今日はたくさん書きました。
最後は、ドジな私を笑ってやってください。
昨夜、システム手帳をスられてしまいました。
ショルダーバッグに入れてあったのです。
どこでどうやってスられたのか、まったく気づきませんでした。
会社から歩いて帰るのですが、会社から5分ほどのいつもの店で晩飯を食べたのです。
そのとき、ショルダーバッグからシステム手帳を出そうとして気づきました。
「あれっ?どうしてバッグのファスナーが開いているの?」
会社を出る時、しっかりと確認しました。
両方に開くタイプなので、ファスナーのつまむ部分をどこにしておくか迷ったのです。
それで結局、バッグの角の位置にしたのでした。
そのバッグをたすき掛けにし、背中の腰の部分にくるようにして持ちます。
おそらく背後から近づいた犯人に、ファスナーを開けられ、中からシステム手帳を盗まれたのだと思います。
ショックですよ。だって、スケジュール管理とか家計簿などもありましたし、いろいろなWEBサイトのIDやパスワードも書いてあるのです。
あれがないと、WEBサイトに入れなくなるものも出てきそうです。
まだすべてをチェックしてませんが、オンラインバンキングなどのパスワードは変更しました。
でも、落ち込まないことに決めました。
バッグには財布も入っていたのですが、こちらは無事でしたし。
それにこの出来事は、きっと良いことに違いないと考えるようにしたいのです。
だって私は、幸せでいたいですから。
「これがないと大変だ」と、手帳に依存しかけていたかもしれませんね。
だから、こういう形で手放さなくてはならなかったけど、これは私を依存から救ってくれたのです。
それにバッグを後に持つことは、やはり危ないのだということを身をもって知りました。
まったく気づきませんでしたから。プロのスリの業は、たいしたものだと思います。
そして何より、こうやってみなさんに情報を提供できます。ブログネタができたと言うわけです。
ほら、良いことばかりじゃありませんか。私は幸せですね。
2012年06月01日
宗教はアヘンですか?
地下鉄サリン事件を起こしたのがオウム真理教だとわかったとき、宗教、特に新興宗教に対する世間の風当たりが強くなりました。
昔は「宗教はアヘンだ」と言われ、洗脳されておかしくなり、まっとうな判断ができなくなってしまうと思われたのです。
オウム真理教の事件によって、「やっぱりそうじゃないか」という気持ちを、多くの方が持たれたことでしょう。
洗脳という言葉も流行りました。
困ったのは、キリスト教や仏教をはじめとした既成の宗教団体です。
こぞって「うちの宗教はオウムのようなことにはならない」と、声明を発表しましたね。
あれを見て私は、「嘘つきだなあ」と思ったのです。
なぜなら、既成の宗教であっても同じことは起こり得ると、私にはわかっていたからです。
それは、次のような理由によるものです。
1.あの世があり、この世の生命よりも大事なものがあるとしているから。
2.宗教的な指導者の意見が、その宗教の考えになるから。
別に洗脳など必要ないのです。
洗脳と言ってレッテルを貼り、問題の本質を見ないことの方が危険だと思います。
歴史を見ればわかるように、キリスト教は十字軍で大量虐殺を行なっています。
まああれを虐殺と呼ぶかどうかは、それぞれ意見があるでしょうけど。
仏教だって、宗派間の争いで何人も死んでいるではありませんか。
イスラム教においては、もう言うまでもないでしょう。
このような事実は、必然的に起こったと私は思っています。
この世の生命より大事なものがあり、宗教的な指導者が「これを神が望んだ」と言えば、末端の信者は信じる他ないでしょう。
それを信じずに我道を行くことは、至難の業と言えます。脱落者の烙印を押されることになりますから。
だから、既存の宗教であっても、同じようなことは起こり得るのです。
もし、本当にそういうことを起こさない宗教があるとしたら、それはどんな宗教でしょうか?
