2012年09月01日
さいごの色街 飛田
大阪に、飛田(とびた)という場所があるのだそうです。
そこは昔の遊郭の街並みがそのまま残り、そこを料亭という形で利用し、その内実は管理売春を行なっているそうです。
20分とか30分という短い時間で、風呂もシャワーもなく、安くエッチできるところ。
そういう意味ではソープとも違い、日本では飛田だけなのかもしれません。
そんな色街を、女性のフリーライター井上理津子さんが12年に渡って取材し、書き上げた本だそうです。
私はこの本を、読者登録したアメブロ「本が好き!」の記事 で知りました。(多分そうだったと記憶してます。)
それで興味を持って読んだのですが、たしかに女性がこういう裏の社会を取材したということに対して、敬意を表したいと思います。
管理売春は、日本では違法です。違法なのに存在している。警察は知ってて、許可している。
ときおり出てくる著者の正義感は鼻につくものの、それでもそこで生きている人たちを、「人は多面的だ」として認めようとする姿勢もあります。
「まあ、こんな世界もあるんだなあ。」
それがこの本の落ち着き先、ということでしょうか。
実は韓国のソウルにも、似たような形態の売春地帯があります。
遊郭とか料亭のような情緒はなく、2間ほどの間口があるプレハブ小屋が道の両側に並んでいて、まばゆいほどの蛍光灯の明かりが道路にまで漏れ出しているところです。
それぞれの部屋には1人か2人くらいの女性がいて、道を行く男性に声をかけて誘います。
30分1万円くらいの値段でエッチができるところだと、案内の人が説明してくれました。
もう15年くらい前の話ですけどね。
飛田も遊郭のころは、地方から女性を集め、借金を背負わせることで逃げられないようにしたのだとか。
東北の貧しい家が娘を売るという時代が、本当にあったのです。
しかし今は、借金を負わされてというケースは少ないようですね。
貧困のために他に仕事がないなど、てっとり早くお金を稼ぎたいという理由で働く人は多いようですけど。
タイはよく、日本の30年前のような感じだと言われます。
けれども、親が貧しくて子どもを売るというケースは、あまりなさそうです。
タイは暖かいので、最低限の衣食住には、あまりお金がかからないからだと思います。
それでも親が貧乏で可哀想だからと、子どもが自らこういう仕事に就くことは多そうです。
親を大切にしようとする気持ちは、日本よりもはるかに強いものがありますから。
「こういう場所があるから悪いんだ。」
そういう意見があることは知っています。けれども私は、そうは思いません。
なぜなら、日本でもそう言ってなくそうとしたけれど、結局はなくならずに生き残ったのですから。
太古の昔からある職業として、売春は知られています。
男と女がいる限り、この仕事がなくなることはないとさえ言われます。
なぜなくならないかと言うことを私なりに考えると、2つの理由が考えられます。
1つには、他に受け皿がないからです。
そういうところで働くしか他にないという女性たちを、社会は見捨ててきたのです。
さらにもう1つは、性について実体験できる場所が他にない、ということがあります。
これは先日紹介した「セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱」 に、詳しく書いてあります。
日本にも戦前は、子どもが大人になるための儀式として、性を実体験させる仕組が社会にあったそうです。
本書では、飛田が存在することに対する答は書いてありません。
けれども、かつて存在し、形式を変えながらも存在し続ける色街の、意義を考えるきっかけになるように思います。
2012年09月03日
一流の人に学ぶ 自分の磨き方
これは、私がメルマガを購読しているスーパービジネスマン養成講座の吉江さん が、そのメルマガの中で紹介していた本です。
書店員さんから紹介された本のようで、その人が言うには、これ1冊読めば、もう他の自己啓発本は読む必要がないくらいによくまとまった本だとのこと。
吉江さんも読まれて、まさにその通りだと言われてました。
それで買って読んだのですが、私も同感です。
一流の人と二流の人を対比させる形で、何がどう違うのかをわかりやすくまとめてありました。
しかもその内容が、ありとあらゆることを網羅しています。
もうこの1冊を読めば、本当にすべてのことがわかる。そう言っても過言ではないと思えるほど。
なので、私のブログを読むより、この本を買って読んだ方が良いかもしれないと思いましたよ。(笑)
ただ、なぜそうなのかということに関しては、それほど踏み込んでいません。
それは著者自身が言うように、20年間一流な人を観察し、調査して得られた結論だからです。
一流と二流でどこが違うかという違いに焦点を当てているので、ではその違いがどうして起きるのかとか、なぜ一流の人のようにやると上手く行くと言えるのかについては、一般的な法則を根拠としているだけで留めています。
それでも、これを信じて一流の人になろうと思えば、きっとなれると思います。
私はときどき、大リーガーのイチロー選手などを、一流の人だとイメージしながら読みました。
誰か一流だと思う人を想定しながら読むと、さらに理解が進むと思います。
2012年09月04日
今朝はまたツイていました
私は会社まで歩いて通勤できるとことに住んでいるので、アパートを出るのは8時半くらいです。
なので、8時に起きれば間に合うため、目覚まし時計は8時にセットしてあります。
ただ、たいていそれまでに起きます。
外が明るくなって、カーテン越しに光が入ってくるので、自然と目覚めるのです。
でも、昨夜は少し遅かったので、いつもなら8時ギリギリまで寝ているはずでした。
ところがなぜか、7時くらいに目が覚めてしまい、寝ようとしても眠れません。
「それならもう起きよう」と思って起きたのが、だいたい7:15くらいでした。
ところがリビングへ行き、ソファーに座ったとき、なぜか部屋の中が暗いのです。
