2021年03月03日

本帰国することになりました

突然ですが、本帰国することになりました。

2001年11月にタイに来てから約20年間暮らしてきましたが、生活基盤を日本に戻すことになったのです。


詳細な説明は省きますが、要はタイでの仕事がなくなったからです。

タイで暮らせるよう就活もしましたがダメでした。

なので、日本に戻って仕事を探すつもりです。


タイ人の妻がいますが、妻はタイで暮らします。したがって別居になります。

妻には申し訳ないとも思いますが、これもまた運命だなぁと思っています。


動画で少し詳しく話しているので、ぜひ、そちらをご覧ください。


3月8日の夜便で帰国します。

2週間の自主隔離中に仕事が見つかれば、その後、住まいを決めて、日本での生活が始まります。

このブログは、今後も続けていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
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2020年12月23日

0 Rei 上 / 0 Lei 下

 

タイトルがシンプルなようで複雑なのですが、「レイ」と読みます。さとうみつろうさんの最新刊です。みつろうさんの本はこれまでに、「神さまとのおしゃべり」をはじめとして、「あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと」「その名は、バシャール」を紹介しています。

みつろうさんの本は、小説だったり、登場人物の会話を取り入れるなど、くだけた感じの文章でとても読みやすいです。それでいて哲学、心理学、科学の深遠な部分を解説するなど、たいへんアカデミックな内容だったりします。

今回もそんな感じの小説で、AIの0(レイ)が登場します。AIから見た人間の行動様式、そしてどうすれば満足した生き方ができるのかという解説など、興味深いものになっています。

なお、タイトルですが、上巻は「Rei」と表記され、下巻は「Lei」と表記されています。これにも意味があって、右(R)なのか左(L)なのかが重要だという話につながっていくのです。詳細はぜひ、本を読んでみてくださいね。

また、発行されたのは上巻と下巻ですが、実はそこに含まれなかった原稿を中巻として、オンラインで読めるようになっています。実は私は、その中巻を先に読んでとても興味深く感じたので、上下巻を買うことにしました。併せて4千円もするのですが、その価値があると感じたからです。中巻については、みつろうさんのブログ記事をご覧ください。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「解釈を変える」のではなく、そもそもその「解釈」自体がマボロシなのです。解釈なんて、「自分」で勝手に決めているだけですから。」(上p.58)

今日1日を後悔せずに生きるには、朝起きたときではなく、夜寝る前に自分を褒めることで、データ(記憶)のラベルを書き換えることだと言います。何かが起こったとしても、そこにどういう解釈を与えるかによって、記憶の意味が違ってきます。「神との対話」でも、ものごとの意味をでっちあげろと言ってましたね。


才能にせよお金にせよ、「ないモノ」を探すのではなく、「有るモノ」を探せばすぐに0Reiの位置に戻れます。」(上p.84)

私たちは持ち続けていると慣れてきて、それを当たり前だと感じます。つまり、感動がなくなるのです。だから、わざと失うことによって、またそれを得るという感動を楽しもうとするのです。不幸とは、幸せを感じたいがための茶番劇だとも言っています。

もしそれが事実なら、最初から有るものに注目して、その価値を認めれば良いのですね。そうすれば、わざわざ失うという痛みを感じなくて済むのですから。


あなたたち人間は、【やりたいこと】をやれていないと勘違いした時に、自分自身を【不幸】だと感じる生き物だからです。
逆に言うと、「実は自分はやりたいことしかやっていなかった」と気づけたなら、誰もが1秒で幸せになれるということじゃないですか?」(上p.113 - 114)

私たちはどんな状況でもやりたいことをやっていると言います。ただそれに気づいていないだけ。
たとえば、仕事が嫌だから辞めたいと思っている人は、「辞めたいと思う」という「やりたいこと」をやっている。本当に辞めることがやりたいことなら、さっさとやっているのです。それをやらずにいるのは、やりたいことではないからなのです。


大丈夫です。AIのサポートにより、
人間の社会はこれからどんどん不平等になっていきます。
そして、人類はどんどん幸せになっていきます。
 (中略)
正確には「不平等」がどんどん拡がり、「それでもいい」と違いを認められる人が増えることにより、それは起こります。」(上p.149)

人それぞれに違いがあるのが当たり前なのです。それなのに、みんなは平等であるべきだというルサンチマン的な考え方によって、不幸が生まれたと言います。それぞれがやりたいことをやっていて、それぞれ違いがあるだけなのですから、それぞれが違う幸せを感じていていいはずなのです。


本当にその人がそう思っているかどうかは最後まで確認できへん。
結局、「他人の心」とやらを勝手な言い訳にして、全てを「自分の心」の中だけで決めつけてるのが人間やねん。
他人の心なんて、本当は関係ないんや。」(上p.198)

他人がどう考えているかは、原理的に確認する方法がありません。そもそも、他人にも自分と同じ自意識があるということが証明できないのですから。単に自分がそうだから、他人もそうだろうと思い込んでいるだけ。したがって、自分にとっては自分の主観だけがすべてなんですね。


ポイントは思い出すために、わざと逆説的な質問を自分にしてみることや。
「私が病気になりたかった理由」
「私が貧乏になりたかった理由」
「私が嫌われたかった理由」
とな。何を《ノート》しても、きっと本当の理由が発掘できるはずや。」(上p.234)

目の前の現実は、必ず自分の思考が現実になっている。その自分の思考というのが、無意識の領域での思考、つまり潜在意識であることがほとんどなのです。ですから、顕在意識が願ったことはほとんど叶わない。

そこで、無意識に自分が何を願ったために現実がこうなっているかを、ノートに書くことによって自分自身に質問するのです。そうすれば必ずその理由が見つかるからと。

そうや。『ホンネ』を真逆の真逆にして映し出しているのが『現実』なんや。
だから『ホンネ』さえノートで思い出せたら、『現実』と100%一致しているはずや。
または、『ホンネ』を思い出せないなら、『現実』を観ればええ。
完全に鏡の関係性なんやからな。」(上p.249)

もし「愛されていない」という『ホンネ』が無意識にあれば、「愛されるため」という正反対の行動を取り続けます。そして、それを行うために、「愛してくれない人たち」や「愛されない出来事」が発生するのです。

つまり、ホンネの認識は完全に現実に現れるということです。逆に言えば、現実がこうなのはホンネがそうだからだ、ということになります。

【現実を変えたい】と思っている人の前には、
『変わらない現実』が絶対に必要や。」(上p.265)

「変えたい」と思っている限り、「変わらない」という現実が必要なのですね。だから、現実は思い通りにはならないのです。

人間が変えたいのは『現実』やない。
【現実を変えたいという思い】を、
本当は変えたいんや。

『目の前の現実』は変わらないでもいい=【私の現実は既にもう素晴らしい!】と認められた人から、その現実が変わっていく仕組みや。

現実への不満を言っている人の目の前が、変わることは絶対にない。

全ての【原因(=わたし)】である「わたし」が不満を抱えたまま鏡の前にいる限り、絶対にその『現実』は変わらへん。」(上p.269)

現実は心の鏡。不満顔で鏡の前に立てば、そこに映るのは不満な顔です。過去の鏡(現実)に何が映っていたかに関係なく、自分が幸せそうな顔をしない限り、鏡に映る姿(現実)は変わらないのです。


