2012年05月10日

私も傷つきやすい人間です

こんにちは、赤木です。

今日から、幸せ実践塾のブログを始めます。



なぜこのようなブログを始めたかというと、心が傷ついて、歩くこともできずに苦しんでいる人がいたら、少しでもその助けになればと思ったからです。


実は私も、傷つきやすい人間です。

繊細でナイーブな心を持ち、自分が傷つかないようにするために、必死で生きてきたのです。


「石橋を叩いても渡らない性格」

自分自身のことを、そう評していました。

それだけ慎重というか、要は臆病だったのです。

他人から否定されることを、極度に怖れていました。

だから他人から気に入られるように、自分を押し殺して生きてきたのです。


そんな私ですが、少しずつ変わってきました。

今では、「自信たっぷりに見える」と言われるほど。

自分では、本質はそんなに変わっていないと思うのですけどね。

でも以前のように、否定されることをただ怖がっていた自分ではありません。たしかに私は変わったのです。


変わることで、以前より格段に自由になりました。

こんなことを言ってはいけないとか、あんなことをしてはダメなどという制約が、だんだんとなくなったからです。

どう生きれば良いのか、選択できる範囲が広がったのです。

たくさんの選択肢の中から、どれが自分に合っているかを考えて、チョイスできるようになりました。

これって、すごいことだと思いませんか?



もし、私のように傷つきやすい体質から変革したいと思われる方がおられたら、私の体験が役に立つと思います。

私は理系の人間ですから、何でも理詰めに考えます。

理由もなく「こうしなさい」という押し付けは嫌いなのです。

ですから、こうすればこうなるというように論理立てて、変革するための方法や道筋を説明できます。

それがわかっていると、道に迷わなくて済むのです。

途中で迷いが生じた時でも、これで正しいのだと自分で判断できるので、安心して進めます。

要は、目的地までの道を示してくれるカーナビのようなもの。


これから少しずつ書いていきますので、どうぞ読んでみてくださいね。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:32 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸せ実践塾のサービス

幸せ実践塾は、このブログやメルマガで、傷つきやすい心を改善し、幸せ体質になるための考え方や実践方法をすべてお教えしています。

なので、ご自身でそれらを読まれ、実践を続けられれば、私と同じように傷つきやすい心から解放され、幸せ体質になれると思います。


ただ、実践を継続するというのは大変なことです。

「継続は力なり」などとわざわざ言うのは、それだけ大変で、誰もが簡単にできることではないからです。

モチベーションが下がったり、忘れたりして、三日坊主で終わってしまう人の多いこと。

もしそういう方が、サポートしてほしいと思われるのでしたら、私も協力させていただきたいと思うのです。


わからないこととかあれば、遠慮なくお問い合わせください。親身に相談に乗らせていただきます。

1人で悩んでいる時間がもったいないと思いませんか?


幸せ実践塾としてのサービスは、以下のホームページにありますので、そちらをご覧ください。

「幸せ実践塾のサービス」


posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:07 | Comment(0) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

傷つく方が悪い

広島の大学の時、実の姉のように慕っていた先輩からこう言われました。

「ねえ赤木さん、傷付く方が悪いんよ。」


ガーン!

信頼していた人の言葉だけに、私はショックを受けました。

そして、傷つきました。(笑)


「傷付く方が悪いって、どうしてですか?もしそんなことが通るなら、暴力を振るわれた被害者の方が悪いってことになるじゃないですか!?」

私には、とても受け入れられない言葉でした。

今まで、どれだけ他の人の言動に傷ついてきたか...。


もちろん、私も傷つけたことがあったでしょう。

でも、傷つけられた分に比べれば、そんなに多くはないはず。そう、思っていました。


その時は、彼女がなぜそう言うのか理解できませんでした。

ただその言葉だけは、重く私の心に残ったのです。



あれから約30年が経ちました。

私ももう50歳となり、あの頃の初々しさはなくなりました。

そして今、私はこう言っています。


「傷付く方が悪いんだよ。」


30年かけて、やっとあの先輩の言葉が理解できたのです。

呪いかと思えたあの言葉が、実は救いの福音でした。

傷付く方が悪いから、傷つきやすい人が救われるのです。


まるで、親鸞聖人みたいでしょ。

「善人尚もて往生をとぐ いわんや悪人をや」


逆説的な言葉の中にこそ、真理が含まれている気がします。

では、どうして傷付く方が悪いと言えるのか?またそれがどうして救いになるのか?

