えてみませんか?
少なくともルールだから守るのではなく、自分が守る必要があると考えるから守るというように、考え方をシフトするのです。
そうすれば、ルールに縛られた被害者を演じなくて済みます。
交通規則を守るのも、会社に遅刻しないで出勤するのも、それがルールだからではなく、ルールを守るのが自分らしいから守る。
外見的には同じでも、意識の中ではまったく異なります。
ルールの奴隷から、ルールの主人へと自分自身を引き上げることになるのですから。
人生にあるのは常に機会です。義務ではありません。
自分とはいったい何なのか?
それを表現する機会なのですから。
2013年03月06日
自由を感じれば幸せになれる
昨日、恒例の幹部ミーティングを社内で行いました。
これは月に1回行なっているもので、参加者はスーパーバイザー以上の社員。
スーパーバイザーと言うのは、日本で言えば課長クラスでしょうか。
そこで何をするかというと、大抵は私がスピーチをして、質疑応答します。
もちろんタイ語ではなく、日本語でスピーチをします。そして、日本語が堪能な社員に、タイ語に通訳してもらいます。
これをもう何年もやっているので、通訳さんと私の息はピッタリです。
さて、昨日は「会社の目的」というタイトルでスピーチをしました。
先月は「人生の目的」だったので、それとどう関連するのかという視点で話しました。
人生の大半を会社で、あるいは仕事に関連して過ごすわけですから、会社の目的は、社員一人ひとりの人生の目的に寄与するものでなければならない、というのが結論です。
つまり、会社というのは社員のためにある、ということですね。
そして人生の目的というのが、自分らしく生きることであり、その前提として幸せになることであるから、会社は社員が幸せになれるように支援することが具体的な目的になると話しました。
けっこうすごいでしょ?
こんなスピーチを社員に対してする会社って、そうは多くないと思いますからね。
まあそれも、うちの会社の特色としていいんじゃないかと思っています。
話がそれましたが、さらに具体的に「会社が貢献する社員の幸せとは何か?」ということについても、一歩踏み込んで話しました。
まず、高い給料ということもあります。
ただし、お金があれば幸せになれるわけではない、という話も合わせて行いました。
お金があれば幸せになれるなら、貧乏人はみんな不幸で、金持ちはみんな幸福になりますが、そうとも限りませんから。
給料が高ければ幸せになりやすい、とは言えるでしょうけどね。
ではなぜ、給料が高いと幸せになりやすいのでしょうか?
それは、自由に使えるお金が増えるからだと思うのです。
つまり、金銭的な自由があれば、幸せを感じられます。
金銭的な自由とは、何かの為にお金を使いたいと思ったとき、それに見合ったお金がある、ということです。
いいですか?この文のパラメーターには2つあって、「使いたい」という欲求と、「使える」というお金のバランスがとれていれば自由だということです。
と言うことは、実際に「使える」お金が少ないなら、「使いたい」という欲求を減らすことでも、同じだけ自由を得られるということです。
ですから、持っているお金の多寡と、金銭的な自由は一致しないし、幸せとも関係がなくなるのです。
したがって究極的には、自分の意志で自由になれるし、幸せを感じることも可能です。
それは可能ですが、そうなる支援として、キャパを大きくする(=給料を上げる)ということもあるでしょう。
ただそうは言っても、無限に上げるわけにはいきませんので、自ずと限界というものもあります。
ここで重要なのは、キャパを大きくするということではなく、金銭的な自由があると幸せを感じられる、ということです。
そして、自由であれば幸せを感じられるというのは、何もお金に関してだけではありません。
時間についてもそうですよね。他にもいろいろあるでしょう。
いずれにせよ、様々な制約があったり、強制される環境に置かれると、自由を感じられなくなります。
したがって会社は、社員ができるだけ自由を感じて仕事ができる環境を提供することで、社員の幸せに貢献できると思うのです。
ただし、社員も意識を変えなければなりません。
指示待ち族とか言われるように、言われたことを言われたままに行うというのは、仕事ではなく単に作業です。
言われたままというのは、自分の自由にすることではなく、強制されること(=義務として行うこと)ですよね。
それでは社員自らが、自分を不自由な状態に置いているのと同じことになります。
ですから、義務としてではなく自発的に、仕事の依頼者(=顧客や上司・同僚)を助けるんだ、喜ばせるんだという気概を持って、仕事をしてほしいと思うのです。
会社は、社員ができるだけ自由に仕事ができるように支援します。
一方で社員は、自発的に仕事をしようと考えます。
こんな会社になったら、誰かが誰かを批判したり、不平不満を言うようなことがあるでしょうか?
仕事が楽しくなるし、仕事をしている間に幸せを感じられるはずです。
そんな会社にしたいなあ。それが私の理想なんです。
少しはわかってもらえたでしょうか。理解してもらえるといいのですけどね。
先日紹介したように、オフィスの照明の位置とスイッチを結びつけるアイデアを実行に移すというのも、この幹部ミーティングで依頼したものでした。
その結果があまりに素晴らしかったので、私は感動したことを伝え、その感動を表すために、さらに400バーツをポケットマネーから出して、担当した社員にあげました。前回のと合わせて、ちょうど500バーツにしてあげたのです。
「あなたは、まさに仕事をしたのです。依頼者を喜ばせ、感動させた。だから私は、喜んでもっと支払いたいと思った。仕事とは、そういうものなんですよ。」
そういうメッセージを添えて。
これは月に1回行なっているもので、参加者はスーパーバイザー以上の社員。
スーパーバイザーと言うのは、日本で言えば課長クラスでしょうか。
そこで何をするかというと、大抵は私がスピーチをして、質疑応答します。
もちろんタイ語ではなく、日本語でスピーチをします。そして、日本語が堪能な社員に、タイ語に通訳してもらいます。
これをもう何年もやっているので、通訳さんと私の息はピッタリです。
さて、昨日は「会社の目的」というタイトルでスピーチをしました。
先月は「人生の目的」だったので、それとどう関連するのかという視点で話しました。
人生の大半を会社で、あるいは仕事に関連して過ごすわけですから、会社の目的は、社員一人ひとりの人生の目的に寄与するものでなければならない、というのが結論です。
つまり、会社というのは社員のためにある、ということですね。
そして人生の目的というのが、自分らしく生きることであり、その前提として幸せになることであるから、会社は社員が幸せになれるように支援することが具体的な目的になると話しました。
けっこうすごいでしょ?
こんなスピーチを社員に対してする会社って、そうは多くないと思いますからね。
まあそれも、うちの会社の特色としていいんじゃないかと思っています。
話がそれましたが、さらに具体的に「会社が貢献する社員の幸せとは何か?」ということについても、一歩踏み込んで話しました。
まず、高い給料ということもあります。
ただし、お金があれば幸せになれるわけではない、という話も合わせて行いました。
お金があれば幸せになれるなら、貧乏人はみんな不幸で、金持ちはみんな幸福になりますが、そうとも限りませんから。
給料が高ければ幸せになりやすい、とは言えるでしょうけどね。
ではなぜ、給料が高いと幸せになりやすいのでしょうか?
