2012年07月12日
人脈塾
先日、バンコクでも出版記念セミナーを開催された鳥居祐一さん の本です。
鳥居さんは個人的にタイを気に入られていて、ビジネスを始められるのだとか。
アメリカにも長く住んでおられていて、日本語よりも英語の方が達者という方です。
初めてお会いしたのは、昨年の6月に行われた出版セミナーの箱根合宿でした。
私は、吉江勝さん にお会いすることだけが目的だったのですが、後藤勇人さんと鳥居祐一さんの3人の共催だったのです。
セミナーの前には講師の方の本を読んでおきたいと思い、「スピード・ブランディング」という本を買って読みました。
そういうセミナーで会社の名刺を出すのは良くないとあったので、さっそく自分用の写真入りの名刺を作って持っていったものです。
そのとき、私がタイから来ていることを知って、鳥居さんから気さくに声を掛けてくださいました。
その後、バンコクに来られた時も一度お会いして、食事を一緒にさせてもらったのです。
この本は、鳥居さんのブログ を見ればわかるように、本田健さん をはじめとして広い人脈を持つ鳥居さんが、どうやって人脈を作っていったか、ということが書かれています。
ただし冒頭にもあるように、ノウハウ的なものというよりも、マインドセット的な内容になっています。
それは、人脈というのは外に探すものではなく、自分自身を変えることによって得られるものだからという、鳥居さんの信念があるからです。
その考え方をひと言で表現するなら、「愛」だと思いました。
何も見返りを求めず、ただ与え尽くす。
そういう愛が感動を引き起こし、応援してくれる人を増やすのだと感じたのです。
「もう別れるしかない」と何度も考えました
昨夜、妻とケンカをしました。
と言うよりも、妻が勝手に怒って、私に物を投げつけただけですけど。
「バカ!キチガイ!」
そんな言葉はもう、しょっちゅう投げかけられています。
昨夜は一緒に食事をし、2時間ほどカラオケBOXで歌いまくって、楽しい時間を過ごして帰宅しました。
そのあと、部屋の修理の件で、私がオーナーにクレームしたことを妻が咎めたのです。
「電話するなって言ったでしょう!?どうして電話をするの!」
妻は瞬間湯沸かし器ですから、ラブラブモードからいきなり戦闘モードにスイッチが切り替わります。
「電話するって昼間に言ったよ。」
私はすでにそう話しているのですから、そう答えるしかありません。
そうしたらいきなり、物を投げつけてきたのです。
私もちょっとムッとしましたが、言い合っても無駄だとわかっているので、そのまま寝ました。
朝は、いつも私が先に起きます。
起きてソファーに座っていたら、妻も起きてきてソファーに横になりました。
そして足を、私の膝の上に乗せてくるのです。
甘えたいのです。くっついていたいのです。
どんなに頭に来ても、私のことが好きなのだと思います。
付き合い始めたころは、ヤキモチ妬きで正当な理由もなく怒り出す彼女に対し、「これは付き合うのは無理だな」と思ったこともありました。
いわれなく怒られては、私も気分が良くはありません。それで何度もケンカをしました。
誕生日に彼女を泣かせた のも、彼女の態度が許せなかったからです。
しかしその度に、彼女の本音は私のことが大好きなのだと思い知らされるのです。
ある意味で私は、諦めたのです。
「彼女の性格を変えることはできない。あとは私が受け入れるかどうかだ。」
それで私は、彼女を受け入れること(=愛すること)に決めたのです。
決めたからには、その根拠は私自身にあります。
彼女が私のことを好きだから愛するのではありません。私が愛すると決めたから愛するのです。
私の価値観とはまったく違う行動を平気でしてくる妻ですが、そのことを愛しています。
それによって、私の考え方が絶対ではないことを、常に私に教えてくれるからです。
どちらが正当かを争っても意味がないことを、妻が行動で示してくれます。
おそらく妻は、怒ることで嫌な気持ちになるのでしょう。そんなに苦しんでまで、私にそういうことを教えてくれるのです。
こんなありがたいことがあるでしょうか。
私もまだ、現実にとらわれてしまうことが多々あります。
妻から物を投げつけられて、それでも平気な気持ちではいられません。
ただ以前のように、声を荒げることはほとんどなくなりました。
ちょっと嫌そうな顔をするだけです。
それでも妻は許しません。「笑え!」と言って私の頬をつねるのです。
もうこうなったら、笑うしかありません。
やはり妻は、私にとって最高のパートナーです。
と言うよりも、妻が勝手に怒って、私に物を投げつけただけですけど。
「バカ!キチガイ!」
そんな言葉はもう、しょっちゅう投げかけられています。
昨夜は一緒に食事をし、2時間ほどカラオケBOXで歌いまくって、楽しい時間を過ごして帰宅しました。
そのあと、部屋の修理の件で、私がオーナーにクレームしたことを妻が咎めたのです。
「電話するなって言ったでしょう!?どうして電話をするの!」
妻は瞬間湯沸かし器ですから、ラブラブモードからいきなり戦闘モードにスイッチが切り替わります。
「電話するって昼間に言ったよ。」
私はすでにそう話しているのですから、そう答えるしかありません。
そうしたらいきなり、物を投げつけてきたのです。
私もちょっとムッとしましたが、言い合っても無駄だとわかっているので、そのまま寝ました。
朝は、いつも私が先に起きます。
起きてソファーに座っていたら、妻も起きてきてソファーに横になりました。
そして足を、私の膝の上に乗せてくるのです。
甘えたいのです。くっついていたいのです。
どんなに頭に来ても、私のことが好きなのだと思います。
付き合い始めたころは、ヤキモチ妬きで正当な理由もなく怒り出す彼女に対し、「これは付き合うのは無理だな」と思ったこともありました。
いわれなく怒られては、私も気分が良くはありません。それで何度もケンカをしました。
誕生日に彼女を泣かせた のも、彼女の態度が許せなかったからです。
しかしその度に、彼女の本音は私のことが大好きなのだと思い知らされるのです。
ある意味で私は、諦めたのです。
「彼女の性格を変えることはできない。あとは私が受け入れるかどうかだ。」
それで私は、彼女を受け入れること(=愛すること)に決めたのです。
決めたからには、その根拠は私自身にあります。
彼女が私のことを好きだから愛するのではありません。私が愛すると決めたから愛するのです。
私の価値観とはまったく違う行動を平気でしてくる妻ですが、そのことを愛しています。
それによって、私の考え方が絶対ではないことを、常に私に教えてくれるからです。
どちらが正当かを争っても意味がないことを、妻が行動で示してくれます。
おそらく妻は、怒ることで嫌な気持ちになるのでしょう。そんなに苦しんでまで、私にそういうことを教えてくれるのです。
こんなありがたいことがあるでしょうか。
私もまだ、現実にとらわれてしまうことが多々あります。
妻から物を投げつけられて、それでも平気な気持ちではいられません。
ただ以前のように、声を荒げることはほとんどなくなりました。
ちょっと嫌そうな顔をするだけです。
それでも妻は許しません。「笑え!」と言って私の頬をつねるのです。
もうこうなったら、笑うしかありません。
やはり妻は、私にとって最高のパートナーです。
絶対に裏切らない味方を作る方法
今日のブログにも書きました が、私の妻は、私のことが大好きです。
ノロケに聞こえるかもしれませんが、本当にどうしようもなく私のことが好きなのだと思います。
こんな風に誰かから好きになられると、気持ちが良いものですね。
おそらく、お子さんを育てた経験がある方なら、共感していただけるでしょう。
子どもは、親がどんなに叱ろうとも、泣きながらしがみついてきます。
その姿を見ると、愛したくてたまらなく感じるでしょう。
親というものは、子どものためなら命さえ惜しまないと、簡単に思えてしまうそうです。
そんなパワーが生まれるのも、子どもが絶対的に自分を信じて、慕ってくれるからでしょう。
そんな風に慕われた、誰でも百人力になってしまうのです。
あなたには今、そんなふうに慕ってくれる誰かがいますか?
