2019年06月17日

心で勝つプレゼン



福島正伸(ふくしま・まさのぶ)さんの本を読みました。
コンサルタントであり、人災育成、組織活性化、新規事業立ち上げの専門家である福島さんは、「夢(ドリーム)プラン・プレゼンテーション(略称:ドリプラ)」の創設者でもあります。10分間で人々に共感されるプレゼンを競うこの大会は、今や海外にも広がっています。

この共感されるプレゼンのノウハウが、この本には書かれています。これからは他人の助けを借りながら大きなことをしていく時代ですから、共感してもらえることが重要になってきます。そのポイントを知りたくて、この本を読みました。

まあそれもありますが、久しぶりに何か福島さんの本を読みたくなったんですよね。ネットで探したところ、これくらいしか見当たらなかったので、これを選んだというこでもあります。

※福島さんの本などの一覧は、こちら「福島正伸」のページをご覧ください。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

つまり、プレゼンテーションの成功とは、相手が共感して一緒に行動するようになることです。それは人の心を動かすことです。プレゼンテーションの目的は、人の心を動かすことによって、自分に足りないものを集めることにあるのです。」(p.5)

重要なのは、相手が共感して、自主的に応援しようという気持ちにさせることなのですね。

人の心が動くためには、説得や説明ではなく、感動と共感が必要になります。」(p.6)

いくら論理的に理性に訴えても人は動きません。感動しなければ、人は自主的に動かないのです。そして自主的に動かない限り、何らかの見返りを求められることになるでしょう。逆に自主的に動く人は、助けるという行為だけで満足するのです。

その感動させるプレゼンの特徴は、次の3つだと言います。

(1)プレゼンテーションの時間は10分間
(2)説明禁止、最高の価値を「物語」で伝える
(3)「あきらめない理由」がある
」(p.6)

聞き手が飽きずに集中して聞いていられるのは10分程度。内容を説明するのではなく、それが実現するとどうなるのかという価値を物語で伝えることで、感動を与える。自分に能力があるかどうか、できるかどうかではなく、やりたいという情熱と、その情熱が消えることがない証拠を提示するのです。


共感者とは、「損か、得か」、あるいは「うまくいくか、いかないか」で判断するのではなく、どんなに実現が難しい夢であったとしても、プレゼンター(発表者)とともに力を合わせて困難に挑んでいくかけがえのない存在です。
 ですから、「うまくいきそうだから支援しよう」という人は、共感者ではありません。どんなにうまくいきそうにないことであったとしても、一緒にうまくいくまで苦労することができるのが共感者なのです。
」(p.19)

どんなに素晴らしい夢を描いても、その夢が素晴らしいから支援しようとする人は、共感者ではないのですね。共感者でなければ、上手くいきそうにないと判断すると、支援をやめてしまうでしょう。だから重要なのは、プレゼンターと一緒にやりたいと思ってくれる共感者を得ることなのです。


人は説得されると思った時、言われたことの欠点を探して反論するようになります。なぜなら、そもそも説得は、相手を否定することになることが多いからです。」(p.24)

たしかに、説得するとは、考え方を変えさせることですからね。誰でも変えさせられそうになると、抵抗するものです。

危機感によって人が動くことがあります。危機感は最も人を動かす力を持っているからです。
 しかし危機感で人を動かしたとしても、それが長続きすることはないでしょう。なぜなら、危機感で動かされた人々は、次第に疲れ果てていくからです。
」(p.25)

脅したり、不安を煽ったりするやり方は、一時的には成功しても、長続きしないと言うのですね。同様に、同情を買うやり方も一時的だと福島さんは言います。
セールスマンは、不安を煽ったり泣き落としで物を買わせようとすることがありますが、このやり方は買い手を幸せにはしないのです。


夢の共感には最高の価値の疑似体験が重要だ、と福島さんは言います。私たちは映画やドラマ、アニメなどを観て感動しますが、それは疑似体験しているのです。さも自分がそこにいるかのように感動の物語を体験する。そのために、画像や音楽、語りで伝えるのです。

そのためには、まず夢が実現した時の光景をはっきりイメージすることが必要になります。夢が実現した時に、社会がどのように変わるのか、誰がどのように幸せになるのかを、物語で伝えるのです。つまり、最も感動的なシーンを物語として描き切り、その場面を誰もが今自分がそこで体験しているかのように、五感に訴えて伝えるのです。」(p.29)

そして、その世界観には必ず、どのように人が幸せになるのかという「価値」が必要です。つまり、「価値」を明確にするとは、人が幸せになる最高の物語を描ききるということです。言い換えると、プレゼンテーションで伝えたいことを伝えるということは、最も伝えたい「価値」以外をできる限り排除していくということでもあります。伝えたいことは絞り込むほど伝わるようになります。」(p.31)

そもそも10分間という短い時間ですから、あれもこれもと詰め込むと、説明だけに終わってしまいます。福島さんは1つに絞り込むのが理想と言います。

その方法は、さもプレゼンター自身がそこにいるかのように、オリジナルの画像と音楽、そして語りで伝えるということです。つまり、ワクワクする最高の一日を過ごすシーン、商品を購入して幸せになっている象徴的なシーンなどを、誰が見ても、たとえ子どもたちが見たとしてもわかるように伝えるのです。」(p.33)

画像や音楽にオリジナルを使うというのは、著作権の関係もあります。したがって、著作権フリーのものがあれば、それも使用できます。しかし、細部にこだわれば、特に画像はオリジナルにならざるを得ないように思います。
※使い方の詳細は、ここに引用しませんので本をご覧ください。


次はあきらめない理由です。

それは、どんなにうまくいかなくても、どんなに苦しくても、夢が実現するまであきらめない自分にとって最も重要な理由です。
 そのためには、プレゼンターの人生観が実現したい夢とリンクしていることが必要になります。
」(p.43)

自分の人生の中で、何がなんでもこれをやり抜かずにはおかないという理由を生む体験があったはずです。そうでなければ、強い動機になりませんから。それが自分の人生観になっているはず。それを表現するのですね。

つまり、プレゼンターの「夢」である「人を幸せにする価値」と「あきらめない理由」がつながっていて、まさしく人生を賭けていることがわかると、見ている人々は心を奪われ、無条件で応援したくなるのです。
 その意味で、プレゼンターと支援者の心をつなぐのが「あきらめない理由」と言ってもいいでしょう。
」(p.44)

プレゼンターと同じか、それに準じるくらい熱い想いで活動してくれる支援者は、何があってもぜったいにあきらめないというプレゼンターの姿勢、そしてそのプレゼンターの人生から生まれた人生観に共感するのです。


また、自分の過去を語ることは、相手を信頼していることの意思表明でもあります。人間関係では、自分が相手を信頼するほど相手も自分を信頼してくれるようになります。」(p.52)

あきらめない理由を示す時に自分の過去を語ることが、信頼関係を築く上でも役に立つのですね。


信頼を得るためには、何をやってきたか以上に、どのような考え方、生き方をしているかが重要です。そしてプレゼンテーションでは、その人の生き方が何気ない言葉や表情から勝手に伝わってしまいます。」(p.163)

付け焼き刃的にプレゼンだけ上手にやろうとしてもダメなのですね。普段のその人の生き様が大きく物を言います。

プレゼンテーションでは、画像だけではなくプレゼンターの心の中まで見られてしまいます。「人前に立つ」ということは、自分のすべてをさらけ出すこと、といっても過言ではないでしょう。」(p.164)

自分のすべてを見せることになるし、そうしなければ共感は得られません。


福島さんは、わからないことは「わからない」と言って、他人のアドバイスを求めるようにと言います。しかし、その場合でも注意すべきことがあります。

どれだけ的確なアドバイスをもらったとしても、他人の中に自分の答えがあるわけではありません。あくまでも、参考にするだけです。どのようなアドバイスも一度は自分に落とし込み、自分が一歩踏み出すきっかけにすればいいのです。」(p.178 - 179)

他人のアドバイスを鵜呑みにしないということですね。

また、新しいことは、必ずと言っていいほど賛否両論になります。さらに、多くの人に相談するほど、それぞれの意見はバラバラでかえって迷ってしまうこともあるでしょう。
 しかし、答えは、プレゼンター自身の中にあります。最後の判断は、プレゼンターが自分で決めるものです。
」(p.179)

他人が自分の人生を決めることはできません。自分の人生を決めることができるのは自分自身しかいないのです。」(p.179)

最後に決めるのは自分であり、自分が責任を持たなければならないということです。

プレゼンテーションでは、正解を探すよりも自分がワクワクするものを創るようにしましょう。つまり、何かに迷ったら、自分がワクワクする方を選択すればいいのです。」(p.180)

