私はこの幸せ実践塾を通じて、すべての人に幸せになる方法を示しています。
これは、特殊な方法ではありません。
すでに大昔から多くの人が語ってきた方法です。
よく、「それはあなただからできるんでしょう?」と言う人がいます。
「あなたは能力があるからできるけど、私には能力がないから。」
そう言って、前提条件を否定しようとするのです。
私はこの方法を、「私ができたのだから、あなたもできるはずだ。」などとは言いません。
そういうものではないからです。
論理的に考えて、この方法なら幸せになれるとわかるから、誰でもできると言っているのです。
具体的には「幸せの公式」で書いていますし、メール講座に登録して読んでいただければ、詳細がわかると思います。
では、「どうしてこの方法が間違いないと言えるのか?」ということですが、それも理屈で考えると正しいと思えるからです。
それは、「なぜこの世はこうなのか?」ということを、うまく説明できるものでなくてはなりません。
それが説明できるから、幸せの公式もまた正しいと言えるのです。
先日、ヒッグス粒子が発見されたというニュースがありました。
ビッグバンから始まるこの世の構造をもっともよく説明できる標準理論というのがあって、その中で予言された物質に質量を与える素粒子のことです。
物理(科学)というのは、このように仮説を立て、それが正しいかどうかを実験で検証していきます。
私も同じように仮説を立てました。それが「私の考え方」で示してきた内容です。
その究極の仮説が、「すべてはひとつのもの」ということです。
こう考えることによって、この世のことがうまく説明できる。そして、「幸せの公式」の根拠にもなる。
このように論理的に言えるから、誰もがこれにしたがうことで幸せになれると言っているのです。
ただし、このことは必ずしも、全員が同じ努力で同じ結果を得られることを意味しません。
たとえば自転車に乗ることを考えてみてください。
普通に平衡感覚がある人で、手や足などに障害がないなら、誰でも自転車に乗れるようになります。
そう言い切ることに、何ら問題はありませんよね。
しかし、全員が同じ練習時間で乗れるようになるわけではありません。
得手不得手もあるでしょうし、コケることを怖れない勇気も関係するでしょうから。
「幸せの公式」を実践して幸せになることも、これと同じことが言えます。
理論的に誰でも幸せになれますが、成果が現れるのに早い遅いはあるでしょう。
だからこそ、「必ずできる」という信念が必要なのです。
諦めない限り、必ずできるのですから。
その力を与えてくれるものが、私は神体験のような超常現象ではなく、理屈だと思っているのです。
天才的な能力を必要とするわけではありません。
単に考え方を変えてみるだけです。
最初は、過去の考え方の習慣(価値観)が改められずに、苦労することでしょう。
それでも諦めずに実践していれば、必ず一皮むける段階がやってきます。
そうして何度も皮がむけるうちに、無意識に新しい考え方が選択できるようになるのです。
成功の秘訣も、またシンプルです。「始めること」「続けること」この2つですから。
2012年07月15日
2012年07月16日
継続するにはコツがあります
前にも書きましたが、斎藤一人さんの「変な人が書いた驚くほどツイてる話」という本を、7回読むことを目標にしています。
なぜ7回かと言うと、その本の巻末に、7回読むことが勧められていたからです。
その本を7回ではなく、どんな本でも良いから7回という勧めでした。
私も、それを鵜呑みにしたわけではありません。
私なりに、何回も読まないと身につかないと感じているからです。
それで考えた時、たしかに7回というのはちょうど良い回数だと思えたのです。
それで7回読むことに決め、前回は6月19日で3回目を読み終えました。
昨日は4回目を読み終えたところです。
「そんなに何回も読んで、飽きませんか?」
そんな声が聞こえてきそうですね。
たしかに短い期間で連続して読んだら、飽きてくるかもしれません。
だから飽きない工夫をしているのです。
まず、一気に読まないことです。
そのためには、他にも読む本を用意しておきます。
長い時間で読むときはそちらを読み、繰り返し読む方は短い時間(3〜5分)で読むようにします。
これをするためには、本の構成が重要です。
見開き2ページまたは3ページくらいで大きなタイトルが入っているものが読みやすいですね。
ちょっとした空き時間に読むためには、常に目の前にあった方が便利です。
私はリビングのソファーの前にあるテーブルに、常に置きっぱなしにしています。
きれいに片付けないと気が済まない人には難しいかもしれませんけど、片付けてしまうと出せないものなのです。
最後のコツは、公言することです。
ほら、私だってこうやって、みなさんに公言しているじゃありませんか。
そうやって他人に話すと、より記憶に定着しやすくなります。
なのでソファーに座っていてちょっとした時間ができると、「あ、この時間で読もう。」というように、思い出せるのです。
ちょっとした時間というのは、具体的に言うとTV番組が終わって、次が始まるまでの間とか、妻といっしょに出かけるのに、支度ができるのを待っている間などです。
「まだ準備できないの!?」
そう怒りたくなる場面でも、「お、ちょうどいい。この間に少し読んじゃおう。」と、むしろ得した気分になれるのです。
身近な家族ほど、思い通りにならないとイライラしてしまうもの。
そういうときにサッと自分の気持ちを切り替えるツールとしても使えます。
まさに一石二鳥ではありませんか。
なぜ7回かと言うと、その本の巻末に、7回読むことが勧められていたからです。
その本を7回ではなく、どんな本でも良いから7回という勧めでした。
私も、それを鵜呑みにしたわけではありません。
私なりに、何回も読まないと身につかないと感じているからです。
それで考えた時、たしかに7回というのはちょうど良い回数だと思えたのです。
それで7回読むことに決め、前回は6月19日で3回目を読み終えました。
昨日は4回目を読み終えたところです。
「そんなに何回も読んで、飽きませんか?」
そんな声が聞こえてきそうですね。
たしかに短い期間で連続して読んだら、飽きてくるかもしれません。
だから飽きない工夫をしているのです。
まず、一気に読まないことです。
そのためには、他にも読む本を用意しておきます。
長い時間で読むときはそちらを読み、繰り返し読む方は短い時間(3〜5分)で読むようにします。
これをするためには、本の構成が重要です。
見開き2ページまたは3ページくらいで大きなタイトルが入っているものが読みやすいですね。
ちょっとした空き時間に読むためには、常に目の前にあった方が便利です。
私はリビングのソファーの前にあるテーブルに、常に置きっぱなしにしています。
きれいに片付けないと気が済まない人には難しいかもしれませんけど、片付けてしまうと出せないものなのです。
最後のコツは、公言することです。
ほら、私だってこうやって、みなさんに公言しているじゃありませんか。
そうやって他人に話すと、より記憶に定着しやすくなります。
なのでソファーに座っていてちょっとした時間ができると、「あ、この時間で読もう。」というように、思い出せるのです。
ちょっとした時間というのは、具体的に言うとTV番組が終わって、次が始まるまでの間とか、妻といっしょに出かけるのに、支度ができるのを待っている間などです。
「まだ準備できないの!?」
そう怒りたくなる場面でも、「お、ちょうどいい。この間に少し読んじゃおう。」と、むしろ得した気分になれるのです。
身近な家族ほど、思い通りにならないとイライラしてしまうもの。