「おかしいなあ」と思いながらカーテンを開けると、空がどんよりと曇っていました。
ベランダの窓を開けて外を見ていたら、ついに雨が降ってきました。
そして雨は、だんだんと強くなって来たのです。
風も出てきたので、私はベランダに干してあった洗濯物を取り込みました。
そのとき、思ったのです。
「私って、やっぱりツイてるなあ。」
だって、たまたま早く目覚めたのです。そのお陰で、洗濯物を取り込むことができたのですから。
しかも、この時間に強い雨だったことが幸いしました。
もし、この強い雨があと1時間遅かったら、私は雨の中を濡れながら通勤するか、部屋でやむのを待って、遅刻するしかなかったのです。
バンコクのこういう雨は、1時間もすればやみます。
ですから、この1時間のずれが大きいのです。
少し時間があったので、斎藤一人さんの「変な人が書いた驚くほどツイてる話」 という本を読みました。
残り少しだったのですが、今日で読み終えました。6回目の読了です。
前回の5回目が8月17日でした から、今回は2週間ほどで読んだことになります。
7回読むという目標も、いよいよあと1回になりました。
9月中には読み終えたいと思っています。
なので、8時に起きれば間に合うため、目覚まし時計は8時にセットしてあります。
ただ、たいていそれまでに起きます。
外が明るくなって、カーテン越しに光が入ってくるので、自然と目覚めるのです。
でも、昨夜は少し遅かったので、いつもなら8時ギリギリまで寝ているはずでした。
ところがなぜか、7時くらいに目が覚めてしまい、寝ようとしても眠れません。
「それならもう起きよう」と思って起きたのが、だいたい7:15くらいでした。
ところがリビングへ行き、ソファーに座ったとき、なぜか部屋の中が暗いのです。
「おかしいなあ」と思いながらカーテンを開けると、空がどんよりと曇っていました。
ベランダの窓を開けて外を見ていたら、ついに雨が降ってきました。
そして雨は、だんだんと強くなって来たのです。
風も出てきたので、私はベランダに干してあった洗濯物を取り込みました。
そのとき、思ったのです。
「私って、やっぱりツイてるなあ。」
だって、たまたま早く目覚めたのです。そのお陰で、洗濯物を取り込むことができたのですから。
しかも、この時間に強い雨だったことが幸いしました。
もし、この強い雨があと1時間遅かったら、私は雨の中を濡れながら通勤するか、部屋でやむのを待って、遅刻するしかなかったのです。
バンコクのこういう雨は、1時間もすればやみます。
ですから、この1時間のずれが大きいのです。
少し時間があったので、斎藤一人さんの「変な人が書いた驚くほどツイてる話」 という本を読みました。
残り少しだったのですが、今日で読み終えました。6回目の読了です。
前回の5回目が8月17日でした から、今回は2週間ほどで読んだことになります。
7回読むという目標も、いよいよあと1回になりました。
9月中には読み終えたいと思っています。
2012年09月05日
「やる」か「やらない」かの違いだけでした
先日読んだ「一流の人に学ぶ 自分の磨き方」 という本は、本当によくまとまっている本だと思います。
その中でも特に重要なエッセンスは、最初の章の先頭に書かれている言葉に集約されています。
第1章:信念
二流の人は「できない」と思い込み、一流の人は「できる」と考える
もうこれがすべてだと言い切って間違いないでしょう。
成功した人と言うのは、自分が描いたことや目標が、自分にできないなどとは考えないのです。
それは、大リーガーのイチロー選手が小学生のときに、大リーガーになる夢を書いた作文を読んでもわかります。
これだけ練習をやっているのだから、大リーガーになれないはずがないと言い切っています。
また、ピーター・セージ氏も、その著書「自分を超える法」 の中で、できるかできないかわからないところに思い切って飛び込む勇気が大切だと言っています。
その心の不安定さをどれだけ楽しめるかが、人生の質を高めると言うのです。
私が尊敬する上杉鷹山公も、次のような歌を息子への教訓として残しています。
為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり
最初から「できる」「やれる」と思い込んで(決めて)取り組むから、成し遂げることができるのです。
では、二流の人(成功できない人)というのは、どうしてそう考えられないのでしょうか?
それは、怖れているからです。
「もしできなかったらどうしよう?」
恥ずかしいこともあるでしょうし、失敗した時の経済的なダメージや、精神的な苦痛もあるでしょう。
それらが怖い(不安だ)から、勇気を出して「できる」と考えられないのです。
その不安がどこから来るかと言うと、自己肯定感が低いところからです。
「どうせ自分なんかできないよ。」
そう言って自分の評価を自分で下げているから、一層、不安になるのです。
自己評価が低いのは、子どもの頃に愛されなかったことが大きな原因です。
子どもの頃に認められ、褒められ、応援されてきたなら、自分は自分のままで良いのだと思えます。
けれども否定され、拒否されることが多いと、自分が自分らしくあってはいけないのだと思い込むようになります。
「やっぱり親が悪いんだよ。オレの人生を、どうしてくれるんだ!?」
そう言って親や影響力のあった大人を責めるのは、彼らがかわいそうと言うものです。
なぜなら、子どもを愛せない大人というのは、また同じように、子どもの頃に愛されてこなかったのです。
愛されなかった子どもが大人になると、同じように子どもを愛せません。
虐待を受けた子どもが、大人になって自分の子を虐待する。それと同じことなのです。
だから、その「愛されないから愛せない」という連鎖を、どこかで誰かが断ち切る必要があるのです。
誰が?
あなたです。
あなたがやらずに、いったい誰がやるのでしょう?
このブログを読んだのは、偶然だと思われますか?