人生に正解はありません。自分自身の感性を信じ、それを基準に判断して選んだものが正解です。最後の選択基準は、自分自身の感性なのです。

どの道を進めばいいのか迷ったら、楽にできる道を選択するよりも、苦労しても行きたい道を選択しましょう。」(p.180)

理屈で考えるよりも、感じること、感性を大切にします。うまく言葉で説明できなくてもかまいません。私利私欲を越えた純粋な感覚で判断して、これが正しいと思ったら、その直感を信じることです。正解は自分の中以外にありません。ですから、自分の中の感覚を信じることが大切です。」(p.181)

絶対的な正解というものはありませんからね。やってみなければわからないことが多いのです。
その時、理性で判断しようとすれば、安全な道を選びがちです。できるかどうかより、やりたいかどうか。そういう基準で感覚的に選択せよと福島さんは言うのです。


最後に、福島さん自身の夢を、次のように語っています。

私は、すべての人の夢が叶う社会を創りたいと思っています。
 それは競争ではなく、共存共栄の社会です。勝ち負けではなく、誰もが輝く社会です。落ちこぼれはつくらない、落ちこぼれはいりません。誰もがつながり、誰もが夢でワクワクしている社会。そんな社会ができれば、孤独死や戦争といった人間社会の多くの問題が解決できるかもしれません。
 そんな社会を、まずこの日本という国から実現させたいと思います。
」(p.189)

これが、ガンによる死の淵から生還した、小柄だけれどもエネルギッシュな男の夢です。


私は、福島さんのセミナーに参加して、直接お会いしたことがあります。第一印象は小柄で、目立たない感じでした。しかし、ひとたび前に立って話を始められると、ピンと伸びた背筋と胸を張った姿勢が、実際以上に福島さんの姿を大きく印象づけてくれました。そして、話される一言一言に惹き込まれていったのです。

だから、また福島さんの本を読みたくなるのです。今がどうであろうと関係なく夢を持って一歩を踏み出せ、と福島さんはいつも励ましてくれます。そんな福島さんのことが、私は大好きなのですね。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:30 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月08日

運転者



喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの最新刊を読みました。期待に違わぬ喜多川ワールドですね。

読み終えた直後、閉じた本に向かって姿勢を正して、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をしました。こんな素晴らしい小説を読ませていただけることに対して、感謝の念が自然と湧いてきたのです。

※喜多川さんの本などの一覧は、こちら「喜多川泰」のページをご覧ください。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これは小説なので、ネタバレしない範囲に留めたいと思います。

物語のあらすじを書くと、完全歩合制の保険の営業マンである岡田修一は、大量契約した保険がすべて解約されたため、絶体絶命のピンチに陥ります。その時、ひょんなことから不思議なタクシーに乗ることになり、その運転手の導きで幸運への道を歩み始める、というものです。


「そうですか。そんな人の運を変えるのが私の仕事です」
「どんな仕事だよ、それ」
「だから、運転手……です。最初から言ってるじゃないですか。私はあなたの運転手だって」

(p.37)

運がいい方かとタクシー運転手に尋ねられた修一は、ついてないことばかりだと嘆きます。それに対して、運転手はこのように答えたのです。運を転ずる仕事だと。まあ、普通のタクシー運転手ではありませんね。(笑)


運が劇的に変わるとき、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。」(p.54 - 55)

斎藤一人さんも、上機嫌でいることが重要だと言われてましたね。自分の機嫌は自分でとれと。他人や出来事のせいにして、起源を悪くしていたらアンテナが働かなくなるのです。


運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。<使う><貯める>で表現するものなんです。」(p.65)

ポイントカードのように、貯めることでいつかそれを使えるようになる。それが運の仕組みだと言うのですね。


岡田さんは面白いと思えないことでも、それが「面白い」と思っている人がそこにいるんですよね。じゃあ、「何が楽しいんだろう」って興味をもつことはできるじゃないですか」(p.94)

上機嫌という基本姿勢が幸せのために重要なのですが、何もないのにどうすれば上機嫌を保てるのかという修一の問いに、運転手はこう答えたのでした。相手に興味をもつこと、関心をもつことで、上機嫌でいられるのだと。

だいたい不機嫌な人は、自分のことしか考えません。自分がいかに不幸か、他人や出来事のせいで今の不幸があるとしか思わないのです。だから、他人に対して関心が向きません。自分が知らない面白いことに対して興味が出てこないのです。


収入がなくなっても、仕事がなくなっても終わりなんてないです。そこからまた始めるだけです。その強さは誰にだってあります。だから心配しなくていい」(p.100)

あとになってみれば、「あそこが始まりだったな」と言える。「人間万事塞翁が馬」の故事にあるように、不幸と思える出来事が幸運の始まりということは往々にしてあるのです。


痛みがあってようやく身体はそれをやるにふさわしい仕様に仕上がる。柔らかいのは、何にでもなれる証で、痛みを経験して初めてスペシャリストになれる」(p.114)

ギターが上達するには、張った弦をしっかり押さえられるように指先の皮膚が固くなる必要があります。ギターを弾く練習を通じて、最初は痛みを感じます。しかし、その痛みを通過することで、身体が適応するのですね。私たちも何かを始めようとすれば、まず痛みを感じ、それを乗り越えることで適応します。

赤ちゃんが柔らかいのでは、何にでも適応できる可能性があるということ。そう考えると人間という存在は、何にでも適応する素晴らしい存在ですね。つまり、私たちには無限の可能性があるというわけです。ただし、痛みを乗り越えれば。


世の中の人はみんな、そうやって誰かの努力する姿にエネルギーをもらって自分を動かしているくせに、こと自分が努力をするということになると、運にしても成果にしても、<今の自分>という、ものすごく狭い世界の、短い期間でしか判断しないので、<運が悪い><努力は報われない>と簡単に結論づけてしまいます。」(p.168)

実は私も、報われない努力はあると思っていました。いくら努力しても、オリンピックで金メダルを取るのは1人です。その他の金メダルを目指した人たちの努力は報われない、と考えたからです。プロ野球選手になるのだって、努力した野球少年の一部に過ぎませんし、活躍するとなれば、さらにその一部でしょう。

けれども、努力の成果というのを、自分が期待した期間の期待したことだけに限定していたと思い知らされました。誰か、特に子どもなど愛する人の努力する姿を見れば、それだけで力をもらえます。自分ももっと頑張らなきゃと感じて、力が湧いてきます。それは、子どもの努力が親の頑張るエネルギーになったことになります。つまり、誰かの努力が報われたことになるのではないでしょうか?

さらに、時間による範囲を区切らなければ、前の世代の努力によって、今の豊かな社会があり、今を生きる人たちが恩恵を受けるとも言えます。「恩送り」という言葉がありますが、必ずしも自分が成果を受け取らなくてもいいのではないでしょうか。

人間の一生が、自分だけの物語の完結だと思って生きるのであれば、生まれたときに与えられた条件を使って、できるだけ自分の欲望を満たした方がいい人生だということになってしまうかもしれませんが、実際には人間の一生は、延々と続く命の物語のほんの一部でしかありません。」(p.169)

私がお勧めしている「神との対話」シリーズで言われているように、私たちは全体で1つの生命なのです。そう考えれば、自分が損するか得するかなど、どうでもいいことだと思えるでしょう。私の努力は、必ず誰かに報われるのです。


本当のプラス思考というのは、自分の人生でどんなことが起っても、それが自分の人生においてどうしても必要だから起った大切な経験だと思えるってことでしょう」(p.176)

出来事が起ったとき、すぐにプラス(得)かマイナス(損)かを判断してしまいがちです。しかし、本当にそうかどうかは、時間空間の枠を広げてみなければわかりません。

だから最後には、「あの出来事も、自分の人生において必要だからこそ起こった大切な経験だ」と言えるかもしれません。その可能性を信じることが、本当のプラス思考だと言うのです。


この小説も、いろいろな出来事があちこちで関連していて、あとになって「なるほど、そうだったのか」と唸らされます。喜多川さんの真骨頂ですね。

物語の後半では、私は何度も泣きました。ボロボロと涙がこぼれて仕方なくなるのです。喜多川さん、さすがだなぁ。そう思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:25 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月05日

明日の神(目次)

「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
過去ログを他のブログで公開していますので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)

また、露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。

それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


「明日の神」

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「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。

◆第一部 神をつくり変える
●第1章,第2章
01「新しい神が必要だ」
 (2019年6月3)1回目(〜p.31)

●第3章
02「「昨日の神」と「明日の神」の違い」
 (2019年6月4)1回目(〜p.43)
03「創造主は被造物でもある」
 (2019年6月5)2回目(〜p.50)
04「すべてはひとつという生き方」
 (2019年6月6)3回目(〜p.55)

