2012年05月21日

鏡のワークのやり方

肝心の「鏡のワーク」について、まだ何も説明していませんでしたね。失礼しました。

他のブログでたくさん書いたので、自分の中ではもう当然のことになっていました。

改めて、このブログでも紹介します。


鏡のワークとは、鏡に映った自分を励ますことで、自己肯定感を高めて心を癒す方法です。

まあ、そんな学術的な言い回しを知ったのは、最近のことですけど。

始めた当初は、単に気持ちがいいし、モチベーションがアップするから続けていたのです。

自分で自分の心を癒す方法として、みなさんにお勧めしたいと思います。



用意するものは、鏡と5分くらい1人になれる空間です。

鏡は、顔全体が映るくらいの大きいものがあればベストですが、なければ顔半分くらいが映る手鏡でもOKです。

声を出しても平気な空間があればベストですが、なければ他人から見られない(=何をしているか気づかれない)空間を、最低でも5分くらい確保できるならOKです。

たとえば、トレにこもってやることもできます。もちろん、ひと気のないところに車を停めてやることもできますよ。


準備が整ったら、鏡に映った自分に向かって語りかけます。

まるでそこに別の人(=もうひとりの自分)がいるようなつもりで、優しく話しかけるのです。

自分自身のことですから、気持ちはよくわかっているでしょう?

その気持に寄り添い、認め、受け入れ、励ますのです。


これを1日に5分くらいやります。もちろん、時間があればもっとやってもいいです。

あるいは、1〜2分の細切れの時間でやっても効果はあります。

たとえば会社のトイレで、他に誰もいないときは鏡に向かって、いるときは個室にこもってやることも。

あまり長い時間トイレにいると、怪しまれますから注意しましょう。


できれば声を出してやってみてください。

最初は照れくさいでしょうけど、効果は高まります。

もちろん会社とか、声を出すとまずい環境でしたら、心の中で会話をしてもOKですよ。


最初から完璧を求めようとせず、まずはできることから始めてみることです。

人によっては、涙がこみ上げてくるかもしれません。タオルを用意しておくと良いかもしれませんよ。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:21 | Comment(0) | └ 鏡のワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生の手綱を握るのは誰?

私たちの人生は、大海原を航海するようなものと例える人がいます。

私はもっと小さく、馬に乗って荒野を旅するものだと思っています。

どっちも例えですから、同じようなものですけどね。


その旅において、「手綱を誰が握っているのか?」ということが重要になります。

馬の手綱を自分が握っていれば、自分の思う方向に進むことができます。

でももし、その手綱を放していたら、馬の思う方向に進むでしょうし、他の人に握らせていたら、その他の人の思うがままになってしまいます。



たとえば、あなたは幸せになりたいと思っているとしましょう。

そのあなたが自分の人生の手綱を握っていれば、幸せでない方向に進みたいとは思いませんよね。

常に幸せの方向に向かって進もうとするでしょう。


もし、あなたの人生が今、幸せでないとするなら、それは人生の手綱を、あなた自身が握っていないからです。

放り出しているか、他の誰かに握らせているからです。



「私はこれだけ懸命に愛しているのに、彼はちっとも私を振り向いてくれない。」

そう言って、不幸を嘆く女性がいたとしましょう。

その女性の人生の手綱は、その女性が握っているのではなく、彼氏が握っています。


わかりますよね?

彼氏の言動次第で、その女性の幸不幸が決まってしまうのです。

だからその女性の手綱は、彼氏が握っているのです。



「火事で家も持ち物もすべて焼けてしまった。私にはもう、何も残されていない。」

そう言って、不幸を嘆く老人がいたとしましょう。

その老人の人生の手綱は、その老人が握っているのではなく、放り出されているのです。


わかりますよね?

馬がどう進むか(=人生にどんな出来事が起こるか)次第で、その老人の幸不幸が決まってしまうのです。

だからその老人の手綱は、放り出されて誰も握っていないのです。



自分の人生の手綱ですから、しっかりと自分で握りませんか?