それは、自由に使えるお金が増えるからだと思うのです。
つまり、金銭的な自由があれば、幸せを感じられます。
金銭的な自由とは、何かの為にお金を使いたいと思ったとき、それに見合ったお金がある、ということです。
いいですか?この文のパラメーターには2つあって、「使いたい」という欲求と、「使える」というお金のバランスがとれていれば自由だということです。
と言うことは、実際に「使える」お金が少ないなら、「使いたい」という欲求を減らすことでも、同じだけ自由を得られるということです。
ですから、持っているお金の多寡と、金銭的な自由は一致しないし、幸せとも関係がなくなるのです。
したがって究極的には、自分の意志で自由になれるし、幸せを感じることも可能です。
それは可能ですが、そうなる支援として、キャパを大きくする(=給料を上げる)ということもあるでしょう。
ただそうは言っても、無限に上げるわけにはいきませんので、自ずと限界というものもあります。
ここで重要なのは、キャパを大きくするということではなく、金銭的な自由があると幸せを感じられる、ということです。
そして、自由であれば幸せを感じられるというのは、何もお金に関してだけではありません。
時間についてもそうですよね。他にもいろいろあるでしょう。
いずれにせよ、様々な制約があったり、強制される環境に置かれると、自由を感じられなくなります。
したがって会社は、社員ができるだけ自由を感じて仕事ができる環境を提供することで、社員の幸せに貢献できると思うのです。
ただし、社員も意識を変えなければなりません。
指示待ち族とか言われるように、言われたことを言われたままに行うというのは、仕事ではなく単に作業です。
言われたままというのは、自分の自由にすることではなく、強制されること(=義務として行うこと)ですよね。
それでは社員自らが、自分を不自由な状態に置いているのと同じことになります。
ですから、義務としてではなく自発的に、仕事の依頼者(=顧客や上司・同僚)を助けるんだ、喜ばせるんだという気概を持って、仕事をしてほしいと思うのです。
会社は、社員ができるだけ自由に仕事ができるように支援します。
一方で社員は、自発的に仕事をしようと考えます。
こんな会社になったら、誰かが誰かを批判したり、不平不満を言うようなことがあるでしょうか?
仕事が楽しくなるし、仕事をしている間に幸せを感じられるはずです。
そんな会社にしたいなあ。それが私の理想なんです。
少しはわかってもらえたでしょうか。理解してもらえるといいのですけどね。
先日紹介したように、オフィスの照明の位置とスイッチを結びつけるアイデアを実行に移すというのも、この幹部ミーティングで依頼したものでした。
その結果があまりに素晴らしかったので、私は感動したことを伝え、その感動を表すために、さらに400バーツをポケットマネーから出して、担当した社員にあげました。前回のと合わせて、ちょうど500バーツにしてあげたのです。
「あなたは、まさに仕事をしたのです。依頼者を喜ばせ、感動させた。だから私は、喜んでもっと支払いたいと思った。仕事とは、そういうものなんですよ。」
そういうメッセージを添えて。
2013年03月07日
自由になるために
昨日、「自由を感じれば幸せになれる」と題して記事を書きました。
よくよく考えてみると私も、「なんて自由なんだろう」と感じたとき、大いなるものに包まれたような幸せを感じたものです。
日本にいるときは、本当に不自由だったのですね。
朝から晩まで、「しなければならない」ことばかり。
年に数回日本に帰るのですが、東京で電車に乗るときには、「ねばならない」のオンパレードで、本当にうんざりしますよ。(笑)
携帯電話はマナーモードにしなければならないし、どこそこでは電源も切らなければならない。
何時から何時は女性専用車両になるとか、折りたたみ椅子を倒して良いとか悪いとか。
外国人からすれば、こんな厳格なルールがあるなんて、本当に驚きですよ。
そしてちょっとでも間違ったことをしようものなら、周囲から白い目で見られたり、ときにはどつかれたり。(T_T)
こんな中で生活していたら、ストレスが溜まっても当然だと感じました。
まあそうは言っても、それぞれ事情があるでしょうから、全員がそういう環境から抜け出せるわけでもありません。
そこで、どうすればそういう環境にいながら自由になれるかを考えてみました。
まず、自分がそういう環境にいるのだということを認識することが第一歩です。
ゆでガエルの話、知ってますか?
カエルを熱いお湯の中に放り込めば、慌てて飛び出します。
けれども水の中に入れておいて、徐々に温度が上がるようにしていくと、カエルは飛び出すタイミングがつかめず、そのままゆでガエルになってしまうという話です。
私たち人間も同じで、環境に慣れてしまうのです。
それ自体は悪いことではないのですが、慣れることによって、それを自然なことと錯覚してしまうのです。
それが自然なことと錯覚すると、それを変えようという気持ちが起こりません。
何となく変だなとは感じるものの、何がどうおかしいかわからなくなるのです。
ですから、まずは不自由を強いられているということを実感することが大切です。
そのためにもっとも有効な方法は、違う環境に身を置いてみることです。
以前にも書きましたが、できれば引越ししてみることです。あるいは、長期の海外旅行をするなど。それが無理だとしても、都会の人は田舎へ、田舎の人は都会へ、一人旅をしてみることです。
次に効果的なのは、静かにしていることです。
お寺などで坐禅を組んでもいいでしょうし、草原に寝転がって瞑想してみるのも良いでしょう。
周りから雑多な情報が入ってくるのを防ぎながら、静かに自分の内面を見つめてみることです。
こうすることで、今の自分がどれだけ不自由を強いられているか理解し、実感することができるでしょう。
次に重要なのは、その不自由と感じている本当の原因を探り、実感することです。
いろいろ規則が多くて、それが原因で不自由を感じる。
たしかにそうなのですが、それは表面的な見方です。
やらなければならないことが多いとしても、だから不自由ではないのです。
たとえば、赤ちゃんを育てている母親を考えてください。
3時間おきに授乳しなければならず、熟睡することもできません。
それに赤ちゃんは、他にもたくさん手間がかかります。おむつを換える必要もありますし、すぐに熱をだしたり、食べたものを戻したり。
そんな大変なことを、多くのお母さんたちはどうしてできるのでしょう?
