2020年07月07日

チャラリーマンだった僕が人生は宝さがしだと気づいたら、世界に羽ばたくサムライ書家になっていた。



ちょっと長いタイトルなのですが、私の友人で書家の小林龍人(こばやし・りゅうじん)さんの本を読みました。小林さんの初出版ということで、買わせていただきました。

タイトルが長いのですが、「人生は宝さがし」の部分が大きく書かれています。ここだけをこの記事のタイトルにしようかとも思ったのですが、「チャラリーマン」という言葉が彼を表現するのにとても重要だと感じたので、長いままにしておきました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

小林さんは、見てくれだけを重視するチャラチャラしたチャラリーマンだったと自分のことを言います。しかし内心は、自分はできる男だと思っていたようです。そんな小林さんのプライドをズタズタしたのが、彼女にフラれた事件だったとか。

ただフラれたのであれば「仕方がないか〜」で終わったかもしれない。けれど、僕としては別れたつもりがないのに、飲み会で彼女とほかの男の交際宣言&キスシーンの場に居合わせた。
 僕の高いプライドはもうズタズタ。怒りと悲しみに打ちひしがれ、「こうなったら”できる男”になって見返してやる!」と思い立った。
」(p.018)

そこから本を読み、セミナーに通うという、これまでとはまったく違う生活になったのだそうです。


小林さんはその後、会社を辞め、若者向けのカウンセリングをしようと思い、路上に座る活動を始めます。そこで立ち止まってもらうために、気に入った言葉を筆で書いて並べるようになったのだとか。

それがきっかけで、かつて習っていた書を、本格的に再開した小林さんは、ある時、龍の文字の最後のハネに龍が現れたような書ができたそうです。そこから、龍が現れる書を追求することになるのです。

あまり狙ったり考えながら書いたりしても、ダメなのかもしれない……。
 そう思った僕は、それから書を書くときは、線に集中する、体の力を抜くなど、自分の心と体の状態を意識し、特に、心で書く、右脳(感性)で書くことに意識を向けるようになった。
 すると、しだいに、”龍”が現れる回数が増えていった。
」(p.047)


小林さんが路上に座ってカウンセリングを始めたのは、ある人から勧められたからでした。しかし、プライドの高さが邪魔して、すぐにそのアドバイスを受け入れることができません。けれども、話をしているうちに心の奥底から突き動かす何かが湧いてきて、最終的にはやることに決めたのだそうです。

頭(理性)と心(感情)が求めるものが食い違うとき、それまでの僕は、頭で考えることを優先してきたように思う。でもそのときは、なぜか、心が喜ぶほうを選択したのだ。
 もし、路上に座り込んでカウンセリングをするという選択をしていなければ、今の僕は間違いなくいない。
」(p.073)

何かを直感的に感じて、それを受け入れることによって、人生は開けていくのでしょうね。


小林さんはある時、人から紹介されてセミナーに参加したことがあったそうです。そんなに気乗りはしなかったそうですが、その人が非常に熱心に進めるので、とりあえず1回は行ってみようかと思ったのだとか。

でも、その「1回は勧めにしたがってみる」という考え方で行動したことで、師と仰ぐ白石念舟先生と出会ったと言います。幕末のことをまるで見てきたかのように語る白石先生に魅了され、人生の師と思ったのだそうです。その白石先生から、幕末の志士、坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰らの直筆の書を間近で見させてもらって、そのエネルギーを感じたそうです。

先生いわく「書体はまねできてもその人の想いや波動、気まではまねできない。本物の作品からは風が吹いてくる」とのことだった。
 僕には先生のような感覚はわからないけれど、初めて本物の西郷隆盛の書を見たとき、墨の乗り具合に魅力を感じ、素直にすごい書だなと思った。
」(p.115)

本物の書を見ることで、小林さんの感性が磨かれていったようです。


その後、小林さんは、海外での活動が増えていきます。これもまた、いろいろな縁があって可能になっていったのです。しかし、単に偶然だったわけではなく、すぐに行動してみる小林さんの行動力によって、多くの人とつながっていったのです。

最初のミラノ万博日本館認定芸術展に出展した時も、単に海外の展示会に出展したという実績作りだけが目的だったと言います。しかし、その飛行機がアブダビでトランジットだとわかった時、同じUAEのドバイにFacebookで知り合った友人がいることを思い出し、ドバイでも活動したいという思いが沸き起こり、すぐに行動に移したのです。

そのとき役に立ったのは、”今”自分ができることは何なのかという意識だったように思う。物事を意識すると、それまで見えなかったいろいろなサインやつながりが見えてくる。その結果、自分が気になったものに対して行動する。」(p.178)

初めてのことをしようとすれば、不安になるものです。小林さんもそうでしたが、声がかかったなら必ず受ける。そう決めて行動していったそうです。

なんでも気になったこと、やりたいと思ったことはやってみる。それでどうなるか、結果には執着しない。そうすることで、タイミングが合ったときに何事も自然にご縁が生まれ、物事が好転していくように思えた。」(p.193)


私と小林さんとの出会いは、2011年6月の箱根出版ブランディング合宿というセミナーでした。1泊2日のセミナーで、箱根のホテルで行われました。夜、食事の後にビールを飲みながら、話をしたのがきっかけです。

その後、小林さんの「龍」の書を買ったり、私が好きな言葉を書いてもらったりして、関係が続いていたのです。

その小林さんが、海外へ進出され、そしてついに出版もされた。しかも、「神との対話」シリーズを出版しているサンマーク出版さんから。すごいなぁと思います。本当におめでとうございます!そして、今後のますますの活躍を心からお祈りしています。

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タグ:小林龍人
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2020年06月27日

やりたいことをやるために、好きなものを好きだと言うために、僕らは生まれてきたんだ。



非常に長いタイトルですが、坂爪圭吾(さかつめ・けいご)さんが初めて出版された本を買いました。

坂爪さんのことは、「いばや通信」というブログで知り、Facebookでもフォローしていました。バンコクに来られたこともあり、お話し会に参加して、話をお聞きしたこともありました。

坂爪さんは、住むところをなくしてから、定住の場所を持たず、仕事もせずに暮らすという生活をされていました。この前「嫌なこと、全部やめても生きられる」という本で紹介したプロ奢ラレヤーの方と似たような感じですね。そういう自由なところが気に入っています。

また、後から知ったのですが、以前に「セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱」という本で紹介した坂爪慎吾さんは、実のお兄さんだったそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

自分で自分を決めつけない方がいい。自分は大丈夫。自分はダメ。自分は未熟。自分は愚か。私たちは油断すると、すぐに自分で自分を評価する。
 でも、これからの自分を決めるのは、今までの自分じゃない。
 自分もまだ知らなかった自分が、見つけられることを待っている。

 人生を楽しもう。
」(p.006)

自分はこうだと決めつけてしまうと、想定外の自分に出会えなくなると言われるのですね。だから決めつけず、楽しんで生きようと。


不安を原動力に生きる場合、いつまでも不安から逃れることはできない。「不安だから貯金をしよう」とか「不安だから資格を取ろう」などと考えて行動を起こしても、常に満ち足りることがなく、100万円貯めれば今度は200万円貯めなければ不安になるし、ひとつの資格を取ったとしても、今度はまた別の資格が必要になるのではないのかと新しい不安が生まれてくる。」(p.040)

もちろん、私自身に不安がないと言えば嘘になる。ただ、基本的には不安を日常的に意識することは少ない。それはなぜか、自分なりに考えてみた結果、それは「希望」をベースに生きているからなのだろうなと思った。」(p.041)

坂爪さんは、定住しない、定職を持たないという生き方をされています。それに対して、「不安にならないのか?」と尋ねられることが多いとか。坂爪さんは、そういう質問をする人の中に、そういう不安があるのだろうと思われるそうです。

まさにそうですね。不安を動機とすれば、不安が消えることはありません。坂爪さんは、定住しなければならないとか、定職を持たなければならないといった世間の常識をひっくり返したい、という強烈な欲求があるのだそうです。その「希望」が支えているのだと。

自分の日常的な行動の中で、「不安」ではなく「希望」を原動力にやれることを増やしていくこと。人生の十分の一でも構わないから、希望をベースに行動を起こせる何かを増やしていくこと。」(p.046)

いつも「不安」に突き動かされるのではなく、何か「希望」を動機として突き進むようなことを、少しでもやっていくことが大切だと坂爪さんは言います。これは、バシャールが言う「わくわくに従って行動する」ということと同じだと思いました。


何もしたくない時には、何かをしたくなる時まで、ただ、何もしないでいればいいのだと思う。

 何かをしなければいけないという罪悪感に駆られている時間はつらいけれど、その時期を超えた先には、前よりも透明で、前よりも強い、そして、前よりも揺るぎのなくなっている自分がいるのだと思う。
」(p.069)

