2018年10月31日

バカとつき合うな



話題の本を読んでみました。すぐに読みたかったので、Kindle版です。ホリエモンこと堀江貴文(ほりえ・たかふみ)さんとキングコングの西野亮廣(にしの・あきひろ)さんの共著です。堀江さんの本は、以前に「お金はいつも正しい」「もう国家はいらない」を紹介しています。西野さんのは「えんとつ町のプペル」ですね。

Facebookの堀江さんの投稿に、この本の出版を記念した企画をやろうという話があり、2人が飲み屋のママをやって100冊買ってくれた人を招待する、ということでした。で、その100冊を買った証拠をどうするかということで、最終的に100冊を持ってきてもらうことにしたのだとか。「そんなバカ、いるか!?」という企画ですが、さっそく何人かのバカが申し込んでいたようです。これを読んで「面白い!」と思い、読んでみたくなったのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページはありません。コピペの制限もあるので、途中からはKindle版の位置情報が一部なくなります。ご了承ください。

あなた は いま、 自由 です か?

 あなた は 自由 で ある べき だ。
 なのに もし、 あなた が いま 自由 で ない と し たら、その 理由 は 簡単 です。
 バカ と 付き合っ て いる から です。
」(Kindle の位置No.11-13)

まず冒頭で、「自由」と「バカと付き合う」ことの関連性を指摘します。

つまり、 バカ は 遍在 する。
 バカ は ある 意味、 普遍的 な ん です。
」(Kindle の位置No.19-20)

大きな 話 を する なら、 そんな バカ の 存在 が、 人類 文化 の 足 を 引っ張り つづけ て き た ん だ と 思い ます。 正確 に 言う なら、 人類 の 自由 を 邪魔 し つづけ て き た。 同じ 人類 で あり ながら。」(Kindle の位置No.21-22)

昔も今も、そして未来も、「バカ」は存在し続けると言います。そしてその「バカ」によって、自由が邪魔されてきたのだと。
では、どうすればいいのか? 攻撃する必要もなければ、仕方なく受け入れる必要もないと言います。

だから、 あなた が できる こと は ただ ふたつ だけ。

「バカ と 付き合わ ない こと」 と、
「バカ に なら ない こと」 です。
」 (Kindle の位置No.24-26)

これが本書の結論になります。ただ関係を持たないこと。そして、自分自身がそうならないよう気をつけることですね。


しかし、そうは言っても、いろいろなしがらみがあります。そう簡単に付き合わないようにすることは難しい。そう考えがちですよね?
それに対して堀江さんは厳しいことを言います。

環境 や 付き合う 人間 を 選べ ない と 考え て しまう のは、 バカ の 思考 です。」(Kindle の位置No.165-166)

そう考えていることが、もうすでに自分がバカになっていると言うのです。

想像力 って、 生まれ 持っ た 能力 とか では ない。 想像 でき ない という のは、 単に 情報 を 持っ て い ない こと に すぎ ない。 情報 が ない から、 想像力 も ない ん です。
 情報 を 取り に いく こと に 消極的 で、 運 任せ で、 その 結果、 想像力 が ない 人。 ぼく は そういう 人 を、 バカ と 呼び ます。
」(Kindle の位置No.193-196)

環境に従うしかないと思っている人は、想像力が足りないのだと堀江さんは言います。他人や環境のせいにせず、運任せにせず、主体的に生きる。そういう生き方をすれば、バカと付き合わないという決断もできるのだと。


この 現代 において、 上司、 先生、 家族、 友人…… それ が 誰 で あっ ても、「 みんな と 同じ こと を やり なさい」 という 人 は、 全員 バカ です。」(Kindle の位置No.198-199)

