2024年11月03日

反日種族主義

反日種族主義 日韓危機の根源 (文春文庫) - 李 栄薫・編著
反日種族主義 日韓危機の根源 (文春文庫) - 李 栄薫・編著

もう随分と前に発売された本(2019年11月に日本語版が発売された。)ですが、何かの情報から読んでみたいと思い、文庫本ですが買って読むことにしました。
著者は李栄薫(イ・ヨンフン)氏など、韓国の歴史学者の方々です。政治的な意図によらず、歴史学者として歴史の真実を明らかにして、正確に伝えなければならないという義憤から、この本を出されたようです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介したいと思います。

李承晩(イ・スンマン)学堂は、大韓民国の初代大統領・李承晩(一八七五〜一九六五)の一生を再評価し、彼の理念と業績を広く知らしめるために設立された機構です。このたびの『反日種族主義』(本来の韓国語版)は、その李承晩学堂が企画し刊行しました。多くの日本人がこの点を不思議に思うことでしょう。李承晩は強硬な反日政策を採った人物ではなかったか、彼を尊崇しようと設立された機構が、いったいどういうわけで彼の政策を批判する趣旨の本を刊行するというのか、と。そのことについてこの序文を借り、簡略に説明しておこうと思います。
 李承晩は、近世の西ヨーロッパで発生した自由という理念を体系的に理解した最初の韓国人です。彼は、すでにあまりにも衰弱し、蘇生の可能性があるのかさえ不透明だった我が民族を「自由の道」に導くのに、その生涯をかけました。
」(p.11-12)

彼は当初、日本に対して好意的でした。一九〇四年、監獄で執筆した『独立精神』という本で、彼は日本民族の賢明さと勇敢さについて幾度か言及しています。一九〇五年、韓国が日本の保護国に転落したあと、さらに一九一〇年、韓国が日本に併合されて以後、日本に対する彼の態度は変わりました。彼は日本の侵略性を批判し続けました。」(p.12)

李承晩は、自分がジェファーソン流の自由主義者であることを誇りに思っていました。彼は、自由な通商を通して世界が繁栄と平和の道を歩むようになる、と信じました。ただ、この点を想起すると、彼が大韓民国の初代大統領として採った強硬な反日政策は、簡単には納得しかねるところです。多くの日本人が、そのために李承晩に対しあまりよくない感情を抱いています。しかしながら一九五〇年代の記録を細密に読んで行くと、彼の強硬な反日政策は建国の草創期にはほとんど不可避な苦肉の策だった、という考えに至ります。」(p.12-13)

一九四八年の建国当時の韓国人の正体は、曖昧極まりないものでした。人口の半分以上は字が読めず、絶対的多数は伝統小農社会の構成員でした。彼らに「自由」を説き聞かせるのは不可能なことでした。」(p.13)

李承晩学堂の活動には、彼が残した負の遺産を克服する努力も含まれています。本学堂の『反日種族主義』刊行を、そのような趣旨で納得してくださればありがたい限りです。」(p.14)

反日バリバリの李承晩元大統領の功績を称えるための李承晩学堂が、この本を刊行しようとした理由が語られています。つまり、李承晩元大統領の真の目的は、韓国に自由をもたらすことだったが、そのためには反日という国民共通の敵を作ることで国民を団結させ、国力を高める必要があったということなのでしょう。
それが李承晩元大統領の本当の目的だったなら、李承晩学堂としては、その真意を世に広める必要がある。そしてそのために、方便として使われた反日というツールを、今は見直すべきだということかもしれませんね。


この国の国民が嘘を嘘とも思わず、この国の政治が嘘を政争の手段とするようになったのには、この国の嘘つきの学問に一番大きな責任があります。私が見るところ、この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です。そう言っても大きな間違いではないと確信しています。」(p.24)

彼らは、原告たちの嘘の可能性の高い主張に対し疑いを持ちませんでした。彼らもまた、幼いときから嘘の教育を受けてきたためです。彼らは、国際人道主義を実現するという溢(あふ)れるばかりの正義感と使命感で判決を下しました。それにより、この国家と国民がどれほど大きな代価を払うことになるか眼中にもありません。「嘘をつく社会や国家は滅び行く」という歴史の法則は、こうやって少しずつ実現されて行くのかもしれません。」(p.28)

嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、政治と司法を支配するに至った過ぎし六〇年間の精神史を、何と説明したらよいのでしょうか。人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対し寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がって行きます。」(p.29)

このように、韓国社会には「嘘の文化」が定着しており、歴史学者や社会学者といった学問領域だけでなく、政治や司法においても嘘がはびこっていると糾弾します。
けれども、その嘘をつくことがメリットになる社会文化ができてしまうと、誰にもそれを止められなくなる。そしてその社会は、没落していくしかないのだと嘆いているのです。


小説『アリラン』はその実在した歴史を、幻想の歴史、つまり虐殺と強奪の狂気にすり替えました。そうして商業的に、さらには文化的に大きな成功を収めました。韓国社会に伏在した種族主義文化、そのシャーマニズムとトーテミズムの世界を巧みに形象化したからです。」(p.41-42)

日本軍がいかに韓国人に対して酷いことをしてきたかを、小説によってイメージ化したのが「アリラン」です。この大衆小説は韓国社会に受け入れられ、さもそれが事実であったかのように国民を洗脳したのです。 
こういう物語を通じた人々への訴求は、世界中で行われてきた非常に効果的なプロパガンダです。中国でもさかんに反日映画が作られました。事実を淡々と述べるより、物語(小説、映画、ドラマ、演劇など)によって示す方が、人々の心に浸透するのです。そしてフィクションとノンフィクションの垣根が低くなり、人々はフィクションを事実と錯誤します。もちろん、それが狙いです。


我が国の国史学会を代表する学会の会長まで務めたある研究者は、この時期に朝鮮から「流出」した、あるいは「収奪」された資金の規模は、国内総生産(GDP)の八〇パーセントを超えた、というとてつもない主張まで展開しています。もしそのようなことになっていたら、朝鮮の経済は見る影もなく萎縮し、朝鮮人の生存自体が不可能だったことでしょう。このような主張には、この時期、朝鮮人の死亡率が大きく下落し、平均寿命も延び、人口も大幅に増えたという事実を想起すると、深刻な疑問を提起せざるを得ません。」(p.66-67)

日本は旧韓国政府の主権を強制的に奪い、植民地として支配しました。一国の主権を文字通り「強奪」したと言えるでしょう。日帝はまさにこの点において批判され、責任を免れることはできないと思います。しかし、教科書は、個人の財産権まで蹂躙(じゅうりん)し、朝鮮人が持っていた土地や食料を手当たり次第に「収奪」したかのように記述していますが、それは事実ではありません。当時の実生活では、日本人が朝鮮人を差別することは数えきれないほどたくさんあったでしょうが、民族間の差別を制度として公式化してはいませんでした。当時の朝鮮経済は基本的に自由な取引の市場体制であり、民法などが施行され、朝鮮人、日本人の区別なく個人の財産権が保護されていました。」(p.75-76)

先に見た通り、日本が朝鮮に施行した各種制度と、朝鮮で実際に起こった経済的変化を照らし合わせてみると、教科書の記述は初歩的な常識にも合わないだけでなく、当時の実情を大きく歪曲しているのが分かります。」(p.76)

嘘とでたらめな論理で日帝を批判して来て、また、大多数の韓国人がそのことにあまりに慣れてしまったため、それが虚構であることが明らかにされると、日帝をどのように批判したらよいのか分からず、当惑させられるのです。
 虚構を作り上げ日帝を批判することは、国内では通用して来たかもしれませんが、それで世界の人々を説得できるでしょうか? 日本人を含んだ世界の人々が納得できる常識と歴史的事実に基づいて日帝を批判できる能力も育てられない教育、これが我が国の民族主義の歴史教育がおちいっている陥穽(かんせい)であり、逆説だと言えます。
」(p.76-77)

朝鮮併合の後、土地調査事業によって朝鮮人の土地を収奪されたと言われているのですね。南京大虐殺もそうですが、そんな酷いことがありながら、その前と後とで人口などを比較すると、衰退しているのではなく興隆しているという統計数値が、その吹聴される事実に対する大いなる懸念を示しています。
そして、そうやって事実に基づかずに批判非難することによって、真実を見る目が失われ、本来、歴史から学んで正すべきことを正す力が失われていることを著者は嘆きます。私も同感です。科学的であるなら、まずは真実を明らかにすることが重要です。

さらに言うなら、日本がまるで侵略的に朝鮮を併合したかのようなことを言われてますが、それはちょっと違うと思います。もちろん、そういう勢力もあったかもしれませんが、日本の目的は南下するロシアに対する防衛戦や緩衝地帯として朝鮮半島を位置づけていたというのがメインでしょう。だから併合に反対する人も多くいた。そして朝鮮は日本とロシアのどっちの傘下に入るのが有利かという考えで国論が二分されており、最終的に日本の配下になることを望んだ国内勢力が勝ったのです。
もちろん、それでも他国の主権を奪うようなことはしてはならなかったと現代の価値観で言うことは可能でしょう。しかし、当時の価値観、植民地を作ることが罪とされなかった当時の価値観において、いったい誰が裁くことができるでしょうか。


このような低劣な精神世界にとどまっていたのでは、独島問題の解決は不可能だと考えます。金大中政権まで続いた歴代政権の冷静な姿勢に戻って行く必要があります。一九五一年、米国務省が明らかにしたように、独島は一つの大きな岩の塊に過ぎません。土地があり、水があり、人が暮らす島ではありません。国際社会が領海を分ける指標として認定する島ではありません。それを民族の血脈が湧き出るものとして神聖視する種族主義の煽動は、止めなければなりません。冷静に于山島と石島の実態について考えてみなければなりません。」(p.180-181)

他のところで明確に書かれているし、日本側も主張していますが、独島(竹島)が韓国の領土だったという歴史的な根拠はまったくありません。日本が領土と定めた事実があるだけです。それを戦後のドサクサに紛れて実効支配しただけ。この事実に目覚めない限り、韓国の人が真実に向き合うことはないのだろうと思います。


成員は、家父長戸主に対して無権利です。例えば、成員が取得した所得は、別規定がない限り、戸主の所得に帰属します。妻の社会活動も、戸主の承認があってこそ法的効力を有します。戸主制家族は、徹底的に男性優位の家父長制文化です。このような文化、このような権力であったため、女性の性を国家が管理する公娼制が成立できたのです。」(p.280)

家父長制によって、戸主、つまり父親の一存に従うしか他の家族の生き方はなかった。日本もそうですが、そういう時代があったのです。


要するに、大衆文化作品でも一九八〇年代初めまでは、慰安婦は不幸で可哀想な、自分または他人に恥ずかしい、面目がない女性たちでした。日本の植民支配の被害者ではありませんでした。米軍慰安婦を被害者と見なさいのと同様です。その理由から日本軍慰安婦は、国史教科書でも戦時強制動員の一つとしては言及されなかったのです。」(p.338)

韓国には元々、女性が性を提供することで世渡りをする文化がありました。それを政府が公認することで公娼制が始まったのです。その文化は、日本が持ち込んだものと言うより、韓国にも日本にもあったものでした。だから、戦後、韓国は、朝鮮戦争の中で米軍に対して慰安婦を提供したのです。


今では、交戦中に一方の軍隊が占領地の女性を強姦することは犯罪です。しかし、第二次世界大戦でドイツが敗れたとき、ドイツに攻め入ったソ連軍だけで最少五〇万人から最大一〇〇万人のドイツ人女性が強姦されました。ベルリンだけで一一万人の女性が強姦されたそうです。それでもこの集団強姦は、当時は何の問題にもならず、その後も冷戦などの複雑な理由のため、そのまま歴史の中に埋もれました。世界大戦を引き起こしユダヤ人を虐殺した国だから仕方がない、と言ってはいけません。ドイツが戦争を起こしたとしても、ドイツ人女性が強姦されてよい理由などないのです。」(p.363)

本当に元慰安婦たちが経験した苦痛と悲しみに共感し、彼女たちを慰めたいなら、日本を攻撃するより、まず一九九〇年までの我々の四五年間を、それ以降も含めた解放七〇余年を反省すべきです。娘を売ったのも、貧しい家の女性を騙して慰安婦にしたのも、また、その女性たちが故国に帰って来れないようにしたのも、帰って来たとしても社会的賤視(せんし)で息を殺して生きて行くしかないようにしたのも、我々韓国人ではありませんか? 五〇年近く、あまりにも無関心だったのではないでしょうか? 五〇年過ぎて新たな記憶を作り出し、日本を攻撃し続けて、結局韓日関係を破綻寸前にまで持って行ったこと、まさにこれが一九九〇年以降の挺対協の慰安婦運動史でした。我々は、この慰安婦問題の展開の中に最も極端な反日種族主義を見ます。」(p.365-366)

戦時中、女性の性を国のために思うがままにした事例は、世界各国にあります。もちろん、戦時中に限らず、平和な状態でもありました。その中で、今の価値観からすれば最も酷いと思えるのが、ソ連などによる現地調達、つまり敵国の女性をレイプするというやり方です。
日本軍は、そういう行為を禁止しており、だからこそ慰安所を設立して自国民(当時の韓国人は日本人です)の女性を慰安婦として採用したのです。
そして、慰安婦(売春婦)の文化は、それ以前から韓国の中にありました。かつては中国に、女性を貢物として献上していましたからね。だからこそ韓国は、第二次大戦後も米軍慰安婦を進んで提供したのです。
もし本当に、そういう女性に対する性の搾取が悪いことだと言うのなら、まずは自国の文化を改めるところから始めるべきでしょう。今のやり方は、日本を攻撃することで溜飲を下げるために、自国の女性を利用しているだけだと私も思います。


何年か前に歴史学界は、この国の政治体制は「自由民主主義」である、という通説を否定し、「自由」の二文字を削除しなければいけない、と主張しました。二〇一七年、ロウソク革命で政権を取った文在寅大統領と彼の支持勢力は、憲法から「自由」を削除する改憲案を準備しました。世論の反発が激しく、撤回するにはしましたが、条件が整えばまた推進する意思を隠さずにいます。彼らは「自由」に対し敵対的です。自由を個人の軽薄な利己心だと考えています。」(p.370)

このような自由が花開いた所が、宗教改革以後の西洋でした。西洋人は地球が丸いということを知り、五大洋・六大州を駆け巡り、通商しました。これが今日、西洋が全ての面で東洋を圧倒した原因です。将来世界は通商を通して一つになるでしょう。多様な人種が自由な世界家族として統合されるでしょう。戦争がなくなり、永久の平和が訪れるでしょう。これは、どの国も逆らうことのできない神の摂理です。私のものが一番だと言って門戸を閉ざし、自らの国民を奴隷として使役し、外の世界との交渉を拒否する国と人種は、消滅するでしょう。
 以上が、李承晩が『独立精神』で披瀝(ひれき)した自由論です。要約すると、自由とは通商であり、学問であり、競争であり、文明開化であり、永久平和です。
」(p.374)

李承晩元大統領は、こういう信念があって、韓国をより自由な国にすべく、政策を行ったのでしょうね。その過程として、反日的なことをせざるを得なかったのかもしれませんが、それは裏目に出ました。だからこそ、著者たちは、その李承晩元大統領の信念のためにも、この本を上梓(じょうし)せざるを得なかったのでしょう。


私も、世界平和を実現する方法を考えたことがあります。アメリカ合衆国のように、EUのように、国の垣根を超えて連結する。その輪を広げることで、世界国家を作るのが一番だと考えました。それには国境を低くすることが重要なのですが、そのためには経済交流を増やすことが有効だと思いました。まさに通商の自由化です。
またスピリチュアル的にも、自由を推進することが重要だと考えています。人はそれぞれ違うということを受け入れることで、他人に自分の価値観を押し付けることがなくなり、お互いに自由になれます。そうやって自由を推進していくことが、平和な世界を実現することにつながると思っています。

日本人の中には、韓国の反日思想に辟易して、韓国とかかわらないようにしようと考える人が増えました。私も、そう思います。ただ、私は見捨てるという意味ではなく、寄り添ってはいても無理に変えようとしない、という意味で、思い通りにさせようとすることを諦めることが大切だと思っています。そこには、いつかはわかってもらえるという信頼があるのです。
私たちは仲間です。ひとつのものです。その前提に立てば、これまで理解し合えない歴史があったとしても、それでも信頼し、じっとその時を待つことができるのではないかと思います。そういう中で、韓国の方の中にも、こういう考え方の人がそれなりにおられることがわかる本を読めて、心強く感じた次第です。

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2024年09月01日

おいしいアンソロジー ビール

おいしいアンソロジー ビール 今日もゴクゴク、喉がなる (だいわ文庫) - 阿川佐和子, その他
おいしいアンソロジー ビール 今日もゴクゴク、喉がなる (だいわ文庫) - 阿川佐和子, その他

私はビールが好きなので、たまにはビール関連の本もいいんじゃないかと思って探したら、ビールに関わるエッセイ集があったので買ってみました。
著者は阿川佐和子(あがわ・さわこ)さんなど多数。時代も、明治くらいから現代までと幅広く、それぞれの時代におけるその人のビール観が楽しめます。


ではさっそく、一部を引用しながら本の紹介をしましょう。

旅の楽しみのひとつは駅前の大衆食堂で飲む一本のビールではないか。
 列車を降り、駅前に昔ながらの大衆食堂を見つけると、まずはそこに入り、ビールを飲む。旅に出ると昼間からビールを飲んでもうしろめたい気持ちはせずにすむ。
」(p.29)

これは川本三郎(かわもと・さぶろう)さん(1944年生)の文。たしかに以前は、昼間からお酒を飲むなんてとんでもない、という価値観がありましたね。
私はタイでリストラに合ってから、朝からビールを飲むことが増えました。それによって慣れてみると、「朝っぱらから飲むのはとんでもない」というのも、単に1つの価値観に過ぎなかったとわかるのです。


ところで、一パイントは五六八ミリリットルである。」(p.66)

タイで飲んでいる時、グラスならゲオとタイ語で言いました。ビールはたいていボトルで飲むので、それはクワットです。ところがバービアで、「パイ」と言うのです。どうやら500mlくらいのグラスに注いだビールは1パイと言うようで、そんなものかと思っていました。
タイ語では英語の末子音を発音しないという特徴があり、「ICE(アイス)」は「アイ」と発音します。ですから、「パイ」とタイ人が言っていたのは、「パイント(pint)」のことだったのですね。初めて知りました。
パイントはアメリカとイギリスで量が違うようで、アメリカの方が少ないようです。(USパイント:473ml、UKパイント:568ml)ちょうど500mlではありませんが、500ml前後の量をパイントと呼ぶようです。


今年はサントリーのスーパープレミアムというビールに出会って嬉しかった。府中工場でしか手に入らない逸品で、小瓶しかないようだが、これを大ぶりのグラスにとくとくとくとくじゅわー(泡のふくらむ音)と注ぎ、いっとき全体が沈静化するのを待っておもむろに「くいくい」やるとき、まあいっちゃあナンだが人生の至福というものをつくづく感じる。つらいことも多い人生だが、しかしこういうヨロコビもあるからなあ……と素直に頷くのである。」(p.72)

これは椎名誠(しいな・まこと)さん(1944年生)の文。椎名さんの本は、以前に何冊か読んだことがあります。内容はすっかり忘れましたが、お名前はよく存じ上げています。
そんな椎名さんと、プレモルが好きという一致点があったのが嬉しかったです。ビール好きには「わかる、わかる。そうだよねぇ。」と言いたくなる表現ですね。


ビールの起源は紀元前四千年、メソポタミア時代とのこと。下ってエジプト時代、ビールは国家の管理で、大きな産業だったそうだ。
 それにホップを加えはじめたのが、八世紀ごろのドイツに於てで、その栽培が広がってゆく。なぜそうなったのかは書いていない。
 ホップ入りがビールの条件なら、歴史は数千年なんて言えないわけだ。それにしても、ホップなしのは、どんな味なのだろう。
」(p.105-106)

先日、酒にくわしい開高健さんに会った時に聞いたら「防腐作用のためじゃないかな」と言っていた。しかしホップの防腐作用など、どの本にも書いてない。」(p.106)

星新一(ほし・しんいち)さん(1926年生)の文です。たしかに、ビールにホップはつきものですが、なぜホップを加えるようになったのでしょうか?
調べてみると、やはりはっきりしないようです。ホップの栽培は7〜8世紀から始まっていますが、ビールに使用されたという記録がないのだとか。現代ではホップはビールにしか使わないようなので、そうであれば栽培が始まった頃からビールに添加されたとも言えますが、12〜13世紀からだという説もあるとか。
またホップを加える目的も様々あり、雑菌の防止、苦みの追加、泡立ちのためなど考えられるとか。ホップを加える前は、複数のハーブ類を調合したグルートと呼ばれるものを使用していたようです。おそらく雑菌の繁殖防止のために工夫していた中で、ホップが有効だとなって残ったのではないか、ということですね。


こうなれば、もうあと、二分後には、冷たく冷えたジョッキを手に持ってゴクゴクやっていることになるだろう。
「あのね、ボクはね、生ビール大」
「オレ、中」「オレも中」
「わたしは小でいいです」「中ね」
「そうするとアレですか。大が4に中が3ですか」
「いや、中は4じゃないの」
「すみません、もう一度一人ずつ言ってください」
 何ということだ。いまは一刻を争っている時なのだ。大も中も小もないっ。こいう火急な場合は、間(あいだ)をとって中と決まっているものなのだ。
「中を九つ」。これでいいのだ。
「とりあえずそれだけ急いで持ってきた」。これでいいのだ。
」(p.146-147)

これは東海林さだお(しょうじ・さだお)さん(1937年生)の文。こういう歴史があって、中生(ちゅうなま)が定着したのでしょうかね。
私も合理的な考え方を好むで、この感覚はわかるなぁ。ああだこうだとつべこべ言わずに、1秒でも早くビールにありつこうよ!(笑)


