2018年01月17日

日本人だけが知らない世界の真実



池間哲郎(いけま・てつろう)さんの本を読みました。池間さんの本は、以前に「懸命に生きる子どもたち」「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」を紹介しています。NPO法人アジアチャイルドサポートの代表理事として支援活動の陣頭指揮をされる一方で、年間200回もの講演をされています。

Facebookでお見かけして、いつもいいことを言われているなぁと思って興味を持ったのが、池間さんを知ったきっかけです。書店の「読書のすすめ」でも池間さんの本を勧めておられたので、この本を買ってみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

たまたまテレビの視聴率に関するデータを見ていたのだが、驚いたことに、男女関係、不倫報道になると、「グググ〜ッ」と数字が跳ね上がる。北朝鮮がミサイルをぶっ放してもどこ吹く風。国民の多くは不倫の方に興味があるようだ。トホホ。」(p.8)

冒頭で池間さんは、このように日本国民の意識の低さを嘆きます。メディアが悪い、政治家が悪いと言うけれど、それをささえているのは国民。国民の意識が変わらない限り、メディアも政治も変わらない。おそらく池間さんには、そういう思いがあるのでしょう。だからこそ池間さんは、日本民族の素晴らしさを伝えて、もっと高い意識を持ってもらおうとしているのです。


隣国同士はどこもかしこも仲が悪い。カンボジアはタイ、ベトナムを心底嫌う。タイはミャンマーを嫌がる。ミクロネシアのヤップはパラオに対して憎しみさえ持っている。メキシコ、カナダはアメリカを嫌い、ニュージーランドはオーストラリアに対してよき感情は持っていない。隣国同士は互いに攻め合い、奪い合った歴史があるからだ。それでも、喧嘩しながらも付き合っていく。これが外交だと思う。隣国と仲良くという幻想は、なくした方がいい。」(p.21)

隣国なのだから韓国や中国、北朝鮮と仲良くすべしと考えている人への警鐘です。隣人同士は仲良くした方がいいでしょうけど、国同士となると、なかなか難しいものがありますね。


日本を貶める戦略もほとんどが成功している。作り話の「南京大虐殺」は世界に定着した。「日本は悪の国、侵略国家、日本人は残虐」とのイメージが世界に刷り込まれている。
 だからどうするかが問題だ。
 日本もチャイナのように強(したた)かにならねばと思う。
」(p.26)

たしかに、韓国や中国を見ていると、明らかな嘘を堂々と吹聴しています。さも真実であるかのように、何度も何度も発信しています。だから慰安婦問題も、南京大虐殺も、その根拠が乏しいにも関わらず、世界に広まっているのです。

特に小説とか映画、TVドラマの中で、さりげなくそういう話を混ぜられると、「やっぱりそうなんだ」と人は思ってしまいます。タイでも中国の映画が放送されますが、たいていひどいことをする日本軍や、悪い日本人が登場します。竹島や尖閣諸島の領有権でも、中国や韓国の多くの人は、根拠もなく自分たちのものだと信じています。宣伝の力というのは大きいのです。


30年近くの支援活動の経験で、教育がいかに大事かを身に染みて感じている。教育があればこそ希望が湧いて来ると断言してよい。」(p.55)

子どもの教育こそが、その国が自立するための力になる。私もそう思います。またその教育によって、自国を愛し、祖先を尊敬する人が育たなければ、亡国の道を進むことになるでしょう。


かなり昔のことだが、日本人であることに自信と誇りを失いかけていた頃、この言葉に出合い、泣いた。
 タイ国元首相ククリット・プラモート氏がタイの有力紙に寄稿された文章だ。
「日本のおかげでアジアのすべての諸国は独立した。日本というお母さんは難産をして母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日(真珠湾攻撃の日)は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが身を賭して重大決意をされた日である。我々は、この日を忘れてはならない」
」(p.72)

このことは、私もつい数年前まで知りませんでした。けれども、白人国家に蹂躙されていた東南アジアでは、日本のお陰で独立できたという思いを持つ人が多いのです。日本の戦争目的の1つは、アジアの解放でした。日本は戦争には負けましたが、戦争目的は達成したのです。


「日本嫌いの台湾人がいてもしかるべし」と自分は思う。だが「多くの台湾人は我が国を愛している」と大声で叫びたい。東日本大震災における義援金は、世界でダントツ1位の220億円あまり。誰に聞いても「私も募金したよ。日本が困っている時は助けるよ」と語る。ありがたい国である。」(p.88 - 89)

台湾の烏山頭ダム建設や灌漑整備を行った八田與一氏は、台湾人の多くから尊敬されている日本人の1人です。その銅像の首が切り落とされるという事件がありました。戦後にやってきた国民党の時代に日本を貶める教育を徹底したので、その影響かもしれないと、台湾のお年寄りたちは言われたそうです。しかし、多くのお年寄りは日本が大好きで、尊敬していると池間さんは言います。そのことが、日本の支配の実態を物語っているのです。


約30年間の日本統治の歴史を持つパラオの人々は日本が大好きだ。子供たちも「日本は最高だよ」と笑顔を見せる。日本時代の教育を受けた先輩方も「日本は素晴らしかった」と口々に語り、若者たちも「日本人は真面目で誠実だ」と絶賛する。日本統治時代は悲惨だった。苦しめられた。虐殺されたなどと口にする人はほとんどいない。」(p.92 - 93)

パラオでは、お年寄りの多くが日本語を話せるそうです。台湾と同じですね。また、タロウ、ハナコなどの日本語名を感じさせる言葉を名前の一部にしている人も多いとか。今もなお、パラオの言葉には1500もの日本語がそのまま残っていて、使われているそうです。

このように言うと、現地の言葉を禁止して日本語を強制したと思われがちですが、実態は違います。特に台湾では、少数民族もたくさんあったため、共通の言語がありません。しかも、日本人教師がいきなり現地の言葉を習得するのも大変です。ですから、まず教育を与えることを優先して、日本語による教育を始めたのです。


チュークで最高の日本名を持つ30代前半の青年とも遭遇した。彼の名前は「愛してるよ」だ。」(p.113)

ミクロネシア連邦のチューク諸島は、当時はトラック諸島と呼ばれた地域です。人口6万人の約3割が、日本人の血を引いているとか。日本軍が進駐したことで、日本人と結婚する人も多かったのでしょう。それがレイプでないことは、チュークの人々の親日度を見ればわかります。チュークでも500ほどの日本語がそのまま使われていて、「こんにちは」「ありがとう」などの挨拶も通じるそうです。


「ガンジーの非暴力運動で独立なんかできるワケがない。インド国民軍、ボースの戦いがあったからこそ、イギリスの魔の手から逃れることができた」と断言する人も多かった。街や村にはチャンドラ・ボースの銅像が至る所に立ち、肖像画が掲げられている。
 そのインドの英雄を助けたのが我が日本だったのである。
」(p.120)

昭和18年、東京で、近代史上初の有色人種国家のみの首脳会議、大東亜会議が開催されたそうです。そこで日本政府は、ボースに対して軍事的支援を約束し、インパール作戦が決行されたのです。

つまり、インパール作戦は「宇宙戦艦ヤマト」だったのです。成功の可能性は低い。それでも誰かがやらなければならない。イギリスを追い出してインドが独立するために、日本の力が必要だと言われたら、漢なら立ち上がらないわけにはいかないでしょう。無謀な作戦を遂行したのは、大東亜戦争の大義を遂行するためだったのです。

インパール作戦そのものは日本が敗れました。そして、共に戦ったインド国民軍の兵士たちは、イギリスによって弾劾され、上層部には銃殺刑が降されたのです。ところが、国の英雄たちが処刑されることに怒ったインドの人々が各地で暴動を起こしたため、イギリスは統治することを諦めざるを得ませんでした。1947年8月15日、インドは独立したのです。

戦争で勝ち取った独立ではありませんが、ガンジーの非暴力による抵抗だけが独立に導いたのではないのです。そして、インドの人びとを怒らせる原因を作ったのは、日本と共に戦ったインパール作戦だったのです。

山奥に暮らす85歳の爺ちゃんにも、
「日本兵の中には食料を奪い、女性に乱暴をはたらく者がいたのでは?」
 と聞くと、
「オーッ! 何てことを言うんだ。とんでもない。日本の兵士たちは立派だった」
 と悲しげに答えた。
」(p.124 - 125)