何かをしなければ不安になる、ということがあります。そこでも不安に突き動かされるのをぐっとこらえて、何もせずにいることが大切だと坂爪さんは言われるのです。

だが、私は「どう転んだとしても、大丈夫だ」と思う。
 そして、実は誰もがそのことを知っているのだと思う。
 傷ついても、嫌われても、ひとりきりになったとしても、自分(あなた)は、自分(あなた)が大丈夫なことを知っている。
 自分には力があることを知っていて、自分は、自分が「幸せになる」と決めただけ、幸せになれることを知っている。
」(p.069)

私たちは、本当は自分を幸せにする力を持っていて、何があろうと大丈夫だということを本当は知っている、と坂爪さんは言います。自分の自由で、不幸になったり幸せなったりしているのだと。


今なら確信を持って言える。人生はどうにかなる。生きていれば何度でもやり直せる。人生は何が起こるかわからない。でも、地球全体は常にバランスを保つようにできていて、私自身も何度も何度も「もうダメだ……もう終わりだ……」と過剰に塞ぎ込んだりしてきたが、今もこうして平気な顔をして生きている。様々な問題をクリアしてこその今があるのだ。

 自分がダメなのだと塞ぎ込むのではなく、自分は自分で最高なのだと開き直ろう。完璧な人間になる意味も必要も価値もない。人間的な欠落を抱えたまま、ありのままの最高な存在として、黄金色に輝けばいいのだ。
」(p.088)


私も常々、「大丈夫、何とかなる」と自分に言い聞かせています。


金がないから幸せになれない。仕事がないから幸せになれない。恋人がいないから幸せになれない。環境が悪いから幸せになれない。
 これらは、全部、嘘だと思う。その気がないから、幸せになれないだけだ。幸せになら、今、この瞬間になれる。ただ、その気になればいいのだ。
」(p.103)

私も、幸せになるには、ただ幸せになればいい、意志の問題だ、と言っています。幸せになるかどうかは、選択の問題なのです。


まずはひとり。自分ひとり。
 仲間ができたら、とかではない。準備ができたら、とかでもない。最初はひとりでもやる。そして、出す。
 無視されても、罵倒されても、出し続ける。自分の世界に閉じこもるのではなく、外側の世界にコンタクトを続ける。ボールを投げ続ける。まずはひとり。
」(p.169)

前提条件を置かないことです。できるかどうかではなく、やるかどうか。ただ「やれ!」と坂爪さんは言うのです。

自分が自分であることを続けた分だけ、誰かの「そうするしかなかった」事情を汲み取れるようになる。

 だから、何度でも、何度でも、始めるんだ。始めたら、始めただけ、強くなる。そして、優しい人間になれるのだと思う。
」(p.171)

何かを始めて上手く行かないと、くじけそうになる。実際、くじけてしまうかもしれない。それでも、また初めてみる。そういう体験の中で、始められない人、くじけてやめてしまう人の心に、寄り添うこともできるようになるのですね。


坂爪さんは、Facebookでも素敵な言葉を発信しておられたので、幸せ実践塾のページでもシェアすることがよくあります。本を書くということについても、いろいろ問題があったようですが、こうやって形になったことをお祝いしたいです。おめでとうございます!

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タグ:坂爪圭吾
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2020年06月22日

すべては今のためにあったこと



修養団の元伊勢道場長・中山靖雄(なかやま・やすお)氏の本を読みました。2013年発行の本ですから、かなり古いものです。何かに紹介されていて、興味を抱いて買ったものです。

修養団という団体のことは、すでに知っていました。数年前に神渡良平さんの「照隅会」のゲスト講師として、修養団の寺岡賢(てらおか・まさる)氏が来られたからです。

どんな方なのかも存じ上げず、どんな話をされるかもわからずに聞いたのですが、聞いているうちにだんだんと前のめりになりました。そのくらい、感動的な講演だったのです。

あまりに感動したので、たしかDVDも買ったと思ったのですが、よく覚えていません。このブログで紹介したと思ったのですが、紹介していないようです。(寺岡氏の講演は、こちらのYoutube動画でご覧いただけるようです。)

ということで前置きが長くなりましたが、そういうことがあったので、「修養団」と聞いただけで、この本は間違いないと思って買ったのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私たちは今こうしてここに生まれてきているわけですが、古来ずっと続いてきた夫婦がいなければ、生まれることはできませんでした。「いもおせ」つまり、「夫婦」が、命をつなげてきたことで、私たちは今ここに生を受けているのです。
 じつは、夫婦というものは、お互いの魂を磨くために出会っています。思いがけない心を湧かせ合い、それに気づきお互いが綺麗になっていくというご縁なのです。
」(p.23)

修養団は伊勢にありますが、伊勢は「いもおせ(妹背)」のことだと言います。そこで、まずは夫婦のことを語っています。

夫婦は、互いの魂を磨くための存在。だからぶつかりあう。ぶつかり合いながら、磨かれ合っていく。なので中山氏は、いっぱい喧嘩するようにと結婚式で話すのだそうです。日々の修養のために、もっともふさわしい相手と結婚するのですから。


人生では、自分の力ではどうしようもないことが起こることがあります。そういう時こそ、「いいふうに」取れるかどうかが大事です。しかし、そのことは頭ではわかっていても、実際にその場ではなかなか考えられないものです。ですので、日頃からの修養が大切なのですね。」(p.143)

私の家内のモットーは、
 「済んだことはみんないいこと。これから起きることもみんないいこと。わたしに悪いことが起ころうはずがない」
 です。済んだことはみんないいことですし、これから起きることもいいこと。そういうふうに思えたら、今の人生をすべてこのままでやらせてもらうというだけになります。そうしたら、いいご縁がどんどん湧いてくるのです。
」(p.143 - 144)

実際は、悪いこともいっぱい起こります。しかし、その時は、そのように生きていくしかないのです。どんな出来事にあっても、自分が悪いことだと思わなかったら、それでいいのですから。
 天がそれを起こされたのだから、「あっ、そうなんですか」というだけのことです。それを苦にするか苦にしないかだけのことです。
」(p.144)

起こることはすべて必然で無駄がない。すべては完璧で最善だ。私がいつも言っていることですが、そういう心構えですね。


ある時、中山氏が、講演が立て込んでいて食事の時間が取れず、移動中のタクシーの中で買った巻き寿司を食べようとしたことがあったそうです。タクシーの運転手に断りをいれようとしたら、「やめてください」と拒否されたのだとか。

まさか断られるとは思っていなかったので、中山氏はむっとしたそうです。黙って食べても良かったところをわざわざお願いしたのに、それを断るとは何事だ!、客を客とも思ってないのか! という思いです。それで、隠れて食べてやろうかと考えたそうです。

しかし、すぐに考え直したのだとか。冷房が効いた車内に寿司の臭いが残れば、次の客が嫌がるかもしれないし、そのことで客が運転手に文句を言ったら、運転手も困るだろうと。

それで中山氏は、運転手にお詫びして、お寿司をカバンに戻したそうです。

このように、自分を育てるために、天がいろいろなお役の命と出会わせてくださる「仕合わす世界」「出会わしの世界」があると思うのです。
 どんな出会いも、理由があって出会っているのです。
 そして出会いはみんな、自分のためにあるのです。
 いろいろな出来事が起こることで、人はみな自分と出会っていきます。いい人でありたいと思っていても、思いがけず湧かされるいやな思いが誰にでもあります。そういう出来事に出会いながら、「ああ、自分にはこういう一面があったのだなぁ」と自分のことを一層理解する。そして、人のこともよりわかって生きていけるようになるのです。
」(p.153)

嫌な出来事も、何か気づきを与えてくれます。それは1つに、自分自身の意識していなかった一面です。そこに気づくことで、改めることができ、より素晴らしい自分になれます。

その気付きによって、出来事そのものに感謝することができます。嫌な他人に対して、出会ってくださってありがとうございます! と言えるのです。


中山氏には4人の息子さんがおられるそうですが、4人とも不登校がひどかったそうです。「一難(男)去ってまた一難(男)」などと面白いことをおっしゃられますが、実際その時には大変だったことでしょう。

ご自身が、他の人に対して人生の道を語りながら、自分の子どもたちは良い子に育っていない。自分の子どもでさえまともに育てられない人間が、他人に対して偉そうなことを言う資格があるのか? と悩まれたことでしょう。

中山氏は外に出て仕事をされるので、子どもたちと直接に向き合うことは少なかったようです。しかし奥様は、毎日家で引きこもっている息子さんたちと接するのですから、より大変だったかもしれませんね。

家内は家内なりに悩んだうえで、息子が学校に行かない日を「今日子どもが学校へ行ったら交通事故に遭って死ぬ日」と、自分で決めたのです。」(p.165)

