タイで暮らすようになって約11年になります。
その間、年に1〜2回ほど帰省しています。
妻を日本に連れて行ったのは、これで6回目。
せっかく連れて行くのだからと、帰省だけでなく、国内旅行を兼ねるようになりました。
※石見神楽の「鍾馗」(写真右)で使われる「鍾馗の輪」を縁起物としてもらいました。
でも、毎回のように思うのです。
「もう2度と旅行には行かない。」
妻のわがままな(と私が感じる)態度に業を煮やし、そのたびにそう決意するのです。
たとえば、こんなことがありました。
写真を撮ってくれと言うから撮ってあげると、すぐに文句を言います。
「あなたは撮り方が下手くそだ。」「顔が暗くなってるじゃないの。どうして撮る前にそう言わないの!?」
頼まれたから撮ってあげたのに、なんでちょっとしたことでいちいち文句を言うかなあ。気分が悪い!
また以前の旅行では、こんなこともありました。
レンタカーを借りて運転するのですが、カーナビに慣れていないせいもあり、道を間違えたり、ちょっと急ブレーキを踏んでしまうことがあるのです。
すると妻はこう言います。「あなたは運転が下手くそだ。」
さすがにそれを何度も言われると私もキレかけて、「だったら車に乗らなきゃいいじゃないか。」と言ってしまいました。
せっかくいろいろなところを見せてあげようと思って観光旅行を組んであげたのに、文句ばかり。
※日光で見つけたみごとに紅葉した楓。
しかしその後、妻が急に口を利かなくなりました。
それは岡山の後楽園へ行こうとした時だったのですが、雨が降っていたこともあって、駐車場に車を停めても妻は降りようとしません。
「行きたいなら1人で行きなさい。私は行かないから。」
妻に見せることが目的なのですから、それでは意味がありません。そのときは、後楽園を見ずに出発しました。
しばらくして妻が言いました。
「外国で車を降ろされて1人にされたら、私はどうしたらいいの?」
その場で降りろという意味で言ったのではないのですが、妻なりに不安になったようです。
それから後、妻がよくこう言うようになりました。
「あなたは車の運転が上手いね。」
私は、とても複雑な気持ちになりました。
私が不覚にも妻を脅したために、妻は本来の自分ではない姿を私に見せるようになったのです。
そういった出来事を通じて、私は多くのことに気づかせられるのです。
妻が私の思い通りにならないからこそ、私にとってはありがたい存在だと思います。
もし私の思い通りに考えて行動する人だったら、私は何も気づかず、何も考えなかったでしょう。
時にはぶつかり、不愉快な思いをしながらも、私に気づきを与えてくれる。
だから私は、妻を貴重な存在だと思うのです。
そうは言いつつも、その場ではいろいろと反発する気持ちも起こります。
文句を言われて不愉快そうな顔をすると、それに追い打ちをかけるように妻が言います。
「なんだその顔は。何か文句でもあるの!?あるなら言いなさいよ。」
そこで正直に思いをぶつければ、角が立つだけです。
しぶしぶ怒りを収め、私はなるべく冷静になるようにします。
そして、この出来事の意味を考えてみるのです。
すべての出来事が必然で無駄がないとしたら、この出来事は私に何を与えてくれるのだろうか?
今回の旅行でも、少なくとも3回は頭に来てキレかけました。
でも、そのときは気づかなかったけど、妻は妻なりに私に尽くしてくれたのです。
田舎では料理を作り、後片付けをしてくれました。それによって、私の両親がどれだけ喜んでくれたことか。
母が布団にシーツを掛けるのを、妻は率先して手伝ってくれたようです。
そのとき「お母さん」と日本語で言ってくれたと、母が何度も嬉しそうに話していました。
そういうことをするのも、妻の一面なのです。
頭にきたときは、その出来事のことしか考えていません。
けれども、その人(妻)はそれだけの人ではないのです。
広い視野を持つこと。長い目を持つこと。全体を俯瞰(ふかん)すること。
見方を変えることで、出来事には様々な意味を与えることができません。
その実践を次々とさせてくれる妻に、私は心からありがたいと思っているのです。
※浅草観光で乗せてもらった人力車。
最後に宣伝です。
浅草を観光した時、「時代屋」さんの人力車に乗せていただきました。
10分のお試しコースからありますが、私がチョイスしたのは30分のコース。2人で8千円でした。
東京で暮らしている人でも知らないようなちょっとした名所を案内してくれて、スカイツリーの撮影ポイントも紹介してくださいました。
笑顔のお兄さんが素敵だったので、宣伝するからと言って写真を撮らせていただきました。
みなさんも、浅草を観光されるときはお試しください。損はないと思いますよ。
2012年10月22日
2012年10月23日
まんがで読む古事記
今年は、古事記が編纂(へんさん)されて1300年になるのだとか。
私の故郷、島根県は、出雲が古事記と深く関わっていることもあり、盛んに宣伝して観光の目玉にしようと考えているようです。
古事記という名前は誰もが知っているでしょうけど、その中にどんなことが書かれているか、詳しく知っている人は少ないようです。
もちろん私もその1人です。なので、マンガなら読みやすいだろうと思って、「まんがで読む古事記」を1〜4巻まで買って読みました。
たしかにわかりやすいですね。
それにしても神話に登場する神様は、なんと人間ぽいのでしょうか。
あの天照大御神(あまてらすおおみかみ)だって、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が狼藉を働いた時、「自分のようなものがこの世を治めてはいけないのでは?」と自信喪失し、岩屋戸に隠れたのです。
その物語が磐戸(いわと:岩戸または天の岩戸とも言う)という演目で、石見神楽に取り入れられています。
先週、田舎に帰省したときは、その神楽も見てきました。
この物語の面白いのは、岩屋戸にこもった天照大御神に出てきてもらおうと、神々が宴会を開くというところです。
中心では天宇受売命(あまのうずめのみこと)が、半裸状態で淫猥な踊りを踊ります。
※背中に垂れた白い衣が、半裸状態であることを示しています。
それを見ている神々が、やんやの喝采を送って盛り上がるのです。
岩屋戸に隠れていた天照大御神も、外が騒がしいので覗いてみます。
そして、どうしてそんなに楽しんでいるのかと尋ねると、天照大御神以上の素晴らしい神が現れたからと言うのです。
その神を見ようと天照大御神が顔を出すと、そこには本当に素晴らしい神の姿が...。
実は、鉄で作った鏡に映った自分の姿だったのです。
その隙に、天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)が天照太御神を引っ張り出し、岩屋戸を封印して入れないようにしました。
※天宇受売命(あまのうずめのみこと)と天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)の舞い。
こうして、この世はまた明るさを取り戻したのです。
どうです?面白いでしょう?