西野さんは、日本の同調圧力を否定します。これは私も同感です。むしろ、他人と違うことをやるべき。これは、投資をやる人なら、みんな知っていることですけどね。

日本では、同じように動く工場労働者とか、命令どおりに一糸乱れぬ動きをする兵隊を、子どものころから養成しているような教育です。


いわゆる 受験 までの 学校教育 は、 従順 で ある こと が 成績 に つながり ます。 テスト で いい 点 を とる という こと は、 出題 者 の 気持ち を 忖度 する よう な もの です。 ぼく も 東大 の 入試 では、 答案 に「 出題 者 が 書い て ほしい 回答」 を 書き まし た。
 それだけ なら まだ いい。 怖い のは、 学校 に 従う こと に 慣れ て いっ て、 勉強 の 内容 とは 関係 の ない 習慣 も 刷り込ま れ て いく こと です。
」 (Kindle の位置No.260-264)

出題者が正解と決めたものだけが正解。日本の学校教育は、だいたいにおいてそうです。どんな素晴らしい発想をしても、学校教育では否定されます。ネットで見ると、ピーマンの絵を見せて4文字の答えを書かせる問題で、「パプリカ」と書いた子どもが不正解になった、というものがありました。ピーマンでもパプリカでも正しいと思うのですが、先生の答えに合わなかったということなのでしょう。

学歴 エリート の 得意 科目 は、 数学 や 英語 では ない。 彼ら の 本質的 な 得意 科目 は、 従う こと と 我慢 です。 サラリーマン という 社会 の 歯車 を やる には 最適。」 (Kindle の位置No.268-270)

自分で考えずに、ただ従うことだけ考える。そういう人間になってしまうのです。

ただ厄介なのが、こういう人たちにかぎって、「自分と同じようにせよ」って他人に強要してくるんですよね。このへんは西野くんも書いている通り、バカは強要してくるんです。
 ぼくに言わせれば、理由はふたつ。
 そういう人たちは、自分から勝手に我慢を選んでいるくせに、「自分は我慢しているのにあの人は我慢をしていない、不公平だ、ズルい」と頭の中で論理がスライドしてしまっているから。
 もうひとつの理由は、彼らがストレスを溜めているから。そういう人が口出ししてくるときってたいてい攻撃的です。そうやって人にあたって、結局ストレス発散をしてるんです。
 自分勝手に我慢して、それで他人に迷惑かけてんじゃねーよ。
」 (Kindle の位置No.345-)

こういう人、たしかに多いですよね。やたらと自分の価値観を押し付けてくる。たいていそれは、マナーがどうのこうの、常識がどうのこうのといった、我慢させるものです。

いまの時代に必要なのは、我慢出来ないほど、「これをやりたい!」と欲望する力です。我慢とは真逆の力。」 (Kindle の位置No.358-)

堀江さんは、我慢グセは多かれ少なかれほとんどの人が持っているから、ゆっくりでいいから我慢グセをやめて、自分がやりたいことをやっていくようにしましょうと言います。それが自分の可能性を広げるのです。


なにかをやってみて、成功することも失敗することもあるでしょう。成功も失敗も、経験値が上がるという意味では等しいものです。失敗も、重ねれば重ねるほど経験値が溜まっていく。経験の積み重ねだけが、勘の鋭さを磨きます。」 (Kindle の位置No.388-)

西野さんは、未熟なのに勘に頼るのはバカだと言います。もっと論理的に考えて行動せよ、ということです。しかし、重要なのはたくさん行動することです。行動して体験して経験値を積んでいくこと。それが重要なのです。


座学というスタイルの中に、「行動するな」というメッセージが含まれてしまっているんです。」 (Kindle の位置No.423-)

既存の学校教育の中では、「行動せず黙っていられる子」が偉くなっていく。
 そんな環境の中にいるうちに、「やりたいことを我慢する」ではなく、「やりたいことがない」に変わっていく。「欲望する能力」を失っていく。もともとは全員が持っているものなのに、いわば、去勢されていくんですね。
」 (Kindle の位置No.426-)

堀江さんはゼロ高というスクールを作られていますが、そこでは座学を少なくしているのだとか。たしかに日本の学校教育は、我慢する子、じっとして黙っている子を育てているように思います。そして、その典型的な良い子が私でした。まさに、去勢された子どもとして育ったのです。

ぼくの考えはシンプルで、やりたいことは本当はあるんです。あるいは、かつて持っていた。我慢せず行動する友人たちに囲まれたら、抑えつけられた「欲望する能力」もだんだん復活してきます。」 (Kindle の位置No.441-)