続きはまた、改めて書くことにします。お楽しみに。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:54 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

傷つく言葉

ほんのちょっとした言葉に傷つき、立ち上がれなくなってしまうことがあります。

私も傷つきやすい方ですから、他人の言葉には敏感です。


「こんなことも知らないの?」

程度が低いことをバカにした言葉です。

自分の心の中に、程度が低いのは生きていけない程つらいことだという思いがあるから、こういう言葉に傷つきます。

そんな言葉を受けるのが怖くて、中学生の頃の私は、列車の切符を買うことが怖かったのです。


田舎の国鉄駅(今のJR駅)ですから、自動券売機などと言うものはありません。

駅員さんに行き先を告げて、切符を買わなくてはならないのです。

「○○駅まで中学生1人」

私が言うべき言葉はそれだけです。(中学生割引がありました。)

それが言えないのです。


私の頭の中では、もっと先までの会話が、何度も何度も繰り返されました。

駅員「はい、では1,260円ですね。」

私「えっ!1,100円じゃなかったんですか?」(財布には1,200円しか入っていない。)

駅員「4月1日から値上げされてますよ。知らなかったんですか?」


「そんなことも知らないなんて、お前はバカか!?」

きっと心の中で笑っているに違いない。

なんでもっと気をつけておかなかったんだろう。

ときどき値上げされることは、わかっていたはずなのに。


私にとって、バカにされることは恥ずかしくて、生きていけないほどの屈辱でした。

だから、そんな屈辱を受ける可能性が1%でもあるなら、できればそれをしたくない。

それが、切符を買うことの怖れとして、表に出てきたのです。


たかが列車の切符を買うだけのこと。

お金が足りなかったら、「すみません。今手持ちが足りないから、また出直してきます。」と言えば済むだけのこと。

今から思えば、これこそバカバカしい限りですが、当時の私には、生きるか死ぬかという程の大きな問題と思えたのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:53 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

人見知り

人見知りする子どもは、けっこう多いと思います。

不思議なのですが、3歳に満たないような子でも、人見知りするタイプと、そうでないタイプに分かれるようですね。

私はもちろん、人見知りするタイプでした。



我が家の間取りは、2階に子供部屋、1階に客間と居間などがありました。

2階から降りる階段は、玄関の正面につながっていて、トイレに行くには、玄関の前を通らなければならない構造だったのです。

たまにお客さんが来られると、たいていは客間に上がらず、玄関に腰掛けて話をします。

中には長時間、玄関で話をするお客さんもいました。


そういう時、2階の子供部屋にいる私は困ってしまうのです。

トイレに行きたい。でも、そのためには玄関の前を通らなければなりません。玄関では、親とお客さんが話をしています。

もちろん黙って通るわけには行きません。「常識がない。」「挨拶もできないのか。」そんな風に非難されることは、目に見えていますから。

「こんにちは。」そう言って通過すれば良いだけなのですが、それが私にはできなかったのです。


田舎では、私が知らないと思っている人でも、私のことを知っていることがよくありました。

「ああ、赤木さんとこの長男さんだね。」

そう、よく言われましたから。

そういうこともあって、たとえ知らない人でも、すれ違ったら挨拶をしなさいと、親から言われて育ちました。

なので通学途中で出会う人には、誰かれ構わずに「おはようございます」「帰りました」と挨拶したものです。

今思うと、帰りがけに出会った見知らぬ人に、「帰りました」という挨拶はいかがなものかと思いますが、当時は言われるがままにそう言っていたのです。


そういうように、通学途中であれば私でも挨拶できます。

それなのに、我が家に訪ねてきた人には挨拶できないのです。

なぜか?