そういうときにサッと自分の気持ちを切り替えるツールとしても使えます。
まさに一石二鳥ではありませんか。
ゴルフの練習も幸せの実践です
この週末、いつものゴルフ練習場へ行きました。
タイはゴルフ天国ですから、ゴルフをする日本人は多いですね。
その練習場にも、多くの日本人がやってきます。もちろん、タイ人もけっこういますよ。
最近はあまりラウンドをしないのですが、先週は久々にプレーをして、スコアはボロボロでした。
もう5年以上もやっているのに、110を超えるスコアが出てしまうほどヘボです。
それで今週は、もう一度ショットを安定させるための練習に取り組んだのです。
同じように打っているつもりでも、毎回当たりが違います。
連続で打ってさえこうですから、1回勝負の本番で、ミスショットが出るのも当然ですね。
「5年以上も同じことをやり続けて、まだこんなことも上手くてきないのか。」
そうがっかりする気持ちもありますが、それ以上に、ただ無心に打っていることが楽しいのです。
考えてみれば、幸せの実践だって同じことですよね。
ただ考え方を変えるだけなのに、わかっていながら上手くできない。
そんなことを繰り返しているわけですが、でも上手くできた時の喜びもあるし、目指す方向もわかっている。
「よーし、今度こそ上手くやってやるぞ。」
もうゴルフを楽しんでいるのと同じじゃありませんか。
ゴルフ練習場では、他にも幸せ実践のチャンスがあります。
ここには、バッグを運んでくれるボーイさんのような人がいます。
到着するとすぐにバッグをかついてくれて、打席に案内してくれます。
1箱40球入ったボールを何箱買うか言ってお金を渡すと、買って持って来てくれて、セッティングしてくれます。
これは基本的なサービスなので、本来は無料です。でも、20バーツのチップをあげることが普通になっていますね。
終わると今度は、使用したクラブを拭いてバッグにしまい、またかついで車止めまで持って行ってくれます。
車が来れば積んでくれるので、また最後に「ありがとう」と言って20バーツを渡します。
練習が終わったタイミングは、巡回しているフロアマネージャーみたいな人がいれば、その人に知らせます。
そうでなければ、ボーイさんでも、給仕の子でもかまいません。
たいていはこちらか言わなくても終わったことを察して、「終わりですか?」と尋ねてきますけどね。
この日は終わった時、近くに誰もいませんでした。
ちょっと離れたところに給仕の子がいたのですが、携帯電話を見るのに忙しく、こちらを見ようともしません。
大声を出せば聞こえるかもしれませんが、あまりそういうことはしたくないのです。
しばらく見ていたのですが、まったく振り向く気配がないので、私はあきらめて椅子に座りました。
以前もそんなことがあって、しばらく待っても来なかったから、頭に来てクラブを片付け、バッグを自分で担いで車止めに向かったのです。
するとボーイさんが途中で気づいて「担ぎます」と言ってきました。
「今さら担いでくれてもありがたくないよ。たったそれだけで20バーツ払うのもしゃくだし。」
そう思って私は、その申し出を断って自分で車に積んで帰ったのです。
「なんですぐに気が付かないかなあ。ちゃんと仕事しろよ!」
そんな気持ちで腹が立ったのです。
でも、気分が悪いのは私です。
せっかくお金を払って、時間を使って行ったのに、気分が悪いのではもったいない。
そう思って、それからはそういうことをしないようにしました。
今回は、10分待って来なかったら、自分で片付けて帰ろうと思いました。
ただ、途中でまたボーイさんが気づくかもしれないから、そのときは気持よくバッグを預けようと思いました。
20バーツくらい安いものです。それで楽しい時間が過ごせるなら、大したことではありません。
さて、10分位内に気づいてくるでしょうか?これもある意味でゲームですね。
私はその時間を使って、携帯電話でFacebookのチェックをしました。
「この待ち時間があったから、こうやってFacebookをすることができた。」
そう思ったら、その待ち時間も無駄ではありません。
そろそろ10分かなと思った時、フロアマネージャーが尋ねてきました。
「もう終わりですか?」
グッドタイミングです。
タイはゴルフ天国ですから、ゴルフをする日本人は多いですね。
その練習場にも、多くの日本人がやってきます。もちろん、タイ人もけっこういますよ。
最近はあまりラウンドをしないのですが、先週は久々にプレーをして、スコアはボロボロでした。
もう5年以上もやっているのに、110を超えるスコアが出てしまうほどヘボです。
それで今週は、もう一度ショットを安定させるための練習に取り組んだのです。
同じように打っているつもりでも、毎回当たりが違います。
連続で打ってさえこうですから、1回勝負の本番で、ミスショットが出るのも当然ですね。
「5年以上も同じことをやり続けて、まだこんなことも上手くてきないのか。」
そうがっかりする気持ちもありますが、それ以上に、ただ無心に打っていることが楽しいのです。
考えてみれば、幸せの実践だって同じことですよね。
ただ考え方を変えるだけなのに、わかっていながら上手くできない。
そんなことを繰り返しているわけですが、でも上手くできた時の喜びもあるし、目指す方向もわかっている。
「よーし、今度こそ上手くやってやるぞ。」
もうゴルフを楽しんでいるのと同じじゃありませんか。
ゴルフ練習場では、他にも幸せ実践のチャンスがあります。
ここには、バッグを運んでくれるボーイさんのような人がいます。
到着するとすぐにバッグをかついてくれて、打席に案内してくれます。
1箱40球入ったボールを何箱買うか言ってお金を渡すと、買って持って来てくれて、セッティングしてくれます。
これは基本的なサービスなので、本来は無料です。でも、20バーツのチップをあげることが普通になっていますね。
終わると今度は、使用したクラブを拭いてバッグにしまい、またかついで車止めまで持って行ってくれます。
車が来れば積んでくれるので、また最後に「ありがとう」と言って20バーツを渡します。
練習が終わったタイミングは、巡回しているフロアマネージャーみたいな人がいれば、その人に知らせます。
そうでなければ、ボーイさんでも、給仕の子でもかまいません。
たいていはこちらか言わなくても終わったことを察して、「終わりですか?」と尋ねてきますけどね。
この日は終わった時、近くに誰もいませんでした。
ちょっと離れたところに給仕の子がいたのですが、携帯電話を見るのに忙しく、こちらを見ようともしません。
大声を出せば聞こえるかもしれませんが、あまりそういうことはしたくないのです。
しばらく見ていたのですが、まったく振り向く気配がないので、私はあきらめて椅子に座りました。
以前もそんなことがあって、しばらく待っても来なかったから、頭に来てクラブを片付け、バッグを自分で担いで車止めに向かったのです。
するとボーイさんが途中で気づいて「担ぎます」と言ってきました。
「今さら担いでくれてもありがたくないよ。たったそれだけで20バーツ払うのもしゃくだし。」
そう思って私は、その申し出を断って自分で車に積んで帰ったのです。
「なんですぐに気が付かないかなあ。ちゃんと仕事しろよ!」
そんな気持ちで腹が立ったのです。
でも、気分が悪いのは私です。
せっかくお金を払って、時間を使って行ったのに、気分が悪いのではもったいない。
そう思って、それからはそういうことをしないようにしました。
今回は、10分待って来なかったら、自分で片付けて帰ろうと思いました。
ただ、途中でまたボーイさんが気づくかもしれないから、そのときは気持よくバッグを預けようと思いました。