その日、もし息子さんが学校へ行ったら、交通事故で死んでしまう。学校へ行かなかったら、他人から「中山先生の子なのに・・・」などと陰口を叩かれる。どっちがいいのか? と自問したのです。

そしたら、ぐうたらしていても、何をしてもしなくても、生きていてくれていたら、それでいいなぁと思えたのですね。
 これは自分の研修だと受け止め、息子のことは「これでいいんだ」ということにして、自分がこの出来事を乗り切るために、息子が交通事故に遭う日にしておこうとしたのです。
 そして、私たち夫婦にすれば、「子どものためになるなら何でもします」という気持ちになってくる。
」(p.165 - 166)

このように見方を変えることによって、相手(息子さん)を変えようとするのではなく、自分が変わろうとした。自分がやるべきことをしっかりやっているかだけを考えようとしたのです。

私も時々、妻の言動が気に障ることがあります。しかし、「もしこれが妻との最後の日だったら・・・」と考えて、妻に対して優しい自分でありたいと思うのです。


テレビや新聞で、子どもの虐待などそういう事件を知った時、自分とは関係のないことだと思われますか? それとも自分にもそういう種があると思いますか?
 そういう事柄に出会った時、虐待した人をただ一方的に責めるのではなく、私の中にあるそういう種を自覚させてくれているんだ、と受け止めてみてください。
」(p.169)

他人事ではなく、自分事として出来事を捉える。これを「居合わす」という日本の考え方だと中山氏は言います。すべての出来事は、自分が何かに気づくために起こっている。そういう考え方が大事なのです。


どんなご縁であっても、自分のためにその出来事に出会わせてもらっています。そのことを本当に納得し、「こういうご縁だったんだなぁ」と心から思えた時に、自分が解放されるのです。」(p.173)

辛く困難な出来事であっても、それも自分のため。それを心から納得すれば、自分が解放されるのですね。

中山氏は、学びに来ておられたご夫婦のエピソードを語られています。ある時、5歳になる娘さんが交通事故で亡くなられたのだそうです。その時ご夫婦は、事故を起こした人のところへ会いに行って、土下座をして詫びられたそうです。自分たちの気付きのために、人を跳ねて死なせるというご縁に会わせてしまったことを詫びたのですね。

娘を失った悲しみや、相手を許しがたいという思いもあったでしょう。けれども、真実はそうではないと理解しておられたのです。すべての出来事は、自分の気付きのために起こっている。それが真実なのです。

この話には後日談があります。30年後、娘さんの墓参りへ行ったら、ちょうどその事故を起こした人と出会ったのだそうです。その人は、30年間、1日も事故を起こしたことを忘れたことはなかったと言います。そして、許してくれたご夫婦の恩を忘れず、自分も他の人を許そうと思って生きてきたのだと。また、そのご縁を与えてくれた娘さんを神様のように思い、感謝し、お詫びしながら生きてきたと言うのです。

ご夫婦の生き方が、交通事故を起こしてしまった人の生き方にも、大きな影響を与えたのですね。人は責められて変わるのではなく、受け入れられて変わるのです。


出来事を完全に肯定する。それが、この本全体で語られていることだと思いました。すべての出来事は、今の自分のために起こるのです。

ただそれに気付けるかどうか。それだけが問われています。その気づきを得るために、日々の修養が大事だということなのですね。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:29 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月08日

まんが超訳『論語と算盤』



いよいよ新一万円札の肖像が渋沢栄一氏になるということで、渋沢氏の著書「論語と算盤」が話題になっています。
以前、その解説本を読んだことがあると記憶していますが、内容はすっかり忘れてしまいました。なので今回、手っ取り早く内容を知りたいなと思って、まんがの解説本を買いました。

想像していたのとはかなり違って、雑誌編集者の孝が、故・竹田和平氏をモデルにした吉田和平と出会い、インタビュー記事を書いていく中で「論語と算盤」の教えを体験していくというものになっています。

シナリオは、かつて竹田和平氏に弟子入りして人生を好転させたという山本時嗣(やまもと・ときおみ)氏が、その実話に基づいて書かれたそうです。ベストセラーとなった「現代語訳 論語と算盤」を参考とし、訳者の守屋淳(もりや・あつし)氏が監修されています。解説には渋沢氏の玄孫の渋澤健(しぶさわ・けん)氏、漫画構成は今谷鉄柱(いまたに・てっちゅう)氏、作画は新津タカヒト(にいつ・たかひと)氏となっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言ってもマンガなので、ストーリーの中でピンと来た部分を、セリフを引用しながら解説しますね。

今の境遇を「自己の本分」だと覚悟を決めることです。」(p.21)

これは「現代語訳 論語と算盤」(p.35)に書かれた言葉だそうです。たとえ逆境になろうとも、むしろ逆境だからこそ、そこに自分の進化を試される機会があると考えて、覚悟を決めて臨むことが大事なのですね。


本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない。」(p.51)

これも「現代語訳 論語と算盤」(p.86)に書かれている言葉です。単に儲けようとすれば、時に騙すことを考えてしまいがちです。そうではなく、誠心誠意、社員のため、お客様のため、社会のために、良いことをする。それでこそ永続する事業だということです。


「理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない」と。」(p.58)

これも「現代語訳 論語と算盤」(p.108)に書かれていて、孔子の言葉の引用です。これを吉田和平は次のように意訳します。

要は「ワクワクして熱い真心を持って仕事をしましょう」ということです。」(p.58)

仕事は、嫌々やるのではなく、楽しんでやることが重要なのです。


そして、楽しみながらもコツコツとやり続けることが大事です。そのために、次のように言います。

「1日を新たな気持で」。殷王朝を創始した湯王が大事にしていた言葉です。」(p.65)

これも「現代語訳 論語と算盤」(p.112)に書かれているそうです。初心を忘れずに、倦まず弛まず続けることが大事だということですね。


大転換期にいた人たちは「これからの時代高度成長だ!!」と感じていたと思いますか?」(p.103)

渋沢栄一が活躍した時代は、まさに大転換期でしたが、それは日本にとっての大ピンチの時代でもあります。人々は期待したというより、不安にさいなまれた時代です。そんな時代に、希望を見失わなかった人が、常に前を向いてみんなを引っ張ったのです。


師となる人物を見つけ自己を磨くことです。」(p.105)

自分を磨き続けると、家族をまとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うというところまで道は続きます。」(p.105)

最近は「メンター」と呼びますね。自分を磨き、伸ばすために、導いてくれる師が必要だと言います。そして自分を向上させるための読書も。学問とは、自分を磨き、社会に役立つ存在となるために行うものなのです。


かりに悪運に助けられて成功した人がいようが、
善人なのに運が悪くて失敗した人がいようが、
それを見て失望したり、悲観したりしなくてもいいのではないかと思う。

成功や失敗というのは、結局、
心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。
」(p.125)

成功や失敗は、単に結果に過ぎないのです。成功したから立派で、失敗したからダメなのではない。結果よりも重要なのは、どう生きたかという生き様なのだ。だから、結果に一喜一憂することなく、常に自分を磨き続けることが重要なのですね。


人は、その人が残した結果を見て判断しがちですが、渋沢栄一氏は、そのような生き方をしなかったのでしょう。
常に誠実な生き様をしようとした。それが結果として、日本の繁栄の基礎を築くことにつながったのだろうと思います。

マンガなので簡単に読めてしまいますが、これで興味を持たれたら、「現代語訳 論語と算盤」を読まれるのがいいかと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:22 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コミンテルンの謀略と日本の敗戦



もうかなり以前に買った本なのですが、ついつい後回しになってしまいました。
これは、歴史を詳しく知るという意味で買ったのですが、けっこう目からウロコの話がありましたね。

「ゾルゲ事件」という有名なスパイ事件があったことは知っていましたが、世界の共産主義を指揮指導するコミンテルンがどう関わっていたのか、それが日本の知識階層や政治にどう影響したのか、詳しいことは知りませんでした。

著者は江崎道朗(えざき・みちお)氏。私より1つ年下の方ですが、読みにくい昔の資料を読み解いて、わかりやすく戦前、戦中の政治の動きに関して解説してくださっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

ここで前提として知っておかなくてはならないのは、当時の日本のエリートたちの多くが、コミンテルンの対日工作以前に、社会主義に大いに魅了され、左傾化した思想にシンパシーを抱いていたことである。
 なぜ日本のエリートたちは社会主義に共鳴していたのか。理由は大きく分けて二つある。
 その一つは、幕末維新の開国以来、一般庶民とエリートたちとのあいだに生じた亀裂である。
」(p.99)