おそらく、引き止められるのが嫌だったのだと思います。

「こんにちは。」だけで済めばよいけど、そうならないことも多かったのです。

「あら、あっちゃんだったかいねえ。大きくなったねえ。」

そんなところから会話に加わらねばならず、それが私が知っている人ならまだしも、私自身は誰だかわからないのです。

それが苦痛で苦痛で。だから、玄関に客がいると、降りていくことができなかったのです。トイレに行きたくても、必死に我慢しました。


やっと客が帰ってトイレに行った後で、よく母親に抗議したものです。

「長話するなら客間に上がってもらってよ。トイレに行けないじゃない。」

すると母親は、何ごともないかのように言うのです。

「挨拶して通ればいいじゃないの。」

それができないからイライラしたいるのに。「このわからずや!」そう、思っていました。


親が知っている客には、自分の良い顔を見せなければならない。

でも、どんな会話をすれば良いのか?何をしゃべったら良いかわからない。

もじもじして、評価を下げるのは嫌だ。

そんな気持ちもあったように思います。

良い子であろうとして、知らず知らずに自分を追い込んでいた子どもだったのです。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:46 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私のプロフィール

【田舎に生まれて】

私は、島根県の田舎町に生まれました。

小学校は1学年1学級で、同級生は19人。

中学校も1学年2学級で、同級生は80人ほどという田舎です。


そんな中で、たいした不自由もなく育ったという記憶があります。

裕福ではないものの、それほど貧しくもない家庭です。

跡取り息子の長男として、7人家族の中で大事に育てられたのだと思います。


性格は温厚で内向的。

自分からでしゃばるようなことは好まず 、なるべく目立たないようにしていました。

ただ親の遺伝子が良かったため、小学校の頃から成績は良かった方です。

そのためか、学級委員にはよく選ばれました。

別にリーダーシップがあったからではありません。

友達から、面倒な仕事を押し付けられたという感じです。



【大学で一人暮らし】

高校を卒業すると、中学校の教員になることを夢見て、広島大学に入学しました。

中学生の頃に見ていたTVドラマ「金八先生」の影響が大きかったと思います。


生まれて初めての一人暮らしは、不安でいっぱいでした。

それでもなんとか暮らしていけるようになり、学友との交友も広がりました。


しかし、そんなときに落とし穴がありました。

それまでは親元で、良い子の部分を見せて生きるのが当たり前だったのですが、自由になることで、自分の中のそうでない面とも向き合うことになったのです。

それは、ある新興宗教との出合い から始まりました。

そしてジェットコースターのように一気に登りつめ、今度は急降下。深く悩みました。

「こんな人間が多感な中学生の先生になどなって良いのだろうか?」

この問いに、私はYESと言えませんでした。

落第を繰り返し、学校の授業にも出なくなります。

そのうち、ほとんどを下宿で寝て過ごすような生活になりました。

夕方になって起き出し、夜中にゲームセンターへ行って一人で遊ぶ。

後ろめたさもありましたが、刺激で心を麻痺させないと、生きていけなかったのです。



【人生のリセット】

ある日、やはりこのままではダメだと思いました。

「人生をリセットしよう。」

そう決めると、大学生活をやり直すための方法を探し始めたのです。


私が選んだのは、新しい大学に入り直し、親からの仕送りは無理なので、新聞奨学生になるというものでした。

学士入学という方法で、3年次に編入するという方法もありましたが、まったく新しい環境を求めました。

それで国士舘大学の政経学部に入学し、川崎市の読売新聞の販売所で、新聞奨学生 として生活することになったのです。


新聞奨学生というのは、単に朝夕刊を配達するだけではありません。

それだけでも体力的に大変ですが、さらに集金と勧誘があります。

集金は客が居るときに行かなければならないので、夜遅くになることもありました。

夜は11〜12時くらいに寝て、朝は2〜3時に起きて朝刊配達です。

仕事が終わって部屋に戻ると、私は着替えてすぐに大学へ行きました。

そこで寝てしまうと、大学へ行かなくなるからです。

夕方3〜4時には販売店へ行き、それから夕刊配達です。

そんな生活を4年間やりましたが、大変ではあったものの、充実した4年間でした。