20バーツくらい安いものです。それで楽しい時間が過ごせるなら、大したことではありません。
さて、10分位内に気づいてくるでしょうか?これもある意味でゲームですね。
私はその時間を使って、携帯電話でFacebookのチェックをしました。
「この待ち時間があったから、こうやってFacebookをすることができた。」
そう思ったら、その待ち時間も無駄ではありません。
そろそろ10分かなと思った時、フロアマネージャーが尋ねてきました。
「もう終わりですか?」
グッドタイミングです。
投資で成功するコツは幸せになることだった
私ももちろん、お金持ちになりたいという漠然とした気持ちがあります。
それはやはり、若いころは特に、経済的な不自由さを味わってきたからです。
小学生の頃、200円のプラモデルが買えずに悔しい思いをしました。
友だちがみんな、「明日買うから、とっておいて。」と、お店に予約して帰ります。
私も勢いで予約してしまいました。
帰宅して母親に話したら、「お父ちゃんに言うてみんさい」とだけ。
恐る恐る父親に言うと、案の定「断ってこい!」と否定されました。
悔しくて泣きました。
滅多に「あれが欲しい」などと言わない私が、勇気を出してお願いしたのに。
でも次の日、母親が100円札を2枚をくれました。
「お父ちゃんが、買ってやれと言うとったで。」
今にして思えば、父親も私に優しくしたかったのでしょう。
一人暮らしを始めてからも、大学に8年間通いましたから、貧乏なままです。
やっと買うものに不自由を感じなくなったのは、35歳くらいになってからでしょうか。
それも「独身だったから」という理由もありますけどね。
そんなわけで、私もご多分に漏れず、お金は大好きです。
貯金もしましたし、株式投資や不動産投資もしてきました。
お金儲けの本などがあれば、また同じような本をと思いながらも買って読みました。
最近、FXミリオネアの竹井佑介さんのビデオを見る機会がありました。
彼は広島大学学校教育学部を卒業したということで、私の後輩になるんですね。
と言っても、私は卒業していないので、大して威張れませんけど。
若くしてミリオネアになった竹井さんが、投資の心構えを語っていました。
その中に、「損切りを設定する」ということと、「自分が決めたルールを守って取引する」という話がありました。
当たり前の感じがして何気なく聞いていたのですが、後でふと、「これはまさに幸せになることだ」と思ったのです。
どういうことかというと、「執着心があるとできない」ということです。
執着するから、次のような間違いをしてしまうのでしょう。
予定よりも値が下がった時、売れば損が確定します。売らなければ、また値を戻す可能性があります。
そんなときに、「せっかくつぎ込んだお金がもったいない」と思って、売らずに持ち続けてしまうのです。
私も株をやり始めたころ、これで塩漬け(売れない状況で持ち続けること)にして、1年以上たっても値が戻らずに、安値で売ることになったことがありました。
また、ちょっと損をすると、次はその損を取り返した上で、さらに儲けようとして、大きな儲けを狙ったりします。
つまり、本当の意味での投資ではなく、ギャンブル的な投機になっていくのです。
こうなると、大損することがあっても当たり前ですよね。
それに気づいた時、「投資で成功するには、まず自分が幸せであることだ。」とわかったのです。
幸せであれば、執着しません。淡々とルールに従って取引できるはずです。
そうやって大損せずに勝つ精度を上げていくことが投資だと思ったのです。
ですから、お金持ちを目指す人のマインドセットとしても、まずは自分が幸せになることだと思うのです。
それはやはり、若いころは特に、経済的な不自由さを味わってきたからです。
小学生の頃、200円のプラモデルが買えずに悔しい思いをしました。
友だちがみんな、「明日買うから、とっておいて。」と、お店に予約して帰ります。
私も勢いで予約してしまいました。
帰宅して母親に話したら、「お父ちゃんに言うてみんさい」とだけ。
恐る恐る父親に言うと、案の定「断ってこい!」と否定されました。
悔しくて泣きました。
滅多に「あれが欲しい」などと言わない私が、勇気を出してお願いしたのに。
でも次の日、母親が100円札を2枚をくれました。
「お父ちゃんが、買ってやれと言うとったで。」
今にして思えば、父親も私に優しくしたかったのでしょう。
一人暮らしを始めてからも、大学に8年間通いましたから、貧乏なままです。
やっと買うものに不自由を感じなくなったのは、35歳くらいになってからでしょうか。
それも「独身だったから」という理由もありますけどね。
そんなわけで、私もご多分に漏れず、お金は大好きです。
貯金もしましたし、株式投資や不動産投資もしてきました。
お金儲けの本などがあれば、また同じような本をと思いながらも買って読みました。
最近、FXミリオネアの竹井佑介さんのビデオを見る機会がありました。
彼は広島大学学校教育学部を卒業したということで、私の後輩になるんですね。
と言っても、私は卒業していないので、大して威張れませんけど。
若くしてミリオネアになった竹井さんが、投資の心構えを語っていました。
その中に、「損切りを設定する」ということと、「自分が決めたルールを守って取引する」という話がありました。
当たり前の感じがして何気なく聞いていたのですが、後でふと、「これはまさに幸せになることだ」と思ったのです。
どういうことかというと、「執着心があるとできない」ということです。
執着するから、次のような間違いをしてしまうのでしょう。
予定よりも値が下がった時、売れば損が確定します。売らなければ、また値を戻す可能性があります。
そんなときに、「せっかくつぎ込んだお金がもったいない」と思って、売らずに持ち続けてしまうのです。
私も株をやり始めたころ、これで塩漬け(売れない状況で持ち続けること)にして、1年以上たっても値が戻らずに、安値で売ることになったことがありました。
また、ちょっと損をすると、次はその損を取り返した上で、さらに儲けようとして、大きな儲けを狙ったりします。
つまり、本当の意味での投資ではなく、ギャンブル的な投機になっていくのです。
こうなると、大損することがあっても当たり前ですよね。
それに気づいた時、「投資で成功するには、まず自分が幸せであることだ。」とわかったのです。
幸せであれば、執着しません。淡々とルールに従って取引できるはずです。
そうやって大損せずに勝つ精度を上げていくことが投資だと思ったのです。
ですから、お金持ちを目指す人のマインドセットとしても、まずは自分が幸せになることだと思うのです。
2012年07月17日
電熱グリルがショートして火を噴きました
先日、部屋にあった電熱グリルがショートして、火を噴くという事件がありました。
妻が台所で料理をしていて、私はリビングのソファーに座っていたのです。
すると突然、金属の容器が吹っ飛んだような「ガッシャーン!」という大きな音がしました。
金属のボールを落としたにしては、ちょっと違う感じの音。
妻が何やら叫んでます。もちろんタイ語で。だから、私にはよくわからなかったのです。
行ってみると、妻が身振り手振りで説明してくれました。
洗った金属のボールを置こうとしたところ、手が滑って転がり、火にかけてあった鍋にぶつかったのだそうです。
その瞬間、鍋のところから火が噴いたとのこと。
さかんにブレーカーを落とせと喚いています。
よく見ると、つけてあった扇風機が止まり、停電しているようです。
そこでやっと、ブレーカーが落ちたのかと思ったのです。
しかしブレーカを見ると、すべてONになっています。どうやら元が落ちてしまったようです。