ぜひ読んでみてください。そして、石見神楽にも興味を持ってもらえると嬉しいです。
2012年10月24日
出稼げば大富豪
バリ島の大富豪、兄貴こと丸尾孝俊さんのことを書いたシリーズ最新作です。
著者はクロイワ・ショウ氏。
大学院生で会社を起こしたものの、思ったように稼げないどころか惨憺たる結果に。
そこでバリ島の兄貴のもとに弟子入りし、教えを請うたというわけです。
兄貴から様々なことを学びながら成長してく著者の様子が、よくわかる本です。
また文字も大きく、あっと言う間に読めてしまいます。
この本の内容が、ついに映画化されるのだとか。
今のうちにシリーズを読んでおかれることをお勧めします。
兄貴のことは、飯沼一洋さんが編集された本「大富豪アニキの教え」でも紹介しました。
中卒だということですが、その知識は並大抵のものではありません。
それが毎日の映画鑑賞から得られているということが、今回の本でわかりました。
私も映画はよく見る方ですが、見るときの着眼点が違うのですね。
こういうことも、大変勉強になります。
2012年10月25日
「平穏死」という選択
「平穏死」という奇妙な言葉なのに、なぜかまったく違和感を感じません。
「自然死」でも「安楽死」でもない「平穏死」。
かつてはそれが当たり前だった老衰による家庭での死が、今は難しいことになっています。
それをうすうすは感じていたのですが、この本を読んで、本当にこれは大変な状態だと思いました。
老人になって、痴呆の症状が出てくるようになると、食物の飲み込みが上手くできなくなります。
私はまだそんな年でもありませんが、ときどき飲みそこねて気管に入ってしまうことがあります。
きっとあと30年もしたら、食べるときも細心の注意を払う必要性が出てくるのでしょう。
そうして段々と食が細くなっていくとき、老人ホームなどでは元気を出させるためにと、無理に食べさせるということがあるそうです。
その延長が問題になっている胃ろうなのだと、この本を読んで思いました。
死は、悪いことでもないし、医療の敗北でもありません。
尊厳のある死を迎えたい。
そう思う人に、ぜひ読んでいただきたい本です。
以前に紹介した「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と合わせて読んでいただくと、よりいっそう理解が進むと思います。
このニュースを見て愕然としました
昨日、ネットでニュースを見ていて、愕然としたことがありました。
「売春拒否した20歳女性の首を切断」
アフガニスタンで起きた事件です。
このタイトルを読んだ時、私は、売春婦と何かトラブルになったため、殺害したのかと思ったのです。
しかし、それは間違いでした。
そのニュースは、もっと驚くべき内容だったのです。
要約すると、以下のようになります。
殺された女性は結婚していて、義母から売春を強要されたそうです。
それを断ったところ、首を切断されてしまったとのこと。
なんで???
そう思いますよね。
だって義理の母が、どうして夫を裏切るようなことをさせるのか、想像できませんから。
続きを読むと、アフガニスタンの女性がどういう立場に置かれているかがわかります。
女性の人権がないのです。
単に、子供を産む役割とか、働き手として期待されているだけ。
そのため、子供を産めない体だとわかると、売春を強要されることもあるのだそうです。
また、借金のかたや争いの和解の印として、相手に娘を与えるという親族もあるとか。
まさに道具。物と同じ扱い。
それに対して女性は、満足な教育も受けさせてもらえず、泣き寝入りしてきたのでしょう。
ひどい。本当にひどい話です。
でも、このことから短絡的に、イスラム原理主義が悪いからだとは言えないと思います。
なぜかと言うと、誰もが高度な教育を受けられ、宗教的な束縛のない日本においてさえ、こういうことがあるからです。
「ウソでしょう?日本でそんなこと、あり得ないって。」
そう思われるかもしれませんが、実際はあります。
しかも、ごく身近に。
それは、児童虐待です。
よくニュースにも取り上げられますが、日本では子供の人権が軽んじられ、踏みにじられています。
「いや、それは特殊なケースでしょ。」
そう思い込みたいかもしれませんが、それは事実ではありません。
子供に何かをわからせようとして、叩いたことはありませんか?
怒鳴ったことは?脅したことは?
おそらく、ほとんどの人があるはずです。
「だって、子供はまだ未熟だから、大人が教えてあげなきゃいけないから。」
それと同じ理屈が、アフガンの女性に使われています。
かつて日本でも、女性は同じ立場でした。
家の嫁としてしか見られず、1人の人間とは思われなかったのです。
アフガンの殺人事件のニュースは、他人ごとではないと思います。
その原因は、私たちの心の中にもあるのです。
子供に、自分(大人)の価値観を押し付けているでしょう?
自分で考えることをさせないよう、情報から遠ざけたり、批判したり、怒ったり、叩いたりしているでしょう?
それでも思い通りにならないと...。
虐待、子殺し、成長した子供から逆襲されて親殺し。
そんな事件は、数えきれないほど起きています。
私たちがまず、自分の考え方を変えなければならない。
そう思いませんか?
「私はこう思う。あなたは、どう思うの?」
そういう問いかけが、子供の健全な心を育みます。
親が子供に、善悪の価値観などを押し付けるのではなく、子供自身に考えさせるのです。
そのとき、何を言っても安全なのだという絶対的な安心を与えなければなりません。
親の意見と違ってもいい。
いやむしろ、違っていることを喜ぶ。
そうすることで子供は、自律した存在として育つのです。
また親自身も、そういう育て方をすることで、自分が自律できるようになるのです。
と言うように私は考えますが、あなたは、どう考えますか?
「売春拒否した20歳女性の首を切断」
アフガニスタンで起きた事件です。
このタイトルを読んだ時、私は、売春婦と何かトラブルになったため、殺害したのかと思ったのです。
しかし、それは間違いでした。
そのニュースは、もっと驚くべき内容だったのです。
要約すると、以下のようになります。
殺された女性は結婚していて、義母から売春を強要されたそうです。
それを断ったところ、首を切断されてしまったとのこと。
なんで???
