2012年07月26日

やっと届いた2つのもの

昨日、待ちに待った荷物が日本から届きました。

私はよくネット通販で買い物をするのですが、直接タイに送ってもらわずに、日本の実家に送ります。

それを父親がまとめて、私宛に送ってくれるのです。

その荷物が届きました。


その中には、特に私が待っていた「2つのもの」があったのです。


1つはこれ。


幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-JINS PC

私じゃありませんよ。私がかけているメガネです。

JINS PCと言って、ブルーライトを約50%もカットして、パソコンなどの光から目を守ってくれるという優れものなんです。


私、不思議だったんですよね。

どうしてTVゲームとかやっていると目が痛くなるほど疲れるのかってことが。

目を動かさないからだという指摘もありましたが、どうにも納得できませんでした。

だってそれなら、本を読んだって同じことでしょう。

彫刻とか裁縫だって同じじゃありませんか。

その原因がブルーライトにあると言われて、なるほどと思ったのです。

さて、本当に効果があるでしょうか?楽しみながら試しています。



もう1つはこれ。

幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-人生を好転させるたった2つのこと(吉江勝)


吉江勝氏の新刊、「人生を好転させるたった2つのこと」 です。

一度締めたアマゾンキャンペーン ですが、また再開して、7月末までやっているそうです。(※また8月末まで延長したようです。)

まだ読まれてないかたは、ぜひ読んでみてください。

私は約2時間で読み終えましたが、タイトルに負けないくらいに内容が素晴らしいと感じました。

それですぐに感想を、アマゾンのレビューに投稿しましたよ。

掲載されるまでに4〜5日かかるということなので、ここにも載せておきましょう。



★アマゾンのレビュー★


タイトルからして、とても興味を惹かれました。

「自分には何もない」と思うことは、私にも何度もありましたから。

そんなときに読む本だと書いてあったので、読んでみたくなったのです。


しかも、ポイントは「たった2つ」だと。このシンプルさがいいですね。

実際に読んでみると、本当に2つのことに対して、著者自身の体験を前面に出しながら書かれていました。

「1日5分」とか、最近はほんのちょっとの努力でいいようなタイトルで惹きつけながら、実際はそんなものでは無理という内容の本が目立ちますが、この本はタイトル通りに「たった2つのこと」でした。


しかも、読んでいるだけで「よし、やるぞー!」という気力が湧いてくるのです。

ぐいぐい引きこまれて、あっと言う間に読み終えてしまいました。

だいたい2時間ほどでした。


読みやすいのにも理由があります。

それは著者のエピソードや、クライアントさんのエピソードなどがふんだんで、まるで小説を読んでいるような気持ちになれるからです。

それもあって、読むだけでヤル気が湧いてくるのでしょうね。


しかも、理論的な説明も後付けでなされているので、感覚的に満足しただけで終わるということがありません。

こうだからこうなると説明されるから、自分はこうすれば良いのだと理解できます。

他人ごととしてではなく、自分ごととして捉えられるので、具体的に自分の行動に結びつくと思いました。


タイトルが素晴らしいのですが、内容もそれに負けずに素晴らしかったです。

時間を置いて、また読み直してみたいと思いました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:21 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがとうがいっぱい

昔、「太陽がいっぱい」という映画がありましたね。



アラン・ドロンという二枚目俳優が悪党を演じたもので、殺した富豪になりきるために、OHPでサインを映して、なぞって真似るという場面を記憶しています。



それはさておき、「ありがとうがいっぱい」というのは、いんやく・りお君のお母さんの詩です。

先日紹介した「自分をえらんで生まれてきたよ」という本を読んだのですが、その最後に載っていました。


幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-自分をえらんで生まれてきたよ(いんやく・りお)