本書には、「ネパールのビール」と題する吉田直哉(よしだ・なおや)さん(1931年生)のエッセイも入っていました。私はこれを、他で読んだ記憶があります。日本講演新聞だったでしょうか。
内容は、ネパールへ撮影で行った著者が、現地の子どもにお金を渡してビールを買いに行かせるというもの。何回かやって信用できると思ったのか、どうせ買いに行くならと、その少年にとっては大金を渡して買いに行かせたところ帰ってこなかったのです。村人に聞いても、逃げたに違いないと言います。それで著者は、安易な思いで少年の人生を狂わせたことを後悔したというものです。
最終的には、その少年は戻ってきました。行った先で売ってなくて、さらに山をいくつも超えて買いに行ったため、帰ってくるのが遅くなったのだと。なんだか「走れメロス」みたいな話で、印象に残っています。


その時私は、かつてあるビール会社の宣伝部から、
「栓抜きが手元にない場合、あなたはどうしてビールをお抜きになりますか?」
 という、アンケートを受けたことがあるのを思い出した。
「愚問です。お答出来ません。
 栓抜きは捨てる程あるが、かんじんのビールがない場合どうしたものか? そういう質問にならば、名答を差上げましょう」
 私はそんな返信を出したが、栓抜きなしでビールを抜いて見せるなぞという人が出て来たら、大いに感心した顔で、何本でも抜かせる方が、一層気が利いている訳である。
」(p.225-226)

永井龍男(ながい・たつお)さん(1904年生)の文。これを読んで、タイ人が栓抜きなしにビールを抜く様を思い出しました。
彼らは100円ライターや未開栓のビール瓶などを使って、器用に栓を抜きます。私もやろうとしたことはありますが、まったくできませんでした。永井さんに見せてあげたいなぁ。(笑)


あれは、ちょうど産気づいた女性の陣痛とよく似ていて、痛みならぬ尿意が、次第に間隔をちぢめて波のように押しよせてくるものだ。
 はじめは七、八分に一度ぐらい。その波はゆっくりとやってくる。
 しばらくすると、これが三、四分に縮まってくる。一生懸命にこらえていると、やがて波は引き、やっと一息ついていると、ふたたび、遠くから押し寄せてくる感じだ。
 これが目的地ちかくなってくると、三十秒ごとにピッチをあげまさに波がしらがくだけるがごとくだ。もうすぐ家だヨ、もうすぐ便所だヨと考えるともう抑制力もきかなくなってくるのである。
 心のなかで、そういう時は唄を歌って、瞬時でも気をまぎらわしたほうがいい。
」(p.257-258)

そういう苦しい、苦しい過程を経て、ようやく家なり、公衆便所に到着し、そしてそこに駆けこみ、すべてが解放された時ほどシアワセでウレシクッてーー生きていることの悦び、五月の春風そよそよと、ひろきを己が心ともがなという心境になる時はない。」(p.259)

これは遠藤周作(えんどう・しゅうさく)さん(1923年生)の文。ビールを飲んでタクシーに乗って帰宅する途中、尿意が襲ってくるという話です。
これはとても共感できます。(笑)あとちょっとでトイレとわかると、突然、こらえきれない尿意が押し寄せてくるのは、ほんとなぜなんでしょうねぇ? 今度からは狐狸庵先生が言われるように、静かな歌を口ずさんでみようかと思いました。


「ビール」というだけで、あとはわいわいがやがや、大瓶からたがいのコップに注ぎあう。あるいは、生ビールをジョッキで一気にあおるように飲む。そういう飲み方だっていい。しかし、そうではなくて、孤独な時間をもとめて、なにより渇いたこころの親しい友人として、ビールを楽しんで、いわば友人としてのビールと寡黙につきあうというのが、いつかわたしには、じぶんで決めた楽しい約束になった。」(p.264)

これは長田弘(おさだ・ひろし)さん(1939年生)の「ビールは小瓶で」という文。たしかにビールと言えば、大瓶で注ぎつ注がれつしながら飲んだり、上司に御酌したりというイメージがありますね。
私も、小瓶で独りちびちび飲むビールが好きだったりします。こういうスタイルも、タイで一人飲みをするようになってから、覚えたものです。


お酒を飲むようになったころ、最初はビールが苦手でした。あんな苦いものを、なぜ好んで飲むのか不思議だったのです。なので私は、ビールを水で割って飲んでいました。アルコールが苦手なのではなく、苦さを和らげるためでした。
40歳くらいまでは、「とりあえずビール」はあっても、ビールを飲み続けることはまずありませんでした。それがビールだけでよくなったのは、タイで一人飲みをするようになってからだと思います。バービアへよく行くようになり、グラスで出されるウイスキー水割りなどより、小瓶で出されるビールの方が信用できた。(笑)その頃から、ビールだけでいいと思えるようになったのです。

その後、年を取ってアルコールに弱くなり、強いお酒が次の日に残るようになったため、ビールがメインになりました。焼酎も飲みますが、水でかなり薄めます。今では、ビールさえもアルコールが強いので、1日1リットル以内と決めており、通常は350ml缶を1〜2缶です。まぁその後は、薄めてアルコール度数1〜2%の焼酎水割りを飲みますがね。

いずれにせよ今も、ビールとは付き合っています。ある意味でビールは、私の友だちとも言えますね。
みなさんは、どう思われるでしょうか。いろいろな人のビールに対する思いを集めたエッセイ集。楽しめますよ。


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2024年08月12日

日本人が知らない!世界史の原理

日本人が知らない! 世界史の原理 - 茂木 誠, 宇山 卓栄
日本人が知らない! 世界史の原理 - 茂木 誠, 宇山 卓栄

友人の宇山卓栄(うやま・たくえい)さんがまた本を出版されたということで、さっそく買って読んでみました。宇山さんは、元は有名予備校の社会科の講師をされていましたが、今回の本の共著者は、同じく予備校講師でノンフィクション作家の茂木誠(もぎ・まこと)さんです。お二人共、歴史に造詣が深く、また幅広い知識をお持ちです。そのお二人が対談する形で世界史を紐解きながら、なぜこういうことが起こっているのか、この出来事の本質は何なのかなど、興味深い話を展開しておられます。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

現在、世界を見渡すと中東紛争、ウクライナ紛争、台湾危機、アメリカやヨーロッパの移民問題、迫りくる全体主義の脅威など、危機が連鎖的かつ同時多発的に起こっています。その危機の根源とは何か。いったい、世界はどのような原理で動いているのか。
 本書では、その真相に迫ります。
 日々のニュースを短期的に追うだけでは、決して真相は見えません。我々には、歴史という巨視的な文脈が必要であり、その文脈の中で「現在」の真相もまた浮かび上がってきます。
」(p.3)

まず宇山さんが、このように本書の意義を明示されます。歴史は繰り返すと言いますが、現在起こっていることもまた、長い歴史の結果、起こっていることです。それぞれの時において、人々が考え、行動してきたことの集積が歴史であり、その考えや行動の集積(=歴史)は、現在に大きく影響を与えているのです。


ユダヤ人を迫害したのはナチス・ドイツだけではありません。ヨーロッパ諸国でユダヤ人迫害をしなかった国を見つけるのは困難でしょう。帝政ロシアは国内の社会的な不満をそらすために、ユダヤ人迫害を頻繁に行いました。「ポグロム」(虐殺・破壊)というロシア語が使われ、ドイツよりも多くのユダヤ人が殺された可能性があります。ナチスによる虐殺を意味する「ホロコースト」の語源は「焼き尽くす捧げ物」で、70年代に同名のTVドラマがヒットしてから一般化しました。」(p.28-29)

ホロコーストは有名でよく知られていますが、それ以上にユダヤ人虐殺をしたのがロシアのポグロムだったのですね。
そもそもホロコーストは捏造だと言う人がいます。私も、その可能性があると考えています。(「戦後最大のタブー!「ホロコースト論争」」に記事を書いています。)ナチスがユダヤ人をガス室で大量虐殺していたと主張したのは、ベルリンにいち早く乗り込んだソ連だったと聞きました。自分たちが大量虐殺をやってきたから、ドイツもやったに違いないと考え、ドイツ叩きを正当化するために利用した。その可能性があるなぁと思いました。

19世紀のポグロムが一番荒れ狂ったのは実はウクライナです。このときウクライナを脱出したユダヤ難民はアメリカへ移住し、市民権を得ました。その子孫がオバマ、バイデン民主党政権の中枢に入り、ウクライナへの干渉を繰り返す。ブリンケン国務長官も、ヌーランド国務次官もそうです。彼らにとってウクライナは外国ではなく、「父祖の土地」なのです。」(p.30)

ウクライナ戦争の背景には、こういうユダヤ人の怨念のようなものがあるのかもしれませんね。ウクライナとロシアが戦い合って、共に疲弊することは、ユダヤ人の恨みを晴らすことになるのだと。


かつてローマ帝国も移民受け入れにより、社会が荒廃し、遂には滅亡しました。ローマは初期の頃、移民受け入れで成長しましたが、しかし、結局、移民政策が帝国の圧迫要因となっています。」(p.32)

現代、アフリカ植民地支配の贖罪もあってヨーロッパ諸国が移民を受け入れましたが、ほとんどの国で移民が増えすぎたことによる弊害が現出し、社会問題になっていますね。
そういう現実があるにもかかわらず、日本政府は移民を増やす方向に舵を切ろうとしています。たしかに労働力の確保というメリットはありますが、シンガポールのように厳しく区別して、何かあればすぐに追放するような厳しいやり方ならまだしも、日本は5年も住めば永住でき、何なら家族も呼び寄せられるというような甘々な制度を導入しようとしているようです。亡国の道を進むことにならなければ良いのですがね。


人種はDNAなどの遺伝学的、生物学的な特徴によって導き出されたカテゴリーで、それに対し、民族は言語・文化・慣習などの社会的な特徴によって導き出されたカテゴリーです。」(p.74)

「文化」の力、「教育」の力というのはかくも強力なものであり、混血したくらいでは、変わるものではないことがわかります。逆に、文化や教育が廃れれば、その民族は滅ぶといっても過言ではないでしょう。」(p.75)

民族と人種の違いについて語られていますが、現代の日本人の場合は、人種と民族がほぼ一致していると言えるでしょう。ただ、そうは言っても混血は行われてきたわけです。お二人は、重要なのは民族であって、混血によって人種は変化したとしても、教育や文化を維持すれば民族は廃れないと考えておられるようです。

そのあと突然変異が起こり、新しいモンゴロイドであるハプログループOが出現して、Dに取って代わっていったことがわかっています。このハプログループOに属するのが、中国人、朝鮮人、ベトナム人、タイ人、ミャンマー人などです。
 一方、古モンゴロイドのDが色濃く残るのが、チベット人と日本列島の縄文人なのです。チベットは高原のため、日本列島は海によって大陸から隔てられていました。だから新モンゴロイドのOがなかなか入り込めなかったのでしょう。
」(p.76)

人種で言えば日本人はモンゴロイドの一派になりますが、モンゴロイドの中にハプログループDという古モンゴロイドと、Oの新モンゴロイドがあるということですね。どういう突然変異で新モンゴロイドになっていったかはわかりませんが、古モンゴロイドの系統として残っている人が多いのはチベットと日本だけのようです。

おっしゃるように、稲作は長江流域から日本に入ってきています。この時代に、長江流域に分布していた民族はベトナム人などと同じオーストロ(Austro=南の)アジア語派で、いわゆる漢民族とは異なります。
 実は、日本は畑作牧畜の黄河文明からはほとんど影響を受けていません。この時期に、中国の北方から朝鮮半島を経由して渡来人が多くやって来て、日本に文明をもたらしたという教科書や概説書に書かれている従来の説は明らかに間違っています。
」(p.78-79)

最近では多少知られてきましたが、稲作の朝鮮半島伝来説は間違っているということです。伝わるためには朝鮮半島に稲作の痕跡がなければなりませんが、日本で発見されている稲作の痕跡よりも古いものが朝鮮半島にはないのです。しかも、黄河文明は稲作ではなく畑作だった。稲作文明の長江文明が朝鮮半島を経由して日本に伝わるというのは無理があるのです。

2019年、アイヌ人を「先住民族」とはじめて明記したアイヌ新法が成立しました。アイヌ新法で、アイヌ人は日本の「先住民族」と規定されましたが、そう言い切れる証拠はどこにもありません。アイヌ人がいつ、樺太から南下して北海道にやって来たのか、詳しいことはわかっていないのです。文献資料で見られるアイヌ人の記述は今から約800年前の13世紀のことです。」(p.82-83)

アイヌ人が北海道にいたことは間違いありませんが、いつやってきたのかは不明確です。それにも関わらずアイヌ新法で先住民族とされたのは、政治的なものと言う他ありません。科学的な根拠はないのです。
先に紹介したホロコーストの記事にも、アイヌに関することを書いています。どちらも歴史的科学的な研究を無視した、恣意的政治的な決め付きに過ぎないと思います。

最新の遺伝子的研究で確認されたことをまとめてみましょう。
(1)日本人の原型を作ったのは1万数千年にわたりこの列島で生活を営んできた縄文人であり、日本語もこの時代に形成されたと推定できる。
(2)弥生時代と古墳時代には、大陸の戦乱を避けて大量の渡来人(新モンゴロイド)が日本列島に渡ってきたが、彼らは縄文人と共存して日本語を学び、日本人になっていった。
(3)現代人もなお、1割程度の縄文人(古モンゴロイド)の遺伝子を受け継いでおり、これが近隣アジアの諸民族との決定的な違いである。
 縄文時代は1万数千年にわたる平和な時代でした。それは縄文人の人骨に、武器によって傷ついたものがほとんどないことから証明できます。鏃(やじり)の刺さった頭蓋骨が出てくるのは弥生時代からなのです。この縄文の遺伝子が現代人まで受け継がれているという事実は、世界の中で日本人の特性−−気づかいや優しさ、ナイーブさ、自然との共存−−を考える上で無視できないことだと思います。
」(p.85)

前に紹介したSHOGENさん「今日、誰のために生きる?」でも、1万4千年におよぶ平和な時代を築いた縄文人の生き方について書かれています。虫の音を騒音ではなく音楽のように聞ける日本人の特徴は、あのスティービー・ワンダー氏も絶賛しておられるようですね。


江戸時代に貨幣経済が浸透して貧富の格差が拡大し、明治時代には日本が帝国主義の時代を生き抜くために、アイヌの日本人化が強制されたのは事実です。民族の言葉を禁じられて悲しい思いをした人も多いでしょう。その一方で、日本人として懸命に働き、徴兵にも応じ、日本のために貢献してくれたアイヌの方たちもたくさんいます。彼らは日本人と混血し、いまでは完全に日本人になっているのです。江戸から明治にかけて、北米やオーストラリアで行われたことを見てください。
 宇山 オーストラリア先住民アボリジニーは、白人開拓民によって狩猟の対象となりました。アボリジニー狩りというスポーツがあったのです。
」(p.164)

日本も民族弾圧をやったと言われますが、レベルがまったく違います。西欧諸国のそれは、人を人とも思わないようなものでした。東南アジアを植民地化した時も、現地人を猿くらいにしか考えておらず、婦人は平気で裸を見せたそうです。猿に見られて恥ずかしがる人はいませんからね。人ではないと思っているからこそ、スペインやポルトガルの中南米侵略やその後の黒人奴隷貿易、アメリカのインディアン狩りなど、ひどいことができたのでしょう。

北米やオーストラリアの先住民については、この国連声明の通りでしょう。彼らの権利と名誉は回復されなければなりません。しかしすべての先住民がこのような迫害を受けたわけではなく、ケルト人はイギリス人と、エミシは日本人と完全に同化しています。アイヌは鎌倉時代に渡来してきた少数民族であり、先住民という定義が当てはまりません。」(p.165-166)

国連で決まったことだから日本でもやらなければならない。これだけの理由で、北海道を中心に膨大な公金投入が行われ、さまざまなハコモノが建てられ、様々な利権団体に公金がバラ撒かれました。同じことはLGBT理解推進法(2023)でもいえるでしょう。」(p.166)

国連では、先住民の多くが政策決定プロセスから除外され、ぎりぎりの生活を強いられ、搾取され、社会に強制的に同化させられてきたと言っています。それに抵抗して権利を主張すれば弾圧され、拷問や殺害されてきたと。
しかし、このようなことがアイヌ人に対して行われてきたという証拠はありません。今また、沖縄人も先住民族であり虐げられてきた、と主張する人がいますが、実態を無視した政治的なものであると言えるでしょう。

だいたいこういう弱者や被害者を捏造しておいて、それを救済するという理由で公金を垂れ流す(公金チューチュー)仕組みは、左翼勢力が得意とする戦術です。弱者救済を錦の御旗にしているので、誰も正面を切って反対できない。それをいいことに、私たちの税金を掠め取って私腹を肥やす。彼らにすれば、ぶっ壊す対象の日本や政府を弱体化させることにもなるので、一石二鳥ということなのでしょう。そこに善意の人たちを巻き込むことによって、責められた時の盾にする。実に狡猾なやり方です。


しかし、一番の疑問は、なぜ、征服されたアステカ人やインカ人は容易にキリスト教化され、スペイン語化されたのかということです。極めて高度な文明と宗教観を持ちながら、いとも簡単に独自の文明を捨て去り、キリスト教に帰依したのはなぜか。彼らはキリスト教に具体的にどのように、優位性を感じたのか、あるいは感じさせられた(洗脳された)のか。
 ちなみに、日本人の多くはイエズス会の布教を疑問視し、受け入れることがなかったのは周知の通りです。
 その一つの答えとして考えられるのが、茂木先生もご著書『感染症の文明史』で言及しておられるように、免疫力を持っていたスペイン人は病気で死ななかった。「なぜ、彼らは死なないのか」と疑問を持った先住民族に対し、スペイン人は「キリスト教を信じれば救われる」と説いたのです。
」(p.170-171)

たしかに不思議なことですね。こういう視点で歴史を見ることはなかっただけに、言われてみると納得できます。
ただ、それはスペイン人たちが狙ってやったことではなく、たまたまそうなったのでしょう。そして、自らの文明を捨てたのは征服された民族の人々であり、もしこれが理由なら、彼らの中の不安や恐れが原因となって文明を捨てたことになります。


「主権国家」の原則は、ドイツを舞台にした最大の宗教戦争−−三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約(1648)で欧州各国に確認されました。ですから主権国家体制のことを「ウェストファリア体制」ともいうのです。
 それではなぜ国王は、主権という最高権力を持つことができるのか? 「それは全能の神から与えられたのである」と説明するのが王権神授説です。キリスト教神学の立場から、「神」を主権の根拠としたのです。言い換えれば、「教皇が神の代理人」と説明してきたカトリック教会に対して、「いやいや、そうではない。国王が神の代理人なのだ」と主張したのです。
」(p.184-185)

革命派の貴族ラファイエット侯爵が起草した最初のフランス憲法の前文は、「人権宣言」と呼ばれます。その第3条に彼は、こう記しました。
「あらゆる主権の原理は、本質的に国民Nationに存する。いずれの団体、いずれの個人も、国民Nationから明示的に発しない権威を行使できない」。これが「国民主権」の原理です。
」(p.190)

「主権」とは地上における最高権力ですから、それを握った国民は−−厳密に言えば国民が選んだ議会の多数決によって−−王政の廃止も決定できるわけです。
 実際、このあとフランス革命は暴走して過激派が議会を掌握し、王政の廃止とルイ16世の処刑を採決することになります。
」(p.191)

主権もウェストファリア条約も王権神授説も歴史で習った言葉ですが、このようなつながりで考えたことはありませんでした。カトリックとプロテスタントの宗教的対立が背景にあったのですね。
そして「主権」の概念は王権神授説をひっくり返し、主権はそもそも国民にあるという考えに行き着きます。国民に主権があるのだから、その代表である議会が決めたことは絶対的に正しいとなるのです。
ただ、何事も理想通りには行かないもので、国民主権を唱えたラファイエット侯爵は、その国民主権である議会の決議によって爵位も領地も失い、亡命することになったのだとか。国民主権(民主主義)も暴走するのです。


こうして国民国家として団結し、産業革命によって圧倒的な軍事力を手にした欧米諸国は、アジア・アフリカの国々に侵略の触手を伸ばしました。これが、帝国主義の時代です。アジア・アフリカ諸国の多くは、君主と人民との隔たりが大きく、国民国家になり損ねて植民地へと転落していきました。そんな中で唯一、国民国家に変容できた国があります。それが日本です。」(p.192-193)

早急に西洋型の国民国家を作らねば侵略される−−。幕府は幕藩体制を維持したままの近代化を、薩長は幕藩体制を破壊して強力な中央集権体制による近代化を求めて戦い、後者の勝利によって明治政府が発足しました。
 身分制の撤廃、廃藩置県、徴兵制の実施、憲法の制定というフランス革命級の国家改造を成し遂げた明治維新ですが、戊辰戦争で8000人、西南戦争まで含めても2万1000人の犠牲者で抑えられました。これが数十万人を殺戮(さつりく)したフランス革命との大きな違いで、世界史の奇跡といっても過言ではありません。
 なぜ、それが可能だったのか? それは江戸幕府も、明治政府も、権威の源泉は同じ−−「天皇」だったからです。天皇が統治し続けるという点で、日本には革命は起こっていないのです。
」(p.193)

国民国家を作ることと近代化することは、同じことを意味するのですね。そのために、フランスは革命によって王権を破壊したのですが、日本は違う方法で成し遂げた。しかも、フランスのような大きな犠牲を払わずに。それは、君臨すれども統治せずという天皇を頂点とする日本の国体がすでにあったことが大きかったのでしょう。


中国に服属していた朝鮮は中国に毎年、多額の金銭・物品を貢納しなければなりませんでした。朝鮮は土地が痩せて、貧弱な国であったので、中国が求める金銭・物品の貢納が慢性的に不足していました。その不足分を補うために、若い美女たちが送られたのです。
 朝鮮には「貢女(コンニョ)」というものがあり、これは中国の高官に差し出す性奴隷のことです。
」(p.201)