日本は明治維新を成し遂げたのち、近代化と称して西洋の文明を取り入れることに懸命になる。西洋文明を取り入れ、経済的にも軍事的にも発展していくことが日本の独立を守ることだと信じた。西洋のような近代産業国家になれなければ、日本も他のアジア諸民族と同じく、欧米列強の植民地になってしまうという危機感がそこにはあった。
 その結果、親が教える価値観や伝統や文化を受け継がないことがエリートの条件になってしまったのである。
」(p.100)

つまり、日本のおかれた立場による危機感が、エリートたちを進歩的な思想に走らせたというわけです。欧米で流行していた政治思想は、進歩主義と社会主義。だからこの2つの思想潮流を受け入れることが、エリートの使命でもあったわけです。

しかし、エリートたちが社会主義に惹かれていった原因はもうひとつあった。それは、明治以降、特に大正から昭和にかけての経済政策の失敗、社会保障政策の未熟さである。日本が近代産業国家になるとともに格差や貧困や労働問題が生じ、それに対する対応を十分にできなかったのだ。」(p.111)

つまり、当時のエリートたちは、貧困層に対して何ら効果的な対策を講じない既得権益層への反発があり、困っている庶民を何とかしたいという優しさから、社会主義思想を研究していったのです。

政府や上杉慎吉のような「右翼全体主義者」が、社会主義の研究をしている人たちに「お前たちは社会主義のようなけしからんものを勉強しているから非国民だ、国体に反する人間だ」とレッテルを貼って言論弾圧した。その結果、エリートたちを反体制側に追いやったのである。」(p.125)

ここでは東京大学で起こった森戸事件を取り上げています。いやしくも自由の府であるはずの大学で、言論弾圧という自由を否定する統制を行った。そういう「右翼全体主義者」が当時、実権を握っていたのです。その結果、エリートたちは反体制側になってしまったのです。

明治時代は、まだ維新の元勲たちがいて、皇室と政府が共に貧困問題に対応しようとしていた。しかし大正時代になると、キリスト教徒と社会主義者しか、まともに貧困問題などに取り組まなくなった。政府は思想弾圧するばかりで、効果的な経済政策を行わなかったと江崎氏は言います。


政党というのは、議会制民主主義のプレイヤーである。政策を国民に訴え、選挙で支持を集め、議会で多数派を得て政権を獲得する。よって議会制民主主義というルールを尊重している。
 ところが、コミンテルン、共産党だけはまったく違う。彼らは、議会制民主主義そのものを破壊しようと考えているのだ。
 議会制民主主義を「破壊」するために、国会を「政治不信」を煽る宣伝の場として利用しているにすぎないのだ。この基本的な構図が日本ではほとんど理解されていない。
 しかも、共産党の特異性はそれだけではない。
 他の政党とは異なり、共産党は、非合法部門を抱えているのだ。
 非合法、つまり法律に違反している組織として、将来に武力蜂起に備えた軍事部門、いわゆるテロ組織と、スパイ工作組織などを持っているのが、共産党なのである。
」(p.225)

これは、共産主義と言うか、マルキシズムの本質ですね。歴史的必然として労働者による革命が起こるという暴力革命論。だから、その歴史を推し進めることが進歩であり、正義だという思想です。その思想に基づいて活動したのがコミンテルンであり、そのコミンテルンが指揮指導したのが共産党ですから。


「戦前の日本は右翼に牛耳られていた」という言い方がよくあるが、この「右翼」は正確にいえば「右翼全体主義」を指しているのである。しかもその中に、コミンテルンにシンパシーを感じる「左翼全体主義者=共産主義者」や、一皮むけば真っ赤な偽装右翼も多数紛れ込んでいたから、なお状況が複雑となる。
 つまり、「右翼全体主義者」と「左翼全体主義者」が結びついて(というより、「右翼全体主義者」の動きに「左翼全体主義者」がつけこんで)、大政翼賛会などをつくり、大日本帝国憲法体制を破壊した。昭和初期は、議会制民主主義と資本主義を敵視する社会主義に共感を覚えた「右と左の全体主義的エリート」たちによって、「保守自由主義」たるべき大日本帝国憲法体制が損なわれていった時代と見るべきだろう。
」(p.274 - 275)

大日本帝国憲法は、天皇を君主とした全体主義を目指したものではなく、議会制民主主義を目指したものです。その意義がないがしろにされて、右翼全体主義者によって破壊された。その右翼全体主義者を影で操っていたのが左翼全体主義者だったという分析です。


人間は不完全だ。不完全なもの同士だから、お互いに支えあい、話しあってより良き知恵を生み出すことが必要である−−この聖徳太子の発想は、まちがいなく明治日本の理想にも引き継がれている。
 五箇条の御誓文の冒頭に掲げられている「万機公論に決すべし」である。
」(p.348 - 349)

突出したリーダーが引っ張っていく全体主義ではなく、凡夫たちが集まって合議の上で方針を定める。それが、聖徳太子が示されたものであり、日本の伝統だと江崎氏は言います。十七条憲法の第十条に「共に是れ凡夫のみ」とあるのは、だからこそ話し合って、知恵を出し合おうということなのです。

明治天皇も、自ら君主として引っ張っていこうとされたのではなく、五箇条の御誓文を発布されて、議会制民主主義を推奨された。そのことによって、大日本帝国憲法体制が確立されたのです。

しかし、それを骨抜きにしたのが大政翼賛会であり、全体主義者たちの画策だったということなのです。


ソ連は、日本を米英と戦わせるために工作を続けました。どちらが勝っても、双方が疲弊する。それこそ、世界を共産化させるための方策でした。その結果、日本は泥沼の戦争に踏み込むこととなり、最終的には敗戦となったのです。

日本は、共産主義を警戒しており、徹底的に取り締まりました。しかし、軍や官僚、マスコミなど中枢部に、コミンテルンの内部浸透工作を許してしまう結果となっています。その原因を解明する研究が重要だと江崎氏は言います。

第一に、経済政策の失敗、経済理論への無理解がコミンテルンの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を許してしまったことへの理解が不足している。」(p.400)

第二に、戦前の政府が、上杉慎吉の天皇主権説をただしいとみなして、美濃部達吉や吉野作造のような自由主義者たちへの弾圧を正当化するような愚行に走ったことだ。」(p.400 - 401)

そして第三に、貧民救済を願う人たちを社会主義者や共産主義者だとレッテル貼りして、反体制に追いやってしまったことだ。」(p.401)

何よりも「自由」を守らなければならなかったのだと思います。言論の自由、議論の自由、それが大事なのです。

その上で、貧困問題に効果的に取り組むこと。これは自由に反することではなく、自由だからこそ、人として優しい思いが自由に発揮されるべきなのです。


日本は、なぜ泥沼の戦争に踏み込んでしまったのか。このことは、歴史をきちんと精査する必要があります。その時、日本を牽引していたエリートたちが何を考え、どう行動したのかということを、よくよく知る必要があると思うのです。

簡単にサラサラと読めるような本ではありませんが、日本の将来を真剣に考える人には、ぜひ読んでいただきたい本だと思いました。

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2020年05月16日

たった1つ変わればうまくいく



今回は医師の鎌田實(かまた・みのる)さんのエッセイ集です。前にも「がんばらない」という本を紹介しましたが、それと同じ時期に購入してあったものです。

この本も、単行本は2007年発行で、文庫化されたのが2011年となっています。ちょっと見方を変えるだけで、感じ方が変わるし、幸せでいられるというようなことを、タイトルと、そしてサブタイトルの「生き方のヒント幸せのコツ」で表しています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

彼女はこんなことを言った。「亡くなっていたのは悔しいけど、見つかってよかった」。四千人近くの人が未だに行方不明となっているなかで、遺体が見つかったことを素直に喜んだのです。あるがままを受け入れようとしています。この方はさらに話してくれた。「父と母がいっしょでよかった。二人が離ればなれだったら、二人ともさぞ寂しかっただろうし、怖かったろう」。こうやっていいこと探しをするのだ。さらに続けた。「父は生前、お酒を飲むと、最後は家だ、家だぞ」と繰り返していた。父と母は、自分の家の瓦礫の下で発見された。両親を一度に失ったことは悔しいけど、父が望んでいたように家で亡くなったのがせめてもの慰めだと、私に語ってくれました。「それでも人生にイエスと言う」という人間の強さをまざまざと見せつけられました。
 ほんの少しなんだ、たった一つでいい、ちょっと、考え方が変われば絶望を小さな希望へ変えられます。
」(p.6)

文庫化に寄せて、3.11の津波で両親を失った女性のエピソードを、鎌田さんはこのように語ります。どんな状況や出来事に対しても、絶望する見方もできれば、希望を持つ見方もできます。だから否定的に捉えず、肯定的に捉えるよう意識することが大切なのです。


すべての人に見捨てられたにもかかわらず、一人の看護師が彼のどこか一つでも信じ、支えたいと思ってあげたことで、生きる希望が生まれ、未来への可能性が開けたのです。周りの人たちが悪いレッテルを貼ったとき、「にもかかわらず」、その人のいい点を認めてあげることができる勇気ある人間になりたいものですね。」(p.22)