本当に、そうだと思います。私も、子どものころに、こういう話を聞きたかったなと思います。
まあでも、それで親を恨んだり、ただ嘆いていたりするつもりはありませんけどね。常に、今、これからですから。まだ遅すぎるということはありませんから。


「自分はああいうやり方をしない」と言うだけなら結構。批判上等。けど彼らは「怒って」いました。感情で反応していました。

 なぜ感情的にならざるをえなかったか。
 ようは、怒っていた人たちは、その常識がどんなロジックで成り立っているか、本当はわかってなかったんじゃないかと思います。自分が作ったわけではないから、実はロジックはわからない、でもそれが正しいと教えられていた。だから、いざ例外が登場すると、ロジックで議論できないから、感情で反応してしまった。
」 (Kindle の位置No.488-)

西野さんは、「えんとつ街のプペル」をネットで無料公開されましたが、それに対して非常に大きな反発があったそうです。「コンテンツはつねに有料」という常識に反していたからです。和を乱す者とされ、攻撃されたのですね。

たしかに、こういう意味も知らず常識を振りかざす人は多いですね。そして、西野さんが指摘するように、すぐに感情的になって押さえつけようとします。困ったものです。


たまたま、数十年前の高度成長期に、終身雇用幻想が実現する「例外的な時代」がたしかにあった。厄介なのは、その次代を経験した上世代が、それが「例外的な時代」だったことに無自覚だということです。だから下の世代に向けて「大学を出て会社に就職しなさい」と言いつづけてしまう。
 自分がたまたま恵まれていただけという自覚がないのは、バカです。
」 (Kindle の位置No.623-)

堀江さんは、ひとつの仕事を続けることで大成するのは、イチロー選手のような天才だけで、凡人にはそんな生き方は難しいと言います。堀江さん自身も凡人であり、だからたくさんのことをやっているのだと。そのため、「多動力」を重視し、やりたいことを複数持って、そのどれもをやることを勧めているそうです。


必要 に 迫ら れ なかっ た 進化 なんて ない という 話 です。   天才 の 話 も これ と 同じ。 極端 な 才能 も、 極端 な 環境 によって もたらさ れ た もの な ん です。 環境 が 先。 そこ に 帳尻 を 合わせる よう に、 才能 が 出 て くる。 天才 に なる 必要 が ある 環境 に 人 を 追い込め ば、 その 人 は 天才 に なる ん です。」(Kindle の位置No.650-654)

ピンチがチャンスになるというのは、こういうことですね。苦しい環境に置かれるから、そこに適応して才能が開花する。だから、設計図を描いてその通りに生きようとするのではなく、自分を信じて好きなことに飛び込め、と西野さんは言うのです。


多くの人は、人生の時間を、なににどれくらい投じるかについて、主体的に選択していません。学校もそうだし、労働もそう。」 (Kindle の位置No.722-)

人生とはなにか。人生とは単純に、時間のことです。」 (Kindle の位置No.729-)

堀江さんは、社会から自分の時間を取り戻せと言います。何にどれだけ時間を掛けるかは、自分が決めるべきだと言うのです。

それを象徴するのが、日本の高校以前の学校に飛び級がないこと。だから学校には、年齢の多様性がない。大学も結局、18、19歳で入学する人がほとんど。優秀層だけの問題ではありません。逆に、勉強が苦手な子どもが、小学校を12年かけて18歳で卒業するということも許されない。」 (Kindle の位置No.737-)

たしかに、決まった時間で勉強しなければなりません。そうやって、大量に落ちこぼれを作っているのが、日本の学校教育です。
堀江さんは、仕事時間だって自分で決めるべきなのだと言います。会社に使われていてはいけないのです。


人の時間を奪うことに鈍感な人間が多すぎる。
 たとえば、電話をかけてくるバカ。
 電話は、他人の時間に割り込みをするツールです。あなたが電話をかけるとき、相手は必ずなにかほかのことをしています。
」 (Kindle の位置No.817-)

これは同感です。私も、電話がかかってくると「邪魔だな」と感じることがあります。また、なるべく電話はかけないようにしています。だって現代では、メールもあればLINEなどのチャットツールもあるのですから。