この世に偶然などありません。
すべて必然です。
あなたがこの記事を読んだのは、あなた自身が引き寄せたからです。
あなたがこの気づきを必要としたからです。
そのちょうど良いタイミングで、この記事を読んだのですよ。
あなたが連鎖を断ち切り、幸せになるということは、あなた自身を救うだけに留まりません。
その行為は、人類を苦しみの淵から救うことになるのです。
あなたの踏み出す一歩がどんなに小さな一歩だとしても、それは人類にとって歴史的な、希望の第一歩となるのです。
なぜなら私たちは「ひとつのもの」であり、あなたが行うことは、他の生命に必ず影響を与えるからです。
月面着陸を果たしたアポロ11号のアームストロング船長は、そう言わなかったでしょうか?
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
だから、勇気を出して前に進みましょう。
たくさんの生命が、あなたの一挙手一投足を固唾を飲んで見守っています。
あなたが幸せになることを決意したとき、そのたくさんの生命が歓喜の声をあげるでしょう。
あなたは彼らの、希望の星となったのです。
「自分の磨き方」の本には、こうも書かれています。
第2章:勇気
二流の人は恐怖の前に屈服し、一流の人は勇気を奮い立たせる
あなたには、人類(生命)を救う使命があるのです。
その中でも特に重要なエッセンスは、最初の章の先頭に書かれている言葉に集約されています。
第1章:信念
二流の人は「できない」と思い込み、一流の人は「できる」と考える
もうこれがすべてだと言い切って間違いないでしょう。
成功した人と言うのは、自分が描いたことや目標が、自分にできないなどとは考えないのです。
それは、大リーガーのイチロー選手が小学生のときに、大リーガーになる夢を書いた作文を読んでもわかります。
これだけ練習をやっているのだから、大リーガーになれないはずがないと言い切っています。
また、ピーター・セージ氏も、その著書「自分を超える法」 の中で、できるかできないかわからないところに思い切って飛び込む勇気が大切だと言っています。
その心の不安定さをどれだけ楽しめるかが、人生の質を高めると言うのです。
私が尊敬する上杉鷹山公も、次のような歌を息子への教訓として残しています。
為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり
最初から「できる」「やれる」と思い込んで(決めて)取り組むから、成し遂げることができるのです。
では、二流の人(成功できない人)というのは、どうしてそう考えられないのでしょうか?
それは、怖れているからです。
「もしできなかったらどうしよう?」
恥ずかしいこともあるでしょうし、失敗した時の経済的なダメージや、精神的な苦痛もあるでしょう。
それらが怖い(不安だ)から、勇気を出して「できる」と考えられないのです。
その不安がどこから来るかと言うと、自己肯定感が低いところからです。
「どうせ自分なんかできないよ。」
そう言って自分の評価を自分で下げているから、一層、不安になるのです。
自己評価が低いのは、子どもの頃に愛されなかったことが大きな原因です。
子どもの頃に認められ、褒められ、応援されてきたなら、自分は自分のままで良いのだと思えます。
けれども否定され、拒否されることが多いと、自分が自分らしくあってはいけないのだと思い込むようになります。
「やっぱり親が悪いんだよ。オレの人生を、どうしてくれるんだ!?」
そう言って親や影響力のあった大人を責めるのは、彼らがかわいそうと言うものです。
なぜなら、子どもを愛せない大人というのは、また同じように、子どもの頃に愛されてこなかったのです。
愛されなかった子どもが大人になると、同じように子どもを愛せません。
虐待を受けた子どもが、大人になって自分の子を虐待する。それと同じことなのです。
だから、その「愛されないから愛せない」という連鎖を、どこかで誰かが断ち切る必要があるのです。
誰が?
あなたです。
あなたがやらずに、いったい誰がやるのでしょう?
このブログを読んだのは、偶然だと思われますか?
この世に偶然などありません。
すべて必然です。
あなたがこの記事を読んだのは、あなた自身が引き寄せたからです。
あなたがこの気づきを必要としたからです。
そのちょうど良いタイミングで、この記事を読んだのですよ。
あなたが連鎖を断ち切り、幸せになるということは、あなた自身を救うだけに留まりません。
その行為は、人類を苦しみの淵から救うことになるのです。
あなたの踏み出す一歩がどんなに小さな一歩だとしても、それは人類にとって歴史的な、希望の第一歩となるのです。
なぜなら私たちは「ひとつのもの」であり、あなたが行うことは、他の生命に必ず影響を与えるからです。
月面着陸を果たしたアポロ11号のアームストロング船長は、そう言わなかったでしょうか?
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」
だから、勇気を出して前に進みましょう。
たくさんの生命が、あなたの一挙手一投足を固唾を飲んで見守っています。
あなたが幸せになることを決意したとき、そのたくさんの生命が歓喜の声をあげるでしょう。
あなたは彼らの、希望の星となったのです。
「自分の磨き方」の本には、こうも書かれています。
第2章:勇気
二流の人は恐怖の前に屈服し、一流の人は勇気を奮い立たせる
あなたには、人類(生命)を救う使命があるのです。
2012年09月06日
雨が一日中降っています
昨日の夕方くらいからでしょうか。ずっと雨が降っています。
途中でやんでいる時間もあったかもしれませんが、しとしとと降り続いている感じです。
タイでこういう雨が降るのは、とても珍しいことです。
たいていは、ザーッとスコールのように雨が降り、1時間もすればやんで晴れ上がりますから。
今朝も起きると、空はどんよりと曇っていました。
外を見ると、やはり雨。
歩いて通勤しているので、傘を差しても多少は濡れてしまいます。
けれども私は、そんなことで憂鬱な気分にはなりません。
なぜなら、自慢の傘を他人に見せられるからです。
どうです、これ?広げて床に置いた写真ですが、わかりますか?