それは、楽しいからです。大変だけれども楽しい。だからできるのです。
つまり、自分がそれをやりたいと思い、自発的に、積極的に取り組むなら、それは強制されることではなくなるのです。
同じことをやっているのにも関わらず、義務としてやれば不自由を感じ、自発的にやれば自由を感じます。
つまり、不自由を感じる本当の原因は自分の心の中にあって、それを義務(他人から強制されること)と感じているから不自由を感じるのです。
もしそうなら、どんな環境においても自由を感じることが可能ですよね。
そう、すべてを自発的にやれば良いのです。
義務としてではなく、それを責任と考えましょう。
そして責任を果たすことが自分らしいことだと考えるのです。
そう考えれば、行うことはすべて自発的になります。
嫌なことをやらされているのではなく、大変だけれども意義のあることをさせてもらっている。
そのように考え方が変われば、楽しくならざるを得ません。
仮に他の人が規則を守らないとしても、どうしてそれに腹を立てる必要性があるでしょうか?
他人が規則を守らなくても自分に実害がないなら、怒る必要はないはずです。
そこで怒ってしまうのは、自分が義務としてやらされていると感じているからです。
自分だけが嫌なことをやらされて、他の人はズルをしている。そう考えるから、他の人を許せなくなるのです。
もし、そうすることが自分らしいからという理由でやっていたなら、他人が同じようにしないとしても、気にしないで済みます。
他人は他人だし、むしろせっかくの楽しみを享受しないなんてかわいそうだと、同情心すら起こるはずです。
無理に周囲を変えなくても良いのです。
他人を動かさなくても良いのです。
そんなことにエネルギーを使うより、自分を変えることに取り組みましょう。
自分が変われば、周りが変わります。それがこの世の法則なのですから。
よくよく考えてみると私も、「なんて自由なんだろう」と感じたとき、大いなるものに包まれたような幸せを感じたものです。
日本にいるときは、本当に不自由だったのですね。
朝から晩まで、「しなければならない」ことばかり。
年に数回日本に帰るのですが、東京で電車に乗るときには、「ねばならない」のオンパレードで、本当にうんざりしますよ。(笑)
携帯電話はマナーモードにしなければならないし、どこそこでは電源も切らなければならない。
何時から何時は女性専用車両になるとか、折りたたみ椅子を倒して良いとか悪いとか。
外国人からすれば、こんな厳格なルールがあるなんて、本当に驚きですよ。
そしてちょっとでも間違ったことをしようものなら、周囲から白い目で見られたり、ときにはどつかれたり。(T_T)
こんな中で生活していたら、ストレスが溜まっても当然だと感じました。
まあそうは言っても、それぞれ事情があるでしょうから、全員がそういう環境から抜け出せるわけでもありません。
そこで、どうすればそういう環境にいながら自由になれるかを考えてみました。
まず、自分がそういう環境にいるのだということを認識することが第一歩です。
ゆでガエルの話、知ってますか?
カエルを熱いお湯の中に放り込めば、慌てて飛び出します。
けれども水の中に入れておいて、徐々に温度が上がるようにしていくと、カエルは飛び出すタイミングがつかめず、そのままゆでガエルになってしまうという話です。
私たち人間も同じで、環境に慣れてしまうのです。
それ自体は悪いことではないのですが、慣れることによって、それを自然なことと錯覚してしまうのです。
それが自然なことと錯覚すると、それを変えようという気持ちが起こりません。
何となく変だなとは感じるものの、何がどうおかしいかわからなくなるのです。
ですから、まずは不自由を強いられているということを実感することが大切です。
そのためにもっとも有効な方法は、違う環境に身を置いてみることです。
以前にも書きましたが、できれば引越ししてみることです。あるいは、長期の海外旅行をするなど。それが無理だとしても、都会の人は田舎へ、田舎の人は都会へ、一人旅をしてみることです。
次に効果的なのは、静かにしていることです。
お寺などで坐禅を組んでもいいでしょうし、草原に寝転がって瞑想してみるのも良いでしょう。
周りから雑多な情報が入ってくるのを防ぎながら、静かに自分の内面を見つめてみることです。
こうすることで、今の自分がどれだけ不自由を強いられているか理解し、実感することができるでしょう。
次に重要なのは、その不自由と感じている本当の原因を探り、実感することです。
いろいろ規則が多くて、それが原因で不自由を感じる。
たしかにそうなのですが、それは表面的な見方です。
やらなければならないことが多いとしても、だから不自由ではないのです。
たとえば、赤ちゃんを育てている母親を考えてください。
3時間おきに授乳しなければならず、熟睡することもできません。
それに赤ちゃんは、他にもたくさん手間がかかります。おむつを換える必要もありますし、すぐに熱をだしたり、食べたものを戻したり。
そんな大変なことを、多くのお母さんたちはどうしてできるのでしょう?
それは、楽しいからです。大変だけれども楽しい。だからできるのです。
つまり、自分がそれをやりたいと思い、自発的に、積極的に取り組むなら、それは強制されることではなくなるのです。
同じことをやっているのにも関わらず、義務としてやれば不自由を感じ、自発的にやれば自由を感じます。
つまり、不自由を感じる本当の原因は自分の心の中にあって、それを義務(他人から強制されること)と感じているから不自由を感じるのです。
もしそうなら、どんな環境においても自由を感じることが可能ですよね。
そう、すべてを自発的にやれば良いのです。
義務としてではなく、それを責任と考えましょう。
そして責任を果たすことが自分らしいことだと考えるのです。
そう考えれば、行うことはすべて自発的になります。
嫌なことをやらされているのではなく、大変だけれども意義のあることをさせてもらっている。
そのように考え方が変われば、楽しくならざるを得ません。
仮に他の人が規則を守らないとしても、どうしてそれに腹を立てる必要性があるでしょうか?
他人が規則を守らなくても自分に実害がないなら、怒る必要はないはずです。
そこで怒ってしまうのは、自分が義務としてやらされていると感じているからです。
自分だけが嫌なことをやらされて、他の人はズルをしている。そう考えるから、他の人を許せなくなるのです。
もし、そうすることが自分らしいからという理由でやっていたなら、他人が同じようにしないとしても、気にしないで済みます。
他人は他人だし、むしろせっかくの楽しみを享受しないなんてかわいそうだと、同情心すら起こるはずです。
無理に周囲を変えなくても良いのです。
他人を動かさなくても良いのです。
そんなことにエネルギーを使うより、自分を変えることに取り組みましょう。
自分が変われば、周りが変わります。それがこの世の法則なのですから。
2013年03月08日
池上彰と考える、仏教って何ですか?