りお君は、心臓と肺に障害を持って生まれ、つらい治療を続けてきました。

それを支えたご両親も、大変だったと思います。

そのりお君が、不思議なことを話すのです。この本は、それをお母さんが書きとめ、まとめたものなのです。



りお君は言います。

「ぼくが病気で生まれてきたのは、ずっとずっと、幸せになるためだよ。」

「いのちはぜんぶ、つながっている。一人のいのち、というのがあるのじゃなくて、一人ずつのいのちは、ぜんぶつながっている。」


どんなつらい治療の後でも、ひとしきり泣いた後は、満面の笑顔で「ハッピー!」というりお君。

ご両親は、その笑顔に救われたそうです。



そしてこの本を出版することになり、その最後にお母さんの詩を載せたのでしょう。

その「ありがとうがいっぱい」という詩を読んで、私も感動しました。

「生まれてくれて ありがとう わたしを お母さんにしてくれて ありがとう」

そこから続く「ありがとう」の数々。

りお君の言うように、赤ちゃんは人々を幸せにするために生まれてくるのですね。


誰のいのちも尊い。誰のいのちも素晴らしい。

誰一人として、無駄ないのちはないし、消えてもかまわないいのちなどあり得ない。

心の目で見て、心の手で触れることの大切さを、りお君から教えてもらいました。

ありがとう。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:38 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妻が泣いてしまいました

昨夜、妻と一緒にDVDを観ました。

1本目は、何だかよくわからず、途中で眠ってしまいました。

目が覚めたらエンディング。妻はオカンムリです。

「だって、なんだかよくわかんないんだもん。」


もう1本観るかと問う妻に、私はもうやめようと答えました。

すると、「せっかく買ってきたのに」とご機嫌ななめです。

「わかったよ。観るよ。今度は何?」

そう問うと、「The Lady」だと言います。

「アウンサンスーチーさんの映画?それなら観る。」

今度は私がノリノリです。だってこれ、観たかったんですもの。

「The Lady アウンサンスーチー 引き裂かれた愛」

タイでは、上映できなくなったのでしょうか?まったく予告もありません。

日本は7月21日から上映開始だったそうですが、タイが日本より遅いということは、まずないので。





この女優さんが、本物のスーチーさんにそっくりなのです。

本物に似せるために、映像を何度も見て研究し、過酷なダイエットまでやって体重を落としたとか。

微妙な政治に関わる内容だけに、様々な問題もあったでしょうね。


内容は、スーチーさんの半生を描きながら、家族の愛に焦点を当てています。

そのままイギリスで暮らしていれば、家族は幸せに暮らせたのかもしれません。

途中でミャンマー(ビルマ)を出れば、再びご主人とも会えたのかもしれません。

けれど、アウンサンスーチーさんは、愛する母国の人々と歩む道を選びました。


どれほどつらかったでしょう。

ガンに冒され、余命が短いとわかった夫に会うことさえ許されない。

そしてついに、ご主人は亡くなります。

それでも彼女は、涙を見せずに民衆の前に立つのです。



泣きました。

私ではなく、妻が。

珍しいです。いつもは私が泣くのに。

妻が泣くものだから、私は泣けませんでした。

「ちくしょー!今度は1人で見てやる!」
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:01 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

明日葉のおひたしとアシュタバクラの話

「鏡の法則」で有名な野口嘉則さん が、毎週のようにFacebookに面白い話 を載せています。

興味のある方はFacebookに登録し、野口嘉則さんのフィードを購読すると良いでしょう。


さて、昨日の話ですが、明日葉のおひたしの写真とともに掲載されていましたね。

野口さんは、それをよく食べるそうです。

そしてそのとき、いつも思い出すということで、アシュタバクラの話を紹介してくださったのです。

ちょっと内容をかいつまんで書きますね。



昔、インドにジャナカ王というのがいて、家臣のアシュタバクラを大変重用していたそうです。

アシュタバクラは王様から意見を求められた時、いつも「起こることは、すべて最高のことでございます。」と答えたのだとか。

ある日王様が手に怪我をしたときも、「これをどう思うか?」と尋ねられたのに対し、同じように答えました。

それで王様は自分の不幸を喜んでいると思って、彼を投獄したのです。

その日、王様が狩りに行った時、人喰い族につかまってしまい、生贄として火あぶりにされそうになりました。

しかし手に怪我をしていたため、神聖な捧げ物に使えないとされ、放免されたのです。

王様は城に帰ると、すぐにアシュタバクラを釈放し、自分の非を詫びたのだとか。

するとアシュタバクラも、王様に言ったそうです。

「起こることは、すべて最高のことでございます。もし私が投獄されていなければ、王様と共に狩りに行って捕まり、怪我をしていない私が生贄にされたことでしょう。」




このような内容だったのですが、みなさんはどう思いますか?

起こることは、すべて最高のことだと信じきることができれば、良い出来事が起こる。

そのように、「引き寄せの法則」 的に捉える人が多いのではないでしょうか?


