2018年08月15日

なでしこ歴史物語



博多の歴女、白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。今年、白駒さんが主催する兄貴を訪ねるバリ島ツアーでお会いさせていただいたので、とても親しみを感じる著者の1人です。今回は、女性の視点から日本の歴史上の女性にフォーカスした内容です。

面白いのは、歴史(History)は彼の(His)物語(Story)だから、基本的には男性中心なのだと言われているところ。指摘されてみると、たしかにそうですね。そんな中でも、女性が表舞台に登場することはままあります。しかし白駒さんは、表舞台に登場する女性というより、女性らしい活躍をした女性に魅力を感じ、それを「なでしこ」と呼んで取り上げています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この時、私は気づきました。人間には二種類の悩みがあることに。一つは”過去”に対する後悔。もう一つは”未来”への不安です。この二つに縛られている限り悩みは尽きず、”今”は輝きません。子規や先人たちがそうであったように。過去も未来も手放して、いつでも”今”を懸命に生きる。そうすれば、たとえ後悔するような過去でも、その過去のおかげで今があると感謝できます。未来だって、天がベストなものを用意してくれていると、安心できるはずです。”今”に生きること、そして人と自分を比べたり、人からどう思われているかを気にしたりせずに、”ここ”に集中すること。それが、命を輝かせることにつながるのです。」(p.6)

白駒さんは、子宮頸ガンが肺に転移し、医者からもさじを投げられた状態になったことがありました。その時、脊椎カリエスで苦しんだ正岡子規の姿が目に浮かび、子規のように死の瞬間まで平然と生きようと腹をくくったそうです。それによって心が落ち着き、不安なく夜も眠れるようになったとか。

仏教ではこれを「前後際断」と言います。過去がどうであれ未来がどうであれ、それは完璧なのだと信じて受け入れ、今ここに意識を集中する。そういう生き方をすれば、過去に感謝できるようになると白駒さんは言います。その過去は歴史もそうで、そういう目で歴史を見るなら、歴史が輝き出すのだと。ここで紹介する内容は、白駒さんがそういう目で見て、輝いて見えたエピソードなのですね。


幸せになりたいと願う女性の多くは「こんな相手なら」という枠を作り、条件に適った人を探し続ける傾向があります。
 でも残念ですが、それでは相手に依存しながら幸せをつかむようなもの。どんなに大恋愛の末に結ばれたカップルでも、互いの依存心が強ければ、どうしても相手のあら探しになっていくものです。
 きっとお市の方には分かっていたんですね。幸せは、自分自身が生み出すもの、もらうことより与えることのほうが尊いと。
」(p.27)

織田信長の妹、お市の方は、時代に翻弄された薄幸な女性というイメージもありますが、白駒さんは別の見方をされます。起きる出来事を受け入れ、その中で自分らしく積極的に生きようとした。そういう強さがあり、傍目とは別に幸せな人生ではなかったかと。


いったい、慶はどんな思いで彼らを庇護(ひご)したのでしょうか。彼女の心意気を示す、こんな言葉が残っています。
 「田地田畑を買いこんでも、うちの場合は人任せにしてただ寝かせておくだけでしょ。それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たちに使うてみたか。その人たちがうちのお金で、何かうちにできん仕事ばしてくれる。それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」
」(p.42)

嬉野茶(うれしのちゃ)の輸出で莫大な富を手に入れた大浦慶は、その私財で幕末の志士たちを支援したそうです。しかし明治になると、詐欺にひかかって財産を失います。けれども慶は、出世したかつての志士たちに何一つ要求せず、恩に着せることもなかったとか。

不遇な最後とも言えますが、白駒さんは、慶はきっと晴れやかな気持ちではなかったかと想像します。支援した志士たちの活躍によって、明治維新が成し遂げられたのですから。


でも、成長するに伴い、この祖母の言葉には、もう一つの意味があることに気づきました。「どんな時でも、お天道様が見守ってくれている。だから安心して自分の道を歩んでいきなさい」という励ましの意味です。そのことに気づいてから、私は人知を超えた大いなる存在に、なんとなく信頼を寄せるようになりました。それからというもの、たとえ思いどおりにいかなくても、「天が導いてくれるから大丈夫」と、いつも前向きで、安心していられるようになったんですね。」(p.99)

NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデル、広岡浅子は七転び八起きを超える「九転十起生」を座右の銘として生き、襲いかかるピンチを乗り越えてきた人です。彼女の人生を紹介しながら白駒さんは、ご自身のお祖母様の「どんな時もお天道様が見ているからね」という言葉にまつわるエピソードを紹介されます。

白駒さんは、「大丈夫、思い通りにはいっていないけど、きっとうまくはいっているはず」と思うことの重要性を説きます。人が思う「思い通り」は、必ずしも最善ではありません。それよりも大いなるものにお任せして、最善のことが行われているのだと信じる。浅子の生き方は、そういうものだったのだろうと白駒さんは言うのです。


篤姫は大奥の女性を率いて城内を掃き清め、磨き上げた状態で新政府軍に引き渡しました。「敵に明け渡すのだから、汚れた状態でもいいじゃないか」とは考えないのです。私はそこに、日本の一時代を牽引した徳川家の人間としての矜持(きょうじ)を、感じずにはいられません。
 私が歴史物語に触れるたびに思うのは、”美しい生き方”を遺した日本人がいかに多いかということ。美しい生き方を遺すことは、莫大な資産や強大な組織を遺すよりも、価値が高いと思います。
」(p.113)

私もNHK大河ドラマ「篤姫」を観て感動しました。私の名前と同じ漢字ということや、主演の宮崎あおいさんが魅力的だということもあって、このドラマは毎回欠かさず観ました。

白駒さんも紹介しているように、このドラマでは架空の養育係の老女の心に残るセリフがあります。「女の道は一本道にございます。定めに背き、引き返すは恥にございます−−」今、ここに、こういう状態でいるということは、定め(運命)なのです。それに抗うのではなく、受け入れて、その中で自分の最善を尽くす。美しく生きる。そういう生き方を遺すことは、内村鑑三氏も言うように、「後世への最大遺物」なのだと思います。


「人には、命よりも大事なものがある」というトメさんの真意を、私は「命に代えても守りたいものを持ちなさい」というメッセージと受け止めています。命に代えてでも守りたいものがあれば、人はそのために命を使うのですから、どうでもいいことには無駄死(むだじに)できなくなります。そして他の人たちに対しても、「大切なもののために命を使わせてあげたい」という思いが、自然とわき起こってくるはずです。
 つまり、命に代えてでも守りたいと思えるぐらい大切なものを持つことが、自分の命も、ひいては他者の命も慈しむことにつながるのです。
」(p.121)

特攻隊で知られる知覧で、陸軍の指定食堂「富屋食堂」を営んでいた鳥濱(とりはま)トメは、こんな言葉を遺していたそうです。「人には命よりも大事なものがある。それは徳を貫くこと−−」白駒さんはこのメッセージを、上記のように紐解かれたのです。

私も知覧へ行ったのですが、知らなくて、特攻平和会館しか見ませんでした。近くにホタル館富屋食堂があって、そちらにはトメさんに託された遺書などが展示してあるのだそうです。白駒さんは、ぜひ両方へ行くように勧めておられます。


男性は、家族や国を守る。そして女性は、子どもを生み、男性をも育む。そうした役割分担を、年齢は違えども晋作と望東尼が行い、そして互いがその役割を見事に演じきったという歴史物語に、私は感動します。」(p.181)