「この子さえいてくれたら、 どんな辛いことにも耐えていける。」
そう思うお母さんは多いと思います。
もしそういうお子さんがいるなら、あなたは本当に幸せですね。
だって、あなたの人生は、向かうところ敵なしですから。
どんな障害だって克服して行かれるでしょう。
もしそういう人がいないのなら、この機会にそういう人を作りましょう。
「そんな簡単に作れるわけないでしょう。」
そう言われそうですね。
でも実は、簡単に作れるのです。
それは、あなた自身が味方になることだからです。
あなたは今、あなた自身の絶対的な味方になっていますか?
「私には無理だよ。そんなのできない。」
やる前からそうやって、自分のことを否定していませんか?
「私」のところに、あなたの名前を入れてみましょう。
「篤くんには無理だよ。そんなのできない。」
なんとなくムッときますね。(笑)
そうなのです。
もし他人から言われたらムッとくるような言葉を、多くの人は知らず知らずに自分に投げかけているのです。
これでは天涯孤独を味わっても仕方ないと思いませんか?
まず、自分が自分の最大の理解者になり、協力者になることです。
前回は他人を応援することを推奨しました が、自分自身も応援することです。
私は以前、「同行二人」というタイトルの日記をつけていました。
これは松尾芭蕉が傘に「同行二人」と書いたという話からつけたものです。
お遍路では、弘法大師と一緒に回るのだという意味を込めて、そう書くそうですけど。
私は、自分自身を見つめるもう1人の自分でもあるという意味で、そう書いた記憶があります。
人生は1人で歩んでいるようであって、実はもう1人の自分とともに歩んでいる。
そのもう1人が完全に自分を応援してくれたら、どんなに心強いでしょう。
だって、自分の弱いところやダメなところも知った上で、それでも自分を見捨てずに応援してくれるのですから。
こんな安心できる存在はないでしょう。
「心を癒す鏡のワーク」 は、そういう応援者としての自分を身につける手法としても、最適だと思っています。
野口嘉則さんの「僕を支えた母の言葉」 にあるように、自分の素晴らしさを絶対的に信じて応援する味方となってください。
そうすればあなたはもう百人力です。鬼に金棒です。
あなたは、どんな障害に対しても、嬉々として立ち向かう強さを得るでしょう。
ノロケに聞こえるかもしれませんが、本当にどうしようもなく私のことが好きなのだと思います。
こんな風に誰かから好きになられると、気持ちが良いものですね。
おそらく、お子さんを育てた経験がある方なら、共感していただけるでしょう。
子どもは、親がどんなに叱ろうとも、泣きながらしがみついてきます。
その姿を見ると、愛したくてたまらなく感じるでしょう。
親というものは、子どものためなら命さえ惜しまないと、簡単に思えてしまうそうです。
そんなパワーが生まれるのも、子どもが絶対的に自分を信じて、慕ってくれるからでしょう。
そんな風に慕われた、誰でも百人力になってしまうのです。
あなたには今、そんなふうに慕ってくれる誰かがいますか?
「この子さえいてくれたら、 どんな辛いことにも耐えていける。」
そう思うお母さんは多いと思います。
もしそういうお子さんがいるなら、あなたは本当に幸せですね。
だって、あなたの人生は、向かうところ敵なしですから。
どんな障害だって克服して行かれるでしょう。
もしそういう人がいないのなら、この機会にそういう人を作りましょう。
「そんな簡単に作れるわけないでしょう。」
そう言われそうですね。
でも実は、簡単に作れるのです。
それは、あなた自身が味方になることだからです。
あなたは今、あなた自身の絶対的な味方になっていますか?
「私には無理だよ。そんなのできない。」
やる前からそうやって、自分のことを否定していませんか?
「私」のところに、あなたの名前を入れてみましょう。
「篤くんには無理だよ。そんなのできない。」
なんとなくムッときますね。(笑)
そうなのです。
もし他人から言われたらムッとくるような言葉を、多くの人は知らず知らずに自分に投げかけているのです。
これでは天涯孤独を味わっても仕方ないと思いませんか?
まず、自分が自分の最大の理解者になり、協力者になることです。
前回は他人を応援することを推奨しました が、自分自身も応援することです。
私は以前、「同行二人」というタイトルの日記をつけていました。
これは松尾芭蕉が傘に「同行二人」と書いたという話からつけたものです。
お遍路では、弘法大師と一緒に回るのだという意味を込めて、そう書くそうですけど。
私は、自分自身を見つめるもう1人の自分でもあるという意味で、そう書いた記憶があります。
人生は1人で歩んでいるようであって、実はもう1人の自分とともに歩んでいる。
そのもう1人が完全に自分を応援してくれたら、どんなに心強いでしょう。
だって、自分の弱いところやダメなところも知った上で、それでも自分を見捨てずに応援してくれるのですから。
こんな安心できる存在はないでしょう。
「心を癒す鏡のワーク」 は、そういう応援者としての自分を身につける手法としても、最適だと思っています。
野口嘉則さんの「僕を支えた母の言葉」 にあるように、自分の素晴らしさを絶対的に信じて応援する味方となってください。
そうすればあなたはもう百人力です。鬼に金棒です。
あなたは、どんな障害に対しても、嬉々として立ち向かう強さを得るでしょう。
批判・非難をしない
これは難しいです。
最初に言っておきます。私も、なかなかできません。気がつけば、ついつい批判したり、非難していますから。
でも、よくよく考えれば批判・非難することは間違っています。
ですから、やめようと思うのです。
そもそも、どうして批判する必要があるのでしょうか?
それは、「正しいことは1つだけ」と思い込んでいるからではありませんか?
もしそうだとしたら、どうして正しいことは1つだけなのでしょう?複数あってはいけませんか?
たとえば、「1+1=2」は正しいですよね。他の人が「1+1=3」と主張したら、正しくないからと批判しなければいけませんか?
「いやいや、男1人と女1人が一緒になって子ども1人が生まれたら3人じゃないか。」
屁理屈のようですが、そういう理屈も成り立つわけです。
数学的に正しくないとしても、トンチ的には正しいのです。
そう考えれば、どっちが正しいかという議論は不要です。どちらも正しいのです。
科学は、お互いに意見をぶつけあうことによって、より真理に迫ろうという試みです。
ですから、互いの意見を出し合い、一定のルールのもとに相手の不合理なところを批判し合います。
これは建設的な議論と呼ばれるものであって、一般的に「批判」という言葉で説明することとは、少し意味が違います。
通常の「批判」は、自分の考え方が正しいということを認めさせるための行為です。
自分が正しいと証明するために、相手を間違っているとせざるを得ないのです。
つまり、最初から答(=自分の方が正しい)がある主張なのです。
非難は、相手を批判し、それでも屈服しないとき、相手に罪悪感を抱かせようとする行為です。
たとえば、朝のゴミ出しの時間を守らない近所の人がいたとしましょう。
「ああいう人がいると、ゴミが出っぱなしになって、カラスが生ゴミを突くから困るのよ。本当に、やめてほしいわ。」
このくらいなら「批判」です。これが「非難」になると、こんな風になります。
「なんでゴミ出しの時間を守らないのよ!みんなが迷惑するじゃない。そんなこともわからないなんて、バカじゃないの?社会人として最低だわ。」
こういうことを言われると、嫌な気分になりますよね?