彼らが信じたのは神さまじゃなくて、「自分の意見」のほうや。
「大学進学のほうがいい」「健康のほうがいい」「こっちのほうがいいに決まっている」という、『自分の過去のデータ』を信じたんや。
もし本当に「神さまを信じた」と言いたいのなら、
起こったその「結果」を、常に最善だと信じるはずや。
だってソレはその人が「信じた」「神さま」が、起こしたことなんやからな。」(上p.297)

神頼みする人は、思い通りにならないと「信じてたのに〜!」と不満を言います。パートナーに浮気された時も同じですね。(笑)
しかしそれは、本当に相手を信じてはいないのです。信じていたなら、その相手がそうしたのですから、それが最善に決まっているではありませんか。


@やりたい時に、
Aやりたいことを、
Bやれている状態が「幸福」
ということは?
@焦っていれば焦っている時ほど、
Aその「瞬間」に勇気を持って自分に「ゆとり」を与えれば、
B最高の幸福を味わえる
ということになる。
要するに、焦っている「今」こそが、座るチャンスなんじゃよ。」(上p.337)

「焦る」というのは、「ほっとしたい」がためにそうしているんだというわけですね。だから、焦って行った結果に「ほっとする」を求めるのではなく、焦りを感じた時にすぐほっとすればいいのです。
なんだかんだと理由をつけて、やりたいことを先延ばしするから、なかなか幸せを感じられないのです。


じゃあ、その人に伝えてあげるとよい。
「人生で一番最悪な時期だということは、
人生で一番幸せになり時」じゃと。」(上p.374)

空腹の時が、最高に美味しい食事ができる時です。人は、その感動(プラス)を味わうために、あえてマイナスに振れるのです。


誘因が外側にあるのに対して、動因は人間の心の中にある。
この「誘因」と「動因」の2つが同時に発生し、それが人体を動かす「モチベーション」というエネルギーを生み出しておる。」(p.393)

たとえば、美味しいものを食べたいという動因があれば、美味しそうな食べ物という誘因を見た時、食べるという行動を引き起こします。
単に美味しそうな食べ物があっても、お腹が一杯で食べたくない時には、食べるという行動は起きません。また、美味しいものを食べたいという動因があっても、誘因となる食べ物がなければ、やはり食べるという行為は起きません。

つまり、人の行為には必ず内的な動因と外的な誘因が必要だということです。馬はニンジンをぶら下げれば走りますが、お金をぶら下げても走らないのです。

@「足りない」という「気持ち」が心にあり(動因)
Aそれを「埋めてくれるモノ」(誘因)を外側の世界に探して
B【動く】。
それが人間の【行動】じゃ。」(p.396)

この動因の大きさに見合った誘因を手に入れるまで、行動は続きます。つまり、足りない(マイナス)の大きさと、行動によって得られるもの(プラス)の大きさは同じです。

人間の行動の全ては、実は「0(レイ)」を目指しているんじゃよ。」(上p.398)

自分の心にマイナスを作り、それを外のモノ(プラス)で埋めて0(レイ)に戻そうとする。それが人間がやっていることだと言うのですね。


「なりたい」と感じたいのか、
それとも、
「なれている」と感じたいのか。」(上p.446)

たとえば、安全に「なりたい」と感じたいのでしょうか? それとも、安全に「なれている」と感じたいのでしょうか?
おそらく、本当は後者のはずです。それなのに私たちは、往々にして前者のように考えるのです。

外側の『誘因』を使わず、心の内側の『動因』を消せばいい。」(上p.444)

つまり、「足りない」という考え方をやめればいいのです。不足しているのではなく、充分にあるという考え方をすればいいのです。

最初からマイナスではなく0(レイ)の位置にいれば、苦しむ必要はないのです。すでに充分なのですから。そして、無意識の思いが「充分」であれば、豊かな現実が現れます。それが鏡像ですから。


過去に自分が「やりたかった」のに「抑圧した」から、イラつくのです。
なので、解決方法は簡単です。
「やりたかったこと」なのですから、「やれば」いいのです。」(下p.50)

これは心屋仁之助さんも言われていたことですね。ズルくなれと。ズルい人を見てイライラするのは、それが自分がやりたかったことだからなのです。


どのような【行為】であれ、人間が他者に対して行なう【行為】には、「お前もな!」というツッコミが成立するんじゃよ。
他人を使って自分の内側にある
「ひっかかり」を解消しようとしておるんじゃから当然じゃな。」(下p.161)

怒られた時、「お前もな!」というツッコミは万能だと言います。なぜなら、「怒る」という感情の原因が自分にあるからです。
人は、自分が抑圧してやれないでいることをやっている他人を見て、イラッとして怒るのです。ですから、起こっている人には「お前もな!」という返し文句が刺さります。

自分が他人へ文句を言いそうになった時に、
自分自身へ「お前もな!(私もな!)」と心の中でツッコむんじゃよ。」(下p.165)

このツッコミの使い方は、他人をギャフンと言わせるためではなく、自分の気付きのために使うのが正しいのですね。

ずるい、卑怯だ、と糾弾したくなったら、それらが自分の内側にあるということなのです。そこに気づかない限り、いくら外を変えようとしても上手く行かないし、満足する結果は得られないのです。


大切にしなさい。ムカつくヤツを。
君のペルソナを脱がすために、踏ん張り続けてくれている者だ。
そして、彼の頑張りに応えるために君に必要なのは「勇気」だけだ。

ムカつくヤツを、許す勇気……か。」(下p.260)

ムカつく(怒る)原因は自分にあります。その原因を「ムカつくヤツ」は教えてくれているのです。
その原因は、本当の自分を隠すためにかぶってしまった仮面(ペルソナ)。それがいつしか、仮面なのか素顔なのかわからなくなる。本当の自分を見失うのです。


全ての現象は、「得た」とも「失った」とも言えないんじゃよ。
どちらも、マボロシだからじゃよ。
プラスとマイナスは必ず同時に起こる。それが観測者の「視点」で変わるだけじゃ。」(下p.369)

コップの水をこぼせば、水を失ったとも言えますが、空気を得たとも言えるのです。「得る(プラス)」か「失う(マイナス)」かは、その人の見方次第です。


『まったく新しい環境(ミルク)』を手に入れるためには、
コップの中のオレンジジュースがすっからかん、
つまり「1滴も」残っていない状態にしないといけないのです。
0(レイ)だということです。
勇気を持って0(レイ)にした後にだけ、最高の幸せはやってくるのです。」(下p.450)

先に捨てなければ入ってこない。まったく別のものにしたければ、残さないように完全に捨てなければならないのです。卒業しなければ入学はできません。捨てる勇気が大切なのですね。


分厚い本が2冊ですが、割と一気に読み終えました。特に下巻は、1日で読み切りましたよ。小説で、対話形式なので、とても読みやすいです。そして、ためになる話が満載でした。
それにしても、みつろうさんって天才ですかね? よくこんな小説仕立てにできるなぁと感心します。ぜひ、読んでみてほしい本です。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:52 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月10日

学校は行かなくてもいい



これも誰かがSNSで紹介していた本だと思うのですが、気になったので買ってみました。著者は小幡和輝(おばた・かずき)さん。不登校の経験者ですが、自ら事業を立ち上げて活動しておられます。

この本では、不登校経験者の実例を紹介しつつ、無理して学校へ行く必要はないということと、行かないことでどういう問題があるか、またどうすれば上手くやっていけるかなどを伝えておられます。