左右が非対称になってますよね。
強風に強いという特殊な傘なのです。
これをネット通販で買って、妻へのプレゼントにしたのですが、妻が使ってくれません。
なので私が使うことにしました。
けれどタイの雨はすぐに上がるので、なかなか使う機会がなかったのです。
昨夜も使いましたが、さすがに暗くなると目立ちませんからね。
今朝は意気揚々と、自慢の傘を見せびらかしながら通勤したのでした。
「あー、雨が降ってて良かった!」
今日もツイてる私です。
私の自慢は、このへんな傘と下駄です。
表に竹のピースが貼ってあるという、ちょっと他では見ない下駄です。
裏は都会生活に合わせて、ゴムが貼ってあります。
これ、古くなったので、一度張り替えてもらったのです。
長年使い込むことで、表に貼った竹の風合いが渋みを増してきました。
それだけ愛着のある下駄なのです。
こんな格好で歩いている日本人は、やっぱり変なやつですかね?
でも、それがいいのですよ。だって、私という人間は、他にどこにもいないのですから。
途中でやんでいる時間もあったかもしれませんが、しとしとと降り続いている感じです。
タイでこういう雨が降るのは、とても珍しいことです。
たいていは、ザーッとスコールのように雨が降り、1時間もすればやんで晴れ上がりますから。
今朝も起きると、空はどんよりと曇っていました。
外を見ると、やはり雨。
歩いて通勤しているので、傘を差しても多少は濡れてしまいます。
けれども私は、そんなことで憂鬱な気分にはなりません。
なぜなら、自慢の傘を他人に見せられるからです。
どうです、これ?広げて床に置いた写真ですが、わかりますか?
左右が非対称になってますよね。
強風に強いという特殊な傘なのです。
これをネット通販で買って、妻へのプレゼントにしたのですが、妻が使ってくれません。
なので私が使うことにしました。
けれどタイの雨はすぐに上がるので、なかなか使う機会がなかったのです。
昨夜も使いましたが、さすがに暗くなると目立ちませんからね。
今朝は意気揚々と、自慢の傘を見せびらかしながら通勤したのでした。
「あー、雨が降ってて良かった!」
今日もツイてる私です。
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私の自慢は、このへんな傘と下駄です。
表に竹のピースが貼ってあるという、ちょっと他では見ない下駄です。
裏は都会生活に合わせて、ゴムが貼ってあります。
これ、古くなったので、一度張り替えてもらったのです。
長年使い込むことで、表に貼った竹の風合いが渋みを増してきました。
それだけ愛着のある下駄なのです。
創業明治27年老舗竹屋がお届け日本唯一の虎竹男右近下駄 (Lサイズ)25.5センチ【楽ギフ_のし宛... |
こんな格好で歩いている日本人は、やっぱり変なやつですかね?
でも、それがいいのですよ。だって、私という人間は、他にどこにもいないのですから。
2012年09月08日
韓国の映画を見て泣きました
竹島問題があって、韓流に対する批判も強まっているようですね。
政治と文化は別物という意見もあれば、スポーツに政治を持ち込んだのは韓国だという意見も。
人それぞれ、いろいろな意見があって良いと思います。
それぞれの立場で言えば、その意見は正しいのですから。
私は島根県出身ということもあって、竹島の問題には関心があった方だと思います。
けれども、このブログは領土問題を提起する場ではないので、それに関する意見は控えます。
その上で韓流について言うと、「それが韓国のものかどうかに関わらず、良いものは良いと言いたい。」という意見です。
なのでこの時期にあえて、韓国の映画について書きます。
別にそれが観たかったのではなく、妻がそこにチャンネルを合わせたのです。
ケーブルテレビなので、いろいろな映画をやっていますから。
妻は映画が好きで、1日じゅうでも映画を観ていられる人です。
その映画はすでに観たものだったようですが、惹き込まれて最後まで観てしまいました。
簡単にあらすじを書きましょう。
1人のグレかけた青年が、目の見えない女性と出会って恋に落ちます。
女性と出会って生きる希望を見出した青年は、真面目にキックボクシングに取り組むようになりました。
ある日、女性は両親の墓に青年を案内し、そこで自分が失明した経緯を話します。
ビルから人が、燃えながら落ちてくる。
車を運転していた女性は、それを見ていて交差点に突っ込み、横から来た車に衝突されました。
その事故が原因で、女性は失明したのです。
その話を聞いた青年は驚きました。
その燃えながらビルから落ちた男性は、自分のおじさん(父親?)で、青年と諍い合ったことが原因で自殺しようとしたのです。
自分のせいで、愛する女性が失明していたと知った青年は、女性の目の手術のためにお金を工面しようとしてマフィアに近づきます。
タイで行われる殺し合いのショー。それに出て負けることを条件に、青年はお金をもらうのです。
女性を手術室に送り、「待っているから」と言って安心させながら、その足で青年はタイに飛んだのです。
身分を示すものをすべて捨て、名前も変えて、もう二度と女性の元には戻らない覚悟でした。
しかし、その八百長試合で青年は勝ってしまいました。死にきれなかったのです。
怒ったマフィアは、その青年を殺そうとして襲いました。
手術を終えた女性は、目が見えるようになりました。
しかし、青年からは手術結果の確認の電話が病院にあっただけで、一緒に住んでいた部屋からも姿を消してしまいました。
女性は青年を待ちながら、マッサージをやったり、小物の店を始めます。
ある日、病院でマッサージをした患者の身体が、待っている青年とそっくりなことに気づきました。
けれども、ベッドに貼ってある名前が違います。
それは九死に一生を得て戻ってきた青年だったのですが、女性は青年の顔を知らなかったのです。
青年は、ずっと黙ってました。話せば声で気づかれるからです。
「彼女が幸せならそれでいい。自分は二度と彼女の前に顔を出さないと決めたのだから。」
しばらくして青年は、彼女の店に行きます。
そこを出た時、突然犬が飛びついて来ました。
彼女と暮らし始めた時、青年が買い与えた犬です。犬は、青年のことを覚えていたのです。
けれども女性は、なぜ犬が急に飛び出して行ったのかわかりません。
青年は言葉を発することなく、その場を立ち去りました。
何かおかしいと思いながら、女性は自分の店に行きました。
そこで店員から、その青年のことを聞かされました。
自分との思い出の品を持って行った青年。
そのとき初めて、その青年こそが待ちわびていた彼だったと気づくのです。
走って青年を追いかけながら、女性は泣きじゃくります。
「どうして気が付かなかったのだろう?もっと早く気がついていたら、引き止められたのに。」
青年は、女性との思い出の場所へ行きました。
そこで、机に彫られた点字を読み、女性がずっと待っていたことを知るのです。
そのとき、背後で女性の声がしました。
そして2人は、やっと再会したのです。
ぜんぜん簡単じゃなかったですね。すみません。
けれども、1回観ただけでこれだけ覚えているって、すごいでしょう?