まず、この世の生命よりも大事なものはないとすると、宗教として成り立ちません。
死んだら無になるなら、何もあえて苦労しなくても、盗んでも奪っても、面白おかしく生きれば良いのですから。
問題は2番目です。
そもそもプロテスタントは、カトリックが神の御心は宗教的指導者(神父)によって伝えられるということに反発し、信者それぞれが直接、神とつながれるとして生まれたものでした。
ですから、聖書をどう解釈するかなど、本来は信者それぞれに任せるべきだと思うのです。
そのように、指導者が教えるのではなく、信者それぞれが考えて正しいと思うことこそが神の御心に叶うとするなら、集団で殺人計画など起こり得ません。
それぞれの信者の自由を奪い、誰かの意見に従わせようとすることが問題だと思うのです。
もう一つは、「神の御心がある」ということを否定しなければ、必ず問題が起こります。
単独で銃を乱射する事件などのように、神に命じられたと思うことも可能だからです。
神に意思があり、この世を思い通りにしたいと願っていると言う宗教は、すべて問題を起こす可能性があるのです。
間違えないでいただきたいのは、だから問題を起こすということではありません。
その可能性があるということだけです。
宗教を信じるかどうかは、人それぞれだと思います。
私は、どれが良いとか、どれが悪いなどとは言いません。
ただ言えるのは、オウムが問題だとする根拠は、そのまま既存の宗教にも当てはまるということです。
それを良いか悪いかというのは、また別の次元の問題だと思います。
昔は「宗教はアヘンだ」と言われ、洗脳されておかしくなり、まっとうな判断ができなくなってしまうと思われたのです。
オウム真理教の事件によって、「やっぱりそうじゃないか」という気持ちを、多くの方が持たれたことでしょう。
洗脳という言葉も流行りました。
困ったのは、キリスト教や仏教をはじめとした既成の宗教団体です。
こぞって「うちの宗教はオウムのようなことにはならない」と、声明を発表しましたね。
あれを見て私は、「嘘つきだなあ」と思ったのです。
なぜなら、既成の宗教であっても同じことは起こり得ると、私にはわかっていたからです。
それは、次のような理由によるものです。
1.あの世があり、この世の生命よりも大事なものがあるとしているから。
2.宗教的な指導者の意見が、その宗教の考えになるから。
別に洗脳など必要ないのです。
洗脳と言ってレッテルを貼り、問題の本質を見ないことの方が危険だと思います。
歴史を見ればわかるように、キリスト教は十字軍で大量虐殺を行なっています。
まああれを虐殺と呼ぶかどうかは、それぞれ意見があるでしょうけど。
仏教だって、宗派間の争いで何人も死んでいるではありませんか。
イスラム教においては、もう言うまでもないでしょう。
このような事実は、必然的に起こったと私は思っています。
この世の生命より大事なものがあり、宗教的な指導者が「これを神が望んだ」と言えば、末端の信者は信じる他ないでしょう。
それを信じずに我道を行くことは、至難の業と言えます。脱落者の烙印を押されることになりますから。
だから、既存の宗教であっても、同じようなことは起こり得るのです。
もし、本当にそういうことを起こさない宗教があるとしたら、それはどんな宗教でしょうか?
まず、この世の生命よりも大事なものはないとすると、宗教として成り立ちません。
死んだら無になるなら、何もあえて苦労しなくても、盗んでも奪っても、面白おかしく生きれば良いのですから。
問題は2番目です。
そもそもプロテスタントは、カトリックが神の御心は宗教的指導者(神父)によって伝えられるということに反発し、信者それぞれが直接、神とつながれるとして生まれたものでした。
ですから、聖書をどう解釈するかなど、本来は信者それぞれに任せるべきだと思うのです。
そのように、指導者が教えるのではなく、信者それぞれが考えて正しいと思うことこそが神の御心に叶うとするなら、集団で殺人計画など起こり得ません。
それぞれの信者の自由を奪い、誰かの意見に従わせようとすることが問題だと思うのです。
もう一つは、「神の御心がある」ということを否定しなければ、必ず問題が起こります。
単独で銃を乱射する事件などのように、神に命じられたと思うことも可能だからです。
神に意思があり、この世を思い通りにしたいと願っていると言う宗教は、すべて問題を起こす可能性があるのです。
間違えないでいただきたいのは、だから問題を起こすということではありません。
その可能性があるということだけです。
宗教を信じるかどうかは、人それぞれだと思います。
私は、どれが良いとか、どれが悪いなどとは言いません。
ただ言えるのは、オウムが問題だとする根拠は、そのまま既存の宗教にも当てはまるということです。
それを良いか悪いかというのは、また別の次元の問題だと思います。
大脱走(家出)をしました
新興宗教にハマった時、一時的に実家で軟禁状態になったことがありました。
それで私は、家から逃げ出したのです。
同じような話題の連続ですみませんが、そのことを書くことにします。
広島から島根の実家に戻ったときのことです。
原理研究会の仲間からは帰らない方が良いと言われたのですが、私は親を説得するつもりで帰省しました。
親は、キリスト教の牧師さん(プロテスタントですから)のところへ、私を連れて行きました。
統一教会はキリスト教の異端とされていましたから、正統派の牧師の意見を聞けということです。
そうすれば私の目が覚めるだろうと、親は期待したのでしょう。