テレビの解説で人気の池上彰さんが、仏教についてわかりやすく解説した本を書かれたというので、私も読んでみました。
なるほど読みやすく、またわかりやすくまとめてありますね。
仏教の発祥から伝来、そして日本での変遷について、一気に、それでいて理解しやすく書かれています。
仏教の真髄を簡単な言葉で表すなら、三法印と呼ばれる「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「諸法無我(しょほうむが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と、それに「一切皆苦(いっさいかいく)」を加えた四法印なのだそうです。
そしてそれらの意味を、これまた簡単に、そして的確に解説しています。
・諸行無常:すべては移り変わる
・諸法無我:確かな私など存在しない
・涅槃寂静:苦しみを完全に抜け出した状態
・一切皆苦:すべては苦である
一切皆苦がこの世の現状なのですが、その苦しみを生み出す原因は煩悩(ぼんのう)であり、大きく「貪り(むさぼり)」「怒り」「愚か」の三毒に分けています。
この中でも「愚か」というのは、「諸行無常」や「諸法無我」と言った真理を知らないことで、これを無明(むみょう)と呼んで、三毒の中でも特別な煩悩、貪りや怒りの原因ともしているそうです。
仏教では、煩悩をコントロールして、悟りに至るプロセスを明らかにしており、その到達した先が涅槃寂静(ニルヴァーナ)だとしています。
もうこの解説だけで、仏教の真髄を言い表している気もします。
それと同時に、これはまさに「神との対話」シリーズで言われていることそのものです。
・諸行無常 → 「生命は変化である」
・諸法無我 → 「絶対的な領域では私たちはひとつのものである」
・涅槃寂静 → 「分離から一体化へのプロセス」
・一切皆苦 → 「神から分離するという体験を通じて苦しみを感じる」
実際は、「神との分離」ということは不可能で、そういうことはないと言います。
ただそのことを知らないでいる(無明)ことで、そういう体験をすることができ、それによって苦しみを感じる。
だから、真実を知ることによって、本質を見ることによって、その苦しみを味わわないことが可能になる。
また、「分別(ふんべつ)」というのも仏教用語で、知ったかぶりをする良くないことの意味です。
しかしこの漢字に表されている意味は、「分け隔てること」であり、いわば分離ですよね。
一体化している本質を見ずに、分離している仮の姿(仏教用語で虚仮(こけ))を真実だと信じているから、苦しみが生じていることにもなります。
このように、たくさんの共通点があることがわかりました。
また、お釈迦様が直接書き残した書物はありませんが、ブッダと弟子とのやり取りを記した原始仏典の翻訳本もあるとのことなので、それを読んでみたくなりました。
他にも、日本独特の葬式仏教や檀家制度がどうして生まれたかとか、四十九日の法要の意味など、知らなかったことがたくさんあって、とても面白かったです。
後半は、チベット仏教のリンポチェやダライ・ラマ14世との対談もあり、これも考えさせられる内容でした。
東日本大震災などで元気がなくなっている日本人へのメッセージ。
ふるさとチベットを追われて半世紀、それでも非暴力の抵抗を続けられるのは自信を失わないからだとか。
ダライ・ラマ14世の生き方そのものが、私たちへの手本のようです。
ただ祈るとかではなく、仏教の心理学的な部分を学ぶべきだという同氏。その言葉に、私も同意します。
仏教に関心がある人はもちろん、生き方に悩んでいる方にもお勧めの1冊です。
2013年03月09日
チャンスを逃してもったいない
昨日の記事に書いたように、池上彰さんの仏教に関する本を読みました。
「神との対話」との共通点もあったりして、がぜん興味がわきました。
それでさっそく、本を2冊注文しちゃいました。
池上彰さんが紹介していた本で、以下の2冊です。
「ブッダの真理のことば感興のことば」「ブッダのことば − スッタニパータ」
いずれも著者はインド哲学・仏教学者の中村元(はじめ)氏で、原始仏典の翻訳になります。
スッタニパータは、現存する世界最古のお経だそうで、弟子の質問に仏陀が答える形になっているそうです。
もう一方もスッタニパータと並ぶ最古のお経、ダンマパダの翻訳です。漢訳は法句経になるそうです。
「ほしい」と思ったら迷わず注文します。
本にはそうするだけの価値があると認めているからです。
また、そんなことができるのも、ネットショッピングの魅力ですね。
もしネットショッピングがなければ、「また今度書店に行ったときに探してみて、置いてなかったら注文するか。」という感じになるでしょうから、まず買わないでしょうね。
さて、今日はスーパーマーケットに寄って、カップ麺を大量に買って来ました。
以前からときどきやっているのですが、会社のタイ人スタッフのために買っているのです。
日本から輸入したカップ麺は、安くても1個50バーツ(約150円)以上します。高いと150バーツ(約450円)くらい。
ですから、いくら大卒でそこそこの給料をもらっているタイ人スタッフとは言え、そうそう買おうとは思わないでしょうね。
タイのカップ麺なら、10〜20バーツくらいで売っていますから。
それで、社員たちに喜んでもらおうと思って、こうやって日本のカップ麺を買って置いておくのです。
社員たちは、誰がいつ食べることができるのかルールを決め、平等にチャンスがあるようにしているようです。
単に食事の補助という意味なら、安いタイのカップ麺を会社の経費で購入して、置いておけば良いのです。
そうしないのは、私が買ってあげたいからです。日本のクオリティーを知ってもらいたいし、日本の魅力を味わってほしいのです。
社員たちがどう思っているか知りませんが、少しでも喜んでくれるなら、このくらいのことはしてもいいかなと思っています。
今日は、そのスーパーでのエピソードをお話しましょう。
買い物カゴいっぱいにカップ麺を入れ、私は空いているレジにカゴをおろしました。
ところが、前の客がまだ精算が終わっていなかったようで、レジの店員は、私が置いた商品をスキャンしようとしません。
しばらく待っていると、前の客が何やらクレジットカードの伝票のようなものを持ってきて店員に渡しました。
すると店員はその伝票に、何やら書き始めます。
そこまででかなり時間が過ぎており、私の前後のレジでは、すでに2〜3人くらいの精算が終わってしまいました。
「失敗したなあ。こんなことなら他のレジに並べば良かったよ。」
そう思っていたら、後ろのレジの店員が、「こちら空いてますよ。どうぞ。」と声をかけてくれたのです。
でも、もうかなり待った後ですし、一部の商品はカゴに入らなかったので、手に抱えて持ってきてレジに置いてあります。