周りの人から見捨てられたアルコール依存患者さんが、1人の看護師の支えてあげたいという思いによって、奇跡的に断酒した事実を取り上げています。「困った人」という見方をすれば、その人はさらに「困って人」になろうとするでしょう。しかし、他の人と同じような見方をせず、その人の良い点を見ようとすることで、奇跡が起こるのです。

鎌田さんは、サービス業に携わる人はクレームを受けることも多いが、こういう「にもかかわらず」という考え方が必要なのだと言います。


患者さんは誤解した。なぜ誤解してほめてくれたのか、ここが大事です。紙パンツに感動していたからです。一ついいことがあると、人間はいい方に解釈してくれるのです。」(p.192)

大腸がんの内視鏡検査で、鎌田さんが患者さんから感謝されたエピソードです。他の病院では、下半身丸出しのまま30分くらいの検査を行いますが、そこでは紙パンツを履いてもらい、少しだけ穴を開けて内視鏡を入れたのです。これは、1人の看護師が、患者さんの気持ちを慮って始めたものでした。

さらにその患者さんは、その検査中に痛くて苦しんでいた時、看護師さんがラジオのスイッチを入れ、自分が好きな演歌を聞かせてくれ、痛みを忘れることができたと言うのです。自分が好きな演歌のことまで知っている。すごい病院だと感動されたのでした。

しかし、実際はそうではなかったようです。内視鏡がS状結腸を越えられずに担当医が冷や汗をかいていたので、看護師は、リラックスさせるために医師が好きなクラッシック音楽を流そうとし。ところが、演歌が流れてしまったのだとか。あわてて変えようとしたら、患者さんが嬉しそうな顔をしているのが見えたので、そのままにしたのだと。

偶然の産物ではありますが、この看護師さんは、つねに周りの人の様子に気を配って、より快適にしてあげようとしていることがわかります。そういうホスピタリティの思いが、こういう結果を生んだのでしょう。


『フィールド・オブ・ドリームス』−−生きがいを見出せる場所はどこにでも転がっています。生きている意味が見つかれば、どこでも生きていけるのです。
 そして、自分のためだけに生きると、喜びは少ないということも忘れないでほしいのです。失敗のように見える人生を価値ある人生に変えるのは、実は簡単なのではないでしょうか。それは、誰かのために生きてみることかもしれません。誰かのために生きる。この生き方で、あなたもうまくいきだすかもしれません。
」(p.209)

鎌田さんは、都落ちしてはダメだと言われたころ、要請を受けて長野の万年赤字の病院へ赴任しました。そこでスタッフたちと協力しながら、病院の経営を建て直されたのです。

出世コースからは外れたかもしれませんが、面白い人生を歩めたと鎌田さんは言います。「人間到る処青山あり」と言うように、どこへ行っても自分らしく生きることはできます。そこで、自分のことだけを考えるのではなく、ホスピタリティ、つまり他人のことを中心にすることで、より有意義な人生になると鎌田さんは言われるのです。


TVなどでお見かけする鎌田さんは、いつもにこやかな感じです。しかし、以前は常にイライラしておられたのだとか。ある時から、常に上機嫌でいることを心がけるようにして、変わっていったと言われています。

私たちも、自分の思い1つで、自分の人生を変えていける。そう勇気をもらえる1冊でした。

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2020年04月24日

「言葉」が人生を変えるしくみその最終結論



今年2020年3月4日に、Qさんこと石田久ニ(いしだ・ひさつぐ)さんがバンコクに来られていて、食事会が行われたので参加しました。その時に2冊の本をいただき(1冊は購入)、そのうちの1冊、「僕らの魂が地球に放り込まれた理由」を前回紹介しました。

今回は、残りの1冊になります。昨年9月26日に発行されたばかりの最新巻で、言葉によって人生が変わるという、Qさんの考え方の集大成という位置づけのようです。


さっそく、一部を引用しながら内容を紹介していきましょう。

空海によって開かれた真言密教では、私たち人間は、身・口・意の3つから成り立っていると言われています。身とは肉体、口とは言葉、意とは心を指しますが、もう少し意味を広げて考えると、肉体とは身体を使うことなので、行動とも置き換えられますし、意の心とは思考を指しているとも言えます。
 つまり、思考、行動、言葉、この3つは、三位一体と言われ、これらが一致するときに夢が叶うのです。
」(p.6 - 7)

私がお勧めする「神との対話」でも、思考、言葉、行為の3つで創造すると言っていますね。
Qさんは、思考は簡単には変えられないし、行動もそう簡単にはできないこともあるが、言葉ならすぐに変えることが可能だと言います。だから、言葉を変えることは、行動に方向を与え、思考の輪郭を作ることになり、この3つが一体化して夢が叶うのだと言うのです。


私たちが生きる意味は喜びを知ることにあります。だからこそ、その喜びを知るために、私たちは3次元で「苦」と直面し、苦しんだからこそ知る絶対的な「喜び」を体験しようとしているのです。「苦」はいわば、宇宙が人間に与えた最大のギフトなのです。」(p.64 - 65)

これも「神との対話」と同様の内容ですね。Qさんは、0次元は自我も認識もないあるがままの世界で、比較するものがないのだと言います。しかし、ただそこに存在しているだけで素晴らしいという、絶対的な喜びがあるのだと。けれども、そこでは比較ができないから、その絶対的な喜びを知ることができない。だから、わざわざ3次元に生まれて「苦」と直面するというわけですね。


実際は、明日の食べる物を心配している人は、日本を出ればたくさんいます。そこと比べたら、私たちは「ある」のです。すでに豊かさを持っているし、「ある」ことはいっぱい存在している。
「ない」に目を向けることは簡単ですが、あえて「ある」ものに目を向けます。すると、「ある」を種として、実際にも「ある」がどんどん増えていくのです。
」(p.148)

「ある」も「ない」も相対的ですから、基準をどこに置くかによって判断が変わります。Qさんは、その基準を変えることによって、「ある」という認識を持つようにすれば、実際に「ある」という現実が現れるのだと言うのです。


2005年に会社を辞めた直後、友人からある会合に誘われました。そこには4〜5名の方がいらっしゃったのですが、その中の一人が話題の中心になっていました。なんと4か月でゼロから月収100万円を超えたとの話。
「アレ、やってるんですよね」と言われたのですが、「アレ」とはまさに「願望を紙に書く」でした。具体的には「月収100万円を超えました」と毎日ノートに10回書く。そこにいた4〜5名の中でたった一人、その方だけが実行していました。
」(p.150)

これはQさんが、神田昌典さんの「非常識な成功法則」を読んで、目標を紙に書くことを知った後の出来事だそうです。私が読んだのはマンガにリメイクした本ですが、願望を紙に書くことが書かれてましたね。

このように方法はいくつもあるのですが、やはり実践する人が少ないということです。実は私も、目標を紙に書くということはしていません。まあ私の場合は、特に目標を定めない方が性に合っている気がするからでもあるのですけどね。


つまり「呪文の効果を最大限に高める方法」とは、結果を気にせず愚直に唱え続けることなのです。」(p.241)

バシャールも結果には少しもこだわってはいけない、ということを言っていますね。Qさんも、「どうせ叶う」と思って結果を気にせず、気楽に呪文を唱えるようにと言います。


最後に、258ページから書かれているお金を引き寄せる方法を紹介します。Qさんは、簡単に叶うと言います。

最初はアファメーションですが、「なぜかわからないけど○○円が手に入りました」という言葉を、1日目は15分間唱え続けるのだそうです。2日目以降は、1日に1回程度、好きな時に唱えます。願いが叶うまで100日間、これを続けます。

ここでも、いつどうやって入ってくるかを気にするなとQさんは言います。願いは、忘れた頃に叶うのですが、2〜6週間くらいで叶う人が多いそうです。

2つ目の方法は、「やった〜!100万円が手に入ったぞ〜!」という言葉を、その瞬間のように大声で叫ぶという方法です。未来を今、疑似体験する方法ですね。

いずれも詳しい説明が書かれていますので、ぜひ本を読んでみてくださいね。


Qさん自身が、何もない状態で独立し、どん底から言葉を変えることで今の状態にまでなったのだそうです。それだけに、説得力のある内容でした。

この本にもQさんのサインをいただきました。ありがとうございました。

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2020年04月09日

僕らの魂が地球に放り込まれた理由



今年2020年の3月4日ですが、バンコクに来られたQさんこと石田久ニ(いしだ・ひさつぐ)さんと食事会でお会いしました。その時、記念にと言われてご著書を1冊いただき、もう1冊買わせていただきました。そのうちの1冊が、この本になります。