「貢女」を選ぶ中国の使臣は「採紅使」と呼ばれました。採紅使の激しい怒りに恐れをなした太宗は「貢女」集めをやり直し、身寄りがあろうがなかろうが、美女を見つけ次第、強制連行しました。」(p.201)

自国がこういうことをやっていたわけですから、その記憶がDNAに刷り込まれているのでしょう。だから朝鮮戦争の時にもアメリカ軍のために慰安婦を提供したし、ベトナム戦争ではベトナムの女性をレイプした。そして自分たちがこういうことをやっているから、他人も同じに違いないと考える。韓国が日本の慰安婦問題を批判非難するのは、自分たちに後ろめたいところがあるからでしょうね。先ほどのソ連がナチスをユダヤ人虐殺で非難したのと同じです。

こうしてみると、他者をやたらと批判非難する人があったら、実はその人の中に同じようなことをやった過去があったり、民族としての記憶があるのではないか、と疑ってみるのも、真実を見抜く1つの方法かもしれませんね。たとえば韓国が日本を「パクった」とよく批判するのは、自分たちがそうしてきたからでしょう。中国が日本を南京で大虐殺したと批判するのも、自分たちが他で大虐殺をやってきた歴史があるからでしょうね。

「朝鮮は独立国家で、日本とは対等」と書いてありますね。これが事実です。これを教えないから、「江華島事件で日本による植民地化がはじまった……」と多くの学生が誤解するのです。「日本と清国が対等」、「日本と朝鮮も対等」となれば、当然、「清国と朝鮮も対等」とならざるを得ません。」(p.203)

日清戦争で、清は自らの不利を悟り、日本に講和を求め、李鴻章が下関にやって来て、伊藤博文と交渉し、1895年、下関条約を締結します。かつて、李鴻章は「朝鮮は清の属国であるから、手を出すな」と威嚇しましたが、その面目は失われました。下関条約により、清が朝鮮の独立を承認します。この瞬間、日本は朝鮮を独立させたのです。」(p.203-204)

「貢献典礼」とは、清国に対する朝貢の儀式のことです。朝鮮女性たちを長年にわたって苦しめ続けた「貢女」の制度も、この下関条約によって全廃されたのです。」(p.204)

1875年の日朝修好条約では、江華島を占領した日本軍が朝鮮に国書の受取りを迫ったので、それで日本が武力で強制した不平等条約だと思われているのですね。しかし、その条約の内容は、朝鮮を独立させるというものでした。
おそらく、朝鮮政府は独立させてほしくなかったのかもしれません。自国の女性を犠牲にしてでも中国の属国でいたかった。だからありがた迷惑だったのでしょう。その恨みをいまだに忘れず、ことあるごとに日本を批判非難して敵視するのでしょう。今はなき(1万円札の話です)福沢諭吉氏が主張したように、日本は関わらないで放っておいた方が良かったのかもしれませんね。


中国では、王朝がコロコロ替わり、遂に人々に国というものの意識が根付いかなかったのだと思います。国の意識が無いために、公共の意識もありません。人が道で倒れでいても誰も助けない、そこら中にゴミや公害を撒き散らして平然としている、そんな自分さえ良ければよい人間ばかりが集まる荒廃した社会になってしまうのです。
 道徳の荒廃は、ならず者や簒奪(さんだつ)者が覇を競う無秩序な世が長期的に続いたことにより生ずるものです。国の支柱となるべき精神や規範というものが欠落した状態が歴史的に慢性化し、それが今日の共産党政権まで続いているのです。
 茂木 これを嘆いたのが孔子を祖とする儒家の集団でした。彼らが「徳」とか「礼」とか、口うるさく説教したのは、それを守る者が誰もいなかったからです。
」(p.210-211)

道徳を守らない人が多いから、道徳を守るべきという教えが広まる。まぁそういうことかもしれませんね。先ほどの批判非難することも同様ですが、声高に何かを主張するということは、その逆のことが自らの背景にあるということです。


レーニンが世界革命の司令部としてモスクワに置いたコミンテルン(共産主義インターナショナル)の支部として各国に共産党が設立され、日本共産党もその一つとして生まれました。日本史がよくわかっていないロシアの革命家たちは、天皇をロマノフ王朝のような専制君主と勘違いし、「天皇制」−−この言葉もコミンテルンが作った用語です−−の打倒を日本革命の方針(テーゼ)としました(32年テーゼ)。」(p.238)

日本共産党がソ連政府によって作られ、日本での暴力革命を目指したことは歴史的な事実です。だからいまだに公安から目をつけられているのですよ。どんなに羊の皮を被って庶民を騙したとしても、歴史的な事実を知れば、懐疑的に見ることができるし、その実態が透けて見えるのです。
日本共産党は、いまだに暴力革命を捨てていません。暴力革命路線と平和革命路線の内部対立を経て、平和革命路線を支持する側が実権を握りました。しかし、平和革命路線とは、自分たちが国内で暴力革命を起こすことは諦めて、外国勢力によって日本を暴力革命してもらおうという考えなのです。だから中国の核兵器には反対しないとか、中国が尖閣諸島近辺で安全を脅かしても抗議をしないのです。だって、来てほしいのですから、日本の暴力革命のために。


このように、イギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。」(p.259)

「大国は都合がいいときは国際法に従い、都合が悪いとこれを平然と無視する。日本が独立をまっとうしたかったら、まず軍備を整えなさい」
 ビスマルク時代のドイツは、まさに明治日本のモデルとなったのです。
」(p.270)

ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、明治政府の大久保利通や伊藤博文などに、このようにアドバイスしてくれたそうです。国際社会は法があるようでない無法地帯であり、力が支配する世界なのです。そういう現実を見ずに理想だけ唱えていても、ただ利用されるだけです。
日本が他国のような悪辣非道な国になる必要はありませんが、日本の正義を貫くには力が必要であることは間違いありません。そして、アメリカもまた悪辣非道な国の1つであることも忘れてはなりません。今は従わざるを得なかったり、利用できるかもしれませんが、根本の部分では同じ正義(価値観)を共有してはいないのです。


イギリスの「三枚舌外交」はパレスチナ紛争の遠因ではあるものの、直接の原因ではないと言えます。イギリスの責任を殊更に強調し、イギリスを黙らせようとするシオニストのプロパガンダについても考慮せねばなりません。自分たちは「三枚舌外交」の犠牲者であるというポジションが盛んに喧伝されたのです。」(p.308)

イギリスは、パレスチナの地でユダヤ人とパレスチナ人が共存できると考えていましたが、ユダヤ人がイギリスが制するのを聞かずに大挙して押し寄せ、一方的に入植者を増やしていったことが対立の原因だと言われています。
ユダヤ人のプロパガンダは、ホロコーストに関しても同じです。本当にホロコーストがあったのかどうかは重要ではなく、自分たちはホロコーストの犠牲者だというポジションを守ることが重要なのでしょう。だから研究することすらタブーにしたのです。

パレスチナ分割案は非常識極まりない案であり、また戦争を誘発する案でもあり、欧米を除き、多くの国が反対しており、本来、否決されるはずのものでした。しかし、ユダヤ人シオニストは激烈なロビー活動とカネのバラマキにより、特にラテンアメリカ諸国の関係者を賛成側にひっくり返しました。国際連合総会のパレスチナ分割案採決では、前日まで反対を表明していた12の国が賛成に回り、投票は賛成33票、反対13票、棄権10票で、賛成多数で可決されました。当時、国連本部はニューヨーク郊外のレークサクセスに置かれていたため、「レークサクセスの奇跡」と呼ばれます。」(p.310-311)

こうしてユダヤ人国家、イスラエルが建国されたわけです。そして、その時の問題をいまだにひきずっており、今もパレスチナとイスラエルが戦争状態にあるのです。
今現に、戦争で大勢の人が苦しんでいます。彼らを犠牲者とするなら、真の加害者はいったい誰でしょうか? 三枚舌外交のイギリスでしょうか? 国家建設を望んだユダヤ人たちでしょうか? はたまた、国連で国家建設に賛成を投じた国の人々でしょうか? イスラエルに抵抗し続けるパレスチナ政府でしょうか?
一概に誰が悪者かなど言えませんが、こういう歴史的な背景があって今があるということを知っておく必要があると思います。それが、これまで生きた人々から未来を託され、今を生きる私たちの責務だと思うからです。


ルーズヴェルトは3選を果たすと「日本の脅威」を執拗に喧伝し、危機を煽ります。前例のない3選の大統領権力は絶大であり、半ば独裁権を固め、太平洋戦争へと突入していきます。日本を滅ぼすというルーズヴェルトの個人的な野心はようやく実現しはじめます。
 ルーズヴェルトは日本人に対する強い人種差別的思想を持っていたことを、イギリスのキャンベル駐アメリカ公使はイギリス本国に以下のように報告しています。「ルーズヴェルトはインド人やアジア人種を白人と交配させることにより、彼らの文明は進歩すると考えている。だが、日本人は白人と交配しても彼らの文明は進歩しないと」。
」(p.313)

他の帝国主義国が私利私欲、経済的利益を優先してアジア・アフリカを侵略したのに対し、アメリカだけは「正義の戦い」をしていたのです。この現代版十字軍には相手との妥協というものがなく、「無条件降伏」か「殲滅(せんめつ)」しかありません。
 大日本帝國は、このことを理解できなかったのですね。真珠湾を奇襲攻撃して戦意をくじけば、アメリカは簡単に屈し、取引に応じると思っていた。しかし結果は逆でした。
」(p.333)

ルーズヴェルト大統領は、第二次世界大戦に参戦したかった。だからわざと日本に真珠湾を攻撃させ、参戦忌避の世論を変えることで参戦する口実を作ったのです。
そして、日本を徹底的に殲滅しようとした。日本人に対する敬意など持ち合わせていないのです。もちろん日本人だけでなく、有色人種全体に対して。白人が有色人種を支配することは、神が望むことだと信じているのです。

これが、多くの欧米人の考え方の根底にあるのではないかと思っています。先日、長崎の平和式典にイスラエルを呼ばないことにしたら、G7の各国が強調して参加を拒否しましたよ。イスラエルは、口汚く日本の対応を批判しました。三国同盟で味方のドイツの意向を無視してまでユダヤ人を救うためにビザを発給するなど、人道的な見地からユダヤ人を助けてきた日本ですが、その日本に対してあの態度です。
でも、欧米人はそういうものであることを知っておく必要があると思います。根底にはアジア人蔑視があるのです。それはDNAに染み付いたもので、そう簡単には変えられないのでしょう。


「強権で外国資本を排除しているプーチンこそオープン・ソサエティの敵である」、と本気で考えたソロスは、手始めに旧ソ連圏の共和国で彼の言う「民主化」を進めました。2003年ジョージア(グルジア)のバラ革命、2004年ウクライナのオレンジ革命では親ロシア政権を親欧米政権に交代させました。これら「カラー革命」をソロスが演出し、新政権がロシアと縁を切ってNATO加盟を求めるよう仕向けたわけです。
 NATOの東方拡大の首謀者はNATOそのものではなく、ソロス財団だと思います。しかしこういうことをやればやるほど、孤立したロシアは民族主義で武装し、プーチンへの支持が高まっていった。逆効果です。
」(p.341-342)

1999年、NATOが加盟国域外へ、はじめて攻撃を行ったことも、ロシアにとっては大きな脅威として記憶されています。セルビアがコソヴォのアルバニア系住民に対する虐殺行為を行うと、NATOは調停案をセルビアに提示しますが、拒絶されます。
 アメリカ軍をはじめとするNATO軍は人道的な理由を強調し、コソヴォ空爆に踏み切ります。空爆は国連安保理の承認なく行われました。集団的自衛権という枠組みを超えて、NATOが軍事攻撃したことは、ロシアのような仮想敵国にも、いつでも攻撃が及ぶということを意味します。
」(p.342-343)

ウクライナを侵略しているロシアは当初から自衛のための戦争だと主張しています。たしかに武力侵攻したという点だけ見れば、ロシアによる侵略です。しかし、そこに至った経緯まで見ると、一概にそうとは言えない気がします。
もし、ロシアが悪で非道な国だというような価値観で考えるなら、真珠湾攻撃をした日本も同じだったのでしょうか? 日本は、戦争を回避する方法を散々に模索して努力したにも関わらず、日本に攻撃させたくてたまらなかったルーズヴェルト大統領の策略を突き崩すことができなかった、とも言えるのではないでしょうか。
もちろん、たとえアメリカがそういう悪意を持って日本を罠にかけたとしても、属国になることさえも忍従して戦争を避けることができたかもしれません。けれども、そうまでして戦争をしないことが、本当に正しいのでしょうか?

難しい問題ですし、一概にどれが正しいなどとは決めつけられない気がします。ただ、ものごとを決断する背景には様々な要因があるということを、私たちは知っておかなければならないと思うのです。力が正義の国際社会において、道徳的に正しいから思い通りになるわけではありません。自分たちの道徳的な正しさを押し通すためにも、力を持つことが有効だという一面があるのです。
また、それは武力としての力だけでなく、諜報活動など謀略的な力も含まれます。ありとあらゆる力を結集して、この国際社会で自国の正しさを押し通していく。そういうことを各国がやっているのです。


ソ連崩壊後、公開された機密文書の中に、関東軍が参謀本部へ送った報告書があります。そこには「在留日本人および日本兵は帰国させず、ソ連の庇護下におく」と書いてあります。つまりシベリア抑留者60万人はソ連が一方的に拉致したのではなく、大本営の承認のもと、ソ連側に「引き渡された」ことになります。大本営はソ連の対日参戦を知りながら、むしろ積極的にこれを受け入れたのです(詳細は茂木誠『増補版・「戦争と平和」の世界史』第11章を参照)。」(p.362)

これは知りませんでした。もしこれが本当なら、多くの日本人は日本政府(日本軍)の犠牲者ではありませんか。
もちろん、誰がどこまで知っていたのか、組織的にやったのか、それとも個人的にやったのか、知っていて謀略としてやったのか、どういう結果になるのか知らずにやったのかなど、いろいろ考えられます。ですから、事実は事実として積み上げながらも、そこにある真実については、常に可能性の扉を開いておくことが大事だと思います。


いまの日本には確かに解決すべき問題が多々あり、悲劇から学ぶべきことも多いと思います。同時に、諸外国で同じようなことが起こったらどうなるのかを知ることで、日本人というものを客観的に理解することができるでしょう。

 歴史も同じです。根拠のない「自虐」や、根拠のない「誇大」から離れて日本人の歴史を客観的に理解するためには、世界の歴史を知らなければなりません。日本史は世界史の一部ですから、日本は同じような経験を諸外国と共有しているのです。
」(p.366)

歴史というものは、特定の誰かが意図して動かしてできたものではありません。そこに関わる大勢の人が、それぞれの思いを持ちながら考え、行動した結果の集大成です。もちろん為政者は、そこに大きな影響を与えますが、庶民の一人ひとりも言論や行動を通じて世論形成の一翼を担うなど影響を与えています。そして、それは日本国内に限定された影響ではない、ということですね。世界の動向は日本に影響があるし、その逆もまた然りです。


お二人の対談という形式ではありますが、1人がずっと語っているような感じもします。それは、お二人の考えがそもそも一致していることもあるかもしれませんが、本を作るにあたってすり合わせた結果でもあるかと思います。それによって、流れがわかりやすく読みやすい本になっています。367ページという大作でもありますが、比較的にすいすいと読めました。

歴史に関する本を読むと、その当時の人がどんなことを考えて行動したのかということが見えてきて、その当時の人々を身近に感じることができます。そして、その人の感じ方、考え方などを自分に当てはめて考えることで、自分がどういう考え方を選択すべきかを考える上で参考になります。
この本に限らず、歴史をわかりやすく解説した本は有用だと思いますので、ぜひ読んでほしいですね。

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2024年07月09日

自由主義憲法

自由主義憲法 草案と義解/倉山満【1000円以上送料無料】 - bookfan 2号店 楽天市場店
自由主義憲法 草案と義解/倉山満【1000円以上送料無料】 - bookfan 2号店 楽天市場店

NHK党の浜田聡(はまだ・さとし)議員が、憲法に関する本を出版されたと聞いて、買ってみた本になります。実際は、憲政史研究科の倉山満(くらやま・みつる)氏が書かれた本であり、その作成に浜田議員も関与されたということのようです。

浜田議員は、独自の憲法草案を持っておきたいと思われて、倉山氏に草案作りを依頼されたようです。その時の条件は、「自由主義の憲法であること」だったとか。浜田議員の日頃の情報発信を見ていると、自由主義を第一に掲げておられるように感じていました。なので、そういう意図での憲法草案であれば、読んでみる価値があると思って買ってみたのです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の紹介をしていきましょう。

真の憲法論議とは何かは、本文をお読みいただくとして、出発点として拘った二つの要諦があります。
 一つは、自由とは何かを政府が提示して国民に強制することのない、真に自由を保障する憲法であること。政府が「これが自由の定義です」と提示、それに国民を縛り付けて自由主義憲法を名乗るなど、滑稽です。自由とは何かを考える自由が、国民の一人ひとりに無ければ、どこにも自由は存在しません。
 もう一つは、自由の最大の危機である国家の有事には、自由を守るべく国民が一丸となって協力する憲法であることです。もちろん、有事だからと政府が好き勝手をやっても良いわけではありません。いざと言う時だからこそ、国民が一時的な不自由を我慢して協力するのだから、なおさら政府が暴走してはならないのです。そんな政府を許せば、これも自由主義ではないでしょう。
」(p.2-3)

つまり、自由主義憲法の「自由」の定義を、国民それぞれが定める(選択する)自由がなければならない、ということですね。
さらに、非常事態においても、一時的に政府が主導して自由の制限を行うとしても、それは必ず後に検証されなければならない。そこまで定めていなければ、自由主義憲法とは言えない、ということですね。


本来、憲法典とは、憲法の中で確認する部分なのです。この「確認」が大事です。憲法の一部にすぎない日本国憲法の条文を、誤植も含めて一文字も変えられずにきたのが、日本国の改憲論議なのです。」(p.37)

昔は、国家の最高法を形成する歴史、文化、伝統のことを「国体」と言いました。国家体制の略語で「国体」です。「国体」といった略語は右翼的だからイヤだと考える人は「国制」の言葉を使う人もいます。「国体」も「国制」も同じです。これが本来の「憲法」です。
 それに対して、文字に書かれた大日本帝国憲法や日本国憲法を、つまりは憲法典を「憲法」とも呼ぶので、「憲法」をどちらの意味で使っているのか、ややこしいわけです。
」(p.38)

憲法を論議する前置きとして、まずは「憲法」とは何かを定めておく必要があると倉山氏は言います。憲法典と憲法は別物であり、憲法を条文化したものが憲法典であり、より重要なのは憲法そのものだということですね。


帝国憲法第十条に「天皇は文武官を任命す」とあるので、総理大臣の任命は天皇の大権です。ですから、議会の多数派を総理大臣にしなくても合憲です。しかし、民意を反映していない最高権力者の決定が憲法の精神の則っているのか。だから、天皇は総選挙によって示された民意により第一党党首を総理大臣に任命する慣例を積み重ねるのが立憲ではないか、との論理が示され、実現しました。大正末から昭和初期までの「憲政の常道」です。」(p.50)

イギリスには、「憲法典の条文があって、それを守っておけば良い」とする考えはありません。あるのは、とにかく「責任を取るための政治をやりなさい」とする立憲主義です。それを支えるのが憲法習律という、憲法体系に組み込まれた慣例です。」(p.51‐52)

憲法を守るという時、重視すべきは憲法典の条文ではなく、慣例(運用してきた実績)であり、それを「憲政の常道」と呼んで重んじてきたのですね。つまり、その慣例に従うことこそが立憲主義ということになります。


憲法には「政治のルール」という側面があります。
 ならば、「これ以上やってはいけないというところ」と「ここまではやっていい」というところの両方がなければルールとして成立しないわけです。これを芦部の憲法の言葉でいうと「制限規範」と「授権規範」です。憲法学の最初の頃に習う言葉です。憲法は権力を縛るものなのだけれども、それだけではありません。縛ること自体が目的であれば、ほぼ意味がありません。
」(p.56)

なぜ意味がないのか、ここには明確には書かれていませんでした。権力が憲法(つまり慣例)に反して恣意的に何かをしてはならない、ということが重要なのではないでしょうか。


しかし、繁文憲法にしようとすれば、無限大に条文が増えていき、作業量が無駄に増えていって、結局は益がない、となりかねません。
 また、人権規定を考える際に重要になってくるのですが、国家が憲法典で「国民を保護します」と謳う条文を増やすのは、実は支配権を増やすのと裏表の関係なのです。本書を読んでいただければ、おわかりいただけると思います。それでは自由主義憲法にならないのではないかと考えるので、ぜひここは簡文憲法にしたいと考えています。
」(p.63)

条文として憲法典に書くと、それを根拠として国民の自由が侵害される結果となる。だから、条文は簡素にして、憲法の趣旨として国民の自由こそが最大限に保障されなければならないとし、慣例によってそれが守られる状態こそがベストだと言われているのですね。


政治において天皇がなぜ大事なのかを理解しましょう。
 政治の使命は、国家国民を守ることです。普段は、政府が政治を行う。でもその政府が暴走して国民を弾圧したり、逆に政府が力を無くして国民を守れなくなったりした場合、最終的に誰が責任を負うのか。日本国の本来の持ち主である、天皇です。
 天皇の歴史上の位置づけは、「日本国の本来の持ち主」です。ただし、国民を持ち物として家畜のように扱ってはならないとしてきたのが、日本国の歴史であり、伝統であり、文化であり、掟です。「天皇と雖(いえど)も国民を家畜のように扱ってはならない」なんて紙に文字の条文で書いていませんが、当たり前すぎる掟だから書いていないだけです。
」(p.69‐70)

日本の文化として、天皇を日本国の持ち主として、国民を守る存在として天皇をいただいてきた。そのことは条文には書かれていませんが、憲法としてはそれが成立するということですね。
日本では民(国民)を大御宝(おおみたから)と呼んでいました。権力者に仕える奴隷ではないのです。そういう文化を連綿と築いてきたのが日本という国なのです。