本のサブタイトルには、「親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」とあります。不登校で悩んでいるのは子どもだけでなく、親御さんもまた悩まれるのです。その両方に、この本は朗報になるだろうと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

僕は、自分に人並み外れた行動力があるとは思っていません。その時々で夢中になれるものを見つけることができただけです。それがゲームであり、イベントだったということ。そして、これまでの人生でいくつか選択をしてきた中に、「学校に行かない」という選択肢もあったということです。「人生を変えるきっかけ」の中には、もしかすると「学校へ行かないこと」だって含まれるのかもしれない。良い意味で。」(p.6 - 7)

小幡さんは、小学校2年の途中から不登校になり、10年くらい不登校だったそうです。その後、定時制高校に入り、和歌山大学に入学されたとか。学生をしながらも、イベント好きが高じて始めた事業をされています。それを、特別な行動力のお陰ではなく、たまたま好きなことがあって、それをやってきただけだと言われるのですね。

学歴が重要とか、高校くらいは出ておけとか、大人は大人の勝手な価値観を子どもに押し付けようとします。しかし小幡さんは、そんな価値観に従わなくても、他に道はいくらでもあると言うのです。


不登校になる理由−−いじめ、クラスになじめない、先生が嫌い……。いろいろな理由があると思う。でも、つらかったら行かなくていいというのが僕の意見。
(中略)
その第一歩として、僕は「学校に行かない」という選択肢があったと思っている。そういう選択肢があることを、こうしてみんなに伝えることもできる。
 でも、僕にできるのはここまで。あとはキミ自身で決める必要がある。なんたってキミの人生なんだから。
 我慢して学校に行くという選択肢だって当然ある。でもそのときには、「何のために学校に行くのか、何をするために学校で勉強をするのか」をちゃんと考えてみてほしい。
」(p.66 - 67)

選択肢は学校へ行くことだけではないのです。それをわかった上で、自分で選択することが重要なのですね。


引きこもるときって、まずは安心して引きこもりたい。「学校に行け」とか、「今やっていることは間違っているんだ」とか言われて、焦燥感を覚えるとか、そういう状態になっていると心が弱って安定しないので、学校に行ったところで行けるようにはならないと思うんですね。
 今思えば、ちゃんと引きこもらせてくれたことはすごくありがたかった。
」(p.80)

学校に行くのがつらい時、無理やり行かせようとしても、けっきょくは上手く行かないんですね。親など身近な人が理解してくれて、安心させてくれて、居場所を作ってあげることが大切なのです。


雄介 自分の経験を話すのは怖かったけど、実際に話してみたら拍手をもらえて、「あっ」て気づいた。乗り越えたというのとは違って、納得できた感じ。今までの経験は誰かに話すためにあった出来事なのかもしれないって思った。この瞬間が人生の転機だったかな。」(p.92)

不登校経験者3人で結成されたバンドのメンバー、山崎雄介さんの言葉です。その時はどんなに最悪だと感じたとしても、後になってみれば、このために必要な経験だったのだと気づくことがある。だから、人生の経験はすべて無駄ではないし、完璧で良いことなのだろうと思います。


私は不登校という、自分の子育てを試される大きな壁にぶち当たりました。その壁を乗り越えるには、本当に大切なものを見極めて守ることだと考えました。本当に大切なもの、それは娘の笑顔でした。」(p.145)

不登校の子ども持った母親の言葉です。最初は何とか学校へ行かせようとするのですが、子どもがどんどん暗くなっていって、ひょっとしたら死んでしまうかもしれないと感じた。その時、一番大事なものは何なのか?ということを考えたのだそうです。それは、子どもが生きていてくれること、明るく笑っていてくれること。そのためなら、他のことは些細なことだと気づいたのです。


不登校というのは、いわゆる「一般」から外れた行為であり、理解され難いために批判されることが多いでしょう。そうやって責められることで、さらに重荷を背負うことになりがちです。

けれども、学校へ行くということは、1つの選択肢に過ぎないのだという見方をすることで、道は開かれると思うのです。不登校だから「悪い」わけでも「ダメ」なわけでもありません。そのことは、小幡さんなど、この本に登場する人たちが証明しています。

この本を読めば、不登校を安心して行えるよう、ハードルが下がるように思います。悩んでいる方には、ぜひ読んでいただきたいなぁと思いました。


<関連サイト>
小中学生で不登校でも将来は大丈夫

小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ

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タグ:小幡和輝
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:52 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月04日

問題は解決するな



SNSで誰かが紹介していた本ですが、興味深い本を読みました。著者はKan.(かん)さん。クンルン・ネイゴン継承者とあります。2006年5月に世界初のクンルンティーチャーとして認定されたとか。2010年には正式にクンルンネイゴンマスターの称号を受けたそうです。日本人のようですが、道家のその道ではすごい方なのでしょう。

帯には、「タオ入門の名著、待望の復刊!」とあります。2013年6月にヴォイスから刊行された同タイトルの本の新装版になるようです。

序章には、著者が大学の時にラグビーの事故で脊髄損傷し、まったく動かせない体になったことが書かれています。その時、不思議な老人と出会い、不思議な力を得るようになり、探求の道が始まったとありますね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

無責任に聞こえるかもしれませんが、本当になるようにしかなりません。自分がどこまで困った事態になるのか、やってみればいいんです。
 もし自分の範疇外のことが起こったら、怖いと感じるかもしれません。アンハッピーだと嘆くかもしれません。
 それでも、起こっていることは悪くない。そうとらえてください。
」(p.27)

問題を問題だと考え、解決しようとするからかえって悪くなる。だからそれを問題だと思わずに、何もせずに見ているようにと言うのです。何とかなるからと。


解決を目指して人に行動を起こさせるのは、不安や恐怖です。
「見る」という行為は消極的に感じられるので、自分で何かをしたくなるのです。
 その思いを我慢して、「見る」という行為を入れてあげましょう。すると、自然に行くべき方向へ進んでいきます。
」(p.46)

問題を解決したくなるのは、動機が不安だからですね。不安を動機とすれば、不安な現実を引き寄せるだけです。


何かをやることで、悟ったり、問題解決したり、完璧になったりできると思い込むのは、ただトリックにだまされているだけです。
「なりたい自分になる」というスローガンも、また幻想です。
「なりたい自分」をつくったとたん、「なれない自分」をつくり出して、流れを必死で逆行するような生き方になります。
」(p.49)

何かを求めれば、その対極も引き寄せることになります。執着すればするほど、苦しみが増すのです。


人間という存在そのものがすでに矛盾しているとは、こういうことです。
 たとえば聖職者が、私たちに愛を説きます。彼等は、常に真剣に、本気で愛を説いているはずです。しかし、愛を説くその体を支えているのは何でしょう。
 免疫機能という「軍事システム」です。
 最新型ミサイルのように、免疫はウイルスを迎撃します。
」(p.62)

これは目からウロコでした。たしかに愛はすべてを与えると言いながら、私たちの体は常に、ウイルスや細菌の命を奪い続けています。

ただ、この矛盾を解決しようとしてはいけないのです。そういう存在だと知っていればいいのですね。


今本当に大切なことは、「高次元」を目指すことではありません。
「新しい自分」や他の誰かになろうとすることでもありません。
 他の誰でもない、宇宙である自分自身の力で生きていくことです。自然界に対して畏敬の念を持ち、地に足を着け、自分を開いてハートで生きていくことです。
 自然の素晴らしさを見て、味わい、自然と交流してください。
 自然と出会うたびに、忘れていた感覚を取り戻すことができます。
 今まで自分を縛っていた鎖から自由になっていけます。
 そうすれば、いつの間にか問題など解決していきます。解決を目指さなくても、問題そのものを堪能できるようなります。
」(p.116)