それだけ感動したのです。
女性のために、命を投げ出そうとした青年。
自分が失明させたのも同然だと思ったからでしょう。
だから、せめて女性の目を治してあげることが、自分にできる贖罪だと考えたのです。
けれども女性は、目が見えることよりも青年と一緒の生活を望んでいたのです。
失明の原因に男性が関わっていたことを、女性はあとになって知ります。
その燃えながらビルから落ちたおじさんが生きていて、その話を病院で聞いたのです。
会いたい。けれど、会ってはいけないと思う。
青年の苦しい心の中を思うと、それもまた辛いものがあります。
一方の女性も、待って待って、ずっと探していたのです。
青年とは恋人関係だけだったのに、目が治ってからは勝手に結婚していると周囲に話していました。
それなのに、目の前に現れた青年は、名乗らずに立ち去ろうとした。
「どうして?私はあなたを待っていたのに。何もいらない。あなたがいてくれたら、それだけでいい。」
「待ち焦がれたあなたがすぐ傍にいたのに、私はまったく気づかなかった。どうして気が付かなかったのよ。バカ!もっと早く気づいていたら、あなたを捕まえられたのに...。」
女性が男性を追いかける場面では、妻から大笑いされながらも私は泣いていました。
「おーよしよし、泣かなくても大丈夫よー。女性と青年は一緒になるからねー。」
そう妻から結末を聞かされながらも、やっぱり泣いていました。(^^ゞ
こみ上げてくる女性の感情と、完全にシンクロしてましたね。
おそらく私の中にも、そういう思いがあるのでしょう。
だから、その映画に刺激されるのです。
中には、何も感じない人もいるでしょう。
それはその人の中に、そういう思いがないからです。
それが良いとか悪いとかではなく、ただ単にそれだけのこと。
人は、自分の外に自分自身を見つけて感動するのです。
感動とは、そういうものなのです。
政治と文化は別物という意見もあれば、スポーツに政治を持ち込んだのは韓国だという意見も。
人それぞれ、いろいろな意見があって良いと思います。
それぞれの立場で言えば、その意見は正しいのですから。
私は島根県出身ということもあって、竹島の問題には関心があった方だと思います。
けれども、このブログは領土問題を提起する場ではないので、それに関する意見は控えます。
その上で韓流について言うと、「それが韓国のものかどうかに関わらず、良いものは良いと言いたい。」という意見です。
なのでこの時期にあえて、韓国の映画について書きます。
別にそれが観たかったのではなく、妻がそこにチャンネルを合わせたのです。
ケーブルテレビなので、いろいろな映画をやっていますから。
妻は映画が好きで、1日じゅうでも映画を観ていられる人です。
その映画はすでに観たものだったようですが、惹き込まれて最後まで観てしまいました。
簡単にあらすじを書きましょう。
1人のグレかけた青年が、目の見えない女性と出会って恋に落ちます。
女性と出会って生きる希望を見出した青年は、真面目にキックボクシングに取り組むようになりました。
ある日、女性は両親の墓に青年を案内し、そこで自分が失明した経緯を話します。
ビルから人が、燃えながら落ちてくる。
車を運転していた女性は、それを見ていて交差点に突っ込み、横から来た車に衝突されました。
その事故が原因で、女性は失明したのです。
その話を聞いた青年は驚きました。
その燃えながらビルから落ちた男性は、自分のおじさん(父親?)で、青年と諍い合ったことが原因で自殺しようとしたのです。
自分のせいで、愛する女性が失明していたと知った青年は、女性の目の手術のためにお金を工面しようとしてマフィアに近づきます。
タイで行われる殺し合いのショー。それに出て負けることを条件に、青年はお金をもらうのです。
女性を手術室に送り、「待っているから」と言って安心させながら、その足で青年はタイに飛んだのです。
身分を示すものをすべて捨て、名前も変えて、もう二度と女性の元には戻らない覚悟でした。
しかし、その八百長試合で青年は勝ってしまいました。死にきれなかったのです。
怒ったマフィアは、その青年を殺そうとして襲いました。
手術を終えた女性は、目が見えるようになりました。
しかし、青年からは手術結果の確認の電話が病院にあっただけで、一緒に住んでいた部屋からも姿を消してしまいました。
女性は青年を待ちながら、マッサージをやったり、小物の店を始めます。
ある日、病院でマッサージをした患者の身体が、待っている青年とそっくりなことに気づきました。
けれども、ベッドに貼ってある名前が違います。
それは九死に一生を得て戻ってきた青年だったのですが、女性は青年の顔を知らなかったのです。
青年は、ずっと黙ってました。話せば声で気づかれるからです。
「彼女が幸せならそれでいい。自分は二度と彼女の前に顔を出さないと決めたのだから。」
しばらくして青年は、彼女の店に行きます。
そこを出た時、突然犬が飛びついて来ました。
彼女と暮らし始めた時、青年が買い与えた犬です。犬は、青年のことを覚えていたのです。
けれども女性は、なぜ犬が急に飛び出して行ったのかわかりません。
青年は言葉を発することなく、その場を立ち去りました。
何かおかしいと思いながら、女性は自分の店に行きました。
そこで店員から、その青年のことを聞かされました。
自分との思い出の品を持って行った青年。
そのとき初めて、その青年こそが待ちわびていた彼だったと気づくのです。
走って青年を追いかけながら、女性は泣きじゃくります。
「どうして気が付かなかったのだろう?もっと早く気がついていたら、引き止められたのに。」
青年は、女性との思い出の場所へ行きました。
そこで、机に彫られた点字を読み、女性がずっと待っていたことを知るのです。
そのとき、背後で女性の声がしました。
そして2人は、やっと再会したのです。
ぜんぜん簡単じゃなかったですね。すみません。
けれども、1回観ただけでこれだけ覚えているって、すごいでしょう?