インパールから約30kmほど離れた山村に行って、池間さんは進駐した日本軍が残虐な行為をしたのではないかと尋ねたそうです。まず最初に、そうやって残虐行為があったかもしれないという前提で質問をするのが、池間さんのやり方だそうです。しかし、多くの地域ではそんな日本兵はいなかったと言われたそうです。

某公共放送局は、2017年8月15日に、インパール作戦の「戦慄の記録」に関する番組を放送した。
 たしかに、戦時中ゆえに人道に悖(もと)る行為をした日本兵もいたであろう。だが、そんな日本兵は一部に過ぎない。ほとんどの日本男児は紳士だった。私がインパールで出会った人々は、全員が日本兵を賞賛し、尊敬していた。現場に足を運び、土地の先輩方と直接話してきただけに、戦前の日本を悪と断罪する番組に対しては、胸が張り裂けるほどの悲しみを感じる。
」(p.126)

私は番組を見ていませんが、何度も現地に足を運んでいる池間さんは、残虐行為はほとんどないと言い切ります。公共放送であるなら、一部を切り取って大きく示すのではなく、全容を適切に報道すべきだろうと思います。少なくとも池間さんのような方の意見も、番組に入れるべきではなかったかと。

※NHKのインパール作戦の番組内容には、次のような指摘があります。ぜひ、両方を見て判断していただきたいです。
「NHKスペシャル「インパール作戦」とメディアの戦争責任」(『メディアの権力』を監視する)
「NHKスペシャル「インパール作戦」。大事なことを報じない視野の狭いタコツボ史観そのもののNHK。」(さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」)

戦略、戦術なき戦いだったと言われるインパール作戦で、多くの日本兵が亡くなった。あろうことか半分以上は病死と餓死だったという。日本兵はフラフラと亡霊のように逃げ回る。イギリス軍は日本兵を皆殺しにしろと追い回す。その時、先人たちを助けてくれたのがバゴーやエヤワディの人々だった。」(p.166)

敗走の兵も、多くは残虐な行為をしていないと池間さんは言います。ミャンマー(当時のビルマ)でも、現地の人びとから助けられています。それは、あの戦争がアジアを解放する戦争だったことを意味しています。実際ミャンマーの人びとは、ビルマ独立のために奔走した日本人、鈴木敬司大佐をボモージョ(雷帝)と呼んで、いまだに敬愛しているそうです。


我が国は世界的に見ると不思議な国。自国を守る軍人を尊敬しない唯一の国。50ヵ国を超える異国を200回あまり訪ねて来たからこそ分かる。どこの国へ行っても軍人は尊敬されていた。自衛隊を罵倒し、非難する日本国民もいると聞く。情けないかぎりだ。」(p.190)

これは私も同感です。タイでは、軍人はとても尊敬されます。もちろん、正しいことをする人ばかりではありません。でも、全体的には尊敬されます。日本の自衛隊員は、おそらく戦前の軍人に勝るとも劣らぬほど、素晴らしい人たちだと思います。

そして日本ではこれまで、自衛隊の活躍の場は主に災害時の救助復興活動でした。東日本大震災での活躍は、誰もが知るところです。さらに沖縄では、離島の救急医療にも貢献しているそうです。どんな嵐でもヘリコプターで救助に向かう。これまでに、何人かが殉職されているそうです。それなのに日本人から罵倒される。何ともやるせない気持ちになります。


この本のタイトルからすると、もっと多くの世界の真実が書かれているかのように感じられるのですが、実際はそうではありません。大きく2つのことが示されています。1つ目は、日本人は、日本は戦争でひどいことをしたという自虐史観を植え付けられていますが、世界はそうは思っていないということ。2つ目は、日本は自分たちが日本を守ろうという気概もなく、愛国心と言うだけで好戦的とみなされるけれど、世界は自国は自分たちで守るという気概があり、それが当然だということ。この2つを示すために、様々な事例を上げておられるのです。

そういう意味では、これまでに紹介した本の内容と、それほど違うものではありません。ただ、こういうことはある意味で情報戦なのです。嘘も100回言えば真実になるというように、真実も語られなければ忘れられるのです。ですから、日本人の多くが知らないことを、情報発信し続ける必要があるのだと思います。

日本人だけが知らない世界の真実
 
タグ:池間哲郎
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:37 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

ありがとうの魔法



小林正観(こばやし・せいかん)さんの本を読みました。正観さんは、すでに6年くらい前に亡くなられているので、これはこれまでの講演や著作から再編したものになります。ダイヤモンド社のこのシリーズは3冊目。これまでに「ありがとうの神様」「ありがとうの奇跡」を紹介しています。正観さんの「ありがとう3部作」と呼んでもよいかもしれませんね。

この本も、これまでと同様に4〜6ページで1つの話が終わるように見事に構成されています。帯には、「神様が味方になる68の習慣」とあって、「人間関係」「仕事」「お金」などをテーマにして、その悩みの解決のために正観さんが話されたことが紹介されています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

世の中は、自分が思っている「正義」や「道義」にしたがって、できているのではないようです。
「正義」や「道義」や「道徳観」を持つのは自由ですが、必ずしも、自分以外の人も同じ考えを持っているわけではありません。
」(p.13 - 14)

私たちは、理不尽なことや不条理なことがあると、それを糾弾し、批判避難しようとしがちです。自分が考える「正義」こそが絶対的な「正義」であり、誰もがそれに従うべきだと考えるからです。ですから、汚職まみれの政治家が当選したり、ずるいことをする企業が繁盛することが許せません。

しかし正観さんは、そういう理不尽さや不条理は、受け入れなさいと言います。自分の「正義」で裁いたり糾弾したりするのではなく、単に自分はそういうことは絶対にやらないと決意するだけでいいのです。


「病気をすること」も、「事故に遭う」ことも、「それによって、悩み苦しみが生じること」も、ついには「死を迎える」ことも、全部が「シナリオ」通りに進むようなのです。

 未来は確定的に存在していて、「自分が生れてくる前に書いたシナリオ通り」に進んでいくとするならば、「未来を心配すること」に意味はないということになります。
」(p.19)

正観さんは、運命は最初から決まっていると言います。しかし、こういう決定論の立場に立つと、では自分で努力することは無意味だということになりかねません。ここは難しいところなのですが、そこで努力しなくなるか、あるいはそれでも努力し続けるかさえ、予め決まっているということなのでしょう。

ただ、多くの場合、私たちは未来を心配します。その不安を動機として何かをしようとします。それが決定論の立場に立てば、心配することがナンセンスになります。だって、もう変えようがないのですから。すると今度は、その安心を動機として何かをすることになります。そうすることで、少なくとも苦悩からは離れられると思います。

「自分の魂」が決めたことであり、死因が病気であろうと、事故であろうと「予定通りに死んでいく」ことにほかならないと考えられます。

 そう考えれば、人の死は、不幸でも悲劇でもない、ととらえることができるのではないでしょうか?
」(p.21)

死で予定通りであるとするなら、その死因を心配する必要はありません。事故か、事件に巻き込まれるか、あるいは病気か。何であろうと、死ぬべき時には死にます。それだけのことなのです。

「神との対話」でも、同様のことが書かれています。偶然に何かが起こることはないし、神が認めないとは何も起こらないと。魂は、生まれることも死ぬことも、人生でのテーマもすべて自分で決めています。その通りに人生は進むのです。


「幸せ」という名の絶対的な現象は、地球上に存在しない。しかし、「幸せ」という名の現象が存在するときがあります。どういうことかというと、「私」が「幸せ」だと決めたとき、それが、その人にとっての「幸せ」になります。
 つまり、「幸せ」という現象は、個人にのみ帰属するものであって、他人が口をはさんだり、意見を言うべきものではないということです。「幸せ」は、「幸せを感じた人にのみ存在する」という構造になっているようです。
」(p.94)

同じ一杯の水を飲んでも、一日汗水たらして働いた後に飲んだ人は、それを幸せと感じるかもしれません。けれども、室内にいて、常にそこに水があって、さっきも飲んだばかりであれば、当たり前としか感じないかもしれません。さらに言えば、その状況が同じだとしても、人によって違いがあるのです。