そう思いますよね。
だって義理の母が、どうして夫を裏切るようなことをさせるのか、想像できませんから。
続きを読むと、アフガニスタンの女性がどういう立場に置かれているかがわかります。
女性の人権がないのです。
単に、子供を産む役割とか、働き手として期待されているだけ。
そのため、子供を産めない体だとわかると、売春を強要されることもあるのだそうです。
また、借金のかたや争いの和解の印として、相手に娘を与えるという親族もあるとか。
まさに道具。物と同じ扱い。
それに対して女性は、満足な教育も受けさせてもらえず、泣き寝入りしてきたのでしょう。
ひどい。本当にひどい話です。
でも、このことから短絡的に、イスラム原理主義が悪いからだとは言えないと思います。
なぜかと言うと、誰もが高度な教育を受けられ、宗教的な束縛のない日本においてさえ、こういうことがあるからです。
「ウソでしょう?日本でそんなこと、あり得ないって。」
そう思われるかもしれませんが、実際はあります。
しかも、ごく身近に。
それは、児童虐待です。
よくニュースにも取り上げられますが、日本では子供の人権が軽んじられ、踏みにじられています。
「いや、それは特殊なケースでしょ。」
そう思い込みたいかもしれませんが、それは事実ではありません。
子供に何かをわからせようとして、叩いたことはありませんか?
怒鳴ったことは?脅したことは?
おそらく、ほとんどの人があるはずです。
「だって、子供はまだ未熟だから、大人が教えてあげなきゃいけないから。」
それと同じ理屈が、アフガンの女性に使われています。
かつて日本でも、女性は同じ立場でした。
家の嫁としてしか見られず、1人の人間とは思われなかったのです。
アフガンの殺人事件のニュースは、他人ごとではないと思います。
その原因は、私たちの心の中にもあるのです。
子供に、自分(大人)の価値観を押し付けているでしょう?
自分で考えることをさせないよう、情報から遠ざけたり、批判したり、怒ったり、叩いたりしているでしょう?
それでも思い通りにならないと...。
虐待、子殺し、成長した子供から逆襲されて親殺し。
そんな事件は、数えきれないほど起きています。
私たちがまず、自分の考え方を変えなければならない。
そう思いませんか?
「私はこう思う。あなたは、どう思うの?」
そういう問いかけが、子供の健全な心を育みます。
親が子供に、善悪の価値観などを押し付けるのではなく、子供自身に考えさせるのです。
そのとき、何を言っても安全なのだという絶対的な安心を与えなければなりません。
親の意見と違ってもいい。
いやむしろ、違っていることを喜ぶ。
そうすることで子供は、自律した存在として育つのです。
また親自身も、そういう育て方をすることで、自分が自律できるようになるのです。
と言うように私は考えますが、あなたは、どう考えますか?
2012年10月26日
ベランダの住人のその後
ベランダの住人に退去していただくべく、鳩よけを設置したのが2週間ほど前の話です。
設置してしばらく、鳩がやって来ないと思っていましたが、一時帰国直前になって妻が言いました。
「またハトが来ているよ。」
おかしいなあー?手すりにはとまれないはずなのですが...。
妻が言うには、張った釣り糸を足で押さえつけるようにしていたとのこと。
それで、少し高めに設置しなおして、一時帰国の途についたのでした。
一時帰国から戻ってきたのが先週末。
早朝の便でバンコクに到着したので、部屋に戻って荷物を解き、シャワーを浴びて出社しました。
そのとき、窓の外から聞き慣れた鳴き声が聞こえてきました。
「グルッ、グルー、グルッ、グルー」
「あれっ?まさかうちのベランダじゃないよね?隣の部屋のベランダだよね?」
恐る恐るベランダを覗くと、鳩はいませんでした。
「やっぱり隣に違いない。」
ホッとしてベランダに出たところ、愕然としました。
エアコンの室外機の上に、いくつも鳩の糞があったのです。
よくよく見ると、ベランダの床にもいくつか落ちています。
そして、室外機とは反対側にある洗濯機の方へ歩いて行ったところ、その裏からハトが2羽飛び出してきて、急上昇して飛び去って行きました。
また、居着かれてしまってました。
どうしてそんなに、居心地が良いのでしょう。
日曜日、さっそく追加の対策をとりました。
隙間を完全に塞ぎ、止まる場所をなくす作戦です。
ペットボトルに水を入れ、ハトがとまるスペースや、隅に入るスペースをなくしました。
エアコン室外機の奥にある巣を作るスペースも、同様にして塞ぎました。
反対側の洗濯機の方も、奥に入るスペースを塞ぎ、巣を作りやすい場所をペットボトルで埋めました。
ここまですれば、少なくとも巣は作れないはず。
巣が作れないとなれば、手すりにもとまれないから、あえてこのベランダにやって来ることはないのでは...。
そう、期待しています。
たのむよ、鳩くん。
設置してしばらく、鳩がやって来ないと思っていましたが、一時帰国直前になって妻が言いました。
「またハトが来ているよ。」
おかしいなあー?手すりにはとまれないはずなのですが...。
妻が言うには、張った釣り糸を足で押さえつけるようにしていたとのこと。
それで、少し高めに設置しなおして、一時帰国の途についたのでした。
一時帰国から戻ってきたのが先週末。
早朝の便でバンコクに到着したので、部屋に戻って荷物を解き、シャワーを浴びて出社しました。
そのとき、窓の外から聞き慣れた鳴き声が聞こえてきました。
「グルッ、グルー、グルッ、グルー」
「あれっ?まさかうちのベランダじゃないよね?隣の部屋のベランダだよね?」
恐る恐るベランダを覗くと、鳩はいませんでした。
「やっぱり隣に違いない。」
ホッとしてベランダに出たところ、愕然としました。
エアコンの室外機の上に、いくつも鳩の糞があったのです。
よくよく見ると、ベランダの床にもいくつか落ちています。
そして、室外機とは反対側にある洗濯機の方へ歩いて行ったところ、その裏からハトが2羽飛び出してきて、急上昇して飛び去って行きました。
また、居着かれてしまってました。
どうしてそんなに、居心地が良いのでしょう。
日曜日、さっそく追加の対策をとりました。
隙間を完全に塞ぎ、止まる場所をなくす作戦です。
ペットボトルに水を入れ、ハトがとまるスペースや、隅に入るスペースをなくしました。
エアコン室外機の奥にある巣を作るスペースも、同様にして塞ぎました。
反対側の洗濯機の方も、奥に入るスペースを塞ぎ、巣を作りやすい場所をペットボトルで埋めました。
ここまですれば、少なくとも巣は作れないはず。
巣が作れないとなれば、手すりにもとまれないから、あえてこのベランダにやって来ることはないのでは...。
そう、期待しています。
たのむよ、鳩くん。
2012年10月27日
「平穏死」10の条件
最後は自然に死にたい。無意味な延命措置はしないでほしい。
そう多くの人が望むものの、実際は延命措置の果てに亡くなる人が多いのだとか。
なぜそうなってしまうのか?そうならないためにはどうすれば良いのか?