それで私は、「ほら、これ見てよ。」とばかりにレジに置かれた商品を指差し、「移動させるのも大変でしょ?」ということを暗に示したのです。
そこで店員がサッと運んでくれたなら嬉しいのですが、何も言わなくなってしまいました。
私がいたレジでは、やっと前の客の精算が終り、サインをしてレシートを受け取ろうとしていました。
「移動しても、たいして変わらなかったよ。それにしても、随分と待たされちゃったなあ。」
やっと私の番になり、精算して、袋詰めされた商品を受け取ってスーパーを後にしました。
その商品をオフィスまで運ぶ途中、私はそのことを考えていました。
「「神との対話」では、すべての出来事は自分のためにあるんだと書いてあったよなあ。そういう観点で考え直したら、どんなことが考えられるだろう?」
私は、あのとき不満だったのです。
普通にクレジットカードによる支払いでも時間がかかります。日本と違って、少額でもサインをしますから。
だから私は、スーパーでは現金払いにしているのです。
それがこの日は、どうも普通のカードではなかったのでしょう。私もよくわかりませんが、カードの伝票に店員が書き込みをするなんて姿は、初めてみましたから。
「おいおい、いい加減にしてくれよ。」
誰が悪いわけでもないのですが、自分が待たされていることに不満を感じたのです。
だから後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われた時も、「今さら言われたって遅いよ」という気持ちでした。
店員がボーっとしていたわけではありません。並んでいる客がいなくなったから、親切心(あるいは店のマニュアル)で声をかけてくれたのでしょう。
でも私は不満だったから、不服そうにレジに置いた商品を指差し、「どうぞって言われたって、簡単には移動させられないでしょう?見てわからないの?」という気持ちになったのです。
私は思いました。
「考えてみれば、誰も私を傷つけようとしたわけでもないし、たまたまそうなったことに私が勝手に腹を立てただけだったんだ。」
もしあのとき、私が不満を抱かずに、「へぇー、こんな支払い方法があるんだー。初めてこういうのが見られて、ラッキーだったなあ。」とでも考えたら、反応は違ったでしょうね。
後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われたとき、今から移動しても大差ないと感じたとしても、「ありがとう。でも、ここで待ってますよ。」と言って、ニコッと微笑んだかもしれません。
そう考えたとき、私はこう思いました。
「しまったなあ。もったいないことをしたなあ。せっかくのチャンス(機会)だったのに。」
そう、私が、もっと私らしい私を表現するチャンスだったのです。
ああいうときこそ、最高の私が表現できたはずなのに。みすみすそのチャンスを逃してしまいました。
そう感じて、とても残念な気持ちになったのです。
でも、その代わりに、「神との対話」にあった別のことが理解できました。
本の中に、愛の無いセックスをすることは「悪いこと」というよりも、「もったいないこと」だと書いてありました。
その意味を理解しているつもりだったのですが、今回のことで、完全に腑に落ちました。
「そうか、「もったいないこと」と言うのは、こういうことなんだな。こういう感じが、まさに「もったいないこと」だったんだ。」
お陰で、また少し成長したように思います。
精算が遅くて待たせてくれたお客さん、そして遅いタイミングで「どうぞこちらへ」と声をかけてくれた店員さんは、みごとに私にチャンスを与えてくれていたのです。
そう思ったら、その人たちにも感謝の気持が湧いて来ました。
「今度はチャンスを逃さないようにするから。今回はここまでだったけど、気づかせてくれてありがとう。」
出会いは、出来事は、すべて必然で無駄がありませんね。
「神との対話」との共通点もあったりして、がぜん興味がわきました。
それでさっそく、本を2冊注文しちゃいました。
池上彰さんが紹介していた本で、以下の2冊です。
「ブッダの真理のことば感興のことば」「ブッダのことば − スッタニパータ」
いずれも著者はインド哲学・仏教学者の中村元(はじめ)氏で、原始仏典の翻訳になります。
スッタニパータは、現存する世界最古のお経だそうで、弟子の質問に仏陀が答える形になっているそうです。
もう一方もスッタニパータと並ぶ最古のお経、ダンマパダの翻訳です。漢訳は法句経になるそうです。
「ほしい」と思ったら迷わず注文します。
本にはそうするだけの価値があると認めているからです。
また、そんなことができるのも、ネットショッピングの魅力ですね。
もしネットショッピングがなければ、「また今度書店に行ったときに探してみて、置いてなかったら注文するか。」という感じになるでしょうから、まず買わないでしょうね。
さて、今日はスーパーマーケットに寄って、カップ麺を大量に買って来ました。
以前からときどきやっているのですが、会社のタイ人スタッフのために買っているのです。
日本から輸入したカップ麺は、安くても1個50バーツ(約150円)以上します。高いと150バーツ(約450円)くらい。
ですから、いくら大卒でそこそこの給料をもらっているタイ人スタッフとは言え、そうそう買おうとは思わないでしょうね。
タイのカップ麺なら、10〜20バーツくらいで売っていますから。
それで、社員たちに喜んでもらおうと思って、こうやって日本のカップ麺を買って置いておくのです。
社員たちは、誰がいつ食べることができるのかルールを決め、平等にチャンスがあるようにしているようです。
単に食事の補助という意味なら、安いタイのカップ麺を会社の経費で購入して、置いておけば良いのです。
そうしないのは、私が買ってあげたいからです。日本のクオリティーを知ってもらいたいし、日本の魅力を味わってほしいのです。
社員たちがどう思っているか知りませんが、少しでも喜んでくれるなら、このくらいのことはしてもいいかなと思っています。
今日は、そのスーパーでのエピソードをお話しましょう。
買い物カゴいっぱいにカップ麺を入れ、私は空いているレジにカゴをおろしました。
ところが、前の客がまだ精算が終わっていなかったようで、レジの店員は、私が置いた商品をスキャンしようとしません。
しばらく待っていると、前の客が何やらクレジットカードの伝票のようなものを持ってきて店員に渡しました。
すると店員はその伝票に、何やら書き始めます。
そこまででかなり時間が過ぎており、私の前後のレジでは、すでに2〜3人くらいの精算が終わってしまいました。
「失敗したなあ。こんなことなら他のレジに並べば良かったよ。」