●第4章
05「「先に仕える」ことが重要」
 (2019年6月7)1回目(〜p.64)
06「生命を最高の価値とする」
 (2019年6月10)2回目(〜p.67)
07「瞑想法による意識の拡大」
 (2019年6月11)3回目(〜p.72)
08「ブレスワークと意識の拡大」
 (2019年6月12)4回目(〜p.81)

●第5章
09「神とは生命というプロセスである」
 (2019年6月13)1回目(〜p.90)

●第6章
10「神とは変化のプロセスだ」
 (2019年6月14)1回目(〜p.100)
11「分離から統合への循環」
 (2019年6月17)2回目(〜p.106)

●第7章
12「神は生命でありシステムだ」
 (2019年6月18)1回目(〜p.117)

●第8章
13「生命を最高の価値とする」
 (2019年6月19)1回目(〜p.123)


 
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2019年05月21日

日本人のための憲法原論



500ページ近くもあり、まるで学術書のようなタイトルの本を読みました。おそらくこのタイトルだけなら、あまり興味を覚えなかったでしょう。

それなのにどうしてこの本を読んでみようと思ったのか? それは、作家の喜多川泰さんが勧めていた(あやふやな記憶ですが、私にとって信頼できる方がFacebookで勧めておられたと記憶しています。)ことと、著者が小室直樹氏だったからです。

小室直樹氏と言えば、もう30年以上前に読んだ「新戦争論」が記憶にあります。平和主義者が戦争を起こすという斬新な視点は、その後の私の考え方に大きなインパクトを与えたのです。

そういうことがあって買った本でしたが、さすがに分厚いので、なかなか表紙を開くことなく、長い間、本棚に飾られていました。やっと順番が回ってきて読んだのですが、読んでみると実に読みやすいのです。

編集者に小室氏が講義を行うという、一部対話形式になっており、また平易な言葉での講義スタイルもあって、どんどん読めてしまいました。小室氏は2010年9月にすでに亡くなられており、この本は2001年に発行された「痛快!憲法学」の愛蔵版としてリメイクされ、2006年に出版されたものです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。まず「まえがき」で、この本の目的を明確に示しておられます。

こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家ではなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言ってもいいほどです。
 憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。これが現在の日本なのです。
」(p.2)

10年来の不況も、財政破綻も、学級崩壊も、何もかもが憲法に原因があると小室氏は指摘します。そして、日本の憲法がちゃんと作動しなくなった原因が、憲法学そのものにあると言います。

「憲法を語る」とは、すなわち人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文の中には、長年にわたる成功と失敗の経緯(いきさつ)が刻み込まれているのです。その長い物語を解き明かすのが憲法学なのですから、本当の憲法研究はとても面白く、エキサイティングなものなのです。
 私は本書において、その「憲法の物語」の一端を披露し、憲法学のおもしろさ、大切さを少しでも皆さんに伝えたいと考えました。
」(p.3)

このように小室氏は、憲法がどうやって生まれ、育ったのかという物語を、この本で語ると言っています。したがって本書では、西洋史の話が大半です。憲法の誕生を知るには、ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史を知る必要があるからですね。


前半は、憲法や民主主義の誕生に関するヨーロッパの歴史です。途中、その話の流れで「第9章 平和主義者が戦争を作る」という第二次世界大戦の話もあります。それから、アダム・スミスやケインズなど経済の話も関係してきます。

そういった話を経て、第11章から日本の話になります。375ページから始まるこの日本に関する記述は、私は全面的に賛同できるわけではありません。ただ、なるほどと感じる視点も多く、一連の流れとしてとらえる必要があると思いますので、その部分を紹介することにします。

まず、明治維新によって、いきなり民主主義や資本主義が導入されたわけではない、ということです。

資本主義の精神とはまず第1に、労働を自己目的化することです。つまり仕事とは単にカネを稼ぐための方便ではない。仕事そのものに価値があるのだと考えるようになることが必要です。
 キリスト教の予定説では、労働は天職だとされた。仕事は神が与えたものなのだから、一心不乱に働くのが当然であるとなった。ここから資本主義がスタートしたわけです。
」(p.382)

この部分は、賛同できませんでした。なぜなら日本人は昔から勤勉であり、働くことそのものに価値を見出していると思っていましたから。一方の西洋人は、定時で帰るのが当たり前で、長期のバカンスが当然という、労働を罰だと考える価値観ですからね。

しかし小室氏は、江戸っ子が宵越しの金を持たないのは、適当に働いて食えればいいという考え方だったからだと指摘します。また、カルヴァンの予定説により、プロテスタントは神から与えられた天職を懸命に行うことが何よりも大切だと考えていたと言うのです。

ちょっとまだ納得し難いところではあるのですが、そういう見方もあるのかなぁと思います。

そして日本では、明治政府は資本主義の精神を定着させるために、二宮金次郎をお手本に導入したということです。二宮金次郎を手本にしたというのは事実ですが、それが資本主義の精神を定着させるためだったと言えるのかどうか、ちょっと疑問もありますね。


次に日本の近代化のために必要だったのが平等の精神です。それまでの日本は、身分意識や階級意識がありました。西洋ではキリスト教が根付いていたので、「神の前の平等」という常識があったのです。

そこで明治政府は、国民の意識を一新する奇策を考えて実行したと小室氏は言います。

それは国家元首たる天皇を、日本人にとって唯一絶対の神にすること。天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアです。
 すなわち「神の前の平等」ならぬ「天皇の前の平等」です。現人神(あらひとがみ)である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念を普及させることによって、日本人に近代精神を植え付けようと考えた。
」(p.386)

たしかにこれまでの神道を排して、いわば「天皇教」とも呼べる宗教を普及させたことは事実でしょう。そしてその雛形が、武士の一部に広がっていた尊皇思想であることも納得できます。しかし、それを日本の近代化のために利用したなんて、そんなことがあるでしょうか?

けれども小室氏は、それが意図した奇策であったことを伊藤博文の枢密院での演説によって証明します。

ヨーロッパにおける憲法は、いずれも歴史の中で作られてきたものであって、どれも一朝一夕にできたものではない。しかるに、我が国ではそうした歴史抜きで憲法を作らなければならない。ゆえに、この憲法を制定するに当たっては、まず我が国の『機軸』を定めなければならない。……ヨーロッパにおいて、その『機軸』となったものは宗教である。ところが、日本においては『機軸』となるべき宗教がどこにもない」(p.397)

「我が国にありて機軸となすべきは、ひとり皇室あるのみ」
 すなわち、天皇教こそが近代日本を作るための機軸だというわけです。
」(p.398)

このように、日本を急速に近代化させるために、天皇教を作って利用したのだということなのです。伊藤博文は、単に形だけ憲法を導入しても近代化に役立たないと見抜いていたということになります。


デモクラシーというのは、制度を整えればすぐに出来上がるというものではないと小室氏は言います。つまり、国民の精神が大きく変わる必要があるのです。そして時間を経て、大正時代には日本のデモクラシーも花開きました。

藩閥政府が何と言おうとも、議会は断固、抵抗した。それどころか、言論の力でついに内閣をも倒すに至った。これが今紹介した、尾崎咢堂の弾劾演説です。日本のデモクラシーはとうとうそこまで成長したのです。」(p.409)

デモクラシーは、国民の代表としての議会において、自由に議論がなされて、言論によって政策が決定されることです。横暴な内閣なら、議会がそれを言論で弾劾し、替えさせるだけの力を持つ。それが重要なポイントなのです。

しかし小室氏は、戦前戦中、日本のデモクラシーは死んだと言います。2.26事件などで軍部が力を持ち始めたころは、まだ議会はデモクラシーを護っていました。浜田国松代議士は「腹切り問答」で寺内陸相に詰め寄りましたが、けっきょく除名されることもなく懲罰も受けなかったのです。

しかし昭和15年、支那事変が始まった後の議会において、斎藤隆夫代議士が「事変」の目的を政府に問いただした時は、聖戦目的を侮辱する発言だとして議会は彼の除名を決議し、発言も議事録から削除してしまいました。軍部を支持する国民の声を背景に、言論の府であるはずの議会が、自ら言論の自由を放棄したのです。

民主主義は国民の民意をもとにしたもの。したがって、政府がその意に反するなら、予算を通さない、総辞職させるか議会を解散させて民意を問う、などの力が議会にはあります。しかし、その議会が自らの自由な言論を封じるなら、もはやデモクラシーではないのです。

そこで重要なのは、議会に言論の自由を捨てさせたのは国民の声だったという点です。国民が、軍部の自由にさせろと言ったわけです。したがって、デモクラシーを捨てさせたのは国民自身であるとも言えます。

これは、ヒトラーの独裁を許したドイツと似ています。ヒトラーが台頭したのは、国民が彼を求めたからです。そして議会が全権を彼に移譲した。これもまた、国民の声でした。民意が独裁者を生んだのです。日本の場合は、独裁軍部を生んだのです。