その方が、楽しいと思うのです。



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タグ:手綱 航海
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:27 | Comment(0) | 幸せの公式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

自分を愛する

「自分を愛する」と言われても、具体的にどうするかわかりづらいですね。

他の言葉で言うと、自己受容とか自己承認自己肯定というものです。

もっとわかりやすく平易な言葉で言うと、「今のままでいいんだよ」「そのままで、とても素晴らしいよ」などと、自分に言い聞かせることです。


このように、自分を愛することがとても重要です。その理由は2つあります。


まず1つ目は、自己の存在が安定するからです。

自分が自分を受け入れていないと、自分の存在にたいして不安になります。

その不安を払拭しようとして、他人からの評価や愛を求めるようになります。

でも他人というのは、自分の思い通りにはならないもの。

したがって、得られる評価や愛は不安定になります。

すると、自分の存在に対して安心感を得られず、さらに他人に頼るようになるのです。これを依存と言います。

そうならないためには、自分で自分の存在を認めることが大切なのです。


もう1つの理由は、自分という存在は、本当に愛すべき存在だからです。

多くの人は、自分は大した人間じゃないと言います。

それはそうかもしれませんが、それと愛すべき素晴らしい存在かどうかというのは、別次元の問題です。

そこを混同してしまうため、何か他人から評価されるようなことをしないと、存在意義がないと思ってしまうのです。

人は、何をしようとしまいと関係なく、素晴らしい存在です。愛すべき存在なのです。

どうしてそう言えるのかは、また改めて話をさせていただきます。


「鏡のワーク」は、自分を愛するための手法として、とても効果的なものだと思います。

元々はそういう意図で始めたわけではありませんが、やってみた結果、そう思うようになりました。


自分で自分を愛することができるようになると、他人からの愛を必要としなくなります。

「愛されれば嬉しいけれど、別に愛されなくてもかまわない。」

そう感じるようになると、自由になります。

自由になると、幸せを感じます。

幸せを感じると、自分らしく生きられるようになるのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:29 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生まれてきた理由

「人は、何のために生まれ、何のために生きるのか?」

そういうことを考えたことがありますか?

私は、小学校の高学年くらいから、そういうことを考えてきました。


「人は、死んだらどうなるのだろう?」

そんなことも考えました。

夢を全く見ない夜があります。いつ寝たのかも覚えていないほど、気がついたら朝だったという夜。

それが永遠に続くことが死なのではないか?

そう考えて、悲しくて悲しくて、布団にもぐって泣いた日もありました。



今の私は、1つの答を持っています。

よく言われるのは、「幸せになるため」とか「その意味を探すため」などですが、それは違うと思います。

まず幸せになることは簡単ですから、それが人生の目的では困ります。

幸せは、今すぐ、そのままでなれる。それがこのブログで言っていることです。

人生の意味を探すためでは禅問答のようで、わかったようなわからないような感じです。


人生は、自分らしく生きるためにある。


それが、私が得た結論です。

その理由というか論理的な説明は、これからまあ、おいおいしていくことになるでしょうから、ここではあまり深くは説明しません。


幸せというのは、単にツール(道具)です。手段です。目的ではありません。

目的は、自分らしく生きることです。

そのために、幸せというツールを使うのです。

だから、早く幸せに到達してほしい。

人生の最後になって到達したのでは、自分らしく生きるという目的のために使える時間が少なくなってしまいますから。

早ければ早いほど良いのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:11 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分らしく生きるということ

前回の「生まれてきた理由」では、生きる目的は自分らしく生きることだ、と書きました。

これだけだと何のことかわからないでしょうから、今回はその続きです。


「自分らしく生きる」ということは、自分自身を再発見するということなのです。



たとえばあなたは、イギリスで暮らすのとドイツで暮らすのと、どっちが好きですか?

「そんなこと尋ねられても、どっちも行ったことがないからわからないよ。」

そういう答が多いと思います。

まさに、その通りなのです。


体験していないからわからない。

だから体験するのです。


「どっちが好きか?」「どっちが楽しいか?」

こういう質問は、要は「どちらを選択するのが自分らしいか?」という質問なのです。

すでに体験したことなら、すぐに答えられるでしょう。

でも体験したことがないと、どちらが良いか答えられないことも多いと思います。

だから、それを体験するために生きるのです。


体験することで、選択を間違えたと思うこともあるでしょう。

そのときは、選び直すのです。

より自分らしい生き方を選んで、少しでも自分らしい生き方を探すのです。



何のためにそんなことをするのか?

それは、自分自身を再発見するためです。


「自分とはこうなんだ。」

それがわかると、私たちは嬉しいのです。嬉しくて嬉しくて、感動するのです。

感動というのは、魂の喜びの声です。

魂は、喜びたくて喜びたくてたまらないのです。

だから、この世に生まれ、自分自身と再び出会おうとしているのです。


「再び」というのは、魂は自分を知っているからです。

知っているけど、体験はできない。

だからこの世に肉体を持って生まれ、体験的に自分を知ろうとした。

自分の素晴らしさを体験的に知ることで、喜びたかったのです。



何となくわかりますか?