私は、そうではないと思うのです。

王様は城に帰った後、「今日はなんて最悪の日なんだろう」と考えることもできたはずです。

さらに、「それもこれもアシュタバクラが自分の不幸を喜んだことが発端だ。」と、逆恨みすることもできました。

そうすればアシュタバクラは解放されないばかりか、処刑されたかもしれないのです。


出来事は常にニュートラルなのだと思います。

そこにどのような意味を与えるかは、それぞれの人の自由です。

ですから、「これは最高の出来事だ」と考える人が、そういう出来事として体験するのです。


アシュタバクラは、仮に釈放されなかったとしても、いつものように「これは最高のことだ」と言ったでしょう。

なぜなら彼は、そういう見方しかしないと決めていたからです。

彼の心は自由で、出来事の影響を受けなかった。

自分が考えたいようにしか考えなかったと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:21 | Comment(4) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パステル和アートのこころ

私のお友だちには、パステル和アートをされてる方が何人かいらっしゃいます。
※「パステル和(NAGOMI)アート」は有限会社セラピオンの登録商標です。

パステルと言うのはクレヨンのようなもの。

顔料を固形ワックスで固めたものがクレヨン、顔料を結合剤で固めただけのものがパステルだそうです。

特徴は、クレヨンは固くて線描に向いていますが、混色がきれいにできないようです。

一方のパステルは、粉状になるので混色はできますが、紙に定着しないので、後で定着剤を霧吹きするという手間が必要です。

因みにクレパスというのは、サクラクレパスの商品名で、クレヨンとパステルといいとこ取りをした商品だとか。

そう言われれば、クレパスというちょっとハイカラな名前のクレヨンがあると思って、それにあこがれた時期がありました。


さて、そのパステルを使って絵を描くのがパステルアート(パステル画)です。

私の友だちがやっているパステル和アートというのは、独特の技法で誰でも簡単にパステル画が描けるようになるというもの。

また童心に返って指を汚しながら絵を描くことで、心を癒す作用もあるようです。


幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-パステル和アート(山より流れくる悲しみ)

こちらは、こころさんの作品で、「山より流れくる悲しみ」です。

梅雨の大雨で洪水被害にあった地域がありましたね。それを心に抱きながら描かれたのでしょう。


幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-パステル和アート(希望の丘)

こちらも、こころさんの作品で、「希望の丘」です。

パステル和アートの講座に出て描かれたもののようです。

課題というかサンプルを見せてもらい、その描き方を教わりながら自分の作品を仕上げます。

パステル和アートのインストラクターを養成する機関もあって、そのコースを受講すると、誰でもインストラクターになれるようです。

興味のある方は、こころさんのブログWEBサイト をご覧くださいね。



私は、それほど絵が上手ではありませんが、こういう絵を見ていると、なぜか気持ちが落ち着きます。

ホッとすると言うか、癒されるのです。

はがきに絵を描いて送るというものがありますが、ああいうのも無性に憧れるのです。

それで何度か、水彩や油絵、色鉛筆などのセットを買おうとしたことがありました。


でも、きっと飽きて途中でやめてしまうのです。

それが見えているので、今までやらずにいました。

他人が描いた絵は「すごいなあ」と思うのですが、自分が描くと下手くそに思えるんですよね。

パステル和アートは、誰でも簡単に描けるとのこと。

またちょっと心が動きました。(笑)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:08 | Comment(2) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すべてが最高だと決めてかかれる理由

野口嘉則さんのアシュタバクラの話を紹介しました。

その中でアシュタバクラは、何を問われても「起こることは、すべて最高のことでございます。」と答えたとありました。

それによって、悪いことのように見えた出来事が、実は最高に良いことだったという話です。


私はその話に対して、「最高のことだ」と信じていたから、それが起こったという見方は違うと書きました。

そうではなく、出来事はすべてニュートラルで、それが良いか悪いかの意味付けをするのは、それぞれの人が勝手にやることなのだと。


実はこれ、どちらも正しいと思います。

前言をひっくり返して申し訳ありませんが、そう信じたからそういうことが起こる、ということも言えるのです。



なので、「引き寄せの法則」が言うように、絶対に良いことが起こると信じることは重要です。

ここで言う「信じる」とは、単に「希望する」とか、「願う」ということとは違います。

むしろ、「知っている」とか「決める」に近い意味です。

絶対に最高のことが起こると知っていたら、ワクワクしますよね?