山本七平氏は、日本は「空気」(ニューマ)が支配する国であるという、きわめて注目すべき指摘をしています。
 この戦争は正しい、軍部を批判する奴は卑怯者だ……こうした「空気」が世間に充満してくると、もはやそれには誰も逆らえない。
」(p.434)

最近の日本でも、そういう事例がありましたね。大阪維新の議員が、北方領土を取り戻す方法は戦争以外にあるのかどうか、という議論を仕掛けたことが問題視され、党から除名された事件です。日本にはすでにデモクラシーがない、と思える事件でした。


小室氏は、戦後の日本にも同様にデモクラシーを喪失した事件があったと指摘します。それが田中角栄元首相のロッキード事件です。

まず小室氏は、田中元首相はデモクラシーの権化だったと絶賛します。その証拠として、新米議員でありながらわずか8年の間に26件の法律を作ったことをあげます。現在は議員立法が皆無であることを考えると、これがいかにすごい数字かがわかります。

田中元首相は議会での討議をいとわず、巧みな演説で賛同者を増やし、法案を通したのです。これぞまさにデモクラシー、ということなのですね。

ところが、ロッキード事件において、日本のデモクラシーは死んだと小室氏は言います。検察は世論を味方につけ、見切り発車で逮捕しました。それでも証拠がないため、ロッキードのコーチャン氏に対して贈賄罪、偽証罪で起訴しないことを条件に証言を得るという司法取引をしたのです。そんな司法取引という法律がないにも関わらず、裁判所もそれを認めました。

そういう検察と司法が一体になっての違法な裁判を、マスコミは叩くことをせず、国民もその違法裁判を支持しました。これではまさに中世の魔女狩りと同じではありませんか。

権力というのは、無実の人間を罪人にしかねない。そういうことが行われていないかを監視するのが裁判官の役目です。
 ところが、このロッキード裁判をごらんなさい。裁判所と検事がグルになって、刑事免責などという、法律のどこにも明文化されていない条件を与えた。
」(p.445)

裁判官と検察がグルになれば、どんな被告だって有罪になってしまいます。裁判官が検事に同情しているのでは、どこをどうしたって被告が勝てるわけがない。」(p.446)

まさに、冤罪はこうして作られるという見本でしょう。さらにこの裁判では、裁判所は憲法違反まで犯しています。コーチャン証言は嘱託尋問調書と呼ばれるもので、検察はアメリカへ行って証言を得ました。つまり通常の検事調書と違って、被告側にはコーチャン氏に対する反対尋問の機会が一度も与えられなかったのです。

これは日本国憲法第37条第2項に明白に違反すると小室氏は指摘します。そこには、被告側がすべての証人に対して審問する機会が充分に与えられ、かつ公費で強制的手続きによって証人を求める権利を有すると書かれているからです。

証人に対する反対尋問もできないのであれば、その裁判は公正だとは言えません。そんなものが証拠として採用されることがおかしいのです。そして、おかしな捜査によって起訴された場合は、被告は無罪になる。刑法とは犯罪者を裁く法ではなく、検察を裁く法だからだ(第1章)と小室氏は言うのです。

何度も繰り返しますが、近代デモクラシーにおける刑事裁判の鉄則は「デュー・プロセス」、すなわち法にのっとった裁判を行うことにある。
 刑事裁判では、権力の側は1つとして法を踏み越えてはならない。この鉄則を破れば、どんなに心証が真っ黒でも、その被告人は無罪になる。
」(p.449)

このロッキード裁判は、1審、2審で有罪となり、最高裁で争っている途中で田中元首相が死亡し、公訴棄却となりました。その時、最高裁はコーチャン証言に適法性がなかったと言ったそうです。しかしそうなら、最高裁に控訴した時点で裁判を無効にできたはずだと小室氏は指摘します。日本の裁判には、もはや自浄能力がないのです。


最後に小室氏は、日本は独裁国家だと指摘します。

明治憲法に始まった戦前日本のデモクラシーは、軍部の台頭とともに滅びたわけですが、今日の日本において軍部の代わりに現れたのが、霞ヶ関の官僚たちです。
 霞ヶ関のエリート官僚たちは、議会を乗っ取って議員たちの代わりに法律を作り、また内閣を乗っ取って、首相や大臣の代わりに政策を決定している。
」(p.456)

彼らは司法権力をも自分のものにしている。つまり、司法・行政・立法の三権はすべて彼らの手のうちにあるのです。まさに官僚は戦後日本の独裁者になった。」(p.456)

ここで言う「司法」とは、通常の裁判のことではなく、通達とか地方の条例などに関するものです。その解釈を決めるのは、最終的に霞ヶ関の官僚です。それに反抗しようものなら、様々な方法で締め付けます。

さらに日本の官僚は、日本経済全体が自分の所有物であるかのごとく錯覚していると小室氏は指摘します。それが、この間まで行われていた銀行の「護送船団方式」です。銀行は大蔵省の役人の顔色を見て、カレンダーを作るのでさえ役人に伺う必要があったと言います。

つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。」(p.465)

では、そういう官僚を制御するためには、どうすればよいのでしょう? 小室氏は、中国の例を上げて、官僚と対抗するグループがあれば制御できると言います。しかし、そういうグループを別に作ることも難しいので、現実的には政治家が重要なのだと。

政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。」(p.472)

しかしその田中角栄を暗黒裁判にかけたのは日本国民でした。官僚の独裁を許しているのも日本国民。今の日本は、そういう状態なのです。


小室氏は、今の日本がこういう状態なのは、憲法に構造的な欠陥があったからだと指摘します。それは、GHQによって日本国憲法が作られたからだと。ただし、押し付けられたから悪いという意味ではなく、デモクラシーは当たり前という文化を持つアメリカ人によって作られたことが間違いだったのだと言うのです。

これは、伊藤博文が憲法を作るに当たって腐心したことと関係しています。つまり、象徴天皇にすることで、機軸であった現人神の天皇を取り除いたことです。

ところが戦後の憲法では、「天皇の前の平等」という考えは取り除かれ、いきなり「平等」だけが与えられた。このことによって、戦後日本における平等は、ひじょうにいびつなものになってしまいました。
 つまり、それは「機会の平等」ならぬ「結果の平等」という誤解です。
」(p.480)

その誤解は教育の現場に持ち込まれ、かけっこでも順位をつけないなどの指導に表れていると言います。本来は「身分からの平等」だったのに、「結果の平等」という思想が広まったのだと。

さらに同じことが「自由」についても言えると小室氏は言います。

戦後の日本で「自由」は、「何をやってもいい」ということだと誤解された。最近では「人を殺す自由」を主張する子どもさえ現れています。
 しかし、デモクラシーにおける自由とは、元来、「権力の制限」を意味しました。
」(p.481)

何をやってもいい自由と思われているという指摘には同意できませんが、自由が権力からの自由だという意味はわかります。

自由にしても、平等にしても、それは与えられるものではありません。現に欧米人たちは、みずから平等や自由を勝ち取った。自由も平等も、その前提になっているのは権力との戦いです。
 そのプロセスを抜きにして、いきなり自由や平等を与えるとどのような結果になるか。図らずもそれを証明しているのが今の日本なのです。
 権力と戦うことなく人権を手に入れたものだから、戦後の日本人は権力を監視することも忘れてしまった。その結果が、官僚の独裁であることは言うまでもありませんが、民主主義とは国家権力との戦いなのだということが忘れられると、自由も平等もたちまちにして変質してしまうのです。
」(p.482)

アメリカ人(GHQ)が善意からアメリカ流の民主主義憲法を日本に与えたことが、今の日本の混乱を招くことにつながったという小室氏の指摘です。


この後、小室氏は社会には「権威」が必要だという話をします。たとえば人殺しをしないのは法律で禁止されているからと考える前に、そもそも人殺しは良くないことだという価値観を、権威によって与えられているからだと。その権威とは、身近には父親であり、キリスト教などでは神です。

その権威が否定されると、その社会は無秩序になり、どうしていいかわからず混乱するのだと小室氏は言います。第一次大戦で負けて権威を失ったドイツは混乱しましたが、そこに現れたヒトラーに人々は新たな権威を求めた。これは精神分析学者のエーリッヒ・フロムの分析だとか。

戦後、天皇教を失った日本にも、この権威の喪失が起ったと小室氏は言います。「父なき社会」になってしまった日本は混乱し、モラルの欠如をもたらしたのだと。

この部分の分析には、私はあまり同感できませんが、1つの考え方ではあると思います。小室氏はデメリットしか見ていないようですが、私は逆に、そのことによるメリットもあると考えるからです。


さて、こういう民主主義を失い、憲法が死んだ状態の日本ですが、どうやって復活させることができるのでしょうか?