そう思っていたら、後ろのレジの店員が、「こちら空いてますよ。どうぞ。」と声をかけてくれたのです。
でも、もうかなり待った後ですし、一部の商品はカゴに入らなかったので、手に抱えて持ってきてレジに置いてあります。
それで私は、「ほら、これ見てよ。」とばかりにレジに置かれた商品を指差し、「移動させるのも大変でしょ?」ということを暗に示したのです。
そこで店員がサッと運んでくれたなら嬉しいのですが、何も言わなくなってしまいました。
私がいたレジでは、やっと前の客の精算が終り、サインをしてレシートを受け取ろうとしていました。
「移動しても、たいして変わらなかったよ。それにしても、随分と待たされちゃったなあ。」
やっと私の番になり、精算して、袋詰めされた商品を受け取ってスーパーを後にしました。
その商品をオフィスまで運ぶ途中、私はそのことを考えていました。
「「神との対話」では、すべての出来事は自分のためにあるんだと書いてあったよなあ。そういう観点で考え直したら、どんなことが考えられるだろう?」
私は、あのとき不満だったのです。
普通にクレジットカードによる支払いでも時間がかかります。日本と違って、少額でもサインをしますから。
だから私は、スーパーでは現金払いにしているのです。
それがこの日は、どうも普通のカードではなかったのでしょう。私もよくわかりませんが、カードの伝票に店員が書き込みをするなんて姿は、初めてみましたから。
「おいおい、いい加減にしてくれよ。」
誰が悪いわけでもないのですが、自分が待たされていることに不満を感じたのです。
だから後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われた時も、「今さら言われたって遅いよ」という気持ちでした。
店員がボーっとしていたわけではありません。並んでいる客がいなくなったから、親切心(あるいは店のマニュアル)で声をかけてくれたのでしょう。
でも私は不満だったから、不服そうにレジに置いた商品を指差し、「どうぞって言われたって、簡単には移動させられないでしょう?見てわからないの?」という気持ちになったのです。
私は思いました。
「考えてみれば、誰も私を傷つけようとしたわけでもないし、たまたまそうなったことに私が勝手に腹を立てただけだったんだ。」
もしあのとき、私が不満を抱かずに、「へぇー、こんな支払い方法があるんだー。初めてこういうのが見られて、ラッキーだったなあ。」とでも考えたら、反応は違ったでしょうね。
後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われたとき、今から移動しても大差ないと感じたとしても、「ありがとう。でも、ここで待ってますよ。」と言って、ニコッと微笑んだかもしれません。
そう考えたとき、私はこう思いました。
「しまったなあ。もったいないことをしたなあ。せっかくのチャンス(機会)だったのに。」
そう、私が、もっと私らしい私を表現するチャンスだったのです。
ああいうときこそ、最高の私が表現できたはずなのに。みすみすそのチャンスを逃してしまいました。
そう感じて、とても残念な気持ちになったのです。
でも、その代わりに、「神との対話」にあった別のことが理解できました。
本の中に、愛の無いセックスをすることは「悪いこと」というよりも、「もったいないこと」だと書いてありました。
その意味を理解しているつもりだったのですが、今回のことで、完全に腑に落ちました。
「そうか、「もったいないこと」と言うのは、こういうことなんだな。こういう感じが、まさに「もったいないこと」だったんだ。」
お陰で、また少し成長したように思います。
精算が遅くて待たせてくれたお客さん、そして遅いタイミングで「どうぞこちらへ」と声をかけてくれた店員さんは、みごとに私にチャンスを与えてくれていたのです。
そう思ったら、その人たちにも感謝の気持が湧いて来ました。
「今度はチャンスを逃さないようにするから。今回はここまでだったけど、気づかせてくれてありがとう。」
出会いは、出来事は、すべて必然で無駄がありませんね。
2013年03月11日
ソフトボールの大会がありました
昨日(3月10日)は、ソフトボールの大会がありました。
私も主催者側に入っているのですが、第12回HST(へたくそソフトボール大会)です。
朝6時に起きて、6:45にはアパートを出発しました。
待ち合わせ場所にいったん集合し、そこを出発したのが7時。
8時前にはグランドに到着し、グランド設営などの準備を行います。
開会式は8:15からで、8:45から第1試合が始まります。
参加者がチームごとに練習をする中、私は参加チームから参加費を集めたり、大会の進行をスムーズに行うための準備や、開会式の準備を行います。
今回は参加チームが9チームのため、変則的なトーナメントとなりました。
午前中は予選で、A面4チームはトーナメント方式、B面5チームはリーグ戦方式でそれぞれの順位を決めます。
その順位に応じて、午後からは決勝トーナメントと順位決定戦が行われました。
もう12回になりますが、年に2回、3月と11月に行なっているので、6年間やってきたことになります。
その間には、様々な出来事がありました。
印象的だったのは、赤シャツ隊のデモによって、大会が途中中止に追い込まれたときですね。
あれは第6回大会(2010年3月28日)でした。
グランドが軍隊の敷地内にあるのですが、そこに当時の反タクシン派の首相がやってくるという噂が流れ、タクシン派の赤シャツ隊が抗議のデモを行ったのです。
それが原因で、グランドを管理していた軍から中止命令が出され、3回戦途中での中止となりました。
あのときは最初、使っていたグランドに軍のヘリが着陸するということで、一時的に中止させられたのです。
ところが、ヘリを操縦していた人がいい人で、我々がヘリをどかしてくれないとソフトボールができないと言うと、「わかった。」と言って、ヘリをどこかへ移動させてくれました。
大型のヘリの迫力にも度肝を抜かれましたが、軍人さんの柔軟な対応にも驚かされました。
まあでも、結局は中止することになったのですけどね。
それから、2011年3月13日に行われた第8回大会です。
今日、あの日から2年目を迎えたのですね。
かつて経験したことがない大地震と大津波。東日本大震災の2日後に、この大会は行われたのです。
日本の詳しい情報が入ってくると、少なくとも東北地方に縁のある人は、心穏やかにはしていられません。
「うちのチームにも参加を取りやめた人が何人かいる。どうする?大会をやるの?」
大会を開催すべきかどうか、主催者も悩みました。
今、大変な思いの人が大勢いるのに、そんな中でソフトボール大会なんかやって浮かれていていいのか?
悩んだ末、私たちは結論を出しました。
大会をやろう!