男女平等だからと言って、女性が男性のようにふるまうことが良いのではなく、性差があるのだと白駒さんは言います。それぞれの性にあった生き方があり、それを全うすることで補完し合えるのだと。高杉晋作を育んだ野村望東尼、望東尼を慕いその危機を救った晋作。その生き方は、理想の男女のあり方ではないかと白駒さんは感じたのです。

私も、男性と女性は違いがあると思っています。男女平等だから、同じ仕事をすべきとは思いません。ただそこに、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしという、価値観の一方的な押しつけがあってはならないと思います。その人の生き方は、その人が自由に決める。そうする中で、ハーモニーが生まれると思うのです。


都育ちで貴族社会しか知らなかった源氏が、田舎に来て、初めて農業や漁業を営む人々に出会ったのです。源氏は親友に告げます。「貴族は天皇に仕え、彼らは自然に仕えている。仕える相手が違うだけで、職業や役割に上下貴賤はないのだ」と。」(p.211)

源氏物語の光源氏が都落ちした「須磨」の巻を紹介しながら、作者の紫式部も田舎で暮らしたのだろうと白駒さんは想像します。紫式部も、田舎で不遇な時を過ごした。そうであれば、未来に希望が持てると言います。

だって、自分にとっては不本意であったり、不遇に思えたりする境遇は、きっと未来の自分に必要だから、わざわざ来てくれたのです。後は受けて立てばいい。」(p.211)

起こる出来事はすべて完璧で最善です。たとえそれが「思い通り」でなかったとしても。ガンが肺に転移して、もう人生も終わりと感じたご自身の体験を重ねながら、白駒さんはこのように言われるのです。


これまでの歴史では、女性の方が男性に比べて自由が少なかったと思います。それでけに、理不尽なことを押し付けられたり、思い通りにならないことが、女性の方が多かったでしょう。そんな女性にスポットを当てることで、このような素敵な物語がたくさん発掘されました。そこには、ただ不遇に耐えただけでなく、希望を見出し、どうにもならないことは受け入れた上で自分を輝かせた女性がいました。

今は、それに比べたら自由度が高まりました。男性ができることで女性ができないことは、もうわずかしかない時代です。しかし、自由が広まることによって、かえって輝きを失ってしまうこともあるかもしれませんね。そんな時代だからこそ、こういう本が役立つのではないかと思います。

思い通りにならないとしても、上手く行っている。そう見定めて安心して生きる。無意味な抵抗をするのではなく、自分を輝かせる美しい生き方をする。そういう生き方の素晴らしさが、この本から伝わるのではないかと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:40 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月14日

道ありき

 

久しぶりに三浦綾子さんの小説を読みました。もう30年ぶりくらいになるでしょうか。たしか「氷点」「塩狩峠」を以前は読んだのだと思います。「塩狩峠」は映画かドラマで観ただけかもしれません。記憶があいまいです。

この小説を読もうと思ったのは、友人がFacebookで三浦さんの言葉を紹介されていて、その言葉に真理を感じたので興味を持ったのです。三浦さんはクリスチャンですが、一般的な教会の教えを超えた真理に気づいておられるのかもしれない、そう思いました。それでその友人に、お勧めの本を紹介してもらったのです。

「道ありき」で検索すると、数冊出てきました。同じタイトルで単行本と文庫本があり、一方には「青春編」とありました。それで私は、同じタイトルで「青春編」とオリジナルの2冊があるのだと勘違いし、両方を買ってしまいました。届いてから見ると、どちらにも「青春編」と書かれていて、実は同じ小説だったようです。

ただ、単行本には、文庫本にない「太陽は再び没せず」という短編が収められていました。これは、三浦さんがデビューするきっかけになった小説だそうです。私が生まれた年でもある1961年に雑誌「主婦の友」が募集した「婦人の書いた実話」に林田律子のペンネームで応募し、当選した作品で、「道ありき」の原型になっています。

文庫本には、単行本にない解説が収められていて、どちらを読んでもそれぞれに楽しめるかと思います。また、この「道ありき」には続編が2冊あるようで、それらも文庫本で購入しました。これから読むのを楽しみにしています。


ではさっそく一部を引用して、内容を紹介します。
その前に、これは小説ですから、あらすじを簡単に紹介しましょう。

ここに書かれているのは、三浦さんの青春時代の実話のようです。
小学校教師として勤めていた三浦さんは、終戦後に退職します。価値観の大きな転換に接して、教えるということができなくなったのです。

その後、結核に罹ります。さらにそれは脊椎カリエスとなり、寝たきりの状態にまでなります。そんな中で、素敵な男性(前川正)と巡り会い、その人がクリスチャンだったこともあって聖書を読むようになり、様々な経験を経て、洗礼を受けることになります。

出会った男性も結核で、先に亡くなってしまいます。そんな傷心の時に、その男性とそっくりの別の男性(三浦光世)と出会います。その男性もまた素晴らしく魅力的な人で、三浦さんは惹かれていくのです。そして長年の闘病生活の後、三浦さんの病気は治り、その男性と結婚します。

小説には、ここまでの様々な出来事や三浦さんの思いが、交わした手紙や、その時に詠んだ短歌などとともに書かれています。

三浦さんはご自身を「美しくない」と言われていますが、多くの男性を惹き付ける魅力があったことは間違いないようです。病気で寝たきりでありながら、愛を語る男性が他にも何人かおられたとのことですから。

このようにあらすじを書くと、女性からすると嫌味な感じに受け取られるかもしれません。ただ、この小説が語る本質的な部分は、そういうところにあるのではなく、三浦さんの様々な気付きにあると感じています。真理を感じ取る三浦さんの感性は、本当に素晴らしいものがあると思うのです。


生きる気力もなく、タバコを吸おうとする三浦さんを、前川正は止めようとします。しかし、三浦さんを責めるのではなく、自分の足に石を打ちつけることで、自分の不甲斐なさ、信仰の薄さを責めたのです。自分の命を捧げてもいいから三浦さんの病気が治るようにと祈る。そんな男性が、三浦さんの側にいたのですね。

いつの間にかわたしは泣いていた。久しぶりに流す、人間らしい涙であった。」(p.90)

そう述懐されているように、それまでの三浦さんは荒んだ心でいたのです。

自分を責めて、自分の身に石打つ姿の背後に、わたしはかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと、わたしは思った。それは、あるいはキリスト教ではないかと思いながら、わたしを女としてではなく、人間として、人格として愛してくれたこの人の信じるキリストを、わたしはわたしなりに尋ね求めたいと思った。」(p.90 - 91)

しかし、信じて子どもたちに教えていたことが、一夜にして引っくり返されたことを経験している三浦さんです。それなのにまた何かを信じるということは、愚かなことだとも感じられました。けれども、自らを石打つ彼の姿に、三浦さんは、その愛を信じてみようという気持ちになるのです。


虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。」(p.106)

釈迦も同じように人生に虚しさを感じて、出家を選んだと三浦さんは言います。ご自身も、敗戦によって信じていたものが打ち砕かれ、虚しさの中に生きていました。そういう虚しさの極限まで行った時、通じるものがある。三浦さんはそのことを感じて、まじめに求めるようになっていったのです。


わたしは、男性の、わたしへの愛の言葉を、幼子がおとぎ話を聞くような、熱心さと、まじめさと、興味とあこがれをもって聞いたのです。なぜなら、男が女を愛すること、女が男を愛することは、わたしにとって大切な問題であったからです。」(p.116)

女に「魂」の生活があるってことを知らない男性たちが、何と多いことでしょう。」(p.117)

三浦さんには多くの取り巻き男性がいたことで、他の女性からは「妖婦(ヴァンプ)」と噂されていたそうです。三浦さんは、心から興味を持って男性の話を聞いたのでしょうね。その聞き上手な態度が、男性を惹きつけたのでしょう。わかる気がします。