小室氏は、誰かから与えてもらおうという発想を改めることが重要だと言います。現実を直視し、亡国の淵に立っている日本の現状をしっかりと認識して、自ら第2の明治維新を起こそうとすることが大切なのだと。

その覚悟ができたら、次は自分なりに考えて第1歩を踏み出すのです。そのヒントはこれまでの講義の中にいっぱい隠れているはずです。
 それが正しいか、間違っているかは気にする必要はない。とにかく歩き出すのです。それこそが日本をふたたび憲法の国、デモクラシーの国に戻す道です。
」(p.492)


後半部分しか引用できませんでしたが、前半にも数多くの目からウロコの情報や視点がありました。これ1冊を読むだけで、欧米の歴史の大半が理解できるのではと思うほどです。

それにしても、小室氏の視点には驚かされます。そしてそれが空理空論ではなく、多くの事実に裏付けされている点も驚きでした。やはり、「学ぶに如(し)くはなし」ということですね。

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2019年05月19日

戦後最大のタブー!「ホロコースト論争」

ちょっととんでもない動画を観てしまいました。

私のホロコーストに対する知識は、ナチスがユダヤ人をガス室で大量虐殺したもので、その事実は確定しているというものでした。

また、ヨーロッパ諸国などにはホロコーストについてのタブーがあり、ホロコーストはなかったという発言をするだけで罪に問われるということも知っています。


後者については、私は自由を尊重する立場からすると、そういうタブーはなくして、学術的な調査や発表は自由にできるようにすべきだと思います。

逆にそうやって法律で押さえつけてまで事実を変更できないようにしたかったのは、その事実が不確実だったからではないかと疑いたくもなります。

しかし、先に書いたように、私はナチスの虐殺を事実だと信じていましたし、疑うこともしませんでした。何ら根拠もなく。ただ、多くの人がそれが事実だと言うから。


このことを、この動画で指摘され、私は愕然としました。もし同じ論法を使うなら、南京大虐殺も慰安婦も軍艦島で徴用工にひどい仕打ちをしたのも、全部事実ということになります。

それほど関心もなかったホロコースト問題ですが、なんとなく惹きつけられて最後まで観てしまいました。そして、証拠をもとに事実を明らかにしようとする作者の姿勢に心を打たれたのです。


興味のある方は、ぜひご覧になってください。

1本30分くらいで、本編は全部で20編です。他に番外編があります。
動画の構成は字幕とその読み上げ、資料などの画像からなっています。1.5〜2.0倍速くらいでも見られるので、急ぐ方はスピードを上げてご覧ください。

以下に順番に掲載しますが、最初に結論の「20章 個人的提言」をご覧になると、より面白く感じられるかもしれません。

1章 イントロダクション アウシュヴィッツの「ガス室」に関するとある事実について。


2章 強制収容所での生活、労働環境について。


3章 強制収容所での防疫、医療について。収容所の囚人の死者数の合計について。


4章 ホロコースト論争の基本構図。「正史派」と「修正派」の主張の違い。


5章 ホロコースト正史の公式設定について。


6章 アンネ・フランクの運命から見えてくる「事実」について。


7章 ホロコースト正史の根拠となる物証、写真について。


8章 正史の根拠となる文書資料について。


9章 正史の「間接証拠」とされる文書群について。


10章 「ガス処刑」の目撃証言について。


11章 ダッハウ収容所の「ガス室」について。


12章 マウトハウゼン、ハルトハイム城、ザクセンハウゼンの「ガス室」について。


13章 マイダネクの「ガス室」について。


14章 アウシュヴィッツ中央収容所の「ガス室」について。


15章 ビルケナウの焼却棟4、5の「ガス室」について。


16章 ビルケナウの焼却棟2、3の構造、機能について。


17章 焼却棟2、3における「ガス処刑」の物理的可能性について。


18章 焼却棟2、3の実際の使用について。


19章 「ホロコースト正史」を支えてきたもの。ユダヤ人迫害政策についての道徳的評価。


20章 個人的提言



【番外編】

1章 アウシュヴィッツにおける様々な犠牲者数の根拠について。


2章 アウシュヴィッツの焼却炉の能力について。


 

私がこの動画を観たきっかけは、たまたまアイヌに関する動画が表示されていたので、面白そうだと感じで観たことでした。以下にその動画も貼り付けておきます。

何??「アイヌは先住民族ではない」→???→調べてみた。


この動画を観て、この方の真実を探る姿勢に共感したので、まあちょっとホロコーストも観てみるかと思ったのです。

しかし、最初からガーンとやられました。証拠がないのに事実だと言えるなら、南京大虐殺も慰安婦の強制連行も事実になると指摘されたからです。

そしてのめり込むように全編を観てしまいました。本編最後の動画で、こういうことを言われています。

ホロコースト論争とは、歴史論争であると同時に、600万人の計画殺人という、史上空前絶後の冤罪疑惑についての論争と言い換えることが出来ます。
冤罪というものが、人権被害なのだとすれば、それを晴らす最初の目的は、誰よりも被害者の名誉を回復することでなければなりません。

相手がヒトラーなら、どんな汚名を着せてもかまわない、などということはないはずですね。
「神との対話A」では、ヒトラーは天国へ行ったとして、ヒトラーは彼の価値観において間違ったことはしていない、と言い切っています。
ヒトラーを私たちの一員だと認めないなら、私たちは「ひとつのもの」にはなれません。

そして、現代の欧米が移民問題で苦しんでいることについて、それを「ヒトラーの復讐」と言われています。
ヒトラーが行った異民族の排斥を極端に嫌ったため、逆に異民族を無秩序に受け入れることとなり、そのために起った問題なのだと。
そういうこともあるのかもしれませんね。

そして最後にこう言われています。

私が、ホロコースト論争を通じて学んだ最大のことは、先入観以外に自分の中に根拠がない場合は、常に判断を保留しておくべきだということです。

結論ありきというものの見方は、えてして自分にとって都合のよい証拠だけをかき集め、都合の悪い事実に目をつむることになりがちです。
常に、何か見落としているかもしれない、他の考え方があるかもしれない、ということを頭の片隅において、事実を見るようにする姿勢が大事だと、私も思います。
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:03 | Comment(0) | 動画の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月10日

いま知っておきたい「みらいのお金」の話



Youtube動画で主に政治に関して話しておられる松田学(まつだ・まなぶ)教授の本を読みました。経歴を見ると、元財務官僚だそうで、今は東京大学大学院客員教授であり、松田政策研究所代表など、いくつもの顔をお持ちのようです。(「松田まなぶの公式ホームページ」はこちら)

松田氏は、まもなく本格的な「仮想通貨の時代」がやってくると言います。それによって、私たちの生活が大きく変わる可能性があると言われるのですね。そこでこの本では、「お金とはなにか」「仮想通貨の本当の存在意義」「お金を使いこなすための基礎」について、わかりやすく解説しているのです。

この本を読むのに、ITや金融の知識は必要ありません。社会人1年生のカナちゃん、その友だちのトシくん、そして「みらいのお金」の専門家マツダ先生の会話形式で書かれています。物語を読んでいる内に、自然と必要な知識が身につくという仕掛けですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

インターネットで海外の情報に簡単にアクセスできるように、仮想通貨は経済の国境を軽々と超えていくんだ。これは日本に暮らすみんなの仕事や生活にも大きくかかわってくる。」(p.38)

仮想通貨は、本来は暗号通貨と表現するのが正しいようです。インターネットにつながっていれば、どこの国にいても使うことができるお金。その国の貨幣に両替しなくても使用することが可能です。

とは言え、今現在ではそれほど多くの店では使えないし、決済に時間がかかるというデメリットもあります。その辺の改善がされないと、仮想通貨でお買い物、という時代にはならないでしょうね。


ブロックチェーンは、正直者しか使えないシステムと言っていい。後ろめたいことや、悪い考えのある人は使いたがらないだろう。まともにビジネスをしている会社はすべて帳簿をつけている。お金を使う人のすべてが、帳簿を正しくつけて、お金の流れが完璧に把握できるようになる世界が、仮想通貨では当たり前になるんだ。お金の流れはそもそも隠すものではない。もし隠したいという人がいれば、その人は脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)など、後ろ暗いことをして儲けているかもしれない。」(p.90)

ブロックチェーンは、お金のやり取りの記録台帳を、すべて保持する仕組みです。ビットコインでは、それを誰もが閲覧できるようにしてあるそうです。ただビットコインでは、参加者は匿名なので、個人情報が明らかにされるわけではありません。

しかし、お金のやり取りを見える化するということは、「神との対話」にも書かれていましたが、正直に生きる社会につながるように思います。


より正確に言えば、お金は「価値」を保存したり交換したり測ったりするものであって、「価値」そのものじゃないんだ。」(p.174)