いきなり魂の話が出てきて、うさんくさく思われたかもしれません。

でもこれが、子どもの頃から生きる意味を探し続けてきて、論理的に納得できる結論なのです。


自分らしく生きるということは、自分自身を再発見して喜ぶこと。

「オレって、すっげー!」と感動すること。

どんな山より高く、どんな海溝より深い、自分というものを極めようとして、私たちは生きるのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:59 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

一期一会を感じてみる

NHKのドラマ10「はつ恋」を少し見ました。

木村佳乃さん演じる村上緑が再検査で肝臓癌とわかり、桜が咲く病院の庭で夫に伝えるシーンが印象的でした。

青木崇高さん演じる夫の村上潤は、心配でいたたまれずに病院に駆けつけたのですが、緑が「(再検査の結果の話は)2分で終わった」と言うのを聞いて、いったんは安堵します。

しかしその後、緑が切り出します。

「潤ちゃん、ごめん。わたし、癌だった。」


愛する人が、突然いなくなってしまうのかもしれない。

そう思うと、たまらないでしょうね。



でも、普段はそれほど大事に思っていないのではないでしょうか?

いて当然みたいな。

明日いなくなるとわかったら、どれだけ感謝したいか。些細なことなど気にせず、どれだけ愛したいか。

そのことを今、考えてみましょう。


前にも書きましたが、私は渡辺真知子さんの「愛することだけすればよかった」という曲
が大好きです。

よく聴いていました。

けんかしていた恋人が、突然の交通事故死。

あんなことで怒るんじゃなかった。ごめんと言って仲直りしておけば良かった。ただただ、愛するだけで良かったのに。

そんな後悔を歌った曲です。


人生は、いつ何が起こるかわかりません。

いくら引き寄せの法則だとか使ったところで、完全にコントロールすることは不可能です。

なぜなら、そんなことができたら生きる意味がないからです。

だから、何が起こっても良いように生きるのですよ。



あなたの大切な人と出会えた喜びを、噛み締めてみましょう。

照れくさくても、勇気を出して「ありがとう」と伝えてみましょう。

一期一会。

そのチャンスは、何度やってくるかわからないのですから。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:16 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イジメに加担しました

自分の中のダークな部分を晒していくというのは、なかなかしんどいですね。

でも、そういうドロドロしたものを抱えて生きているということが、私自身の真実である以上、少なくとも私自身は、それから目をそらすわけには行きません。

他の方がこれを読まれてどう思われるかに関係なく、私は私として、自分を見つめ直す必要があると思うのです。



あれは、小学校の2〜4年生くらいだったと思います。

たしか父親から教えてもらった囃し歌(はやしうた)があって、それを1年上の先輩たちに披露しました。

すると先輩の1人が、「○○のことを歌ってみろ」というのです。

○○さんというのは、先輩の同級生で、よくイジメられていた男子です。

私は、それがイジメになるとうすうす感じながら、みんなの前で歌ったのです。


それは、こんな歌です。たとえば、私のことを歌うとすると、名前が「あつし」ですからこうなります。


あつしが付く、んやのん助、ってられて、り殺される。
は、ん十郎のに金玉のな頭。っとけ、っとけー。


何のことだかさっぱりわからない歌でしょ。

でも、名前の頭にどんな文字が来るかによって、意味のある言葉に変わったりするのが面白いのです。

たとえば「やすし」なら最後が「やっとけ、やっとけー。」になります。

それが面白くて、父親から教えてもらったときは、兄弟でいろいろな名前を入れて歌っては、面白がって遊びました。


でも○○さんは、名前をあげつらわれたと感じたでしょうね。しかも後輩から。

○○さんは、激しく怒ってきました。私は、歌うように指示した先輩の陰に隠れたのです。


ただ利用されただけ。そう言い訳することもできるでしょう。

でも、私自身はわかっています。イジメと知ってて加担したのです。

なぜか?

仲間に入りたかったから。先輩たちから喜ばれて、良い気持ちになったのです。

自分が集団から受け入れてもらえるという心地よさの代償として、○○さんを犠牲にしたのです。

いや、集団に入れない不安から逃れるために、他人のことを顧みなかったのです。



それ以降、私はその囃し歌を歌わなくなりました。

子どもながら、他人をからかうのは良くないと感じたのでしょう。


この体験があるから、私はイジメに加担する人の気持ちもわかります。

だから悪いことばかりではないのですが、今、思い出しても、つらい体験です。

「あんなこと、しなければ良かった。」

そう思ったところで取り消すことはできません。

これからも何度も思い出しては、二度とそういうことをしないようにしようと思うことでしょう。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:48 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出来事と感情のすき間

「えーっ、そんなことも知らないのー!?ばっかじゃない!?」

こんな風にバカにされて、傷ついた経験はありませんか?