2ヶ所に行って話をしたのですが、母親はがっかりしたようです。
あまりに人格的でない牧師さんだったり、議論にならない議論を繰り返す牧師さんだったからです。
それでも親は、私が騙されているのではないか、洗脳されているのではないかという疑いを、捨てきれなかったようです。
母親は私を信じたいという気持ちを強く持っていましたが、やはり世間の噂には勝てなかったのでしょう。
1週間ほど滞在し、私は広島に戻ることを告げたのですが、親は私を帰さないと言います。
広島に帰ったら、私が二度と戻って来ないような不安があったからでしょう。
私は、広島から私を迎えに来た会の人と、連絡を取り合っていました。
近所への外出は許されていたので、そのときに会って話をしたのです。
そしてその人から、強行突破するしかないと告げられ、私も承諾しました。
時間と場所を決め、私は荷物を持ってそっと家を抜け出すつもりでいました。
父親は仕事に出かけたので、母と姉を何とかすれば、脱出は可能だと思いました。
私はまず荷物をバッグにまとめて、玄関近くに置いておきました。
しかしそれが母親に見つかってしまい、警戒されてしまったのです。
「あんた、帰ろうと思うとるんかね?ダメよ。帰らせんよ。お父さんとまず話しんさい。」
そう言う母親に対して、私はウソをつきました。
「帰らんよ。荷物を持って来ただけだけえ。」
待ち合わせの時間が、刻々と近づいてきます。もうそろそろ出ないと遅れてしまう。
はやる気持ちを抑えながら、「トイレ」と言って、私はこたつから出ました。
玄関の前を通ってトイレへ行き、用を足して出ると、そのままバッグを取って玄関に降りたのです。
しかし、すぐに母親がやってきてわめきました。
母親は私のバッグを握っているので、私は必死で振りほどこうとします。
手を叩く真似をしましたが、母親はその手を離しません。
何をされても絶対に手を離さないという形相で、泣きながらわめいています。
母は、姉に助けを求めました。
姉が加勢に来ては脱出が難しくなる。私は本気で母親の手を叩こうかと思いました。でも、叩けませんでした。
すぐに姉が飛んできて、私の背後に回って玄関のドアに鍵を掛けました。
こうなっては、脱出するのはもう無理です。
そのとき私はひらめきました。
「そうだ、裏口がある。このまま駆け上がって裏口に走ればいい。もし運良く鍵がかかっていなければ、2人に追いつかれずに脱出できる。」
私は手を緩め、母と姉に言いました。
「わかった。もう行かんから。手を離してよ。」
2人を安心させ、油断させる作戦です。
バッグをしっかり握っていた母が、その手を緩めた瞬間です。私は意を決して玄関から廊下へ、土足で駆け上がりました。
驚く2人をしり目に、廊下の先の裏口へ一目散に駆けます。
裏口のドアは、幸いなことに鍵が掛かっていませんでした。
裏口を開けると、私は表に飛び出したのです。
背後で姉が叫ぶ声が聞こえます。私は後を振り向かず、待ち合わせ場所に向かって走りました。
心臓が飛び出しそうなくらい、懸命に駆けました。
そして待ち合わせ場所よりもはるか手前で、迎えに来た会の人の車に乗ったのです。
私が時間になっても来ないので、心配して迎えに来ていたのでした。
車に乗っても私は、連絡を受けた父が車で追いかけてくるのではと心配しました。
助手席で頭が低くなるように深々と座り、外から見つからないようにしたのです。
そして、誰はばかることなく泣きじゃくりました。
「これでいいんですか!?本当にこれでいいんですか!?」
親を裏切っての家出。
それまでの親に逆らうことのない良い子が、まるで別人になったかのような行状。
しばらく私は、車の中で泣き続けたのです。
そうまでしなければいけなかったのか?
そういう疑問を持たれると思います。
しかし、世界人類を救うという偉業をなすためには、親も犠牲にしなければならないと思っていました。
いつかはわかってくれる。そしてそのときはきっと、「あのときはよくやった」と認めてくれる。そう信じるしかなかったのです。
それで私は、家から逃げ出したのです。
同じような話題の連続ですみませんが、そのことを書くことにします。
広島から島根の実家に戻ったときのことです。
原理研究会の仲間からは帰らない方が良いと言われたのですが、私は親を説得するつもりで帰省しました。
親は、キリスト教の牧師さん(プロテスタントですから)のところへ、私を連れて行きました。
統一教会はキリスト教の異端とされていましたから、正統派の牧師の意見を聞けということです。
そうすれば私の目が覚めるだろうと、親は期待したのでしょう。
2ヶ所に行って話をしたのですが、母親はがっかりしたようです。
あまりに人格的でない牧師さんだったり、議論にならない議論を繰り返す牧師さんだったからです。
それでも親は、私が騙されているのではないか、洗脳されているのではないかという疑いを、捨てきれなかったようです。
母親は私を信じたいという気持ちを強く持っていましたが、やはり世間の噂には勝てなかったのでしょう。
1週間ほど滞在し、私は広島に戻ることを告げたのですが、親は私を帰さないと言います。
広島に帰ったら、私が二度と戻って来ないような不安があったからでしょう。
私は、広島から私を迎えに来た会の人と、連絡を取り合っていました。
近所への外出は許されていたので、そのときに会って話をしたのです。
そしてその人から、強行突破するしかないと告げられ、私も承諾しました。
時間と場所を決め、私は荷物を持ってそっと家を抜け出すつもりでいました。
父親は仕事に出かけたので、母と姉を何とかすれば、脱出は可能だと思いました。