お金そのものには価値がなく、道具に過ぎないという話は聞いたことがあります。実際、無人島に1人でいたら、どれだけ大金があっても意味ありませんから。それより、ペットボトルの水が1本でもある方が役立つでしょう。


日本の財政は深刻な状態にありますが、政府が暗号通貨を発行することで、これを救う手立てがあります。」(p.285)

以上の「松田プラン」は、@財政再建(赤字国債の消滅と将来の金利負担の軽減)、A日銀の出口戦略(バランスシート縮小)の円滑化、B新たな通貨基盤の創出、C国民の利便性の増大、を一挙に実現することになる施策です。」(p.287)

ここに簡単に「松田プラン」が説明されていましたが、私にはよくわかりませんでした。詳しく知りたい方は、松田氏の「サイバーセキュリティと仮想通貨が日本を救う」(創藝舎)第8章、または「米中知られざる「仮想通貨」戦争の内幕」(宝島社)第3章を読むようにとのことです。


三菱UFJ銀行は、独自の仮想通貨を「1コイン=ほぼ1円」の価値に調整すると発表している。」(p.309 - 310)

法定通貨を扱う銀行が、あえて仮想通貨の世界に進出するのは、これからは手数料ビジネスが成り立たなくなるという危機感があるからだと松田氏は言います。仮想通貨は「P2P」でスムーズに送金できるし、ATMも必要としませんから。

大手銀行が仮想通貨に参入するのは、新たなプラットフォームを提供することで、別の儲け口を得ようとしているのでしょう。


欧州中央銀行も500ユーロ紙幣の廃止を決定している。いずれも主な理由は犯罪対策だ。日本でもそれにならって、一万円紙幣を廃止できないかと考えている人もいる。現金は偽札のリスクもあるし、マネーロンダリングにも使われる。」(p.314)

日本で流通している紙幣の9割は1万円札なのだそうです。私たちの感覚では、千円札の方が多そうですよね。これは、それだけ現金がどこかでストックされていることを示しているのです。

それが犯罪に使われると、当然、裏のお金は税金にはつながりません。そういうこともあって、各国は最高額紙幣を廃止しようとしているのですね。


絵画の世界では伝統的に「誰がその絵の持ち主であったか」が重要視されてきたが、ブロックチェーンによってその履歴もたどりやすくなると期待されているんだ。農業分野でも、生産者まで記録が辿れるような安全な食物が求められているね。」(p.319 - 320)

ブロックチェーンの仕組みを使って、データ管理を行う企業が出てきたのだそうです。これまでの履歴がはっきりしていると、絵画では贋作が混じることを防げるのですね。

このようにブロックチェーンは、そのデータに「信用」を与えることになるので、価値の交換や保存ができて、お金に似たものになると松田氏は言います。仮想通貨は何種類もできて、それらを交換しながら、適切な仮想通貨を使う時代になると考えておられるようです。


このように契約などの手続きを自動的に済ませてしまう仕組みを「スマートコントラクト」といって、ブロックチェーンの活用方法として注目されているんだ。」(p.331)

たとえば、不動産を買ったと同時に登記の移転まで済ませるようなことができて、あちこちへ書類を出したり、何枚も署名捺印しなければならないという手間も省略できるのだそうです。

それぞれの場所で、それぞれの書類を必要とするのは、要はデータが共有化されておらず、かつ信用がないからです。それを一挙に解決できるのがブロックチェーンの仕組みだというわけですね。


「改ざんが不可能な形でデータを管理できる」「スマートコントラクトでさまざまな手続きを一度にまとめて行える」「仮想通貨でいろいろな価値を移転できる」。この三つだ。」(p.334)

これがブロックチェーンの革命的なところだそうです。これまでは、データ管理はコンピュータ、手続きは手動、価値の移転はお金を使っています。それが同一の仕組みの中で行われれば、社会は大きく変わると松田氏は言います。

なぜなら、これによって人びとにとっては非常に便利になるからです。また一方で、無用な作業が解消されます。単純なルーチンワークは少なくなり、人々はより創造的な仕事に取り組むようになるだろうと思われるのですね。


インターネットの世界では、「投げ銭」という仕組みがあって、歌や小説など気に入ったコンテンツがあったらその作者を支援する意味で、少額のお金を簡単にあげられるようになっています。これまでなら、振り込むのにも手数料がかかるため、そう気軽にお金を渡せなかったのに、その敷居が低くなったのです。

仮想通貨も、取引の手数料が安いので、人々が気軽にお金のやり取りをするようになり、経済が活性化するのではないかと思われます。

その仕組みを完全に理解するまでに至りませんが、入門書としてはとてもよい1冊ではないかと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

いのちの讃歌



神渡良平(かみわたり・りょうへい)さんの新刊を読みました。副題に「自らの人生を切り拓いた8人の物語」とあります。人生の困難を乗り越えた方々の生き様が紹介されていました。

神渡さんの本は、小説というスタイルと、安岡正篤氏中村天風氏などの思想を紹介するスタイル、そして今回のように、人の生き様を紹介するスタイルがあります。いずれも、人間としていかに生きるべきか、という問いに答えを出そうとするものです。神渡さんの他の本の紹介は、こちらからどうぞ。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

二十五歳で二歳年上の女性と結婚しました。しかし、奥さんは貴裕さんに頼りがいのある父親を求め、一方貴裕さんは、自分を捨てていった母親の傷を埋めてくれる愛を求めるので、次第にすれ違ってしまいました。夫婦それぞれが相手に依存し、相手から何かを得たいと思っているので、楽しいはずの新婚家庭がなかなかうまくいきません。」(p.19)

真永工業株式会社の久松貴裕社長の人生を紹介する部分です。温かい家庭を欲しながら、夫婦喧嘩をくり返して離婚してしまったそうです。

「神との対話」にも書かれていますが、間違った目的で関係を結ぶと、どうしてもこうなりがちですね。相手に何かを求めていると、だんだんと苦しくなってくるのです。


五十二歳になっていた私は、母と小学生の自分が裁ち板に向って紙袋作りの手内職をしている情景を、あたかも色褪(あ)せた記録映画でも見るように天井から見つめている。母と自分を同じ距離感で見ている。すると、母の気持ちが透けて見えてくる。」(p.37)

内観を紹介する部分ですが、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「気づきの力」(新潮社)に書かれた部分の引用です。

これはまるで死後の体験みたいですね。「神との対話」では、死後に人生を振り返ることができて、その時、自分の感覚だけでなく関係者の感覚も感じるとありました。

こういう相手の感覚を知ることによって、自分の思い込みに気付かされるのです。柳田さんは、母を手伝ってあげたつもりでしたが、母の苦しみを理解しておらず、むしろ迷惑をかけたことだったと気づきます。その気付きによって、本心からの謝罪をします。そしてそれが感謝に変わります。

内観が深くなっていくと、迷惑をかけた相手の心にまで思いが届くようになるから不思議です。相手の心がわかってくると、そこまで思いが至らなかったと、お詫びする気持ちになっていきます。すると、自己否定の中から、逆に感謝の気持ちが湧き起こってきます。一見矛盾しているようですが、これはもう体験の世界です。私たちは”謝意”を感じるから、無意識の内に”感謝”と書いているんですね。」(p.58 - 59)

内観研究所の清水所長の言葉です。神渡さんは内観をよく勧めておられます。1週間くらいの集中内観と、日々の内観(瞑想)を組み合わせるといいそうです。


この誦句は、自分のいのちは大宇宙に直結し、さらにはその結晶であるから、私という魂は宇宙と同じように完全で無欠なのだと確信し、一見障害と見えるものに勇猛果敢に挑戦していこうという気迫に満ちています。事実この確信さえあれば、いかなる障害も乗り越えていけます。自分という存在に置く全幅の信頼こそは天風先生の覚醒の確信です。」(p.65)

中村天風氏の「大偈(だいげ)の辞」を引用し、このように言われています。天風氏の悟りは、まさに「神との対話」で示されているように宇宙(神)との一体感なのだと思います。


高山さんは「人生のスイッチ」が入ったと強調します。地雷撤去活動に端を発し、村での日本語やパソコンの教育、井戸の設置、ゴミ減運動の指導、日本企業の誘致、日本留学の世話、地場産業の育成と、八面六臂の活躍です。」(p.122)

PKO活動でカンボジアの地雷撤去活動を行った高山良二さんは、自衛隊退職後に、まだやり残したことがあるとして、カンボジアに戻ってきたのです。高山さんの物語は、とても感動するとともに、頭が下がります。