「あのとき、あんなことをしてしまった」と思ったとしても、それを受け入れ、肯定して、「しょうがないよね」と言いながら、自分自身とつき合っていけばいいのだと思います。未熟な私を受け入れること。「ああ、あのときは未熟だったな。不十分だったな」と受け入れるだけでいい。
 いつまでも過去にとらわれ、後悔や反省をする必要はないのだと思います。
」(p.107)

正観さんは、後悔は必要ないと言います。なぜなら、その時点では最高の判断をしたのだからと。今、その時点の判断を振り返って未熟だと感じるのは、その時点より今が成長しているからです。成長した自分が過去の未熟な自分を裁く必要はないのです。

「神との対話」でも、罪悪感を抱くなと言っています。正観さんはここで「反省」という言葉を使われていますが、これは「罪悪感」に近いものでしょうね。本当の「反省」は、これからどうすれば良いかという判断の材料を定めることです。悔いることではありません。


相手がニコッと笑ったからなのか、「ありがとう」を言ったからなのか、どちらなのかはわかりません。しかし、どうも、「ニコっと笑って、『ありがとう』を言う」と、光が発せられて、周囲が明るくなることがあるらしいのです。」(p.128 - 129)

たまたま先日参加した小宮昇さんのお話し会の中でも、こういう話がありました。詳細は忘れましたが、喜んだり感動したりすると、光子が発せられるのだと。その話と符合するので引用しました。私にはどうなのかわかりませんが、ひょっとしたら物質的にそういうことがあるのかもしれません。なぜなら、物質は思い(思考)から創られているからです。


人生を最大に楽しむための大きなキーワードが「3つ」あります。この3つを実践すると、奥の奥まで人生を楽しんで、もっと楽しめるようになるらしいのです。
 そのキーワードは、「そ」(掃除)と、「わ」(笑い)と、「か」(感謝)。

・「トイレ掃除」をすると、お金に困らないらしい
・「笑う」と、体が丈夫になるらしい
・「感謝」をすると(「ありがとう」を言うと)、まわりが味方になってくれるらしい

 私は、それぞれの頭文字を取って、「そ・わ・かの法則」と名付けました。これが、40年間、宇宙の現象を見続けてきた、私の結論です。
」(p.133)

正観さんの有名な話ですので、他でも聞かれていると思います。実際私も、正観さんの文を読んだのは、このトイレ掃除の話が最初でした。でも、この3つはそんなに難しいことではありませんし、やって悪いことでもありません。そうなら、騙されたと思ってやってみてもいいのではないでしょうか。


人は、涙を流すと、怒らなくなり、怒鳴らなくなり、イライラしなくなるようです。
 どうやら人は、「やさしくなる」ことで、病気を改善できることがあるらしいのです。
」(p.197)

この話の事例は、50年間心臓病で苦しんだ女性の話です。ある時、3泊4日の座禅体験会に参加したそうですが、最初から最後までわけもわからず涙を流し続けたのだとか。その後、「妙な感じ」を味わったそうです。それは「静けさ」。それまで、ドキンドキンと聞こえて耳を離れなかった自分の心臓の鼓動が聞こえなくなったのです。その日以降、女性は心臓が楽になったと言います。

ただこの事例では、なぜ涙が流れたのかがわかりません。その前に正観さんの事例があって、NHKドラマ「おしん」を観て泣くと、やさしくなれるとあります。ですから正観さんは、どんな理由であっても泣くことは、やさしくなることにつながり、やさしくなると病気を癒す効果があると言われるのですね。

これは何とも言えませんが、私自身、年をとってよく泣くようになりました。悲しくてと言うより、感動して泣くのですけどね。ドラマを観ていて泣くこともよくあります。本を読んでいても泣きます。妻に笑われますが。(笑) きっと、良いことにつながっているのでしょう。


人生は、「修行の場」でないとしたら、何でしょうか?

 人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をするための場」であり、なによりも、「楽しむため」に存在しているようなのです。
」(p.290)

他で「人生は修業の場」というような表現もされている正観さんですが、それは方便なのでしょうね。「修業の場」でもいいけれど、「楽しむ場」と考える方がなお良いということなのです。孔子も、「知る」より「好む」、「好む」より「楽しむ」方が上だと言っています。ただ理解して、でも修行だから仕方がないと思ってやるより、それが楽しいからやる人の方がより成長するのですね。


人間の潜在能力や超能力は、「こうでなければ嫌だ」「こうならなければダメだ」と思った瞬間に、出てこなくなるようです。反対に「そうならなくてもいい。でもなるといいな。でも、ならなくてもかまわない」と考えると、潜在能力が花開くらしい。」(p.333)

これは、私がいつも言っている日本の格言、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。思い通りにしようとして力むのは、結果に執着(依存)しているからです。その結果に必要性を感じるのは、そうならなかった時の不安が強いからです。ですから、その不安が現実を引き寄せます。

これが、「引き寄せの法則」を駆使しようとする人が陥る罠です。正観さんも言うように、そうなったらいいけど、ならなくてもいい、というように結果を手放すことが重要です。「神との対話」では、必要性を好みに変えると説明しています。


この他にこの本でよく出てくるのが、「三禁五戒」です。

「三禁」・・・「恨み・憎しみ・呪い」
この「う・に・の」を禁止すること。それが三禁です。

「五戒」・・・「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」
この5つを口にしないようにすること。それが五戒です。

五戒が守れるようであれば、三禁に至ることはないと言います。
そして、五戒を3ヶ月から6ヶ月くらい守っていると、「頼まれごと」が始まると言います。

「頼まれごと」を「はい、はい」と引き受けていくと、3年ほどで「ある方向に自分が動かされている」「どうも、自分の使命はこのあたりにあるらしい」と気がつきます。」(p.28)

このようにして「頼まれごと」をやりながら感謝して生きていると、神様が味方をしてくれて、幸せに生きられると言います。「幸せ」とは、「喜ばれる存在」になることなのだと。


正観さんの本も何冊も読みましたが、この本もとてもよくまとまっていると思います。昔の本はなかなか手に入りづらくなっているようですので、この「ありがとう3部作」だけでも読んでみると良いかもしれませんね。それだけでも十分に、正観さんのお考えがわかると思います。

ありがとうの魔法
 
タグ:小林正観
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2018年01月13日

盲導犬不合格物語



盲導犬の訓練で不合格になった犬たちの物語を読みました。アマゾンリンクは文庫になっていますが、私が買ったのは単行本です。これもおそらく、「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介していた本ではないかと思います。著者は沢田俊子(さわだ・としこ)さん。子ども向けの本を書かれている方のようです。

単行本は学研の出版です。この売り上げの一部が、日本ライトハウス行動訓練所に送られ、盲導犬の育成に使われると書かれています。私も、盲導犬支援のための寄付を何度かしたこともあり、盲導犬育成については応援したいと思っています。

それにしても気づかなかったのは、盲導犬の訓練を受けても、すべての犬が盲導犬になれるわけではない、という事実です。うっかりしていました。考えてみれば当たり前のことなのですけどね。では、試験に落ちた犬たちは、いったいどうなるのでしょう?