誰もが必ず経験する死という出来事に対し、何をどう考えて準備しておけばよいかを、わかりやすく説明している本です。
私は以前、「大往生したければ医療とかかわるな」という本を読んで衝撃を受けました。
年をとってからの癌は、治療しないことで痛みからも解放されるという事実を知ったからです。
私がガンを恐れていたのは、主にその痛みでした。けれど、それがないのだとすれば、むしろ好都合な病気と言えます。
自分がだいたいいつ死ぬかもわかるから、いろいろ準備しておけます。
それに、余命を思う存分に楽しめますからね。
それと同時に、医療の現場では延命措置という問題点があることもわかりました。
そうして次に読んだのが、「「平穏死」という選択」という本でした。
癌よりも、認知症になって胃ろうを付けられ、意識がないまま生かされるという問題があることを知ったのです。
私の伯父も、認知症の末、胃ろうをつけて療養施設で生かされていました。
脚は硬直し、折れ曲がったまま。意識はありません。
「自分はこんな状態になりたくない。」
私はそう思いました。
でも、実際には思ってもみなかった問題点があるのです。
救急車で病院に運ばれてしまうと、流れに抗うことができず、胃ろうをつけられ、そして一度つけると外せなくなってしまうという現実があったのです。
そのことを、今回の本で知りました。
自分が本当に尊厳を持って死にたいなら、家族を看取って満足したいのなら、これら3冊をぜひ読んでほしいと思います。
そして、家族とよく話し合って、自分の死の準備をしておくことが大切だと思うのです。
タイ人の彼女を日本へ来させる為のビザ取得について
※タイ人が日本に短期滞在する場合の査証(ビザ)免除が決定されています。詳細はこの記事の最下段に追記しました。
私はタイ人の女性と結婚し、何度か日本へ連れて行っています。
それは結婚する前からで、この前ので6回目になりました。
最初はビザ取得のための書類がよくわからず、苦労したものです。
先日、知り合いの方からどんな書類を出せば良いのかと聞かれました。
きっと、他にもよくわからなくて困っている方もおられるのでしょう。
私なりに感じていることを書いておくのも、何かの役に立つのではと思い、タイ人を日本に呼ぶ場合のビザ取得に必要な書類について、書いておこうと思います。
まず基本的な情報ですが、「在タイ日本大使館」のWEBサイトを参照してください。
必要な書類だとか、情報は時間とともに古くなっていきます。
もっとも信頼できるニュースソースを知っておくことが、何より重要になります。
このページにアクセスすると、このような画面が開きます。
スクロールして右下の方に、「日本へのビザ(査証)」というリンクがありますので、そこをクリックします。
すると、ビザ申請に必要な書類などについて書かれたページが開きます。
これを下の方にスクロールすると、「観光・知人訪問等の目的で短期滞在査証を申請する方へ」というリンクがありますので、そこをクリックしてください。
開いたページには、ビザ申請に必要な書類について、詳しく書かれています。
その前半部分は、本人が用意する資料ですから、タイ人の方に読んでもらうと良いでしょう。
ページの右上に「→タイ語版はこちら」というリンクがありますから、そこをクリックしてもらえばタイ語記述の同内容のページが開きます。
タイ人を呼びたい日本人の方が用意する資料については、下の方に書かれていますからスクロールしてください。
「9.その他参考書類」とあり、任意だと書かれていますが、万が一を考えると用意しておくべきでしょう。
フォーマットは、そのページの「書式見本」というリンクからPDFファイルが開きますので、そちらを参考にすると良いでしょう。
私が、それにしたがってExcelで作ったサンプルがありますので、公開しますね。ダウンロードしてご自由にお使いください。
→渡航理由を証明する書類サンプル(Excel)
赤字になっているところを書換え、文字色を黒に変更してプリントしてくださいね。
「招聘理由書」「身元保証書」「滞在予定表」に加え、「知人関係を証明する文書」も付けてあります。
さらに、日本へ呼ぶタイ人が恋人とか親しい関係であるなら、2人で写った写真などもほしいところです。
なお、私が作ったサンプルは、タイに滞在している日本人が、そのタイ人と一緒に日本へ行くケースで書かれていますので、その部分はご自身のケースに合わせて変更してくださいね。
いずれにせよ重要なのは、ビザを申請したタイ人が日本で悪いことをしないと認められるかどうか、という点になります。
それさえクリアすれば、特に最近はタイ人に対するビザを緩和する傾向にありますので、問題なくビザを取れると思います。
そのために抑えておくべきポイントは、以下の点になります。
1.金を稼ぐ目的でないことを証明するために、充分なお金があることを示すこと。
銀行の預金残高を示したり、招聘する側の年収を示すのも、そういう目的です。したがって、もし招聘者の給料が低く、タイ人の方も充分な所得や預金がない場合は、それなりの人に保証人になってもらいましょう。
その保証人も、招聘者と関係が深い人ほどベストです。父親とか、会社の上司などです。
2.招聘者がタイ人を呼ぶ必要性があることを証明するために、関係や理由を詳細に示すこと。
関係を説明する文書や写真は、そのために役立ちます。また滞在予定表にも、それを補強するような内容を書くべきです。
たとえば恋人なら、婚約者として紹介するための親戚周りとか、墓参りなどの行事を入れておくことです。
もちろんそれがなければいけないというのではなく、もしそういう予定があるなら、隠さずに書いておいた方が良いと思います。
今年の6月から、タイ人に対しても3年有効のマルチプル・ビザが発給されるようになりました。
初めての申請だと難しいかもしれませんが、恋人、婚約者、夫婦などの関係で、頻繁に日本へ行くことが考えられる場合は、検討してみられると良いと思います。
みなさんのお役に立てることを祈っています。
★2013年6月25日追記
6月25日の発表ですが、短期滞在を目的とするタイ人の査証(ビザ)免除は7月1日からと決定しました。
滞在期間は15日間まで。入国審査においては、滞在目的を質問したり、出国の航空券など必要書類の提示を求めることがあるとのこと。詳しくは在タイ日本大使館の該当WEBページをご確認ください。
★2013年6月30日追記
まだどんな運用がされるかわかりませんが、韓国のように、入国審査で門前払いされるケースが増えるのではないかと、タイ人の間では懸念されています。