なぜ、他者の生き方がこれほどまで自己の人間形成に影響を与えるのだろう。
 その理由のひとつは、人間がだれしも善さを求めて生きる存在であることによる。何が善いのか、どのように行動することが善い生き方なのかをつねに自分に問いかけ、同時に、夢や理想に向って生きようとしているのが人間である。
」(p.145 - 146)

鳥取県の八頭町立船岡小学校の林敦司校長の言葉です。林校長は伝記による道徳教育を推進しておられます。この本でも、ヘレン・ケラーが励まされたという塙保己一の話、世界的な博物学者の南方熊楠の話が紹介されています。

ここで林校長が、誰もが「善さ」を求めていると言われていました。そして、他の人の生き様に感動することで、「自分もあのように生きよう」と思うのですね。つまり、道徳的価値観、倫理観を教え込ませるのではなく、自分が気づくことが大切なのです。

「神との対話」でも、同じようなことが書かれています。私たちは常に選択を迫られており、愛と不安のどちらを選ぶのかが重要です。なので、「愛ならどうする?」「それは自分らしいか?」と自問することだと言うのです。


字がかけるようになったことは大きな自信につながりました。誠さんの目に力が入り、生き生きしてきました。そして毎月一回開かれる真民さんのファンの集い「朴(ほお)の会」で知りあった人々に、たった二本だけ動く指で積極的にハガキを書き始めました。
「指二本動いて、幸せのおすそ分け!」
」(p.206)

パン屋の主人、次家誠さんは、頚椎損傷によって首から下がまったく動かなくなったそうです。自暴自棄になりそうになりながらも、リハビリを重ねてこられ、やっと指が少し動くようになったのです。

私たちは、歩いたり運動したりすることを「当たり前」だと思っているから、身体が正常に動くことに感謝しません。だから幸せになれないのですね。次家さんは、全身のマヒを体験することによって、それが「当たり前」ではないことを身にしみて知ったのです。

同じような体験をしたいとは思いませんが、こういう方がおられるのだなぁと想像してみると、自分の身体に対して「ありがたい」という気持ちが湧いてきますね。


この本には、多くの無名の人が登場します。無名であっても、その生き様はどれも素晴らしいと感じます。神渡さんがこうやって紹介してくださることで、私たちは居ながらにしてそういう素晴らしい生き様を知ることができます。

伝記で道徳教育の話がありましたが、人の生き様を知ることは、自分の生き様を考える上でとても役立つと思います。そして私たちも、自分の生き様によって、他の人に影響を与えるのでしょう。どう生きるのか? それを深く考えさせてくれる本でした。

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2019年04月01日

82年生まれ、キム・ジョン



話題になっていた小説を読みました。著者は韓国人のチョ・ナムジュ氏。訳は斎藤真理子氏です。

韓国で100万部売れたというのですから、韓国人の心を捉えた内容なのだろうと思いました。帯にあるように、映画化も決定し、この翻訳された本も、日本国内でかなり売れているようです。女性の共感者が多いようですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

まず、この小説はとても風変わりです。そのことが訳者あとがきに書かれていたので、それを引用します。

一人の患者のカルテという形で展開された、一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。そのことがかえって、読者に強く思考を促す。
 小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。リーダブルな文体、ノンフィクションのような筆致、等身大のヒロイン、身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。「文学っぽさ」を用心深く排除しつつ、小説としてのしかけはキム・ジョンの憑依体験に絞りこんで最大の効果を上げている。
」(p.186)

主人公のキム・ジョンが、ある時、まるで他の人が憑依したかのように、多重人格の症状を見せます。それを心配した夫が精神科医に診てもらうようにしたのですが、その精神科医のカルテという形で、キム・ジョンの生い立ちが書かれていきます。

しかし、正直に言うと、読みながら飽きました。面白くないのです。それは、ここにも書かれているように、まったく小説らしくないからです。延々と女性差別の実体が語られているような内容です。


キム・ジョンの両親は、貧乏の中で子どもたちを育てました。内職をする母に対して父は、苦労をかけることを詫ます。すると母は、次のように言ったそうです。

あなたが私に苦労させてるわけじゃなくて、私たち二人が苦労してんの。謝らなくていいから、一人で一家を背負ってるみたいな深刻な顔しなさんな。そんなこと誰も命令してないし、実際、そうじゃないんだし」(p.27)

このセリフの背景を考えると、夫が家族を支えるのが当たり前という社会的風潮が根底にあることが伺われます。

ただ、たしかに正論なんですが、そういう社会的背景があることを前提にするなら、もう少し夫を思いやる言い方があってもいいのではないか、とも思うのです。女性だけが差別を受けて苦しんでいる、という被害者意識が、かえって生きづらくしているのではないか、と感じました。


この本には、学校や家庭や会社や社会での、様々な女性蔑視が描かれています。セクハラもあります。話題になったトイレの盗撮という事件も描かれています。子どもを生むのかどうか、生むなら男かどうかなど、家族や親戚からの干渉も描かれています。

ここで描かれた内容は、かつての日本にも普通にあったと思いました。しかし、日本ではかなり改善されていると思うのですけどね。それは、私が男性だからそう思うのでしょうか?

たしかに、そうかもしれません。いまだに、子どもをつくるのかどうかで干渉する人は多数いますから。でも、そうでない人も、日本では多いと思います。跡取り息子という言葉も死語に近くなってきたし、「家」という概念がほぼなくなっているように感じます。


キム・ジョンが大学の時、付き合っていた彼氏と別れた直後に、ある事件がありました。
前からキム・ジョンに好意を抱いていた先輩に対して、他のサークル仲間が応援するから頑張れと話しているのを、キム・ジョンは聞いてしまったのです。寝具に埋もれてうたた寝していたので、他の人たちは本人がいることに気づかなかったのですね。

その時、頑張れと言われた先輩は、みんなにこう言い返しました。

要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか」(p.85)

キム・ジョンは、優しい先輩だと思っていただけに、この言葉にショックを受けます。

酔っているのかもしれない。照れているのかもしれない。または、友だちがよけいなお世話をするのではと思って、わざと乱暴な言い方をしたのかも。可能性はいろいろあったかもしれないが、だからといってキム・ジョン氏のすさまじく傷ついた心は癒されなかった。」(p.86)

こういうところも、なんだかなぁと思うのです。本人を傷つけようと言ったわけではないし、面と向かって言った言葉でもありません。それに、彼の立場を充分に想像できるのに、と。

とは言え、そう言われたらショックを受ける気持ちもわかります。ここにも背景があって、男の女性経験は問題にされないのに、女は1人の男に仕えるべきだという考え方です。処女信仰という言葉もありましたね。

ただ、この部分も現代の日本では、ほぼなくなった社会背景ではないかと思うのです。韓国ではまだあるのでしょうけど。


日本では考えられない女性蔑視が、韓国にはまだまだあるのだろうと思います。たとえば、キム・ジョンが就職面接に行く時にタクシーを拾ったら、運転手からこう言われたのです。

ふだんは最初の客に女は乗せないんだけどね、ぱっと見て面接だなと思ったから、乗せてやったんだよ」(p.93)

いやいや、こんな運転手は日本では絶対にいないでしょう。でも、韓国ではよくいるのでしょうね。

たしかにかつての日本にも、女は汚れているという考え方がありました。大相撲では女性を土俵に登らせないとかありますからね。でも、そういう特別な場所以外で、女性が汚れてるという価値観を持つ人は、まずいないと思うのですけどね。


しかし、韓国の方が進んでいるところもあります。

結局、戸主制度は廃止された。二〇〇五年二月、戸主制度は憲法で保証された両性平等の原則に違反し、憲法に合致しないとの決定が下され、まもなく戸主制度廃止を主たる内容とする改正民法が交付され、二〇〇八年一月一日から施行された。」(p.124)

韓国は、夫婦別姓なのですが、子どもは父親の姓を名乗っていました。戸主は男と決まっています。日本にも家制度がありましたが、それが続いていたのですね。

日本は、家制度そのものは廃止したものの、戸籍は残ったままです。そこには戸主が記載されます。もちろん、女性でもいいのですけどね。ただ、家制度の名残があるために、相変わらず男性が一家の大黒柱という考え方が残っています。学校でも「父兄参観」のように、「父兄」という言葉がいまだに使われているようです。


これに腹を立てたキム・ジョン氏は、時差出勤する気はありませんからと言ってしまった。みんなと同じ期間に出勤して同じように働き、一分も丸もうけする気はないと。だが、だからといって破裂しそうな地獄の通勤列車には耐えられそうにない。結局キム・ジョン氏は一時間早く出勤することにし、うっかり言ってしまったあの一言を後悔しつづけた。それにもしかしたら、女性の後輩の権利を奪ったのかもしれないという気もする。与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになるという、このジレンマ。」(p.132)