まあ、普通に考えれば、一般の家庭で飼われることになるでしょう。少なくとも盲導犬の訓練を受けた犬ですから、聞き分けもよくて、利口で、飼いやすいことが予想されます。でも、これを読んで知ったのですが、いろいろな人生ならぬ犬生が待っているのですね。


詳細は本を読んでもらうとして、その一部を引用しながら、内容を紹介することにしましょう。

盲導犬は、飼い主がレストランなどで食事をしている間も、テーブルの下でじっと待っている。
「それって、食べたいのをがまんしているのではないんですか? かわいそうだと思います。」
「そうじゃないの。人間の食べ物をたべたことがないので、ほしいと思わないのよ。盲導犬は、何かにつけてしんぼうさせられて、かわいそうだと思っている人もいるかもしれないけれど……。それは、まちがいなのよ。」
と高橋さんはいった。
」(p.8)

小学校へ行って、盲導犬のことを知ってもらう活動をした時の話です。この時に連れて行った犬は、本当の盲導犬ではなく、盲導犬になれなかった犬。この本では不合格犬と言っていますが、正式にはキャリアチェンジ犬とか不適格犬と呼ぶそうです。

それでも、盲導犬の訓練を受けているので、だいたい同じようなことができます。不合格になるのは、ほんのちょっとしたことなのです。しかし、使う人が盲目の人ですから、たとえば突然あまがみとかされたら驚いて恐怖を感じるかもしれません。犬の方にそんな意図がないとしても。なので、かなり厳しい基準で選んでいるのです。

そんな盲導犬は、人の役に立つための訓練を受けます。ですから、好き勝手にトイレへ行ったりしないし、食べ物も定められた時間と場所でしか口にしない。指示されるまで、じっと待つという訓練を受けています。それは人間のエゴで、犬にとってはかわいそうなことなのか? そのことについて、私は何とも言えません。しかし訓練士の方は、犬はそれが喜びなのだと言うのです。


盲導犬になれなかった不合格件は、まずは介助犬麻薬探知犬としての適性検査を受け、合格すればそちらへ行くことになります。そのための新たな訓練は必要ですが、基本的なことは盲導犬として訓練されているので、それほどハードルは高くないようです。

次に、その犬を育ててくれたパピーウォーカーさんに飼ってもらえるかどうか打診します。パピーウォーカーというのは、盲導犬になる犬が子犬の時、約1年ほど愛情を注いで育てるボランティアです。人間とともに生きることの喜びを、この子犬の時に覚えるのです。

最後は、不合格犬が出たら飼いたいと登録しておいた一般の家庭に引き取られます。その時も、慎重に適正を見極め、相性が合わないなら他を探すというようにしているそうです。このように、不合格犬と言っても、それですべてが否定されるわけではないのですね。


基本的に盲導犬を、さわってはいけない。でも、みんなさわりたい。トゥリッシュは、盲導犬にさわりたいというみんなの気持ちを満足させている。」(p.77)

不合格犬には、盲導犬というものを知ってもらうための仕事もあります。最初にあったように小学校へ行ったり、街中で募金活動に同行したりします。その時、多くの人は盲導犬に触ってみたいのです。でも、本当の盲導犬には触ることはできません。ですから代わりに、不合格犬が触らせてくれながら宣伝活動をしているのです。


中村さんから盲導犬をプレゼントされた一人の蔦田さんは、おとなになってから視力を失った。蔦田さんが、鍼灸師のしかくをえるために、国立視力障害センターで勉強することになったのは三年前のことだ。三年間、寮生活をしなければならないので、盲導犬をつれていった。すると、
「犬なんかつれてきて。」
と、センターの人に蔦田さんはしかられた。
」(p.99)

国の機関であり、しかも盲目の人のための機関であるのに、それでも盲導犬が認知されていなかったのですね。そんな状態ですから、民間の施設ではさもありなんでしょう。レストランで拒否されたという話を、ニュースで耳にすることも多いです。


学校に介助犬をつれていくのには、行政の認定が必要だそうだ。つまり、ロックが、「介助犬」としてみとめられるために、認定団体で定められたテストを受けなければならない。そのテストは、認定事業を行えるしせつまで、からだの不自由なあやのちゃんもいっしょに出向かないと、受けられない。」(p.103 - 104)

介助犬を連れて学校に行くということでさえ、ハードルが高いのが現実です。介助犬というのは、介助を受ける人の機能によって、さまざまなことをします。一定のやり方ではないのです。ですから、介助を受ける人と介助犬が一体となって、どんなことができるかが重要になります。

その認定試験を受けるのに、わざわざ特定の場所まで出かけなければならない。健常者でも面倒なことを、身体の機能が衰えている人にやらせる。そんなことをしなくても、検査官が出向けばいいのに、そういうことはしない。それが、現状なのです。


くり返しいいますが、不合格犬は、盲導犬に向いていなかっただけなのです。
 みんなちがっていて、あたりまえ。その犬らしく生きるってことが、輝くということで、それは、人間にもいえることだと思います。
 わたしたちも、まずは、なりたいものを目指しましょう。でも、目指している何かになれなかったからといって、その人の価値が変わるものではありません。
」(p.108)

不合格犬だからダメではないのです。ただ、向いていないとわかっただけ。向いていないとわかったなら、他の道に進めば良いのですね。それは人間も同じ。目指しているものになれなかったとしても、それでダメではないのです。


ここで紹介されている不合格犬たちの活躍を知ると、なんだか力が湧いてきますね。それぞれでいいんだ。こういう自分を「良い」と言ってくれる人もいるんだ。そういうことが、わかるのではないかと思います。

盲導犬不合格物語
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:19 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

ソバニイルヨ



待ちに待った喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの最新刊を読みました。喜多川作品ですから、ハズレがあるはずがありません。今回はどんなふうに感動させてくれるのだろう。そういうワクワクした期待とともに読み始めたのです。

しかし、読み始めてからしばらくは、特に大した感動もなく物語が展開します。「あれっ? こんなもんなの?」と、肩透かしを食らったような感じで読み進めたところ、後半にドカーンとでっかい感動が待っていました。


まずはこの小説の概要を説明しましょう。主人公は一人っ子で中学1年生の隼人(はやと)。父の幸一郎は、人工知能を研究開発する仕事の傍ら、自らの研究室を作り独自の研究をしている変わり者。母の真由美は、仕事と子育てですぐにイライラしてしまう性格。

そんな中で幸一郎は、3ヶ月のアメリカ出張に行くことになります。真由美は「大丈夫」と言うものの、隼人のことで頭が痛い様子。幸一郎は真由美に、自分に任せるように言い残し、アメリカに向かったのです。

幸一郎がアメリカに旅立った日、隼人の部屋に異様な物体がありました。それは幸一郎が残していったロボットでした。しかも、AI(人工知能)によって学習していくロボット、名前はUG(ユージー)。はじめはそのロボットを邪魔者と考え、嫌っていた隼人でしたが、友だちや周りの人との様々な出来事を通じて、徐々にユージーと心を通わせるのです。


ではさっそく、一部を引用してみましょう。

まずはどんなことも、人のセイにしない。自分の責任だって思うこと」(p.119)

あいつのせいだと思わない未来を想像するっていうのは、「将士くんのオカゲで、今の自分になれた」って未来が来るのを想像するっていう意味」(p.121)

どんなことからも逃げない強い人間になりたいと言う隼人に、ユージは先生になると言って教え始めます。その最初が、すべての原因を自分に置くということ。それは「自分が悪い」という意味ではなく、他人のせいだと思わない未来を想像することでした。

多くの人は、これができません。だから、政府が悪い、会社が悪い、上司が悪い、パートナーが悪い、子どもが悪い、近所の人が悪いなどと、他者のせいにして愚痴を言い、不平不満を漏らすのです。そして、自分が「悪い」と決めつけた他者を変えようとして、あくせくするわけですね。

しかし、それではいつまでたっても不幸になるばかりで幸せにはなれません。だから、すべてを自分の責任だと受け入れることが重要なのです。


勉強から逃げずに、ドウセヤルナラって思いながら、質的にも量的にも、必要最低限を超え続けていけば、勉強する時間は隼人にとって、将来への投資になるだけじゃなく、その時間そのものが楽しい時間になる。ソレ人生を楽しむ秘訣。それを学ぶこと何より大事。成績は関係ない」(p.164)

勉強は自分のためにやるもの。そう言う人は多くても、そのように勉強する人がどれだけいるでしょうか? そのコツは、質(丁寧さ)や量(時間やページ数)で必要最低限を超えること。そうすれば、勉強そのものが楽しくなり、それが自分への投資になります。

私は、親から勉強しろと言われたことはあまりありません。「宿題やったか?」とか「お姉ちゃんは帰ったらすぐに勉強するのに・・・」と何回か言われたことはありますが。(姉はすぐに子ども部屋にこもるので、親は勉強していると思ったようです。本当は、マンガを読んだり描いたりしていたようですけどね。)

そもそも勉強そのものは嫌いなことではなかったのです。特に算数数学は、勝手に教科書の先まで自習し、2学期途中にはすべて終えていたくらいです。高校の物理でも、先生公認で授業中に寝ていたのは私くらい。当てられてもすぐに答えられたので、遅い授業ペースに退屈していたのです。自分で好きで勉強していたので、理解力が他の生徒とは別次元だったのでしょう。