私はまず荷物をバッグにまとめて、玄関近くに置いておきました。
しかしそれが母親に見つかってしまい、警戒されてしまったのです。
「あんた、帰ろうと思うとるんかね?ダメよ。帰らせんよ。お父さんとまず話しんさい。」
そう言う母親に対して、私はウソをつきました。
「帰らんよ。荷物を持って来ただけだけえ。」
待ち合わせの時間が、刻々と近づいてきます。もうそろそろ出ないと遅れてしまう。
はやる気持ちを抑えながら、「トイレ」と言って、私はこたつから出ました。
玄関の前を通ってトイレへ行き、用を足して出ると、そのままバッグを取って玄関に降りたのです。
しかし、すぐに母親がやってきてわめきました。
母親は私のバッグを握っているので、私は必死で振りほどこうとします。
手を叩く真似をしましたが、母親はその手を離しません。
何をされても絶対に手を離さないという形相で、泣きながらわめいています。
母は、姉に助けを求めました。
姉が加勢に来ては脱出が難しくなる。私は本気で母親の手を叩こうかと思いました。でも、叩けませんでした。
すぐに姉が飛んできて、私の背後に回って玄関のドアに鍵を掛けました。
こうなっては、脱出するのはもう無理です。
そのとき私はひらめきました。
「そうだ、裏口がある。このまま駆け上がって裏口に走ればいい。もし運良く鍵がかかっていなければ、2人に追いつかれずに脱出できる。」
私は手を緩め、母と姉に言いました。
「わかった。もう行かんから。手を離してよ。」
2人を安心させ、油断させる作戦です。
バッグをしっかり握っていた母が、その手を緩めた瞬間です。私は意を決して玄関から廊下へ、土足で駆け上がりました。
驚く2人をしり目に、廊下の先の裏口へ一目散に駆けます。
裏口のドアは、幸いなことに鍵が掛かっていませんでした。
裏口を開けると、私は表に飛び出したのです。
背後で姉が叫ぶ声が聞こえます。私は後を振り向かず、待ち合わせ場所に向かって走りました。
心臓が飛び出しそうなくらい、懸命に駆けました。
そして待ち合わせ場所よりもはるか手前で、迎えに来た会の人の車に乗ったのです。
私が時間になっても来ないので、心配して迎えに来ていたのでした。
車に乗っても私は、連絡を受けた父が車で追いかけてくるのではと心配しました。
助手席で頭が低くなるように深々と座り、外から見つからないようにしたのです。
そして、誰はばかることなく泣きじゃくりました。
「これでいいんですか!?本当にこれでいいんですか!?」
親を裏切っての家出。
それまでの親に逆らうことのない良い子が、まるで別人になったかのような行状。
しばらく私は、車の中で泣き続けたのです。
そうまでしなければいけなかったのか?
そういう疑問を持たれると思います。
しかし、世界人類を救うという偉業をなすためには、親も犠牲にしなければならないと思っていました。
いつかはわかってくれる。そしてそのときはきっと、「あのときはよくやった」と認めてくれる。そう信じるしかなかったのです。
新興宗教にハマりました3
前回の続きです。(最初の記事はこちら)
教義を信じて前に進みたくても、その活動をする苦痛を避けたい。
でも活動をやらなければ、神からは認めてもらえない。
そのジレンマに耐えられなくなった私は、引きこもることしかできなくなったのです。
その間、様々なことがありました。
最終的に私は、原理研究会(=統一教会)から去ることを決めました。
親が残してくれた下宿が、そのとき役立ちました。
ともかく寝る場所がある。まずは集団生活している場所から逃げ出し、下宿で暮らすようにしよう。
4畳半の下宿で寝ながら、私は仲間が探してくれるのを待っていたのかもしれません。
1週間経っても誰も来ず、私は完全に足を洗うことを決めました。
「そうだ、人生をリセットしよう。」
私は広島大学を中退し、他の大学を再受験することにしたのです。
もう親にお金を出してもらうわけには行きません。
新聞奨学生に応募することを思いつき、問い合わせをしてみました。
すると、読売新聞のたしか西日本支社のKさんと言われる方が、私と会いたいと言ってきました。
その方は、私が以前に申し込んだことを覚えていると言うのです。
私はすっかり忘れていたのですが、ひょっとしたら高校生の時、パンフレットを取り寄せたかもしれません。
Kさんと話をし、今度は政治の勉強をしたいのだと言うと、それなら東京の大学へ行けと言います。
私は臆病だったので、そんな大都会へは行きたくなかったのです。だから大阪あたりで、と考えていたのです。
これも何かの縁なのでしょうね。
もしKさんに勧められなければ、私は東京へ出ることもなかったでしょうから。
Kさんは親切に教えてくれました。
新聞奨学生 と言っても、配属される販売店によって待遇がまったく違うということを。
だから、自分が信頼できる店が川崎市にあるので、そこから通えるように東京の大学にしなさいと。
再入学を決めたのは、おそらく3年次の12月か1月くらいだったと思います。
1年後に試験を受けるのですが、それならもう今の大学は辞めようと思いました。学費が無駄になりますから。
それで大学の担当教官に話すと、もし学費を払う余裕があるなら、もう1年、籍だけ残しておけと言います。
次の大学を卒業したとしても、就職する時、あらぬ疑いを持たれるからと言うのです。
広島大学を辞めさせられたから、別の大学に入り直したのではないかと。
私は、もうそんな先のことまで考える余裕はなかったのですが、親も学費は払うと言うので、その教官の言う通りにしました。