ツアーならあまり問題になりませんが、そうでない場合は、やはりビザ申請に必要な資料と同等のものを、入国審査で提示することになるかもしれません。
頻繁に日本へ行くことがある場合は、有料ですがマルチプルのビザを取っておくのも一法かもしれませんね。
★2013年10月10日追記
タイからのツアーに添乗しているタイ人ガイドから聞いた話ですが、すでに300人くらいの失踪者(=不法滞在者)がいるそうです。これはその人が、日本で警察官からツアーの参加人数を聞かれたとき、聞いた話だとか。
十分に予想されたことですが、こういうことが収まらないと、またビザが必要になるかもしれません。また、若い女性は特に、入国審査が厳しくなる可能性があります。
ビザ無しでタイ人を招聘(しょうへい)する場合、ツアーの日程表や日本での身元保証人などの資料を持たせて置くことが、スムーズな入国につながると思われますね。
私はタイ人の女性と結婚し、何度か日本へ連れて行っています。
それは結婚する前からで、この前ので6回目になりました。
最初はビザ取得のための書類がよくわからず、苦労したものです。
先日、知り合いの方からどんな書類を出せば良いのかと聞かれました。
きっと、他にもよくわからなくて困っている方もおられるのでしょう。
私なりに感じていることを書いておくのも、何かの役に立つのではと思い、タイ人を日本に呼ぶ場合のビザ取得に必要な書類について、書いておこうと思います。
まず基本的な情報ですが、「在タイ日本大使館」のWEBサイトを参照してください。
必要な書類だとか、情報は時間とともに古くなっていきます。
もっとも信頼できるニュースソースを知っておくことが、何より重要になります。
このページにアクセスすると、このような画面が開きます。
スクロールして右下の方に、「日本へのビザ(査証)」というリンクがありますので、そこをクリックします。
すると、ビザ申請に必要な書類などについて書かれたページが開きます。
これを下の方にスクロールすると、「観光・知人訪問等の目的で短期滞在査証を申請する方へ」というリンクがありますので、そこをクリックしてください。
開いたページには、ビザ申請に必要な書類について、詳しく書かれています。
その前半部分は、本人が用意する資料ですから、タイ人の方に読んでもらうと良いでしょう。
ページの右上に「→タイ語版はこちら」というリンクがありますから、そこをクリックしてもらえばタイ語記述の同内容のページが開きます。
タイ人を呼びたい日本人の方が用意する資料については、下の方に書かれていますからスクロールしてください。
「9.その他参考書類」とあり、任意だと書かれていますが、万が一を考えると用意しておくべきでしょう。
フォーマットは、そのページの「書式見本」というリンクからPDFファイルが開きますので、そちらを参考にすると良いでしょう。
私が、それにしたがってExcelで作ったサンプルがありますので、公開しますね。ダウンロードしてご自由にお使いください。
→渡航理由を証明する書類サンプル(Excel)
赤字になっているところを書換え、文字色を黒に変更してプリントしてくださいね。
「招聘理由書」「身元保証書」「滞在予定表」に加え、「知人関係を証明する文書」も付けてあります。
さらに、日本へ呼ぶタイ人が恋人とか親しい関係であるなら、2人で写った写真などもほしいところです。
なお、私が作ったサンプルは、タイに滞在している日本人が、そのタイ人と一緒に日本へ行くケースで書かれていますので、その部分はご自身のケースに合わせて変更してくださいね。
いずれにせよ重要なのは、ビザを申請したタイ人が日本で悪いことをしないと認められるかどうか、という点になります。
それさえクリアすれば、特に最近はタイ人に対するビザを緩和する傾向にありますので、問題なくビザを取れると思います。
そのために抑えておくべきポイントは、以下の点になります。
1.金を稼ぐ目的でないことを証明するために、充分なお金があることを示すこと。
銀行の預金残高を示したり、招聘する側の年収を示すのも、そういう目的です。したがって、もし招聘者の給料が低く、タイ人の方も充分な所得や預金がない場合は、それなりの人に保証人になってもらいましょう。
その保証人も、招聘者と関係が深い人ほどベストです。父親とか、会社の上司などです。
2.招聘者がタイ人を呼ぶ必要性があることを証明するために、関係や理由を詳細に示すこと。
関係を説明する文書や写真は、そのために役立ちます。また滞在予定表にも、それを補強するような内容を書くべきです。
たとえば恋人なら、婚約者として紹介するための親戚周りとか、墓参りなどの行事を入れておくことです。
もちろんそれがなければいけないというのではなく、もしそういう予定があるなら、隠さずに書いておいた方が良いと思います。
今年の6月から、タイ人に対しても3年有効のマルチプル・ビザが発給されるようになりました。
初めての申請だと難しいかもしれませんが、恋人、婚約者、夫婦などの関係で、頻繁に日本へ行くことが考えられる場合は、検討してみられると良いと思います。
みなさんのお役に立てることを祈っています。
★2013年6月25日追記
6月25日の発表ですが、短期滞在を目的とするタイ人の査証(ビザ)免除は7月1日からと決定しました。
滞在期間は15日間まで。入国審査においては、滞在目的を質問したり、出国の航空券など必要書類の提示を求めることがあるとのこと。詳しくは在タイ日本大使館の該当WEBページをご確認ください。
★2013年6月30日追記
まだどんな運用がされるかわかりませんが、韓国のように、入国審査で門前払いされるケースが増えるのではないかと、タイ人の間では懸念されています。
ツアーならあまり問題になりませんが、そうでない場合は、やはりビザ申請に必要な資料と同等のものを、入国審査で提示することになるかもしれません。
頻繁に日本へ行くことがある場合は、有料ですがマルチプルのビザを取っておくのも一法かもしれませんね。
★2013年10月10日追記
タイからのツアーに添乗しているタイ人ガイドから聞いた話ですが、すでに300人くらいの失踪者(=不法滞在者)がいるそうです。これはその人が、日本で警察官からツアーの参加人数を聞かれたとき、聞いた話だとか。
十分に予想されたことですが、こういうことが収まらないと、またビザが必要になるかもしれません。また、若い女性は特に、入国審査が厳しくなる可能性があります。
ビザ無しでタイ人を招聘(しょうへい)する場合、ツアーの日程表や日本での身元保証人などの資料を持たせて置くことが、スムーズな入国につながると思われますね。
2012年10月29日
巨大淡水魚の釣りを楽しみました