その一方で、歴史や地理といった社会学、科学でも覚えることが多い化学や生物、そして英語は苦手でした。記憶しなければ良い点が取れない科目には興味をなくし、高校の世界史では欠点ギリギリという試験結果でしたね。あのころ、この「質と量で必要最低限を超える」という勉強方法を知っていたら、少し違ってきたかもしれません。


隼人の友人は、飼っていた犬(デルピエロ)が亡くなり、ひどく悲しんでいました。その話を聞いたユージは隼人に、コップ1杯の水が乾燥して、世界中に均一に散らばったとしたら、その水分子のうちの何個がこの部屋にあるかと尋ね、それを計算させます。中学1年生の知識でも、それは十分に計算できるのですね。

今でもデルピエロを作っていた六億の原子に囲まれてる……」(p.204)

体重約6kgのデルピエロを形作っていた原子(ほとんどは水から生じた酸素と水素、そして炭素)は、ばらばらになり、この空間を飛び回っていると考えられます。ですから、死んだとしても、つねにその友人のそばにいることを示したのです。

昔、「千の風になって」という歌が流行りました。アメリカで、誰かが作った詩を翻訳し、それに曲をつけたものです。その歌では、亡くなった人が墓の前で悲しむ人に対して、自分は墓の中にはいないと言います。1000の風になって飛び回っているのだと。

たしかにユージの言うように、私たちの肉体を構成する分子は、死んだ後は朽ちていきます。最近は火葬ですから灰になりますが、多くは燃えて気体となって空中に飛び出します。その分子(あるいは原子)は、いつまでも消えることなく、飛び回っているのです。

この部分を読んだ時、ふと思いました。その一つひとつの分子(原子)には、自分(魂)が宿っていると。神は偏在します。すべてが神であると同時に、一つひとつが神なのです。そうであるなら、私たちの魂も同じではありませんか。このことに気づいた時、感動に打ち震えました。喜多川さんが意図したことかどうかはわかりませんが、私には魂がどのように存在しているかがわかったように思えたのです。


思えば、好きな人との出会いというのが、人間を一番変えられるのかもしれない。」(p.207)

悩みの多くは人間関係から生じ、幸せになるのも不幸になるのも、人間関係次第だと言ったのはアドラーです。「神との対話」でも、人間関係がなければ人は進化成長しないと言っています。人は、好きな人と出会うことで自分を見つめ直したり、あこがれを抱いて変わろうとしたりします。どんな人と出会うかは、とても重要なことなのですね。


人には好きなことを言わせておけばいい。
 これをやったら、人からどう言われるか、こんなことを言ったら、人がどう思うか……。
 そんなことを気にしてばかりで、自分の人生でやりたいこともやらずに、言いたいことも言わずに人生を終えていく人がたくさんいる。それって、すごくもったいない。たった、一度だけの人生。隼人は、他の誰かの価値観に合わせることに費やすんじゃなくて、自分の価値観にもっと正直に生きるべき
」(p.215)

人はそれぞれ価値観が違います。どっちが正しいかを気にしていると、他人の価値観に合わせるような生き方しかできなくなります。それを「もったいない」とユージは言います。

「神との対話」でも同じように言っています。自分に対して正直になること。他人のことなど気にせず、超利己的になること。そうしなければ、自分の体験ができません。自分の体験をしないのであれば、何のために自分として生れてきたのか。自分を大切にするとは、自分として生きることなのです。


随所に、本質的な生き方を示す言葉が散りばめられています。そして、喜多川さんの作品には必ずある最後のどんでん返しも。喜多川さんの小説を読むと、本当に生きる気力が湧いてきます。そして、これを他の人に読ませたいという衝動に駆られるのです。

今回の作品を読みながら、私は何度もボロボロと泣きました。何度も嗚咽を漏らしました。読み終えてしまうのが名残惜しくて、あえて読み進めずに時間を置いたりもしました。愛しくて、愛しくて、この本を、この本を読んでいる自分を、読んでいる空間を、この本の存在そのものを、大切にしたいと心から思ったのです。

「愛とは神である」

私個人としては、このことを感じさせてもらった本でした。その意味については、またメルマガにでも書こうと思います。ぜひ、読んでみてください。

ソバニイルヨ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:14 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

白駒妃登美

突如現れた歴史女子という感覚があった白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんです。博多の歴女とも呼ばれていますね。おそらく最初に知ったのは、「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」の記事だったと思います。そのころはすでに、ひすいこたろうさんとの共著を発行され、全国で講演会をされてたのだろうと思います。

白駒さんの本を読むと、ひすいさんとの出会い、そこからブログで情報発信するようになったこと、そんなときにガンになって生きるか死ぬかの状況で本を執筆したことなどがわかります。順風満帆に、歴史家として世に出た方ではありません。知識的には歴史オタクと同じようなレベルだということをご自身も言われていますが、日本の歴史にロマンを感じておられた。その思いが、他の人たちに共感されたのだろう思います。

私も、白駒さんの記事を読んで、すぐに小冊子を取り寄せ、さらには本も購入して読みたくなりました。最近ではついに、バリ島の兄貴ともつながったようで、そのつながりが素晴らしいなぁと思うのです。


◆白駒妃登美さんの本
「博多の歴女 白駒妃登美講演録」
「感動する!日本史」
「人生に悩んだら「日本史」に聞こう」
(共著:ひすいこたろう)
「こころに残る現代史」
「歴史が教えてくれる日本人の生き方」
「幸せの神様に愛される生き方」


白駒さんの本を読むと、日本人としての誇りというか、自信が湧いてきます。日本人は、こんなに素晴らしい民族なのだ、その末裔としての自分はどう生きるべきか、というようなことが自然と思われるのです。

おそらくそれだけ、白駒さん自身が過去の日本人に対してリスペクト(尊敬)されているのだと思うし、それだけの価値があると思えてきます。

白駒さんは最近、バリ島の兄貴と出会われたことで、なおさら日本人としての心意気を失ってはいけないと感じられたようです。「粋」か「野暮か」。そういう判断基準が日本人らしいと白駒さんは言います。こういう感性って、本当に重要だなぁと思います。


※参考:「「憧れ」の思想」
 
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2018年01月09日

幸せの神様に愛される生き方



博多の歴女こと白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの新刊を読みました。白駒さんは、特に日本の歴史を伝えることで、日本人の誇りを取り戻すための講演を行われています。その白駒さんも、一時はガンで死を覚悟されたことがありました。しかし、そこからの大ブレークだったのです。

そんな白駒さんが、運を引き寄せる方法を伝えようとして書かれたのがこの本です。その前には、バリ島の兄貴こと丸尾孝俊さんとの出会いもありました。そしてそのことも、この強運と関係があったようです。帯には、「夢に描いた願望を越えて夢にも思わなかった「強運」のつかみ方!」とあります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

日本人が歴史に刻んできたのは、「天命追求型」の生き方と言えるのではないでしょうか。
 「今、ここ」に全力投球をして最善を尽くした時に、道が開ける。こうして天命に運ばれていく生き方が、日本人の生き方の一つの特徴だと思います。
」(p.29)

西洋の成功哲学は、目標を定めてそれに向かって突き進むもの。一方の日本人は、特に目標を定めることなく、与えられた場所で懸命に生きることで花を開かせる。そういう違いがあると言います。


自分が下りのエスカレーターを駆け上がっていた時には、夢に描いたものしか現実になりませんでした。でも、人の応援をすることで、その人たちの応援を受けることができるようになると、まるで流れるプールを泳いでいるかのように、みんなの後押しで押し流されていく感覚なのです。いろんなことが加速度的にどんどん叶っていって、結局は「夢にさえ思わなかった、夢を超えた、もっと素敵な現実」がやって来るようになるのです。」(p.32)

自分で目標を立てて必死に頑張るやり方でも、夢を叶えることはできると言います。白駒さん自身、そうやって成功してきたのだとか。しかし、自分が目標を立てることをしなくても、他の人の応援をしていたら、他の人からも応援されるようになり、いつしか思ってもみなかった大きなことができるようになった。それが、日本人に合うやり方だ。そう、白駒さんは言います。


私たちは、いいことだけが贈り物で、悪いことは試練なのだと思ってしまいますが、本当は、いいことも悪いこともすべてが天からの贈り物なのです。その時点では悪いことだと思っても、後になれば「あの時の、あの出来事のおかげ」と、すべてに感謝できるようになる。後から考えると、「なんて辻褄が合っているのだろう」と気がつくのです。」(p.54)