立憲君主が「政府機能が崩壊している」と判断し、適切な統治を命令するのは、極めて高度な政治技術です。法が何の役にも立たない時に秩序を回復するために、君主は存在するのです。
 昭和天皇の御聖断を憲法違反だと言った人間は、いまだ一人もいません。当たり前の話で、第一条に統治権者は天皇と書いているのですから。普段は憲法に従うのですが、その憲法自体が機能しなくなれば、天皇陛下がその憲法秩序を回復するのです。
」(p.88)

立憲君主がどのような存在なのか、比較で確認しておきます。
 独裁者の君主は権限があるので、権力を振るいます。それに対して、傀儡(かいらい)は権限があるのに権力をふるわせてもらえないのです。正確に言うと、権限があろうがなかろうが、権力をふるわせてもらえない可哀想な人です。
 それに対して、立憲君主とは権限があるのに、その権限を自ら臣下に委任している存在です。序章で触れた帝国憲法の御告文(ごこうもん)がまさにそれです。この「権限があるのに」が、非常に大事なところです。
 ですから、あくまで臣下に預けているだけなので、本当にいざというとき、その預けた臣下の側がどうにもできなくなったときは、本来の統治権者として本来の権力を振るうべく、百年に一度あっては困るような危機に備えていただく存在が、立憲君主なのです。
」(p.92)

立憲君主の位置づけは、いわゆる「お飾り」ではなく、真の統治権者だということですね。しかし国体が維持されている状態では、その権限を封印して、憲政に基づく政治に任せておく、ということです。


帝国憲法全体の設計としては、国を守るための軍は独立しているのだけれど、同時に軍を統制する政治を前提にしています。最初に話したクーデターができるけれども、させない政軍関係を考えているのです。
 そして、政府と軍が両方とも暴走して機能麻痺になったときに、最終的に国民を守るのは天皇であるとし、終戦の御聖断などは、まさにそうなったわけです。
」(p.139)

クーデターを起こせる存在が軍だという話もありましたが、タイでは何度もクーデターが起こっています。しかし、国王を否定するクーデターは起こっていません。これも、立憲君主という体制になっているからとも言えますね。


我が国には、七世紀後半から八世紀後半にかけて編まれた、現存最古の歌集『万葉集』があって、天皇陛下からホームレスまでが同じ日本語で歌を詠んで「日本人だ」との意識があります。日本のような国のほうが特殊なのです。そんな国は日本ぐらい。あったとしても滅ぼされています。
 八世紀前半に成立した『古事記』『日本書紀』の時代に、人は殺してはいけません、天皇陛下であっても好き勝手に人を殺してはいけませんという価値観が、建前だけではなくて実態としてもありました。
」(p.157)

たしかにこういう点は、他国、特に欧米諸国とは大きく違いますね。


財産権は、ゼロをプラスにしていく権利ではなくて、マイナスをゼロにする十九世紀的人権です。二十世紀的人権では、そんなものは削って良いとする、社会主義者の思想が入り込んで、どんどん巻き上げて良いのだとする発想になります。改めて強調しますが、コロナ禍で財産権が軽々に扱われたのは二十世紀的人権の発想だったのです。」(p.159)

たしかに、全体のためにという名目で、科学的な根拠に基づかない経済活動に対する制限が課されました。そして、それについての反省もありません。明らかな憲法違反であり、財産権の侵害だと思いますが、「しょうがない」という気分が蔓延するのも、空気が支配する日本だからでしょうか。


人権はその性質上、どうしても完全な自由を認められないので、どこかで制約しなければなりません。「人を殺す自由はありません」から始まって、いろいろ制約する原理があるのです。
 では、誰がどうやって制約するのか。これが人権の話でもっとも難しいところなのです。
」(p.162)

個人の自由があるのは当然としても、社会として一緒に暮らしていれば、自由と自由がぶつかることがあります。その制限について定める必要があります。日本国憲法の場合は、「公共の福祉」という言葉で、その制限の根拠を示しています。


となると、立法府が大事になります。特に行政府と一体化している衆議院ではなくて、第二院である参議院のほうで対応すると考えるのが、より良いやり方ではないかと思います。
 参議院不要論などと言われていますが、一院制、二院制のどちらにも問題があるわけです。そうした中、第二院がなんのために要るのかと考えたときに、この司法権との関係を、第二院である参議院が考えるのは適切なことではないでしょうか。
」(p.310)

参議院の存在意義として、司法の見張り番的な役割を与えるという案ですね。かつての貴族院や枢密院のように、良識の府としての役割を参議院が担うというのは、1つの方法かと思います。
そもそも行政も司法も、国民が直接選んでいるわけではありません。なので、本来の民主主義的な観点からすれば、国民が選んだ代表が、司法も行政も見張る必要があると思います。今は、最高裁判事の任命こそ内閣(行政)が行いますが、それで十分なのでしょうか? 国民審査もありますが、あまりに形骸化されていて、意味をなさなくなっていると思いますね。


日本国憲法は制定から約八十年、誤植も含めて一文字も変わっていません。何より、憲法典論議に終始してきました。何が問題かというと、憲法論議が行われてこなかったのです。
 今回、「自由主義憲法」の草案作成作業を通じて、真の憲法論議とは何かを学ばせていただきました。これからの私の仕事は、真の憲法論議を広げていくことです。
 たった一人でも、やれることはやってきました。そして数年前とは違う環境になってきました。
 国民全体の議論に広がった時、日本人の多くの人が、日本とは何か、自由とは何か、生活を守るとは何か、について考えるのではないかと思います。
」(p.371)

このように浜田議員は締めくくっています。
憲法典というのは、文字に書かれたものです。そうではなく、国体のあり方そのものが憲法であり、その議論がなされていないという現実を憂いておられます。

私は、もっと憲法を変えやすくしていいと思っています。国会の2/3の賛同がなければ発議すらできないというのは、あまりに変えづらく、現実にそぐわない条文が残ったままになります。法のために人が存在するのではなく、人のために法が存在するのですから、変わりゆく社会に即して、憲法典も変わっていくべきだと思うのです。


憲法を全体として学ぶ(知る)という機会は、一般の国民には滅多にないことでしょう。大学まで進学してやっと、教養講座でやっと学ぶくらいです。
しかし、憲法というのは、私たち日本国民にとって根幹となるものです。日本社会における最重要な約束事です。多くの人が、こういう読みやすい本などを通じて、憲法についての認識を深めることになればいいと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:05 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月08日

不道徳な経済学

不道徳な経済学 転売屋は社会に役立つ (ハヤカワ文庫NF) [ ウォルター・ブロック ] - 楽天ブックス
不道徳な経済学 転売屋は社会に役立つ (ハヤカワ文庫NF) [ ウォルター・ブロック ] - 楽天ブックス

これはX(旧Twitter)のポストで紹介されていて、面白そうだと感じて読んだ本になります。
私は、「自由」こそが最も重要な価値観であると考えており、経済においても自由主義経済を推進したいと思っています。そういう思いから最近、リバタリアンと呼ばれる自由主義的考え方に傾倒しています。
本書は、そのリバタリアン的な考え方を面白おかしく紹介する内容になっているとのこと。著者はウォルター・ブロック教授。その著書で「Defending the Undefendable(擁護できないものを擁護する)」を作家の橘玲(たちばな・あきら)さんが超訳したのが本書となります。原本の趣旨を現代の日本の文化に合わせて理解しやすく訳したものとのことです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

功利主義は十八世紀末のイギリスの思想家ジェレミ・ベンサムが創始し、「最大多数の最大幸福」を掲げる。共同体主義はいわゆる保守主義で、伝統や文化、道徳(美徳)に高い価値を置く。リベラリズムとリバタリアニズムはともに「自由主義」のことだが、リベラリストは日本では「進歩派」と呼ばれ、人権を守り、自由で平等な世の中を目指している。
 それに対してリバタリアンは、「自由」を至上のものとし、結果の平等を否定する(機会の平等は重視する)「自由原理主義者」で、国家の機能を可能な限り縮小して市場原理による社会の運営を理想とする。それは私たちが考える「自由主義(リベラリズム)」とはまったく別のものだ。
」(p.6)

リベラルは、ある原因(ヘイトスピーチ)によって傷ついたひとの人権は最大限守られるべきだが、別の原因(従軍慰安婦像)によって傷ついたひとの人権は無視してもかまわないと主張している。だとしたら、この分割線は誰がどこに引くのか。あなたが傷ついたと感じたとき、人権が守られるかどうかはどのようにして知ることができるのか。
 これがどれほどやっかいな問題か気づいたら、本書を手に取る価値がある。
」(p.7‐8)

本書の魅力は、なんといっても、次々と繰り出される荒唐無稽な登場人物の数々と、彼ら(たとえば「満員の映画館で『火事だ!』と叫ぶ奴」)を擁護する手品師顔負けのレトリック(というか「論理のトリック」)にある。そしてハイエクのいうように、「そんな馬鹿な」と思いつつ、いつのまにか説得されている自分に気づくのだ。
 一般の読者にとって、本書のなかでとくに目を引くのは、ドラッグや売春の全面自由化を求める過激な主張だろう。著者は彼ら、「不道徳」の烙印を押された者たちを「ヒーロー」と呼び、リバタリアンの立場から、これまで誰も評価しなかったその功績を讃える。
」(p.8‐9)

冒頭で哲学者のマイケル・サンデル氏の政治的立場の分類を紹介しています。それが、功利主義、共同体主義、リベラリズム、リバタリアニズムの4つです。日本では単純に右翼と左翼、保守と革新のように二分しがちですが、実はもっと重要な分類基準があるという提示です。
たしかに、保守だからと言って右翼とは限らないし、リベラリストが必ずしも左翼とも言い切れません。私も、保守的とは思いますが、右翼とは距離をおいており、右翼全体主義には絶対反対の立場です。


自由を至高のものとし、国家(権力)こそが個人の自由を抑圧する元凶だと考え、国家の暴力行使である徴税に反対し、国家権力のもっともグロテスクな姿である社会主義・共産主義などの「全体主義的な集産制」を拒否するのはリバタリアンの思想そのものだ。」(p.21)

私も、個人の自由をむやみやたらと奪う全体主義には反対の立場です。国民負担率が5割という今の日本は、まさに全体主義国家と言えるでしょう。


政治思想(主義=イズム)の対立を理解するうえでの出発点は、「すべての理想を同時に実現することはできない」というトレードオフだ。誰もが、自由で平等で共同体の絆のある社会で暮らしたいと願うだろうが、これは机上の空論で原理的に実現不可能だ。
 自由な市場で競争すれば富は一部の個人に集中し、必然的に格差が広がっていく。それを平等にしようとすれば、国家が徴税などの ”暴力” によって市場に介入するしかない。自由を犠牲にしない平等/平等を犠牲にしない自由はあり得ない。
」(p.32‐33)

たしかに、自由と平等のどちらに重きを置くのか、という究極の選択がありそうですね。


この「まえがき」においてわたしがいちばん強調したいこと−−それはわたしの立場の中核でもある−−は、人をいきなり殴りつけることと、暴力的な権利の侵害をともなわない行為(それはときにわたしたちをものすごく不愉快にさせるかもしれない)には決定的なちがいがあるということである。原初の暴力をともなう行為のみが、人々の権利を侵害する。したがって、こうした暴力を抑制することが、社会を支える基本的な法の役割になるはずだ。
 本書に登場する人々は社会の、”良識ある人々” から罵られ、いつもいつも悪口雑言を浴びせかけられているが、それでも彼らはだれの権利も侵害しているわけではなく、法的な制裁を受けるいわれもない。
 彼らはスケープゴート(生贄(いけにえ)の山羊)なのだ。なにしろ目立つし、叩きやすい。この世に正義があるのなら、彼らこそが弁護されるべきである。
」(p.61)

お互いの自由がぶつかり合うことはあります。その時、どういう基準で互いの権利を調整するかという視点が重要になります。本書では、いきなり殴りつけるような暴力行為は規制すべきだが、それ以外は自由にさせるべきだと言うのですね。


売春禁止に熱心なのは、この取引には直接の関係がない「第三者」である。時と場合によって売春に反対する理由は異なるだろうが、そのすべてに共通するのは彼らが部外者だということだ。」(p.68‐69)

男性は映画やディナーや花束などに金を支払うことが期待され、女性は性的サービスの提供で報いることが期待されている。結婚についても、夫が経済的側面を担い、妻がセックスと家事労働を担当するのであれば、売春モデルとなんのちがいもない。
 わたしがここで言いたいのは、恋愛から学問にいたるまで、人間同士の自発的な関係はすべて取引だということだ。
」(p.71‐72)

私も、売春を規制する理由がよくわかりません。単に取引だと思うからです。夫婦間で取引するのが問題ないのであれば、売春だって問題ないはずですよね。部外者が余計なお節介をするな! と思います。


この世に不届き者の一人もいない職業などあるだろうか?
 レンガ積み職人や配管工のなかにも、音楽家や聖職者や医師のなかにも、親愛なる隣人の権利を蹂躙(じゅうりん)する者はいる。だがこうした一部の不届き者の存在によって、彼らの職業それ自体が世間の批判を浴びることはない。
 ポン引きという職業にしても事情はまったく同じである。
」(p.74)

ポン引きというのは、要は売春という取引の斡旋業者であり、ブローカーです。売春婦にとっても買春客にとっても、役立つ存在だと言えるでしょう。
そうであれば、そもそも売春が誰にも迷惑をかけない個人同士の取引であるなら、ポン引きというブローカーだって社会(部外者)にとって邪魔な存在ではないはずですよね。


「レイプ被害者に対する扱いを見てもわかるように、国家は女性に対する暴力行為を暗黙のうちに容認している。国家による女性差別はレイプだけでなく、売春の禁止にも表れている。
 先に述べたように、売春禁止法は大人同士の合意のもとでの取引を禁じ、売春婦が正当に日々の糧を得ることを妨げているのだから、明らかに女性差別の法律である。」(p.82)

私も、レイプを重大な犯罪だと認識しない社会はおかしいと思っています。そう言うと、現行法でも強姦は殺人と同じくらい罪が重いと主張する人がいるかもしれません。たしかにそういう法律はありますが、実態はどうでしょうか?
たとえば夫からセックスを強要される妻を守れるでしょうか? 妻の自由は、人権は、いったいどこにあるのでしょう? 最近やっと、性行為の強要を禁止する法律が施行されました。夫婦間であれ、セックスの強要はレイプだという認識が広まればいいと思います。

道を歩く女性に口笛を吹いたり、いやらしい目つきで眺めたり、卑猥な言葉を投げつけたり、嫌がる相手に言い寄ったり(とはいえ、相手が嫌がるかどうかあらかじめ知るのは、しばしば非常に困難である)することを指すのだろうが、こうした行為は、言葉の厳格な意味で、暴力による権利の侵害をともなってはいない。
 ところがたいていの人は、とくに「女性の権利を守る」と称する人たちは、こうしたセクハラとレイプのような暴力的な権利の侵害を区別しない。もちろん、どちらも女性にとっては不愉快きわまりない出来事であろう。だが、そのちがいは決定的である。
」(p.86)

私も、近年の行き過ぎたセクハラ犯罪説には疑問を感じます。嫌なら嫌と言えばいいのです。重要なのは、何らかの規制があって、言いたいことが言えない環境であることが問題の本質ではないか、という視点だと思っています。そして、嫌なら自らその環境を変える(たとえば離職するとか)という選択をすればいい。で、同じことですが、そういう選択が容易ではない規制があることが、重大な問題だと思うのです。

じめじめとした地下室ではたらく労働者を雇うためには、経営者は相応の補填格差を埋め合わせるための金銭をこの人に支払わなければならない。同様に、セクハラ上司の下ではたらく女性社員にも、この補填格差は発生する。セクハラが常態化している企業が、女性社員に快適な職場を提供している企業と同等の優秀な人材を確保しようと思うならば、かなりの額の給料を上乗せしなければならないだろう(キャバクラ嬢のような女性社員を高給で雇う、とか)。」(p.88‐89)

自由経済市場が機能していれば、理不尽に不利益を与えて甘受してもらうには、それ相応の対価が必要になり、その上で、どちらを選択するかをそれぞれに選んでもらえばいいだけなのです。

そして彼女たちが、形式的には平等であるにもかかわらず、実際には稼ぎ出す利益の総額で男性社員に後れをとっているとするならば、男女雇用機会均等法ははたらく女性の人生に破壊的な影響を及ぼすことになる。
 自由な市場は、同じ生産性を持つ社員に平等な報酬を支払うよう経営者に強い圧力をかける。その結果、男女の生産性が明らかに異なっているにもかかわらず法によって同一の賃金を支払うことを強制されている社会では、先ほどのケースとはまったく逆に、経営者は女性社員をクビにし、男性社員を雇うよう動機づけられることになってしまう。
」(p.93)

法律による強制が、いかに問題を引き起こしているかわかります。

「差別」という言葉は、いまの世の中では忌み嫌われているが、考えてみれば人間の行動というのはすべて差別−−複数の選択肢のなかから自分の気に入ったものをひとつ選んで取り出すこと−−なのである。この定義に反するような人間の行動は、ひとつとして存在しない。
 わたしたちはいつも差別している。
」(p.95‐96)

「差別」をどう定義するかにもよりますが、要は選択することによって他人に不快感を与えること、と言えるのではないでしょうか。そして、それを不快と感じるかどうかは人それぞれであり、選択することは日常茶飯であることを合わせれば、私たちは常に差別していると言えるのです。
そうなると、そもそも差別すること自体が悪いことなのか? という疑問が出てきます。リバタリアニズムによれば、暴力的に相手の自由を奪うのでなければ、あらゆる差別は問題ないと言えるかと思います。
たしかに、言葉狩りのようなことは、差別をなくすのに何の役にも立たないばかりか、かえって多くの人に不自由を強いているだけですからね。


法による覚せい剤の禁止は、「天文学的」としか形容するほかない水準までその末端価格を引き上げる破壊的な効果を持つ。
 もしもキュウリが違法化されたらどうなるか、考えてみてほしい。種を蒔いたり、肥料をやったり、収穫したり、市場に運搬したり、販売したりする費用に加え、法から巧みに逃れるコストや、不法栽培が発覚したときに科せられる罰金の支払いも、キュウリの価格に上乗せされるにちがいない。
」(p.100‐101)

こうした被害は、覚醒剤による中毒のためではなく法によって覚醒剤を禁止した結果だということは、どれほど強調してもしすぎることはない。シャブの末端価格を容易に手が届かないところにまで引き上げ、中毒者たちを自分か被害者の死をもって終りを迎えるほかない犯罪者人生に駆り立てるものこそ、覚醒剤取締法なのである。」(p.103)

覚醒剤が依存症の唯一の対象ならば、それは絶対的な悪になりうるかもしれない。そうであれば、シャブの邪悪さを広く伝えようとする努力はひたすら賞賛されるべきであろう。
 しかしながら、人はアルコールやギャンブルやセックスなど、違法とはみなされないさまざまな依存症を患うこともある。そのなかで覚醒剤など一部の麻薬のみを対象とする禁止は、なんら有益な目的を提供しないばかりか、耐えられないほどの苦しみや大きな社会的混乱の原因になってきた。
 この悪法を維持するために警察当局はたえず覚醒剤の価格を引き上げ、さらなる悲劇を招いている。そのなかでシャブの売人だけが、個人的なリスクを負って末端価格を引き下げることで中毒者や犯罪被害者の生命を守り、いくばくかの悲劇を防いでいるのである。
」(p.107)

覚醒剤中毒は、それ自体が悪なのではない。もしも覚醒剤が合法化されれば、酒やタバコと同様に使用者自身の健康を害することはあっても、他者に危害を加えることはなくなる。
 ドラッグに反対し、薬物の危険を教育し、新聞やテレビで「人間やめますか」と宣伝する人たちをわたしは否定しない。それは彼らの言論の自由だ。しかし覚醒剤を法で禁止することは、シャブを打ちたいと願う個人の権利を明らかに侵害しているのである。
」(p.116)

たしかに依存症というのは、依存対象が原因ではなく、縁(きっかけ)に過ぎないと私も思っています。なので、依存対象の覚醒剤を禁止したところで効果も少なく、意味がないと思います。むしろ禁止することによって価格が上がり、その代金を得るために犯罪に走るという構図があると言えるでしょう。
覚醒剤によって酩酊して殺人など犯罪を犯すというのは本当ではない、ということも言われています。犯罪を犯す人には、そもそも犯す原因がその人の中にあるのです。覚醒剤はきっかけに過ぎません。したがって、そういうきっかけである覚醒剤を禁止したところで、そもそも犯罪はなくならないのです。
依存症は治療すべきものであり、処罰するものではありません。私は大麻の合法化に賛成する立場ですが、医師が麻酔薬中毒になりながらも医師として仕事ができているという実態からも、覚醒剤を安易に禁止して処罰対象にすることは反対ですね。


人類の長い歴史において、多数派の意見はたいていの場合、間違っていた。
 もしもあなたが多数派に同意していたら、その意見に反対する者を喜んで迎え入れるべきである。ジョン・スチュワート・ミル(イギリスの思想家・功利主義者)は、真理に到達するもっともよい方法は異なる意見を持つ者の話を聞くことであるとして、次のように語った。
「あなたの立場を疑いにさらし、その疑問にこたえよ」
」(p.110)

私も常に、自分の意見が必ずしも正しいわけではない、という考えを頭の片隅に置くようにしています。同意できないからと言って、絶対的に間違っているわけではないのです。


恐喝は、取引の申し出である。より正確には、「なにかあるもの(通常は沈黙)と、ほかのなにか価値あるもの(通常は金)の取引の提示」と定義できる。もしこの申し出が受け入れられれば、恐喝者は沈黙を守り、恐喝された者は合意した代金を支払う。もしこの申し出が拒否されれば、恐喝者は「言論の自由」を行使して秘密を公表する。
 この取引には、なんら不都合なところはない。彼らのあいだで起きたことは、沈黙の対価としていくばくかの金を請求する商談である。もしこの取引が成立しなくても、恐喝者は合法的に言論の自由を行使する以上のことをするわけではない。
」(p.118‐119)