それだけ感動したのです。
女性のために、命を投げ出そうとした青年。
自分が失明させたのも同然だと思ったからでしょう。
だから、せめて女性の目を治してあげることが、自分にできる贖罪だと考えたのです。
けれども女性は、目が見えることよりも青年と一緒の生活を望んでいたのです。
失明の原因に男性が関わっていたことを、女性はあとになって知ります。
その燃えながらビルから落ちたおじさんが生きていて、その話を病院で聞いたのです。
会いたい。けれど、会ってはいけないと思う。
青年の苦しい心の中を思うと、それもまた辛いものがあります。
一方の女性も、待って待って、ずっと探していたのです。
青年とは恋人関係だけだったのに、目が治ってからは勝手に結婚していると周囲に話していました。
それなのに、目の前に現れた青年は、名乗らずに立ち去ろうとした。
「どうして?私はあなたを待っていたのに。何もいらない。あなたがいてくれたら、それだけでいい。」
「待ち焦がれたあなたがすぐ傍にいたのに、私はまったく気づかなかった。どうして気が付かなかったのよ。バカ!もっと早く気づいていたら、あなたを捕まえられたのに...。」
女性が男性を追いかける場面では、妻から大笑いされながらも私は泣いていました。
「おーよしよし、泣かなくても大丈夫よー。女性と青年は一緒になるからねー。」
そう妻から結末を聞かされながらも、やっぱり泣いていました。(^^ゞ
こみ上げてくる女性の感情と、完全にシンクロしてましたね。
おそらく私の中にも、そういう思いがあるのでしょう。
だから、その映画に刺激されるのです。
中には、何も感じない人もいるでしょう。
それはその人の中に、そういう思いがないからです。
それが良いとか悪いとかではなく、ただ単にそれだけのこと。
人は、自分の外に自分自身を見つけて感動するのです。
感動とは、そういうものなのです。
2012年09月10日
采配
元中日ドラゴンズ監督、落合博満さんの本を読みました。
監督としてどう采配を振るったのか。常勝チームを作った「オレ流」の内幕がわかると期待して読みました。
読み始めてすぐ、私はこの本に惹き込まれてしまいました。
得体のしれない上辺だけのようにも見えた落合氏が、実はものすごく深く考え、人生に対して真摯に立ち向かっている人だとわかったからです。
この本のテーマとしては、私は2つのことが心に残りました。
1つは、決断の結果を気にするよりも、その時点での最善をつくすことだ、ということです。
評論家などは、あとから「こうすれば上手く行ったのに」などと言うけれど、本当にそうなったかどうかは誰にもわからないのです。
比較できないものを比較して、終わったことを悔やんでも意味がありません。
決断した結果は事実として現れますが、それを元にしっかりと反省し、次の決断につなげるだけなのです。
2007年の日本シリーズ第5戦、8回まで完全試合を続けていた山井投手に代え、9回に岩瀬投手を送った采配について書かれています。
多くの人が、非情だと批判した決断でした。
なぜそういう決断に至ったのか。そのことも詳しく書かれていました。
もう1つは、部下の育成については自主性を重んじるということです。
何とかしてあげたいとは思っても、自主的に成長しようとする人でなければ、どうにもなりません。
残念だけれども助けられないということはあるのです。
監督就任の年、誰もクビにしないで優勝すると宣言したことが話題となり、人情的な監督だと持ち上げられたことがありました。
しかし、それは違うと落合氏は言います。
ただ単に、現在のメンバーの状況がわからなかったから、自分の目で確かめるために1年間の猶予を与えただけなのだと。
その証拠に、優勝したあと、18人の選手を自由契約(解雇)にしたとのことです。
あと、p250に極論から物事の本質を見直すということが書かれています。
今の規則だと、日本シリーズは最大14試合をしなければならなくなるのだそうです。
「そんなの、ほとんどあり得ない確率だよ。」
そういう人が大半なのでしょうけど、それは物事の本質を見ていないのです。
私も極論は好きです。なぜなら、本質が際立つから。
ものごとを突き詰めて考えるには、極論を持ち出すのがわかりやすい。
なんとなく、落合氏に親近感を覚えました。
2012年09月12日
希望を運ぶ人
ホームレスからベストセラー作家になった著者、アンディ・アンドルーズの自伝のような物語。
不思議な老人ジョーンズが示してくれる「物の見方」によって、人々は希望を見出し、人生を切り開いていきます。
読んで涙を流した本は、それほど多くはありません。
これは、その中の1冊です。
「機会と励ましは人々からもたらされる。」
そうジョーンズは言います。
もしそうなら、人々がそうしたいと思うような人になることが、人生を切り開くことになるはずです。
「幸せでわくわくしている人がいると、まわりの人も楽しい気分になる。」
「一緒にいると楽しい気分になる人には、ますます機会と励ましがもたらされる。」
だから、見方を変えることで、今すぐその場で、幸せになることなのだ。
人生の終盤を迎えた年寄りでも、社会に大きな貢献ができます。
この話は、とても感動的でした。
本人は気づかないかもしれないけれど、それがどう他の人に影響し、その人が偉業を達成するかもしれません。
だとしたら、その偉業を達成した功労者とは、その人に影響を与えた人でもあると。
そういう意味では、誰もがその生き方を通じて、社会に大きな貢献ができるのです。
だから自暴自棄になる必要も、自分を過小評価する必要もないのです。
堂々と自分らしく生きる。
その生き方は、必ずや人々に影響し、社会に貢献することになるでしょうから。
「要するに、物の見方というのは、そういうことだよ。」
そうジョーンズは言ったのです。
2012年09月13日
物の見方を変える
昨日書いた記事、「希望を運ぶ人」 という本の紹介は、もうご覧いただけたでしょうか?