妊娠したキム・ジョンは、会社の規定で30分のフレックスが利用できたにも関わらず、それを選ばなかったのです。

この葛藤はよくわかります。もちろん、男性社員の「いいよなぁ女性は」と言いたくなる気持ちもわかるのですけどね。「だったら女になって子どもを産めよ!」と言い返されたら、シュンとするより他にないのですが。

ただこれは女性差別というより、違いを理解し合えてない、受け入れていない、ということではないかと思うのです。会社側(男性社会)にも、女性に優しくしようという気持ちはあって、それでこのような制度を創ったのでしょうから。

女性の側にも、甘えてはいけないというような価値観があって、素直に恩恵を受けられないという問題もありそうです。

そもそも違いがあるのですから、男女をまったく同じように扱うことは不可能です。生理休暇や妊娠休暇などが男性に認められないからと言って、不公平とは言えないでしょう。では何日だったら公平なのか? 質が異なるのですから、どう決めたとしても、万人が公平とは感じない可能性があります。それでもどこかに線を引いて、公平と思われる基準を打ち立てるしかないのだろうと思うのです。


その後、出産を機に、キム・ジョンは退職することになります。夫の方が稼ぎが多かったし、その方が一般的だったから。その時、夫から言われたことにキム・ジョンは反発します。

「子どもがちょっと大きくなったら短時間のお手伝いさんに来てもらえばいいし、保育園にも入れよう。それまで君は勉強したり、他の仕事を探してみればいいよ。この機会に新しい仕事を始めることだってできるじゃないか。僕が手伝うよ」
 チョン・デヒョン氏は本心からそう言い、それが本心であることはよくわかっていたけれど、キム・ジョン氏はかっとなった。
 「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる? 家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。この家はあなたの家でしょ? あなたの家事でしょ? 子どもだってあなたの子じゃないの? それに、私が働いたらそのお金は私一人が使うとでも思ってんの? どうして他人に施しをするみたいな言い方するの?」
」(p.136 - 137)

妊娠うつのような状態だったのかもしれません。しかし、これを言われたら夫の立つ瀬がないよなぁとも思うのです。

もちろん正論ではあるのですが、それぞれに分業しているのですから、相手の業務を「手伝う」と言っても悪くはないでしょ。もちろん、「産む」という仕事は女性にしかできませんが、子育てや家事は夫がやってもいいのです。キム・ジョンが復職して、夫のチョン・デヒョンが主夫になることだってできるでしょう。

ただこの部分は、最初のキム・ジョンの母親の言葉とよく似ています。おそらく背景に、ずっと抑えつけられてきたという無意識の思いがあるのでしょうね。


全編を通して、何だか重い空気を感じます。キム・ジョンの被害妄想的なものを感じるからです。
訳者あとがきで「処方箋がない」という言葉がありましたが、まさに何ら解決策が示されません。明確に悪者がいるわけでもないため、怒りの持っていきようがない感じです。

けっきょく、私たち一人ひとりが意識を変えていくしかないのでしょうね。そのためには、現状がどうなのかを知ることも大事なのでしょう。
男性から見れば「大したことない」と思えることも、女性からすれば「大したこと」と感じることがある。それは、個人差もありますが社会背景や性差もあるでしょう。

違いは、理解し合えるなら理解した方がよいのですが、理解できないなら相手の思いをそのまま受け入れるしかないのだろうと思います。相手がそう感じていることは事実なのですから。たとえそれが理由がないことに思えても、理解できない何かがあると思って、受け入れるしかないと思うのです。

本の内容としては、私は申し訳ないけれども面白いとは思えませんでした。でも、読んでみる価値がないとは思いません。いろいろと考えさせられましたから。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月29日

ドMのあなたが人生を100倍楽しくする100のルール



Facebookで友だちが紹介していたので、Kindle版を買って読んでみました。
著者は研修講師のア本正俊(さきもと・まさとし)さん。損害保険の営業をされてた時に2000万円の借金を作って自己破産寸前に。そこから気持ちを切り替えて10ヶ月で完済したという経歴の持ち主です。

ア本さんは、何よりもマインドセット(気持ちの持ち方)が重要だと言います。それは自尊心を持つことです。
その対極なのが、自己卑下し、罪悪感を抱える自虐的な「ドM」なのだと。けれども、そんな「ドM]の人でも人生を謳歌できるし、そのための100の方法を示したのが本書になります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

どんな すばらしい やり方 を 聞い ても、 できる と 思わ なけれ ば、 やれ ませ ん。
  現状 を 受け止め て 過去 を 認め、 未来 を どう し たい か、 どう なり たい かを 決め ない と、 でき ませ ん。 そもそも やれ ない ん です。
  スキル を いくら 学ん でも、 この 2つ が 欠け て い たら 無理。 メンタル イコール 心、 つまり、 しゃべっ て いる 言葉 です。
」 (Kindle の位置No.208-211)

スキルの前にメンタルが重要だと言います。そして、メンタルをわかりやすく表すのは言葉だと言うのですね。
小林正観さん斎藤一人さんなども、心を整える前に言葉を整えることが重要だと言っています。

そして「できる」と思うことと、目標を定めることですね。その2つを言葉にして出すことが重要なのです。


この うち、 自己 信頼 の ほう が じつは 難しかっ たり し ます。 だから、 そっち は 後まわし に し て、 他者 信頼 から いっ た ほう が 早道 です。
  この 人 の 言う こと なら 信じ られる → この 人 の 言う こと を 信じ て いる 自分 は 信じ られる → 自分 を 信じ られる。 こうして 自己 信頼 も 上がり ます。
」(Kindle の位置No.343-345)

自分を信じることができれば一番いいのですが、自信がない人は、他人を信頼する方が簡単だと言います。面白いテクニックだと思いました。

ア本さんは、神社で神頼みするのも他者信頼だと言います。そう言えば一人さんも、自分の中には神様がいるのだから、自分には無理でも神様ならできると思えばいい、と言われてましたね。


おいしい パン を 食べ たい。 だっ たら 100 円 の パン を 3 個 買わ ず に、 300 円 の パン を 1 個 買う。
  お 腹いっぱい 食べ たい。 だっ たら 100 円 の パン を 3 個 買う。
  どっち も 間違い じゃ ない。 望ん で 選ん だ ほう が 正解 に なる ん です。
  未来 も 同じ。 間違い は ひとつ も あり ませ ん。 やり たい と 思う なら それ が 正解。
」(Kindle の位置No.815-819)

正解は必ずしも1つではないのですね。他人が何を選ぼうと関係なく、自分が望むものを選ぶのが正解なのです。


主婦 だ から 当然 だ と 言い ます が、 あたりまえ の こと なんて この世 に ひとつ も あり ませ ん。 それ を あたりまえ と 思っ て 感謝 せ ん から 不幸 に なん ねん!
  ちなみに 僕 が 思う 夫婦 円満 の 秘訣 は、 尊敬 と 信頼 と、 ある程度 の 距離感。
  自分 は そう し て もらい たい から、 自分 からも 心がけ て い ます。
」(Kindle の位置No.1463-1466)

洗濯や掃除を器用にこなすことは、主婦だから当たり前ではないのだと言います。同じものを見ても「すごい」と思えば、感謝の気持ちが湧いてきます。

ここで面白いのは、夫婦円満のコツが「尊敬と信頼」と「距離感」だとしていること。「コミュニケーション」とか「優しさ」などではないのです。私もア本さんの考えに賛成ですね。「距離感」とは「自由」のことだと思います。尊敬し、信頼し、そして縛らないことですね。

そして、自分がそうしてほしいことを相手に対してする。これは黄金律(ゴールデン・ルール)です。


誰 かを 大事 に する のと 同じ よう に、 自分 の こと も いたわっ て あげ て ください。 人 に やっ て あげ たい こと を、 自分 にも やり ましょ う。」 (Kindle の位置No.1473-1475)

まずは自分を大事にすることですね。ア本さんは、家族に美味しいものを作ってあげたいと思うなら、まず自分が美味しいものを味わわなければ、何が美味しいかもわからないと言います。言い得て妙ですね。


「人生はしゃべったとおりになる!」がモットーのア本さん。セミナーでは、「自分はダメ」と思い込んでいる「ドM」の人たちが変わるお手伝いをされているそうです。
100の方法が本書では示されていますが、気になった1つでも2つでも実践することが重要ですね。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:39 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月05日

日本の歴史・第3章

これまでに紹介した「日本の歴史・第1章」「日本の歴史・第2章」の続きです。

神谷宗幣(かみや・そうへい)さんがやっているCGSチャンネルで、ねずさんこと小名木善行(おなぎ・ぜんこう)さんから日本の歴史の話を聞くシリーズ。

今回は第3章で、飛鳥時代の話です。1回10数分ですので、ぜひご覧になってください。






















 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:47 | Comment(0) | 動画の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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