ワクワクせずに、少しでも疑う気持ちがあるなら、それは信じたとは言えないのです。



しかし、私もそうですが、本当に最高のことばかり起こるなんて信じられますか?

おそらく信じられないでしょう。

せいぜい、「禍福はあざなえる縄の如し」ではありませんが、半々くらいと信じられたら良い方かと。

つまり、凡人がそれを信じきるというのは難しいのです。


そこで工夫が必要になります。

それが、「起こることはすべて最高だ」と決めてかかれる理由を見つけることです。


それが、先ほど言ったことになります。

つまり、「最高のことが起こる」と信じるのではなく、「起きたことをすべて最高だ」と決めるのです。

何が起きるかに関係なく、ともかく起こったことを「最高だ」と受け入れるのです。


そして実際、それは妥当なことです。

なぜなら、出来事には意味がなく、ニュートラルだからです。

その意味を決めているのは、それぞれの人。

だから自分が自由に、好きなように意味を与えれば良いのですから。



「それじゃあ単に、自分を欺いているのと同じじゃないか?だって、嫌なことが起こっても、悪いことだと考えるなってことでしょう?」

その通りです。

と、説明することもできます。


だってそうじゃありませんか。

夏の暑い日に、「暑い暑い」と言ったら、何か得をしますか?

もし「このくらい暑くてちょうど良かった」と言う方が得するなら、そう言った方が良いに決まっているじゃありませんか。



また別の説明もできます。

実際、良いとか悪いとかいうのは、相対的なものです。

相対的というのは、どこかに基準を定めるから、それよりも上があり、また下があるだけなのです。

その基準をどこに置こうと、それはそれぞれの人の自由じゃありませんか。

どうして過去の状態とか、周りの人間とかに、基準を合わせる必要があるのですか?

おそらく無意識に基準を決めているだけで、その問いに答えられないでしょう。

だから、これからは意識して生きることを提案するのです。



そうやって自分が主体的になって生きるようになると、出来事に翻弄されずに生きられるようになります。

そうなったとき、思った通りの現実を創りだす(引き寄せる)ことができるようになるのです。

結局、鶏が先か卵が先かの議論と同じで、だちらが先でも、片方ができれば、もう片方もついてきます。

すべては、同じことなのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:16 | Comment(2) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

パソコンが壊れました

木曜日の午後のことです。

パソコンの前で本を読んでいたら、「ヒューン」という音とともにパソコンの画面が消えました。

「なんだ、また停電か。」

タイではよくあることなので、そう思って見回しました。が、照明は消えていないし、他の人のパソコンも消えていません。

「ひょっとして、私のところだけ?」

不思議に思いながらコンセントなどをチェックした結果、パソコン本体だけが落ちたことがわかりました。


すぐに社員に依頼して、修理してもらいました。

2時間くらいして、やっと修理が完了。電源装置を取り替えたそうです。

パスワードを入力して画面を開くと、無事に使えるようになっていました。



そのとき、私は思いました。

「なんてツイているんだろう。」


だって、ちょうどパソコンを使わなくても良い時間だったのです。

もし金曜日だったら、メールのチェックもあっただろうし、慌てたでしょう。

あるいは金曜日の定時以降だったら、修理を依頼する社員もおらず、月曜の午前中もパソコンが使えなかったかもしれないのです。

さらに言えば、電源装置を取り替えたおかげで、音がとても静かになりました。最新のタイプは熱をあまり持たないので、そのためのファンを動かさなくて良いようです。


また、こういうことも考えられます。今は40人も社員がいるから、こうやってパソコンの修理もやってくれる人がいる。

もし私が1人で仕事をしていたら、自分で修理屋に持ち込んで、修理を依頼しなければなりません。

タイだと、RAMを抜き取られたり、CPUを取り替えられたりする被害もありますから、そんな心配までしなくてはなりません。

第一、そんなことをしていたら2〜3日はパソコンを使えません。



そんなたくさんの幸運に支えられていたことを教えてくれた。

だとしたら、パソコンが壊れたという現象は、私にとって「最高のこと」と言えると思うのです。

「私は本当に運がいい。」

そう、噛み締めた出来事だったのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:44 | Comment(2) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