昨日は、ブンサムランという釣堀へ行きました。
バンコクの中心部から約30分という近さです。ここで、巨大淡水魚のプラー・ブックを釣るのです。
広い釣堀には、バンガローがたくさん建っています。その1つを借りました。12時間で1,000バーツという安さです。
入漁料は、竿1本につき、外国人は1,000バーツ、タイ人は400バーツとなっています。
外国人料金があるのは、タイではもう常識ですね。
ただし、タイで働いている人は特別料金500バーツが適用されるので、ワークパミット(労働許可証)を見せれば日本人でも安くなります。
また、入漁料は竿1本あたりなので、数人で1本というのもOKです。
私たちは4人で1本。これでも充分です。だって魚がとてつもなくでかいので、1匹釣り上げると、しばらく動きたくなくなるほど疲れますから。
釣竿のレンタルは1本100バーツ。釣り方がわからないとか、上手く釣れない人はガイドを雇うこともできて、12時間で1,000バーツになります。
飲食物の持ち込みは原則禁止ですが、そんなに高くない値段で水やビール、お菓子などを買えます。
また、11時から食事の注文もできるので、1日バンガローでくつろぎながら釣りを楽しめます。
写真は釣り上げた魚ですが、でかいでしょう?これで20kg以上はあるそうです。
後ろの方に、バンガローが写っています。こんなバンガローが、約20軒くらい建っています。
一番大きいのは5,000バーツ、エアコン付きのは2,000バーツするそうです。
釣れるのはだいたいプラーブックというナマズのような魚です。
他にちょっと小さめ(と言っても15kgくらいになるそうですが)のプラーサワイという魚も釣れます。
キャッチ&リリースが基本ですが、重さに応じた代金を支払えば、持ち帰ることもできるそうです。
1匹釣り上げるのに、5分はかかるというハードな釣りです。
魚の引きが強い上に、近くまで寄せても、そこから走ること走ること。
1匹釣ると、もう肩で息をするくらい疲れます。
4人で交代しながら釣ったのですが、途中でバレたりすると、連続でもう1回チャレンジさせられるのです。
これは釣りを楽しむというより、罰ゲームをさせられているような心境になりますよ。
でも、1日ビールを飲みながらたっぷり楽しんで、1人あたり1,000バーツで済むのですから、安い遊びですね。
この日の一番の大物は、推定40kgはありそうな胴回りの太いプラーブックでした。
アパートに戻って休憩した後、ちょっとだけ仕事をしました。
仕事と言っても会社のではなく、家庭の仕事。ベランダの住人を追い出す装置の補修です。
土曜日の朝、またベランダから鳩の鳴き声が聞こえたので、カーテンを開けるとやっぱり鳩がいました。
鳩は慌てて飛び立ち、ベランダに張った釣り糸にぶつかりながらも逃げて行きました。
実は前日に、張る釣り糸の高さを高くしたのです。
以前は、ベランダの手すりにとまらせないために、手すりの上20cmくらいの高さにしてありました。
それを、突っ張り棒を目一杯伸ばして、手すりの上1mくらいまで高くしました。
そこを20cm間隔くらいで釣り糸を張っていたのです。
それでも、その間をぶつかりながらもすり抜けられたので、この日はさらに釣り糸を2本増やし、15cm間隔くらいになるようにしました。
これでもう、侵入するときはもちろん、飛び去る時も、上部のわずかな空間を通るしかないはずです。
それと、すぐに弾力性がなくなって使い物にならなくなる輪ゴムを挟むのをやめて、釣り糸を直結するようにしました。
万が一、鳥がぶつかったときの衝撃は大きくなるでしょうけど、ピンとは張っていないし突っ張り棒の弾性もあるので、大きな怪我にはならないと思います。
これで、侵入は完全に防げないとしても、飛び去る時がたいへんなので、少なくとも子育ては無理。
また、慌てて飛び去ろうとすると、逃げられなくてパニックになるかも。
ちょっと申し訳ないけど、そのくらいしておかないと、なかなかベランダを明け渡してもらえそうにありません。
やはり一度でも巣を作られてしまうと、完全に退去させるのは大変なようです。
バンコクの中心部から約30分という近さです。ここで、巨大淡水魚のプラー・ブックを釣るのです。
広い釣堀には、バンガローがたくさん建っています。その1つを借りました。12時間で1,000バーツという安さです。
入漁料は、竿1本につき、外国人は1,000バーツ、タイ人は400バーツとなっています。
外国人料金があるのは、タイではもう常識ですね。
ただし、タイで働いている人は特別料金500バーツが適用されるので、ワークパミット(労働許可証)を見せれば日本人でも安くなります。
また、入漁料は竿1本あたりなので、数人で1本というのもOKです。
私たちは4人で1本。これでも充分です。だって魚がとてつもなくでかいので、1匹釣り上げると、しばらく動きたくなくなるほど疲れますから。
釣竿のレンタルは1本100バーツ。釣り方がわからないとか、上手く釣れない人はガイドを雇うこともできて、12時間で1,000バーツになります。
飲食物の持ち込みは原則禁止ですが、そんなに高くない値段で水やビール、お菓子などを買えます。
また、11時から食事の注文もできるので、1日バンガローでくつろぎながら釣りを楽しめます。
写真は釣り上げた魚ですが、でかいでしょう?これで20kg以上はあるそうです。
後ろの方に、バンガローが写っています。こんなバンガローが、約20軒くらい建っています。
一番大きいのは5,000バーツ、エアコン付きのは2,000バーツするそうです。
釣れるのはだいたいプラーブックというナマズのような魚です。
他にちょっと小さめ(と言っても15kgくらいになるそうですが)のプラーサワイという魚も釣れます。
キャッチ&リリースが基本ですが、重さに応じた代金を支払えば、持ち帰ることもできるそうです。
1匹釣り上げるのに、5分はかかるというハードな釣りです。
魚の引きが強い上に、近くまで寄せても、そこから走ること走ること。
1匹釣ると、もう肩で息をするくらい疲れます。
4人で交代しながら釣ったのですが、途中でバレたりすると、連続でもう1回チャレンジさせられるのです。
これは釣りを楽しむというより、罰ゲームをさせられているような心境になりますよ。
でも、1日ビールを飲みながらたっぷり楽しんで、1人あたり1,000バーツで済むのですから、安い遊びですね。
この日の一番の大物は、推定40kgはありそうな胴回りの太いプラーブックでした。
アパートに戻って休憩した後、ちょっとだけ仕事をしました。
仕事と言っても会社のではなく、家庭の仕事。ベランダの住人を追い出す装置の補修です。