この本、本当にオススメなのです。
ですからぜひ、読んでみてくださいね。
この本を購入したのは、実は昨年の7月でした。
誰かの紹介で購入したと思うのですが、もうすっかり忘れてしまいました。 (^^ゞ
常時10冊以上の本が未読のまま積んであり、必ずしも購入順に読むわけではないため、こういうことになるのです。
おそらくタイトルとか著者を見て、すぐに読もうという気にならなかったのでしょうね。
今回たまたま、自宅で読む本として選んで持ち帰り、さっそく読む機会があったのです。
そして、読み始めたらもう止まりませんでした。
いや、実際は止まって、一晩寝ました。(^^ゞ
けれども、朝起きてから、すぐに読みたくなって、また読み始めました。
出勤時間が来たのでその本を持って出社し、勤務前に最後の20ページくらいを読んで終了したのです。
登場人物のジョーンズという不思議な老人の存在が、あたかも私の側にいるような錯覚を抱きました。
まったく警戒心を抱かせない存在ですが、白人が日焼けしたのか、黒人なのか、ヒスパニックかアジア系なのか誰にもわかりません。
いえ、実はどの人種でも良かったのです。
なぜなら、どの人にとっても無二の親友だから。
誰もが自分に近い存在だと感じるのです。
ジョーンズが言うことは、実に簡単なことでした。
「物の見方を変えよう。」
たったそれだけです。
どんなひどい状況の人に会っても、彼はそう言うのです。
「立派なレストランではなく砂の上で、イワシとソーセージという質素なものを食べている。」
それも1つの物の見方です。
けれども、別の物の見方もできると言います。
「美しい砂浜で、極上のご馳走をいただいている。」
最初の見方からは、惨めさとか不幸な気持ちが漂ってきます。
しかし後者の見方をすれば、豊かさとか満ち足りた幸せな気持ちが沸き上がってきます。
そう言うと、ただごまかしているだけだと思う人もいるでしょうね。
でも、本当にそうでしょうか?
この「物の見方を変える」ということは、「神との対話」 にも書かれていました。
落ちぶれて全てを失い、自暴自棄になった著者のニールは、神に対して恨み言を言います。
それに対して神は、「あともうちょっとで成功するところだ」という見方を示すのです。
絶頂期から転げ落ちるように転落する人もいます。
一寸先は闇などと言いますが、人生はどうなるかわかりません。
ならば逆に、たとえ今がどうしようもない状況だったとしても、一寸先は大富豪ということだってあるのです。
「そんな夢みたいなことが起こる確率は 1%もないよ。」
そう言いたいかもしれませんね。
私も以前は、そういうように確率論で考えていました。
けれども、確率が正しいと言えるのは、「この世に起こることは偶然だ」とした場合だけです。
そこで、あなたの信念が試されることになります。
あなたは、この世に起こる出来事は偶然だ、と考えますか?
そう考えて生きようと思っていますか?
それとも、この世に起こる出来事は必然で無駄がない、と考えますか?