とても良いものに出合えました

先日送ってもらったメガネをかけて、パソコンをやっています。

これを掛け始めてから、すごく調子が良いのです。



JINS PC という商品なのですが、ブルーライトを50%カットするというのが謳い文句です。

パソコンなどのディスプレイからは、目を刺激するブルーライトというものが出ているのだとか。

おそらく、紫外線に似て、目の組織を壊してしまうのでしょうね。

なので、それをカットして目を保護しないといけないそうです。


私は30年くらい前、スーファミなどのテレビゲームに熱中していて、24時間耐久ゲームと称して、不眠不休で遊んだことがありました。

そんなことをやっていると、眼の奥が痛くなって、頭がガンガンします。

それでもゲームが面白いから、片目ずつ交互につむりながらやったこともありました。


そのころは、目がしょぼしょぼしたりするのは、目を動かさないためにドライアイになるからだ、と言われていたのです。

なので、ときどき視線を外したり、目を動かす運動をしたりと、自分なりに工夫してきたのです。

視力を良くするブルーベリーのサプリも飲んだりしました。

けれど、少しも良くなりませんでした。

やはり目が疲れてしょぼしょぼするし、目頭を押さえる日が続いていました。

「これはもう職業病だからしょうがない」とか、「歳のせいもあるさ」と、受け入れるようにしていたのです。



ある日、私の友人がJINS PCを買ったと教えてくれました。

彼は、2〜3歳の子供に上手に読み書きを教える方法などをお母さん方に教える仕事をしていて、とても喜ばれています。

「ふーん、そんなの本当に効果あるの?」

私は最初、疑っていたのです。(ごめんね。)


しかし、商品の説明を読むと、なるほどと納得できることが書かれています。

それに値段は約4千円からと、普通にメガネを買うことを考えると格安です。

他にも同じ効果を謳った商品で、2千円くらいのものもありました。また、ディスプレイに貼るフィルムもありました。

それらを検討した結果、私は友だちが買ったJINS PC を買うことにしたのです。


その決め手は、やはり信頼が置けるという点と、どこでも使えるという利便性からです。

そしてもう1つ、「本当に価値があると思うなら、それに見合った対価を支払うべし。」という、私の信念があったからです。


「安物買いの銭失い」と言うように、安ければ何でも良いというわけではありません。

同じ物、同じサービスなら、安い方が良いかもしれません。

けれど、製品やサービスの質が異なるなら、それに見合った対価を支払わなくては、売っている方が持ちません。

つまり良い商品やサービスを提供して欲しいなら、それに見合ったお金を払うという覚悟が、消費者にも必要だと思うのです。



まあ、そんな大げさなことを言う前に、この商品は格安だと思いますけどね。(笑)

だって、普通に安いメガネを買ったって、1万円はしますから。


そして使ってみた結果、本当に素晴らしいと実感しました。

目がまったくしょぼしょぼしないのです。

これには驚きました。「素晴らしい。ブラボー!」

こんな素晴らしい商品を、わずか4千円で提供してくれるなんて。

そして、この商品に出合わせてくれた友だちにも感謝です。

それから、こういう商品を手に入れられたのも、私がツイているからだと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:57 | Comment(2) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

成長する子どもの姿を見ると微笑ましく思います

私には、まだ子どもはいません。

そのこと事態は、別に残念でもないし、悲しくもありません。

実際の子どもはいませんが、精神的な子どもというのはたくさんいます。

海外の貧しい家庭の子どもの「あしながおじさん」 として、経済的な支援をしてきましたから。


その中には、先日の記事で紹介したジンタナーさんという、先天的な心臓と肺の障害と闘って生きた女性 もいます。

そう言えば、「自分をえらんで生まれてきたよ」 という本の、いんやく・りお君も、心臓と肺に障害があったのでしたね。



また、あるフィリピンの子で、10歳くらいから18歳くらいまで支援した子がいました。

高校を卒業したので支援は終わり、それ以降はまったく連絡をとっていませんでした。

それは私が、「支援者は忘れ去られるべき」という考えを持っていたからです。


支援者から会おうとすれば、支援を受けた側は重荷に感じるかもしれません。

恩着せがましく思われて、返って負担に感じられることもあるからです。

また支援された側から会おうとすれば、それは依頼心を呼び起こすことにもなりかねません。

支援が終わった後も、けして楽な人生ばかりじゃないでしょう。

そんなときに昔の支援者に会えば、弱い自分が表に出てしまうこともあるからです。



そんなある日、私のFacebookページに外国人からの友達申請が来たのです。

名前を見るまでもなく、私に外国人の友だちはいません。(タイ人を除いて)