誰も、自分が受け入れてもらえないことは嫌なものです。
そして、自分が拒否されることを怖れる人は、他人から批判・非難されないようにしようとするでしょう。
逆に言えば、批判・非難する人の目的は、相手を自分の思い通りにしたがわせることです。
つまり、他人を変えようとしているのです。
特に非難する人は、相手が完全に屈服することを望んでいます。
自分だって非難されたら反発するとわかっているのに、それでも非難せざるを得ません。
なぜなら、怖いからです。不安から衝動的に自分を守ろうとして、相手を屈服させたくなるのです。
誰かから迷惑をかけられた時、謝罪がないと言って怒る人がいます。
そうやって怒った後で相手が謝罪すると、今度は誠意がないと言って怒ります。
これなども、非難しているのです。相手が完全に屈服してくれないと、不安でたまらないのです。
そういう構図になることを理解すれば、批判や非難が無意味だということがわかるでしょう。
相手は自由です。相手が思うとおりに考え、行動するのです。
でも、批判・非難する人は、相手の行動だけでなく、考え方まで変えたいのです。
それは、どう考えても無理というものです。
しかもこれは、自分の人生の決定権を相手に渡すことになります。
たとえば、「相手が誠意をもって謝罪すれば許すつもりだったのに...。」と言って怒って、相手を許せない人がいたとしましょう。
謝罪されない限りこの人は、ずっと嫌な気分で過ごさなければなりません。
この人が考え方を変えない限りは、この人を楽にしてあげられるのは、謝罪しなかった相手しかいないことになります。
これはつまり、この人が幸せになる決定権を持っているのは、相手だということになるではありませんか。
こんなバカバカしいことがあるでしょうか?
どうして自分が幸せになる決定権を、相手に譲らなくてはならないのです?
本来、人は自由です。つまり、自分で決められるということです。
決定権を他人に渡すと決めることもできますが、自分が握ると決めることもできるはずです。
マザー・テレサは、反対運動や批判活動にまったく関与しなかったそうです。
それはマザーが、そうすることの無意味さを知っていたからだと思うのです。
人は、自分が変わろうとした時だけ変わるのです。
変わろうという前向きな意欲を相手に起こさせるのは、北風よりも太陽だと、すでに多くの人は知っています。
あとは、それを受け入れるかどうかの問題なのです。
最初に言っておきます。私も、なかなかできません。気がつけば、ついつい批判したり、非難していますから。
でも、よくよく考えれば批判・非難することは間違っています。
ですから、やめようと思うのです。
そもそも、どうして批判する必要があるのでしょうか?
それは、「正しいことは1つだけ」と思い込んでいるからではありませんか?
もしそうだとしたら、どうして正しいことは1つだけなのでしょう?複数あってはいけませんか?
たとえば、「1+1=2」は正しいですよね。他の人が「1+1=3」と主張したら、正しくないからと批判しなければいけませんか?
「いやいや、男1人と女1人が一緒になって子ども1人が生まれたら3人じゃないか。」
屁理屈のようですが、そういう理屈も成り立つわけです。
数学的に正しくないとしても、トンチ的には正しいのです。
そう考えれば、どっちが正しいかという議論は不要です。どちらも正しいのです。
科学は、お互いに意見をぶつけあうことによって、より真理に迫ろうという試みです。
ですから、互いの意見を出し合い、一定のルールのもとに相手の不合理なところを批判し合います。
これは建設的な議論と呼ばれるものであって、一般的に「批判」という言葉で説明することとは、少し意味が違います。
通常の「批判」は、自分の考え方が正しいということを認めさせるための行為です。
自分が正しいと証明するために、相手を間違っているとせざるを得ないのです。
つまり、最初から答(=自分の方が正しい)がある主張なのです。
非難は、相手を批判し、それでも屈服しないとき、相手に罪悪感を抱かせようとする行為です。
たとえば、朝のゴミ出しの時間を守らない近所の人がいたとしましょう。
「ああいう人がいると、ゴミが出っぱなしになって、カラスが生ゴミを突くから困るのよ。本当に、やめてほしいわ。」
このくらいなら「批判」です。これが「非難」になると、こんな風になります。
「なんでゴミ出しの時間を守らないのよ!みんなが迷惑するじゃない。そんなこともわからないなんて、バカじゃないの?社会人として最低だわ。」
こういうことを言われると、嫌な気分になりますよね?
誰も、自分が受け入れてもらえないことは嫌なものです。
そして、自分が拒否されることを怖れる人は、他人から批判・非難されないようにしようとするでしょう。
逆に言えば、批判・非難する人の目的は、相手を自分の思い通りにしたがわせることです。
つまり、他人を変えようとしているのです。
特に非難する人は、相手が完全に屈服することを望んでいます。
自分だって非難されたら反発するとわかっているのに、それでも非難せざるを得ません。
なぜなら、怖いからです。不安から衝動的に自分を守ろうとして、相手を屈服させたくなるのです。
誰かから迷惑をかけられた時、謝罪がないと言って怒る人がいます。
そうやって怒った後で相手が謝罪すると、今度は誠意がないと言って怒ります。
これなども、非難しているのです。相手が完全に屈服してくれないと、不安でたまらないのです。
そういう構図になることを理解すれば、批判や非難が無意味だということがわかるでしょう。
相手は自由です。相手が思うとおりに考え、行動するのです。
でも、批判・非難する人は、相手の行動だけでなく、考え方まで変えたいのです。
それは、どう考えても無理というものです。
しかもこれは、自分の人生の決定権を相手に渡すことになります。
たとえば、「相手が誠意をもって謝罪すれば許すつもりだったのに...。」と言って怒って、相手を許せない人がいたとしましょう。
謝罪されない限りこの人は、ずっと嫌な気分で過ごさなければなりません。
この人が考え方を変えない限りは、この人を楽にしてあげられるのは、謝罪しなかった相手しかいないことになります。
これはつまり、この人が幸せになる決定権を持っているのは、相手だということになるではありませんか。
こんなバカバカしいことがあるでしょうか?
どうして自分が幸せになる決定権を、相手に譲らなくてはならないのです?
本来、人は自由です。つまり、自分で決められるということです。
決定権を他人に渡すと決めることもできますが、自分が握ると決めることもできるはずです。
マザー・テレサは、反対運動や批判活動にまったく関与しなかったそうです。
それはマザーが、そうすることの無意味さを知っていたからだと思うのです。
人は、自分が変わろうとした時だけ変わるのです。
変わろうという前向きな意欲を相手に起こさせるのは、北風よりも太陽だと、すでに多くの人は知っています。
あとは、それを受け入れるかどうかの問題なのです。
2012年07月13日
会社のトイレが汚されたらどう思いますか?
私の会社は、雑居ビルの中にあります。
同じフロアーには、今は2社、以前は3社入っていました。
各フロアーには、女性用と男性用のトイレがあります。
そのトイレを利用するのは、基本的にはそのフロアーの会社の人ですけど、それ以外の人が入ることもできます。
そんな会社のトイレですが、よく汚れます。
普通だと思われるかもしれませんが、まあお聞きください。
私が問題に思っているのは、個室です。
洋式のトイレが設置してあるのですが、その便座が汚れているのです。
時には黒い靴の跡、時には小便をこぼしたような水滴。
考えられないでしょう?