白駒さんは、「ぽんちゃん」(白駒さんはガンのことを「ぽんちゃん」と呼んでいます。)にならなければ、出版することはなかっただろうと言います。好きな歴史の話をして回ることも、「ぽんちゃん」のお陰なのですね。


江戸時代の経営者は、「商売繁盛」は決して願わなかったそうです。
 では、江戸時代の経営者が何を祈ったのかというと「諸国客衆繁盛」です。
」(p.76)

つまり、全国のお客さまの繁盛を祈ったということです。自分につながる人たちの幸運を祈る。そういう姿勢があったから、日本は世界でダントツの長命企業が多いのだと言います。実に世界の200年企業の6割を日本の企業が占めているとか。もちろん、単一国家が2千年以上続いているのは日本だけですから、国の繁盛の土台にも、そういうことがあるのだと思います。


私は、一つには、「共生」の思いの強い人を「粋」というのかなと思います。自分と他者との共生。あるいは、人間と自然との共生。
 利休という人は、茶の湯を茶道にまで高め、その茶道を通じてひたすら自己を磨き上げ、究極の「粋」を生きた人だろうと思っています。
」(p.135)

利休の前半生は、堺の商人としてお金儲けをすることだっそうです。それがあったからこそ、わびさびという対極とも言える世界を極めることができた。不幸のどん底がわからなければ、幸せの絶頂も極められない。利休は、他との共生を徹底的に極めることで、茶道を成したのだと言います。


それ以来、私は「だからこそ」という言葉を心のなかで口癖にしようと、心がけています。

 例えば、「両親の仲が悪い、だからこそ」と言ったら、「私はこんなに不幸だ」とは言えません。「だからこそ私は幸せな家庭をつくろうと思って、努力しているの」というように、プラスの言葉しか使えないのが、「だからこそ」なのです。
」(p.140)

すぐに「でも」「だって」と言い訳をしていた白駒さんは、「だから」という接続詞に変えようとしたそうです。しかし、「だから」だと良い理由も悪い理由も探すことができます。そこで考えたのが「だからこそ」という接続詞だったのですね。これなら、悪い理由は出てきませんね。


何をやるのかも大事ですが、もっと大切なのは、どんな思いでやるのかということ。
 どんな花が咲くかは、種子で決まっています。それと同じように、どんな結果になるかは、その動機、その思いの純粋性が大きな影響を与えるような気がするのです。
」(p.178)

どうやるかではなく、なぜやるか。子孫や他人の幸せを祈ってやれば、もっと大きく報われる。バリ島の兄貴と出会った白駒さんは、兄貴の動機の純粋性に感動したそうです。

独立戦争で亡くなった人々の栄誉を称え、彼らの御霊を慰める英雄墓地が、バリ島にもあります。兄貴は、お忍びでしばしばお墓参りにいらしているようです。どれが日本へのお墓か、慰霊に訪れた人がわかるように、紐の鉢巻を準備してお墓に巻いてくれたのも、兄貴です。」(p.175)

白人国家が有色人種の国家を蹂躙し、植民地化していく。アジアでは、タイと日本しか、植民地化されなかった国はありません。日本は、アジアの解放を1つの目的として、大東亜戦争を戦いました。ですから終戦後も、やがてやってくる旧宗主国に歯向かう現地の人たちを助けようと、多くの日本兵が現地に残り、共に独立戦争を戦ったのです。その英雄を、兄貴は大事にしたいと思っておられるのですね。

兄貴のもとを訪れる日本人に、私は声を大にして伝えたいです。「みんな兄貴にやり方を訊きに来るけれど、大切なのは、”やり方”よりも”あり方”。私たちは、兄貴の真心をこそ見習うべきです」と。」(p.181)

自分が成功したいから、兄貴に近づく多くの日本人がいます。でも、兄貴はそんな人も排除せず、優しく歓迎してくれます。そんな中で白駒さんは、「やり方」ではなく、兄貴の「あり方」に学ぶべきだと言います。兄貴の「あり方」とは、「恩返し」であり「恩送り」なのです。


兄貴曰く、
「一生つきあうという覚悟でいると、人に不平不満を持たなくなる」
 なるほど、この覚悟を聞いて、兄貴の人柄や人づきあいの謎が一つ解けました。兄貴は、人の悪口を一切言いません。肩書や実績で人を見ることをせず、いつでもその人の本質を見て、とことん向き合ってくれます。
」(p.192)

白駒さんはそれまで、運を良くするには「縁を大切にすること」や、「恩を感じるセンサーを育むということ」などのポイントがあると考えていました。さらに3番目に、「勘(直感)を磨くこと」も重要だと考えていたとか。ところが兄貴と出会ったことで、その3番目が変わったのだとか。

兄貴は、人付き合いに直感は必要ないと言います。つまり、付き合う人を選別しないのです。その代わり、最初から一生付き合うという覚悟を決めていたのですね。ですから兄貴の周りには大勢の人が集まります。兄貴はすべての人を受け入れ、誰も責めず、切り捨てたりしないからです。


おそらく日野原先生を支えていたのは、医師としての使命感と、「受けて立つ」という気概だったのではないでしょうか。「受けて立つ」、これが日本人の生き方の本質だと思うのです。」(p199)

戦争体験から、常々、野戦病院をイメージして準備をしてきた日野原重明医師。その聖路加病院での準備が生きたのが、あのオウム真理教の地下鉄サリン事件でした。いつ役立つかわからないのに、そのための準備をして来られた日野原先生。それにしても、いざという時は「受けて立つ」という気概を持って望む他なかったのですね。


若者たちは、よく「自分探し」と称して、海外を放浪したり、アルバイトや仕事を転々と変えたりするけど、「君たちに必要なのは「自分探し」ではなくて「お手本探し」だよ。自分というのは、「今、ここ」にしか存在しないのだから、旅に出たり、仕事や環境を変えたところで、自分が見つかるわけではないよ。それよりも、こうなりたいと思えるようなお手本を持てれば、目標とするその人が、人生の岐路に立たされた時に、あなたを導いてくれるよ」と。」(p.208 - 209)

トリプルアクセルで結ばれた伊藤みどり選手と浅田真央選手の思い。他の人がどうかとか、それをして意味があるの?勝てる?とか、そんな世界を超越したつながりと思いがある。それが、「お手本」であり、あこがれの存在なのだと思います。

そこには、ただ自分が美しく生きたい、自分らしく生きたい、という思いしかないのだろうと思います。真央ちゃんは、キム・ヨナのことを見ていたのではなく、ずっと伊藤みどりさんの思いを追いかけていたのだろうなぁと思いました。どんなに失敗しても、自分はトリプルアクセルを跳ぶ。そこにどんな意味があるかなど、どうでも良かった。ただ憧れたから、跳び続けたのだと思います。


この本を読むと、兄貴と出会った後の白駒さんの熱い思いが伝わってきます。白駒さんが、これからの日本人に、若者たちに残したいこと。それは、強運を引き寄せたいなら、自分のことではなく、愚直に他人のために生きよ、という思いではないかと。

これまでの歴史のエピソードは控えめにして、新たな白駒さんの境地が表れている本だと思います。兄貴のファンでもある私は、この本をぜひお勧めしたいと思います。

幸せの神様に愛される生き方
 
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2018年01月08日

マンガでやさしくわかる傾聴



カウンセラーの小宮昇(こみや・のぼる)さんの本を読みました。一部にマンガが取り入れられており、そのシナリオ作成は葛城かえでさん、作画はサノマリナさんです。この本は、1月6日に月島で行われた古宮さんの「神との対話4」のお話会で購入しました。

古宮さんの本はこれまでに、「やさしいカウンセリング講義」「一緒にいてラクな人疲れる人」を紹介しています。この本は傾聴(けいちょう)がどんなものか、それを行う場合のポイントは何かについて、わかりやすく書いてあります。しかし、もっと詳しく知りたい場合は、上記の「やさしい…」を読まれることをお勧めします。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

傾聴とは話し手の言葉をただ聞くことではなく、言葉によって表現されている話し手の思いをなるべく自分のことのように共感的に理解し、理解したことを言葉で返すことを指します。」(p.29)