悟るとか、次元上昇するとか、そういうことを目指しても意味がないのですね。それよりも自然に触れ、自然の中に身を置いて、自然を味わってみるようにと言います。そうすれば自由になれるのだと。

その1つの方法として、木と交流することを勧めています。お気に入りの木を見つけ、幹や枝葉に触れてみたり、根本に座ったり、話しかけたりして、ゆっくりと時間を過ごすようにと。


人間に天気が変えられないように、湧き上がる感情は自分では変えられません。だから、あきらめる。そして、無理にいつもいい天気でいようと思わない。
 ポジティブな感情はよくて、ネガティブな感情は悪い。そう、決めつけないことです。
」(p.136)

晴れの天気が良くて、雨が悪いわけではありませんからね。感情と天気は似ていますね。天気も過ぎ去っていきますが、感情も湧いては過ぎていくもの。それを留めてしまうのは、思考が同じ感情をコピーし続けるからなのです。

ですから、そういう思考が生み出す「感情もどき」に騙されないよう、本当の感情をしっかりと味わって、手放していけばよいのです。


そんなありふれた時間を大切にするということです。
 何の変哲もない、いつも通りの時間。代わり映えのしない時間も、自分にギフトされた貴重な時間です。
 どのシチュエーションにも、味わい深さがあります。そこで起こる喜怒哀楽、あなたへ贈られた宝物を味わいつくすことが大切なのです。
 そして、ピンチに見えることが起こった時、無理難題が持ち上がった時が、チャレンジの時。自分を成長させる教材がやってきた時です。
 そこで、「こうかな、ああかな?」と、取り組まないことに取り組んで、ほったらかしで生きる。すると、ある時、ストンと自分が納得できる時期が必ず来ます。
」(p.157)

何気ない日常を宝物だと思って、一瞬一瞬を味わいながら生きること。それが大切なのですね。

そしてピンチはチャンス。成長のチャンスだということを知って、取り組まないことに取り組む。この表現は面白いですね。安心してほったらかしにしておくのです。


大切なのは、自分の腑に落ちているかどうか。
 自分のものにできているかどうか。
 たとえ、自分の腑に落ちたものがスタンダードな考え方と違っていても大丈夫。
 そう思えるようになることが大事です。
 一人ひとりに、それぞれ多様な生き方があります。
 自分は自分でいい、そして、人は人でいい。そこに安心感を持ってください。
」(p.162)

真実は自分だけのものですね。自分の真実ですから、他人と比べて正す必要はないのです。ただ自分の真実に正直になることですね。


人生はせつないのだから、そのせつなさをしみじみ味わう。
 もし誰かがせつなさを味わっていたら、そっとそばに行って一緒にいる。
 せつない時には誰が何を言ってもせつないのだから、黙ってお茶でも飲んでいる。本当に「お互い様」なのだから、足を引っ張り合ったり非難し合ったりせずに、ナチュラルにいる。
 そこにしみじみとした味わい深さが出てきます。
 とってつけたような「修行」や「鍛錬」をしなくても、普段の暮らしの中でそうやって生きて、地球の上の人生を味わっていく。それで、十分です。
」(p.175)

無理に成長しなくていいのですね。何気ない日常を味わいながら生きること。その体験こそが宝です。

そして、せつない感情には、ただ寄り添っているだけでいいと言います。まさに、それが愛ですね。


上司は「機嫌が悪い」それ以上でもそれ以下でもない。機嫌が悪いという事実があるだけです。ただ見守ると、そこに自然に対応できるようになります。
 職場ではいろいろあるでしょう。仕事すべき時は仕事をし、休息する時は休息する。そして、ひとりでいられる時に、あらゆるものを起こるがままにする時間を持つのです。取り組まない。すると、先入観なしに、巻き込まれずに存在することができる。それが生き方のすべてに共通します。
」(p.192)

上司が不機嫌だと、自分のせいかと思ってドキドキしたり、理不尽に怒る上司に腹を立てたりしがちです。それを単に上司は機嫌が悪いという事実としてとらえ、眺めていればいいのだと言います。

自分が当事者になると、なかなか難しいかもしれませんが、「ただ自分に起こってくることを受け入れればいい」ということを知っているだけでもいいのだと言います。いつも頭の片隅に、そのことを置いておくことです。

時には受け入れられず、反応してしまうこともあるでしょう。その時は、その反応してしまう自分を見ていればいい。そのことを受け入れればいいのです。


最初から最後まで、一貫して問題を解決せず、見ているようにと言っています。しかしだからと言って、やるべきとわかってることをやるな、ということではありませんからね。働くべき時は働くのです。ただ、状況を良くしようとして、つまり何かを目指して、追い立てられるように行動することは意味がないのです。

私は最近、やっぱりこうだよなぁと感じていました。以前から言ってることでもあるのですが、ホ・オポノポノバシャールの考えもそうです。鏡の中に手を突っ込んで変えようとするのではなく、自分の考えを変えるのです。

そしてその自分の考えの根底には、「愛」か「不安」のどちらかがあると「神との対話」シリーズでは言っています。だから、目の前の状況がどうであっても、それは幻想なのだと見抜き、安心していることが大切なのですね。改めて、そのことを感じさせてくれる本でした。

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タグ:kan. 道家 タオ
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2020年11月30日

ずるい生き方



心屋仁之助(こころや・じんのすけ)さんの新刊を読みました。数多くの本を出版してこられた心屋さんですが、心屋さんとしての本は、これが最後になるのだそうです。心屋さんは、これまでのカウンセラーとしての活動を完全に辞めて、シンガーとしての活動を行われるとのこと。記念となる最後の本を読ませていただきました。

この本は、これまで語ってこられた心屋さんの考えの集大成になるものだそうです。したがって、ある意味で、この本さえ読めば、これまでの本に書かれている内容はすべてわかるということですね。


ではさっそく、一部を引用しながら、内容を紹介していきましょう。

「やらねば」とか「やるべき」をやめて、「やりたい」ことだけをする。生き方の優先順位を逆転させてしまうのです。
 それが人として、心の豊かな時間を過ごし、しかもお金も稼げて人からも愛される方法です。
」(p.17)

心屋さんは、これを「ずるい生き方」だと言います。努力もせず、頑張りもせず、我慢もしない。それでいて愛されて、豊かになる。そんな「ずるい生き方」を勧めているのです。


どっちにしても、お母さんを幸せにしてあげたいという気持ちが働くから、頑張ってしまう。
 これが、小さいときから刷り込まれる記憶なんです。お母さんとの関係が、自分を作るんですね。不思議なことに、このときお父さんの存在は一切出てこない。
」(p.61 - 62)

映画「かみさまとのやくそく」でも、子どもはお母さんを選び、このお母さんを幸せにしたくて生まれてくると言っていますね。そのことによって、無意識に自分自身を強制してしまうのかもしれません。

「お母さんを困らせてはいけない」「幸せにしなければいけない」と思っている人は、お母さんのことを「不幸」だと思っているのです。だから助けて「あげないと」と思う。
 なんて上から目線で、なんて失礼な(笑)。
」(p.64)