妻は、漏電していることが不安で、ブレーカーを落とせと言ったようですが、もうその心配はありません。
妻が怖がるので、私が代わりに電熱グリルのプラグをコンセントから抜きました。
その後、鍋をどかした妻が言いました。
「ほら、ここ!ここから火を噴いたのよ。」
グリルの後ろ側の壁がすすけていました。
よく見ると、電線の被覆が裂けています。どうやらここがショートしたようです。
日本は基準が厳しいから、こういうことはあまりないのでしょうね。
タイでは、電気系統からの火災がけっこうあります。
その後、アパートのチャンさん(修理担当者のこと)に来てもらい、元のブレーカーを上げてもらいました。
電熱グリルは使えなくなりましたが、他の電気機器は大丈夫だったようです。
寝室のエアコンが急に動き出した以外は、特に問題ありませんでした。
そう考えると、私はツイていますね。
だって、ショートして火が噴いたにも関わらず、大事にならずに済みましたから。
また、昼間だったので停電してもすぐに困ることがありませんでした。
古い電熱グリルだったので、新しいのを買おうかを話をしたばかりだったのです。
妻が1人のときならパニックになったかもしれませんが、幸いに私がいたので、妻も大丈夫でした。
このタイミングでショートしてくれて、本当にラッキーだったと思います。
ただしその後、妻が興奮気味で、些細なことで当たられましたけどね。
まあでも、そういう波風が少しあった方が、互いの絆も深まるというものです。
ほら、やっぱり私はツイてるでしょ。
妻が台所で料理をしていて、私はリビングのソファーに座っていたのです。
すると突然、金属の容器が吹っ飛んだような「ガッシャーン!」という大きな音がしました。
金属のボールを落としたにしては、ちょっと違う感じの音。
妻が何やら叫んでます。もちろんタイ語で。だから、私にはよくわからなかったのです。
行ってみると、妻が身振り手振りで説明してくれました。
洗った金属のボールを置こうとしたところ、手が滑って転がり、火にかけてあった鍋にぶつかったのだそうです。
その瞬間、鍋のところから火が噴いたとのこと。
さかんにブレーカーを落とせと喚いています。
よく見ると、つけてあった扇風機が止まり、停電しているようです。
そこでやっと、ブレーカーが落ちたのかと思ったのです。
しかしブレーカを見ると、すべてONになっています。どうやら元が落ちてしまったようです。
妻は、漏電していることが不安で、ブレーカーを落とせと言ったようですが、もうその心配はありません。
妻が怖がるので、私が代わりに電熱グリルのプラグをコンセントから抜きました。
その後、鍋をどかした妻が言いました。
「ほら、ここ!ここから火を噴いたのよ。」
グリルの後ろ側の壁がすすけていました。
よく見ると、電線の被覆が裂けています。どうやらここがショートしたようです。
日本は基準が厳しいから、こういうことはあまりないのでしょうね。
タイでは、電気系統からの火災がけっこうあります。
その後、アパートのチャンさん(修理担当者のこと)に来てもらい、元のブレーカーを上げてもらいました。
電熱グリルは使えなくなりましたが、他の電気機器は大丈夫だったようです。
寝室のエアコンが急に動き出した以外は、特に問題ありませんでした。
そう考えると、私はツイていますね。
だって、ショートして火が噴いたにも関わらず、大事にならずに済みましたから。
また、昼間だったので停電してもすぐに困ることがありませんでした。
古い電熱グリルだったので、新しいのを買おうかを話をしたばかりだったのです。
妻が1人のときならパニックになったかもしれませんが、幸いに私がいたので、妻も大丈夫でした。
このタイミングでショートしてくれて、本当にラッキーだったと思います。
ただしその後、妻が興奮気味で、些細なことで当たられましたけどね。
まあでも、そういう波風が少しあった方が、互いの絆も深まるというものです。
ほら、やっぱり私はツイてるでしょ。
人と仲良くなるにはこの方法が一番です
誰かと仲良くなりたかったら、あなたならどうしますか?
たとえば相手が、まったく見知らぬ人だったら。
あるいは、ケンカして仲違いした相手だったら。
どんなときでも、相手の関心を買って仲良くなる方法があるのです。
もちろん100%成功するとは言いませんけど、かなりの確率で成功するはずです。
なぜなら、歴史が証明しているからです。
まずは旧約聖書にその記述があります。
創世記の24〜33章に書かれた兄エソウと弟ヤコブによる長子権の争いの物語です。
弟ヤコブは、兄エソウを騙して長子権を奪ってしまいます。
これにより、エソウはヤコブを殺そうとまでしますが、ヤコブは逃げて難を逃れました。
その後、約20年ほど経ってからヤコブは、兄との和解に向かいます。
その途中で、以前にお話した天使と組討ちしてイスラエルとなる話 があります。
ヤコブは、まず使者を立て、牛、ろば、羊、奴隷などをお届けしたいと申し出るのです。
そして実際に会うまでに、それらを数段階に分けて先に行かせ、エソウに対して、「これは僕(しもべ)であるヤコブからご主人であるエソウ様への贈り物だ」と言うように、召使に言い含めます。
最後に対面しますが、その時も遠くで姿がかすかに見えたところから地にひれ伏し、また前に進んではひれ伏すというように、7回もひれ伏したと言います。
そのようにヤコブは絶対恭順の態度を示しました。
それにより対面のときは、エソウからヤコブの元へ走りより、抱き締め、口付けし、泣いて喜んだのです。
この話から得られる教訓は3つです。
相手と和解したければ
1.相手に考える時間を与えること
2.絶対恭順の態度を示すこと
3.贈り物を贈ること
だということです。
物で気持ちを釣るように見えるかもしれませんが、そうではありません。
その物の背後にある、「あなたと仲直りしたい」という気持ちに、人は心を打たれるのです。
次に、日本の逸話を見てみましょう。
本能寺の変で主君・織田信長を討った明智光秀は、中国大返しの離れ業で駆けつけた豊臣秀吉によって討伐されてしまいます。
その後、織田家の世継ぎを巡って、織田の家臣団は分裂します。
もっとも有力なのは、光秀を討伐した秀吉でしたが、それだけでは信長の家臣全員の信頼は得られません。
古参の柴田勝家などは、新参の秀吉を嫌っていたからです。
そこで秀吉は、跡継ぎとして信長の孫にあたる幼い三法師を擁立するのです。
織田家の後継者を決める清州会議で、勝家らが推す信長の三男・信孝を後見人とすることで、三法師が跡継ぎとして決まります。
その後、三法師に対して諸将が臣下の礼をとる式典では、秀吉が三法師を抱きかかえて上座につきます。
諸将は三法師に礼をするのですが、形の上では上座に座る秀吉に臣下の礼をしたようになってしまいました。
最終的には越前の勝家との決戦がありましたが、このときすでに勝敗は決していたのです。
この物語で秀吉は、三法師を手なづけるために周到な作戦を練っています。
自分の顔を近づけて驚かせてはいけないからと、まずは遠くから声をかけるだけにして、おもちゃを与えて遊ばせました。
そして徐々に近づいて、三法師の方から一緒に遊びたいと思わせるようにしたのです。
これもすべて、三法師を抱きかかえて諸将の前に出るというイベントを成功させるための工夫でした。
この話から得られる教訓も、先ほどと同様です。
1.相手が自分を受け入れるまでの十分な時間をかけること
2.相手のことが大好きだという気持ちを表すこと
3.贈り物をすること
当たり前のように思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。
相手に対して、「このくらいはしてくれてもいいだろう」という気持ちを持っていませんか?