今になって思えば、その教官も心から私のことを心配してくれたのですね。ありがたいことです。
1年間、ビル警備のアルバイトなどをしながら、受験勉強をしました。
もう後には引き返せない。
ラジオのオールナイトニッポンを聞きながら、警備室で勉強したものです。
定年退職した親父さんたちが同僚ですが、みなさん、私のことをかわいがってくれました。
こうして、新興宗教にハマった大学生活が終わったのです。
教義を信じて前に進みたくても、その活動をする苦痛を避けたい。
でも活動をやらなければ、神からは認めてもらえない。
そのジレンマに耐えられなくなった私は、引きこもることしかできなくなったのです。
その間、様々なことがありました。
最終的に私は、原理研究会(=統一教会)から去ることを決めました。
親が残してくれた下宿が、そのとき役立ちました。
ともかく寝る場所がある。まずは集団生活している場所から逃げ出し、下宿で暮らすようにしよう。
4畳半の下宿で寝ながら、私は仲間が探してくれるのを待っていたのかもしれません。
1週間経っても誰も来ず、私は完全に足を洗うことを決めました。
「そうだ、人生をリセットしよう。」
私は広島大学を中退し、他の大学を再受験することにしたのです。
もう親にお金を出してもらうわけには行きません。
新聞奨学生に応募することを思いつき、問い合わせをしてみました。
すると、読売新聞のたしか西日本支社のKさんと言われる方が、私と会いたいと言ってきました。
その方は、私が以前に申し込んだことを覚えていると言うのです。
私はすっかり忘れていたのですが、ひょっとしたら高校生の時、パンフレットを取り寄せたかもしれません。
Kさんと話をし、今度は政治の勉強をしたいのだと言うと、それなら東京の大学へ行けと言います。
私は臆病だったので、そんな大都会へは行きたくなかったのです。だから大阪あたりで、と考えていたのです。
これも何かの縁なのでしょうね。
もしKさんに勧められなければ、私は東京へ出ることもなかったでしょうから。
Kさんは親切に教えてくれました。
新聞奨学生 と言っても、配属される販売店によって待遇がまったく違うということを。
だから、自分が信頼できる店が川崎市にあるので、そこから通えるように東京の大学にしなさいと。
再入学を決めたのは、おそらく3年次の12月か1月くらいだったと思います。
1年後に試験を受けるのですが、それならもう今の大学は辞めようと思いました。学費が無駄になりますから。
それで大学の担当教官に話すと、もし学費を払う余裕があるなら、もう1年、籍だけ残しておけと言います。
次の大学を卒業したとしても、就職する時、あらぬ疑いを持たれるからと言うのです。
広島大学を辞めさせられたから、別の大学に入り直したのではないかと。
私は、もうそんな先のことまで考える余裕はなかったのですが、親も学費は払うと言うので、その教官の言う通りにしました。
今になって思えば、その教官も心から私のことを心配してくれたのですね。ありがたいことです。
1年間、ビル警備のアルバイトなどをしながら、受験勉強をしました。
もう後には引き返せない。
ラジオのオールナイトニッポンを聞きながら、警備室で勉強したものです。
定年退職した親父さんたちが同僚ですが、みなさん、私のことをかわいがってくれました。
こうして、新興宗教にハマった大学生活が終わったのです。
新興宗教にハマりました2
前回の続きです。
原理研究会に入った私は、仲間と集団生活をすることになりました。
まるで合宿をしているような楽しさがありました。
男女が何人かのグループでマンションの一室などを借り、そこで寝起きを共にします。
期待した乱交パーティーなどは、まったくありませんでしたね。(笑)
それどころか男女関係に関しては、おそらく他の宗教団体よりもはるかに厳しいと思います。
私たちメンバーは兄弟姉妹であって、男と女の関係になることは堕落することだとされたのです。
堕落というのは、決定的な教義違反であり、救うことのできない失態です。
世間の人は、男女が同じ屋根の下で暮らせば、男と女の関係になるのは必然というようにしか、考えられないのでしょう。
この経験は私に、世間の人の考えというのは、意外と正しいことではないということを教えてくれました。
仲間との集団生活は楽しかったのですが、勧誘とかの活動は、私にとっては苦痛でした。
そうするうちに徐々に、私は心が枯渇していったのです。
いったい何のためにそんな活動をやらなければならないのか、疑問も湧いてきました。
神は喜ぶためにアダムとイブを作った。けれど、イブは神を信じられず、アダムを誘惑して性的な関係を持ってしまった。
そのイブの堕落が人間の原罪となり、今に至っているのだと、教義では説明していました。
私は思ったのです。「そんなの、神のエゴじゃないか!?」
自分が勝手に子どもを作り、その子どもが言うことをきかなかったから罰する。
そんな理不尽なことがあるものか。だったら最初から、罰さなくてよいようにこの世を作ればいいじゃないか。
神は全知全能ではないのか?どうしてその神が、そんな不出来なことをするのか?
内気で、傷つきやすく、自信のない性格だった私です。
初めての人に会って、入会しないかと説得するなどという活動は苦手です。
それなのに、それをやらないと神からは認めてもらえない。
そのジレンマに、私はだんだんと耐えられなくなりました。
ライオンの親は、我が子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てると言う。
それが神の愛だと言うのだろうか?