しかし、三浦さんは男性の軽薄な愛の言葉に惹かれることはなかったようです。そういったものへの興味はまったくなく、心から魂の救いを求めていたように感じます。


いま生きたいと思っていることも、確かにそれはわたしの願いであり意志であるはずなのに、何とわたしたち人間の意志は、簡単にふみにじられることだろう。
 そう考えてくると、わたしはこの世に、自分の意志よりも更に強固な、大きな意志のあることを感ぜずにはいられなかった。
」(p.123)

自殺しようとしても死ねなかった。生きたいと思っても死んでしまう。そういう重大なことだけでなく、日常生活においてさえ、私たちの計画(意志)は、その思い通りにはなりません。三浦さんはそこに、絶対者である神の存在を感じられたそうです。


人間は、見たところしあわせそうに見えたとしても、必ずしもしあわせとは言えませんからね。」(p.147)

ひょっとしたらあの看護婦さんは、昨日縁談がこわれたかもしれない、と恋人の前川正は言います。たしかに、その人にどんな事情があるかは、その人しかわかりません。そしてその事情を、その人がどう捉えているのかも。

だからね、断定的にあの人たちは幸福だなどと、羨ましがってはいけませんよ。言えることは、いまぼくは、綾ちゃんと二人でこの芝生を歩いているだけで、じゅうぶんしあわせだということですよ」(p.147)

こんなことを語ってくれる素敵な男性が、三浦さんの恋人だったのですね。


ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。」(p.179)

親が子を愛することも、男が女を愛することも、相手を精神的に自立せしめるということが、ほんとうの愛なのかもしれない。「あなたなしでは生きることができない」などと言ううちは、まだ真の愛のきびしさを知らないということになるのだろうか。」(p.179)

親子の間だけでなく男女においても、依存させることではなく自立させることが本当の愛。そういう真理に、三浦さんは気づかれたのですね。


人の見舞物も、この太陽の光と同じように、わたしに降りそそぐ人間の愛ではないだろうかと思った。人の愛を受けるのに必要なのは、素直に感謝して受けるということではないだろうか。」(p.182)

西村という人が見舞物を持って来た時、三浦さんは断ったそうです。すると西村は、太陽の光を受けるのに、どっちから受けるかなどとしゃちほこばって受けるか?と言うのです。

そう言われてみると、太陽の光は礼を言うこともなく平気で受け取っています。天の愛を、そのように何の気兼ねもせずに受け取るのなら、人の愛も同じではないか。そう三浦さんは思われたのです。


だが、翌日訪ねて来た彼の顔を見ると、わたしは、別段何の悪いこともしていないのだと思ってしまうのであった。彼は彼で妻を愛し、わたしはわたしで前川正を愛している。その二人が、こうしてつきあっているからと言って、なぜ悪いのかと開きなおる気持ちがわたしの中にあった。」(p.192)

入院中、同室の女性がご主人のことを話したそうです。ご主人は、会社の女の子とよくコーヒーを飲みに行っているのだとか。何もないと言うらしいのですが、そう言われても仲良くしている姿を想像すると嫌でたまらないのだと。それを聞いた三浦さんは、同情して相槌を打ったそうです。

もし自分が彼女と同じだったら、と考えたのです。三浦さんの恋人が他の女の子と親しくしていたら・・・と。ところがその時、三浦さんはかつての婚約者の見舞いを受けていました。その婚約者はすでに結婚しています。これは同じことではなかろうかと思われたのですね。

それでも、自分の立場からすると悪いことをしているとは思えない。もし恋人がそのことを悩むなら、くだらないと笑い飛ばしたくなる。まさに相談してきた女性の夫と同じなのです。

人は、それぞれの立場で感じ方や考え方が違います。どっちが正しいわけではなく、それぞれに正しさがあるのですね。


神の御計画が、人間のわたしにわかるわけがなかった。しかし神が愛の方である以上、前川正の死は、それなりに神の定めた時であり、最もよしとした終わりであったにちがいない。わたしはそう思うようになって行った。」(p.251)

早すぎる恋人の死を嘆き、神に不満を言っていた三浦さんですが、ある時、自分の態度が間違っていたと気づかれたのです。神が愛であり、正しい方であるなら、間違ったことをされるはずがない。そうであるなら、今の自分には理解できないとしても、恋人の死は、最も良い時に、最も良いこととしてなされたことに違いないのだと。

「神との対話」でも、このことは示されています。だからマスターは、起こったことをすべて「好ましい」として受け入れるのです。


どんなにわたしが彼を愛していたところで、神がわたしに彼を与えてくださらないのなら、それもまた仕方のないことだと思った。この頃からわたしは「必要なものは必ず神が与え給う。与えられないのは、不必要だという証拠である」と信ずるようになって行った。わたしは以前ほどあくせくしなくなった。」(p.285)

旧約聖書のヨナ書の話を聞いて、三浦さんは信仰を深められたそうです。後に結婚された男性との関係で悩んでおられたのですが、このことから執着せずにいられるようになったのだとか。

これも「神との対話」に示されていることでもあります。起こることが良いことなら、何が起こるか、起こらないのかと、いちいち気にする必要はないのです。


この小説は、三浦さんの人生に実際に起こったことです。事実は小説より奇なりと言いますが、まさにそうですね。
三浦さんがどういう出来事を通して信仰を深めて行かれたのか、そのことがよくわかります。小説と言うより、三浦さんの信仰の歴史であり、告白であるように思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:35 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月07日

神との友情・上下(目次)

「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
過去ログを読めるのですが、順番にしか読めないので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)

また、露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。

それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


「神との友情・上下」

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「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。

●上 第2章
01「幻想を打ち砕くことが使命」
 (2018年8月1日)1回目(〜上 p.31)
02「神と友情を結ぶ出発点」
 (2018年8月2日)2回目(〜上 p.49)

●上 第3章
03「恐れない勇気が重要」
 (2018年8月3日)1回目(〜上 p.64)
04「真の友情は壊れず役に立つ」
 (2018年8月6日)2回目(〜上 p.73)

●上 第4章
05「友情を結ぶ7つのステップ」
 (2018年8月7日)1回目(〜上 p.81)

●上 第5章
06「ステップ1:神を知ること」
 (2018年8月8日)1回目(〜上 p.84)
07「神を知るには意志が重要」
 (2018年8月9日)2回目(〜上 p.87)
08「身体をチェックする」
 (2018年8月10日)3回目(〜上 p.94)

 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:06 | Comment(0) | 目次「神との対話」シリーズを読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月06日

心の扉を開く



フィンドホーンという共同体を創り、スピリチュアルな生き方を提唱されたアイリーン・キャディさんの本を読みました。レイキの仲間で、Facebookにこの本の言葉を紹介されてる方がおられたので、それを見て興味を持って、買ってみたのです。

随分前に購入したのですが、いろいろあって読むのがのびのびになっていました。内容について、だいたい知ってることだなと感じていたのも、遅れた理由の1つですけどね。

この本は、1ページに1つのテーマで、アイリーンさんの言葉を紹介しています。ちょうど1年で読めるように、月日が振り当てられています。月ごとのテーマに、特に関連性はないようです。また、似たような内容も多いです。

翻訳は、スピリチュアル界の大御所でもある山川紘矢氏と、川瀬勝氏羽成行央氏の3人です。3人が4ヶ月ごとに翻訳を担当されたとか。それぞれの思いで表現された言葉そのままで、3人の書き方の調整はしてないそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