Qさんのことは、2015年にバンコクで行われたセミナーで、初めて知りました。その後、「夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?」という本を読んだ時、あのQさんのことだと気付きました。それ以降は縁がなかったのですが、昨年、Youtube(宇宙となかよし/Qさん)でQさんをお見かけし、再会へとつながったのです。


さて、この本の内容ですが、実はこの本、小説の体裁になっています。物語にすると、自己啓発書によくある堅苦しさがなくていいですね。しかも、この内容が素晴らしいのです。随所に深い知恵が込められています。

ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言ってもこれは小説ですので、ネタバレしないよう、引用は少なめにします。

まずは荒筋ですが、サブタイトルに「7人の神様に聞いてみました」とあります。主人公の「ボク」は、気弱でうだつの上がらない30歳代の男性です。それがあることがきっかけで7人の神様の支援を受けて、自分の中に巣食う7匹の鬼を退治しながら成長していきます。

タイトルにある、私たちが地球に送り込まれた理由は、表紙の返しに書かれています。

「君たちは、やりたいことをぜーんぶやるために、この地球に生まれてきたんだよ!」

そのためにも、鬼を退治して成長していく必要があるというわけですね。


神の世界には「善悪」はないの。
悪は善より生じ、善は悪より育つ。
そもそも何の区別もないところが「善」と「悪」とに切り分けられただけ。「不倫は悪」ではなく、「不倫をした」という事実しかない。「フーゾクは悪」ではなく、「フーゾクで働いた」という事実しかない。
同じように「お年寄りに席を譲るのは善」ではなく、「お年寄りに席を譲った」という事実があるだけ。「ボランティアは善」ではなく、「ボランティアをした」という事実があるだけ。
すべては「あるがまま」として事実があるだけ。そこに「善」や「悪」などと切り分ける人がいて、そこに苦しみが生まれるのよ。
」(p.165 - 166)

「神との対話」で言われていることとほぼ同じですね。これはある神様のセリフなのですが、般若心経の「空」を持ち出して説明しています。「空」は「空」であって、「善悪」というものはその人の価値観によるものなのです。


阿頼耶識の正体は「気分」だ。「気分」には時間は存在しない。「いま、ここ」でどんな「気分」にあるかどうかが、すべてなんだよ。
だからな、ただ「いい気分」でいる。これ以上に大切なこともなく、これが宇宙のすべてなんだよ。
宇宙は気分、気分は宇宙。宇宙はの、お主の「気分」がただ、いま、ここ、いま、ここ、いま、ここ……と連続するに過ぎん。それをただ選択しておるに過ぎん。
」(p.253)

これもある神様のセリフです。出来事が何かを決めるのではなく、自分の「あり方」が重要なのです。その「あり方」のことを、「気分」と言っています。今、「いい気分(=幸せ)」であるなら、出来事が何であろうと、その人は今、幸せなのです。


そもそもこの宇宙が始まった時だってな、お前さんらは「ビッグバン」って呼んでるみたいだけど、あんなのオレのアクビだからさ。
ちょっと退屈だな〜ってアクビしたら、なんかまあ、「宇宙」なんてもんが始まってありがたがられているけどさ、マジでアクビだから。
んなもんだからさ、あとはどっかで小さくなって消えていくまで、ノリでいろいろやっているだけの話よ。
」(p.272)

これもある神様のセリフですが、こういう表現は面白いなと思いました。「神との対話」では、絶対的な存在の神が、自分自身を体験的に知りたくて、この相対的な世界を創ったと言っています。これも言いようによれば、退屈だからノリで創った、とも言えますものね。


だったら生きろよ! しっかり生きればいい! 生きてると嫌なこともあるぜ! 苦しいこともあるぜ! だけど、全部受け入れて、勇気を出してしっかり生きていけよ!」(p.282)

けどな、お前さん、生きている限り、ずっと「苦しみ」は続くぜ。生きているってことは、生が「有」ることだろ。しかも、その生になんらかの意味まで「有」ると思っている限り、「苦しみ」は永遠に続くんだぜ。」(p.282)

お前さんの人生とかな、意味も価値もなんにもねえ! マジでどうでもいい! けど、生きてんだから生きろ! だけどな、いつ死んでもいい! 早く死のうが遅く死のうが、事故とか病気で死のうが、自分で勝手に死のうが、どうでもいい!
所詮はどうでもいい人生だ! 無意味に生きてもいいし、どんな生き方してもいい! やりたいことあったらやれ! なかったらやるな!
マジで「どうでもいい」んだから、好き勝手に生きていけ! 何かを目指してもいいし、目指さなくてもいい! 「そのまんま」のお前さんでいてもいい!
」(p.284)

これもある神様のセリフ。人生に意味はないということは、「神との対話」でも言っています。意味がないからこそ、自分で意味を与えられます。自分で好きなように生きられるのです。


この本を読み進めながら、この物語の展開や、神様と鬼との関係の見事さに感心しました。「Qさんって天才!?」って思ったほどです。Qさん、サイン本をいただき、ありがとうございました。

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2020年03月27日

どんなステキな色か見せて



Twitterで紹介されていて、興味を覚えたのですぐに買ってみました。Kindle版の小説です。著者は比嘉ダイヤ(ひが・だいや)さん。表紙にもあるように、LGBT、発達障害、虐待、ポリアモリー、霊的体験がてんこ盛りの小説です。多様性ということ、愛ということを、深く考えさせられる内容になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、これは小説なので、ネタバレにならない範囲で引用します。

最初に、この小説の体裁を説明すると、主人公のエリが、親しい友だちに、自分のことを話すというスタイルで物語が進んでいきます。したがって、登場人物は他にたくさんいても、語っているのはエリだけです。

ちょっとおちゃらけた感じのエリですが、発達障害があり、子どもの頃から霊的体験もしていて、母から虐待を受けたトラウマがあります。そんなエリが、自分がポリアモリーだということに気づいていく中で、自分の心の問題と向き合っていくのです。


自分が特定のパートナーとだけ関係を持つモノガミーだと思っていて、男性(タクヤ)と結婚したエリ。しかし、魅力的な女性(エステラ)と出会ったことで、ポリアモリーだと気付かされることになります。そこでエリは、タクヤにカミングアウトすることに決めました。

以下、断片的に引用しますが、エリが自分の心に正直に生きようとする姿が見て取れるかと思います。


あたし は 性別 問わ ず、 たくさん の 人 を 好き になり ます。 これ が あたし の セクシャリティ。 これ が あたし の パーソナリティ。 だから 変え られ ない。 これ が 本当 の自分 なの。
 そう やっ て 自分 の セクシャリティ を ハッキリ と 自覚 する こと。 それ が、 まずは 大切 な 第一歩 だっ た。
」(Kindle の位置No.467-470)

あたし は 彼女 への 恋 を通して、 どんどん 本当 の 自分 を 取り戻し て いっ た の。
 無意識 の うち に、 社会 常識 に 合わせ て 抑圧 し て 閉じ込め閉じ込め て い た 自分 を、 一つ ずつ 取り戻し て いったん だ よね。
 たま しい を 解放 さ れる 喜び で いっぱい だっ た よ。
」(Kindle の位置No.498-500)

それ って エゴ じゃん。 相手 の ため に 与える 純粋 な 愛 では ない じゃん。 なー ん だ。 そう 思っ たら すごく 気 が 楽 に なっ た の。
 嫉妬 イコール 愛 だって 思っ て た のは 完全 に 間違い だっ た って。 だから 反射的 な 怒り や 反発 は ある だろ う けど、 三日 も すれ ば その 状況 に 慣れる と 思う。
」(Kindle の位置No.584-586)

コツ として は、 お互い に 自分 の ルール を 簡潔 に 説明 する こと。 その ルール の 背景 を 理解 し て もらっ たり、 共感 し て もらっ たり する 必要 は ない の。 お互い に 自分 の ルール を 説明 し あっ て 共通点 を 探し て、 一緒 に い られる 場所 を 探す こと。」(Kindle の位置No.601-603)

それ を 聞い た 彼 が どういう 選択 を する のか、 それ は 彼 が 決める こと だ。 それ は あたし の コントロール できる こと じゃ ない。
 すべて を 包み隠さ ず 話す こと。 あたし に できる こと は そこ まで。 それで 彼 が どういう 選択 を し た として も、あたしはそれを受け入れるしかない。
」(Kindle の位置No.667-669)

どっち が 幸せ か、 どっち がより 自分 らしく 素直 に 生き られる か って いつも 考え てる の。 社会 常識 よりも 自分 の 心 に 従っ てる。 自分 の 心 を 無視 し て 生きる なんて、 あたし には 無理 な ん だ。」(Kindle の位置No.888-889)