それでしばらく無視していたのですが、ある日、ふと思い出したのです。

「あの名前、ひょっとしたら昔の里子?」

私は資料を引っ張りだして調べました。里子の資料は、すべて保管してあります。

いえ、本当はその子の名前は覚えていました、写真もずっと、システム手帳に入れてあったのです。ただ、名前の綴りを確認したのです。

やはり、その子でした。私の情報など、おそらく名前しかなかったはず。私の顔さえ知らないはずなのです。

おそらく、Facebookの検索で調べたのでしょう。


私は想像してみました。

彼女が、どんな思いで私の名前を打ち込み、検索したのかを。

涙が溢れてきました。

「忘れずにいてくれたんだ。」

それが嬉しかったのです。



しかし、友だちになるのは、その後もしばらくためらいました。

なぜなら、先ほども書いたように、支援者は忘れ去られるべきだからです。

心の中の「あしながおじさん」であり続ければいい。現実に現れたら、彼女を頼らせてしまうかもしれない。

だから、彼女とわかってからもしばらく、私は友だち申請を受けなかったのです。


けれども、精神的な里子とは言え、8年間も支援を続けた子です。

毎年送られてくる成長の記録を読み、「身長が伸びたなあ」とか、「顔が大人びてきたな」などと、微笑ましく思ってきたのです。

無事に生きていてくれた。それが嬉しかった。そして、私のような人間でも、忘れずにいてくれたことも。



2週間前に写真で紹介したベランダの鳩のヒナ ですが、さすがに大きくなりました。

成長してみると、羽の色がそれぞれ違うことがわかります。

もう親鳥はおらず、ヒナたちだけでお留守番です。

幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-ベランダの鳩

夜になると、親鳥の1羽は、写真の右側にあるエアコン室外機の上で見張りをしています。

おそらくお父さんなのでしょう。

姿は見えませんが、おそらくお母さんは巣の中で、ヒナたちと一緒にいるはず。

鳩もまた、子どもたちの成長を、微笑ましく思っているのでしょうか。


生命というのは、それだけで素晴らしいものです。かけがえのないものです。

そう、感じさせてくれるのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:10 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月29日

生命の尊さを考える

生命は、とても尊いものです。

おそらく、この言葉に反論する人はいないでしょう。


けれども、総論賛成、各論反対というのが世の常です。

具体的に言いましょう。



生命が尊いと言いながら、どうして戦争をするのでしょう?

いんやく・りお君は、その疑問をアメリカ大統領に問いたいと言います。

「われわれは平和のために戦争をする」という大統領に対して、「戦争したら平和じゃなくなるでしょ。」と言うのです。

「自分をえらんで生まれてきたよ」 (p115)


殺人を起こさせまいとして殺人を行う。

それは、どちらかの生命が尊くて、どちらかの生命は尊くないと考えているからではないでしょうか?

死刑廃止を訴える世論があり、世界は死刑廃止に向かって動いています。

しかし日本では、裁判員裁判によって逆に死刑が増えているとか。


最近、いじめに関する報道が多いですが、中には加害者の実名などをブログに掲載し、私的に刑罰を加えようとする動きもあります。

いじめを憎んで加害者をいじめる。

もし、そのいじめによって加害者が自殺しても、それは自業自得だと言う。

自分がいじめの加害者になっていることも気づかずに。




私はこのことを、良いとか悪いとか言っているのではありません。

ただ、「生命は尊い」と、多くの人は口にするけれど、本気には考えていないという事実を指摘しているだけです。

本当は、「私の生命は尊い」のであり、「私が好きな人の生命は尊い」だけだと思うのです。



新約聖書のマタイによる福音書第5章46-47節には、以下のように書かれています。

「あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」

新約聖書(インデックス)より



愛するということは、全てです。一部だけ愛するなどということはありません。条件付きの愛などというのは、その言葉からして矛盾しているのです。

あの生命は尊いと思うけれど、この生命は尊くない。もしそう考えるなら、それは生命を尊いとは思っていないのです。

そうやって別け隔てをする考え方を変えないから、世の中はいつまでたっても、今のようなままなのではありませんか?


平和を祈りながら戦争を繰返す。犯罪のない世を望みながら死刑を繰返す。いじめをなくしたいと思いながらいじめを繰返す。

それはすべて、本当の意味で愛さないからです。

本気で愛する覚悟を持とうとしないからです。

「すべてはひとつのもの」という本質を受け入れないからです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:42 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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