傾聴のもっとも重要なポイントは、話し手に共感することだといいます。話し手の話の背後にある話し手の思いに共感することが重要なのです。


傾聴するときに大切なことは、話し手の思いやわかってほしいことを、あたかも自分のことのようにありあり、ひしひしと想像して感じながら聴くことです。これが傾聴における「共感」です。それができていればいるほど、話し手は自分のことがわかってもらえるので、表現したい衝動がもっと湧いてきて、正直な思いをさらに話していくことができるのです。」(p.81)

聞き手がしっかりと共感しながら聞いてあげると、話し手はさらに表現したいという衝動から、自分の中の注目していなかった小さなことまで表現しようとします。その表現によって、自分で自分のことに気づいて、変わっていくのですね。


私たちは本来の自然な自分にになれば、調和を好み、人と仲よくなりたいと願い、自分の可能性を伸ばしたくなります。このように、傾聴の根底には、人間の本質への信頼があります。この信頼がなければ、「他人を、自分が思うよい方向へ変えなければならない」と思いますから、相手の話を落ち着いて聴き、相手を受け入れることはできません。」(p.85)

人は無意識に、「こうでなければ」という縛りを持っています。それによって自分も縛っています。そのことによって無理をしたり、傷ついたりします。そういう縛りがあると、不自然な状態になります。優しくしなければいけないと思って無理に優しくしようとすると、どこかぎこちなく、またそうすることで自分が苦しくなるのです。

人は本来、自然な状態であれば愛であり、より良くなろうという成長思考を持つもの。そういう人間性を信頼することが、傾聴には必要だということです。そうしないと、相手の悪い部分が増幅するのではないかという恐れがあって、共感できなくなるからですね。


否定され抑圧されたものはなくなるわけではなく、奥に潜み、歪んで放出されます。たとえば性に対して否定的な態度と抑圧の強い文化ほど、レイプが発生し、性に関して傷付いたり苦しんだりする人が増え、売春やポルノが隠れて流行します。」(p.120)

否定しても、抑圧しても、すでに存在するものは消えません。歪んで醜くなります。これは感情も同じだと言います。「神との対話」でも言われている通りですね。だからこそ、否定して抑圧するのではなく、受容して解放することが重要なのです。


当時の私のように、自分と他人の区別がつかないまま話し手の援助をしようとすれば、話し手がよくならないときに苦しむことになります。そしてそうなる原因は、私の中に根深く巣食っていた、「人を助けないとぼくは価値がない」という自己無価値感でした。」(p.136)

「私は私、あなたはあなた」というように、しっかりと自他を区別することが重要です。違いを認めるとか、ありのままに自他を受容すると言ってもいいでしょう。これが、傾聴する時に重要になると言います。そうしないと、かつての古宮さんがそうだったように、「相手を救う」ことを生きがいとして依存してしまうからです。

このように依存してしまうと、相手がありのままでいることが許せません。救われてくれないと困るからです。相手の自然な成長を待てないし、相手には相手の自由があることを受け入れられなくなります。これでは、相手を助けることにならないのです。


この本に書かれていることは、本当にポイントのみです。しかし、そのポイントがとてもわかりやすいです。おそらく、これを読むだけでも相当なレベルの傾聴ができるようになるのではないかと思います。もちろん、ただ読むだけではなく、実践が必要でしょうけどね。

今回の一時帰国では、お話会に参加して「神との対話4」の情報を得ることと古宮さんにお会いすることが、もっとも重要な目的でした。初めてお会いした古宮さんはとってもフレンドリーで、親しみやすい方でした。本にサインもしていただき、どうもありがとうございました。

マンガでやさしくわかる傾聴

小宮昇さんのサイン
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:36 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

お客さまはぬいぐるみ



不思議な旅行会社があることを、忘れてしまったのですが何かで知りました。「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」ではなかったかと思います。人間のお客さまはお断り。ぬいぐるみだけが対象のツアー会社なのです。

ぬいぐるみが旅行って、どういうこと? いったいどんなニーズがあるの? そんな疑問を抱きました。その答えは、本人が旅行に行けないから、その身代わりとして旅行してもらう、ということでした。わざわざそんなことをする人がいるのかなぁ? そういう気持ちもしましたが、なぜかとても気になったので、この本を買ってみたのです。

著者は、ウナギトラベルを起業された東園絵さんと記者の斉藤真紀子さんです。NHK「あさイチ」などで紹介されたことでブレークしたウナギトラベル。どんな人が、どんな思いで依頼するのか。その結果、どうなるのか。そんなことが、この本には書かれていました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

江戸時代には、お伊勢参りに病気などで行けない人は、犬にお金を持たせて旅に出し、お札をもらってこさせたという。そうしてお伊勢参りをする犬は「おかげ犬」と呼ばれた。
「おかげ犬ならぬ、おかげぬいぐるみが、自分の思いをかなえてくれるなんて」
 由紀さんは、どうしてもこの年、伊勢神宮に行きたかったけれど、旅行に出られるほど体調が回復しなかった。でも、くまこさんが参拝している様子を見ていたら、なんだが自分がお参りしているような心持ちになってきた。
」(p.64 - 65)

そう言えば、「おかげ犬」の話を聞いたことがありました。昔の人は大らかだったのだなぁと感じたのです。だって、その犬だって何かを食べなきゃなりません。みんなが餌をやって、「えらいねぇ。がんばってね。」と、犬を励ましたのでしょう。まあ、それ以前に、犬が伊勢神宮へ参ってくること自体がすごいことですけどね。

自分の身代わりに誰か(何か)にどこかへ行ってもらう。それを自分ごとのように思う。そういう考え方は、昔からあったのですね。そんな昔の大らかさを再現したのが、このぬいぐるみのツアーなんだなぁと思いました。


おんぶでもドライブでも、のんびりした旅行でも、母はやっぱり「行きたくない」と言ったかもしれない。自分の手元を離れて楽しげに旅をするカエルがそうであるように、母も「ひとりの独立した存在」なんだ。みんな、それぞれの人生がある。その人生に、私が後悔したり、悲しんだりするなんて、おこがましいのではないだろうか。」(p.90)

旅行に誘っても頑なに「行かない」と言っていた母。その母が生前、京都旅行の写真を見せた時、いいところへ行ったねぇと顔を輝かせました。その記憶から、本当は行きたくなかったのではなく、旅行をすることで迷惑を掛けたくなかっただけではないかと、娘は感じたのです。

そうして申し込んだのは、母の代わりのカエルの旅行。母は、旅行をしたかったのか、したくなかったのか、そんなことをいろいろと考えさせられたのだそうです。そのことによって、旅行を依頼した本人が、気付かされることがあるのですね。


寝たきりの身体障害者の子どもの代わりとして、病気で外出が困難になった自分の身代わりとして、あるいは亡くなった親への孝行のつもりでなど、いろいろな理由で、このぬいぐるみの旅行に申し込みがあるそうです。

とても不思議な気はしますが、それによって申し込んだ本人が、何かを得たいとか、自分が変わりたいと思っているのでしょうね。ある意味で、カウンセリングのような役割をしているのだなと感じました。

お客さまはぬいぐるみ
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:04 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

あなたの「最高」をひきだす方法



カリスマ・コーチのアンソニー・ロビンズ氏の本を読みました。翻訳は堀江実さんです。この本も、ずっと前に購入し、途中まで読みながら読み終えずにいたものです。ロビンズ氏の言葉を集めたもので、「こころの習慣365日」というサブタイトルがついています。日めくりのように1日に1つずつ読みながら、ロビンズ氏の考え方を身につける。そういう意図なのでしょう。

これまでにロビンズ氏の本は、「自分を超える法」「一瞬で自分を変える法」「人生を変えた贈り物」「アンソニー・ロビンズの運命を動かす」を紹介しています。ロビンズ氏の考えは、単にコーチング手法的なものではなく、何かスピリチュアルな感じがします。それだけ本質的だということです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

すべての行動のもとは何でしょう。私たちは何者なのか、この人生においてどこへ向かおうとしているのか。これらを決めるものは何なのでしょう。
 それは決意です。決意した瞬間に、私たちの運命は形作られるのです。状況とか条件とかではなく、あらゆるものにもまして、私たちの決意こそが運命を決定するのです。
」(p.12 - 13)