私は、何度もあります。


そのとき、私はこう考えていました。

「あんな言い方はないだろう。頭に来る。」

バカにされたことで、腹を立てていたのです。


「バカにされた」という出来事が原因となって、「傷つく」とか「頭にくる」という感情が生じました。

そう、思い込んでいたのです。



でも、実際は違っていました。

出来事と感情の間にはすき間があり、直結はしていないのです。

そのすき間には価値観とか考え方というものが入っていて、それによって生じる感情が決まるのです。



この理屈を理解したことは、私にとって大きな転機となりました。

出来事が感情を決めるのではなく、考え方が感情を決めているのですから、考え方次第で感情を選択できるということになります。

傷つきたくない、腹を立てたくないと思っているなら、そうならないような考え方を選択すれば良いのです。


「バカにされた」という出来事を、違う考え方で捉えることです。

たとえば、「そういう言い方しかできないというのは、かわいそうなことだな。だって誰からも好かれないだろうから。」と考えることもできます。

そうすれば、生じる感情は怒りではなく、哀れみになります。

「そうか、こういう言い方をすると人を傷つけてしまうんだ。そのことを教えてもらってありがたい。」

こう考えれば、生じる感情は感謝になるでしょう。



「それはわかるけど、そう簡単に考え方を変えられないよ。」

そう言いたい気持ちはわかります。私もそうでしたから。

でもそれは、簡単には変えられないというだけで、絶対に変えられないわけではありませんよね?

どうして簡単には変えられないのか?

それがわかれば、変える方法もわかるでしょう。

それについては、また改めて書くことにします。


まずは、出来事と感情の間にはすき間があって、そこに考え方が入っているということを理解しましょう。

これを理解することが、幸せ実践の第一歩となるのです。




※「幸せの公式」の補習講座は、こちらからどうぞ。

「幸せの公式7日間補講」

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:49 | Comment(0) | 幸せの公式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕を支えた母の言葉



これは、何度読んでも泣いてしまう本です。



野口嘉則さんの本を読んだのは、「鏡の法則」が最初でした。

これも「読んだ人の9割が涙した!」と帯に書かれているくらい、泣ける本でしたね。

ともかく心の琴線に触れて、感動する本なのです。



前に書きましたが、感動というのは魂の喜びの声です。

「ここに私がいた。これこそが私だ!」という、魂の叫びなのです。

そんな感動を味わえる本ですから、心が疲れた時、殺伐としてきた時、ぜひ読んでみてください。





なお、「僕を支えた母の言葉」は、動画で見ることができます。

と言うより、最初は動画で公開されたのですね。

それに写真をつけて本にしたのが、上記の本です。

下の動画を見て感動したら、ぜひ本も買ってください。本を買って、誰か大切な人にプレゼントするのもいいですね。


本がたくさん売れても私には一銭も入ってきませんが、作者の野口嘉則さんは喜ばれるでしょう。

彼とは同じ広島大学に通ったという仲ですが、ひょっとしたらキャンパスですれ違ったかもしれない、というだけの関係です。

それでも、こんな素敵な本を世に送り出してくださったから、野口さんの本を紹介したいのです。

タグ: 言葉 琴線
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:36 | Comment(2) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

天気を認める

朝、外の天気を見て、どんなことを考えますか?

「いやあ、今日はいい天気だなあ。気持ちいいなあ。」

こういう日は、なんだかウキウキしてきますよね。


一方で、雨が降っているとどうでしょう?

「なんだ、また雨かよ。本当によく降るなあ。駅まで歩くのに、また濡れちゃうよ。嫌だなあ。」

こういう日は、気持ちも沈みがちです。



でも、考えてみてください。

天気そのものに、良いとか悪いなどというものがあるでしょうか?



良いと決めているのは自分です。悪いと決めたのも自分です。

その証拠に、雨の天気を悪い天気と思う人がいる一方で、雨を喜ぶ人もいます。

「いやあ、よく降ってくれて助かるなあ。これで畑の作物も、よく成長するぞ。」

「雨が降るとホコリが舞わないから助かるわ。ホコリっぽいと呼吸が苦しくなるから。」



今朝の天気を、まずは「良い」と決めましょう。

そうすれば、「良い」を説明するための理由が思い浮かぶはずです。


出来事を良いと言って喜ぶか、それとも悪いと言って嫌な気分になるかは、それぞれの人が決めることです。

そのことを自分に言い聞かせ、身体に覚え込ませるのです。

それにはまず、天気を良いと決めて、それを喜ぶことがよい訓練になります。


因みに今朝のバンコクは曇りでした。

「よく曇ってるなあ。助かるよ、日差しが直接当たらないと暑くなくて済むから。」

私はそう言って、ウキウキしながら家を出たのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:11 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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