過去のあやまちを、くよくよ考えて時間をむだにしてはいけません。過去からは、ただ学ぶべきことだけを学んで、先へ進み、人生をエンジョイしなさい。そしてあらゆるものにたえず感謝をささげなさい。」(1・21 p.26)

1月21日の「素晴らしい人生に感謝しなさい」というタイトルの文章です。感謝を捧げることがテーマなのですが、いつまでも過去にとらわれていてはいけない、という内容に注目しました。「神との対話」でも、罪悪感は敵だと言っていますから。


手を休めてわたしの言葉を待ち望むことは、どんなに困難な状況をも解決する、秘密の鍵なのです。あなたはなぜ、それを証明してみようとはしないのですか。なぜ、それを実行に移して成果を確かめようとはしないのですか。どんなにすばらしい考えも、実際に試みてみるまでは、たんなる理論にすぎません。」(3・4 p.71)

「神との対話」でも、自分の人生でそこに書かれていることを証明するよう言っています。アイリーンさんも、自分の中にいる神の言葉を聞き、それに従うように言われています。そして、それを行動に移して、その素晴らしさを証明せよと言われるのです。


あなたの仕事は新しい世界を創ることです。ですから、個人の悩みごとやトラブルにかかずらわっていてはいけません。病気や苦しみ、世の中のもめごとや争いに心を奪われていてはいけません。」(3・14 p.81)

個人の悩みごとやトラブルだけでなく、世間のもめごとや争いさえ、無視しろと言います。たとえば、北朝鮮がどうしたとか、自民党がどうだとか、そんなことは放っておけと言うのです。実際、スピリチュアル的な考え方がわかってくると、こうあるべきだなと思えてきます。ついついとらわれてしまうので、自戒を込めて引用しました。


あなたの中に競争意識を住まわせないようにしなさい。すべての人がそれぞれの役割をになって全体に奉仕していることを悟れば、競争心はすっかり消えて、あなたはリラックスし、自分自身になることができるのです。
(中略)
あなたには、全体の中で果たさなければならない独自の役割があるのです。あなたの能力を最大限に発揮して、その役割を果たしなさい。
(中略)
あなたは、わたしと一体であることを受け入れられたときはじめて、あなたがたがお互いどうし一体であることを受け入れられるのです。」(3・16 p.83)

神と一体であること、全体が一体であることを、アイリーンさんも語っています。それぞれに異なる役割があるのですから、競争する必要もないし、価値の軽重を比べる必要もありません。


生活をできるかぎり単純にし、単純なものの美しさと、すばらしさを充分に味わいなさい。
(中略)
幼な子のようになって、一見なんの意味もない日常のささやかなことに、美しさとすばらしさを発見し、楽しめるようになりなさい。花の美しさ、小鳥のさえずり、日の出の荘厳な眺め、窓のガラスをゆっくりと流れ落ちる雨のしずく。ほんとうにものを見る目で眺めたとき、それはなんと単純で、しかも、なんと美しいことでしょう!」(3・29 p.96)

シンプルライフの勧めです。単純にすることで、本質的な美しさが浮き彫りにされます。そして、そういう美しさ、素晴らしさに気づく生き方が、スピリチュアルな生き方として重要なのですね。


愛は、けっして所有することではありません。愛は、愛する人たちを解き放つものです。所有欲に駆られていては、相手を助けることなどかないません。すべての人には、自分自身を見つけ、わたしが導いていくそれぞれの人生を生きるという、完璧な自由がなければいけないからです。」(5・2 p.133)

愛が所有ではなく、相手を解き放ち、自由であることを、アイリーンさんも言っています。


わたしを真に愛し、すべてにおいてわたしを第一に考える人たちにとっては、すべてがうまくいくのだということを世界に示してあげてはどうでしょうか。奇跡がつぎつぎと起きるのを予期して、それが実現するのを目にしましょう。」(7・2 p.197)

ここでも試してみるように言っています。神を第一に考えるなら、すべて上手く行く。しかも奇跡が次々に起こるから、それを期待して、現実のものにしようと言います。これは勇気を与えられますね。


現在の世界にある、多くの混沌と混乱に対する答えを求めている人がたくさんいます。日一日と、それは悪化しています。でも恐れることはありません。ものごとが良い方向に向かうためには、まず悪くなる必要があるからです。
(中略)
憎しみ、強欲、嫉妬や、利己主義などの毒が排出され、癒しが起こる前に、世界の状況は、まず大きく「腫れて」、最悪の状態まで至らねばならないのです。あなたには、内面が完全なやすらぎの状態でいてもらわなくてはなりません。
(中略)
自分が巻き込まれるのを許してしまっては、世界の状況を救うことはできないのです。」(7・16 p.211)

ここでも、世間のことを心配するなと言っています。それどころか、環境問題とか世界情勢など、悪い方向に向かう必要があるのだから、それを恐れずに内面の平和を保つように言います。逆説的ですが、世界を救うにはまず自分を救うこと。自分が安心していなかったら、世界は救えないのです。


自然に振る舞い、直観で行動することを学びなさい。それが妥当であり分別ある選択だとあなたの理性が言うことだけでなく、心の命ずるままを行うことを学びなさい。純粋な愛だけの行為は、他の人の目から見れば、あまりに妥当性を欠き、ばからしいとさえ映ることもあるかもしれませんが、それはどうでもいいことです。つき動かされたなら、すぐに行動しなさい。立ち止まって天秤にかけてはいけません。なぜそれをするのか考えたりすることさえしてはいけないのです。」(8・2 p.229)

直観で動くこと。理性にじゃまさせないこと。そのためにも、思い立ったらすぐに行動すること。「神との対話」でも、理性を黙らせるよう言っていますね。


自然な形ではなく、意図的に誰かを愛そうとするのは、最初から負けがわかっている戦いのようなものです。
(中略)
霊(たましい)が成長し、わたしの神なる愛の意味がわかるにつれて、普遍の愛の意味もわかってきます。とくに努力を傾けることなく、ごく自然にそれが花開いていくのに任せなさい。もっと愛したいという深い内面の切望だけがあればいいのです。」(8・15 p.242)

無理して愛そうとすると、それは愛からかけ離れてしまいます。愛は自然に流れるものですから。ただ、本当の愛でありたいという思いだけ持っていれば、それでいいと言うのです。


あなたには与えるものがたくさんありますが、与えるということについてあまり考えないほうがうまくいく、ということがわかるでしょう。人のことを考え、人のために生き、人に尽くすために自分のことはすべて忘れて、人生から何かを得ようなどと考えもしないようになればなるほど、もっと幸せになれるのです。
(中略)
与えるときには気前よく与えなさい。そのせいで何か足りなくなることなどけっして恐れてはいけません。それを恐れているなら、真の意味で与えているのではないのです。」(8・25 p.252)

「与えている」という意識が強いと、かえって「無くなるのでは?」という不安が強くなります。だから、与えているとも思わず、無くなることを気にせず、気前よく与えよと言うのですね。恐れなければ足りなくなることはないのだと。なかなか難しいかもしれませんが、これもまた挑戦ですね。


もし、世界に平和と調和をもたらしたいと望むならば、まず最初に、自分の心に平和と調和を見つけなさい。平和についていろいろ議論を戦わすことは時間のむだです。ただ平和を求め、平和を発見し、平和になることが必要です。心が平和になった時、あなたは多くの人々の人生に平和と調和をもたらします。」(9・2 p.261)

前にもありましたが、世間がどうのこうのと心配する以前に、自分の心に平和を築くことが重要なのです。「平和のために戦うぞー!」なんてのは、ナンセンス極まりないってことですね。マザー・テレサさんが、反戦集会には参加しなくても、平和集会には参加したいと言われた意味が、これでもわかるかと思います。