メールのほうが早く書けるのにわざわざ手書きで書くというのは、無駄な時間を使って、つまり自分の時間を差し出すことで、相手にへりくだっているつもりなんでしょう。その理屈がもう、キモい。」 (Kindle の位置No.840-)

たしかに、手書きの手紙が好きな人はいますね。私などは、やはりメールで済ませたい派ですから、今や年賀状も出しません。
ただ、手書きの文字に温もりを感じて、それが好きだという人もいます。ですから、一概に否定されるべきでもないかなと思います。

さらに堀江さんは、三国志の「三顧の礼」という故事を否定します。

現代では反面教師にすべき故事成語です。立場が上とか下とか関係なく、現代だったらLINEで「軍師やって」って送って終わりでしょ。俺が欲しければ同じことを言いに三度訪ねて来いなんてやつ、名軍師じゃない。バカです。」 (Kindle の位置No.846-)

これまたバッサリですね。(笑)たしかに、偉そうに見せるためであれば、それはナンセンスだと思います。
ただこの故事で諸葛孔明は、本当は軍師をしたくなかったのでしょう。劉備に会えば引き受けざるを得なくなる。だからわざと会わないようにした。しかし、三度も諦めずに訪ねてきてくれたという劉備の情熱にほだされ、意気に感じて引き受けたのです。そういう一面もあると思いますよ。


どんなに合理的に説明しても、理屈の問題ではなくなってしまっている。なぜなら、おばちゃんの中ではそれは善だから。つまり、善というのが、思考停止をする口実になってしまっている。「これはいいことだからいいんだ!」みたいな。」 (Kindle の位置No.868-)

風の強い日に、軒並み倒されていた自転車を、おばちゃんが起こしていたのだそうです。それを見た西野さんは、また1台ずつ寝かせていったのだとか。まだ風が強かったので、起こした自転車はまた倒れると思ったからです。倒れれば傷つくし、壊れるかもしれません。だから、寝かせたままにしておく方がいい。それが西野さんの理屈だったのです。

けれどもそれはおばちゃんには通じず、たいへん怒られたそうです。被災地に千羽鶴を送るとか、何の準備もせずにボランティアへ行くなど、善意の空回りはよくあることです。重要なのは、そういうことがあると知っておくことと、やはりよく考えることでしょうね。

独善的、つまり独りよがりの善っていう形容詞がありますけど、逆に、世の中に独善じゃない善ってどれくらいあるんですかね?」 (Kindle の位置No.885-)

西野さん自身、振袖詐欺の被害者を救うためのイベントをやったりして、善意の行動をよくされます。しかしそこには必ず「自分が喜ぶ」という要素があるから、独善性が入っていると言います。だから、独善だから悪いのではなく、空回りしないようにしっかり考えることが重要なのです。


堀江さんがツイートで炎上した事件ですが、新幹線で「シートを倒していいですか」と聞いてきた前の席の人に、そんなこと聞かずに勝手に倒せと堀江さんが批判したことがありました。堀江さんは、時間の無駄だからと言います。
また、国内線の飛行機の手荷物検査で、「ペットボトルの中身をお調べしてよろしいでしょうか?」と必ず尋ねることなども、同様に無駄だと言います。調べなければ乗れないのだからと。

まず、ぼくの時間を無意味に奪っているのがダメ。そのうえ、よく考えてみると、他人の時間を奪っておきながら、その人もなにも得ていない。天気の話を振ってみたところで、自分もなにも得るものがないでしょ?ぼくだけじゃなくて向こうも時間を無駄にしている。」 (Kindle の位置No.906-)

ビジネスで会った時、最初に天気の話をするのさえ無駄だと言います。堀江さんらしいですね。

マナーなんてどこかのバカが作ったものです。
 ぼくには、「了解」のLINEスタンプだけでいいです。早いから。
」 (Kindle の位置No.934-)