実際のところ、お母さんはそうしたくてそうしているのです。不幸だとすれば、不幸になりたくて不幸を選んでいるのです。不幸を選ぶことが幸せなのですね。

だから、親不孝していいのだと心屋さんは言います。親に感謝する必要もないし、何なら悲しませてもいい。お母さんはすでに幸せなのだ、という目で見てあげることが、本当の意味でお母さんの幸せに役立つし、自分も幸せになれるのです。


「僕が『自分はすごい』と言うことで、あなたに何か迷惑かけましたっけ?」
 というぐらいの態度で堂々としていたら、結果的にすごいと言われることがどんどん増えていくんですよね。
」(p.174)

福山雅治さんのコンサートで、心屋さんが感じたことです。福山さんは、ステージでは堂々としていて、自分を卑下することがない。だから、見ている方は安心して、その素晴らしさにハマることができるのです。

だから、前提を「自分はすごい」にすればいいのだと心屋さんは言います。根拠は不要なのです。前提ですから。


でも自分のほうが頑張っているはずなのにとか、面白いものを書いているはずなのにとか、そう思ったら嫉妬やねたみが生まれる。
 でもあるときふと思ったんです。
 どうして僕は、その100万部いった人のことを「見せられている」んだろう、「知らされている」んだろうと。そう考えたとき、
 「あ、そうか。これ、予告編なんだな」
 と思うようになったんです。
」(p.184)

羨ましいと感じるのは、自分もそうなれるからだ、という考えがありますよね。そもそもそうなりたくもないし、なれるとも思っていなければ、羨ましくも妬(ねた)ましくもないからだと。それを心屋さんはさらに進化させ、それは予告編なのだと考えます。

つまり、「いつかこんなふうになるよ」ということを、人生が見せてくれているんだというわけです。そう考えることによって、妬みという自分の進化を止めてしまう思考から解放されるのですね。


たとえば、何か問題が起きたときに「なんとかしなきゃ!」「解決しなきゃ!」とやっきになればなるほど、問題はそこに存在し続け、時に大きくなります。大切なのは「なんとかなる」と信じるかどうかなのです。」(p.197)

自分のことも他人のことも、目の前のことも「大丈夫だ」「これでいいのだ」。
 なんなら、
「私がやらねば誰がやる!」
 ではなく、
「私がやらねば誰やる!」
 ぐらいに全部信頼してしまう。ずるいでしょ?(笑)
」(p.197 - 198)

自分のことも他人のこと、大丈夫だって思うことが大事なのですね。自分には何の責任もない。周りが何とかしてくれるからと。


つまり、
 他人へのアドバイスや忠告は、
 自分へのアドバイス。
 だから、あなたが誰かに何かを言いたい気持ちになったり、ネットのコメントで悪口を書きたくなったりしたらちょっと立ち止まってください。

 (中略)
 それは自分自身へのアドバイス。気になる人へ投げたブーメランが、後ろから自分の頭に飛んできて刺さる! みたいな。」(p.204 - 205)

私も、SNSでコメントする時、これを意識するよう心がけています。この言ったことは、自分へ言うべきことではないかと。

投稿する時は、まさにそうだなぁと思いながら投稿するのですけどね。でも、つい誰かのコメントに反応してコメントを返す時は、忘れがちになります。でも、これがわかっていれば、後から自分のコメントを読み返すことで、気づくことも多いかと思います。


じゃあ、どんな人が幸せかというと、
 成功してもしなくても自分は認められていて、
 愛されていると感じている人なんですね。
」(p.211)

つまり、今あるがままで「これで充分だ」と感じているということです。そして、そう感じるためには、自分の好きなことを遠慮せずにやってみることなのだと。

そうしていれば、自然と成功するのだと心屋さんは言います。成功してから幸せになるのではなく、幸せを感じたら成功するようになるのです。


大丈夫だから、「ずるい生き方」をしよう! 心屋さんが、カウンセラー活動の中で最も伝えたかったことは、そういうことなのだろうと思います。

私も、「大丈夫だ、何とかなる!」ということが、この幸せ実践塾の究極のメッセージだと思っています。心屋さんには、たくさんの気づきをいただきました。今後のご活躍をお祈りしています。

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2020年11月21日

リト

かっこちゃんこと山元加津子(やまもと・かつこ)さんの新刊を読みました。

今回の本は、Amazonなど書店での購入ができないようです。モナ森出版さんエコ・ブランチ【樺゚田商会】鶴田紀子さんから購入することができます。

Youtube動画でも本の紹介をしています。また、かっこちゃんの本の一覧もありますので、ぜひご利用ください。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は物語になっていて、子犬のリトが生きることの意味を探しながら旅をする話です。その過程で、ガシューダという不思議な存在が語られます。おそらくそれは「神」とか「サムシンググレート」と呼ばれる存在なのでしょう。

そして物語の中に、世界を襲う流行り病が出てきます。これはもちろん、今流行っているコロナウイルスを暗示しています。


誰のせいとか、誰が悪いとか思っても、流行り病いがおさまるわけではないのよ。誰かを恨んではだめ。恨むことは返って、ことを悪い方向へ進ませるわ。できることは、今、何をしたらいいか考えること。前を向いて歩いていくことよ。
 どんなことも必要で起きるとママは思っているの。だから、あの恐ろしい流行り病いにもきっと理由がある。でもね、その理由はずいぶん時間が経たないとわからないのかもしれない。
 ママもオリーもリトもいつかみんな死んでしまって、もっともっと時間がかかってようやくわかることもあるんだわ
」(p.85)

「悪い」という決めつけは、問題を解決することにはつながりません。起こることはすべて必要なこと、完璧で最善なのです。


「すべて必要で起きることなんだね」
 「うんそう。必要なんだ。全部だよ。ものも、ことも、人も、動物も、起きることも、何もかもがみんな必要」
」(p.107)

「人間万事塞翁が馬」と言いますが、「悪い」と感じることであっても、それが「良い」につながっている。だから、すべてが必要なのです。


出会いというものは、片方のためだけにあるわけではありません。いつも両方にとって必要なのです。」(p.123)

「神との対話」でも、人は贈り物を持って現れると言います。その贈り物を相手に与え、そして相手からも贈り物を受け取る。だから出会いは神聖なのです。互いにプレゼントを与え合うのです。その贈り物によって、私たちは気づきを得られるのですから。


覚えておいてね。この世界には約束ごとがある。それはどんなこともいつかのいい日のためにあるということ。
 ガシューダは私たちをいつも愛してくださっている。ガシューダの魂の声に耳をすませて生きていけば大丈夫。私はいつもそう信じているわ
」(p.132)

ママは娘のオリーとリトに対して、こう語っています。これが、かっこちゃんがみんなに伝えたいメッセージだろうと思いました。


「あとがき」でかっこちゃんは、この物語を作るきっかけになった雪絵ちゃんという女の子のことを語ります。雪絵ちゃんはMS(多発性硬化症)という難病で、やがて体が動かなくなって死んでいく病気です。症状が現れるたびに、目が見えにくくなったり、手足が動かしにくくなっていきます。

けれども雪絵ちゃんはいつも前向きで、いつも「私は私でよかった」ということを繰り返し伝えてくれました。
 「もし目が見えなくなったら、手や足が動かなくなったら、私は、目や手や足にありがとうと言うよ。私のために頑張ってくれたのに、なんでよーなんて言ってはあんまりだから。ありがとうって言うよ」
 「私は12月28日に生まれました。1分1秒間違いなくこの私になるために生まれてきたよ」