脅しの内容が暴力的なものであるとき、その脅しを非難するのは正当である。なんびとも、他人をいきなり殴りつける権利を持ってはいない。
 しかし恐喝では、脅しの内容は、恐喝者がそれをする権利を持っているなにかなのである−−言論の自由を行使することであろうと、ナイキのスニーカーを買わないことであろうと、あるいはほかの人にもそうするよう説得することであろうと、そして脅しの内容が違法ではないとき、当然ながら、その脅しを「非合法」と呼ぶことはできない。
」(p.121)

卑劣な恐喝の被害にあった同性愛者はそのことで苦しみ、とてもそれが「利益」だなどとは考えられないだろう。しかし同性愛者全体の利益を考えるならば、恐喝による強制的なカミングアウトは、一般社会が同性愛者の存在を知り、共存する術(すべ)を学ぶことを促す。」(p.124)

このように恐喝者こそヒーローだと言います。たしかに、恐喝される側からすればたまったものじゃないという気持ちはするでしょう。けれどもそれは、その人が隠そうとするから恐喝されるのです。もしすべてをオープンにするなら、そもそも恐喝はできません。
もちろん、暴力を示唆する脅迫は許されるべきではありません。しかし、単に秘密をバラすという意味での恐喝は、それを犯罪とする根拠は希薄だと私も思います。
もちろん、だからと言って私はがアウティングを推奨するわけじゃありませんよ。不必要に他人の秘密をバラしたりはしません。ただそれは、秘密をバラすことが悪いからではなく、その必要性を感じないからです。


もしも誹謗中傷が合法化されれば、大衆はそう簡単に信じなくなるだろう。名声や評判を傷つける記事が洪水のように垂れ流されれば、どれが本当でどれがデタラメか」わからなくなり、消費者団体や信用格付け会社のような民間組織が記事や投稿の信用度を調査するために設立されるかもしれない。
 このようにして、人々はすぐに誹謗中傷を話半分に聞く術(すべ)を身につけるだろう。もしも誹謗中傷が自由化されたなら、「ツイッタラー」はもはや人々の名声や評判を片っ端から叩き壊すような力を持ちはしないのである。
」(p.131)

SNSなど匿名で他人を誹謗中傷する事例が多々ありますが、それさえ自由化すればいずれ意味をなさなくなると言うのですね。
まぁたしかに、そうとも言えます。「狼が来たぞ〜!」と叫ぶ少年の逸話と同じです。ただ、そこに至るまでに多くの人が誹謗中傷されて傷つくという現実は生じるかもしれません。私は、もっとソフトランディングするやり方のほうがいいなぁと思います。


第一に、「火事だ!」と叫ぶ者によって引き起こされるであろう市民の健康と安全への脅威を取り除くのに、市場の契約システムは政府による包括的な禁止政策よりも有効である。競争原理によって、劇場主は互いに観客を混乱に陥れるような突発的な出来事を回避しようと努めるだろう。彼らは、顧客に安全で快適な空間を提供するよう強く動機づけられている。それに対して国家はこうした動機をなにひとつ持たず、映画館の秩序維持に失敗したとしても、政府内のだれかが責任をとることもない。
 政府による法的禁止よりも市場にまかせたほうがより大きな成功が期待できる理由として、市場の柔軟性を挙げることもできる。政府はたったひとつの包括的なルールしかつくることができない。どんなにがんばっても例外が一つか二つ認められる程度だ。市場にそのような制限はない。
」(p.141)

法律による禁止のもとでは、彼らが熱望する「至上の快感」を手にする可能性はあらかじめ失われている。だが柔軟な市場経済であれば、需要のあるところに供給が生まれる。満員の映画館で「火事だ!」と叫んでみたいというサディストやマゾヒストの需要があるのなら、企業家は十分な対価を得て、必要なサービスを提供しようと考えるだろう。」(p.142)

もしも言論の自由に「例外」が認められたなら、わたしたちの手にした権利はさらに弱まってしまう。言論の自由にいっさいの例外はない。言論の自由と、所有権のようなほんとうに重要な権利とのあいだに対立が生じることもありえない。
 満員の映画館で「火事だ!」と叫ぶ人はわれわれのヒーローである。危機に瀕(ひん)している大切な権利を守るために、彼はなにが関係し、なにがなされるべきかをわたしたちに考えさせてくれるのである。
」(p.144)

先の誹謗中傷と同じで、映画館で「火事だ!」と叫ぶ自由は容認されるべきかどうか、それでも言論の自由を優先すべきかどうか、という話です。
たしかにいろいろ考えさせられますね。もし完全な自由経済市場があれば、「火事だ!」と叫ぶとか、誹謗中傷するとかを容認する代わりに、他の利用者からNGを出されたら罰金を払うみたいなシステムが導入されるかもしれませんね。
何が正しいかというファクトチェックをする傾向がありますが、こんなのはあまり意味がありません。「正しさ」は人それぞれですから。それより、多数の人が「要らない」と言えば、多額の利用料を払うことになるとかのペナルティーがあればいいだけとも言えます。そのペナルティーを払えるお金持ちは、あえて楽しみのために「火事だ!」と叫ぶかもしれない。それでも、そういうこともあると理解した上で安く(あるいは無料で)利用しているのであれば、そこで文句を言うのも変です。
もちろん、「こんなのはおかしい!」と主張することも自由。それに対して、「そんな主張はやめろ!」と主張することもできる。そうやって自由に情報発信し、他の人の評価によって利用料が変動するなんてのも面白いかもしれません。もちろん、成りすましとかを防ぐために、利用者は1人1アカウントで個人特定できることが前提ですがね。


なぜコンサートやスポーツイベントの興行主は、チケットに定価を印刷するのだろうか。なぜ、シカゴの先物市場で小麦を売るように、あるいは株式市場で株を売買するように、マーケットが決めた価格でチケットを売るようにしないのだろうか。そうすれば、ダフ屋はこの世から消滅するのに。
 その理由は、チケットの値段が決まっているほうが便利だとみんなが思っているからだろう−−予算を立てるとか、休暇を計画するとか。だからこそ興行主も、チケットに定価を印刷することが自分たちの利益につながると考える。ということは、消費者の要求こそがダフ屋家業を成り立たせている、ということになる。
」(p.147)

ようするに、ダフ屋は貧しい人々に仕事を与え、忙しくて列に並ぶ時間のない中産階級のためにチケットの購入代行をしているのだ。」(p.152)

ダフ屋とか転売ヤーとか、やたらと敵視されていますが、私はこんなのを規制する必要はないと思っています。そもそも商売とは転売なのですから。そういう経済のいろはが理解できず、すべて政府の管理下で行わせるべきだと考える全体主義者が、こういう規制をしたがるのでしょう。
ダフ屋は反社の稼ぎになるという意見もありますが、それはダフ屋を禁止するからですよ。禁止しなければ、その商売が儲かるなら、多くの人が参入して、いずれ飽和するでしょう。それが自由主義的な経済です。


賄賂を受けとるのは、論理的には、プレゼントを受けとるのとなんのちがいもない。そして、誕生日にプレゼントを受けとるのは違法ではない。
 しかしながらここで、「たとえ悪法であっても法を犯すことは認められない」と反論する者が現れるにちがいない。「われわれには都合のいい法律だけを選り好みする権利はなく、すべての法にしたがわなくてはならない。法に背くことはそれ自体が悪であり、同時に、社会を混乱へと陥れる先例を残すことになる」などと言うのだ。
 だが、「法に背くこと自体が悪だ」との主張には同意しかねるものがある。ナチ強制収容所の経験がわたしたちに教えてくれた事実は、それとはまったく逆だ。そこで得た教訓とは、「法そのものが邪悪であるならば、その法に従う者も邪悪である」ということだ。
」(p.162)

私たちには、法に従わない自由もある、という点では賛同します。しかし、ナチ、つまりホロコーストがあったという前提での説明であれば、安易に同意はできかねますね。
ここで「法そのものが邪悪であるならば」と言っていますが、邪悪かどうかは、誰がどういう根拠で認定するのでしょう? それぞれの人がそれぞれの価値観でそう思うだけのことではありませんかね?
そうであれば、自分がその法に従うことに価値を置かないのであれば、法を犯すことも自分の自由だ、というだけのことではないでしょうか。そういうことであれば、私も同意します。

ここでは、悪徳警察官をヒーローだと言っています。つまり、悪法を守ってしっかりと犯人を捕まえる警察官と、賄賂をもらって見逃してやる警察官との比較です。
もちろん、「おめこぼし」というものはあるかもしれません。何でもかんでも杓子定規に取り締まるというのも問題があるでしょう。ただ、それがヒーローかどうかと言われると、法の適用が不公平になる問題とか、いろいろ出てくるのではないでしょうか。難しいところでうs。


お金の貸し借りというのは、取引の一種である。したがってほかの取引と同様に、貸し手と借り手の双方に利益をもたらす。もしそうでなければ、そもそも取引は成立しないだろう。」(p.202)

裁判所が債権者に借金の返済を命じず、高金利の金を貸すことを禁じるならば、そこにヤクザがつけこんでくる。麻薬、ギャンブル、売春、闇金融……、一定の需要が存在するにもかかわらず国家が法で禁止した商品は、まともな会社が手を出せないのだから、非合法組織が一手に扱うしかない。」(p.204)

まさに、こういうことなんですよ。高利貸しを禁止するなんて、まったく無意味な規制です。それによって、法定金利以上を取るのは闇金融しかなくなって、さらに危ないことになってるじゃないですか。借りたいけど、その金利では貸してくれないから、庶民は困ってるんです。高い金利でいいから貸してくれと思っているのに。
ちなみに、発展途上国で広まってるマイクロファイナンスの利息は20%以上がふつうです。担保を取らない代わりに利息を高く設定して、貸し倒れに備えているのです。独占とか寡占状態の市場ならいざ知らず、自由な競争が行われている市場で、政府が規制をしてもろくなことにはなりませんよ。
もし利息が高くて返せない人が増えるというのであれば、破産すればいいんです。破産すれば損するのは貸し手。そこでどうやって利益を出すかは、貸し手が考えることです。もちろん暴力的な取り立てなどは、犯罪として取り締まればよいと思いますよ。


しかしこれが公共の慈善となると、話が変わってくる。
 公共の慈善、すなわち「福祉」には上限というものが存在しない。その悪影響が明白でも、政府の福祉予算が減額されることはめったにない。その原資は、嫌がる大衆から税金を巻き上げる国家の能力のみによって制限されているからだ。
」(p.213)

こうした ”国家−企業” 型の福祉プログラムの目的は、富裕層から貧困層へ富を再分配することではなく、労働者階級の潜在的なリーダーを買収し、彼らを「支配の構図」のなかに組み込み、知識人を動員して、なにも知らない大衆に「国家による福祉は君たちの利益になる」と吹き込むことだったのだ。
 同様に、ビヴン&クロワードが『貧民の統制』で指摘しているように、社会福祉制度の主要な目的は貧困層の救済ではなく、むしろ抑圧にあった。その手口は簡単で、福祉予算は貧困層がそれを必要としているか否かに関係なく、社会が不安定化すれば増額され平穏に戻れば減額されてきた。福祉とは、大衆を支配するために権力者が用意した「パンとサーカス」であったのだ。
」(p.214)

まさに現在の日本の政治そのものでしょう。国民負担率は実質的に5割を超えているとさえ言われています。それでもさらに政府支出を増やそうとしています。なぜか? そこにうま味があるからです。いわゆる「公金チューチュー」ですね。こういう利権のために、国民が利用されている。それが、高福祉国家の実態なのです。


飢餓でひと儲けを企む商人を敵視するのは、はなはだしい正義の誤用である。そのことを理解するには、彼らの役割が利益を求めて商品を売り買いすることだと気づくだけでいい。使い古された言い方だが、商売の秘訣は「安く買って高く売る」ことにある。その結果、成功した商人は自分だけがいい思いをしたいと考え、「みんなの幸福」などどうだってよく、しかもそのことによってみんなを幸福にするのである。」(p.230)

食料市場を安定化させる商人たちの役割を国家が肩代わりしたら、なにが起きるか考えてみてほしい。かれらもまた豊作と飢餓の微妙なバランスをとろうと、食料の貯蔵量を調整するだろう。
 だがこの場合、食料政策が大失敗したとしても、無能な国家を市場から退出させる仕組みははたらかない。公務員の給料は、彼の予測が当たろうが外れようが変わらない。損するのは自分のポケットマネーではないのだから、どうだっていいのである。その結果国家の仕事は、生き残りをかけて必死で努力する商人に比べてはるかに劣ったものにならざるをえない
。」(p.233)

考えてみれば当然ですが、これまで市場に関与しながら、失敗して責任を取った公務員など聞いたことがありません。たとえばあのバブル崩壊によるデフレを招いた政策を実施した公務員の誰が責任を取ったでしょうか?
だから、責任を負わない仕組みの政府に任せてはいけないのです。必ず責任を取らざるを得ない自由経済市場に任せておいた方が、確実に良くなると言えるのです。


人はなにか買い物をするたびに、自分でそれをつくる機会を逸している。靴やズボンを買い、うどんやミカンを食べるごとに、あなたはだれかのために仕事を与え、自分の仕事を失っているのである。このようにして保護主義者の論理は、絶対的な自給自足の主張へとつながっていく。」(p.238)

昨今、また保護主義的な考えが台頭してきましたが、論理的に考えても、保護主義は全体の利益を減らします。そして歴史的にも、失敗することが明らかです。
保護主義の行き着くところは、要は自給自足なんですよ。そのことが理解できれば、保護主義がいかに生産性の低いやり方であるかがわかるでしょう。各国のお互いの生存保障のためにも、相互に自由な貿易をすることに勝るものはありません。


もしも利潤の可能性が市場のなんらかの機能不全を意味するならば、「ボロ儲け」の可能性は、経済構造のさらなる歪みを示している。利潤の実現が市場機能の修復を暗示するならば、企業家のボロ儲けは、市場の歪みを正すために大規模な変革が行われていることとを教えてくれる。
 ボロ儲けは悪徳で、適正な利潤のみが道徳的なのではない。企業家の得る利益が大きければ大きいほど、経済は豊かになる。
」(p.264)

奇妙なことに、金儲けに対して悪意ある中傷を繰り広げる人たちは、人権を熱心に擁護し、権力の集中に反対する人たちでもある。しかし「利潤」と「金儲け」を非難するかぎり、彼らは自由経済を批判し、経済分野で自由に行動する権利だけではなく、人間生活のあらゆる分野における行動そのものを攻撃していることになる。
 利潤や金儲け、すなわち「利益を得る」ことすべてに対する彼らの攻撃は、彼らが独裁者の側に立つことをはっきりと示している。
」(p.265‐266)

より儲けの少ない、たとえば売価が低い自転車を売るのと、売価が高い自動車を売るのと、いったいどっちが人々の役に立つと思うのでしょうかね? 「適正な」と言いますが、その「適正さ」は、いったい誰が、どういう基準で決めるのでしょう?
そこまで言えばやっとわかる人も出てくるかと思いますが、特定の誰か、つまり権力者が決めるということです。それはすなわち、独裁制を受け入れるということではありませんか。


これら一見してなんの関係もない例に共通していることは、市場においては、どのようなポイ捨てなら許すか(あるいは許さないか)は消費者のニーズが決める、ということである。この問題はそれほど単純ではなく、「ポイ捨てを排除しろ」とだれもが叫んでいるわけではない。ここではむしろ、ゴミを集積させることと掃除することのコストと利益が、注意深く計られているのである。」(p.274)

ゴミのポイ捨て1つをとってみても、マナーとしてポイ捨てをしてはいけませんと言うことはいいとして、それを法的に禁止しようとすれば、とたんに問題が大きくなります。どれだけ規制しようと、人は、ポイ捨てすることが自己の利益になると考えれば、そうしてしまうのです。
けれども、それが公共の場であるか私有地であるかで、状況がまったく違うことが示されています。私有地であれば、いくらポイ捨てされても、それを片付けるコストを含めて入場の値段設定をすればいいだけだからです。重要なのは、そうすることで「儲かるかどうか」だけですから。
しかしここに自由市場原理を導入しなければ、ただ禁止して、挙げ句は罰則を強化し、犯人を捕まえて処罰するコストもみんなが払わなければなりません。ポイ捨てする人もしない人も、みんながストレスを抱えることになります。
ポイ捨ての掃除代が付加された入場料が高いと思うなら、行かなければいいだけのこと。そこには選択肢があります。けれども、税金で犯人を見つけて処罰する仕組みは、選択肢がありません。この違いが重要なのです。


最低賃金法は、正確に言うならば、雇用を安定させるための法律ではない。失業促進のための法律である。その趣旨は、雇用主に対して最低賃金以上で労働者を雇うよう命じることではない。法で定められた賃金以下で労働者を「雇わない」よう強制することである。
 この法律のせいで、必死になって職を探し、最低賃金以下でも喜んではたらきたいと願う労働者は仕事にありつくことができない。国家は、低賃金か失業かという選択肢に直面している労働者に、失業を選ぶよう義務づけているのだ。最低賃金法は、労働者の賃金を引き上げるのになんの役にも立たない。ただ、基準に合わない仕事を切り捨てるだけだ。
」(p.296‐297)

最低賃金法によって傷つくのはだれか? 技術や資格がなく、法で定めた賃金水準以上の生産力を持っていない労働者である。最低賃金が約一二〇〇円と世界でもっとも高いフランスは十五〜二十四歳の失業率が二三・八パーセントだ。近年の日本は「空前の人手不足」で若者の失業率は四パーセント台まで下がったが、非正規労働者は二〇〇〇万人を超え、そのなかには専門的技能をもたず最低賃金ぎりぎりで働いている者も多い。」(p.304)

では、最低賃金法における、組織された労働者の背後にあるものはなんであろうか。
 最低賃金法が最低賃金を無理やり引き上げると、価格と需要の法則がはたらいて、雇用主は熟練労働者を残し、未熟練労働者を切り捨てようとする。このようにして労働組合は、自らの雇用を守ることができる。
」(p.307)

これも論理的に考えれば当然の帰結ですね。最低賃金以上で働く人に対して、賃上げの動機とはならないのですから。
つまり、最低賃金を強制して上げれば上げるほど、能力の低い人は労働市場から排除されるということです。たとえば障害者とか、能力が低い未熟練労働者とか。あるいは女性とか。(出産や生理などによる労働効率の悪さが敬遠されるため。)
論理的に考えるなら、重要なのは最低賃金を上げることではないのです。賃金が少ない人でも健康で文化的な最低限の暮らしが成り立つようにすることです。それが真のセーフティネットです。
その上で、あとは自由にさせたらいい。労働市場が柔軟化すれば、自分にあった職場を見つけやすくなります。人の才能は様々ですから、ある企業ではNGだとしても、他ではそれが良いと評価される可能性がある。そういう労働市場の柔軟化のためにも、最低限の生活報奨が常にあることが重要なのです。


大人になるということが自分で生活の糧を得、自分の意思で決定することならば、両親にはこの選択に干渉する権利はない。親は、子どもが家を出るのを禁じることはできない。子どもが家にとどまるかぎりにおいて、子どもに対する権利と義務を持つだけだ(「この家(うち)にいる以上、親の言うことを聞きなさい」という小言はその意味で正しい)。親は子どもの巣立ちを禁じてはいけない。それは、子どもが大人へと成長する過程を侵害することだからだ。」(p.316)

この理論のいちばんのポイントは、もちろん「児童労働」なるものの禁止に関してである。ここでの「児童」とは、恣意的に決められた年齢よりも若い者と定義されているのだが、このような一方的禁止は、家出の決断に対する親の干渉と同様に、大人になるという「自発的な」可能性を片っ端からつぶしてしまう。
 もし年齢が足りないからという理由ではたらくことを禁じられたら、家を出て自活するという選択肢は彼の前から消え去ってしまう。私有財産権を奪われた彼は、社会が「大人」と定義する年齢に達するまでひたすら待たなくてはならないのである。
」(p.317)

「親は子どもを養う義務がある」という広く流布した信念は、子どもを望む親の意思を根拠にしている。この論理が完全に破綻しているならば−−それ以外の解釈はわたしにはちょっと思いつかないが−−親の扶養義務そのものが間違っているのである。
 「扶養義務がない」ということは、他人の子どもの世話をする義務がないのと同様に、あるいは血縁においても地縁においても自分とはまったく無関係な赤の他人の面倒を見る義務がないのと同様に、自分の子どもに食べさせ、服を着せ、寝場所を与える義務がないということだ。しかしこれは、親が自分の子どもを殺してもいいということではない。他人の子どもを殺す権利がないのと同様に、親には自分の子ども、彼らが生を与えた子どもを殺す権利もない。
 「親の役割」というものを考えるならば、それはむしろ養育係のようなものである。もしも親が、自発的に引き受けたこの役割を放棄したいと思ったり、そもそも最初からその気がなかったならば自由にやめてしまってかまわない。自分の赤ん坊を養子に出したり、あるいは伝統的な方法として、教会や孤児院の前に置き去ることもできる。
」(p.321‐322)

もちろん、客観的に見て誤った子育てをする親はたくさんいる。しかしだからといって、彼らを国家の手にゆだねればより幸福になれるというわけではない。国家もまた、とんでもなく間違った子育てをすることがある。そして子どもにとっては、国家の権力から逃れるよりも、愚かな親から自立するほうがずっと容易なのである。
 結論を述べるならば、若年層との労働契約は、それが自発的なものであるかぎりにおいて有効である。年齢にかかわらず、私有財産権を持つ者は「大人」であり、彼はほかの大人と契約を結ぶことができる。
」(p.323)

児童に労働させる資本家はヒーローだと言うのですね。たしかに、児童労働の弊害はありますが、児童労働を禁止すれば問題が解決するわけではありません。
なぜ親が子どもを強制的に働かせるかと言えば、親が貧しいからです。あるいは親が働けないとか、お金がかかる家族がいるなど家計の必要から子どもを働かせなければならなくなっている。その状況を改善することなく児童労働を禁止しても、何の意味もありません。意味がないだけでなく、貧困層をさらに貧困のままにさせ、また、自立したい子どもの機会を奪うことにもなります。