きっと あたし 以外 にも、 スピ や 発達障害 の こと で 自分 を ごまかし て 否定 し て 生き てる 人 が たくさん いる だろ う ね。
 誰 もが 自分 らしく のびのび と、 ありのまま に 生き て いける 世の中 だっ たら いい のにね。
」(Kindle の位置No.1223-1225)


自分に正直であること。そして相手にも正直であること。「神との対話」でも語られていますが、「正直」ということが、重要なキーワードだと思います。

そして、自分の価値観を他人に押し付けないこと。他人のことは他人が決めればいいという、アドラー心理学の「課題の分離」が重要だということも語られています。相手を自由にさせることが愛なのです。

そうすれば結果として、多様性を受け入れる社会になります。多様性とは、それぞれが自由に自分自身でいられるということなのです。


こうしてエリは、自分自身と向き合い、ありのままの自分を受け入れることで、変わろうとします。しかし、どうしても弱い自分が現れてしまいます。そんな時のコツも語っています。


この 浄化 魔法 には ちょっとした コツ が ある よ。
 最初 に「 ねえ ね え リノ、 今 から 十分 だけ グチ 聞い て くれる?」 って 言う の。 そして 終わっ たら「 あー スッキリ し た!」 って 言う こと。
 最初 と 最後 の 区切り を つける 魔法 の 呪文 を 言う ん だ よ。 これ すっごい 大事 ね。
」(Kindle の位置No.1842-1843)

ダメ で 弱く て 情けない よね。 でも、 それ が あたし で すっ て 堂々 と し てれ ば いい。
 そういう 自分 の こと、 もう 許し て あげよ う よ。 そのまま で いい じゃん。 顔 を 上げ て 前 を 向こ う。 自分 の こと も 人 の こと も、 いびつ な 形 の まま 愛し たい。
 正しい こと だけが 美しい って わけ じゃ ない。
」(Kindle の位置No.2095-2098)


他の人から見れば「おかしい」のかもしれないし、「正しくない」のかもしれない。そして、自分自身も、そんな自分は嫌だと感じているかもしれない。でもすぐには変われない。そんなジレンマもある中で、まずは「これが今の自分です」ということを受け止めることが大切なのだと思います。

感情は抑え込まないこと。抑圧せずに目の前にさらけ出してみること。そうすることで、そんな自分を受け入れられるようになります。そして、受け入れることによって、少しずつ変わっていけると思うのです。


ちょっと変わった小説ですが、人間として大切な「生き方」について深く考えさせられる内容だと思いました。LGBTとかポリアモリーなど、世間の常識を最初からガンガンぶち破るため、嫌悪感を覚える方もいらっしゃるでしょう。そういう方にはお勧めしませんが、多様性こそが重要だと感じている方は、読んでみられてはいかがでしょうか。

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2020年03月07日

あふれでたのはやさしさだった



何でこの本を知ったのか忘れてが、おそらく日本講演新聞(旧みやざき中央新聞)だったと思います。ひょんなことで奈良少年刑務所で詩の教育を担当することになった著者で作家の寮 美千子(りょう・みちこ)さん。体当たりで始めた「 社会性涵養 プログラム」での教育が、受刑者たちの心の扉を開く奇跡を次々に起こしていったことが、この本には書かれています。

人はなぜ犯罪に走るのか? 犯罪者を真に反省させ、更生させるには何が必要なのか? そんなことを考えさせてくれる内容になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

そんな 彼ら は、 心 の 扉 を 固く 閉ざし て い た。 自分自身 の 感情 も わから ない ほどに。
けれども、 その 鎧 を 脱ぎ捨て、 心 の 扉 を 開け た とたん、
あふれで て き た のは、 やさし さ だっ た。
重い 罪 を 犯し た 人間 でも、 心 の 底 に 眠っ て いる のはやさしさなんだ。
ほんとうはだれもが、愛されたいし、愛したい。人間って、いい生き物なんだ。
彼らに出会って、わたしはそう確信するようになった。
」(Kindle の位置No.14-16)

受講 生 の 一人 が、 固く 閉ざし て い た 心 の 扉 を 開く と、 連鎖反応 の よう に、 次 から 次に 心 の 扉 が 開か れる。 する と、 みんな が 心 の 奥 に しまっ て い た つらい 体験 や、 悲しい 出来事 を 堰 を 切っ た よう に 語り だす。 それ を きっかけ に、 とめどなく「 やさし さ」 が あふれ て くる。 仲間 を 慰める 言葉、 自分 も 同じ だっ た と 共感 する 言葉が、教室にあふれかえるのだ。」(Kindle の位置No.93-96)

友 から やさしい 言葉 を 浴び た 少年 たち は、 わたし の 目 の 前 で 変わっ て いっ た。 まるで 蛹 から 蝶 に なる よう に 一瞬 に し て 変わる 様子 を、 何度 目 に し た こと だろ う。 まったく 無表情 だっ た 少年 が 微笑み、 はげしい チック 症状 が ピタッ と 止まり、 吃音 が 消え、 ならず者 の よう な 子 が 自ら 姿勢 を 正し、 ひどく 引っこみ 思案 の子が手を挙げ発言するようになった。魔法だった。奇跡だと思った。」(Kindle の位置No.101-105)

詩 によって 自分 を 表現 する。 それ を だれ かに 受けとめ て もらう。 たった それ だけの こと で、 人 は こんなにも 変わる。 言葉 に そんな 力 が あっ た のか、 と 驚き を 禁じ 得 なかっ た。 自身 が 詩 も 書く 作家 で ある のに、 そこ まで 言葉 の 力 を 信じ て い なかっ た。」(Kindle の位置No.108-111)

わたし は 確信 し た。「 生まれつき の 犯罪者」 など い ない の だ と。 人間 は 本来、 やさしく て いい 生き物 だ。 それ が 成長 の 過程 で さまざま な 傷 を 受け、 その 傷 を うまく 癒 や せ ず、 傷跡 が 引き つっ たり 歪ん だり し て、 結果的 に 犯罪 へと 追い込ま れ て しまう。 そんな 子 でも、 癒 やさ れ、 変わ れる こと が ある の だ と、 心から 信じ られるようになった。」(Kindle の位置No.119-122)

約10年間、186名の受刑者の教育を担当された寮さんは、この奇跡的な成果を目の当たりにして、人間の素晴らしさを実感されたようです。

犯罪者になりたくてなった人などいない。彼らの置かれた環境によって、彼らは自分自身を守るために、犯罪者にならざるを得なくなったのだと。

そうであるなら、彼らと犯罪者からまっとうな社会人に引き戻す力も、環境にはある。その環境とは、何ら根拠もなく彼らを信頼し、受け入れる人々なのです。


犯罪 にまで 至っ て しまっ た 人 に 共通 し て いる のは、 彼ら を 取り巻い て い た 環境 の すべて から『 正しい 愛情 を 受け た こと が ない』 という こと では ない でしょ う か。 だから、 心 が 育っ て い ない の かも しれ ませ ん。 本来 の 自分 を 否定 さ れ 続け て いる ので、 自己 肯定 感 が 育た ない。 その 結果、 自尊 感情 も 育た ない。 自分 を 大切 に できでき ない 人 に、 他人 を 大切 に する こと は でき ませ ん。 だから、 犯罪 も 可能 に なる のでは ない かと 思い ます。
 親 から 否定 さ れる、 捨て られる。 そんな つらい 思い を し たら、 心 を 閉ざし て しまっ ても 仕方 あり ませ ん。 内側 に 大きな 怒り を 抱えこみ、 悲しみ を 悲しみ とも 感じ られ ない よう な 状態 です。 する と、 うれしい 楽しい、といったプラスの感情も感じられなくなってしまうのだと思います。
」(Kindle の位置No.377-382)

愛情とは、「あなたはそのままで素晴らしい!」「私にとってかけがえのない存在です」という人の思いです。それを感じてこられなかったから、彼らは鎧をまとうしかなかったのです。


この 本 を 書く にあたり、 この とき、 細水 統括 の やり たかっ た こと を 改めて 聞か せ て もらっ た。「 彼ら の 物語 を 書き換え て あげ たかっ た」 と いう。 苦しみ に 満ち た 悲惨 な 記憶 の なか にも、 きっと 美しい 記憶、 愛さ れ た 経験 が ある はず だ と。 ほんの か けら の よう な 小さな 記憶 でも いい、 そこ に 光 を 当て、「 愛さ れ た 経験」 を 取り戻す取り戻す こと で、「 悲しみ を 悲しみ として 受けとめる 感性」 や「 人間 らしい 気持ち」 を 取り戻し て ほしい。 そう すれ ば、「 すべて を 怒り に 変え て、 犯罪 に 向かわ なく ても すむ よう に なる はず だ」 と。
「短く て 美しい 言葉 を、 繰り返し 繰り返し、 寄せ ては 返す 波 の よう に 彼ら に 体験 し て ほしかっ た」 とも。「 そうすれ ば、 彼ら の なか で 切れ切れ だっ た もの が つながっ て、 やがて ひと まとまり の 物語 に なっ て いく と 思う ん です。 思考 が 構造 化 さ れ、 人生 を 見通せる よう に なる 気 が し まし た。 だから『 童話』 や『 詩』 が、 大切 だ と 思い まし た」
」(Kindle の位置No.439-447)