私は弱い子どもだ。強い子のように、崖を這い上がる力も気力もない。
親から見捨てられ、谷底で死んでいくだけだ。
親はそれでもかまわないと思っているのか?それでも這い上がった強い子と一緒に、喜べるのか?
親ライオンよ!神よ!それがあなたの望みか!?
私は、朝になっても起きなくなりました。
朝起きて、みんなと一緒に祈ることが苦痛になったのです。
またそうしていじけていれば、先輩から優しくしてもらえるのではないかと、期待した部分もありました。
本当に、愛に飢えていたのだと思います。
私の引きこもり生活は、このような集団生活の中で始まったのです。
当然、大学の授業にも出なくなりました。
この英語の試験をパスしないと留年するとわかっていて、結局、試験に出席しませんでした。
「どうせ落ちる。」
勉強もしていなかったから、受かる気持ちが出てこなかったのです。
前にも進めない。かと言って、後戻りすることもできない。
ただじっと、そこにうずくまっているだけ。
こうしていて、将来どうなるのだろうか?
考えても、考えても、答は見いだせない。
神よ!これもあなたが与える試練なのか?私はもう一歩も進めません。お願いだから、私を助けてください。
そう祈っても、神は何も答えてはくれませんでした。
<続く> → 「新興宗教にハマりました3」
原理研究会に入った私は、仲間と集団生活をすることになりました。
まるで合宿をしているような楽しさがありました。
男女が何人かのグループでマンションの一室などを借り、そこで寝起きを共にします。
期待した乱交パーティーなどは、まったくありませんでしたね。(笑)
それどころか男女関係に関しては、おそらく他の宗教団体よりもはるかに厳しいと思います。
私たちメンバーは兄弟姉妹であって、男と女の関係になることは堕落することだとされたのです。
堕落というのは、決定的な教義違反であり、救うことのできない失態です。
世間の人は、男女が同じ屋根の下で暮らせば、男と女の関係になるのは必然というようにしか、考えられないのでしょう。
この経験は私に、世間の人の考えというのは、意外と正しいことではないということを教えてくれました。
仲間との集団生活は楽しかったのですが、勧誘とかの活動は、私にとっては苦痛でした。
そうするうちに徐々に、私は心が枯渇していったのです。
いったい何のためにそんな活動をやらなければならないのか、疑問も湧いてきました。
神は喜ぶためにアダムとイブを作った。けれど、イブは神を信じられず、アダムを誘惑して性的な関係を持ってしまった。
そのイブの堕落が人間の原罪となり、今に至っているのだと、教義では説明していました。
私は思ったのです。「そんなの、神のエゴじゃないか!?」
自分が勝手に子どもを作り、その子どもが言うことをきかなかったから罰する。
そんな理不尽なことがあるものか。だったら最初から、罰さなくてよいようにこの世を作ればいいじゃないか。
神は全知全能ではないのか?どうしてその神が、そんな不出来なことをするのか?
内気で、傷つきやすく、自信のない性格だった私です。
初めての人に会って、入会しないかと説得するなどという活動は苦手です。
それなのに、それをやらないと神からは認めてもらえない。
そのジレンマに、私はだんだんと耐えられなくなりました。
ライオンの親は、我が子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てると言う。
それが神の愛だと言うのだろうか?
私は弱い子どもだ。強い子のように、崖を這い上がる力も気力もない。
親から見捨てられ、谷底で死んでいくだけだ。
親はそれでもかまわないと思っているのか?それでも這い上がった強い子と一緒に、喜べるのか?
親ライオンよ!神よ!それがあなたの望みか!?
私は、朝になっても起きなくなりました。
朝起きて、みんなと一緒に祈ることが苦痛になったのです。
またそうしていじけていれば、先輩から優しくしてもらえるのではないかと、期待した部分もありました。
本当に、愛に飢えていたのだと思います。
私の引きこもり生活は、このような集団生活の中で始まったのです。
当然、大学の授業にも出なくなりました。
この英語の試験をパスしないと留年するとわかっていて、結局、試験に出席しませんでした。
「どうせ落ちる。」
勉強もしていなかったから、受かる気持ちが出てこなかったのです。
前にも進めない。かと言って、後戻りすることもできない。
ただじっと、そこにうずくまっているだけ。
こうしていて、将来どうなるのだろうか?