またここで言っているように、私も子育てを親の義務にすることはやめた方がいいと思います。そうするから子殺しとかネグレクト、虐待などの問題がなくならないのです。ただ養育係を自発的に引き受けているだけだという価値観になれば、自分が育てられなければ養育機関に委ねればいいだけなのです。それが気楽にできるようになれば、子どもへの虐待も減るし、少子化対策にもなると思います。


本書で取り上げられる極端な事例の数々は、読者の感受性を間違いなく逆なでするであろう。ブロック教授は、それによって条件反射的で感情的な反応を見つめ直すよう読者を促し、自由な市場の価値とはたらきについての新しく、そしてはるかに健全な知識を獲得するよう導いていく。
 もしあなたが自由経済を支持しているとしても、あらためて「自由な市場」とはどのようなものかを突きつけられる覚悟をしておいたほうがいい。本書はあなたにとって、エキサイティングでショッキングな冒険の旅となるであろう。
」(p.326‐327)

これは経済学者のマリー・ロスバード氏による推薦文からの引用です。まさにそういう内容かと思いました。


本書で取り上げられた内容は、ヤクの売人とか本引きなど、非合法的な商売をする人たちをヒーローだと示すことによって、これまでの価値観に疑問を持たせようとしています。私たちは、これまでの価値観を当然のものとして疑いもしないのですが、こうやって論理的に示されてみると、たしかにこうも言えるなぁと思えるのではないでしょうか。

私も「自由」が重要な価値観であり、政治や経済のみならず「自由」を広げていくことだと考えています。本書を読んで、やっぱり自由が重要なだなぁと改めて思いました。

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2024年05月25日

呼吸 こころの平和への旅

呼吸 〜こころの平和への旅〜 - プレム・ラワット, 大島とうこ
呼吸 〜こころの平和への旅〜 - プレム・ラワット, 大島とうこ

文屋という小さな出版社を知って、そのメルマガを購読しています。その中で紹介されていたのがこの本です。
著者はプレム・ラワット氏。インド北部の生まれで、幼い頃から「すべての人のこころの中に、生まれながらにある平和」について語り始めたとあります。13歳にはインドを出て、世界100ヵ国以上、数十億人に対して語りかけておられる講演家であり、慈善活動家なのだそうです。
世の中には、こういう不思議なパワーを持った方がおられるのですね。翻訳は大島とうこさんです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

どれほどたくさん金やダイヤモンドがあっても、
世界中のお金を全部合わせても、
たった一つでさえ呼吸を買うことはできません。
呼吸が何度も繰り返し、あなたに入ってきます。
しかも、お金は要りません。

あなたはそれほど豊かです。
自分がどれほど幸運であるかを理解してください。
」(p.46)

本書は全体として、この「呼吸」の素晴らしさを称え、私たちは生まれながらにその素晴らしい「呼吸」と共にあるのだということを語っています。
ただ、「呼吸」というものを、まるで1つの存在であるかのように表現しているので、ちょっと違和感を感じます。まぁでも、それは詩的な表現だと思うこともできますね。


渇きを癒すということは水が持つ可能性です。
これは水の力ですが、
渇きが癒されるその喜びはあなたの中にあります。
あなたが探しているものはあなた自身の中にあります。
全宇宙の中でもっとも尊いものが、あなたの中にあります。
あなたがどれほど美しく素晴らしい贈り物を授かっているかを
思い起こしてもらうのは、わたしの喜びです。
その贈り物とはいのちであり、呼吸です。楽しんでください!
それはあなたに無限に与えられた、唯一のものです。
できる限り多く、さらにもっと多くを受けとってください。
」(p.51‐52)

喜びを感じるということが素晴らしいことなのですね。その力を私たちは、生まれながらに持っています。そして、その力を私たちに与えているのは「いのち」であり、「呼吸」なのだと言うのです。


すべてのことが変化します。
ものごとがうまくいっていると思うなら、
しばらく様子を見てください。いろんなことが変化します。
順調にことが運ばないと思ったら、
しばらく待ってみてください。すべてのことが変化します。
あなたも変わります。考えも変わります。
思考も概念も変わります。
世界も変わります。すべてのことが変化します。
」(p.57)

この部分の直前に、「人間万事塞翁が馬」の故事を思わせるような話が挿入されています。「悪い」と思ったことが「良い」に変わり、「良い」と思ったことが「悪い」に変わる。そういう事例として紹介されていました。
仏教では「諸行無常」と言います。すべてのことは変化するということです。これはお勧めしている「神との対話」でも言われていることです。

ただ、「神との対話」では変化しないものが1つだけあり、それは「変化する」ということだと言っていました。つまり、変化が止まることはない、ということですね。
それに対して本書では、変わらないものが1つあり、それは「呼吸の出入り」だと言っています。そして、呼吸が変化するとすべての変化も止まるのだと。少し意味がわかりづらいのですが、生きている間は吸っては吐くという呼吸の出入りは変化しませんが、それが止まれば死ぬということを言いたいのかなと思いました。


この存在に、この人生に、この瞬間に、
この呼吸に心地よさを感じるようになれば、
あなたは比類のない深い喜びに気づくでしょう。

一度に一つずつ出入りする呼吸を楽しむこと、
理解すること、自分自身に向き合うことができること、
これは真の技法 ー 生きる技法です。
」(p.85)

一つひとつの呼吸に意識を向けることで、呼吸を楽しみ、呼吸を喜ぶことができる。ある意味で瞑想とか禅のような手法でしょうか。


人生で、与えられた恵みを受けとることのできる人は幸運です。
「そうわたしは呼吸しています。
わたしの中に入っては出ていく一つひとつの呼吸のすべてに
感謝しています」と、
謙虚な気持ちで言えるでしょう。

最高の祈りとは、感謝の気持ちを持つことです。
」(p.100)

「神との対話」にも、最高の祈りは感謝だという言葉がありました。呼吸を意識して、呼吸の素晴らしさを感じたなら、自ずと感謝したくなりますね。

世界に欲張りがあるにもかかわらず、感謝もあります。
そして、その感謝が解毒剤となって、欲張りを中和します。
でも、人が感謝の気持ちを持てないのは、
「もっともっと、もっと欲しい」と、
それだけに気を取られているからです。
自分が持っているものを受け入れて楽しみ、感謝し始めると、
「これはいい! 他の人とシェアしよう!」
という気持ちになります。
なぜなら、それが人間の本質、人間性だからです。
」(p.124‐125)

「足りない」という思いが執着心を呼び起こし、感謝の心を遠ざけるのですね。だからこそ、今あるものに意識を向けることが大切なのです。


あなたがほんとうにこのユートピアを持つことができる
唯一の場所は、あなた自身の中だけです。
外ではなく、あなた自身です。
そして呼吸は、このユートピアを体験するように、
毎日あなたを呼んでいます。
」(p.149)

私たちはユートピア(理想郷)を望みますが、それは外に探しても見つかりません。自分の中に見出すしかないのです。
「神との対話」でも、まずは内的平和を実現するようにと言っています。外的な世界は今あるがままに、内的に平和を築くのです。

わたしの戦略はとてもシンプルです。
それはあなた自身が平和になることです。
他の人とは関わりなく、
自分自身のこころが平和になることです。では、どうやってこころ穏やかに
平和でいることができるでしょうか?
自己への旅、つまり自分自身を知ることが必要です。
」(p.175)

外的な平和は、内的な平和を実現することによって打ち立てることができます。暴力革命では平和を達成できない。それは歴史が示している通りです。

戦争が起き、罪のない人たちが犠牲になります。
これと同じように、あなたのこころが戦争状態であれば、
あなたの人生の無垢(むく)な瞬間が奪われます。
」(p.176)

マザー・テレサさんは、戦争反対運動には参加されませんでした。それは闘争だからです。自分の心の中に闘い(戦争)があるなら、それは外的な戦争をやめさせる力にはならないのです。

あなた自身が戦いの場であり、戦う相手は自分自身です。
そして自分に勝つ必要があります。
」(p.177)

怒り、恐れ、憎しみ。この自分の中に渦巻くネガティブな思いに向き合い、克服する必要があるのです。

自分を知ることが、この戦略で最もたいせつなことです。
自分自身を知らないと、自分の強さがわかりません。
自分は弱い人間だと信じてしまうかもしれません。
」(p.177)

自分自身と対峙した時、自分の弱さを感じてしまうことがあります。けれども、それは本当の自分ではないと見抜かなければならないのですね。

鍛錬が必要です。どんな鍛錬でしょうか?
それは喜びを深く味わうことです。
」(p.178)

つまり、一つひとつの呼吸を意識して感じることによって、その素晴らしさを味わい、喜びに浸ること。そうすることで、本当の自分を知ることになり、内的な平和を築くことができる。そういうことなのでしょうね。


詩のような、散文のような本でした。書かれている内容は、ハウツー的で論理的なものと言うより、雰囲気で味わうようなもの。そんな感じがしました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月21日

情報公開が社会を変える

情報公開が社会を変える ――調査報道記者の公文書道 (ちくま新書) - 日野行介
情報公開が社会を変える ――調査報道記者の公文書道 (ちくま新書) - 日野行介

最近、減税など政治がらみのことをX(旧Twitter)で発信していることもあり、こういう情報もおもしろそうだと思って買ってみました。
情報公開というのは、政府や自治体に法的に義務付けられたことですが、実態としては簡単には情報公開してくれません。そのことに疑問があったので、実態はどうなのかを知りたくて、この本を読んでみました。著者はジャーナリストで作家、元毎日新聞の記者の日野行介(ひの・こうすけ)さんです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

ごみ処理場や工場の建設予定地の選定、子どものいじめなど地域の問題も同様だ。災厄をもたらす歪んだ政策の共通点は、市民にとってのメリットが疑わしく、結論や負担だけを市民に押し付け、意思決定過程が不透明なことだ。」(p.12‐13)

公務員は国民や住民の公僕のはずですが、その公僕が主人である国民(住民)に情報を開示しないという問題点があるのです。

本来、同じ被災自治体として一致団結して汚染土を他所に持って行くよう国に求めるか、あるいは効果の疑わしい除染自体を止めるよう主張すべきであったにもかかわらず、迷惑施設の押し付け合いに議論をすり替えられてしまった。
 こうした議論の「すり替え」を見抜き、住民同士で対立する不毛な事態を避けるためには、役所が出してくる政策に反射的に反対し、支持拡大を目指す「運動」だけでは不十分なのは明らかだ。その政策は本当に必要なのか? 役所が言い募る政策の目的は真実なのか? 本当のところを調べなければならない。
」(p.21‐22)

役所がごまかそうとするから、本質的な議論ができない実態があります。本当は、悪人探しをするのではなく、どうすれば国民(住民)のためになる国(自治体)の政策ができるのかを検討し、実施できるようにすべきなのです。


政策に込められた真の目的を察知し、実現を阻止したいと考える一般市民が(誰でも)できるのは、政策の目的が民意に反し、隠蔽(いんぺい)と嘘で一方的に進められている証拠を示すことだ。この証拠こそが意思決定過程を書きとめた公文書だ。」(p.41)

公文書を公開請求する意味は、役所がどういう意図でその政策を推進しているかを白日のもとにさらすことにあるのですね。


「経緯も含めた」という文言に強い意志を感じることができる。決して公言しないだろうが、政治家や役人にとって意思決定過程に関する公文書は公開したくないものだ。だが、国民が情報公開を求める「権利」と合わせて、意思決定過程を記録する公文書の作成を役所に義務付ける法律ができたことで、情報公開請求を受けて意思決定過程を記録する公文書を公開しなければ「隠蔽」と指摘され、責任が問われることになった。」(p.56‐57)

公僕が国民に対して情報隠蔽しようとすること自体がナンセンスなのですが、情報公開法がなければ、そういうことすらできなかったのです。


しかし、過去の冤罪事件では必ずといってよいほど、無実の可能性を示す証拠があったにもかかわらず、検察が隠し持っていた事実が明らかになってきた。警察が強制捜査権と公費を使って集められた証拠は本来、適切な刑事裁判を行うための公共財産であって、検察が独占してよいものではない。
 無辜(むこ)の処罰を防ぐには、検察に持っているすべての証拠を開示させ、被告人と弁護人が吟味できるようにしなければならない。
」(p.60)

役所は秘密裏に検討し、政策の目的を偽り、「もう決まったことだから」と聞く耳を持たずに押し進める。この「隠す」「騙す」「押し付ける」の三点セットがもたらすものは民主主義の破壊しかない。これに対抗する材料は、役所がひた隠しにする意思決定過程の中にある。役所が自分たちにとって不利になる材料をわざわざ国民に提供することはない。国民・住民が情報公開請求によって「出せ」と迫る以外に方法はない。」(p.61)

まさにこの実態、つまり政府や自治体は、本来主人である国民や住民を蔑ろにして、自分たちの権力行使を優先していることが問題なのです。


出席者は非公開だから口にできる本音がある一方で、経緯を含めた意思決定過程の記録は文書に残さなければならないのが公文書管理の基本原則だ。明らかにしたくないが残さなkればならない、という根源的な矛盾を内包しているのが非公開会議の議事録と言える。」(p.126)

政策の決定に関わる意思決定過程で、誰が何を発言しようと自由であり、それによって批判非難されるべきではないと思います。しかし、現段階においては、批判非難されてしまう。なので、奇譚のない意見を聞くためには、議事録を公開しないことが前提となったりします。
つまり、国民(住民)が自らの首を絞めているのです。批判非難しなければ、様々な意見を出し合って決定できるのに。そのメリットを捨てているのは、まさに国民(住民)自身だと言えるでしょう。


役所はいつもこそこそと検討し、市民を欺き、聞く耳を持たずに押し付ける。それは政策の中に潜む矛盾や誤りを自覚しているからに他ならない。市民がそんな政策にNOを突きつけるためには、何が誤っているのか、どこにウソがあるのか役人たちを論破できるほど知識を積み上げなければならない。そのために必要な情報は公文書の中にしかない。意思決定過程を記録した公文書を市民が自らの手で根こそぎ拾わなければならない。」(p.213)

情報公開請求しても、公開に時間がかかったり、公開しないと言われたり、墨塗りして意味のわからない文書しか公開されなかったりします。こういうことそのものが「おかしい」と思いませんかね? だって、主人は国民(住民)なんですよ。主人が公開しろと言っているのに、公僕が公開しないなんてことが認められること自体が、おかしなことだと思います。けれども、それが現実なんですよね。


私は、すべてを予め公開すべきだと思います。いまや、インターネット上にすぐにでも公開できる時代なのですから。
そして、意思決定や、そこに関わる段階での発言に対しては、罪を問わないという価値観を国民(住民)が共有することが重要だと思います。
それができれば、情報公開請求するまで公開しないんじゃなく、すぐにリアルタイムで公開する時代になっていくと思います。

政治に求められるのは、「シンプル」と「オープン」だと思います。このキーワードを重視した価値観が広がり、その上で政策が検討されるといいなぁと思います。

情報公開が社会を変える
タグ:日野行介
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2024年02月12日

よろこびの書

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2024年1月20日(土)、田端にある小さな映画館「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」で映画を観ました。この映画が素晴らしかったとFacebookの友人が投稿していたので、上映しているところを探してみたところ、意外に近くでやっていたので、すぐに予約したのです。
タイトルは「ミッション・ジョイ 〜困難な時に幸せを見出す方法〜」で、ダライ・ラマ法王デズモンド・ツツ大主教の2人が「喜び」について語るというものです。2人ともノーベル平和賞を受賞しておられるのですね。ダライ・ラマ法王の80歳の誕生日を祝うために、ツツ大主教がインドのダラムサラを訪れ、1週間ほど過ごした時のドキュメンタリーでした。

内容もよくわからず観始めたのですが、すぐに引き込まれました。そして、ずっと泣きっぱなしでした。悲しいからではなく、嬉しかったから、感動したからです。
映画館の受付で、この本が売られてました。上映室から出るとすぐに受付へ行き、この本を買いました。この感動を、もっと深く心に染み渡らせたかったのです。

著者は、対談を行ったダライ・ラマ法王デズモンド・ツツ大主教、そして作家で編集者のダグラス・エイブラムス氏です。ダグラス氏は、特にツツ大主教と長年の付き合いがあるようです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

「冷たいことを言うようですが、たとえ多くの喜びを発見したとしても」と降下が始まったとき、大主教が言った。「困難や辛苦から逃れる術はありません。事実、私たちはもっと簡単に泣いたり、笑ったりしてもいいかもしれません。そうすればたぶん、もっと生き生きとするでしょう。けれども、より多くの喜びを発見すれば、苦い思いをするのではなく、成長できるような方法で、苦しみと向き合うことができます。窮地に追い込まれることなく困難と向き合い、胸がはり裂けることなく悲嘆を味わうのです」」(p.22)

ツツ大主教ほどの聖人でも、出来事を完全にコントロールすることはできないのです。苦しみながら、悲しみながら、その中に喜びを持つ。安岡正篤氏が言われた「喜神を含む」という言葉が思い出されます。
また、孔子も進退窮まったことがありました。「君子固窮(「君子困窮」とも)」という話です。小人も君子も困窮することはあるが、うろたえて自分を見失うのが小人、泰然自若としているのが君子、という内容です。


物質的な価値は心の平和をもたらすことができません。だから、私たちの真の人間性である内的な価値に焦点を当てる必要があるのです。そうすることによってのみ、心の平和が得られますし、世界をもっと平和にできます。戦争や暴力といった私たちが直面している多くの問題は、私たち自身が作り出したものです。自然災害と違い、これらの問題は人間自身によって生み出されているのです。」(p.39)

ダライ・ラマ法王は、人類の問題は内的な問題だと言います。つまり、頭と心の問題だと。

私が語りたいのも幸福についてではありません。喜びについて語りたいのです。喜びは幸福を含んでいます。幸福よりもずっと偉大なものなのです。出産間際の母親のことを考えてください。ほぼすべての人が痛みから逃れたいと願いますが、母親は出産に強烈な痛みが伴うと知っていても、それを受け入れる。出産の苦しみを味わった後でも、赤ん坊が生まれるや、喜びに包まれます。」(p.41)

お勧めしている「神との対話」シリーズでも「痛みと幸福は両立しないものではない」と語られていますが、痛みが苦しみに直結するわけではないという例ですね。ツツ大主教は、幸福よりも広い概念として「喜び」があると言います。

ダライ・ラマが指摘しているのは、痛みや苦しみを否定することではなく、他にも苦しんでいる人がいるのを見ることで、自分自身から他者へ、苦悩から思いやりへと視点を転換することの大切さだった。注目すべきなのは、他人の苦しみを認め、苦しんでいるのは私たちだけではないことに気づくと、苦痛が和らぐとしている点だ。
 私たちはしばしば他人の悲劇について聞き、自分の状況がそこまでひどくないことにほっと胸を撫でおろす。ダライ・ラマが行なっていたことはそれとはまったく異なる。彼は自らの状況を他人のそれと比較したりしない。自分の状況を他人のそれと融合させ、自分のアイデンティティを広げ、自分とチベットの人々が苦しみにおいて一人ではないことを見つめるのだ。
」(p.46-47)

私たちは自分の国を失い、難民になりましたが、その経験がより多くのものを見る新たな機会をもたらしてくれました。私個人に関して言えば、あなたのようなさまざまな霊的実践者や科学者と会う機会を得たのは、難民になったからです。」(p.47)

ダライ・ラマ法王は、自分の苦しみに浸って自分だけが災難を被っているかのような見方をしません。苦しみを感じた時、他の苦しんでいる人たちに思いを馳せるのです。その時、あの人たちよりマシだと比較して安堵するのではなく、あの人たちも同じように苦しんでいると共感し、助けになってあげたいと思われるのです。

苦悩や悲しみは多くの点で、制御することができません。それらは自然に生じます。誰かに殴られたとしましょう。痛みはあなたの中に苦悩や怒りを生み出します。あなたは仕返ししたくなるかもしれません。でも、仏教徒であれクリスチャンであれ、またその他の宗教的な伝統に属していようと、霊的な成長を遂げれば、自分の身に起こることはどんなことでも受け入れられるようになります。罪があるから受け入れるのではありません。起こってしまったことだから受け入れるのです。人生はそうやって織りなされていきます。好むと好まざるとにかかわらず、起こることは起きます。人生にはフラストレーションがつきものです。問題は、いかに逃れるかではありません。いかにしてそれを肯定的なものとして活用できるかなのです。」(p.48-49)

ダライ・ラマ法王は、出来事はコントロールできないし、それによって苦悩や悲しみにさいなまれることはどうしようもないと言います。しかし、それを怒りに変えて誰かを傷つけようとするかどうかは、見方次第だと言います。どんな出来事に対しても、肯定的な意味を与えることができるのです。

いや、二七年は必要だったのだ、と私が言えば、人々は驚くでしょう。しかし、不純物を取り除くためにはそれだけの時間が必要だったのです。刑務所内での苦しみによって、彼は包容力を増して、相手の話を進んで聞くようになりました。彼が敵とみなしていた人々もまた恐れや期待を持っている人間であることを発見するためにも、時間が必要だったのです。彼らは社会によって作られたのです。二七年という歳月がなかったら、慈悲心や雅量の豊かさ、他人の立場に立って考える能力を持ったネルソン・マンデラを見ることはなかったでしょう」(p.52)

アパルトヘイト政策を実施していた政権を打ち倒そうとして投獄されたマンデラ氏は、27年間の獄中生活によって精神が鍛えられ、次代を担う指導者として成長したのでしょう。敵もまた同じ人間だ。その共感力は、理不尽に苦しめられた経験が育てたのです。
そのことを思うと、孟子の教えを思い出します。「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、・・・」という言葉は、まさにこのことを語っていますね。天はマンデラ氏を必要とし、鍛え、働かせたとも言えるのです。