 そんな雪絵ちゃんが亡くなるときに、私に言いました。
 「世界中の人に、一人ひとりが違ってそれが素晴らしいということ、みんなが素敵で大切だということ。すべてがいつかのいい日のためにあることをかっこちゃん(私のことです)が伝えて。約束して」
 それが雪絵ちゃんの遺言になりました。
」(p.150)

雪絵ちゃんの想いに応えようとして、かっこちゃんは講演をしたり、本を書いたりしているのです。


それにしても、雪絵ちゃんという少女は、天使なのだなぁと思いませんか? 私はそう思います。
かっこちゃんは、天使から見初められたのでしょう。そして、このメッセージを伝えてくれるかっこちゃんは、私たちにとっての天使なのだと思います。

だからこそ私は、そのメッセージを他の人に伝える天使になりたいと思うのです。

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2020年11月13日

明日を笑顔に



日本講演新聞(旧「みやざき中央新聞」)に、とても魅力的な記事を書かれる人がいます。現在は中部支局長をされている山本孝弘(やまもと・たかひろ)さんです。最近は時々、社説も書かれるようです。随分と出世されたなぁと思いながら、注目していました。

その山本さんが、本を出版されたと聞きました。最初のご著書ですから、これは買わずにはおれません。さっそくネットで注文しました。

新聞でも、センスの良いコラムを書かれていた山本さんが、いったいどんな本を出版されたのかと思ったら、文庫本サイズのエッセイ集のような本でした。

旅がお好きで、経験豊富な山本さんのエッセイは、読んでいてほっこりしたり、ホロリとしたり。そんな見開き2ページにぴったり収まるエッセイが、36話、収められていました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。それほど長い文章ではないので、特に気に入ったエッセイを2つ選び、そこからの引用です。

今では口癖になっているという桜井さんの台詞に心を打たれた。
 「私は不運ではあったが不幸ではない」
 不運を不幸だと思わない生き方をする人に幸福はやってくるようだ。
」(p.55)

「不運を不幸と思わない生き方」と題したエッセイで、桜井昌司さんという冤罪被害者の方の話です。あの冤罪があったからこそ幸せに生きられる。そう桜井さんは本気で思っておられるようです。


妻の無言の励ましを受けて世間の攻撃と戦ってきたと言う河野さんは、さらにこう言った。
 「人は間違えるものです。仕方ありません。人を恨むことで人生に与えられた貴重な時間を費やすくらいなら他のことに使いたい。私は人格者ではありません。許す方が楽だからそうしているだけです」
 平穏に常に感謝し、今は釣りが楽しみだと語る彼に真の強さを見た。
」(p.57)

これは「その男は「許す方が楽だ」と言った」と題するエッセイで、松本サリン事件の被害者でありながら、犯人扱いされた河野義行さんの話です。

河野さんは、刑を終えた犯人を自宅に優しく迎え入れました。何の落ち度もないのに、しかも被害者なのに、犯人扱いされて苦しめられた。その原因となった犯人を、河野さんはいとも簡単に許されたのです。

それは、14年間、意識が戻らずに亡くなられた奥様から、いつも見守られ、励まされてきたという思いがあったからのようです。恨んで生きるのも人生なら、許して生きるのもまた人生。河野さんは、それが楽だからと言って、許す人生を選ばれたのです。


山本さんのエッセイには、いろいろな人が登場します。そこで語られるエピソードは、山本さんご自身の経験の深さによって培われた人間観察力によって掘り出された、一級品の彫刻のような感じがします。だから私は、山本さんの文章が好きなんですね。

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2020年08月22日

食えなんだら食うな



執行草舟(しぎょう・そうしゅう)氏が大絶賛される本を「日本講演新聞(旧「みやざき中央新聞」)」で紹介していたので読んでみました。

著者は禅僧の関大徹(せき・だいてつ)氏。書店「読書のすすめ」でもオススメの本だったそうですが、絶版になっていました。それを復刊したのが本書になります。

帯には執行氏が「俺は、この本が死ぬほど好きなんだ!」と寄せておられます。執行氏は本書の最後に、「解題−復刊に寄す」と題して解説文を書かれています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

自分は僧侶として好きなことをやっているのだから、一握りの米も頂けなくなったら、誰を恨むでもない。そのときは、心静かに飢え死にすればいい。高祖いらい、みんなその覚悟でこられたからこそ、こんにちの禅門があり、禅僧といわれる人は、その祖風をしたって仏門に入ったはずである。」(p.10)

本のタイトルはここから来ています。僧侶というのは、農耕採集狩猟ということはしないのですね。托鉢によって、その日いただく食べ物をもらう。それが僧侶というものだという覚悟を持って生きておられたのです。


いっておくが、「食えなんだら食うな」とは、「買えなんだら買うな」の意ではない。食えなんだら、食うな、という言葉には、本来、食うことのできない、おのれが……という傷みがある。懺悔(ざんげ)がある。禅僧は、乞食(こつじき)に頼っている。本来、一粒の米も生産できないのである。それが、お恵みを得て、食えるべきでない身が、食わしていただいている。その実感を、小僧の時分から、叩き込まれるのである。」(p.18)

直接生産に携わってないのであれば、食べられる道理がないと言うのです。実際、戦後の日本では、農家でもなければ食べ物に困る日常がありました。それが当然なのであり、幸運にも食べ物をいただいて生かしていただいている、という感謝の思いが常にあるのです。


人間、本来、自由なのである。誰も、自分を縛りつけているものはいないのである。縛りつけているものがあるとすれば、それは自分自身かもしれず、自分で自分を閉じこめているのである。そうではないか。」(p.28)

関氏は、座禅によって「自由の境地」を得たと言います。自分が自分を縛っていて、そのことに気づいていない。しかし、そのことに気づけば、人間は本来、自由だとわかるのです。


関氏は、ガンを患ったことがあるそうです。幸い、手術のお陰で命をとりとめたのだとか。

「おめでとう」といってくれる人もあった。こちらは胆の中で、何がめでたいものか、と思っている。そこで、別段、嬉しがりもしなかったら、相手は拍子抜けがしたような顔をして帰っていった。
 それはそうではないか。ガンにかかって奇跡的に命を得たからといって、不老長寿の保証を得たわけではない。何年か、何十年か生き永らえるだけであり、あるいは、死のきっかけがガンという病名でなくなっただけのことであって、死から免れたわけではないのである。
」(p.56)

いつも「死」と向き合って生きておられた関氏ならではの言葉ですね。


たとい、言語を絶するとはいえ、苦痛に耐えるだけでよかったのである。だから、たといガンとはいえども死ねばなおると、当然の帰結に安心しておれた。それだけでなく、私は一命をとりとめたばかりか、なお得がたい多くのことを、身につけることができた。
 仏教は「転禍招福」の教えである。禍いを除いて、ではなく、転じてというところが、いかにも面白い。禍いは、一度降りかかったら免れ得ぬものとすれば、その禍いを禍いのままに、そのまま、幸福にひっくり返そうというのが仏教の基本的な味わいである。
」(p.71)

つまり、見方を変えればどうにでもなる、ということですね。


私は、揮毫(きごう)をたのまれると「本来無一物」と書くことにしている。
 人間、本来無一物なのである。呱呱(ここ)の声をあげたときに、ものをもって生まれた赤ン坊があるか。有りあまる金を、あの世までもっていった大富豪があるか。もっというなら、なまじっか、人間にものを付託したために、人を不幸にすることだってあり得る。
」(p.87)