すべてを正すための第一歩は、あなた自身の中にあります。それはあなたが、日々接する人びととの個人的な関係を改善することから始まります。あなたとうまくゆかない人々をあげつらい批判することはやめましょう。」(9.12 p.271)

これは、私への警句です。自分と意見が違う人を糾弾することは、分離を認め、広めることになります。すべての問題の根源は、自分自身の中にあるのだと認めること。自分の心を治めなければ、世界の平和はないのです。


私を知るためには、心の中に愛を持たなくてはなりません。なぜなら、愛がなければ、私を知ることはできないからです。
(中略)
ただ愛し、その費用のことは考えてはなりません。けっして報酬を求めてはなりません。愛を与えすぎることはありません。だから恐れることなく、あなたが行きづまっている時でさえ、愛の流れをとめないようにしなさい。人生が大変な時、人は心を閉じて、傷つかないように身をひいてしまうものです。でも、そうしないでください。そうすれば、もっと苦しくなり、こわれやすくなるだけです。」(9・17 p.276)

ここでも、恐れることなく与えること、それが愛だと知り、実践することを求めています。無条件に与え、報酬すら求めないこと。それでも行き詰まることはないから恐れるな。それを人生で証明せよということなのでしょうね。


多くの人々は、まわりのものすべてに目を閉じたまま、一生を過ごし、自然の奇跡も目に入りません。つまり、人生の奇跡を見そこなってしまうのです。あなたが美しさ、調和、平和、のどけさをまわりの小さなものたちの中に気づくようになると、その気づきはどんどん深まって、人生のすべてが不思議の国になり、あなたは子供のように起こることすべてに、目を見開いて人生を歩むようになります。そして最もすばらしいことが起こることを期待するようになり、しかも、それを実際に引き起こしてしまいます。人生にいっときもたいくつすることはありません。なにごとも、当然のこととして受けとめなくなり、すべてに感謝できるようになります。」(11・4 p.327)

奇跡は、日々、瞬間瞬間に起こっています。ただ、そう見ない人が多いだけで。たとえば、蒔いた種から芽が出るのだって、どうして「当たり前」と言えるのでしょう? 眼の前のものが見えるのは、「当たり前」でしょうか? それらを「当たり前」だと考える人は、奇跡を信じません。だから感謝できないのです。「当たり前」の反対が「有り難い(=奇跡)」ですから。


人生において一番大切なレッスンは愛を学ぶことです。
(中略)
愛は不変で、しかも全体なのです。愛に限界はありません。愛に壁はありません。愛と共に自由があります。人をしばりつけ、限界づけているのはおそれです。」(11・16 p.339)

ここも愛の定義ですが、愛は自由であること、その反対は恐れ(不安)であることが示されています。これは「神との対話」で示されていることそのものですね。


あなたの安心が、銀行の貯蓄に頼っていて、好きな時にそのお金が引き出せる時、信仰によって生きることについて語っても、意味のないことです。あなたの信仰と安心が真に私に根ざし、地についた時、あなたは何も持たなくても、高い崖のふちから飛び降りることができ、不可能と思えることが可能となります。その時初めて、あなたは信仰に生きることについて語り、証明することができるのです。」(11・21 p.344)

自分の身を安全な(と思われる)状態に置いて、信仰を証明することは不可能だと言います。何もない状態で、つまり背水の陣を敷いて、それでも断崖絶壁から平然と飛び降りることができる。そのことによってのみ、信仰を証明できるのです。これは、この世にどっぷりと浸かった人としてはハードルが高いのですが、そこまでしてでも神の奇跡の証(あかし)を立てよ、ということなのだろうと思いました。


今日一日のペースを決めるために、朝起きたらすぐ、一日の雑事にまきこまれる前に、静かにすわり、神と同調する時間を保つ練習をしましょう。
(中略)
それらを愛とインスピレーションで満たし、今日一日は最高のものとなるという期待で心をいっぱいにしましょう。」(12・9 p.364)

昨年亡くなった母の誕生日のメッセージですから、きっと何か意味があるのでしょう。私は、瞑想するというのは、どうにも性に合いません。これまで何度もやろうとしましたが、そのたびに続かなかったのです。ですが、「朝」、「神と同調する」ということは、心がけたいと思います。そのことを忘れないために、引用しておきました。


この本は、「神との対話」とは違い、「なぜそうなのか?」という疑問には答えてくれません。ただ、自分の中に神があり、その思いにしたがって生きるべきだということ、そうすればすべては上手く行くということが、言葉を変えて示されています。

すでに信仰を持っている人にとって、こういう言葉は励みになるでしょうね。私もそう感じました。でも、まだそういうことがわかっていない人にとっては、あまり力にならないかもしれません。

ただ、そうであったとしても、ここに書かれた言葉の中の1つに感応し、そこから信仰が深まることもあり得ます。あんなにわけがわからない聖書でさえ、多くの人を引き寄せたのですから。

そういう意味で、この本もまた、それに感応する人であれば、それなりに意味があるのだろうと思います。ここには私が感応した言葉を引用しましたが、それで何かピンとくるものがあれば、ぜひ本を手にとって読んでみてくださいね。

心の扉を開く
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:44 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月30日

店を閉めることにしました

バンコクに再移住してから1ヶ月、その前に住んでいた妻の実家に先日、戻ってきました。

7月28日(土)の朝、戻ってきたのですが、すでに「生まれた子犬たち」の記事で書いたように、飼い犬のミー(熊)ちゃんの子どもたちが生まれていました。

昨日(29日)は、ブログを書いたり、その子犬の様子を見たりしながら、一日を過ごしました。なんとゆったりした時間の過ごし方なのでしょうね。


可愛い子どもたちの写真を撮りました。

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会うのもこれが最後かと思うと、感慨もひとしおです。

7匹の内、とりわけ身体が小さいチビちゃんがいて、何とかミルクを飲ませようと思うのですが、やはりなかなか飲まないんですね。

兄弟たちから踏みつけられたり、噛まれたりしながら、それでも何とか生きています。

無事に育ってくれよと祈らずにおられません。


そんなふうにミーちゃんの子どもたちを見ていると、スア(虎)くんが必ずすり寄ってきます。嫉妬でもしているのでしょうか?

私はあなたのお母さんじゃないんだけどね。でも、頭をこすりつけてくる姿を見ると、何だかいじらしくなります。

今日、バンコクに向けて出立します。スアくんとも、しばらくの間、またお別れですね。

 