日本じゅうが意気消沈しているときだからこそ、遠いタイの地で、祖国を励ますためにも、我々はソフトボール大会をやろう。
我々が傷ついているわけじゃない。それに我々が自粛したからと言ったって、誰の助けにもならない。
それならむしろ、大いに活動して、元気を出して、その思いを伝えた方がいいんじゃないか。
私たちは、そう考えることに決めたのです。
そして大会では亡くなられた方や傷ついた方のために黙祷を捧げ、寄付を集めました。
タイ人が主体のチームも2チームあったのですが、タイ人も喜んで寄付をしてくださいました。
「がんばろう、日本!」
私たちもがんばるから、みんなもそれぞれの場所でがんばろうよ。
そういう思いで開催した大会でした。
そして第9回大会(2011年11月13日)は、アユタヤからバンコクへ向けての洪水が迫る中で行われました。
予定していたグランドが、周辺の主要道路が水没しているため利用できず、急遽グランドを変更して行いました。
このときも9チームが参加して変則トーナメント方式で行う予定だったのですが、参加チームは5チームに減ってしまいました。
バンコク周辺の工場団地が次々と水没したため、そういった工場に勤務している人たちが参加できなくなったからです。
また会社によっては、家族を帰国させたり、社員も不要不急の外出禁止という指示を受けたりしていました。
このときも中止するかどうか悩みましたが、東日本大震災のときと同じ理由で開催しました。
そして大会では寄付を集め、タイの洪水被災者のために贈ったのです。
そして今回は12回目の大会。変則トーナメント方式でしたが、思ったよりもスムーズに運営できました。
それもこれも、これまでの経験があったからだと思います。
最初のころは、ルールをどうするのが良いかとか、表彰はどうするのが良いかなど、様々なところで問題が出てきましたからね。
それらに一つひとつ対処していくことで、ここまでスムーズに運営できるまでになったのです。
やってみなければわからないことって、やっぱりあるんですよね。
だから、失敗してもいいから、思い切ってやってみることが重要なのだと思います。
15:30にはすべての試合が終り、閉会式で順位ごとの表彰や、ラッキードロー(抽選会)を行いました。
閉会式では、心地よい疲れと満足感が、身体中に満ちていました。
そして、イサン料理屋(タイ東北地方の料理を中心に提供する安価な店)で主催3チームによる打ち上げです。
私たちのチームは18:30くらいにはすっかりできあがって、精算して帰りました。
他の2チームは、それからまだしばらく飲んで、さらに場所を変えて飲みに行った人もいたようです。
丸一日、ソフトボールに関することをしながら、生きることを楽しんだのです。
私も主催者側に入っているのですが、第12回HST(へたくそソフトボール大会)です。
朝6時に起きて、6:45にはアパートを出発しました。
待ち合わせ場所にいったん集合し、そこを出発したのが7時。
8時前にはグランドに到着し、グランド設営などの準備を行います。
開会式は8:15からで、8:45から第1試合が始まります。
参加者がチームごとに練習をする中、私は参加チームから参加費を集めたり、大会の進行をスムーズに行うための準備や、開会式の準備を行います。
今回は参加チームが9チームのため、変則的なトーナメントとなりました。
午前中は予選で、A面4チームはトーナメント方式、B面5チームはリーグ戦方式でそれぞれの順位を決めます。
その順位に応じて、午後からは決勝トーナメントと順位決定戦が行われました。
もう12回になりますが、年に2回、3月と11月に行なっているので、6年間やってきたことになります。
その間には、様々な出来事がありました。
印象的だったのは、赤シャツ隊のデモによって、大会が途中中止に追い込まれたときですね。
あれは第6回大会(2010年3月28日)でした。
グランドが軍隊の敷地内にあるのですが、そこに当時の反タクシン派の首相がやってくるという噂が流れ、タクシン派の赤シャツ隊が抗議のデモを行ったのです。
それが原因で、グランドを管理していた軍から中止命令が出され、3回戦途中での中止となりました。
あのときは最初、使っていたグランドに軍のヘリが着陸するということで、一時的に中止させられたのです。
ところが、ヘリを操縦していた人がいい人で、我々がヘリをどかしてくれないとソフトボールができないと言うと、「わかった。」と言って、ヘリをどこかへ移動させてくれました。
大型のヘリの迫力にも度肝を抜かれましたが、軍人さんの柔軟な対応にも驚かされました。
まあでも、結局は中止することになったのですけどね。
それから、2011年3月13日に行われた第8回大会です。
今日、あの日から2年目を迎えたのですね。
かつて経験したことがない大地震と大津波。東日本大震災の2日後に、この大会は行われたのです。
日本の詳しい情報が入ってくると、少なくとも東北地方に縁のある人は、心穏やかにはしていられません。
「うちのチームにも参加を取りやめた人が何人かいる。どうする?大会をやるの?」
大会を開催すべきかどうか、主催者も悩みました。
今、大変な思いの人が大勢いるのに、そんな中でソフトボール大会なんかやって浮かれていていいのか?
悩んだ末、私たちは結論を出しました。
大会をやろう!
日本じゅうが意気消沈しているときだからこそ、遠いタイの地で、祖国を励ますためにも、我々はソフトボール大会をやろう。
我々が傷ついているわけじゃない。それに我々が自粛したからと言ったって、誰の助けにもならない。
それならむしろ、大いに活動して、元気を出して、その思いを伝えた方がいいんじゃないか。
私たちは、そう考えることに決めたのです。
そして大会では亡くなられた方や傷ついた方のために黙祷を捧げ、寄付を集めました。
タイ人が主体のチームも2チームあったのですが、タイ人も喜んで寄付をしてくださいました。
「がんばろう、日本!」
私たちもがんばるから、みんなもそれぞれの場所でがんばろうよ。
そういう思いで開催した大会でした。
そして第9回大会(2011年11月13日)は、アユタヤからバンコクへ向けての洪水が迫る中で行われました。
予定していたグランドが、周辺の主要道路が水没しているため利用できず、急遽グランドを変更して行いました。
このときも9チームが参加して変則トーナメント方式で行う予定だったのですが、参加チームは5チームに減ってしまいました。
バンコク周辺の工場団地が次々と水没したため、そういった工場に勤務している人たちが参加できなくなったからです。
また会社によっては、家族を帰国させたり、社員も不要不急の外出禁止という指示を受けたりしていました。
このときも中止するかどうか悩みましたが、東日本大震災のときと同じ理由で開催しました。
そして大会では寄付を集め、タイの洪水被災者のために贈ったのです。
そして今回は12回目の大会。変則トーナメント方式でしたが、思ったよりもスムーズに運営できました。
それもこれも、これまでの経験があったからだと思います。
最初のころは、ルールをどうするのが良いかとか、表彰はどうするのが良いかなど、様々なところで問題が出てきましたからね。
それらに一つひとつ対処していくことで、ここまでスムーズに運営できるまでになったのです。
やってみなければわからないことって、やっぱりあるんですよね。
だから、失敗してもいいから、思い切ってやってみることが重要なのだと思います。
15:30にはすべての試合が終り、閉会式で順位ごとの表彰や、ラッキードロー(抽選会)を行いました。
閉会式では、心地よい疲れと満足感が、身体中に満ちていました。
そして、イサン料理屋(タイ東北地方の料理を中心に提供する安価な店)で主催3チームによる打ち上げです。
私たちのチームは18:30くらいにはすっかりできあがって、精算して帰りました。
他の2チームは、それからまだしばらく飲んで、さらに場所を変えて飲みに行った人もいたようです。
丸一日、ソフトボールに関することをしながら、生きることを楽しんだのです。
2013年03月12日
一気にエベレストを超えちゃいました
「50歳も過ぎて、何バカなことやってんの?」
そう言われてしまいそうですが、これもまた私の一面です。
今日の話題は、先日「最近ハマっていること」で紹介した、スマホのゲーム「LINE POP」についてです。
先週のことですが、私もついに180万点台が出ました!!
その前は160万点台を出したところ、すぐに180万点台を出した妻に追い抜かれ、悔しい思いをしたのです。
そんなことがあった後ですから、これは嬉しかったですね。さすがに180万点台を連発なんて、そうそうできることではありませんよ。
そう思っていたら、今度は友達に抜かれてしまいました。しかも、その友人はなんと200万点オーバーです。
LINE POPで200万点なんて、それこそエベレストに登るくらいの高みです。
「もう無理だ。200万点なんて出せないよ。」
逆転されて悔しかったものの、再逆転なんて絶対に無理だと感じたのです。
ところがです。土曜日に何気なくやっていて、ゲーム終了したときにスコアを見ると190万点を超えていて、そこからボーナス得点が追加されて200万点をギリギリ超えました。
この得点は、ゲームそのもので獲得した得点で、これにさらにレベル・ボーナス得点が加算されて、最終的な得点となります。
レベル・ボーナス得点はレベルと関係してくるのですが、今の私は22%が加算されます。
その結果、・・・なんと240万点をオーバーしました!!!