目上の人に「了解しました」はダメというビジネスマナーに対しても、堀江さんはこのように噛み付きます。合理主義を追求されているようです。


いまでも取材で訊かれることがあるんです。「いわゆるライブドア事件の前後で、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、人間関係を失ったでしょう」って。そういうストーリーに落とし込もうとする下心が透けて見えて、大嫌いな質問です。
 そりゃあ去った人もいるでしょう。でもそんなやつの顔なんてもう覚えてない。人間関係なんてつねに変わりつづけるものだから。
」 (Kindle の位置No.990-)

「孤独になったらどうしよう」と恐怖している人って、世の中に多いんですね。だから、なくならない人間関係の作り方について、ヒケツを教わりにくる。書店には人との付き合い方の本が並ぶ。
 そういう書籍の中で、ぼくが薦められるのは『嫌われる勇気』(岸見一郎&古賀史健/ダイヤモンド社)だけです。あ、あと『バカとつき合うな』か(笑)。
」 (Kindle の位置No.997-)

堀江さんは、人間関係は常に変わっていくものだから、去る者は追わずでいいと言います。そうすれば、自然と新たな人間関係が生まれるからと。

あなたが本当にやりたいことをやって、自分の時間を生きていたら、それにふさわしい「自分の人間関係」は、自然とできてくるものです。もっとも、自分の時間を生きている人に、孤独を恐れている人なんて見たことがないですけどね。」 (Kindle の位置No.1009-)

孤独になることを恐れず、自分の生き方を貫くこと。孤独が嫌だからと言って、バカと付き合っているようではダメなのです。

「自分の時間」はあなたを守る。一方、「他人の時間」は、あなたを守らないどころか、最終的に孤独に追いやるのかもしれない。
 まあ、ぼくは他人の時間を生きたことがないんで、わかんないですけどね。
」(Kindle の位置No.1015-)

やりたくないことを嫌々やる。それが「他人の時間」です。そうやって恨んでいるから、孤独になっていくのです。


でもぼくからの最重要メッセージは、「未来をあれこれ想像して、不安に思うことに意味はない」ということです。」(Kindle の位置No.1087-)

未来予想してみたところで、なかなか当たるものではありません。

どうせそうなら、いま目の前にあるものが、あなたがワクワクできるものかどうかを大事にしてほしい。」(Kindle の位置No.1093-)

過去や未来という概念は、人間がもともと生まれ持っていたものではありません。子どもを見てください。熱心に現在だけを生きているでしょ?
 子どものように、真の現在を生きてください。それも、熱心に。
」(Kindle の位置No.1097-)

堀江さんは、過去や未来にとらわれることなく、不安を捨てて今に生きるようにと言います。けっきょく、ここに行き着くんですよね。「前後際断」です。


西野さんは、ただ有名だという「認知度の高い人で」ははなく、「信用度の高い人」が勝ち組になっていると言います。

信用度の高い人……言い換えれば「嘘をつかない人」ですね。
 場がシラケようが、立場が悪くなろうが、不味いモノに対して「マズイ!」と言えちゃう人たち。
」(Kindle の位置No.1115-)

自分に正直な人と言えるでしょうか。相手の顔色をうかがわない人です。そういう人は信用度が高く、お金はそこに集まってくる、というわけです。


ツイッターで、アンチらしきアカウントがぼくの言動に粘着してくることはよくあるけど、どれもこれも総じてレベルが低い。行動が伴わない人の思考は浅いんです。レベルが低すぎて、ツイートの向こうに人間の思考を認識できない。ああいうアカウントって、自動botなんじゃないかと思ってるんですよね。つまり、ぼくにとっては存在していないのも同然なんです。
 だからこれは、これまでに書いてきたバカとはちょっと違っていて、バカでさえない。バカ以下というか、無です。存在以前。
」(Kindle の位置No.1161-)

たしかに、粘着質の人いますね。私もFacebookでよく絡まれます。絡んでくる人は、だいたい論理的な思考ができないし、批判のための批判ですから、どんなに説明しても納得はしません。「ああ言えば上祐(じょうゆう)」と言う言葉が昔流行りましたが、付き合うのがバカらしくなります。無視するに限りますね。


考えることに時間を費やさなかった分、バカのほうが利口より時間コスパがいい。利口が考え詰めているあいだ、そして小利口がちょっと考えて結局足踏みしているあいだ、バカはもう行動しています。」(Kindle の位置No.1209-)