土曜日の朝、またベランダから鳩の鳴き声が聞こえたので、カーテンを開けるとやっぱり鳩がいました。
鳩は慌てて飛び立ち、ベランダに張った釣り糸にぶつかりながらも逃げて行きました。
実は前日に、張る釣り糸の高さを高くしたのです。
以前は、ベランダの手すりにとまらせないために、手すりの上20cmくらいの高さにしてありました。
それを、突っ張り棒を目一杯伸ばして、手すりの上1mくらいまで高くしました。
そこを20cm間隔くらいで釣り糸を張っていたのです。
それでも、その間をぶつかりながらもすり抜けられたので、この日はさらに釣り糸を2本増やし、15cm間隔くらいになるようにしました。
これでもう、侵入するときはもちろん、飛び去る時も、上部のわずかな空間を通るしかないはずです。
それと、すぐに弾力性がなくなって使い物にならなくなる輪ゴムを挟むのをやめて、釣り糸を直結するようにしました。
万が一、鳥がぶつかったときの衝撃は大きくなるでしょうけど、ピンとは張っていないし突っ張り棒の弾性もあるので、大きな怪我にはならないと思います。
これで、侵入は完全に防げないとしても、飛び去る時がたいへんなので、少なくとも子育ては無理。
また、慌てて飛び去ろうとすると、逃げられなくてパニックになるかも。
ちょっと申し訳ないけど、そのくらいしておかないと、なかなかベランダを明け渡してもらえそうにありません。
やはり一度でも巣を作られてしまうと、完全に退去させるのは大変なようです。
2012年10月30日
人はなぜ立つこともできない赤ん坊として生まれるのか?
人間以外の動物は、生まれると同時に立ち上がり、歩き出し、中には親と同等の能力を持つものもいます。
それは、いち早く親と同じような能力を身につけないと、生きていけない現実があるからだと言います。
でも、ちょっと待ってください。
もし人間がそういう動物から進化したのだとしたら、どうして人間の赤ちゃんは立つことはおろか、座ることさえできないほど未熟な状態で生まれるのでしょうか?
母体の中で育つ期間だって、十月十日と言われるほど長期間です。
そこまで体内で育てながら、それでも未熟な状態で生まれるのは、進化論的にはおかしなことだと思います。
もちろん、人間は親が子を守る能力に長けているので、未熟なままで生まれても育てることが可能なため、その能力が退化したとも言えるでしょう。
でも、なぜ?どうして退化させる必要性があるのでしょうか?
説明はいろいろできると思いますが、私は、人間は体験することが生きる目的だからだと思うのです。
体験するというのは、いろいろと試してみるということです。
赤ちゃんに「ストーブは熱いから触っちゃダメ!」と叱ったところで、理解できないでしょう。
「熱いって何?どういうこと?どうして熱いと触っちゃいけないの?」
熱いということはわかっても、それがどういうことなのかは体験しないとわかりません。
その体験によって熱いとは、自分にとってものすごく不快なことなのだと理解します。
大人からすると、それは無用なことだと思うかもしれません。
けれども赤ちゃんにとっては、それもまた貴重な体験です。
大人にとって失敗と思えることが、子どもにとっては重要な体験なのです。
もちろんこれは極端な例であって、だから赤ちゃんがストーブを触ろうとしても放っておきなさいと言っているわけではありませんよ。
手を近づけて熱いということを体験させてわからせることで充分です。
火傷までさせる必要はありません。
しかし、この考え方の違いをよく考えてみてほしいのです。
体験させるというのは、失敗を許容することです。
「許容」という言葉を使ったのは、一般的に失敗が許されないことと考えられているように思うからで、本当は許容ではありません。
失敗こそが体験だと言う方が、より真実に近いと思います。
私もそうでしたが、いつしか失敗を怖れるようになっていました。
失敗してはいけない。失敗することは、自分の存在そのものが否定されるのと同じこと。そう感じていたのです。
完全主義者。そう自分のことを思っていましたが、そんなカッコイイものではありません。
単に失敗を怖れる臆病者です。
だって、失敗しないためには、100%できると思うことしか挑戦しないことしかないのですから。
ですから、長年想いを寄せていた初恋の人にさえ、自分で告白できなかったのです。
今は、そういう生き方(考え方)が間違っていることがわかります。
私は間違った価値観を持ち続けていたのです。
「間違った」という意味は、私が本来ありたいと思う自分の姿に照らして、その価値観では上手くいかないという意味です。
「悪い」という意味ではありません。
いんやく・りおくんの「自分をえらんで生まれてきたよ」という本にあるように、人は、親や環境を選んで生まれてくるのだと思います。
それは、自分自身(=魂)が果たしたい課題があるからです。
その課題に挑戦するのに最適な条件を自ら設定して生まれてくるのです。
その中で、完璧な人生を過ごすように設計されているのだと思います。
「完璧」とは、体験が完璧だということであって、失敗しないという意味ではありません。
自分が生まれた環境は、自分の課題に挑戦するために完璧なのです。
生まれつき障害を負っている場合も、両親が離婚するとか、大事件に遭遇するなどの出来事も、自分の課題に挑戦するために完璧にお膳立てされたことなのです。
その中で私たちは、どう生きるかを決定することができます。その自由があるのです。
自分の意志で自由に考えることができるので、そういった出来事をどう体験するかが選べます。
そのときも、先ほどの意味で「間違った」考え方を選択するかもしれません。
でも、それが良いのだと思います。
「間違った」考え方であっても、それは自分の体験につながります。
その体験によって、私たちは自分自身を知るのです。
「間違った」と気づいたなら、正しい電車に乗り換えるだけのこと。他の考え方を選び直せば良いのです。
「間違った」考え方を選択することは、けして失敗ではありません。
単に体験を楽しんだに過ぎないのです。
子どもの頃、道草をせずにまっすぐに家に帰れと親からも先生からも言われました。
道草をするのは悪いことという価値観を、私は身につけたのです。
でも、今なら別の価値観を採用します。
大いに道草をしなさい。自分の興味に従って、様々なことを体験しなさい。
そして、その体験が自分らしくないと思ったら、あっさりとその考え方を捨て、他の考え方を選び直しなさい。
人生は、そういった体験の連続です。
出来事に反応して体験させられるのではなく、自らの意志で体験した方が、より楽しいと思いませんか?