豊臣秀吉が我が子秀頼かわいさに、城や金銀財宝をたくさん遺したがために、一族もろともに滅んだ事例を挙げています。赤ちゃんは、何も持たずに生まれてくるからこそ、両親などから無尽蔵の愛を受けられるのだと。


そうして彼は勝った。しかし、敗けても本望だったであろう。それは、敗ければ口惜しいに違いない。けれども、彼は彼なりに、全知全能を傾けたのだから、敗けても本望という澄明(ちょうめい)さがなければ、勝負はできない。
 いや、勝負だけでなく、人生全般、そうではないか。何物をもおそれないという心境がそれである。
 自分の敗北すらおそれなくなってこその大禅定である。
」(p.96)

伝統のプロ野球球団の監督が、任された年には散々な成績だったが、座禅修行した後に優勝したという例を挙げています。おそらくは川上哲治氏のことでしょう。

結果に対する執着心を手放すこと。その上で、行為に対して情熱を燃やすことですね。


−−だから、便所掃除をせよ。
 とまではいわない。せめて、その娘にあやかりたかったら、便所を掃除してみよ。自分もさっぱりした気になり、これで人にも喜んでもらえると思ったら、これにまさるよろこびはあるまい。これこそ「徳」のよろこびであり、このよろこびを味わったら、明日に死すも可なり、であろう。
」(p.135)

死相が出ていた娘が、ひどく汚れていた公衆便所が気になり、夜寝る前にわざわざ戻って便所掃除をしたことで、運勢が変わって死相が消え、死ななかったという話です。

それが本当かどうかは別として、禅寺では修行として便所掃除を行うそうです。たとえ一山の管長であっても、一禅僧として便所掃除をする。その心がけが大事なのだと。


仏教では三毒の煩悩という。貪欲(どんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)である。
 あれも欲しい、もっと欲しい、安楽にしたいという貪(むさぼ)りの心(貪欲)。自分は間違っていないのに、あいつがいけないという身勝手な怒りの心(瞋恚)。自分の運命は自分で背負っていかねばならないのに、それを誰かの責任のように愚痴る心(愚痴)。
 自分がいま人間として生きているということの幸福感をたしかめられぬ人は、すべてこの曇りによるものと心得られるがよい。しかして、この曇りは、自分自身の手でとり除くよりほかはないのである。
」(p.180)

中村久子女史が、不自由な身体で身の回りのことをすべて完ぺきにこなし、不平不満も言われないことを挙げて、このように言われます。肉体の目は開いていても、心の目が曇っていると、三毒の煩悩のままに生きることになるのですね。


完全に捨て切ることで、すべてを得ることになる。そんな信念が表れていて、叱咤激励される本でした。

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タグ:関大徹
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2020年07月29日

セールスの絶対教科書



「日本講演新聞」(旧「みやざき中央新聞」)の社説で紹介されていた本だと思います。著者は岡根芳樹(おかね・よしき)さん。以前に「オーマイ・ゴッドファーザー」という本を紹介しています。

タイトルにもあるように、これはセールス指南の本です。そうなのですが、セールスを極めると「生き方」になるのではないか。そう感じさせるくらい、素晴らしい内容なのです。そのことが社説を読んで感じられたので、ちょっと高いのですが、買ってみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この本はサブタイトルに「演劇の手法による」とあるように、演劇によって伝えるという体裁になっています。つまりこの本は、全体が演劇の台本なのです。この台本を読むことで、まさに目の前でそのドラマが繰り広げられており、それをイメージしながらセールスを学ぶことができます。

さらには、この台本通りに演じてみることによって、より深く学び、かつその手法を身につけることができるのです。

登場人物は7人です。主人公は、セールスの天才、桑森正春52歳、そして22歳の頃の桑森。ブチョーと呼ばれるおっさん60歳くらい。他には、ダメセールスマンの柊(ひいらぎ)、警察官のホンカンなど。


柊 「運がよかったんすね」
桑森 「運か。まあそうかもしれんな。人生は無限にある選択肢の中から常に一つを選びながら進んでいくようなもんだからな」
」(p.56)

セールスを始めたばかりの桑森は、柊と同様にダメなセールスマンでした。そんな桑森がホームレスのブチョーと出会ったとき、請われるがままに缶ビールを買ってあげたのです。なぜそんなことをしたのか? それは「理屈」ではなく「勘」だと言います。

桑森 「俺はな、一番面白そうな道を選ぶのさ。無難でもない、楽でもない、正しいかどうかでもない。大変かもしれないし、損するかもしれないけど、面白い。ドラマになる。家賃もないし、財布に千円しかない。でも、ホームレスのじじいに缶ビールをおごってやる。面白いだろ」」(p.57)

桑森の選択基準に注目すべきですね。損得ではなく面白いかどうか。直観に従うという生き方です。
このことによって桑森の道が開かれ、ブチョーからセールスを教わることになります。


ブチョー「感動するストーリーにするにはどんなシーンにする?」
桑森 「ああ、そうだな……失敗しても失敗しても、何度でも挑戦していくシーンだな。」
ブチョー「そういうことじゃ。それがドラマとして面白いのじゃ。しかしおめえは、失敗を恐れて挑戦をしなかった。うまくいきそうな相手をひたすら探し続けておった。はあ、まったく面白くない。そんなドラマを誰が観る?
」(p.103)

セールスはドラマだとブチョーは言います。その見方が失敗を恐れないメンタルを作るのです。

ブチョー「セールスはドラマのワンシーンじゃと思え。初めからうまくやろうと思わずに、むしろ逆じゃ。初めはドラマを盛り上げるためにわざと失敗するようにやってみろ」」(p.103)

わざと失敗するなら、失敗を恥ずかしいとは感じません。「契約数=アタック数×契約率」ですが、テクニックを磨いて契約率が高くなると、アタック数が落ちてしまう傾向があるのです。それは、アタックすることが楽しくないからですね。


ブチョー「真面目に頑張るたあ、どういうことかわかるか? 嫌なこと、辛いことを我慢して頑張るっちゅうことじゃ」
桑森 「それのどこがダメなんだ?」
ブチョー「我慢しておるから、楽をしたくなるんじゃ。それでも契約が取れるんなら我慢もまだ報われるというもんじゃが、契約が取れなかったらどうなる。我慢に我慢を重ねた結果、心が折れてセールスの世界から去っていくんじゃ。数日前の誰かさんみたいにな」
」(p.111)

人生も同じですね。真面目に我慢して頑張っている人ほど、心が折れやすいものです。そして人生から自主退場してしまう。

では、真面目でなければいいのか? 不真面目ならいいのか? それに対してブチョーは次のように言います。

真面目も不真面目も自然界にゃぁ存在しないんじゃ。真面目なライオンや、不真面目なキリンがおるか? 真面目も不真面目もどっちも不自然なもので同じことじゃ。表裏一体ってことよ。いいか、真面目の反対は自然体、つまり『馬鹿』のことじゃ。」(p.111 - 112)

馬鹿力という言葉があるように、「馬鹿」は頭が悪いという意味ではなく、頭で制御しないという意味です。真面目に固くなるのではなく、制御せずに柔らかくあること。それが馬鹿になることなのです。