自分の運命を決めているのは、出会う人や状況、出来事といった外的要因ではないのです。その主要因は「決意」だと言い切ります。私たちの意志が、自分の運命を決めるのです。


人間の持つすごい能力は、起こる出来事を幸福にも不幸にも、どちらにも意味づけできるということです。」(p.52 - 53)

どんな出来事が起きても、幸せにも不幸にもなれる。この幸せ実践塾でもそう言っていますが、ロビンズ氏も同じことを言っています。


習慣的に自分に尋ねるには、どんな質問が有効でしょう?
 困難にぶつかったときに、それを乗り越える質問の中で私が特に気に入っているものは、「この困難の良いところはどこだろう?」と「どうやってこれを利用できるだろう?」の二つです。
」(p.86)

質問力が重要だというロビンズ氏。とりわけ、困難な状況で、そこに良い面を見つける質問をすることが重要だと言います。


私たちは、嫌な気分にはごく自然になるのに、良い気分になるには理由を必要とします。でも、理由などいらないのです。今すぐ良い気分になろうと、ただ決めればいいのです。」(p.132)

感情は自分で決めることができる。外的な理由は要りません。このことも、幸せ実践塾で言っているのと同じですね。


あなたがほんとうに望んでいたものは恋愛でも恋人でもなく、恋愛があなたに与えてくれるものだったのではないでしょうか。つまり恋愛の最終価値としてのパートナーシップや親密さです。恋愛はこれらを自動的に運んできてくれるわけではありません。
 あなたのほんとうのゴールは恋愛の最終価値(としてのパートナーシップや親密さ)なのだと知らなければならないのです。
」(p.175)

私たちは、つい目先のことを目標にしがちです。恋愛もそうですが、お金儲けもそうです。本当はそれが最終目的ではないのですね。

ただ寂しさを埋めたい為だけに恋をしても、寂しさは埋まりません。恋愛は、そういうものではないからです。「神との対話」でも、間違った理由で人間関係を結ぶから、人間関係が上手くいかなくなると言っています。

本当の目的を見極め、そこをターゲットにすべきなのです。


良い気分になるためには何が必要でしょうか。
 答えは、良い気分になるためには何も起きなくてもいいということです。
 あなたは、今すぐにでもそうしたいと思えば、良い気分になれるのです。あなたを良い気分にするのは、ほかの誰でもないあなた自身なのですから!
」(p.181 - 182)

前に出てきたのと同じですが、良い気分になるのに条件は不要です。自分がそうなると決めればいいのですね。


私たちが授かった最も素晴らしい贈り物の一つは、未来に対する期待と不安です。
 先がすべて見えてしまったら、人生はどんなにつまらなくなることでしょう。
 次の瞬間に、あなたの人生をすっかり変えてしまうような何か素晴らしいことが起きるかもしれないのです。
 私たちは変化を愛することを学ばなくてはいけません。
 なぜなら、それだけが確かなことなのですから。
」(p.245)

確実なのは変化。諸行無常と言われるとおりです。ですから、未来は安定しません。何が起こるかわからない。それは期待でもあり、不安でもあります。その不安を恐れるあまり、萎縮して、喜べなくなってしまうのはもったいないのですね。


短い言葉ばかりなので、1日1つずつ読むのに苦労はないでしょう。枕元に置いて、そういう習慣を作ってみるのも良いかもしれませんね。

あなたの「最高」をひきだす方法
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バンコク・スワンナプーム空港でリエントリー・ビザを取得する

先月は、バンコクで自家用車の運転免許証の更新とオートバイの免許取得(日本の免許からの切替え)を同時に行うことに挑戦しました。

今回はもっと簡単なのですが、スワンナプーム空港でリエントリー・ビザ(リエントリー・パミット:再入国許可)を取得することに挑戦しました。


事前の情報で、簡単にできるということはわかっていました。問題は場所です。以前のところができなくなっている、という情報があったからです。

早めの3時間前に空港に到着し、チェックインを済ませました。チェックイン後でないと得られないという情報もあったので。

ANA(Lカウンター)は、3時間前でないとカウンターをオープンしないので、それ以前に行っても、ただ待つだけになります。


●発行カウンターを探す

まずは、どこで発行してくれるのか、カウンターを探しました。念のために、最初は以前の情報の場所へ。

情報通り、GとFのチェックインカウンターの間の向こう側に、それらしき部屋がありました。

以前のカウンター

カウンター(ブース)そのものは閉まっていませんが、リエントリーの発行はここではやっていないことが書かれています。各ゲートにある、ということが書かれていますね。

情報では、2番のパスポートコントロールにあるとのことですが、念のために一番奥の3番へ行ってみました。その入口で尋ねると、やはり2番へ行けとのこと。2番で正しかったようです。

2番のパスポートコントロール入口

チェックインカウンターのMまたはJの向こう側に、エスカレーターの登り口があります。そこから登って、上階で荷物検査を受けます。それが終わったら、内部のエスカレーターを降ります。

降りたところで、右は外国人、左はタイ人と書いてあります。人が多い時は、外国人でも左へ行けます。そのように書いてあるので。

しかし、リエントリー・ビザの発行カウンターは右側にしかありません。エスカレーターを降りて右側の突き当り壁沿いです。

他のWEBサイトで写真も載っているので、写真は撮りませんでした。一応、撮影禁止なので、わざわざ断って撮影するのも面倒なので。

それに、場所は簡単なのですぐにわかります。部屋のコーナーに小さいブースを設け、その上に「RE-ENTRY」とでかでかと書いてありますから。


●リエントリー・ビザを申し込む

人がいれば、順番待ちをします。私の場合、前に3人ほどいました。私の後は誰も来なかったので、けっこう空いているようです。1人5分くらいで受付は終わります。

順番が来たら、パスポートを渡します。(航空券を渡したかどうか覚えていませんが、ここまで来れば必要性はないかと。)

タイにいつ戻ってくるのか、シングルかマルチか、と尋ねられるので、それに答えます。

WEBカメラを持って「写真を撮る」と言うので、いい顔をします。(冗談です。普通にしてください。)

あとは係員がタイプしてくれて、申込書を印刷して出しますから、それにサインをし、料金を支払います。
私は、シングル1,000バーツ+申込書&写真200バーツ=1,200バーツでした。(マルチは3,800バーツです。)

横並びに椅子が並んでいて、そこで待つように指示されます。待っていると、5分かそこらで、領収証とパスポートを持ってきます。そこで、リエントリー・ビザを示して正しいことを確認するので、OKなら受け取って終わりです。

正面がパスポートコントロール(出国審査場)ですから、そのままそこへ出て、適当な列に並んで、出国審査を受けて出国します。


●わかったこと

手続きは簡単ですが、実際にやってみてわかったことがあります。

1つ目は、写真だけ持って行っても受け取ってくれない、ということです。調べた情報の中に、申込書と写真を持っていくと200バーツかからないとか、写真だけでもOKだとかあったもので、とりあえず写真だけ持って行って差し出したのですが、あっさりと突き返されました。

その理由は、出来上がった申込書を見たらわかりました。写真は、貼り付けたものではなく、印刷されたものだったのです。それに、はっきりと書かれていました。申込書&写真で200バーツだと。

ですから、おそらく自分で書いて写真を貼った申込書を持って行ったなら、200バーツは不要だということでしょう。

2つ目は、出国審査を済ませた後でもリエントリー・ビザを発行してもらえる、ということです。

前に並んでいた2人の女性は、パスポートを受け取った後で、そのまま壁沿いに進んで、出国審査の裏側へ出てしまったのです。係官に誘導されて出て行ったので、問題はないのでしょう。

それで思いついたのは、出国審査を経て出た後、壁沿いに左に回ってくれば、そこへ来られるということです。だから元のブースに、各ゲートと書いてあるのではないか、と思うのです。

ただしこれは、私の憶測です。ファーストトラックなど特別なパスポートコントロールを利用した人しか受けられない方法かもしれません。ですが、もし出国審査を出てしまった後で気づいた場合でも、諦めずに尋ねてみるとよいかもしれません。


リエントリー・ビザ

ということで、プチ挑戦は問題なく終わりました。これで今月末までの滞在許可があるので、それが切れる前に1年ビザに更新します。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 09:19 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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