【IT関連の会社で働く】

大学卒業後は、東京のIT関係の会社に就職 できました。

当時はまだ、プログラマー不足の時代です。

理系以外の学生が、たくさん就職していました。


その後、転職を2回ほどして、岡山の会社にJターン しました。

年齢も35歳くらいでしたから、あとは田舎の近くで、ときどき実家に戻る生活をしたいと思ったのです。

自分のような平凡な人間は、平凡な生活をして過ごすのが良いと、決め付けようとしてたのかもしれません。


ところがほどなく、東京へ転勤で戻ることになりました。

終の棲家にと思ってマンションを購入していましたが、住むことができたのは半年ほどでした。


そして数年を東京で過ごしました。

いつかはまた岡山に戻れると思いながら。

ところが今度は、タイへ行ってほしいと上司から言われました

それなりの経験があって、しかも異動させやすい独身だったことで、私に白羽の矢が当たったというわけです。


重要なことほど即断即決しなければならない。

それがその頃の私のモットーでした。

タイがどんなところかも知らなかったのですが、私はその場で了解したのです。



【タイで暮らす】

タイに赴任してから10年が過ぎました。

最初は、日本との文化の違いに悩みました。

「日本と同じようなことがどうしてできない?」

理屈通りに動かないことにイライラし、苦しんだのでした。


それでもタイは、日本と比べて自由でした。

何でもありなのがタイの良さ。アメージング・タイランド!

私も徐々に、タイの心地よさにハマり、逆に日本の世知辛さを考えることになりました。


あっという間の10年でしたが、思い出せばいろいろなことがありました。

日本の会社を退職し、タイの会社の所属になったというのは、とても大きな出来事でした。

日本の会社が、3年くらいで撤退することを決めたのです。

ですが、それまでに採用したタイ人スタッフや、関係を築いてきたお客様のことを思うと、簡単に「私は帰りますから、あとはよろしく。」とは言えませんでした。

私はタイの会社の役員となり、経営に携わることとなったのです。


また、タイ人の女性との恋愛関係もありました。

最終的には昨年、4年近く付き合った女性と結婚 しました。

50歳になってからの結婚 というのは、若いころのような高揚感はなく、どちらかと言うと淡々としていましたね。



【使命との出会い】

約半世紀を生きてきて、自分の人生を振り返ってみると、数々あった悩みや失敗で苦しんだことが、無駄ではなかったなという思いです。

思い通りになったことより、思い通りにならなかったことの方が、はるかに多かったと思います。

それでも、それらが無駄なことではなく、今の私にとってかけがえのないことだったと思うのです。


そう思える私になれたのは、道を示してくれた人や本など、多くの出会いがあったからだと思います。

少しずつ亀のような歩みでしたが、自分が変わってきたのだと思います。


そして5年ほど前、私は衝撃的な体験をしました。



それは、すべてが受け入れられたと感じるような、温かい感覚です。

理屈では十分にわかっていたことですが、やっと心から得心できた瞬間です。

仕事をしていたのですが、涙が止まりません。

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と昔の人は言いましたが、私も同じ気持でした。

「ああ、もうこれで、いつ死んでもかまわない。」

心から安心して、そう思えたのです。


もし、私と同じような感覚を他の人にも味わってもらえるなら、きっとその人の人生も変るに違いない。

私は、そう思いました。

そのときから私は、それを伝えることが私の使命だと思うようになったのです。


未熟なために、なかなか上手く伝えられずに今日まで来ました。

その間にも、多くの人が悩み、苦しみ、中には自殺したり、自暴自棄になって犯罪に走った人もいるでしょう。

そう思うと、自分の力が足りないことを残念に思います。


でも、嘆いてばかりいるわけにもいきません。

私の力はわずかであっても、歩みを止めるわけには行きません。

なぜなら、そうすることが私の使命だと、私自身が決めたからです。

少しでも誰かの役に立つために、これからも情報を発信していきたいと思っています。


<2016年7月12日追記>
その後、諸事情からIT会社を退職する事になりました。そのあたりのことは、「リストラされました!」「リストラされてわかったこと」「奇跡が起こったのかもしれない」などで詳しく書いています。また、その時々の思いなどは、メルマガ「SJ通信」で書いています。