私は、その方が楽しいと思います。
だからみなさんにも、その楽しい生き方をお勧めするのです。
それは、いち早く親と同じような能力を身につけないと、生きていけない現実があるからだと言います。
でも、ちょっと待ってください。
もし人間がそういう動物から進化したのだとしたら、どうして人間の赤ちゃんは立つことはおろか、座ることさえできないほど未熟な状態で生まれるのでしょうか?
母体の中で育つ期間だって、十月十日と言われるほど長期間です。
そこまで体内で育てながら、それでも未熟な状態で生まれるのは、進化論的にはおかしなことだと思います。
もちろん、人間は親が子を守る能力に長けているので、未熟なままで生まれても育てることが可能なため、その能力が退化したとも言えるでしょう。
でも、なぜ?どうして退化させる必要性があるのでしょうか?
説明はいろいろできると思いますが、私は、人間は体験することが生きる目的だからだと思うのです。
体験するというのは、いろいろと試してみるということです。
赤ちゃんに「ストーブは熱いから触っちゃダメ!」と叱ったところで、理解できないでしょう。
「熱いって何?どういうこと?どうして熱いと触っちゃいけないの?」
熱いということはわかっても、それがどういうことなのかは体験しないとわかりません。
その体験によって熱いとは、自分にとってものすごく不快なことなのだと理解します。
大人からすると、それは無用なことだと思うかもしれません。
けれども赤ちゃんにとっては、それもまた貴重な体験です。
大人にとって失敗と思えることが、子どもにとっては重要な体験なのです。
もちろんこれは極端な例であって、だから赤ちゃんがストーブを触ろうとしても放っておきなさいと言っているわけではありませんよ。
手を近づけて熱いということを体験させてわからせることで充分です。
火傷までさせる必要はありません。
しかし、この考え方の違いをよく考えてみてほしいのです。
体験させるというのは、失敗を許容することです。
「許容」という言葉を使ったのは、一般的に失敗が許されないことと考えられているように思うからで、本当は許容ではありません。
失敗こそが体験だと言う方が、より真実に近いと思います。
私もそうでしたが、いつしか失敗を怖れるようになっていました。
失敗してはいけない。失敗することは、自分の存在そのものが否定されるのと同じこと。そう感じていたのです。
完全主義者。そう自分のことを思っていましたが、そんなカッコイイものではありません。
単に失敗を怖れる臆病者です。
だって、失敗しないためには、100%できると思うことしか挑戦しないことしかないのですから。
ですから、長年想いを寄せていた初恋の人にさえ、自分で告白できなかったのです。
今は、そういう生き方(考え方)が間違っていることがわかります。
私は間違った価値観を持ち続けていたのです。
「間違った」という意味は、私が本来ありたいと思う自分の姿に照らして、その価値観では上手くいかないという意味です。
「悪い」という意味ではありません。
いんやく・りおくんの「自分をえらんで生まれてきたよ」という本にあるように、人は、親や環境を選んで生まれてくるのだと思います。
それは、自分自身(=魂)が果たしたい課題があるからです。
その課題に挑戦するのに最適な条件を自ら設定して生まれてくるのです。
その中で、完璧な人生を過ごすように設計されているのだと思います。
「完璧」とは、体験が完璧だということであって、失敗しないという意味ではありません。
自分が生まれた環境は、自分の課題に挑戦するために完璧なのです。
生まれつき障害を負っている場合も、両親が離婚するとか、大事件に遭遇するなどの出来事も、自分の課題に挑戦するために完璧にお膳立てされたことなのです。
その中で私たちは、どう生きるかを決定することができます。その自由があるのです。
自分の意志で自由に考えることができるので、そういった出来事をどう体験するかが選べます。
そのときも、先ほどの意味で「間違った」考え方を選択するかもしれません。
でも、それが良いのだと思います。
「間違った」考え方であっても、それは自分の体験につながります。
その体験によって、私たちは自分自身を知るのです。
「間違った」と気づいたなら、正しい電車に乗り換えるだけのこと。他の考え方を選び直せば良いのです。
「間違った」考え方を選択することは、けして失敗ではありません。
単に体験を楽しんだに過ぎないのです。
子どもの頃、道草をせずにまっすぐに家に帰れと親からも先生からも言われました。
道草をするのは悪いことという価値観を、私は身につけたのです。
でも、今なら別の価値観を採用します。
大いに道草をしなさい。自分の興味に従って、様々なことを体験しなさい。
そして、その体験が自分らしくないと思ったら、あっさりとその考え方を捨て、他の考え方を選び直しなさい。
人生は、そういった体験の連続です。
出来事に反応して体験させられるのではなく、自らの意志で体験した方が、より楽しいと思いませんか?
私は、その方が楽しいと思います。
だからみなさんにも、その楽しい生き方をお勧めするのです。
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