堀江さんは、こう「いいバカ」のことを言います。考えすぎず、たくさん行動する。前に出た「多動力」です。そして、それはまさに西野さんのことだと。


そして堀江さんがルールを書き換えようとするのは、自分個人の利益のためなんかじゃなかったと思います。自分の後に続く新しい世代が、息苦しさを感じずに、より自由に行動していけるように。その下地として、彼はルールを書き換えなければいけないと考えていたと思う。」(Kindle の位置No.1434-)

西野さんは、堀江さんのことをこのように評します。誰かが作ったルールの中で戦っていたら、絶対にその作った人を超えられません。堀江さんは、社会のルールを変えようとしていた。パイオニア(開拓者)です。しかも後に続く世代のために。そういう堀江さんに対して西野さんは、嫉妬を感じると言います。それだけ、高く評価しているということです。

堀江さんは、本当にそういう人だと、私も思います。
2011年、私は堀江さんのツイートをフォローしていました。3.11の時、身内と連絡が取れなくなった多くの人が、堀江さんを頼りました。「誰が誰を探しているから連絡を」というツイートを、拡散してほしいという依頼です。堀江さんは、寝てないのではと思うほど、腱鞘炎になるのではないかと思うほど、ずっとリツイートをし続けていました。

私は、お節介ながら堀江さんに言いました。「もうやめた方がいいですよ。そういうことをしても効果は少ないし、堀江さんの身体がもたないから。」と。他のフォロワーから批判されました。役に立ったケースがあるのだからと言います。でも、論理的に考えて、そういうツイートでつながることはあまりないし、それでは堀江さんだけが負担になってしまいます。他の手段を講じるべきです。

それでもしばらく、堀江さんはリツイートし続けました。堀江さんは、そういう人なのです。だから私は、堀江さんのことを信用しているし、好きなのです。


「断られるかもしれない」と何度考えてもその時間は無駄で、大事なのはその1回の「乗れよ」に早く出会うこと。そのために必要なのが、バカになることだった。」(Kindle の位置No.1539-)

堀江さんは、大学生の時にヒッチハイクをしたそうです。ほとんどは断られるのですが、10回に1回くらいは「乗れよ」と言ってくれたのだとか。それが「いいバカ」になる原体験だったと言います。


自分がバカであるか天才であるか、あるいは普通の人か。
 それを定義したところで、誰が得をするんでしょうか。それもぼくにとっては「考えてもしょうがないこと」のひとつ。そんなことを考えるのは思考のパフォーマンス低下の理由にしかならない。無駄。
 自分の定義を追い求めることは、突き詰めると結局、人からどんなふうに見られているのかを意識しているだけにすぎません。
」(Kindle の位置No.1551-)

まさにそうなんですよね。他人からどう見られているかが気になる。自分に自信がないから、他人の評価に頼ろうとしてしまう。私は、そういう人間でした。今もまだ、そういう面が残っています。


だから真似することは、個性を育てるんです。
 いいと思ったことは、好きに自由に、真似る。パクる。人と違うことをしなければと考える「自分探し」とは逆の道ですね。
 これが最後まで読んでくれたあなたへの最後のアドバイスです。
」(Kindle の位置No.1658-)

この本を読んで、堀江さんや西野さんの考え方、行動を真似るようにと堀江さんは言います。いくら真似ても、ミニ堀江、ミニ西野にはならないからと。守破離ですね。まずは完全な模倣から入ること。そして時期が来れば、自ずと自分の道が見えてくるのです。


このときの踊りというのが、高尚でストイックなものなんかではなくて、裸踊りだったらしいんですよね。つまり、アメノウズメはバカをやった。それでみんなは笑って、なんだか楽しそうな外の様子が気になるアマテラスが岩戸をやっと開いたという。
 アマテラスが出てきて、みんなに光が戻る。それをなしたのがアメノウズメであり、芸人であり、バカだったわけです。神さまですけどね(笑)。
」(Kindle の位置No.1768-)