もしそういう気持ちがあるなら、絶対恭順の態度とは違います。相手が受け入れてくれるまで待つという態度とも違います。
プレゼントはよく利用しますよね。でも、ひとりよがりになっていませんか?
相手がほしがるもの、相手にとって価値があるものを贈ることです。これも、相手のことを本気で考えないとわかりませんよね。
こうして相手に対して、「そこまでしてくれるんだ」という感動を与えるからこそ、相手は無条件に受け入れてくれるのです。
エソウはヤコブの贈り物を、「お前が持っていたらいい。私には十分にあるから。」と言って断ろうとしました。
もう何も要らなかったのです。純粋に兄である自分を慕ってくれる弟の態度に、一時は殺そうとまでして憎んだ気持ちが氷解したのです。
アベルは兄のカインに殺されてしまいました が、ヤコブはその轍を踏まないように考えたのです。
たとえば相手が、まったく見知らぬ人だったら。
あるいは、ケンカして仲違いした相手だったら。
どんなときでも、相手の関心を買って仲良くなる方法があるのです。
もちろん100%成功するとは言いませんけど、かなりの確率で成功するはずです。
なぜなら、歴史が証明しているからです。
まずは旧約聖書にその記述があります。
創世記の24〜33章に書かれた兄エソウと弟ヤコブによる長子権の争いの物語です。
弟ヤコブは、兄エソウを騙して長子権を奪ってしまいます。
これにより、エソウはヤコブを殺そうとまでしますが、ヤコブは逃げて難を逃れました。
その後、約20年ほど経ってからヤコブは、兄との和解に向かいます。
その途中で、以前にお話した天使と組討ちしてイスラエルとなる話 があります。
ヤコブは、まず使者を立て、牛、ろば、羊、奴隷などをお届けしたいと申し出るのです。
そして実際に会うまでに、それらを数段階に分けて先に行かせ、エソウに対して、「これは僕(しもべ)であるヤコブからご主人であるエソウ様への贈り物だ」と言うように、召使に言い含めます。
最後に対面しますが、その時も遠くで姿がかすかに見えたところから地にひれ伏し、また前に進んではひれ伏すというように、7回もひれ伏したと言います。
そのようにヤコブは絶対恭順の態度を示しました。
それにより対面のときは、エソウからヤコブの元へ走りより、抱き締め、口付けし、泣いて喜んだのです。
この話から得られる教訓は3つです。
相手と和解したければ
1.相手に考える時間を与えること
2.絶対恭順の態度を示すこと
3.贈り物を贈ること
だということです。
物で気持ちを釣るように見えるかもしれませんが、そうではありません。
その物の背後にある、「あなたと仲直りしたい」という気持ちに、人は心を打たれるのです。
次に、日本の逸話を見てみましょう。
本能寺の変で主君・織田信長を討った明智光秀は、中国大返しの離れ業で駆けつけた豊臣秀吉によって討伐されてしまいます。
その後、織田家の世継ぎを巡って、織田の家臣団は分裂します。
もっとも有力なのは、光秀を討伐した秀吉でしたが、それだけでは信長の家臣全員の信頼は得られません。
古参の柴田勝家などは、新参の秀吉を嫌っていたからです。
そこで秀吉は、跡継ぎとして信長の孫にあたる幼い三法師を擁立するのです。
織田家の後継者を決める清州会議で、勝家らが推す信長の三男・信孝を後見人とすることで、三法師が跡継ぎとして決まります。
その後、三法師に対して諸将が臣下の礼をとる式典では、秀吉が三法師を抱きかかえて上座につきます。
諸将は三法師に礼をするのですが、形の上では上座に座る秀吉に臣下の礼をしたようになってしまいました。
最終的には越前の勝家との決戦がありましたが、このときすでに勝敗は決していたのです。
この物語で秀吉は、三法師を手なづけるために周到な作戦を練っています。
自分の顔を近づけて驚かせてはいけないからと、まずは遠くから声をかけるだけにして、おもちゃを与えて遊ばせました。
そして徐々に近づいて、三法師の方から一緒に遊びたいと思わせるようにしたのです。
これもすべて、三法師を抱きかかえて諸将の前に出るというイベントを成功させるための工夫でした。
この話から得られる教訓も、先ほどと同様です。
1.相手が自分を受け入れるまでの十分な時間をかけること
2.相手のことが大好きだという気持ちを表すこと
3.贈り物をすること
当たり前のように思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。
相手に対して、「このくらいはしてくれてもいいだろう」という気持ちを持っていませんか?
もしそういう気持ちがあるなら、絶対恭順の態度とは違います。相手が受け入れてくれるまで待つという態度とも違います。
プレゼントはよく利用しますよね。でも、ひとりよがりになっていませんか?