寮さんが行ったのは、絵本や詩による自己表現です。私は「詩」というものが苦手だったのですが、この本を読んで、詩を難しく考えすぎていたなぁと感じました。ただ感じたことを言葉にすれば、それはすでに「詩」なのです。

そして、言葉によって自らを表現し、それを仲間たちに受け入れてもらえるという体験によって、彼らは変わっていったのです。


この 瞬間、 いきなり なに かが 変わる。 ほんとう に、 一瞬 で 変わる の だ。 演技 を し た 子 たち が、 びっくり し て みんな の 拍手 を 聞い て いる。 それ が、 戸惑っ た よう な 表情 になり、 ゆっくり と 笑顔 に 変わっ て いく。」(Kindle の位置No.685-687)

絵本の朗読をしてもらうだけでも、彼らには自己表現になる。それによって、変わっていくのです。

驚い た。 これ っぽ っ ちの こと なのか。 たった これ だけで、 人 は いきなり 変わる もの なのか、 見た目 で わかる ほどに。 つまり、 この 子 たち は、 いま までの 人生 で、 これ っぽ っ ちの 受けとめ もさ れ て こ なかっ た、 という こと なの だろ う か。」(Kindle の位置No.694-696)

ただ普通に読めただけで受け入れてもらえる。ダメ出しせずに受け入れてもらえるということによって、人は簡単に変わるのです。


ある とき、 緘黙 に 近い 受講 生 が やってき た。 絵本 の 朗読 の 授業 で、 彼 に 振る と「 無理 です。 ぼく、 でき ませ ん」 と 言う。 する と、 乾 井 教官 が 満面 の 笑み を 湛え て こう 返し た の だ。
「そう か、 でき ない か。 よく 言っ て くれ た!   やら なく て いい よ。 でも、 やり たく なっ たら、 いつ でも 言っ ていい ん だ ぞ」
 それ を 聞い た 受講 生 の 一人 が、 むくれ 顔 で 言っ た。
「え えっ、 先生、 そんな の あり です か。 だっ たら ぼく も、 やら なかっ た のに なあ」
 乾 井 教官 は、 にっこり し て 抗議 を し た 子 に 頷く と、「 でき ませ ん」 と 言っ た 子 を 見 て、 こう 言っ た の だ。
「ほう ら、 きみ が『 でき ませ ん』 って 勇気 を 出し て 言っ て くれ た おかげ で、 この 教室 には『 し なく て いい』 っていう 選択肢 が 生まれ た ん だ。 みんな、 きみ に 感謝 し て いる と 思う よ」
 みんな が 笑顔 になり、 教室 に なごや かな 空気 が 流れ た。
」(Kindle の位置No.738-746)-741)

完全に受容するというのは、こういうことなのですね。どんな選択肢でも容認する。これは、「神との対話」シリーズで言っている神の対応ではありませんか。つまり、完全な愛なのです。


じっくり 待っ て みる と、 驚く べき こと に、 必ず 声 が 出る の だ。 言葉 の 出 にくい 子 は 何人 も い た が、 その 全員 が、 最後 には 必ず 声 が 出 た。 待つ と いっ ても、 何 十分 も かかる わけ では ない。 ほんの 数 分 の こと だ。」(Kindle の位置No.985-987)

ようやく 発する こと が でき た その ひと言 の 後ろ には、 言い たい こと が 芋づる 式 に ぶらさがっ て いる から だ。 だから「 はい。 ぼく も そう 思い ます」 と 返答 し た その後、 ひと 呼吸 置い て、 言い たかっ た こと が ツルツル と 出 て くる。 ああ、 この 子 は ほんとう は しゃべり たかっ た の だ、 彼 の 言葉たちはみな、重石を付けられて外に出てこられないでいたのだ、と実感する。」(Kindle の位置No.991-993)

困難 を 抱え、 刑務所 まで 来 て しまっ た 子 でさえ、 信じ て 待て ば、 自分 から 成長 する。 それ も、 目 を 見張る ほどの 成長 だ。 どんな 人 も、 心 の なか に 光 に 向かっ て 伸びる 種 を 持っ て いる。 その 見え ない 種 の 力 を 信じ て 待つ こと を、 わたし は 刑務所 の 受講 生 たち から 教わっ た の だっ た。」(Kindle の位置No.1037-1039)

「待つ」ということは、相手を否定しない、つまり受け入れるということなのですね。人は、待っていれば必ず成長する。その信頼を持つことが、何よりも重要なのだろうと思いました。


深く 苦しん だ 人 ほど、 他人 の 苦しみ を 理解 できる。 だから 彼 は、 人生 相談 の よき 聞き手 に なる こと が でき た の だろ う。 過去 は 変え られ ない。 けれども、 いま を どう 生きる かで、 人 は 過去 に あっ た こと の 意味 を 変える こと が できる。 つまり「 過去 は 変え られる」 の だ。」(Kindle の位置No.1198-1201)

社会 の なか で、 いちばん 困っ て いる 人、 困難 を 抱え て いる 人 を 支援 する という のは、 その 人 の ため だけの こと では ない の だ。 その 人 の 困難 が 解消 すれ ば、 みんな が 気持ちよく 前向き に 生き て いける 社会 に なっ て いく。 追い詰め られ て 犯罪 に 走る 人 も 減る。 被害者 も 減る。 だから、 障害者や 老人、 経済的 弱者、 虐待 を 受け て 心 に 傷 の ある 人 など「 弱者」 への 支援 が 大切 なの だ。 なん でも 根性論 に 帰し て「 自己責任 だ」 と 放置 し、 排除 すれ ば する だけ、 弱者 は 追い詰め られる。 その せい で、 周囲 に 負 の 影響 が 生じ て 社会 全体 の 困難 が 増す。 当然、 犯罪 も 増える。 みんな が 疑心暗鬼 に なる ギスギス し た 世界 に なっ て ししまう。「 情け は 他人 の ため なら ず」 という 言葉 通り、 支え あい 助け あう こと は、 ほか でも ない、 巡り 巡っ て 自分自身 の ため に なる こと なの だ。」(Kindle の位置No.1312-1318)1312-1314)

私たちは、それぞれにそれぞれの困難を抱えて生きてきました。そうであればこそ、他人の困難に共感し、支援の手を述べることができます。そしてそのことで、自分自身の過去を変えることができます。さらにそのことで、社会全体を変えていけるのです。


遠回り に 思え ても、 彼ら に対して 人 として 向き あい、 あなた も また 大切 な 一人 の 人間 な ん だ と 心から 伝え、 固く 閉ざし た 心 の 扉 を 開い て もらい、 自分 の 命 の 大切 さに 気づい て もらわ なけれ ば なら ない。 そこ に 気づい て こそ、 他者 の 命 の 大切 さ、 人生 の かけがえ のなさに、 彼ら は ようやく 気づく の だ と 思う。 そして、 自分 の 犯し犯し た 罪 の 大き さを 思い知り、 深く 悔い、 罪 を 背負っ て、 つぐない の 人生 を 歩み はじめる。」(Kindle の位置No.1915-1919)

社会性 涵養 の 教室 に い た のは、 自分 たち と 同じ 境遇 の 仲間 たち だっ た。 だから、 安心 し て 自己 開示 し 自己 表現 でき た。 表現 する こと 自体 が、 一つ の 癒 や し に なる。 そこ には、 受けとめ て くれる 仲間 が いる。 それ が、 さらに 深い 癒 や し を もたらし た に 違い ない。
 グループ だ から こそ、 一対一 とは 違う 大きな うねりが 生まれ、 互いに 交感 し あい、 連鎖反応 を 起こし、 次 から 次に 心 の 扉 を 開け た の だろ う。
」(Kindle の位置No.1995-1999)

同じ犯罪者だからこそ、犯罪者に対して共感できる、ということがあるのかもしれませんね。1対1ではなく、仲間たちと一緒だったから、効果を上げることができた。そういうことがあるのかもしれません。


奈良少年刑務所で行われた、「 社会性涵養 プログラム」は、月に3回で、寮さんの詩のクラスはそのうちの1回です。他に絵のクラスも行われています。したがって、詩のクラスだけの成果ではないことは、寮さんも指摘しておられます。

しかし、わずか月3回、半年間だけのプログラムで、心を開いてコミュニケーションが取れるようになるという見た目の変化が起こったことは事実です。

この成果が、多くの場所で活かされるといいなぁと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:38 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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