 
 
★私が考える「幸せになる方法」を詳しく知りたい方は、ぜひ「幸せの公式7日間補講」の無料メール講座に登録してくださいね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:32 | Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

幸せを決めるもの

もう5年くらい前だったでしょうか。

ある言葉を思い出して、「ああ、そういうことだったのか。」と再認識したのは。

それは、相田みつをさんの言葉で、次のようなものです。


「しあわせは いつも自分の こころがきめる」


最初にこの言葉を知ったのは、まだ日本にいた頃です。

そのときは、「自分で幸せになろうとしないといけない。他人に何かを期待してはダメなんだ。」くらいに思っていました。

「そういうことが言える強い人はそれでいいけど、弱い人間には、そんなことすら難しい。」

そう反発する気持ちがあったことも事実です。


でも今は、そんな浅い意味ではなかったのだと言うことがわかりました。

今まで得た知識が、点ではなく、線でもなく、網のようにつながってきたのです。


私はこの言葉を肝に銘じるために、のれんを買いました。

寝室のドアの前に掛けて、毎日それを見るようにしたのです。


幸せ実践塾−傷つきやすい、内気、自信がない、を幸せ体質に改善します。-相田みつを氏の言葉




※「幸せの公式」の補習講座は、こちらからどうぞ。

「幸せの公式7日間補講」

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:01 | Comment(0) | 幸せの公式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

少女パレアナ



パレアナは、幼くして両親を事故で失い、親戚の家に預けられることになりました。

厄介者を引き受けることになったと思っているおばさんは、パレアナに対してつらく当たります。

でもパレアナは、明るさを失いませんでした。

なぜなら、大好きだったお父さんが教えてくれた「なんでも喜ぶゲーム」があったから。


クリスマスのプレゼントにお人形さんがほしかったのですが、もらえたのはなんと松葉杖。

「こんなものもらっても...」

そんなときもパレアナは、「なんでも喜ぶゲーム」をやって遊びます。

「わー、松葉杖がもらえて良かった。だって私は、松葉杖を使わなくても良い健康な身体があるってわかったんですもの。」


この本は、イエローハットの鍵山三郎さんが、その著書で紹介していたので知りました。

鍵山さんと言えば、トイレ掃除で有名ですよね。

また、この本を知らない方でも、これを原作にしたTVアニメはご存知でしょう。



私は見ていないので、内容はどうなっているか知りません。

原作とは少し違うようですが、パレアナの無邪気な明るさに、心を癒されるのではないかと思います。

タグ: アニメ
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:06 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