相手がほしがるもの、相手にとって価値があるものを贈ることです。これも、相手のことを本気で考えないとわかりませんよね。
こうして相手に対して、「そこまでしてくれるんだ」という感動を与えるからこそ、相手は無条件に受け入れてくれるのです。
エソウはヤコブの贈り物を、「お前が持っていたらいい。私には十分にあるから。」と言って断ろうとしました。
もう何も要らなかったのです。純粋に兄である自分を慕ってくれる弟の態度に、一時は殺そうとまでして憎んだ気持ちが氷解したのです。
アベルは兄のカインに殺されてしまいました が、ヤコブはその轍を踏まないように考えたのです。
感動の条件
斎藤一人さんのお弟子さんでもある著者の永松茂久氏は、大分県中津市でたこ焼き屋「天までとどけ。」を開店し、わずか3坪ながら日商平均25万円を売ることでマスコミに知られた人。
その後に斎藤一人さんから教えを受け、ダイニング「陽なた家」、居酒屋「夢天までとどけ」など、口こみだけで全国から客が押し寄せる店を造りました。
感動する人ではなく、感動を生み出す人になってほしい。
それが著者の願いだと言います。
この本の中で、非効率の勧め(p106)があります。
そういえば前に紹介した「賢者の言葉」でも、ザッポスを経営するトニー・シェイの考え方は非効率の追求でした。
マニュアルを一切作らず、すべて従業員の判断に任せる。
1本の注文の電話に6時間も対応したというケースもあるのだとか。
「それで本当に儲かるの?」
そう思われるでしょう。私もそう思います。
でも、ほとんどの人がそう思うから、誰もやらないのです。
誰もやらないから競争が少なく、多くの客がそこを高く評価すると永松氏は言います。
そう考えてみると、非効率であることも悪くないなと思えるのです。
2012年07月18日
「負けるが勝ち」という言葉を思い出しました
先日の電熱グリルから発火した事件のあとのことです。
ちょっと妻との間にごたごたがありました。
私は2〜3週ごとに、バリカンで頭を刈ってもらっています。
自分ででもできるのでしょうけど、妻に刈ってもらった方がきれいにできると思って、やってもらっているのです。
その日は、その予定日でした。
「いつ刈ってくれるの?」「あとで。」
そんな会話をしてから、発火事件がありました。
その後、私がソファーに座っていると、妻が怒ったような口調で言ってきます。
「頭を刈るんじゃないの?さっさと自分で準備しなさいよ。椅子をベランダに出して、服を脱ぎなさい!」
なんで怒られるのか、さっぱりわかりません。
それで私が不満そうな顔をしているとさらに言ってきます。
「ほら、またそうやって不満そうな顔をする。」
そんなことを言われてもねえ。不満に感じても当然じゃありませんか。
いざ刈ってもらおうと椅子に座っていると、後からいきなりザーッと刈り上げます。
「あっ!ちょっと待って!」
私はあわてて振り向きました。だって、刈る長さの調整ができているか、まだ確認していなかったのです。
妻からバリカンをもらって見ると、ちゃんと予定通りの3mmになっていました。
私がホッとしてバリカンを妻に返すと、今度は妻が怒ります。
「大きな声を出すから、びっくりしたじゃないの!自分が最初に見ておかないのが悪いんでしょう!」
「いや、たしかにそうかもしれないけど、驚いただけだから。それに別にあなたを責めてないでしょう?」
そう思って、刈ってもらいながらも私は、気分が良くありません。
「今度からは自分で刈ろう。その方がイライラしなくて済む。」
そんなことを考えていたら、妻が突然刈るのをやめ、バスルームへ行ってしまいました。
「アロムシア(感情が壊れた=気分が悪い)」と言い残して。
しばらく私は、1人でベランダに座っていることになりました。
「なんでこんなことをしているんだろう?私は少しも悪いことをしていないのに。」
私が自分で刈り始めたところに、妻が戻って来ました。
「ごめんなさいって言いなさいよ。あなたが大声を出すから悪いんでしょう。」
まだそんなことを言っています。
私は、ここで謝れば丸く収まるのかもと思いながらも、謝ることができませんでした。
「だって、私は悪くないもの。」
悪くないと思っているのに謝るのは、何だか相手も自分も騙しているような気持ちになるのです。
結局、それからは無言で頭を刈ってもらい、終わったところで「ありがとう」とだけ言って、私はバスルームでシャワーを浴びました。
そのあとも私は、妻と話をしたい気分ではありませんでした。
でも、私が怒って部屋を出て行ったり、あからさまに妻を無視する態度をとることは、事態をさらに悪化させると思いました。
それで、ソファーに座っていた妻の隣に、やや距離を置いて座ったのです。
自分から声を掛けることはしませんでしたが、逃げ出すこともしませんでした。
それが、その時の私にできる精一杯のことだったのです。
しばらくすると妻が、足で私にちょっかいを出してきました。
私はわざと変な顔をして、反応します。
妻が笑いました。私も笑いました。
「怒ったの?」
そう妻が聞くので、私は答えました。
「怒ったのはあなたでしょ。私は怒らないよ。」
安心したのか、妻が足を私の膝の上に投げ出してきます。
それから言いました。
「メンスの時は、機嫌が悪くなるのよ。」
そのとき私は、やっと気がつきました。
女性は生理の時、痛みや不快感から機嫌が悪くなるということを知識としては知っていたのに、それをまったく忘れていたことを。
妻は前日辺りから、生理が近いと言っていたのに、私はその言葉を聞きながらも、その意味を受け止めていなかったのです。
そして、妻を最初から受け入れてあげられなかったことを、心から申し訳なく思ったのです。
日本には、「負けるが勝ち」という言葉があります。
表面上は勝負に負けたとしても、実質的には勝っているという意味です。
勝ちに執着している人に対して、よくそう言って諫めます。
私は、無意識に妻に勝とうとしていました。負けることが悔しいから、許せないから、自分から負けるという選択肢を選べなかったのです。
また、妻に教えてもらいました。
ありがとう。やっぱり妻は、私にとって最高のパートナーです。
ちょっと妻との間にごたごたがありました。
私は2〜3週ごとに、バリカンで頭を刈ってもらっています。
自分ででもできるのでしょうけど、妻に刈ってもらった方がきれいにできると思って、やってもらっているのです。
その日は、その予定日でした。
「いつ刈ってくれるの?」「あとで。」
そんな会話をしてから、発火事件がありました。
その後、私がソファーに座っていると、妻が怒ったような口調で言ってきます。
「頭を刈るんじゃないの?さっさと自分で準備しなさいよ。椅子をベランダに出して、服を脱ぎなさい!」
なんで怒られるのか、さっぱりわかりません。
それで私が不満そうな顔をしているとさらに言ってきます。
「ほら、またそうやって不満そうな顔をする。」
そんなことを言われてもねえ。不満に感じても当然じゃありませんか。
いざ刈ってもらおうと椅子に座っていると、後からいきなりザーッと刈り上げます。
「あっ!ちょっと待って!」
私はあわてて振り向きました。だって、刈る長さの調整ができているか、まだ確認していなかったのです。
妻からバリカンをもらって見ると、ちゃんと予定通りの3mmになっていました。
私がホッとしてバリカンを妻に返すと、今度は妻が怒ります。
「大きな声を出すから、びっくりしたじゃないの!自分が最初に見ておかないのが悪いんでしょう!」
「いや、たしかにそうかもしれないけど、驚いただけだから。それに別にあなたを責めてないでしょう?」
そう思って、刈ってもらいながらも私は、気分が良くありません。
「今度からは自分で刈ろう。その方がイライラしなくて済む。」
そんなことを考えていたら、妻が突然刈るのをやめ、バスルームへ行ってしまいました。
「アロムシア(感情が壊れた=気分が悪い)」と言い残して。
しばらく私は、1人でベランダに座っていることになりました。
「なんでこんなことをしているんだろう?私は少しも悪いことをしていないのに。」
私が自分で刈り始めたところに、妻が戻って来ました。
「ごめんなさいって言いなさいよ。あなたが大声を出すから悪いんでしょう。」
まだそんなことを言っています。
私は、ここで謝れば丸く収まるのかもと思いながらも、謝ることができませんでした。
「だって、私は悪くないもの。」
悪くないと思っているのに謝るのは、何だか相手も自分も騙しているような気持ちになるのです。
結局、それからは無言で頭を刈ってもらい、終わったところで「ありがとう」とだけ言って、私はバスルームでシャワーを浴びました。
そのあとも私は、妻と話をしたい気分ではありませんでした。
でも、私が怒って部屋を出て行ったり、あからさまに妻を無視する態度をとることは、事態をさらに悪化させると思いました。
それで、ソファーに座っていた妻の隣に、やや距離を置いて座ったのです。
自分から声を掛けることはしませんでしたが、逃げ出すこともしませんでした。
それが、その時の私にできる精一杯のことだったのです。
しばらくすると妻が、足で私にちょっかいを出してきました。
私はわざと変な顔をして、反応します。
妻が笑いました。私も笑いました。
「怒ったの?」
そう妻が聞くので、私は答えました。
「怒ったのはあなたでしょ。私は怒らないよ。」
安心したのか、妻が足を私の膝の上に投げ出してきます。
それから言いました。
「メンスの時は、機嫌が悪くなるのよ。」
そのとき私は、やっと気がつきました。
女性は生理の時、痛みや不快感から機嫌が悪くなるということを知識としては知っていたのに、それをまったく忘れていたことを。
妻は前日辺りから、生理が近いと言っていたのに、私はその言葉を聞きながらも、その意味を受け止めていなかったのです。
そして、妻を最初から受け入れてあげられなかったことを、心から申し訳なく思ったのです。
日本には、「負けるが勝ち」という言葉があります。
表面上は勝負に負けたとしても、実質的には勝っているという意味です。
勝ちに執着している人に対して、よくそう言って諫めます。
私は、無意識に妻に勝とうとしていました。負けることが悔しいから、許せないから、自分から負けるという選択肢を選べなかったのです。
また、妻に教えてもらいました。
ありがとう。やっぱり妻は、私にとって最高のパートナーです。
知らない人と会ってみよう
人が変わるには3つの方法しかないと言われているそうです。
1.時間配分を変える
2.住む場所を変える
3.付き合う人を変える
聞いたことがありますか?