昨日、妻とお義母さんとの間で、重要な決定がなされました。

実家の前でやっていたルークチン屋さんを閉めることにしたのです。

せっかく自力で東屋を建て、少しずつ改良して行ったのですけどね。

理由は単純で、儲からないからです。


私からすれば、まあ当然なんですけどね。

1串5バーツのルークチン揚げを売るのに、どれだけの原価がかかるのか、妻は把握してないのですから。

せいぜい、仕入れたルークチンとの差額くらい。他に油、ガス、串、ビニール袋など、たくさんの経費がかかるというのに。

私が口出しをすると、いつも「うるさい」「だまれ」とばかりに文句を言うので、私もあまり多くは言いません。


昨夜、私から尋ねてやっと、妻は店を閉めることを話しました。

「ふーん、そうなんだ。」

私がそう言うと、その言葉が否定されたように感じるのか、こんなことを言います。

「あなたわかってるの!?油やガスやつけダレやガソリンなど、たくさんお金がかかるのよ。やっていけるわけないじゃないの!」

はいはい、最初に私がそう言ったんだけどね。それに対して、「やってみなきゃわかんないでしょ!」と言ったんだよね。

まあいつものことですから、もう何とも思いませんけど。


いよいよ今日の午後には出立するので、店じまいされて哀愁ただよう東屋の写真を撮ってみました。

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やはり無理だったかぁ。

わずかでも儲けが出るなら、お義母さんの仕事にもなるからいいかと思ったんですけどね。


これまでにも、子豚を飼うからと言うので、始めるための資金を提供したこともありました。

それも、1年もせずに高く売れないからと言ってやめてしまいました。


その前には、農地を2ヶ所買ったのですが、1ヶ所目は他の人に貸して、貸し賃はお義母さんの懐へ。

2つ目は、買ったものの使い勝手が悪いのか、今は売りに出しています。

私は、いずれ農業でもすることになったら、最低でもこのくらいの面積の農地が必要になるだろうから、と思って買ったのですけどね。


まあ、素人がそう簡単に上手くいく方法に行き着くわけがない、という好例ですね。

上手くいく人には、上手くいく人なりの理由があるのです。


ということで、また振り出しに戻ってしまいましたね。

さて、バンコクでの生活をどうしたものか。

悩ましいところですが、「下手の考え休むに似たり」と言いますから、「果報は寝て待て」と言うように、しばらくのんびりと過ごそうと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:36 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月29日

国際電話よりも便利なLINE Out(LINE通話)

タイで暮らしていると、どうしても日本へ電話をかける必要が出てきます。

相手がLINEなどインターネット通話に応じてくれるならいいのですが、必ずしもそうではありません。

そんな時に便利なのがLINE Out(LINE通話)です。


これは、インターネットを使った通話と、通常の電話回線を使った通話をつなげたものになります。

たとえばタイから日本へ電話をすると、自分のスマホから日本の基地局まではインターネットを使った通話で、そこから相手の電話までは電話回線を使うということになります。

つまり、こちらからはLINEを使って電話をかけますが、相手は通常の電話機で受信することになります。


こういう仕組み(LINE Out以外にもあります)を利用すると、相手に通常の電話回線の電話しかないとしても、こちらが通常の電話回線を使って電話をかけなくても済むことになります。

つまり、国際電話をかけなくていいということですね。

国際電話をかけないのですから、料金もそれなりに安くなります。

通常のライン通話のように無料にはなりませんよ。インターネットの通話区間は無料ですが、基地局から相手の電話機までは通常の電話料金がかかりますからね。それでも、国際電話よりお得です。


さらに便利なのは、ローミング通話もしなくてよいことです。

タイのスマホを日本へ持って行くと、自動的にローミングされます。そのまま電話をかけると、ローミング料金がかかります。これがけっこう高いのです。

タイの電話を持って日本にいる時、ローミングで電話をかけると、相手が日本の電話なら、ローミング料金に国際電話料金が加算されます。

相手がタイの電話でも、ローミング料金がかかります。

もしLINE Outを使えば、これがかなり安くなるのです。


ただし、欠点もあります。LINE Outでの受信はできません

したがって、相手からかけてくることは不可能です。もしローミングしている時に着信があったら、それは受信せず(受信してもローミング料金がかかりますから)に、こちらからLINE Outでかけ直す必要があります。

 

いずれにしても、とても便利な機能です。まだ使ったことがない方も多いでしょうから、大雑把に使い方をご紹介します。

この説明ではよくわからないという方は、質問をコメントにください。あるいは他に、もっと詳細に紹介されたページがありますので、そちらをご覧くださいね。


@LINE Outを設定する

特に設定しないと使えないのかどうかよくわからなかったのですが、LINEから使う方法が探してもわからなかったので、LINE Outのアイコンをホーム画面に作ることにしました。

※下の<追記>Dで、アイコンを使わない方法を説明しています。先にそちらをご覧ください。

まずLINEの「設定(ギヤマーク)」の画面を開きます。

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開き方は、上のように「・・・(その他)」のメニューから「設定(ギヤマーク)」をタップするか、「友だち(人マーク)」のメニューから少し小さめの「設定(ギヤマーク)」をタップするか、いずれかになります。

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「設定」の画面の下の方に「LINE Out」とあるので、それをタップして開きます。

ここ(下)がLINE Outのメニューになります。

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この下の方に「ホーム画面に追加」とあるので、それをタップし、以降は支持に従ってアイコンを作成します。

作業が終わると、ホーム画面に下のようなアイコンができているはずです。

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これができれば、あとはここをタップしてLINE Outを使うだけになります。


ALINE Outを使えるようにする

まだ使ったことがないのであれば、使えるようにするための設定が必要です。

LINE Outはプリペイド方式なので、事前にお金を入れる必要があるからです。それがクレジットの購入になります。

先ほどのLINE Outのメニュー画面(下)ですが、この上部に「コールクレジット」とあります。

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これが、プリペイドで入金された状態を示します。

つまり、LINEが発行する「コールクレジット」を購入し、その所有する「コールクレジット」の範囲で通話できるという仕組みです。

「コールクレジット」を購入するには、その下の「コールクレジット購入」をタップします。

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100クレジットを120円で購入できるとあります。

ここで「購入する」をタップし、以降はその指示に従います。支払いは、クレジットカードなどでできますよ。

120円からの購入ですから、たとえ使い切れなくても、さほど惜しくないと感じる金額かと思います。


BLINE Outを使う

@で作成したアイコンをタップすると、LINE通話の画面になります。

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相手の電話にかけるには、左上(または下)にプッシュ番号のマークがありますので、それをタップすると電話番号が入力できます。

その画面の上部に、かける対象の国と国番号が表示されています。日本なら「日本>」「+81」です。変更したい場合は、「日本>」をタップすると、かけられる相手国の一覧が表示されますので、そこから選びます。

「最近通話した国」「主要な国」「すべての国」でカテゴリー分けされるので、使うほどに使いやすくなります。最初は「すべての国」から選ばなくてはならないかもしれませんが、カタカナの五十音順、その後、漢字となりますので、日本や中国は最も下の方にあります。

あとは、普通に電話をかけるように、相手の電話番号をプッシュ(タップ)するだけです。下の真ん中の電話マークをタップすると電話がかかります。

一度通話をすると、上記LINE通話の画面に、通常のLINE通話と一緒に通話の履歴が表示されます。

見づらいですが、右側にLINE Outで通話したことを示すマークがあります。左の人のアイコンに緑のLINE表示がないのも目印になります。

その履歴をタップすると、相手の情報が表示されますから、そこにあるLINE Outのマークをタップすれば、再び電話をかけることができます。

LINE Outをしていない人の情報には、LINE Outのマークがありません。通常の通話マークですから、LINE通話をかけられます。


C通話料金の情報

こうしてLINE Outで通話をすると、購入した「コールクレジット」が消費されます。

その履歴は、LINE Outのメニュー「使用履歴」(下)に残ります。

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「コールクレジット」の残高は、LINE Outのメニューの上部に表示されています。

LINE Outで通話した場合の料金は、「コールクレジット」の消費が通話1分(1分以内で切れた場合も含む)あたりいくらになるかで計算できます。

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上は相手が日本の場合ですが、固定電話なら1分0.96バーツです。(バーツ表示を選んでいるためです。表示単位はLINE Outのメニューで変更できます。)

これは3クレジットに相当します。ですから上の履歴の写真にあるように、1分3クレジットごと消費されています。

携帯電話へかける場合は高くなって、固定電話の4.7倍くらいのようです。

タイにかける場合は、携帯電話も固定電話も同じ料金です。(下)