靴の後は、便座に直接腰を下ろしたくない人が、便座に足を置いて、和式トイレのように使うからです。
タイの伝統的なトイレは、日本の和式トイレのようなタイプですから、田舎の人はそれに慣れているのでしょう。
小便の跡は、小便用の便器が2つしかないために個室を利用する場合や、並んで立つのが嫌で個室を利用する人がいるからです。
それにしても、いずれも便座を上げてからすれば良いではありませんか。
便座には腰を下ろす人がいるという当たり前の発想ができるなら、自分がイレギュラーな使い方をする時、便座を上げるくらい大したことではないでしょう。
そう考えて、最初のころは本当に腹が立ちました。
犯人を見つけ出して、糾弾したい気持ちに駆られましたよ。
でも今は、考え方を変えました。
そんなことをしても何の解決にもならないし、第一、自分の気分が悪いからです。
個室に入った時に便座が汚れていたら、「ラッキーだったな」と思うことにしたのです。
もし私がその個室に入らなければ、他の人が嫌な気分になったかもしれません。
しかし、私が入ってきれいにしておいたら、私の後に利用する人は嫌な気分にならずに済みます。
別に私の名が知られるわけではありませんが、間違いなく私が、嫌な気分の連鎖を断ったのです。
トイレを気持ちよく利用できることに、私が貢献したのです。
そんな貢献をすることは、実に私らしいことだと思います。
私は、私らしい行動ができて気持ちいい。そう思うことで、幸せな気分になれます。
さらに言えば、私が幸せな気分になれた原因を考えてみると、トイレが汚れていたからです。
トイレを汚した人は、他の人に貢献するという気持ちよさを味わうチャンスを潰してまで、私のためにお膳立てをしてくれた。
そう考えることも可能です。
そうだとしたら、身を汚してまで他者に貢献する行為だとも言えますよね。
「トイレを汚しておいてくれてありがとう」
私は、そう考えることもできます。
実際、そう考えるようにしています。そう考えることを習慣化しようとしています。
なぜなら私は、いつも幸せな気分でいたいし、自分らしく生きたいと思うからです。
トイレを汚した人を批判したり非難するのに時間を費やすことが、もったいないと思うからなのです。
同じフロアーには、今は2社、以前は3社入っていました。
各フロアーには、女性用と男性用のトイレがあります。
そのトイレを利用するのは、基本的にはそのフロアーの会社の人ですけど、それ以外の人が入ることもできます。
そんな会社のトイレですが、よく汚れます。
普通だと思われるかもしれませんが、まあお聞きください。
私が問題に思っているのは、個室です。
洋式のトイレが設置してあるのですが、その便座が汚れているのです。
時には黒い靴の跡、時には小便をこぼしたような水滴。
考えられないでしょう?
靴の後は、便座に直接腰を下ろしたくない人が、便座に足を置いて、和式トイレのように使うからです。
タイの伝統的なトイレは、日本の和式トイレのようなタイプですから、田舎の人はそれに慣れているのでしょう。
小便の跡は、小便用の便器が2つしかないために個室を利用する場合や、並んで立つのが嫌で個室を利用する人がいるからです。
それにしても、いずれも便座を上げてからすれば良いではありませんか。
便座には腰を下ろす人がいるという当たり前の発想ができるなら、自分がイレギュラーな使い方をする時、便座を上げるくらい大したことではないでしょう。
そう考えて、最初のころは本当に腹が立ちました。
犯人を見つけ出して、糾弾したい気持ちに駆られましたよ。
でも今は、考え方を変えました。
そんなことをしても何の解決にもならないし、第一、自分の気分が悪いからです。
個室に入った時に便座が汚れていたら、「ラッキーだったな」と思うことにしたのです。
もし私がその個室に入らなければ、他の人が嫌な気分になったかもしれません。
しかし、私が入ってきれいにしておいたら、私の後に利用する人は嫌な気分にならずに済みます。
別に私の名が知られるわけではありませんが、間違いなく私が、嫌な気分の連鎖を断ったのです。
トイレを気持ちよく利用できることに、私が貢献したのです。
そんな貢献をすることは、実に私らしいことだと思います。
私は、私らしい行動ができて気持ちいい。そう思うことで、幸せな気分になれます。
さらに言えば、私が幸せな気分になれた原因を考えてみると、トイレが汚れていたからです。
トイレを汚した人は、他の人に貢献するという気持ちよさを味わうチャンスを潰してまで、私のためにお膳立てをしてくれた。
そう考えることも可能です。
そうだとしたら、身を汚してまで他者に貢献する行為だとも言えますよね。
「トイレを汚しておいてくれてありがとう」
私は、そう考えることもできます。
実際、そう考えるようにしています。そう考えることを習慣化しようとしています。
なぜなら私は、いつも幸せな気分でいたいし、自分らしく生きたいと思うからです。
トイレを汚した人を批判したり非難するのに時間を費やすことが、もったいないと思うからなのです。
苦しい時に支えてくれたのは家族の愛情でした
「本気で変わりたいなら引越ししなさい」 という記事で、生活環境を変えることをお勧めしました。
そこで書いた私の引越しについて、詳細を書いてきました。
1回目:「生きるためにはカラを破るしかなかったのです」
2回目:「人生をリセットする決意が私を変えました」
3回目:「新居を東武東上線坂戸駅近くに決めました」 ,
「関越道を暴走しました」
4回目:「中国古典の影響で理想的な人物を目指していました
6回目はタイへ来た時のことですから、すでに「潜在意識にインプットしたことが実現しました」 という記事で経緯を書きました。
今回は、5回目の引越しについて書きます。
5.転職して岡山市へ
友人の社長の会社に入ってしばらくすると、バブル崩壊の影響が出てきました。
だんだんと仕事がなくなり、IT業界は構造不況産業に指定されるまでになったのです。
社員の半数以上に仕事がない状態になった時、私は国の制度を利用してお金をもらうことを社長に勧めました。
社員教育の方針を提示すれば、仕事がない社員のたしか6割くらいの給料を国が出してくれたのです。
背に腹は代えられないと言いますか、また儲かるようになったら、税金という形で返せば良いのだからと説得したのです。
それでもだんだんと先細りになる中、社長からあることを依頼されました。
それは、会社の資産を食い潰しなかがら何とか1年もたせるプランを考えてくれ、というものでした。
12月のボーナス前でしたから、私はボーナスを予定通りに支給し、あとは緊縮経営するプランを提案したのです。
それに対して社長は、家族から資本金を出してもらっているから、最初にボーナスを全額出すということはできないと言います。
私は、もうすでにボーナスを期待している社員もいるだろうから、それを出した上で協力を求めないと、社員の心が離れてしまうと主張したのです。
どちらが正解ということはないと思いますが、会社のことよりも自分がもらうことを考えていると、社長からは思われたようです。
前の会社を辞めた時も、私はワンマン社長に対する私の不満というより、虐げられて何も言えない他の社員の代弁者として、社長に直訴したつもりでした。
今回もまた、私自身がもらえるお金のことではなく、他の社員が不満を持たないようにと、代弁したつもりだったのです。
ある古参の社員が、経営状況を察して、「私はボーナスは要らないから、会社のために使って。」と言ったそうです。
そのことを例にあげて社長から、「赤木さんは会社のことを少しも考えていない。」と批判されました。
そのとき私は、「この会社はもう、私を必要としていないのだな。」と感じたのです。
それ以降、経営に関して社長から意見を求められることはなくなりました。私もまた、一社員として働くことにしたのです。
その後、派遣の単価は下がったものの、仕事量は少しずつ増えてきました。
何とか会社を潰さずに済みそうだ。そう思えてきたころ、私は転職する意向を社長に伝えました。
精神的に疲れたこともあったし、元々田舎かそこに近いところで暮らしたい気持ちもあったので、広島か岡山に絞って転職先を探しました。
ハローワークに登録したところ、岡山の会社が私を見つけてくれました。
Jターンが決まり、岡山に引っ越すことが決まったのです。
転職時期を聞かれて、私は11月末を選びました。
友人の会社が私に、ボーナスを支給するかどうかを悩まなくて済むように、ボーナス前に退社したかったからです。
岡山へは、引越し業者を使って引越しました。
岡山駅にほど近い桑田町にあるアパートです。2LDKの広い部屋でしたが、安かったのです。
岡山は、それまであまり馴染みがありませんでした。
ただ、姉は岡山県高梁市の短大に通ったことがあったし、祖父も岡山県神代町の出身です。
そういう意味でまったく知らないわけでもないのですが、初めて暮らす土地として、なぜか不安を感じていました。