どちらを選ぶこともできます。
そして、どちらを選ぶかによって、運命が決まるのです。
出来事に翻弄されながら生きるもよし。
主体的に自分の意志で生きるもよし。
どちらを選ぼうと、あなたが選んだように生きることになります。
だから人はみな、自分の思い通りに生きるのです。
もうあとは死ぬばかりと、希望をなくした老女にも、ジョーンズは言います。
「その見方は正しくない。」
そして、次から次へと、年老いてから活躍した人物をあげていきます。
それだけではありません。
その老女が、少しなら社会に貢献できそうだと言うと、また言うのです。
「その見方は正しくない。」
かつて、20億人もの命を救った知られざる人がいたことを、その老女に話し始めます。
その人がいたから、20億人もの命が助かったのだと。
けれどもすぐに、本当の功労者は他にいると言い出します。
その人がそういう仕事をすることになったのは、ある人の影響を受けたからでした。
その影響を与えた人がいなければ、20億人を救う人は生まれなかったと。
私たちはよく自分のことを、「ちっぽけな存在」だと言うことがあります。
けれども、その見方は間違っています。
私たちは、けして「ちっぽけな存在」ではありません。
偉大な存在です。
素晴らしい価値をこの世に示し、讃えられ、愛される存在です。
もし、あなたがそう思えないとしたら、それはあなたの見方が正しくないのです。
ひょっとしたらあなたも、20億人の人の命を救う偉大な功労者かもしれません。
もし、あなたがそう考えるなら。
この本、本当にオススメなのです。
ですからぜひ、読んでみてくださいね。
この本を購入したのは、実は昨年の7月でした。
誰かの紹介で購入したと思うのですが、もうすっかり忘れてしまいました。 (^^ゞ
常時10冊以上の本が未読のまま積んであり、必ずしも購入順に読むわけではないため、こういうことになるのです。
おそらくタイトルとか著者を見て、すぐに読もうという気にならなかったのでしょうね。
今回たまたま、自宅で読む本として選んで持ち帰り、さっそく読む機会があったのです。
そして、読み始めたらもう止まりませんでした。
いや、実際は止まって、一晩寝ました。(^^ゞ
けれども、朝起きてから、すぐに読みたくなって、また読み始めました。
出勤時間が来たのでその本を持って出社し、勤務前に最後の20ページくらいを読んで終了したのです。
登場人物のジョーンズという不思議な老人の存在が、あたかも私の側にいるような錯覚を抱きました。
まったく警戒心を抱かせない存在ですが、白人が日焼けしたのか、黒人なのか、ヒスパニックかアジア系なのか誰にもわかりません。
いえ、実はどの人種でも良かったのです。
なぜなら、どの人にとっても無二の親友だから。
誰もが自分に近い存在だと感じるのです。
ジョーンズが言うことは、実に簡単なことでした。
「物の見方を変えよう。」
たったそれだけです。
どんなひどい状況の人に会っても、彼はそう言うのです。
「立派なレストランではなく砂の上で、イワシとソーセージという質素なものを食べている。」
それも1つの物の見方です。
けれども、別の物の見方もできると言います。
「美しい砂浜で、極上のご馳走をいただいている。」
最初の見方からは、惨めさとか不幸な気持ちが漂ってきます。
しかし後者の見方をすれば、豊かさとか満ち足りた幸せな気持ちが沸き上がってきます。
そう言うと、ただごまかしているだけだと思う人もいるでしょうね。
でも、本当にそうでしょうか?
この「物の見方を変える」ということは、「神との対話」 にも書かれていました。
落ちぶれて全てを失い、自暴自棄になった著者のニールは、神に対して恨み言を言います。
それに対して神は、「あともうちょっとで成功するところだ」という見方を示すのです。
絶頂期から転げ落ちるように転落する人もいます。
一寸先は闇などと言いますが、人生はどうなるかわかりません。
ならば逆に、たとえ今がどうしようもない状況だったとしても、一寸先は大富豪ということだってあるのです。
「そんな夢みたいなことが起こる確率は 1%もないよ。」
そう言いたいかもしれませんね。
私も以前は、そういうように確率論で考えていました。
けれども、確率が正しいと言えるのは、「この世に起こることは偶然だ」とした場合だけです。
そこで、あなたの信念が試されることになります。
あなたは、この世に起こる出来事は偶然だ、と考えますか?
そう考えて生きようと思っていますか?
それとも、この世に起こる出来事は必然で無駄がない、と考えますか?
どちらを選ぶこともできます。
そして、どちらを選ぶかによって、運命が決まるのです。
出来事に翻弄されながら生きるもよし。
主体的に自分の意志で生きるもよし。
どちらを選ぼうと、あなたが選んだように生きることになります。
だから人はみな、自分の思い通りに生きるのです。
もうあとは死ぬばかりと、希望をなくした老女にも、ジョーンズは言います。
「その見方は正しくない。」
そして、次から次へと、年老いてから活躍した人物をあげていきます。
それだけではありません。
その老女が、少しなら社会に貢献できそうだと言うと、また言うのです。
「その見方は正しくない。」
かつて、20億人もの命を救った知られざる人がいたことを、その老女に話し始めます。
その人がいたから、20億人もの命が助かったのだと。
けれどもすぐに、本当の功労者は他にいると言い出します。
その人がそういう仕事をすることになったのは、ある人の影響を受けたからでした。
その影響を与えた人がいなければ、20億人を救う人は生まれなかったと。
私たちはよく自分のことを、「ちっぽけな存在」だと言うことがあります。
けれども、その見方は間違っています。
私たちは、けして「ちっぽけな存在」ではありません。
偉大な存在です。
素晴らしい価値をこの世に示し、讃えられ、愛される存在です。
もし、あなたがそう思えないとしたら、それはあなたの見方が正しくないのです。
ひょっとしたらあなたも、20億人の人の命を救う偉大な功労者かもしれません。
もし、あなたがそう考えるなら。
2012年09月17日
お金持ちはなぜ、お金が集まるのか
「人脈術」 でも紹介した鳥居祐一さん の本です。
鳥居さんとは昨年、箱根合宿セミナーに参加した時にお会いしました。
私がタイから来たことを知ると、すぐにFacebookでお友達申請をしてくださいました。
「さっき名刺交換したばかりなのに」と、驚いた記憶があります。
そんな行動の速さに関する考え方も、この本の中で説明してありました。
「人脈術」が人脈の作り方に絞った内容であるのに対し、こちらは「お金の使い方」に絞った内容になっています。
金持ちと貧乏人との違いは、そのお金の使い方にある、というわけです。
この考え方は、とても理解しやすいです。
引き寄せの法則からしても、そうでなければおかしいというもの。
あらゆるものが「出す」ものによって、次に「入ってくる」ものが決まります。
呼吸も、まずははき出す。お金も、まずは支払う。何を出したかで、入ってくるものを引き寄せるのです。
ケチは嫌われるだけだけど、倹約家は人から好かれ、それが人脈を作ることになる。
その考え方が、この本の全体を貫いていました。
お金を儲けることはすぐに実践できませんが、使うことなら誰でもすぐに実践できます。
まず、お金持ちマインドを身につけること。
それが、幸せなお金持ちになるために最適な方法だと思うのです。
そのための最適な教科書として、この本をお勧めします。
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