時間配分を変えるというのは、やることを変えるということです。
たとえば、今まで8時間寝ているとすれば、睡眠時間を6時間にしてみる。
浮いた2時間で掃除をしたり、瞑想をしたりするのも良いでしょう。
あるいは、毎日3時間テレビを見ているとしたら、その時間を2時間にして、浮いた1時間を読書の時間に変えてみる。
このように、日常的に行う行動を変えるという意味になります。
住む場所を変えるというのは、引越しして生活環境を変えるということです。
前に「本気で変わりたいなら引越ししなさい」 という記事で紹介した通りです。
生活環境を変えることによって、考え方やライフスタイルが大きく変わります。
自分で意識しなくても、勝手に変わらざるを得なくなる点で、私がもっともお勧めする方法です。
最後の付き合う人を変えるというのは、影響を受ける人を変えるということです。
これは先日紹介した「人脈術」 の中でも言われていることです。
その人の年収は、普段よく付き合う5人の平均の年収に一致すると言われるのだとか。
類は友を呼ぶというように、よく付き合う仲間というのは、だいたい似たり寄ったりになる傾向があるからでしょう。
そのため、金持ちになりたかったら金持ちと付き合えと言うのです。
この3番目の付き合う相手を変えるというのは、なかなか難しいことです。
と言うのも、すでに付き合っている仲間と疎遠になることは、寂しさもあるし、どう思われるかと気にする気持ちもあるため、なかなかできないのです。
また、そういうことを考えると、ますますできなくなってしまいます。
そこで、私が考える付き合う人を変えるための方法をご紹介しましょう。
それは、これまで会ったことがない人と、なるべく積極的に会うようにしてみることです。
たとえば、セミナーなどがあれば、1人で参加するのも良いでしょう。
「1人で行く」という点がポイントです。
どこかへ1人で出かけると、自然と初めての人と話をすることになります。
だから付き合うきっかけが生まれるのです。
私が1人旅を勧めるのも、そういう理由からです。
行った先で初対面というのは気後れすると言うなら、ネットで知り合った人と会うオフ会なども良いかもしれません。
ただこの場合は、日常的な付き合いの延長になってしまう恐れもあります。
できれば、好きな本の著者に会ってみるなど、知ってはいるけれど話をしたことがないという人に、直接会うという形をお勧めします。
私も、本を読んで知った吉江勝さんにお会いすることで、そこから出会いの輪が広がっていきました。
著者の出版記念パーティーやセミナーがあったら、ぜひ積極的に参加してみることです。
直接会うことによって魅力を感じたなら、そこからさらにのめり込んでみることです。
そうやって、自分の中に眠っている自分らしさを表に出していくことで、自然と付き合う人が変わってくるのでしょう。
なお、吉江勝さんの新刊「人生を好転させるたった2つのこと」 が、書店などでも非常によく売れているそうです。
アマゾンキャンペーンを2012年7月末まで延長したそうですので、もしまだ読まれていない方がおられたら、ぜひ読んでみてくださいね。
→アマゾンキャンペーン会場はこちら
※上記のページには、今回は本を買わないという人にも、とっておきのプレゼントが用意してありますので、ぜひ受け取ってくださいね。
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2.住む場所を変える
3.付き合う人を変える
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時間配分を変えるというのは、やることを変えるということです。
たとえば、今まで8時間寝ているとすれば、睡眠時間を6時間にしてみる。
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あるいは、毎日3時間テレビを見ているとしたら、その時間を2時間にして、浮いた1時間を読書の時間に変えてみる。
このように、日常的に行う行動を変えるという意味になります。
住む場所を変えるというのは、引越しして生活環境を変えるということです。
前に「本気で変わりたいなら引越ししなさい」 という記事で紹介した通りです。
生活環境を変えることによって、考え方やライフスタイルが大きく変わります。
自分で意識しなくても、勝手に変わらざるを得なくなる点で、私がもっともお勧めする方法です。
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これは先日紹介した「人脈術」 の中でも言われていることです。
その人の年収は、普段よく付き合う5人の平均の年収に一致すると言われるのだとか。
類は友を呼ぶというように、よく付き合う仲間というのは、だいたい似たり寄ったりになる傾向があるからでしょう。
そのため、金持ちになりたかったら金持ちと付き合えと言うのです。
この3番目の付き合う相手を変えるというのは、なかなか難しいことです。
と言うのも、すでに付き合っている仲間と疎遠になることは、寂しさもあるし、どう思われるかと気にする気持ちもあるため、なかなかできないのです。
また、そういうことを考えると、ますますできなくなってしまいます。
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たとえば、セミナーなどがあれば、1人で参加するのも良いでしょう。
「1人で行く」という点がポイントです。
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私が1人旅を勧めるのも、そういう理由からです。
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できれば、好きな本の著者に会ってみるなど、知ってはいるけれど話をしたことがないという人に、直接会うという形をお勧めします。
私も、本を読んで知った吉江勝さんにお会いすることで、そこから出会いの輪が広がっていきました。
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そうやって、自分の中に眠っている自分らしさを表に出していくことで、自然と付き合う人が変わってくるのでしょう。
なお、吉江勝さんの新刊「人生を好転させるたった2つのこと」 が、書店などでも非常によく売れているそうです。
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感情に従うことと感情に踊らされることの違い
私は理系の人間で、何でも理屈で考える癖があります。
子どもの頃から「なんで?」と尋ねるのが癖で、周りの大人からは煙たがられたものです。
そりゃそうでしょう。理屈で考えずに行動していることって、けっこうありますからね。
そんなことを理詰めで説明できるわけがありません。
とまあ、大人になってみると、そういう気持ちもわかります。