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日本へかけるのに比べると、固定電話で倍になりますが、携帯電話だと半額以下です。

このように、国によって値段設定にいろいろ違いがあります。それぞれの国の事情によるものなのでしょう。

面白いのは、どの国から発信しても同じ料金ということです。

考えてみれば当たり前なのですけどね。発信側はインターネットなので、着信側の国の電話事情しか関係がありませんから。



◆お知らせ◆(2018年7月末時点の情報です)

こういったスマホの使い方を、シニア向けにやさしく教えている場所があります。

スクンビット・ソイ35入ってすぐにあるサロン・オ・デュ・タン「スマートフォンを楽しむ会(スマホ会,スマホ教室)」です。

すでにスマホをお持ちの方で、電話、メッセージ、メール、LINE、写真、画像編集、Youtube、Googleマップなどの使い方でお困りの方は、参加してみられてはいかがでしょうか。

この記事に書いたLINE Outの使い方は、スマホ会の題材としてはレベルが高い方になりますが、個別対応でご質問にお答えしています。

関心がおありでしたら、遠慮なく上記リンク先にお尋ねください。私も、時々講師として参加していますので。


<2018年8月2日追記>

D「通話」アイコンを設定する

通常のLINEの画面では、メニューに「LINE TODAY」というのが入っています。

line20180802-3.jpg 

iPhoneでは右下にある四角いマークです。

ここを「通話」に変えることができます。
そうすれば、ホーム画面の通話アイコンをタップしなくても、LINEから通話が可能になります。(上記BのLINE通話の画面が開きます。)

まずは「設定」−「通話」で通話の設定画面を開きます。
その最下段にある「通話/LINE TODAYタブ表示」をタップします。

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デフォルトでは「LINE TODAY」にチェックが入っています。

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これを、「通話」をタップして、通話にチェックを付けます。

「設定」を終了して元に戻ると、「LINE TODAY」のアイコンが「通話」のアイコンに変わっています。

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このアイコンをタップすれば、LINE Outなど、LINE通話ができますよ。お試しください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:54 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生まれた子犬たち

この前、日本の私の実家に帰省しましたが、今度はタイの妻の実家へ帰省です。

タイは、7月27日(金)から4連休。そのため、バンコクの北バスターミナルは帰省や旅行のための移動者でごった返していました。

20時発のバスですが、渋滞しないようにと早目の16時半に出発し、17時過ぎにバスターミナルに到着しました。

しかし、ベンチに空きがなく、多くの人が床にそのまま座っていたので、私たちも床に座って待つことにしました。


待つこと2時間、そろそろバスも来ているだろうと、バス乗り場に向かいました。

よくあることですが、この日も、乗車券に書かれた番号とは別の場所にバスが停まっていました。

こういうことが普通にあるのがタイ。だから、必ず人に尋ねなければいけないんですよ。


すぐにバスに乗り込んで、これで楽ちん。後は翌朝の到着を待つばかりなり、です。

予定通り20時にバスは出発しました。しかし、22時過ぎにトイレ休憩です。

こんなことは初めてなので場所を確認すると、コンケーンへ向かういつもの2号線ルートではなく、それて北へ向かっています。

コンケーンへ向かう大きな道はGoogleマップには表示されてないし、大丈夫かなぁと心配になりました。

でも、妻は平然としていて、「いろいろの所へ帰る人が多いからでしょ」と理屈にもならない理屈を口にするだけ。


まあ、乗っている他しようがないので、時々Googleマップでチェックしながら、バスに乗っていました。

休憩所を出たバスは、ルートを北東に変え、徐々に2号線ルートに戻ろうとしているのがわかりました。

それで安心して、私も寝ることにしました。

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ちょうど目が覚めた時、スマホの待受けに0が並んでいました。

最近、「1111」とか「333」「444」など、エンジェルナンバーをよく目にします。

でも、「000」は初めてだなぁと思って調べてみると、自分の本来の源を思い出し、高次元とつながる時が来ていることを示しているのだとか。

まあ本当かどうかわかりませんが、悪くはありませんね。


いつもより2時間遅れの朝8時ころ、終点の街に到着しました。

ここからは、おばさんの家に預けてあるバイクに乗って、15kmほど離れた妻の実家へ向かいます。

到着すると、犬たちが嬉しそうに出迎えてくれました。

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飼い犬のスア(虎)くんミー(熊)ちゃんです。

別れる時は妊娠していたミーちゃんですが、2週間ほど前に無事に出産しています。生まれた子どもたちとも会いました。

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全部で7匹。まだはっきり見えないようです。小さくて、コロコロしていて、かわいいですね。


しばらくすると、授乳タイムが始まりました。

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やっぱりお母さんのおっぱいが最高! このむしゃぶりつくさまは、見ているだけで何だか幸せな気分になります。

ということで幸せのおすそ分けをしましょうか。動画に撮りましたので、こちらをご覧ください。




私たちがバイクに乗っている間は、ほとんど雨が降っていませんでした。

しかし、到着してしばらくすると雨が降り始め、それからずっと雨でした。ラッキーですね。

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とても涼しくて、扇風機も要らないほど。いやぁ、快適です。

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ハンモックに揺られながら、まったりしているところです。


今回の目的は、バンコクへ移住した時に持って行けなかった重要なものを持って帰ること。プリンターなどを持って帰らないとね。

それ以外には、特に用事もないので、まったりして過ごすことにしています。

お義母さんは、私たちから引き継いだ店でルークチンなどを売っていますが、今回は手伝うこともないでしょう。

私は手を引いたのですから、余計なことはしないつもりです。頼まれれば手伝いますけどね。

ということで、あと数日、この涼しいタイの田舎で過ごします。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:30 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

折り鶴に込めたメッセージ

前回の記事で報告したように、折り鶴の物販を始めました。

このことが、私の生計の足しになるかどうかなど、度外視した行動です。

ただ、こんなことをしたら面白いな、という動機ですから。


この後、WEBサイトに物販のページ「夫婦鶴本舗」を作成しました。

インスタグラムブログも、このページの宣伝用という位置付けです。

私の作品を欲しいという方がおられたら、きっとこちらのサイトから申し込みがあるでしょう。

 

さて、この折り鶴を販売しようと思ったきっかけですが、2つあります。

その1つは、夫婦鶴というアイデアです。

検索してみるとわかるのですが、連鶴というのはたくさんありますが、夫婦鶴というのはそんなにありません。

また、私が思っているような夫婦鶴は、ほぼありません。

つまり、私が作る夫婦鶴には、オリジナリティがあると思うのです。

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「幸せを呼ぶ紅白の夫婦鶴」ですが、紅白の色がめでたいから「幸せを呼ぶ」と言っているだけではありません。

この翼のつながり方が、手と手をつないで同じ方向に飛ぼうとしている姿に見えることも、重要な要素なのです。

このことは、夫婦鶴本舗のブログ記事「妹背山という連鶴」に書きました。


もう1つのきっかけは、ワールドカップです。

国を代表して戦うサッカーの世界的なイベントです。

しかし、相手を敵視し、ただ勝てば良いということだと、非常に味気ない気がするのです。

せっかく何かの縁で対戦相手になったなら、それを機会に相手国のことを知ってみる

そのことによって、実は非常に深い縁があることに気づくこともあろうかと思います。

日本対ポーランド戦、日本対ベルギー戦など、今回もいろいろと気づくことがありました。





スポーツでは戦い合うかもしれませんが、本当は手を取り合う仲間です。

そのことを、折り鶴で表せるのではないかと思いました。

そのインスピレーションをくれたのは、この折り紙です。

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国旗を背負った折り鶴。もしこれが手を取り合ったら、素敵だと思いませんか?