病院への道すがら、ずっとこの老人のことを考え、彼の苦しみを感じていました。そのおかげで、自分自身の痛みのことをすっかり忘れていました。自分への注意を他者に切り替えるだけで、自分自身の痛みが薄れたわけです。これが慈悲の性質なのです。身体レベルで慈悲が働く仕組みなのです。」(p.55)

ダライ・ラマ法王が急な腹痛に襲われて車で病院へ移動していた時、苦しみながらも車の窓から地面に横たわっていた老人が見えたそうです。病気のようで、汚い身なりをして、誰も面倒を見ようとはしていませんでした。その老人のことを考えていたら、自分の痛みを忘れていたと言われるのですね。

簡単に言うと、私たちが自分の痛みを癒せば癒すほど、他者の痛みに目を向けることができるようになる。ところが、驚くべきことに、私たちが自分自身の痛みを癒す方法は、実際に他者の痛みに目を向けることによってであると大主教とダライ・ラマが主張しているのだ。それは「良循環」である。他者に目を向ければ向けるほど、私たちはより多くの喜びを味わえるようになり、喜びを味わえば味わうほど、他人を喜ばすことができるようになる。」(p.68)

このようにお二人は、出来事を変えるのではなく見方を変えることで、苦痛や悲しみを減らし、喜びを取り戻す方法を語られたのでした。
そして、自分が喜ぶことで、他人を喜ばせたくなるし、他人を喜ばせることによって、自分もさらに喜ぶことになる。愛が自然と流れ出すようになり、さらに愛しやすくなるのです。


親たちの間にも、利己性がはびこっています。 ”私の子供、私の子供” と考えるのです。それは偏った愛です。私たちは人類全体、生きとし生けるもの全てに対する公平な愛を必要としています。あなたの敵も人間の兄弟姉妹なのですから、私たちの愛や尊敬、思いやりを受け取るに値します。それが公平な愛です。あなたは敵の行動に対抗しなければならないかもしれませんが、彼らは兄弟姉妹として愛することはできます。私たち人間だけが、知性を用いてそのようなことができるのです。人間以外の動物にはそれができません」(p.82)

ダライ・ラマ法王は、自分の子どもばかりを愛することを偏愛だと言い、それを乗り越えなければならないし、乗り越えていけると言います。ダグラス氏は、それを理想だと思いながらも、自分たちにできるかどうかと疑問に感じたようです。

最近知ったSHOGENさんはアフリカのブンジュ村で、縄文時代の日本人の教えに習って生活する人々と出会いました。彼らはほとんど私物を持たず、たとえば包丁も複数家族で共有する生活をしているそうです。そして子どもは、誰が本当の父親か明確ではないそうです。村全体で子どもを育てているような感じなのだそうです。
考えてみれば日本も昔は、そんな村社会がありました。自分の子どもでなくても悪いことをすれば他の大人が叱る。村の子どもという意識があったのでしょうね。


その週の対話の最中、大主教は、ネガティブな思考や感情を持ったとしても自分自身を責めるべきではないと再三繰り返した。それは自然で、避けられないことであり、自分を責めれば、罪悪感や羞恥心にさいなまれるだけだ、と。人間の感情が自然なものであることにダライ・ラマは同意したが、ネガティブな感情が避けられないかどうかについては、心の免疫力がつけば避けられると主張した。」(p.88)

これは「神との対話」シリーズでも語られていますが、まず沸き起こる感情を抑圧するなと言っています。抑圧されない感情は自然なもので、抑圧しないことによって、感情がいびつになることを防げるのだと。また、罪悪感は百害あって一利なしとも言っています。
そういうことからすると、私は両者の主張は共に正しいものだと思います。私たちが成長していくに従って、ネガティブな感情は起こらなくなっていくでしょう。

私たちはしょっちゅう自分に腹を立てます。最初からスーパーマンやスーパーウーマンであるべきだと思っているんです。ダライ・ラマの落ち着きは最初からあったわけではありません。優しさや慈悲心が育ったのは、祈りや瞑想の実践を通してです。適度に忍耐強く、受容的なのもそのためです。彼は状況をあるがまま受け入れます。不可能なことをしてむだ骨を折っても、傷つくだけだからです。」(p.94)

ツツ大主教は、このように法王のことを言います。そのように言えるのは、おそらくツツ大主教もそうだからでしょう。

「勇気とは、恐れがないのではなく、恐れを打ち負かすことだということを私は学びました。私は思い出せないほどたくさん怖い思いをしてきましたが、それを大胆さの仮面の背後に隠していました。勇敢な人間とは、恐れを感じない人間ではなく、恐れを克服する人間なのです」。私が大主教と一緒に、『神は夢を持っている』という本に取り組んでいたとき、大主教は似たようなことを言った。「勇気とは恐怖がないのではなく、あるにもかかわらず行動できる能力を指します」と。」(p.96)

ダライ・ラマ法王とツツ大主教は、「勇気」に関して同じようなことを言われています。恐れを感じないことではなく、恐れを感じていても、感じるがままに突き進むという情熱なのです。


ふと、思い出しました。初めてOSHO氏のことを知って読んだ本のタイトルが、「Joy(喜び)」「Courage(勇気)」であったことを。そこに、「勇気」について、次のように書いてありましたね。

勇気ある者は、あらゆる恐怖にもかかわらず、未知の世界へと進んでゆく。」(「Courage」 p.12)
勇敢とは恐怖でいっぱいであっても、恐怖に支配されないことを意味しているのだ。」(「Courage」 p.116)

そして、恐れを排して突き進むよう励ましていました。

心の道は勇気の道だ。それは安全ではないところで生きることだ。それは愛の中に生きること、信頼の中に生きることだ。」(「Courage」 p.19)
簡単な練習から始めなさい。いつも覚えていなさい。選択する必要がある時は、いつも未知のもの、リスクのあるもの、危険のあるもの、不安定なものを選びなさい。そうすればあなたは何も失わないだろう。」(「Courage」 p.189)

恐れがあっても、あえて恐れていることを選択するようにと言います。なぜなら、恐れの対極が愛だからです。


ダライ・ラマは恐れと怒りの奥にある深い微妙なつながりを指摘し、恐れがどのように怒りの下に潜んでいるかを説明した。普通、いらだちと怒りは傷つけられることから生まれる。頭を車にぶつけたドライバーが良い例である。私たちは肉体的な痛みに加え、精神的な痛みも経験する。後者のほうがありふれていると言えるかもしれない。私たちは尊敬されたり、親切にされたいと望むが、軽蔑や批判など望んでもいなかった扱いを受けることがある。ダライ・ラマが言うには、怒りの根底には、必要なものを手に入れられないのではないか、愛されないのではないか、尊敬されないのではないか、仲間に入れてもらえないのではないかといった恐れがある。
 怒りから抜け出す一つの方法は、怒りを生み出している傷はなにかを自問することである。心理学者はえてして怒りを二義的な感情と呼ぶ。脅かされているという感情の防衛として生じるからだ。恐れ−−どのように脅かされているか−−を認め、表現することができれば、怒りを鎮めることができる。
 だが、そのためには、自分が傷つきやすいことを進んで受け入れる必要がある。私たちは恐れや心の傷を恥ずかしく思う傾向がある。もし傷つくことがなければ、痛みを味わうこともないだろうと考えるからだ。
」(p.105-106)

ここで語られている「怒り」に関する考察は、まさにその通りだと思います。私たちは、思い通りにならない時に怒りを感じるのです。思い通りにしなければならないと思っているから。思い通りにならないと、自分が傷つくと感じているから。その恐れから怒りになる。だから怒りは「第二感情」と呼ばれるのです。
怒りが第二感情であることは、「自分を好きになれない君へ」などで野口嘉則さんも語られています。

そこで怒りを感じないようにするには、まずは自然な第一感情である恥ずかしさなどを受け入れる必要があるのです。その感情を抑圧するから、第二感情の怒りが生じる。そういうメカニズムを知ることで、ダライ・ラマ法王が言われるように、心の免疫を強くしていくことができると思います。


まず第一に、同じ人間だということを認めなければなりません。他人は私たち人間の兄弟姉妹であり、幸せな人生を送る権利と願望を持っています。これはスピリチュアルなことではありません。単なる常識です。私たちは同じ社会の一員なのです。また同じ人類の一員です。人類が幸せなら、私たちも幸せです。人類が平和なとき、私たち自身の人生は平和です。家族が幸せなら、あなたも幸せだというのと同じです。」(p.137)

仏教で言う「ムディター(共感の喜び)」を養う方法を、法王はこのように説明しました。愛する家族と同じように人類全体を考える。たしかに、それができれば、人類全体を愛せるでしょうね。


しかし、苦しみの中に、少しでも意味や贖(あがな)いの気持ちを発見できれば、ネルソン・マンデラのように、寛大な人間として生まれ変わることができる。
「私たちが精神の寛大さの中で成長をするには、なんらかの方法で、挫折を経験しなければならないことを、多くの事例で人は学びます」と大主教は続けた。
」(p.148)

少々のことで傷つかずに寛大さを示せるようになるには、挫折する経験が必要だと言うのですね。挫折や苦しみを経験することで、共感性が向上することはたしかです。ただしひねくれなければ。
このことを思うと、3度も島流しに遭いながらひねくれず、へこたれなかった西郷隆盛氏の精神力は、本当に素晴らしいなぁと思います。


だから、大主教とダライ・ラマが、それぞれの伝統の中で、慣習を破るのを見て驚いたのだった。
 多くのキリスト教の宗派は、キリスト教徒ではない者や特定の宗派に属していない他のキリスト教徒の聖体拝領を禁じる。言い換えれば、多くの宗教的伝統と同じように、グループの一員とそうでない者をきっちりと分けるのだ。「私たち」とみなす人と「他者」とみなす人との間の障壁を取り払う、それは、人類が直面する最大の課題の一つである。最近の脳科学の研究では、人間は自己と他者を一対として理解することが示されている。他者を自分たちのグループの一員とみなさない限り、共感の回路は働かないのだ。多くの戦争がなされ、多くの不正が行なわれてきたのは、他者を自分のグループから、すなわち自分たちの関心の輪から追放したからにほかならない。
」(p.174-175)

映画でも観ましたが、ツツ大主教が法王に対して聖体拝領という宗教行事を行なったのです。これはまず、行う側にも抵抗があるし、受ける側にも抵抗があるでしょう。なにせ宗教が異なるのですから。それでも、それを乗り越えてやってみせたということが、とても意義深いと思いました。


健全な物の見方は喜びと幸福の真の基盤である。どのように世界を見るかが、どのように世界を経験するかを決めるからだ。私たちが世界の見方を変えれば、私たちの感じ方や行動の仕方が変わり、世界そのものを変えることにつながる。」(p.183)

出来事が同じでも見方が違えば経験が違ってくる。このことは、「神との対話」でも内的な経験を変えるとして語られていました。


神を信じるか否かにかかわらず、受容は喜びに満ちた状態に入り込むことを可能にする。人生が私たちの望みどおりにならないという事実に反抗するのではなく、独自の条件で生きることを可能にするのだ。受容すればまた、時勢に逆らう必要もなくなる。ストレスや不安は、人生はこうあるべきだという私たちの期待から生じる、とダライ・ラマは語った。私たちが、こうあるべきだという人生ではなく、あるがままの人生を受け入れることができるようになると、人生を楽に過ごせるようになる。そうすれば、苦しみ、ストレス、不安、不満が渦巻く受苦(dukkha)の人生から、安らぎや気楽さ、幸福感に包まれるくつろぎ(sukha)の人生に移行する。」(p.211)

起こったことをそのままに受け入れる。その受容によって、ストレスからも解放されるのです。「神との対話」シリーズでも、期待するなということが何度も語られています。


私たちはネルソン・マンデラを驚くべき許しの象徴として語りましたが、あなたも、あなたがたも、みな、信じられないほどの思いやりや許しを示せるかもしれません。まったく他人を許せない人がいるとは思えません。法王が指摘しているように、私たちはみな、殺人などによって自分の人間性を傷つけた人々を気の毒に思う能力を潜在的に持っています。」(p.216)

後にアパルトヘイト政策によって虐殺した人々を裁くことになった時、被害者家族の中には犯人を許し、助命嘆願した人が何人もいたそうです。そのことを実際に見てこられたから、ツツ大主教の言葉には説得力があります。


亡命中でさえ存在する好機に感謝するダライ・ラマの能力は、深遠な視点の転換であり、自分を取り巻く現実を受け入れるだけではなく、あらゆる経験に好機を見ることを可能にした。受容とは、現実と戦わないことを意味する。感謝は現実を受け入れることを意味する。大主教が勧めるように、自分の重荷を数えることから、恵みを数えることに視点を移すのだ。それは妬みの解毒剤であると共に、自分自身の人生を評価するための秘訣でもある。」(p.226)

法王は、毎朝目覚めた時、生きていて幸運だと思って感謝するのだそうです。今ある中に感謝の種(理由)を見つけ出すこと。その見方の転換によって、私たちはいつでも感謝することができます。そして、感謝するから喜んでいられるのです。

「もし私が怒って、許さないでいたら、彼らは私の残りの人生を奪っていたでしょう」とヒントンは答えた。
 許すことを頑なに拒むと、私たちは人生を楽しみ、感謝する能力を奪われる。なぜなら、怒りと恨みに満たされた過去に囚われるからだ。許しは過去を乗り越え、顔に降りかかる雨のしずくはもちろん、現在も楽しむことを可能にする。
」(p.228)

自分が犯してもいない罪で死刑囚となったアンソニー・レイ・ヒントンは、30年間の収監された後、釈放されたのだそうです。そしてインタビューにこのように答え、間違って刑務所に送り込んだ人々を許したと言ったのです。
ここで思い出すのは、「ゆるしとは、相手が自分を傷つけたという誤った解釈を正すこと」だと言われたジャンポルスキー博士の言葉です。傷ついたという見方をやめて、お陰で良い結果を得たと解釈すれば、許すことは簡単であり、そのことで幸せになれます。

たしかに私は、三〇年という長い年月、狭苦しい独房にいました。でも、刑務所で一日も、一時間も、一分も過ごしたことがないのに、幸せでない人たちがいます。”なぜだろう?” と私は自問します。なぜ彼らが幸せでないかの理由は言えませんが、私が幸せなのは、幸せであることを選んだからです」(p.229)

「感謝しているとき、あなたは恐れていません」とスタインドル=ラスト修道士は説明した。「恐れていなければ、あなたは暴力をふるいません。感謝すると、人は足りないという感覚ではなく、満ち足りているという感覚から行動するので、喜んで持っているものを分かち合います。また特定の人々に感謝することと、誰にでも敬意を払うことの違いを楽しみます。感謝する世界は楽しい人々の世界です。感謝する人々は楽しい人々です。感謝する世界は幸せな世界なのです」」(p.229-230)

出来事が喜びを決めるのではないのです。その出来事に感謝するという意志によって、喜びが沸き起こってくるのです。
「神との対話」でも、在り方を選べと言っています。幸せでありたいなら、幸せを選べばいいのです。


私たちが自分自身を受け入れ、自分の傷つきやすさや人間性を受け入れれば、他人の人間性を受け入れることも容易になる。自分の欠点を憐れに思うことができれば、他人の欠点も憐れみをもって捉えることができる。つまり、私たちは寛大になり、他人に喜びを与えることができるようになるのだ。」(p.258)

自分の不完全さを受け入れ、許すなら、他人の不完全さも許容できます。自分をありのままに愛することができるなら、他人もありのままに愛せます。自分に寛容であることは、他人に対する寛容さにつながるのです。
つまり、まずは自分を愛するようにということですね。自分を愛することで、ありのままの自分でいいと思えたら、その喜びは自然に流れ出し、他人を愛するようになるのです。


映画を観て感動したのは、お二人が言われるように生きておられることが伝わってきたからです。理不尽な目に合わされ、虐げられ、それでも自分自身の心と向き合ってこられた。そして今、喜びの中に生きておられる。そのお姿が感動的だったのです。

言われている内容は、たびたび書いているように「神との対話」などですでに知っていることです。ですから、特に目新しさはありません。しかし、だからこそ、実践が重要なのだと思います。
私は、「神との対話」を読んで感動し、その通りに生きてみようと決意しました。まだまだ十分にはできていないと思いますが、それでも自分を諦めずに、不安や恐れを捨てて愛に生きようと思っています。
そういう私にとって、このお二人の生き様に触れることができたということが、とてもありがたいことだと感じました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:02 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月03日

それでもなお、人を愛しなさい

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これも何で紹介されたのか忘れましたが、読んでみて、とても良い本でした。
「逆説の10カ条」という詩のようなものがあります。マザー・テレサさんの作として広まっていますが、実はそうではなかったようです。それが、この本を読んでわかりました。
本当の作者は、この本の著者、ケント・M・キース氏だったのです。ケント氏が19歳の時、「リーダーシップのための逆説の10ヵ条」として書いたものですが、この詩を含む小冊子を「静かなる変革−−生徒会におけるダイナミックなリーダーシップ」と題して書き、1968年にハーバード大学学生部によって出版され、3万部は売れたそうです。その後、この詩がひとり歩きしていったようですね。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

「逆説の10ヵ条」は、いわば一つの挑戦として書いてみたものです。その挑戦とは、仮に他の人たちがそれを良いこととして評価してくれなくても、正しいことを、良いことを、真実であることを常に実行してみませんかという挑戦です。この世界をより住みやすい場所にするという仕事は、他人の拍手喝采(かっさい)に依存できるものではありません。何が何でもそのための努力を続けなければなりません。なぜなら、あなたがそれをしなければ、この世界でなされるべきことの多くは永久に達成されないからです。
 たくさんの言い訳を聞いたものです。しかし、私はそうした言い訳には納得しませんでした。確かに、人は不合理かもしれない。わからず屋でわがままかもしれない。それがどうだと言うのでしょうか。それでも私たちは人を愛さなければなりません。
」(p.14-15)

完璧な解放感、そして、完璧なやすらぎを感じました。正しいこと、良いこと、真実であることを実践すれば、その行動自体に価値がある。そのことに意味がある。栄光など必要ではないと悟ったのです。」(p.16)

現実的には評価されないかもしれない。けれども、私たちの内側の声が、これをやれと言うのです。愛せよ、と。ケント氏は、その内なる声に突き動かされたのかもしれませんね。
だから、結果を放り出せと言われるのです。特定の結果が得られるからそうするのではなく、ただそうすることが自分らしいからするのだと。


世界は意味をなしていません。しかし、あなた自身は意味をなすことが可能なのです。あなた自身は一人の人間としての意味を発見できるのです。それがこの本のポイントです。これは、狂った世界の中にあって人間としての意味を見つけるための本です。」(p.27)

この10ヵ条を受け入れることができれば、あなたは自由の身になるでしょう。この世界の狂気から自由になるということです。逆説の10ヵ条はあなた個人の独立宣言といってよいかもしれません。」(p.28)

結果を放り出して自分らしく行うことを選択できるなら、それは究極の自由です。そして自由であるということは、自分らしくあれるということなのです。


では、その「逆説の10ヵ条」を引用しておきましょう。

1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
  それでもなお、人を愛しなさい。
2 何か良いことをすれば、
  隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
  それでもなお良いことをしなさい。
3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
  それでもなお、成功しなさい。
4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
  それでもなお、良いことをしなさい。
5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
  それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6 もっとも大きな考えをもったもっとも大きな男女は、
  もっとも小さな心をもったもっとも小さな男女によって
  撃ち落とされるかもしれない。
  それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7 人は弱者をひいきにはするが、勝者のあとにしかついていかない。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
  それでもなお、築きあげなさい。
9 人が本当に助けを必要としていても、
  実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
  それでもなお、人を助けなさい。
10 世界のために最善を尽くしても、
  その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
」(p.30-31)


誰にでも欠点や短所はあります。誰でも怒りたくなったり、弱さをさらけだしたり、誘惑に負けたりするのです。誰だって、しなければよかったと後悔するようなことをした経験があるでしょう。人間は誰からも同意してもらえる行動を常にとるわけではありません。したがって、常に人に愛される価値があるというわけにはいきません。同意してもらったとか、愛する価値があるということが愛情の前提条件であったら、世の中には愛情はほとんどなくなってしまうのではないでしょうか。
 最高の愛は無条件の愛です。欠点があっても短所があっても、愛し、際される、それが無条件の愛です。もちろん、成長してもっと良い人間になろうと努力しなければなりません。しかし、成長してもっと良い人間になりたいという願望や勇気の源は、愛すること、そして、愛されることなのです。
」(p.36-37)

愛とは無条件の愛です。相手や自分が、立派な素晴らしい存在だから愛するのではありません。そんなことは盗人でもやっているとイエスは言っています。
私たちは、結果として愛するのではなく、原因として愛すべきなのです。なぜなら、それが私たちの本質であり、私たちらしいからです。


お互いに正直で率直であるとき、強い人間関係を築くことができます。お互いに相手がどこに立っているかがわかります。どうすれば相手のニーズを満たすことができるか、お互いの夢を実現するにはどうすればよいかがわかります。信頼がなければ、何をしたらよいかもわからず右往左往して、自分や他の人を傷つけることになってしまいます。
 家族や組織内の人間関係で一番大切なことの一つは信頼です。感じていること、考えていること、願っていること、恐れていることを隠したままでは信頼を築くことはできません。分かち合いによって、正直で率直であることによって、はじめて信頼は生まれます。
」(p.69-70)

もちろん、正直で率直にふるまえば、あなたは無防備になります。どうすればなたを攻撃し、傷つけることができるか、人に知らせることになるのですから。防御の構えをやめれば、自分をさらけだすことになります。親密な関係においてだけでなく、グループや組織の中でも同じことが言えます。
 しかし、無防備さが良い意味をもつこともあります。無防備になると、他の人たちと心がつながりやすくなります。人と深く知り合うことになり、人から容易に学べるようになります。無防備な状態は、新しい人間関係へのドアであり、新しい機会へのドアです。成長するための新しい道にいたるドアであり、共に協力し合って生きる新しい道に通じるドアです。
」(p.70-71)

私たちは恐れるから防御しようとします。他人との間に壁を築き、自分を隠そうとします。けれどもそれでは、他の人と真に交わることができません。真に交われないとは、愛し合うことができないということです。


いたるところに本当に助けを必要としている人たちがいます。あなたが彼らを助ければ、彼らはあなたを攻撃してきます。しかし、その攻撃はあなたに対するものではありません。自分が置かれている状況に怒りを感じているのかもしれません。無力感、あるいは、助けてもらわなければならないという気持ちと戦っているのかもしれません。彼らが攻撃してきたからといって助けの手を引っ込めないでください。あなたのことを何度も何度も助けてくれた人がいるはずです。今度は、あなたが助ける番です。」(p.102)

老人介護の仕事をしていて、利用者様から噛みつかれたり、引っ掻かれたりしたことが何度もあります。「あなたのために助けているのに、なんでそんなことをするの!?」そう、怒りをぶつけたこともあります。けれど、その人たちの苦しみもわかるのです。自分の思いどおりにならない苦しみ、自由にならないつらさ。だから、問われているのは、そうやって攻撃されても助けますか? ということだけなのです。


最善を尽くすことの代償は高くつく可能性があります。しかし、それよりも高くつく唯一の代償は、最善を尽くさないことです。最善を尽くさなければ、あなたは本来のあなたではないのですから。
 あなたはユニークな存在であることを決して忘れてはなりません。遺伝子的にユニークであり、才能と体験の組み合わせにおいてもユニークな存在です。ということは、あなたにしかできない貢献があるということです。世界のために最善を尽くすことによって、その責任を果たすことができます。
」(p.106)

不安や恐れから、最善を尽くさないことはできます。つまり、自分らしくない選択をするということです。けれども、それによって得られるのは、自分らしくない人生です。そんな人生に、いったいどんな意味があると言うのでしょうか?