同じ汎用機の仕事でしたが、I社製からF社製のマシンに変わることも、少し不安でした。
それに、田舎特有の暮らしづらさを直感していたからかもしれません。
そんなとき、姉が電話をくれました。
「引越しの手伝いに行ってあげようか?」
わざわざ大阪から出てきてくれると言うのです。私は1人でも大丈夫だと言いながら、結局、姉の申し出を受けました。
知り合いが1人もいない土地に住むことは、初めての経験ではありません。
それなのに、なぜか不安だったのでしょう。
姉が姿を見せてくれた時、私は心からホッとしたのです。
姉に力をもらった私は、次の日からまた、朝5時に起きて掃除をする生活を始めました。
新聞奨学生として生活を始めた日や、埼玉県坂戸市で社会人としてスタートを切った日を、思い出そうとしたのです。
「初心忘るべからず」
朝早く起き、掃除をし、明けゆく空に祈りながら、新たな生活でぶつかる壁に、正面から立ち向かおうとしたのです。
そこで書いた私の引越しについて、詳細を書いてきました。
1回目:「生きるためにはカラを破るしかなかったのです」
2回目:「人生をリセットする決意が私を変えました」
3回目:「新居を東武東上線坂戸駅近くに決めました」 ,
「関越道を暴走しました」
4回目:「中国古典の影響で理想的な人物を目指していました
6回目はタイへ来た時のことですから、すでに「潜在意識にインプットしたことが実現しました」 という記事で経緯を書きました。
今回は、5回目の引越しについて書きます。
5.転職して岡山市へ
友人の社長の会社に入ってしばらくすると、バブル崩壊の影響が出てきました。
だんだんと仕事がなくなり、IT業界は構造不況産業に指定されるまでになったのです。
社員の半数以上に仕事がない状態になった時、私は国の制度を利用してお金をもらうことを社長に勧めました。
社員教育の方針を提示すれば、仕事がない社員のたしか6割くらいの給料を国が出してくれたのです。
背に腹は代えられないと言いますか、また儲かるようになったら、税金という形で返せば良いのだからと説得したのです。
それでもだんだんと先細りになる中、社長からあることを依頼されました。
それは、会社の資産を食い潰しなかがら何とか1年もたせるプランを考えてくれ、というものでした。
12月のボーナス前でしたから、私はボーナスを予定通りに支給し、あとは緊縮経営するプランを提案したのです。
それに対して社長は、家族から資本金を出してもらっているから、最初にボーナスを全額出すということはできないと言います。
私は、もうすでにボーナスを期待している社員もいるだろうから、それを出した上で協力を求めないと、社員の心が離れてしまうと主張したのです。
どちらが正解ということはないと思いますが、会社のことよりも自分がもらうことを考えていると、社長からは思われたようです。
前の会社を辞めた時も、私はワンマン社長に対する私の不満というより、虐げられて何も言えない他の社員の代弁者として、社長に直訴したつもりでした。
今回もまた、私自身がもらえるお金のことではなく、他の社員が不満を持たないようにと、代弁したつもりだったのです。
ある古参の社員が、経営状況を察して、「私はボーナスは要らないから、会社のために使って。」と言ったそうです。
そのことを例にあげて社長から、「赤木さんは会社のことを少しも考えていない。」と批判されました。
そのとき私は、「この会社はもう、私を必要としていないのだな。」と感じたのです。
それ以降、経営に関して社長から意見を求められることはなくなりました。私もまた、一社員として働くことにしたのです。
その後、派遣の単価は下がったものの、仕事量は少しずつ増えてきました。
何とか会社を潰さずに済みそうだ。そう思えてきたころ、私は転職する意向を社長に伝えました。
精神的に疲れたこともあったし、元々田舎かそこに近いところで暮らしたい気持ちもあったので、広島か岡山に絞って転職先を探しました。
ハローワークに登録したところ、岡山の会社が私を見つけてくれました。
Jターンが決まり、岡山に引っ越すことが決まったのです。
転職時期を聞かれて、私は11月末を選びました。
友人の会社が私に、ボーナスを支給するかどうかを悩まなくて済むように、ボーナス前に退社したかったからです。
岡山へは、引越し業者を使って引越しました。
岡山駅にほど近い桑田町にあるアパートです。2LDKの広い部屋でしたが、安かったのです。
岡山は、それまであまり馴染みがありませんでした。
ただ、姉は岡山県高梁市の短大に通ったことがあったし、祖父も岡山県神代町の出身です。
そういう意味でまったく知らないわけでもないのですが、初めて暮らす土地として、なぜか不安を感じていました。
同じ汎用機の仕事でしたが、I社製からF社製のマシンに変わることも、少し不安でした。
それに、田舎特有の暮らしづらさを直感していたからかもしれません。
そんなとき、姉が電話をくれました。
「引越しの手伝いに行ってあげようか?」
わざわざ大阪から出てきてくれると言うのです。私は1人でも大丈夫だと言いながら、結局、姉の申し出を受けました。
知り合いが1人もいない土地に住むことは、初めての経験ではありません。
それなのに、なぜか不安だったのでしょう。
姉が姿を見せてくれた時、私は心からホッとしたのです。
姉に力をもらった私は、次の日からまた、朝5時に起きて掃除をする生活を始めました。
新聞奨学生として生活を始めた日や、埼玉県坂戸市で社会人としてスタートを切った日を、思い出そうとしたのです。
「初心忘るべからず」
朝早く起き、掃除をし、明けゆく空に祈りながら、新たな生活でぶつかる壁に、正面から立ち向かおうとしたのです。
捕まえた鳥を放せば徳が積めるのでしょうか?
タイ・バンコクで暮らしていますが、最初のころ、不思議に感じたことがありました。
路上に屋台など店出ししている中に、鳥カゴを売っている人がいるのです。
よく見るとそのカゴには、小鳥が入っています。
「タイの人は、そんなに鳥を飼うのが好きなのだろうか?それとも、買った鳥を食べるの?まさか?」
そう不思議に思ってタイ人に尋ねると、あれは逃がしてやるのだと言うのです。
囚われの身になった哀れな鳥を逃がしてやることで、功徳を積むことができるのだと。
そう言えばお寺でも、行事として魚を川に放流するというのがあります。
あれなども、生き物を憐れむという意味なのでしょう。
しかし、憐れむパフォーマンスをするために、わざわざ捕まえているんですよね。
小鳥だって、捕まえる人がいるから、わざわざお金を出して買って、放してやらなければならない。
どこか変じゃないですか?
他にも、飼育している象に、餌としてサトウキビやバナナを与えるというのも功徳を積むことになるのだとか。
タイ語ではタンブン(※)と言いますが、お寺に寄進することも、お参りに行くこともタンブンです。
そうやって徳を積んで、今世、あるいは来世で良いことが起こりますように、と願うのです。
「仏教って、こんなにご利益宗教だったっけ?」
正直に言って、そんな気持ちを持ちました。
しかし、これもまた考えようだなあと思うのです。
それは前の「会社のトイレが汚されたらどう思いますか?」という記事を書いていて、「ひょっとしたら同じことじゃないか」と感じたからです。
私はトイレを汚した人に対して、わざわざ「身を汚してまで他者に貢献する行為」だと考えることもできると書きました。
それなら同じ理屈で、他人に徳を積ませるために鳥や魚を捕まえる人がいても良いわけです。
バカバカしいと言えばそれまでですが、そうやって徳を積みたいというニーズがある以上、それを助ける商売があっても不思議ではないのでしょう。
こういうのを見て、「バカバカしい」と不機嫌になるのも1つの考え方です。
「なるほど面白い」と楽しむように考えることも可能です。
斎藤一人さんが言われるように、どっちが正しいかではなく、楽しいかどうかで判断するようにすれば、人生は楽しいことだらけかもしれませんね。
※タンブン:タイ語ではทำบุญと書きます。ทำ(タム)は行うこと、บุญ(ブン)は功徳とか福運という意味です。
路上に屋台など店出ししている中に、鳥カゴを売っている人がいるのです。
よく見るとそのカゴには、小鳥が入っています。
「タイの人は、そんなに鳥を飼うのが好きなのだろうか?それとも、買った鳥を食べるの?まさか?」
そう不思議に思ってタイ人に尋ねると、あれは逃がしてやるのだと言うのです。
囚われの身になった哀れな鳥を逃がしてやることで、功徳を積むことができるのだと。
そう言えばお寺でも、行事として魚を川に放流するというのがあります。
あれなども、生き物を憐れむという意味なのでしょう。
しかし、憐れむパフォーマンスをするために、わざわざ捕まえているんですよね。
小鳥だって、捕まえる人がいるから、わざわざお金を出して買って、放してやらなければならない。
どこか変じゃないですか?