考えても、考えても、答は見いだせない。
神よ!これもあなたが与える試練なのか?私はもう一歩も進めません。お願いだから、私を助けてください。
そう祈っても、神は何も答えてはくれませんでした。
<続く> → 「新興宗教にハマりました3」
新興宗教にハマりました
広島大学に入って1年目の後期だったと思います。
下宿に大学の先輩だと言って、訪ねてきた人がいました。
女性2人で、「神様について興味がありますか?」と言うのです。
別に神様に興味があったわけではありませんが、彼女たちの団体に興味がありました。
悪名高い原理研究会。統一教会(世界基督教統一神霊協会)の学生組織の名前です。
大学では、さかんにビラが配られていました。そこには原理研究会が、どれほどひどい団体かということが書かれていたのです。
「そんなひどい団体が、どうして存在できるの?」
私は、逆に不思議に感じたのです。
そこに入った学生たちは、洗脳されて統一教会の思い通りに動かされる。
集団生活をしていて、乱交パーティーみたいなことをやっている。
正直に言うと、乱交パーティーには、少し心を動かされました。(笑)
前にも書きましたが私は、性欲は人一倍 でしたから。
そして彼らは、勧誘のために新入生のアパートに訪ねてくると言うのです。
男性のところへは女性が、女性のところへは男性が。そうやって色仕掛けで誘うのだとか。
ある意味で私は、ワクワクしながら勧誘を待っていました。その噂が本当なのか、確かめたかったのです。
そしてやっと、その日が来たのでした。「待ちかねたぞ!」くらいの気持ちです。
先輩だという女性は、かなり年上でした。もう何回も留年して、大学に居座っている主のような感じ。
もう1人の女性は可愛らしい感じで、同級生でした。
どうやって色仕掛けをしてくるのか、内心、とても楽しみでした。
彼女たちは、いろいろな話をしました。そして最後に、今度、自分の下宿に遊びに来いと言うのです。
「いよいよそこで、色仕掛けか?」そう思いながら、私は了承したのです。私は本当にスケベな人間です。
友達にそのことを話すと、本気で心配して止めてくれました。でも私は、知りたいという欲求に勝てなかったのです。
数日後に彼女の下宿へ行くと、いたって清楚な感じでした。
イエス・キリストの絵とか、花の写真などが飾ってありました。そうそう、そういうカードには、いろいろな言葉が書かれていましたね。
そこでも普通におしゃべりをし、お菓子を食べただけでした。そして最後に、1Dayワークショップというのがあるので、それに出ないかと誘われました。
そのとき私は、すでに彼女たちに対して警戒する気持ちはなかったと思います。
ただ、団体に対する警戒心は、まだ持っていました。
また数日後、その1Dayワークショップに行きました。場所は市内の、彼らの集会所のような一軒家でした。
そこで食事を挟んで1日、講義を聞き続けたのです。
「1日中、一方的に講義を聞かされ、頭がボーっとなって抵抗できなくなり、洗脳されていく。」
そういうことがチラシには書いてありましたが、まったくのデタラメでした。
講義の内容は理論的で、とても理解しやすかったです。
質問することもできましたし、同じことを繰り返して洗脳するというような行為もありませんでした。
チラシの内容が嘘だとわかると、ちょっとがっかりしました。色仕掛けもなかったからです。(笑)
逆に、なぜそんなにデタラメを言ってまで批判されるのかということに、強い関心を覚えました。
次は、3Day'sワークショップがあるというので、私はそれに申し込んだのです。
このようにして、私は原理研究会に入ることにしました。
洗脳されたわけではなく、自分の意志で決めたのです。
入会を決めた理由は、「ここには何かある」と感じたからです。私が知るべき真理があると。
1つは、神がこの世を作った理由を、「喜ぶため」と説明していたことに、とても新鮮な印象を受けたからです。
「そうか、そういう考え方があったのか。」
私は驚きました。今まで、そんな説明は誰からも聞いたことがなかったのです。
2つ目は、「愛の減少感」という言葉です。この前書いたカイン・コンプレックス のことを、彼らはこう説明してくれました。
本当は愛が減ったわけではない。減ったように感じただけなのだ。
カインは神の愛が減ったと感じて、神を信じることができなかった。だから失敗したのだと。
愛されることを求める気持ちが強かった私は、その説明に驚いたのです。
「そうか、私が妹を嫌ったのは、それが原因だったのか!」
しかし、彼らの言うことのすべてを納得したわけではありません。ただ、彼らが人間的に良い人たちだという感じは持ちました。
「実際に活動してみないと、本当には理解できないんだよ。」
そう言われて、半信半疑ながら入会することにしたのです。
その後、7Day'sワークショップに参加し、多くのことを学びました。
3日間の断食、4日間の断食、そして7日間の断食なども経験しました。
集団生活をすることが原則なので、私も彼らの集会所のような家で一緒に暮らすようになりました。
下宿は引き払おうとしたのですが、親が反対しました。下宿代は出すから残しておけと。
両親には、最初の頃から事細かに説明していました。でも私から話を聞いた後、世間で批判されている団体だと知り、大いに心配したようです。
だから入会して集団生活をすることには反対されたのですが、私が従わなかったのです。
私は最初、説明すれば親はわかってくれると信じていました。楽観していたのです。
私の親ですから、他の世間の人たちのような、週刊誌に騙されるようなバカじゃないと。
しかし、どれだけ説明しても、両親は私の言うことを信じてはくれませんでした。
「いつかは分かってくれる時が来る。そう信じて、今は進むしかない。」