逆説の10ヵ条を受け入れれば、この狂った世界で人として生きる意味を見出すことができるでしょう。逆説的な人生を送るとき、あなたは解放されるでしょう。
 逆説の10ヵ条に従うことによって、本来のあなたになることができます。人生の本質ではないものから解放されます。真の満足をもたらしてくれないものから解放されます。本当に大切で、人生を豊かにしてくれるものに心の焦点をしぼることができます。
」(p.111)

一つひとつの行動がそれ自体で充分でありえるのです。その行動から何かが生まれるか生まれないかとは関係がありません。逆説の10ヵ条を生きるとき、一つひとつの行動がそれだけで完璧になります。なぜなら、一つひとつの行動それ自体に意味があるからです。」(p.112)

つまり、特定の結果を求めないこと、期待しないことです。結果を放り出すことです。ただその行為を、自分らしいからというだけで、情熱的に行うだけで良いのです。


私たちがやることを誰も知らなくても、誰も評価してくれなくても、それは問題ではありません。そんなことは無関係に、私たちは正しいことをしなければなりません。これは自分の問題であって、他の人がどれだけ気にするかという問題ではありません。
 評価されたいという願望をもつのは当然です。しかし、他人の拍手喝采を切望すると、意味を見つけることは難しくなります。拍手喝采を切望する人は、他人が必要としているものに心の焦点を合わせる代わりに、拍手喝采を得ることに心の焦点を合わせてしまいます。それだけではありません。人は時として拍手喝采することを忘れるものです。したがって、拍手喝采を切望する人は、自分の幸せを他人の気まぐれな心の動きにゆだねることになります。
」(p.116)

他人の評価を得ることに心を砕くという生き方は、自分の幸せを他人の意向に委ねていることになります。それでは、ただ翻弄されるだけの人生になるでしょうね。


だから、愛にも功利主義があるのかもしれません。愛することで、その人が変わるはずだと思うわけです。迫害を受けた宗教家が相手を愛そうとするのは、そうすることで「不合理で、わからず屋で、わがままな」相手が変わることを期待するからではないでしょうか。愛の力で変わらない人だったら、愛する意味はあるのでしょうか。」(p.137)

これは、「解説」に書かれていた一文で、元東レの社長の本心だと思います。起業家というのは、どんなに人格者であっても、いや人格者であればこそ、社員を守らなければならないと考えるものです。けれどもそれは、特定の結果を求めることであり、「愛する」ということでさえ、その手段と考えてしまいがちなのです。
本書の解説としてふさわしいかどうかはさておき、こういう本音が表現されていることが、私は素晴らしいと思います。ほとんどの人が、そうではないかと思います。私も、やはりまだそういう部分があります。だからこそ、こういう本によって啓発され、自分の中の真実と向き合うことができるのだと思うのです。


「解説」まで含めてもわずか140ページほどの小冊子です。けれども、非常に深いことを考えさせてくれる本だと思います。
ぜひ手にとって、自分の真実と向き合ってほしいと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:25 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月30日

未来を変えた島の学校

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誰の紹介で興味を持ったのかは忘れましたが、私のふるさと島根県のことだったので興味を持ちました。隠岐の島という過疎化の進む島で、もう廃校になりそうなほど生徒が減った島前(どうぜん)高校の改革によって人を増やし、地域社会が活性化していったという話になります。
この話を聞いて、まず、「教育改革で島を活性化するって、どういうこと?」と思ったのです。その理由が知りたくて読んだのですが、実に素晴らしい内容でした。

著者は、この改革に携わった「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」初代会長の山内道雄(やまうち・みちお)さん、ソニーを退職後に島前の教育に関わることになった推進役の岩本悠(いわもと・ゆう)さん、そして新聞記者の時代から島前を追ってきた島根県立大学准教授の田中輝美(たなか・てるみ)さんです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「よそもの」と言われようが、誰よりも当事者意識や問題意識をもって、率先して行動で示してくれていた。「この島には宝が眠ってますよ」と、私たちには見えなかった島の宝を探し、見い出し、光らせてくれました。私のような年寄りがすべきことは、「よそもの」「ばかもの」「わかもの」と呼ばれる彼らから学び、彼らを活かし、彼らが挑戦できる舞台づくりをすることだと考え、実践してきました。
 この八年間で、廃校寸前だった島前高校は、海外からも入学希望者が来る、選ばれる高校に変わりました。無視だけでなく敵視さえされていたかもかもしれない県の教育委員会の雰囲気も一変し、今では離島中山間地の高校の魅力化事業を県が推進するようになりました。そして、特区を申請しても門前払いであった国も省庁が連携し、超党派による議員立法により、高校の教職員定数に関する法律を改正するまでに至りました。
」(p.F)

ただ、私自身は能力も無いですが、ふるさとを守るために、ずっと大切にしてきたことがあります。それは「気合い」です。気合いの気は、元気、勇気、やる気の気ですが、特に、大事にしているのが「本気」です。本気度の高さが物事の成否を決めます。本気度は、どんな人間でも自分の意志で高めることができるものですし、周囲にも伝播していきます。そして、こうした一人ひとりの「気を合わせる」ことが肝要です。チームとして、それぞれの気を一つにつなぎ、大きな流れが生みだせれば、壁は突破できます。そして、この気を合わせるために必要なのが、やはり「愛」です。地域やふるさとへの愛、自分を育んできた人や自然、文化に対する感謝と敬愛です。愛するもののためだからこそ、人は本気になれますし、一人ひとりの異なる気を合わせていくことができます。」(p.G‐H)

島前(どうぜん)三町村の西ノ島町、海士(あま)町、知夫(ちぶ)村は、平成大合併の頃に合併するかどうかの話がありました。当時、海士町の町長だった山内道雄さんは、人口が減っていく海士町だけでなく、島前地域全体が衰退していくことを危惧していました。その象徴が、島前高校でもあったわけですね。
人口が減るのは、進学校に子どもを入れるには松江など本土に渡る必要があり、それを機に家族全員が移住するという傾向があったからです。もし島前高校が廃校になれば、隠岐の島の別の高校に通うにも船に乗る必要があり、それならいっそのこと本土へという流れが加速することは明らかです。
そこで山内さんは、島前高校を改革して、本土へ行かなくても島の高校で十分だと思ってもらえるようにすることが重要だと考えたようです。その時にスカウトしたのが岩本悠さんなど県外の若者たち。地元意識が強い田舎ではどこも同じですが、よそ者に対して冷たくあたります。若者の言うことなど聞きません。そんな中で改革を推し進めていったことが、この文章から読み取れます。


フェリーから、遠く離れていく島影をずっと眺めていると、この小さな離島が「日本の箱庭」であり、「社会の縮図」のように思えてきた。この島が直面している人口減少、少子高齢化、雇用縮小、財政難という悪循環は、多くの地方が抱える共通の問題であり、この先、日本全体が直面していく課題である。学校の存続問題一つとっても、今後少子化が進む社会全体の課題になる。そう考えると、この島はサキモリとして、日本に押し迫ってきている難題を相手に戦う「最前線」であり、未来への「最先端」のように見えた。また島が守り継いでいこうとする、人と自然、文化、産業が調和した循環型の暮らしや、食とエネルギー、人の自給自足を目指す持続可能な地域づくりは、世界の重要なテーマでもある。この島の課題に挑戦し、小さくても成功モデルを作ることは、この島だけでなく、他の地域や、日本、世界にもつながっていく。「一燈照隅、万燈照国」。小さくても、まずこの島が一隅を照らす光を燈(とも)す。そして、その一燈が万に広がり、社会全体が明るくなっていく。そんな「妄想」が岩本の頭に広がっていった。」(p.18)

町長の山内さんの指示で動き出したのは、財政課長の吉元操(よしもと・みさお)さん。吉元さんは、まずは東京の日本語教育の学校の縁で外国人に入学してもらおうと考えたものの、断られて挫折します。次に一橋大学との関係で学生に相談したところ、一流講師を呼んで進学のための授業をする案が出てきたので、すぐに30人ほどの学生と社会人を島に呼びました。その中に、ソニーで人材育成に携わっていた岩本さんがいたのです。

岩本さんは、進学だけでなく、社会で活躍できる人材を育てたり、その後、島に戻ってきて地域に貢献する人材を養成することを目指すことが重要ではないかという意見を述べました。吉元さんは気に入って、岩本さんに島に来ないかと軽く誘ったのです。行きがかり上、それはいいと意気投合したのが、それが岩本さんの運命を変えることになったようです。

それにしても「一燈照隅」という言葉をご存知なのですね。天台宗の最澄の言葉だと言われています。私も比叡山に行ったときに、入り口にこの碑が立っていたので知りました。安岡正篤氏も同じことを言われていたと思ったのですが、安岡氏は「一燈照隅 萬燈遍照」と言われているようです。


「高校に魅力があれば、生徒は自然に集まる。存続、存続というのはかえってマイナスだ」と。魅力化とは、生徒にとって「行きたい」、保護者にとって「行かせたい」、地域住民にとって「活かしたい」、教員にとって「赴任したい」と思う、魅力ある学校になることであって、その結果として「存続」がついてくる。目指すべきは、高校の存続ではなく、魅力ある高校づくりなのだ。しかも、その魅力化は、一過性でなく、永遠に発展し続けるものであるべきだ、との想いが込められていた。」(p.24)

島前高校の存続のために、島前高校の後援会に呼びかけて、高校の存続問題に取り組むことが決まったそうです。その際、後援会に新しい名称をつけようということになり、校長の田中さんがつけたのが「隠岐島前高等学校の魅力化と永遠(とわ)の発展の会」という名前だったそうです。
過疎化が問題だからと言って、嫌がる人々を嫌がるままに地域に縛り付けても意味がありません。地域が魅力的なものであれば、自ずとそこで暮らしたい人は増えていきます。そして、そうでなければ意味がないのです。


否定的な声や、冷淡な態度を思い出しては、「あんたたちの島や学校の問題なんだから、あんたたちがもっとやるべきだろ。なんで、この島やこの学校に縁もゆかりもないヨソモノの自分が、一人でこんなことやってんだよ」と空しくなった。
 アイデアがあっても自分で何一つ決められず、何一つ動かせない状況がもどかしかった。成果が出ないところで時間とエネルギーを浪費しているのではないか。同じ時間とエネルギーをかけるなら、もっと人の役に立てる役割があるかもしれないのに。ここから大きく変えていけるのか。この高校に未来なんてあるのか。島に来て、本当によかったのか。疑問が腹の底に沈殿していた。
」(p.32-33)

「今までのシステムを変えようとするとき、新たな道を切り拓こうとするとき、必ず反発やコンフリクトがあるものだ。だからこそやる意味がある」。そして、「リーダーシップは苦難や修羅場の中で磨かれる。今はまさにその試練のときだ。ありがたい」。そんなふうに考えることで、岩本は自分自身を支えていた。」(p.33-34)

笛吹けども踊らず。人はなかなか動かないものです。当たり前と言えばそうですが、岩本さんにも苦悩の時期があったのです。
けれども、そこで諦める人ではなかったようです。逆境をバネにして、むしろ好機と捉え、前進し続けたのですね。


島前地域に長年続いてきた[若者流出 → 後継者不足 → 既存産業の衰退 → 地域活力低下 → 若者流出]という「悪循環」を断ち切り、[若者定住 → 継承者育成 → 産業雇用創出 → 地域活力向上 → 若者定住」という「好循環」に変えていくためには、地域のつくり手を地域で育てる必要がある。それは「田舎には何もない」「都会が良い」という偏った価値観ではなく、地域への誇りと愛着を育むこと、そして、「田舎には仕事がないから帰れない」という従来の意識ではなく「自分のまちを元気にする新しい仕事をつくりに帰りたい」といった地域起業家精神を醸成することで可能となる。そのことを踏まえると、島前地域唯一の高等学校である島前高校の存在意義は、地域の最高学府として、地域の医療や福祉、教育、文化の担い手とともに、地域でコトを起こし、地域に新たな生業や事業、産業を創り出していける、地域のつくり手の育成にあるといえる。
 とはいえ、高校卒業時に島へ残るよう無理に押し留めるようなことや、「遠くへ行って欲しくない」と近場に抑えようとすることは、生徒たちの可能性の開花を阻害するので、すべきではない。島から出る生徒は、「手の届く範囲に」などと小さいことを言わず、海外も含めて最前線へ思い切り送り出す。ブーメランと同じで、思い切り遠くへ飛ばしてあげた方が、力強く元の場所へ還ってくるだろう。
」(p.38-39)

田舎あるあるですが、地方には仕事がないから都会に出る、都会に出ればそこが快適だから戻らなくなる。太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」で歌われたように、そういう現象が全国にあります。それもこれも、地方が魅力的ではないからですね。


三人はそれぞれの仕事を終えて深夜に集まっては、学校や三町村で起こった問題について協議した。「できない言い訳ではなく、できる方法を考えよう」を合言葉に、現場・現実志向の浜坂、歴史・文化を重んじる吉元、理想・未来から発想する岩本、三者が心から納得できる解決策を常に探した。議論の際は、浜坂が持つ教員や生徒、学校の視点、吉元が語る保護者や、行政、地域の視点、岩本の持ち込む島外や社会、グローバルな視点など、三方それぞれにとって良い、「三方よし」を大事にしていた。」(p.43-44)

島前高校の改革プロジェクトには、さらに社会教育主事という制度を利用した浜坂健一(はまさか・けんいち)さんが加わります。浜坂さんは、西ノ島町で小学校教員をしていましたが、島前三町村の融合のため、海士町以外の町村から人材を求めていたのです。粘り強く頑張れて、新しい発想にも柔軟に対応できる人材として選ばれました。
三人寄れば文殊の知恵と言いますが、個性の違う3人が1つの目標に向けて心を1つにすることができれば、たいていのことは叶うと言われます。吉元さん、岩本さん、浜坂さんの3人は、ワーキングメンバーとしてプロジェクトを推進していったのです。


二人から「今までの実績のアピールや日本の教育を変えたいといった大きな話はせず、島の祭りや奉仕活動に参加した方がいい」と釘をさされたこともあり、地区の清掃や綱引きの練習にも熱心に取り組み、口より手足を動かし、汗をかいた。一年過ぎた頃には、言われたことの意味がわかるようになった。もう一人のスタッフである伊藤も、自分にできることをやろうと、毎日欠かさず、後鳥羽上皇に所縁(ゆかり)のある隠岐神社の境内を掃除した。こうした一つひとつの行動が、地域からの信頼を培っていった。」(p.93-94)

人材育成会社の学校事業部の責任者だった豊田庄吾(とよた・しょうご)さんもワーキンググループに加わることになりました。高校が思い通りに動かないので、塾のような課外学習のための学習センターを立ち上げ、その運営の人材を求めていたのです。
新しく入った人もまた島外の人ですから、地域住民から信頼されることが最優先なのですね。だからいきなり上から目線で新しいことを押し付けようとするのではなく、地域でやっていることに一緒に取り組み、その中で信頼されることが重要なのです。

「三方よし」の根本は、他者理解にあるからこそ、学校とはできる限りコミュニケーションをとって意思疎通することに努めた。例えば、生徒が豊田に、ある問題集の中の全文訳のコピーがほしいと言ってきた。不思議に思いすぐに学校に問い合わせると、「生徒自身に訳させ、力をつける意図で全文訳は渡していない」ということがわかった。迷わず、生徒にコピーをやめさせた。その教員は「こういう電話は助かります、ありがとうございます」と喜んだ。」(p.98)

学校が動かないから学習センターを創ったとは言え、学校は敵ではないのです。助け合い、協力し合って、同じ目標に向かって突き進む仲間です。その前提があるから、相手を立てるということができるのですね。


岩本は、島留学で高い期待を持った生徒や保護者が来て、現場でどんどん注文することで、現実を理想に引き上げていこう、という思いがあった。また、全国から多彩な「脱藩生」を募集するのだから、今までのやり方が通用しない、ある程度の軋轢(あつれき)や波乱は「あるもんだ」という前提だった。それを一つずつ克服していく過程を通して、生徒も学校も問題解決力が磨かれ、魅力が増していくと考えていた。一方、教員には、「トラブルがあったら困る」「そもそも問題は起こさないことが大切」という考え方が強くあった。」(p.102)

島前高校の生徒数を手っ取り早く増やすために、全国から留学生を募集したのですね。それが刺激となって、外界を知らない島の子どもたちも活性化していく。そういう目論見があったようですが、温度差というものはどこにでもありますね。さらに応募する側も期待したものとは違うという現実も露呈し、結果的に、最初は上手くいかなかったようです。

島外からの生徒募集に関しては、離島の高校が持つ構造上の課題を隠さずに、逆にセールスポイントに変えていく広報戦略に変更した。
 「島には、コンビニ、ゲームセンター、ショッピングモール、アミューズメントパークなど、早く簡単に楽しませてくれる、便利で快適なものがない。そうした環境だからこそ、忍耐力や粘り強さが育ち、限られた資源の中で ”あるもの” をうまく活かして豊かに生きていく知恵が身につきやすい」「波が高くなれば船は欠航し、移動もままならない。だからこそ、自然への畏敬の念やどうしようもないことを受容する力だつく」。
」(p.110)

何ごとも、それ自体に「良い」も「悪い」もありません。欠点だと思われていたことが、見方を変えれば長所になります。だから隠さずに正直にすべてをさらす。それを欠点だと見たい人はそう見ればいい。けれども、「だからこそ長所だ、という見方もある」ことを提示することで、納得して島にやってくる留学生を募集したのです。
ピンチはチャンスでもあります。だからまずそのものをありのままに受け入れる。正直に語る。そういうことが、大切なことだなぁと思います。


退散しても、またアポもなしに現れる岩本と吉元。県教育委員会のある職員は、「倒しても倒しても、また立ち上がって新たな提案を持って向かってくる。こっちはファイティングポーズで構えているのに、向こうは笑顔で無防備に近づいてくる感じだった。次第に、今度はどんなのを持ってきたんだよ、と少しだけ楽しみにもなった」と言う。」(p.144)

高校そのものもそうでしたが、県教委はさらに動かない壁だったようですね。それに対しても歯向かうのではなく、味方だという前提で、諦めずに立ち向かったのです。
かつてヤコブは天使と組み討ち(相撲のようなもの)をして、負けているにも関わらず諦めずにすがりつき、祝福を勝ち取りました。旧約聖書にある物語ですが、そこから「イスラエル(勝利者)」という名前が始まったのです。ものごとを動かす力は、相手に勝つ才能ではなく、何があっても負けないと粘る根性なのです。


島がこれだけ大変な中で、町長さんは給料を半分にしていたり、批判されてもいろいろ新しいことに挑戦しているじゃないですか。悠さんみたいなIターンの人たちだって、この島と関係ないのによそから来て、何か本気で頑張ってるじゃないですか。そういう人たちの話を聴いたりその姿を見たりする中で、だんだん思うようになってきたんです。自分もなにかやりたい。この人たちと一緒に、自分もはやく戦いたいって」。
 それを聴いて理解できた。凝った教育プログラムや優れた教育ツールが彼らの想いを育てたんじゃない。結局、人が人を育てているんだと。
」(p.180)

このプロジェクトによって、高校生たちの目の輝きが変わったのです。それは、魅力的な大人たちの生き様に刺激を受けたことで、自分の内なる欲求が噴出してきたようです。
諦めない。情熱を持って挑戦し続ける。倒されても倒されても立ち上ががる。泣き言を言わない。笑顔で突き進む。そういう生き様が人々の感動を呼び、協力したいという想いを呼び覚まし、人々の心に火を灯したのですね。


こんなことが、ふるさと島根県の過疎化が進む島で起こっていたなんて、本当に知りませんでした。そして、思いました。田舎を活性化させるのは、風光明媚な景観とか人々を引き付ける施設ではなく、人そのものだということ。情熱を持ったたった1人の人から始まり、それが3人となって力を合わせることができるなら、その地域は変わる。
あとは、それを誰がやるかということだけですね。誰?・・・その答えは、常に1つしかありません。「わたし」ですね。要は、常に私がやるかどうか、それだけが問われているのです。

まぁ、私が何をやるかはさておいて、このような感動する本に出会えたことは、私にとって望外の幸せです。このような本を世に送り出してくださった方々、紹介してくださった方、本当にありがとうございました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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