他にも、飼育している象に、餌としてサトウキビやバナナを与えるというのも功徳を積むことになるのだとか。
タイ語ではタンブン(※)と言いますが、お寺に寄進することも、お参りに行くこともタンブンです。
そうやって徳を積んで、今世、あるいは来世で良いことが起こりますように、と願うのです。
「仏教って、こんなにご利益宗教だったっけ?」
正直に言って、そんな気持ちを持ちました。
しかし、これもまた考えようだなあと思うのです。
それは前の「会社のトイレが汚されたらどう思いますか?」という記事を書いていて、「ひょっとしたら同じことじゃないか」と感じたからです。
私はトイレを汚した人に対して、わざわざ「身を汚してまで他者に貢献する行為」だと考えることもできると書きました。
それなら同じ理屈で、他人に徳を積ませるために鳥や魚を捕まえる人がいても良いわけです。
バカバカしいと言えばそれまでですが、そうやって徳を積みたいというニーズがある以上、それを助ける商売があっても不思議ではないのでしょう。
こういうのを見て、「バカバカしい」と不機嫌になるのも1つの考え方です。
「なるほど面白い」と楽しむように考えることも可能です。
斎藤一人さんが言われるように、どっちが正しいかではなく、楽しいかどうかで判断するようにすれば、人生は楽しいことだらけかもしれませんね。
※タンブン:タイ語ではทำบุญと書きます。ทำ(タム)は行うこと、บุญ(ブン)は功徳とか福運という意味です。
2012年07月14日
タイのチップの習慣が気に入っています
タイには、チップの習慣があります。
ただし、欧米のチップとは、ちょっと違う気がします。
私はヨーロッパは行ったことがないのでわからないのですが、アメリカだと、今は代金の15%をチップとして上乗せするのが普通なのだとか。
最初に教わった約30年前は10%だったからわかりやすかったのですが、まあ15%にした方が暗算に強くなっていいですかね。
そういう問題じゃないとは思いますが、チップの相場が固定化されている気がします。
タイの場合、もともとチップの習慣がなかったところに、欧米から持ち込まれたと聞いています。
そのためか、チップの相場というものがあまりありません。
ただ、お釣りの小銭を残すということは、よくあるようです。
なぜなら、お釣り用の小銭を用意していないところが多いからです。
これには面倒だという理由もありますが、銀行での両替が有料だという理由もありそうです。
日本じゃ考えられないでしょう?
最近は、レストランだとサービスチャージを取るところが増えてきました。
あれは完全に固定化されたチップですね。
私は、サービスチャージという制度は好きではありません。
なぜなら、そもそもチップとは、客がサービスを気に入ったから払うものだと思うからです。
すっごく気に入った人も、まったく気に入らなかった人も、同じ金額を強制的に払わされるというのは、ナンセンスだと思うのです。
まあ従業員の生活安定には貢献する(これも疑問ですが)でしょうけど。モチベーションアップには、まったく貢献しません。
それに、値段の表示を安くすることができるので、ある意味でボンクラな客を騙すことにもなります。
メニューの片隅に小さい文字で、「TAX7%とサービスチャージ10%を加算します」なんて書かれても、ほとんどの人は読まないでしょう。
一流のホテルもみんなやっていますが、客をごまかしてカネを払わせようとする魂胆が見えて、私は好きになれません。
それはさておき、チップという習慣が少しでもあるため、従業員はチップを期待します。
「この客は、どれだけチップをくれるだろうか?」
ある意味でワクワクしています。
そのため、プレッシャーを感じてしまう人もいるでしょう。私がそうでした。
「いくら払えば満足してもらえるのだろう?」
そう思って、チップの相場が気になったのです。
しかし、そんなことを考えてみても、どう感じるかは相手次第です。
チップに20バーツあげても、喜ぶ人もいれば、「たったこれだけかよ」と不服な人もいます。
ですから、あまり相手の反応を気にしないようにしたのです。
あげたくないときに要求されても(タイではチップを要求する従業員もいます)、はっきりと「あげない」と言うようになりました。
そもそもチップは、自分がどれだけ満足したかを示すもの。つまり、自分の基準なのです。
月収が1万バーツの人と10万バーツの人では、お金の価値観が違って当然です。
だから、あまり相手の反応を気にしても意味がないと思うのです。
もちろん、チップをあげて喜んでくれたら嬉しいでしょう。
でも、喜ぶかどうかは相手の自由です。それをコントロールしようとするから苦しくなるのです。
ただ、相手の反応を見て、次回から渡す金額を変えるということもあります。
それは、相手の反応に依存したわけではなく、自分の思いを再点検し、自分なりの基準を作り替えた結果なのです。
私はレストランで食事をするときなど、従業員の対応などを見ています。
何か気に入ることをしてくれれば、「これは20バーツのチップに相当するな」と思って喜びます。
逆に対応が悪いこともありますが、基本的には減点しません。記憶には残りますけど。
そうやって最後に、チップはこのくらいが適当だなと決めるのです。
そうやってチップを決めて渡したいと思っても、その従業員がいなくて渡せないこともあります。
どうしても渡したければ、呼んでもらってでも渡します。
でも大抵は、「今回は縁がなかったんだなあ」と考えて、次回の借りにしておくのです。
「チップをあげられなくてごめんね。今度はもっとたくさんあげるから。」
そう考えると、支払った金額よりも受けたサービスの方が大きいのですから、すごく良くしてもらった気になります。
私の場合、貸しよりも借りの方が多いですね。
性格的には貸しが多い方が安心できるのですが、なぜか借りの方が多くなっています。
そのため大抵、「ありがとう。ごめんね。今度はもっと良くしてあげるから。」という思いで店を出ることになります。
だから私は、いつも幸せ気分でいられるのです。
日本は、小額のお札がないから、チップをあげようと思っても大変ですよね。
タイも10バーツ札はなくなりましたが、まだ20バーツ(約50円)札があるので助かります。
その上にも50バーツ(約130円)札、100バーツ(約250円)札とあるので、チップの金額を細かく設定できます。
ただし、欧米のチップとは、ちょっと違う気がします。
私はヨーロッパは行ったことがないのでわからないのですが、アメリカだと、今は代金の15%をチップとして上乗せするのが普通なのだとか。
最初に教わった約30年前は10%だったからわかりやすかったのですが、まあ15%にした方が暗算に強くなっていいですかね。
そういう問題じゃないとは思いますが、チップの相場が固定化されている気がします。
タイの場合、もともとチップの習慣がなかったところに、欧米から持ち込まれたと聞いています。
そのためか、チップの相場というものがあまりありません。
ただ、お釣りの小銭を残すということは、よくあるようです。
なぜなら、お釣り用の小銭を用意していないところが多いからです。
これには面倒だという理由もありますが、銀行での両替が有料だという理由もありそうです。
日本じゃ考えられないでしょう?