私は、そう考えたのです。
<続く> → 「新興宗教にハマりました2」
下宿に大学の先輩だと言って、訪ねてきた人がいました。
女性2人で、「神様について興味がありますか?」と言うのです。
別に神様に興味があったわけではありませんが、彼女たちの団体に興味がありました。
悪名高い原理研究会。統一教会(世界基督教統一神霊協会)の学生組織の名前です。
大学では、さかんにビラが配られていました。そこには原理研究会が、どれほどひどい団体かということが書かれていたのです。
「そんなひどい団体が、どうして存在できるの?」
私は、逆に不思議に感じたのです。
そこに入った学生たちは、洗脳されて統一教会の思い通りに動かされる。
集団生活をしていて、乱交パーティーみたいなことをやっている。
正直に言うと、乱交パーティーには、少し心を動かされました。(笑)
前にも書きましたが私は、性欲は人一倍 でしたから。
そして彼らは、勧誘のために新入生のアパートに訪ねてくると言うのです。
男性のところへは女性が、女性のところへは男性が。そうやって色仕掛けで誘うのだとか。
ある意味で私は、ワクワクしながら勧誘を待っていました。その噂が本当なのか、確かめたかったのです。
そしてやっと、その日が来たのでした。「待ちかねたぞ!」くらいの気持ちです。
先輩だという女性は、かなり年上でした。もう何回も留年して、大学に居座っている主のような感じ。
もう1人の女性は可愛らしい感じで、同級生でした。
どうやって色仕掛けをしてくるのか、内心、とても楽しみでした。
彼女たちは、いろいろな話をしました。そして最後に、今度、自分の下宿に遊びに来いと言うのです。
「いよいよそこで、色仕掛けか?」そう思いながら、私は了承したのです。私は本当にスケベな人間です。
友達にそのことを話すと、本気で心配して止めてくれました。でも私は、知りたいという欲求に勝てなかったのです。
数日後に彼女の下宿へ行くと、いたって清楚な感じでした。
イエス・キリストの絵とか、花の写真などが飾ってありました。そうそう、そういうカードには、いろいろな言葉が書かれていましたね。
そこでも普通におしゃべりをし、お菓子を食べただけでした。そして最後に、1Dayワークショップというのがあるので、それに出ないかと誘われました。
そのとき私は、すでに彼女たちに対して警戒する気持ちはなかったと思います。
ただ、団体に対する警戒心は、まだ持っていました。
また数日後、その1Dayワークショップに行きました。場所は市内の、彼らの集会所のような一軒家でした。
そこで食事を挟んで1日、講義を聞き続けたのです。
「1日中、一方的に講義を聞かされ、頭がボーっとなって抵抗できなくなり、洗脳されていく。」
そういうことがチラシには書いてありましたが、まったくのデタラメでした。
講義の内容は理論的で、とても理解しやすかったです。
質問することもできましたし、同じことを繰り返して洗脳するというような行為もありませんでした。
チラシの内容が嘘だとわかると、ちょっとがっかりしました。色仕掛けもなかったからです。(笑)
逆に、なぜそんなにデタラメを言ってまで批判されるのかということに、強い関心を覚えました。
次は、3Day'sワークショップがあるというので、私はそれに申し込んだのです。
このようにして、私は原理研究会に入ることにしました。
洗脳されたわけではなく、自分の意志で決めたのです。
入会を決めた理由は、「ここには何かある」と感じたからです。私が知るべき真理があると。
1つは、神がこの世を作った理由を、「喜ぶため」と説明していたことに、とても新鮮な印象を受けたからです。
「そうか、そういう考え方があったのか。」
私は驚きました。今まで、そんな説明は誰からも聞いたことがなかったのです。
2つ目は、「愛の減少感」という言葉です。この前書いたカイン・コンプレックス のことを、彼らはこう説明してくれました。
本当は愛が減ったわけではない。減ったように感じただけなのだ。
カインは神の愛が減ったと感じて、神を信じることができなかった。だから失敗したのだと。
愛されることを求める気持ちが強かった私は、その説明に驚いたのです。
「そうか、私が妹を嫌ったのは、それが原因だったのか!」
しかし、彼らの言うことのすべてを納得したわけではありません。ただ、彼らが人間的に良い人たちだという感じは持ちました。
「実際に活動してみないと、本当には理解できないんだよ。」
そう言われて、半信半疑ながら入会することにしたのです。
その後、7Day'sワークショップに参加し、多くのことを学びました。
3日間の断食、4日間の断食、そして7日間の断食なども経験しました。
集団生活をすることが原則なので、私も彼らの集会所のような家で一緒に暮らすようになりました。
下宿は引き払おうとしたのですが、親が反対しました。下宿代は出すから残しておけと。
両親には、最初の頃から事細かに説明していました。でも私から話を聞いた後、世間で批判されている団体だと知り、大いに心配したようです。
だから入会して集団生活をすることには反対されたのですが、私が従わなかったのです。
私は最初、説明すれば親はわかってくれると信じていました。楽観していたのです。
私の親ですから、他の世間の人たちのような、週刊誌に騙されるようなバカじゃないと。
しかし、どれだけ説明しても、両親は私の言うことを信じてはくれませんでした。
「いつかは分かってくれる時が来る。そう信じて、今は進むしかない。」
私は、そう考えたのです。
<続く> → 「新興宗教にハマりました2」
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