これが、そのときの写真です。嬉しかったので、デジカメで撮っちゃいました。
そして、自己記録を更新したことを表す画面に移ります。
そしてそして、順位の変動を示す画面になります。
それまで200万点台でトップだった友人を抜いて、私がトップに立ちました。
最終的に、以下のような順位となったのです。
たかがゲームですが、トップを取るというのは嬉しいものですね。
まったく50歳を過ぎて、こんなことで喜んでいるんですから、かわいいものだと思ってやってくださいな。
「そんな高得点、どうやったら出せるの?」
今、LINE POPをされてる方だと、その方法を知りたいかもしれませんね。
高得点の出し方については、「LINE POP 高得点」などで検索すると、たくさんの方が書かれています。
ですので、そちらを参考にされるのがわかりやすいかと思います。
ただ、私のやり方を知りたい人のために、そのエッセンスを書いておきますね。
1.ゲームがスタートするとすぐに、3連を作って消せるところを見つけ、3つくらい連続で素早く消す。
2.そうすると点滅するアイコンが飛んでくるので、それを押して消す。
3.あとは素早くランダムに指を動かしつつ、3連になるところを見つけては素早く消す。
4.ときどき点滅するアイコンが飛んでくるので、それを押して消す。
5.3連を作るのを探す場所は、なるべく下段で、見つからなければ上段の方を探す。
この繰り返しだけなのです。簡単でしょ。
ハッキリ言うと、これは運です。
同じことをやっていても、私でも10万点に届かないことがときどきありますから。
3連にできるところが、画面内に1つしかないなんて状況が生まれたら、そう簡単には見つけられません。
運がいいと、画面の半分かそれ以下の範囲で、次々に3連にできるところが見つかります。
また、1つ3連を作って消すと、上から落ちてきたアイコンによってまた3連が作られ、自動的に消えていくこともよくあります。
こういうパターンにハマらないと、なかなか100万点以上の高得点にはなりません。
最終的には運によって、高得点が取れるかどうか決まるというのが、私の結論です。
ただ、通常なら、30〜50万点は苦もなく出せますし、60〜80万点というのもよくありますね。
今は、特別なアイテムは使いません。使ってもあまり変わらないからです。
アイテムよりも運が重要だとわかったので、アイテムに頼るのをやめたのです。
また、サイトで紹介されているような裏ワザも使いません。
それでも高得点が出るときは、苦もなく出るのですよ。
焦らず、「まあそのうち良いこともあるさ」くらいの、楽な気持ちでやってみましょう。
そう言われてしまいそうですが、これもまた私の一面です。
今日の話題は、先日「最近ハマっていること」で紹介した、スマホのゲーム「LINE POP」についてです。
先週のことですが、私もついに180万点台が出ました!!
その前は160万点台を出したところ、すぐに180万点台を出した妻に追い抜かれ、悔しい思いをしたのです。
そんなことがあった後ですから、これは嬉しかったですね。さすがに180万点台を連発なんて、そうそうできることではありませんよ。
そう思っていたら、今度は友達に抜かれてしまいました。しかも、その友人はなんと200万点オーバーです。
LINE POPで200万点なんて、それこそエベレストに登るくらいの高みです。
「もう無理だ。200万点なんて出せないよ。」
逆転されて悔しかったものの、再逆転なんて絶対に無理だと感じたのです。
ところがです。土曜日に何気なくやっていて、ゲーム終了したときにスコアを見ると190万点を超えていて、そこからボーナス得点が追加されて200万点をギリギリ超えました。
この得点は、ゲームそのもので獲得した得点で、これにさらにレベル・ボーナス得点が加算されて、最終的な得点となります。
レベル・ボーナス得点はレベルと関係してくるのですが、今の私は22%が加算されます。
その結果、・・・なんと240万点をオーバーしました!!!
これが、そのときの写真です。嬉しかったので、デジカメで撮っちゃいました。
そして、自己記録を更新したことを表す画面に移ります。
そしてそして、順位の変動を示す画面になります。
それまで200万点台でトップだった友人を抜いて、私がトップに立ちました。
最終的に、以下のような順位となったのです。
たかがゲームですが、トップを取るというのは嬉しいものですね。
まったく50歳を過ぎて、こんなことで喜んでいるんですから、かわいいものだと思ってやってくださいな。
「そんな高得点、どうやったら出せるの?」
今、LINE POPをされてる方だと、その方法を知りたいかもしれませんね。
高得点の出し方については、「LINE POP 高得点」などで検索すると、たくさんの方が書かれています。
ですので、そちらを参考にされるのがわかりやすいかと思います。
ただ、私のやり方を知りたい人のために、そのエッセンスを書いておきますね。
1.ゲームがスタートするとすぐに、3連を作って消せるところを見つけ、3つくらい連続で素早く消す。
2.そうすると点滅するアイコンが飛んでくるので、それを押して消す。
3.あとは素早くランダムに指を動かしつつ、3連になるところを見つけては素早く消す。
4.ときどき点滅するアイコンが飛んでくるので、それを押して消す。
5.3連を作るのを探す場所は、なるべく下段で、見つからなければ上段の方を探す。
この繰り返しだけなのです。簡単でしょ。
ハッキリ言うと、これは運です。
同じことをやっていても、私でも10万点に届かないことがときどきありますから。
3連にできるところが、画面内に1つしかないなんて状況が生まれたら、そう簡単には見つけられません。
運がいいと、画面の半分かそれ以下の範囲で、次々に3連にできるところが見つかります。
また、1つ3連を作って消すと、上から落ちてきたアイコンによってまた3連が作られ、自動的に消えていくこともよくあります。
こういうパターンにハマらないと、なかなか100万点以上の高得点にはなりません。
最終的には運によって、高得点が取れるかどうか決まるというのが、私の結論です。
ただ、通常なら、30〜50万点は苦もなく出せますし、60〜80万点というのもよくありますね。
今は、特別なアイテムは使いません。使ってもあまり変わらないからです。
アイテムよりも運が重要だとわかったので、アイテムに頼るのをやめたのです。
また、サイトで紹介されているような裏ワザも使いません。
それでも高得点が出るときは、苦もなく出るのですよ。
焦らず、「まあそのうち良いこともあるさ」くらいの、楽な気持ちでやってみましょう。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。