最近は、レストランだとサービスチャージを取るところが増えてきました。
あれは完全に固定化されたチップですね。
私は、サービスチャージという制度は好きではありません。
なぜなら、そもそもチップとは、客がサービスを気に入ったから払うものだと思うからです。
すっごく気に入った人も、まったく気に入らなかった人も、同じ金額を強制的に払わされるというのは、ナンセンスだと思うのです。
まあ従業員の生活安定には貢献する(これも疑問ですが)でしょうけど。モチベーションアップには、まったく貢献しません。
それに、値段の表示を安くすることができるので、ある意味でボンクラな客を騙すことにもなります。
メニューの片隅に小さい文字で、「TAX7%とサービスチャージ10%を加算します」なんて書かれても、ほとんどの人は読まないでしょう。
一流のホテルもみんなやっていますが、客をごまかしてカネを払わせようとする魂胆が見えて、私は好きになれません。
それはさておき、チップという習慣が少しでもあるため、従業員はチップを期待します。
「この客は、どれだけチップをくれるだろうか?」
ある意味でワクワクしています。
そのため、プレッシャーを感じてしまう人もいるでしょう。私がそうでした。
「いくら払えば満足してもらえるのだろう?」
そう思って、チップの相場が気になったのです。
しかし、そんなことを考えてみても、どう感じるかは相手次第です。
チップに20バーツあげても、喜ぶ人もいれば、「たったこれだけかよ」と不服な人もいます。
ですから、あまり相手の反応を気にしないようにしたのです。
あげたくないときに要求されても(タイではチップを要求する従業員もいます)、はっきりと「あげない」と言うようになりました。
そもそもチップは、自分がどれだけ満足したかを示すもの。つまり、自分の基準なのです。
月収が1万バーツの人と10万バーツの人では、お金の価値観が違って当然です。
だから、あまり相手の反応を気にしても意味がないと思うのです。
もちろん、チップをあげて喜んでくれたら嬉しいでしょう。
でも、喜ぶかどうかは相手の自由です。それをコントロールしようとするから苦しくなるのです。
ただ、相手の反応を見て、次回から渡す金額を変えるということもあります。
それは、相手の反応に依存したわけではなく、自分の思いを再点検し、自分なりの基準を作り替えた結果なのです。
私はレストランで食事をするときなど、従業員の対応などを見ています。
何か気に入ることをしてくれれば、「これは20バーツのチップに相当するな」と思って喜びます。
逆に対応が悪いこともありますが、基本的には減点しません。記憶には残りますけど。
そうやって最後に、チップはこのくらいが適当だなと決めるのです。
そうやってチップを決めて渡したいと思っても、その従業員がいなくて渡せないこともあります。
どうしても渡したければ、呼んでもらってでも渡します。
でも大抵は、「今回は縁がなかったんだなあ」と考えて、次回の借りにしておくのです。
「チップをあげられなくてごめんね。今度はもっとたくさんあげるから。」
そう考えると、支払った金額よりも受けたサービスの方が大きいのですから、すごく良くしてもらった気になります。
私の場合、貸しよりも借りの方が多いですね。
性格的には貸しが多い方が安心できるのですが、なぜか借りの方が多くなっています。
そのため大抵、「ありがとう。ごめんね。今度はもっと良くしてあげるから。」という思いで店を出ることになります。
だから私は、いつも幸せ気分でいられるのです。
日本は、小額のお札がないから、チップをあげようと思っても大変ですよね。
タイも10バーツ札はなくなりましたが、まだ20バーツ(約50円)札があるので助かります。
その上にも50バーツ(約130円)札、100バーツ(約250円)札とあるので、チップの金額を細かく設定できます。
シンプルに考えれば生きるのが楽になります
私は子どもの頃、内気で自信のない子でした。
おどおど、びくびく、他人の顔色を伺って生きていたのです。
「どうするのが正しいの?」
正しい答えを他人(大人)は知っているけれど、私は知らない。
このまま大人になったら、自分は誰にも頼らずに生きていけるのだろうか?
そのことが心配で仕方なかったのです。
その不安から、私は無意識に知識を得ようとしてきました。
従兄弟が遊びに来た時、寝る前にうちにあった百科事典を読んでいるのを見て、その真似をしたこともあります。
ありとあらゆる場合に、「どうするのが正しいか」という答を、事前に知っておくことだと思ったのです。
しかしその試みは、挫折に終わります。
博識と他人から言われるようになっても、自分の中では自信が持てません。
だって世の中のことは、常に新たに生まれてくるものです。
必ずしも過去と同じではないし、その違う中に同じパターンを見つけ出すのも容易ではありません。
そこで私は、生き方の指針を求めることにしました。
それが、2つ目の大学に入った後の試みです。
長い年月をかけ、多くの人の批判に耐えてきた古典は、その指針を得るのに最適だと思えました。
安岡正篤氏の本など通じて、中国の古典の解釈本などをたくさん読みました。
そのことによって、ある程度は方向性が見えてきました。
指針を持つことによって、応用が効くようになったのです。
しかし、それでもまだ満足できませんでした。
私はあまり記憶力が良くないので、あれやこれや覚えておくのは苦手です。
とっさに正しい選択ができるようになるためには、もっとシンプルな指針が必要だと感じていました。
物理の力学で言うなら、「F=ma」だけみたいな、そんなシンプルさがほしかったのです。
それが今、やっとわかるようになりました。
それは、「神との対話」と出合ってから、その内容を経験の中でさらに掘り下げていくうちに、やっと自分のものとなったのです。
そのシンプルな指針とは、「すべてはひとつ」ということです。
おそらく今、それだけ聞かれた人には何のことだかわからないでしょう。
それは力学でいきなり「F=ma」と聞かされても、何のことだかわからないのと同じです。
それを使って問題が解決することを繰り返す中で、その重要性が身にしみてわかるのです。
「すべてはひとつ」というのをブレークダウンすると、たとえばこうなります。
その考え方が正しいかどうか判断するには、「それは愛か?」「愛ならばどうする?」という簡単な質問に答えることです。
これなら忘れないでしょう。
道にお金が落ちていた。誰も見ていない。たった100円だし、もらっても悪くないよね。
そうあれこれ考えながらも、あなたは迷うかもしれません。そのときこそ問うのです。
「もし愛ならばどうする?」
「面倒だ。」「時間がない。」「私の担当じゃないよ。」
いろいろな判断基準が頭の中を駆け巡るでしょう。
でも、これだけ覚えておけば間違いようがありません。
「もし愛ならばどうする?」
私はこのことを、別の言い方でも言っています。
「そうすることは自分らしいか?」
法律がどうかとか、常識やマナーがどうかなど、関係ありません。
たしかにそれらに精通し、それを順守すれば波風は立ちにくいでしょう。
でも、人生は波風が立たなければ、それで良いのでしょうか?
私は人生に美しさを求めたい。なぜなら、私はそういう美しいものだから。「ひとつのもの」だから。
我が道を行こうとすれば、多くの人が反対するかもしれません。
けれど、それがどうしたと言うのでしょう。
その他大勢と同じ人生を生きたいのですか?
もしそうだとしたら、どうして「あなた」として生まれてくる必要があるのでしょう?
その他の人の生き方は、その他の人にさせておけば良いのです。
あなたは、あなたの生き方をすべきです。
なぜなら、あなたという個性を持って生まれてきたのだから。
だから、あなたの頭で判断するのです。
「そうするのは自分らしいことですか?」
おどおど、びくびく、他人の顔色を伺って生きていたのです。
「どうするのが正しいの?」
正しい答えを他人(大人)は知っているけれど、私は知らない。
このまま大人になったら、自分は誰にも頼らずに生きていけるのだろうか?