ただ、いくら理詰めで考えるからと言って、私が感情のない冷徹人間というわけではありませんよ。
むしろ逆だと思っています。
私は涙もろく、テレビドラマを見てもよく泣くので、妻からも笑われるほどです。
自分でも、感受性が豊かな方だと思っています。
それに、私は感情の重要性も理解しています。
それは以前にも書いたように、感情は魂の声だと思うからです。
魂は感情によって、どうすることが良いかを教えてくれるのです。
よく、感情を制御するのが大人だと言われます。
子どもはすぐに感情的になって怒ったり泣いたりするけれど、大人はなるべくそういう感情を見せないものだという考えなのでしょう。
私は、それは少し違うと思うのです。
感情は制御するのではなく、感じるだけで良いと思うからです。
感情を制御するという表現は、たとえば怒りを感じた時、その気持ちを外に出さないということになります。
でもそうやって感情を抑え込むと、ストレスが溜まります。
そのたまったストレスは、健康面など、いろいろなところに悪影響をおよぼすでしょう。
感情を抑え込んではいけないのです。
湧き上がった感情を受け止め、感じ切ることが重要だと思います。
ただそのことと、感情に突き動かされて衝動的に行動することとは、まったく意味が違います。
それは感情に踊らされているだけなのです。
どういうことかというと、たとえば怒りの感情というのは、対象がありません。
重要だからもう一度言いますね。
怒りの感情には対象がありません。
怒りの感情は、魂のこんな言葉を表しています。
「そうじゃないんだよ。」「愛が足りない。」「不安なんだ。」
そういう気持ちを怒りの感情として感じるのです。
そこに、こんな考え方(価値観)がくっつきます。
「この状況が生まれた原因は相手にある。」「だから相手が何とかしなければならない。」「悪いのは相手だ。」
感情と考え方がくっつくことで、相手を非難したり責める気持ちが生じるのです。
それが証拠に、見方(考え方)を変えれば、怒りの感情というのはスーッと消えていきます。
たとえばあなたが、少女のスリに財布をスられたとしましょう。
スられたのは間違いないけれど証拠がありません。
「ちくしょう、絶対にあいつに間違いない。ぶん殴って吐かせてやろうか!?」
怒り心頭に発する状態になるかもしれません。
少女の後をつけていくと、掘っ立て小屋のような家に入って行きました。
そっと外から中を伺うと、病気で寝込んでいるような母親を、少女が一所懸命に看病している姿がありました。
スリでもしなければ生きていけない。大好きなお母さんのために薬を買うこともできない。そういう少女の境遇がわかったのです。
あなたはまだ、少女をぶん殴りたいですか?
おそらく怒りは収まり、少女に対して同情する気持ちすら湧いてきたでしょう。
スられたという事実は変わりません。けれどそこに、「少女にもそうせざるを得ない理由があったのだ」という考え方が加わったのです。
感情は、自分自身に対する魂からのサインです。
その考え方が自分らしいかどうかを教えてくれているのです。
だから感情に従うというのは、その魂の声をよく聞いて、どうすれば魂が喜ぶかを考えて、自分の考え方を変えることだと思います。
感情に従うということと、感情に躍らされるということは、まったく正反対のことなのです。
子どもの頃から「なんで?」と尋ねるのが癖で、周りの大人からは煙たがられたものです。
そりゃそうでしょう。理屈で考えずに行動していることって、けっこうありますからね。
そんなことを理詰めで説明できるわけがありません。
とまあ、大人になってみると、そういう気持ちもわかります。
ただ、いくら理詰めで考えるからと言って、私が感情のない冷徹人間というわけではありませんよ。
むしろ逆だと思っています。
私は涙もろく、テレビドラマを見てもよく泣くので、妻からも笑われるほどです。
自分でも、感受性が豊かな方だと思っています。
それに、私は感情の重要性も理解しています。
それは以前にも書いたように、感情は魂の声だと思うからです。
魂は感情によって、どうすることが良いかを教えてくれるのです。
よく、感情を制御するのが大人だと言われます。
子どもはすぐに感情的になって怒ったり泣いたりするけれど、大人はなるべくそういう感情を見せないものだという考えなのでしょう。
私は、それは少し違うと思うのです。
感情は制御するのではなく、感じるだけで良いと思うからです。
感情を制御するという表現は、たとえば怒りを感じた時、その気持ちを外に出さないということになります。
でもそうやって感情を抑え込むと、ストレスが溜まります。
そのたまったストレスは、健康面など、いろいろなところに悪影響をおよぼすでしょう。
感情を抑え込んではいけないのです。
湧き上がった感情を受け止め、感じ切ることが重要だと思います。
ただそのことと、感情に突き動かされて衝動的に行動することとは、まったく意味が違います。
それは感情に踊らされているだけなのです。
どういうことかというと、たとえば怒りの感情というのは、対象がありません。
重要だからもう一度言いますね。
怒りの感情には対象がありません。
怒りの感情は、魂のこんな言葉を表しています。
「そうじゃないんだよ。」「愛が足りない。」「不安なんだ。」
そういう気持ちを怒りの感情として感じるのです。
そこに、こんな考え方(価値観)がくっつきます。
「この状況が生まれた原因は相手にある。」「だから相手が何とかしなければならない。」「悪いのは相手だ。」
感情と考え方がくっつくことで、相手を非難したり責める気持ちが生じるのです。
それが証拠に、見方(考え方)を変えれば、怒りの感情というのはスーッと消えていきます。
たとえばあなたが、少女のスリに財布をスられたとしましょう。
スられたのは間違いないけれど証拠がありません。
「ちくしょう、絶対にあいつに間違いない。ぶん殴って吐かせてやろうか!?」
怒り心頭に発する状態になるかもしれません。
少女の後をつけていくと、掘っ立て小屋のような家に入って行きました。
そっと外から中を伺うと、病気で寝込んでいるような母親を、少女が一所懸命に看病している姿がありました。
スリでもしなければ生きていけない。大好きなお母さんのために薬を買うこともできない。そういう少女の境遇がわかったのです。
あなたはまだ、少女をぶん殴りたいですか?
おそらく怒りは収まり、少女に対して同情する気持ちすら湧いてきたでしょう。
スられたという事実は変わりません。けれどそこに、「少女にもそうせざるを得ない理由があったのだ」という考え方が加わったのです。
感情は、自分自身に対する魂からのサインです。
その考え方が自分らしいかどうかを教えてくれているのです。
だから感情に従うというのは、その魂の声をよく聞いて、どうすれば魂が喜ぶかを考えて、自分の考え方を変えることだと思います。
感情に従うということと、感情に躍らされるということは、まったく正反対のことなのです。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。