桑森 「プレゼンテーションの極意は、心理学だけではダメなんだ。心理学に基づいた素晴らしい台本ができたとしても、客は台本に金を払うわけじゃないだろ?」
柊  「そっか、役者の演技力が必要なんすね?」
桑森 「そうだ。心理学を応用したトークが縦軸だとすれば、相手の心に響かせる表現力は横軸だ」
」(p.269)

知っているだけでは不十分なのです。それに基づいて実際に表現できること、使えることが重要なのですね。

人生も同じで、何度も何度も繰り返しながら実際にできるようになっていきます。でも、こんなふうに演劇としてデモンストレーションすれば、もっと簡単に身につくのかもしれない。そんなことを思いました。


桑森 「ああ、すごく面白い。まるで長い長い一本の映画のようにな。だから何があろうと大丈夫だ。私の人生はこれまでいい人生だった。そしてこれからもいい人生だ。そのことを知っておいて欲しい」」(p.287)

人生は長く、大変なこともたくさんあるが、「面白い」と桑森は言います。「面白い」と思えれば最強ですね。


桑森 「君が見ている夢なのか、私が見ている夢なのか、それとも知らない誰かが見ている夢なのかもしれないな。」
桑森(三十年前)「誰かが見ている夢の中を俺は生きているっていうのか? じゃあ、昨日のことはどうなる? ゆうべ俺が夢だと思ってたことが実は夢じゃなかった……という夢? ややこしいな!」
桑森 「でも、それを否定することは誰にもできない。私が存在していることは私にはわかるが、君が存在しているかどうかは、私にはわからない。この世界は、たった一人の誰かが見ている長い長い夢なのかもしれない」
桑森(三十年前)「あるいは人類が同時に見ている夢なのかも」
」(p.293)

セールスの達人となった桑森は、時空の歪みから30年前の自分自身と遭遇し、語り合います。その中でのセリフですが、私たちの本質が「ひとつのもの」だけであれば、この世は幻想であり、個々の人もまた幻想だということになります。それはまさに、「ひとつのもの」の夢なのです。

このことについて、これ以上の言及はありませんが、そう考えてみれば、人生を楽しんだらいいじゃないか、楽しめば上手くいく、という考え方が受け入れやすくなるのではないかと思います。


大ぶりで厚みのある本ですが、演劇の台本なのでスラスラと読めました。そして、セールスとは人生そのものだなぁと感じました。何度も読み返して、このように人生を演じたいと思いました。

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2020年07月17日

心。



JALの再建など、困難な事業を次々と成功に導いてきた稲盛和夫(いなもり・かずお)氏の本を読みました。ミリオンセラーとなった前作「生き方」の続編になるとのことです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

そんな私を見かねたのか、当時隣に住んでいたおばさんが一冊の本を貸してくれました。そこにはおよそ、次のようなことが書いてありました。
「いかなる災難もそれを引き寄せる心があるからこそ起こってくる。自分の心が呼ばないものは、何ひとつ近づいてくることはない」
 ああ、たしかにそうだ、と私は思いました。病気を恐れず懸命に看病をしていた父は感染せず、また病気など気にせず平然と生活していた兄もまた罹患しなかった。病を恐れ、忌み嫌い、避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのです。
」(p.015)

稲盛氏は小学生のころ、肺結核の初期症状である肺浸潤にかかり、闘病生活を送ったそうです。死を間近に感じて、恐怖におののきながら過ごしたのだとか。

そんな中で1冊の本との出会いがあり、すべては自分の心が引き寄せているということを知ったのですね。私も母からある本を勧められて、同じように感じたことがありました。ひょっとしたら同じ本かもしれませんね。


栄光に満ち、歓喜きわまる日があれば、苦難にさいなまれ、歯を食いしばって耐え忍ぶ日もあるでしょう。
 そんな人生を、私たちはどう生き抜いていったらよいのでしょうか。この世という荒海をどのように漕ぎ進めばよいのか。
 それは、実にシンプルなことなのです。人生で起こるあらゆる出来事はすべて自らの心が引き寄せ、つくり出したもの。そうであればこそ、目の前に起こってきた現実に対して、いかなる思いを抱き、いかなる心で対処するか−−それによって、人生は大きく変わっていくのです。
」(p.035)

たとえば苦難な状況に出会った場合にも、運命を呪って自暴自棄になる人もいれば、希望を胸に困難を克服しようとする人もいます。目の前の現実がどうかではなく、自分がどういう心持ちで生きるかが重要なのですね。なぜなら、自分の心が原因だからです。


京セラの本社の前には、連日テレビカメラが列をなし、私が頭を下げて謝る姿が幾度となくテレビで放映されました。私は身も心もすっかり疲れきってしまい、老師のところに相談に上がったのです。
 老師はいつものようにお茶を点(た)てて、私の話をじっと聞いてくださいました。そして、「それはよかったですね。災難が降りかかるときは、過去の業(ごう)が消えるときなのです。それぐらいのことで業が消えるのですから、お祝いしなければなりませんな」といわれたのです。
」(p.043 - 044)

京セラが人工膝関節の認可を受けずに製造、供給していたことで、世間からバッシングを受けた時の話です。認可を受けていたのは人工股関節だけでしたが、医療関係者からの急を要する強い要望があって、人工膝関節の認可を待たずに供給したのでした。

稲盛氏は一切弁明せず、ひたすら頭を下げたとのこと。それでも心身が疲弊し、元臨済宗妙心寺派館長の西片擔雪(にしかた・たんせつ)老師の話を伺いに行かれたのです。

そこで教わったのは、災難を喜ぶという考え方でした。意図的に喜ぶことです。

喜ぶことができれば、おのずと感謝することができます。どんな災難でも喜び、感謝すれば、もうそれは消えてなくなるのです。」(p.043)

この考え方は、安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏「喜神を含む」という考え方に通じますね。また、良寛禅師の災難を避ける妙法の話にも通じます。起こったことは受け入れること、しかも喜んで受け入れることが大事なのです。


瞑想でも座禅でもよいのですが、毎日短い時間でもよいので、心を平らかに鎮めるひとときをとることによって、真我の状態に少しでも近づくことができる。それは人生全般を豊かで実りあるものにしてくれる一助となることでしょう。」(p.189)

「神との対話」シリーズでも瞑想を勧めています。静かにして自分と向き合う時間が大切なのですね。


しかし不思議なもので、進んでいくのを不安に思ったことはありませんでした。何か大きなものに守られているような安心感があり、その中で信頼と確信をもって歩いてこられたように思います。
 あるいは、恐怖や躊躇を感じる余裕すらなかったというほうが正しいかもしれません。深い霧に覆われて一寸先すらも見えない、そんな道を必死懸命に、目の前の一歩を踏み出すことだけを考えてひたすら歩んできた。
」(p.203 - 204)

半世紀以上も経営を続けられた稲盛氏は、危険で困難なことの連続だったが、不安を感じなかったと言われます。不安を感じる余裕もなく目の前のことに没頭したのだと。

ただ、心のどこかには、常に自分の心を磨いて自己を高めていれば、運命は必ず導いてくれるという信仰のようなものがあったとも言います。それによって安心感を得られたのではないかと。


経営の技術に関することは、ほとんど書かれていません。どういう心持ちで困難な出来事に対処してきたか、それが書かれているだけです。

常に自分の心を磨くこと。小さな自分のためではなく、全体のために「良い」と思うことを優先する。他に恥じることのない美しい心を保つ。
そういう生き方をすることで、運命は良いように導いてくれるのだということを、稲盛氏は語っておられるのです。

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タグ:稲盛和夫
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