そのことが心配で仕方なかったのです。
その不安から、私は無意識に知識を得ようとしてきました。
従兄弟が遊びに来た時、寝る前にうちにあった百科事典を読んでいるのを見て、その真似をしたこともあります。
ありとあらゆる場合に、「どうするのが正しいか」という答を、事前に知っておくことだと思ったのです。
しかしその試みは、挫折に終わります。
博識と他人から言われるようになっても、自分の中では自信が持てません。
だって世の中のことは、常に新たに生まれてくるものです。
必ずしも過去と同じではないし、その違う中に同じパターンを見つけ出すのも容易ではありません。
そこで私は、生き方の指針を求めることにしました。
それが、2つ目の大学に入った後の試みです。
長い年月をかけ、多くの人の批判に耐えてきた古典は、その指針を得るのに最適だと思えました。
安岡正篤氏の本など通じて、中国の古典の解釈本などをたくさん読みました。
そのことによって、ある程度は方向性が見えてきました。
指針を持つことによって、応用が効くようになったのです。
しかし、それでもまだ満足できませんでした。
私はあまり記憶力が良くないので、あれやこれや覚えておくのは苦手です。
とっさに正しい選択ができるようになるためには、もっとシンプルな指針が必要だと感じていました。
物理の力学で言うなら、「F=ma」だけみたいな、そんなシンプルさがほしかったのです。
それが今、やっとわかるようになりました。
それは、「神との対話」と出合ってから、その内容を経験の中でさらに掘り下げていくうちに、やっと自分のものとなったのです。
そのシンプルな指針とは、「すべてはひとつ」ということです。
おそらく今、それだけ聞かれた人には何のことだかわからないでしょう。
それは力学でいきなり「F=ma」と聞かされても、何のことだかわからないのと同じです。
それを使って問題が解決することを繰り返す中で、その重要性が身にしみてわかるのです。
「すべてはひとつ」というのをブレークダウンすると、たとえばこうなります。
その考え方が正しいかどうか判断するには、「それは愛か?」「愛ならばどうする?」という簡単な質問に答えることです。
これなら忘れないでしょう。
道にお金が落ちていた。誰も見ていない。たった100円だし、もらっても悪くないよね。
そうあれこれ考えながらも、あなたは迷うかもしれません。そのときこそ問うのです。
「もし愛ならばどうする?」
「面倒だ。」「時間がない。」「私の担当じゃないよ。」
いろいろな判断基準が頭の中を駆け巡るでしょう。
でも、これだけ覚えておけば間違いようがありません。
「もし愛ならばどうする?」
私はこのことを、別の言い方でも言っています。
「そうすることは自分らしいか?」
法律がどうかとか、常識やマナーがどうかなど、関係ありません。
たしかにそれらに精通し、それを順守すれば波風は立ちにくいでしょう。
でも、人生は波風が立たなければ、それで良いのでしょうか?
私は人生に美しさを求めたい。なぜなら、私はそういう美しいものだから。「ひとつのもの」だから。
我が道を行こうとすれば、多くの人が反対するかもしれません。
けれど、それがどうしたと言うのでしょう。
その他大勢と同じ人生を生きたいのですか?
もしそうだとしたら、どうして「あなた」として生まれてくる必要があるのでしょう?
その他の人の生き方は、その他の人にさせておけば良いのです。
あなたは、あなたの生き方をすべきです。
なぜなら、あなたという個性を持って生まれてきたのだから。
だから、あなたの頭で判断するのです。
「そうするのは自分らしいことですか?」
自分ほど尊いものはないと感じるとき
今の部屋に引っ越してきた時、寝室側のベランダがハトのフンだらけでした。
妻が一所懸命にきれいにしたのですが、そのときこう言われました。
「鳩の巣があるよ。」
驚いて行ってみると、ベランダに置かれたエアコン室外機と壁とのすき間に、鳩の巣がありました。
小枝などを集めてきて、敷き詰めてあったのです。
親鳩が1羽いて、卵らしきものも見えました。
それから4週間ほど過ぎた今日、覗いてみるとヒナの姿がありました。
手のひらに乗るくらいのかわいいヒナが2羽いました。
親鳥も1羽一緒にいて、ヒナを守っているのでしょうね。
「あまり覗いちゃダメだよ。親鳥が不安になって、ヒナを捨てて逃げちゃうかもしれないから。」
そう言うと、妻が言いました。
「でも鳩の方が私たちより先にここに住んでいたんだよね。出て行かなくていいのに。」
私は思わず笑っちゃいました。
「じゃあ鳩さんに言っておいてね。もしじゃまだったら、私たちが出ていくからって。」
鳩は別に、子育てを私たちに見せようとしたわけじゃありません。
たまたま居心地が良さそうな場所があったから、自分が子孫を残したいと思って子育てをしているだけです。
けれど、こうやって私の人生との接点が生まれました。
私はそのことによって、また多くのことを考えさせられるのです。
この日、タイのテレビで田舎の少女のことを取り上げていました。
かしこそうな顔をした、10歳くらいの少女です。
学校に通っていたときは、クラスで1番の秀才だったそうですが、家庭の事情で学校に通えず、家事をして親を助けているそうです。
また、こんなニュースもありました。
パプアニューギニアの原住民が、人肉を食べていたというものです。
どういう経緯だか聞き取れませんでしたが、それだけ妻に聞いてわかりました。
私がまったく関与しない世界が、この世には無数にあります。
そこには様々な人が生きていて、生活をしています。
生きることに精一杯な人、誰かを死ぬほど憎んでいる人、不安の中で怯えている人など、いろいろな人がいます。
そういうことを考えると、私は私であって良かったなと思うのです。
たしかに、楽なことばかりではありませんでした。
辛いことも経験しています。
でも、それをひっくるめて、すべてを愛しく感じるのです。
鳩には、また鳩の人生(鳥生?)があるでしょう。
誰がどう考えているかなど関係なく、自分の生き方を全うするだけです。
私もまた、他の誰がどうかなど関係なく、私としての生を全うするだけだなと思うのです。
妻が一所懸命にきれいにしたのですが、そのときこう言われました。
「鳩の巣があるよ。」
驚いて行ってみると、ベランダに置かれたエアコン室外機と壁とのすき間に、鳩の巣がありました。
小枝などを集めてきて、敷き詰めてあったのです。
親鳩が1羽いて、卵らしきものも見えました。
それから4週間ほど過ぎた今日、覗いてみるとヒナの姿がありました。
手のひらに乗るくらいのかわいいヒナが2羽いました。
親鳥も1羽一緒にいて、ヒナを守っているのでしょうね。
「あまり覗いちゃダメだよ。親鳥が不安になって、ヒナを捨てて逃げちゃうかもしれないから。」
そう言うと、妻が言いました。
「でも鳩の方が私たちより先にここに住んでいたんだよね。出て行かなくていいのに。」
私は思わず笑っちゃいました。
「じゃあ鳩さんに言っておいてね。もしじゃまだったら、私たちが出ていくからって。」
鳩は別に、子育てを私たちに見せようとしたわけじゃありません。
たまたま居心地が良さそうな場所があったから、自分が子孫を残したいと思って子育てをしているだけです。
けれど、こうやって私の人生との接点が生まれました。
私はそのことによって、また多くのことを考えさせられるのです。
この日、タイのテレビで田舎の少女のことを取り上げていました。
かしこそうな顔をした、10歳くらいの少女です。
学校に通っていたときは、クラスで1番の秀才だったそうですが、家庭の事情で学校に通えず、家事をして親を助けているそうです。
また、こんなニュースもありました。
パプアニューギニアの原住民が、人肉を食べていたというものです。
どういう経緯だか聞き取れませんでしたが、それだけ妻に聞いてわかりました。
私がまったく関与しない世界が、この世には無数にあります。
そこには様々な人が生きていて、生活をしています。
生きることに精一杯な人、誰かを死ぬほど憎んでいる人、不安の中で怯えている人など、いろいろな人がいます。
そういうことを考えると、私は私であって良かったなと思うのです。
たしかに、楽なことばかりではありませんでした。
辛いことも経験しています。
でも、それをひっくるめて、すべてを愛しく感じるのです。
鳩には、また鳩の人生(鳥生?)があるでしょう。
誰がどう考えているかなど関係なく、自分の生き方を全うするだけです。
私もまた、他の誰がどうかなど関係なく、私としての生を全うするだけだなと思うのです。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。