私は、国をイメージする国旗を背負った折り鶴を連鶴として手を取り合わせたいのです。


今回、もう1つ折り鶴の使い道を見つけました。

それがメッセージカードです。

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これは、ある方の誕生日のお祝いに、メッセージカード代わりに折り鶴を付けた花束を贈った写真です。

これも夫婦鶴本舗のブログ記事「お花を贈るなら」で紹介しています。

折り鶴の翼に、お名前や誕生日など、少しですがメッセージが書けます。

今回のようにビニール袋に入れるのであれば、別途、メッセージを書いた紙を添えることも可能です。

そして、これの良いところは、後腐れがないということです。

なぜなら、贈った折り鶴は燃やしてもらえるからです。

折り鶴を燃やすことで、鶴は天に昇って祈りを伝えてくれる。

そんな神話的な要素が、折り鶴を使うことで生まれます。

今回、たまたま夫婦鶴を使ったのですが、贈った方のご主人は、もう数年前に亡くなられていました。

その方は、きっと祈りが天国のご主人に届くだろうからと、飾ってしばらくしたら燃やすと言われました。

そのことをお聞きして、これはとても素晴らしい演出ではないかと思ったのです。

祈りは必ず伝わります。それは真実です。でも、こうやって折り鶴を使えば、それが本当だと信じてもらえやすい。

そのことが、とても素晴らしいなと感じたのです。


どうなるかはわかりませんが、ここで書いたように、私としては多くの人の幸せに貢献する素晴らしいアイデアだと思っています。

だから、結果を度外視してやってみようと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 00:15 | Comment(0) | 夫婦鶴本舗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月20日

折り鶴の物販を始めました

先日までの帰省中、なかなか眠れない夜がありました。

その時にふと考えついて、妄想した挙げ句、眠れなかったこと。それが折り鶴の物販です。

「そんな誰でも作れるようなもの、売れるわけないじゃないの!」

そう言いたい気持ちをぐっと抑えて、インスピレーションにしたがって、とりあえずやってみることにしました。

どうなるかはわかりませんが、楽しみながらやってみます。


まずは、新たなブログを作りました。

「夫婦鶴本舗(めおとづるほんぽ)」

営業的にはあまり良いタイトルとは言えませんが、とりあえずスタートです。


続いて、これまで封印してきたインスタグラムも始めました。

「akasan_meotozuruhonpo」




そして、ココナラに作品を出品しました。

「紅白夫婦鶴(こうはくめおとづる)」

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「できるかどうか」を判断するのはやめて、「やりたいかどうか」で動いてみる。

そして、動いた結果については気にしない

そういう気持ちで、やってみようと思います。

とりあえず今日はここまで。明日はまた、いろいろ追加しようと思います。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 00:29 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

バンコクに移住しました!

怒涛の2日間が過ぎました。
前回の記事「バンコクに移住します!」で書いたように、タイの田舎からバンコクに移住することにしたのですが、移住が完了するまでのことを書きたいと思います。

2018年6月30日の夕方、妻の実家を出発しました。
その時、なぜか犬のミー(熊)ちゃんスア(虎)ちゃんも姿が見えず、挨拶できなかったのが心残りです。

18時、バンコク行きのバスが出発しました。
まだ移住先も決まっておらず、不安を抱えたままの出発です。

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ぜんぜん不安を感じさせない写真ですが、指は妻のものです。
こういう時でも遊び心を持ってることって、大切だと思います。


明けて2018年7月1日の朝4時過ぎ、バンコクの北バスターミナルに到着しました。
移動するには早すぎるので、例によってここで時間待ちをします。

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初めてセブン・イレブンのコーヒー(アメリガーノー)を買って飲んだのですが、30バーツしますがなかなかの味でした。
そして、このつぶれたようなストローが秀逸で、熱いコーヒーが楽に飲めました。


8時過ぎ、大きなスーツケース3個をタクシーに積んで、妻と一緒にバンコクのバンナーを目指します。
妻の友人が借りているコンドミニアム(分譲マンション)があり、まずはそこで部屋を探す予定なのです。

9時くらいに到着したものの、レセプションがいません。電話にも出ません。日曜日だからでしょうか?
諦めてこの日は定宿に泊まろうと思った時、電話がつながりました。9時半に来るとのこと。

しかし、実際に来たのは10時くらいになっていました。タイのあるあるですね。(笑)
そこから部屋を3つほど見せてもらい、妻がそのうちの1つを気に入りました。

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30階建ての29階にあり、眺望は抜群です。
部屋は20平米くらいでコンパクトですが、収納も十分にあり、日本のビジネスホテルより広いです。

エアコンは当然ですが、冷蔵庫、電子レンジ、TVといった家電品もついており、1000バーツUPで洗濯機も取り付けてもらえます。
これまで誰にも貸してなかったという真新しい部屋できれいなことも、妻の心を捉えたようです。

それと、スポーツジムやプールなどがあるというのも、妻が気に入っているところなのです。

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私は使うことはないとは思うのですが、妻はダイエットのために運動をしたいとのこと。
スポーツジムのランニングマシンなどを利用するようです。

月額11,500バーツになりますが、ここを借りることに決めました!
保証金2ヶ月分と7月分の家賃の3ヶ月分をキャッシュで支払い、契約手続きを始めました。


部屋を掃除する(?)ということで、しばしロビーで休憩。

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私はビールを飲んで喉を潤し、妻は1Fにあるミニスーパーマーケットのマックスバリュー(イオンです)で買ったものを食べて空腹を満たします。

しかし、いくら待っても掃除をする気配がないので、12時くらいには部屋に入らせてもらいました。
やると言ってやらないのは、これもタイのあるあるですね。(笑)

夕方にはオーナーが来て、キーカードももらえるという話でしたが、これも結局実現しませんでした。
切れていた電球の交換はしてもらいましたが、あとは翌日ということに。

マックスバリューで床を拭くモップを買ってきて、ホコリだらけの机の上や床をきれいにしました。
ベッドのシーツなども新しいものが備え付けてあるので、それを設置すればすぐ寝ることも可能です。


明けて今日2日の10時、オーナーが来てくれたので、ここでやっと契約書を取り交わしました。
エアコンのリモコン、セカンドロックの設定、TVのアンテナ接続など、必要なことをやってもらい、キーも2人分受け取りました。

これで部屋の契約は終了し、バンコク移住が完了しました!


ここは、BTS(高架鉄道)のバンナー駅から徒歩5分という便利な場所です。
部屋から見えるのは、バンナー駅の先のベーリング駅、そして終点のサムローン駅です。

バンコクの中心部からは離れていますが、BTSで通うとすれば、便利でしょうね。(最近はBTSのトラブルが続いていますが。)

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今日は、サムローン駅から400mほど戻ったところにあるインペリアルワールドという商業施設へ行ってみました。
非常に大きなショッピングモールで、その大きさに驚きました。


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コンドミニアムの1Fには、マックスバリューの他にカフェもあります。

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65バーツのホットアメリカーノーをいただきました。
これで65バーツは嬉しいですね。
WiFiはありませんが、ここでノマドをすることが増えそうな気もします。


バンコク移住をした2018年7月1日は、「天赦日」で「一粒万倍日」なのだそうです。

「天赦日」とは、年に5〜6回しかない暦の上での最上の吉日で、もちろん引っ越しは大吉です。
「一粒万倍日」は、お金を借りずに何かを始めるにはとても良い日で、これも引っ越しは大吉。しかもキャッシュで払いましたからね。

と言うことで、このバンコク移住は、私にとってとても良いことになりそうな予感がしています。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:19 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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