反抗期のない良い子

子どもの頃、反抗期がない良い子というのは、心理学的には危ない子だと認知されています。

まだお母さん方や先生方の中には、扱いやすくて良いと思っている人は多いでしょうけど。


たしかに、やんちゃな子と何でも言うことをきく良い子と、どっちが好きかと問われれば、私だって良い子だと答えたくなりますよ。

子育ての大変さがわかればわかるほど、その気持は理解できます。

でも、そのギャップが子どもを傷つけることになります。


良い子と言うのは、自分を生きていないのです。

自分らしくしていたら生きていけないという不安があるから、徹底的に相手に合わせようとしているのです。

いつしか、そういう動機すらも忘れてしまい、相手に合わせることが習い性になってしまいます。


ご多分に漏れず、私もまた親や先生の言うことをよく聞く良い子でした。

幼い頃から、「お父さんやお母さんの言うことを聞くんだよ。」「先生の言うことを聞きなさいよ。」と、耳にたこができるほど言い聞かされて育ちました。

そしてその期待に応えるべく、反抗期のない良い子がいっちょ上がりとなったわけです。


学校の掃除を怠けるなんてことは、絶対にありませんでした。

校庭の草取り作業でも、学友とおしゃべりすることなく、ひらすら草を撮り続けました。

怠けている学友に対しては、とても腹立たしく思いました。

「ああいう連中を、どうして先生は厳しく罰しないのだろう?」

そう思っていました。

今にして思えば、本当は自分も怠けてみたかったのです。でもその本音を隠して生きていたから、その恨みが怒りとなって現れたのでしょう。


中学3年生の時、一時期、私はグレました。

とてつもない衝動に駆られ、反抗したくなったのです。

それでやったのが、...

制服の第1ボタンを外しました。

それだけです。たったそれだけが、私にとっての反抗期。担任の先生は、笑っているだけでしたけどね。

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:37 | Comment(0) | ├ 私の生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

理系と文系の違い

理系と文系の人の違いって、どんなところにあると思いますか?

これが絶対に正しいということではありませんが、私はこう思っています。


理系は覚えない、文系は覚える。


つまり、記憶を優先するかどうかの違いというわけです。


私は、自分で言うのも何ですが、完璧に理系人間です。

ともかく覚えることが苦手。したがって、歴史や地理といった科目は大嫌い。ついでに英語も。

一方で、数学や理科は好きでした。

理科というのは微妙な科目で、生物や地学は、むしろ文系科目のように思いました。

だって、記憶することがたくさんあるんですもの。

完全に理系科目と呼べるのは、物理です。特に力学。


力学の公式って、覚えてますか?

   F=ma

当時の高校で習う力学では、この公式だけですべて解けてしまいます。

他にも公式はありますけど、この公式をt(時間)で微分だったか積分だったかすると、導き出せるのです。


同じようなことは、たしか中学校の数学の因数分解の公式にもありましたね。

使うのに便利なように何通りかの公式がありますが、覚えておかなくてはならないのは1つだけ。


私は、なるべく覚えるものを少なくすることに情熱を燃やしていました。

覚えるものが多ければ、テストの時に忘れていたらオシマイです。

でも覚えるものが少なければ、忘れる可能性が減るので、テストの時間内で勝負できます。

記憶力にまったく自信がなかった私は、そうやって覚えることを減らし、理屈で組み上げていく方法を選んだのです。

まあ選んだと言うと偉そうですが、そうせざるを得なかったということでしょうか。



もともと、「なぜそうなのか?」という理屈を知ることが大好きな子どもでした。

「なぜ?」「どうして?」が口癖だったため、周りの大人達は閉口したようです。

今ならわかりますが、明快に説明できないことはたくさんありますからね。


でも、そういう性格の良い点もあります。

自分の理屈が間違っているとわかったら、一瞬にして考え方を改めることができます。

たとえば何かの情報で肉食が良いと思っていても、その理由が理論的に間違いであることが証明された途端に、その価値観を捨てることができるのです。

つまり、特定の価値観にしがみつくことがない、ということです。

どれだけ思い入れがあろうと、関係ありません。間違いは間違いとして、さっと切り替えます。


特定の価値観にしがみつかずに済むということは、意外とできないことですよ。

どうしてもある価値観を抱いてきた自分を擁護したいものですから、その価値観を捨てられないのです。

そのため、道を誤るということもあります。


「幸せの公式」というのも、私が論理的に様々な検証を行い、これは信じるに足ると思ったものです。

誰かには有効だけれど他の誰かには有効ではないとか、有効かどうかを決める要因が何だかわからないなどという、曖昧なものではないのです。

AならばBというように、理屈で説明できるものです。

だから、これを皆さんにも知ってほしいと思ったのです。


ただ、これが絶対的に正しいなどと、価値観を押し付けるつもりはありません。

そうすることは、すでに「幸せの公式」に反していますから。



※「幸せの公式」の補習講座は、こちらからどうぞ。

「幸せの公式7日間補講」


タグ:理系 文系 公式
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:07 | Comment(0) | 幸せの公式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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