古事記にある岩戸の話です。私の田舎では石見神楽をやりますが、この岩戸も演目にあります。子どものころは興味がなかった演目ですが、おとなになってこのストーリーを知ってから、大好きになりました。特にこの天鈿女命(あまのうずめのみこと)が半裸状態で踊ったというところ。大好きです。

日本で最初の芸人、アメノウズメはバカだった。バカをやって、まわりの人を笑わせて、アマテラスオオミカミを岩戸の外に出て来させて、世界に光を与えた。世界を明るくした。」(Kindle の位置No.1815-)

西野さんは、「いいバカ」は世界を明るくするのだと、このように言います。


行動してください。
 この本を閉じたら、すぐに行動してください。
 当然、行動には恐怖や痛みは伴います。それでも、それら一切を受け止めて、走り続けてくだされば、
 きっとぼくらは、どこかの酒場で出会えると思います。
 その時は、堀江さんやぼくやぼくらの友人といった、バカとつき合ってください。
」(Kindle の位置No.1862-)

西野さんは、最後をこう締めくくります。


いいですねぇ、いつかそういう日が来ますかねえ。いや、きっと来ると信じます。「いいバカ」を目指す。私も、そういう生き方をしたいと思います。

book20181030.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月30日

光あるうちに



三浦綾子さんの自伝的小説の第三弾を読みました。前に紹介した「道ありき」「この土の器をも」に続くもので、サブタイトルが「道ありき 第三部 信仰入門編」となっています。

この小説は、三浦さんが結婚して「氷点」で朝日新聞に掲載されて作家になった後のことが書かれています。と言うより、作家三浦綾子としての原点である「信仰」を見つめ、それを紹介するものになっています。なので、サブタイトルにあるように、まだキリスト教の信仰を持たない人向けに、信仰を勧めるものなのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

これも、時折、わたしは講演で話すのだが、たとえば、
「泥棒と悪口を言うのと、どちらが罪深いか」
という問題がある。わたしの教会の牧師は、ある日説教の中で、
「悪口の方が罪深い」
とおっしゃった。
」(p.43)

さて、どっちが罪深いと思いますか?
たしかに泥棒は犯罪です。法律違反です。一方、悪口は法に反しているわけではありません。

しかし、この牧師さんはおっしゃったそうです。泥棒に何かを盗まれても、残念だと思うだけで、それで自殺することはまずない。けれど、悪口を言われたことで自殺する人は時折いるのだと。つまり、泥棒は人を殺さないが、悪口は殺すことがある。だから、悪口の方が罪深いということなのです。

まあどっちが正解ということはありませんが、これも1つの考え方ですね。聖書に、「口から出るものが罪を犯す」という言葉があります。まさにそういうことでしょう。


考えてみると、わたしたち人間と絶対共犯者にならない、正しく清い存在は誰か。それは神である。だから、自己中心であればあるほど、神を嫌う。神を見ようとはしない。神を無視してやまない。
「神のほうを見ない」
 これが原罪なのだ。神を見ない、神を見たくない生き方。この姿勢を持って以来、人類はあるべき所から外れてしまったというが、自己中心は人間にとって正に根本問題なのだ。
」(p.46 - 47)

三浦さんの原罪論です。自分の考えに同調してくれない人を憎むという自己中心が罪なのだと言います。怠ける人は、一緒に怠けない友をうとむなど、共犯者を求めるのだと。それに絶対に同調しないのが神だから、自己中心であれば神を嫌うと言います。

ちょっと思い込み過ぎではないか、という気がしなくもありません。同調を求めず、人からどう思われようとかまわない、という人もいますからね。そして、神を嫌うというより、どうでもいいし、ただ信じていないだけという人もいます。

私は神を信じていますが、こういう純粋なキリスト教的考え方は、イマイチ受け入れられません。それは、大学生の時に新興宗教に傾倒した影響です。そして今は、「神との対話」シリーズを読んだことで、一部はその通りなのだけど、ちょっと無理があるよなと思うようになりました。そのことは他で書いてますので、知りたい方は、「神との対話」シリーズを解説するメルマガ(過去ログ)などをご覧ください。


この人がむずかしい日本語を勉強したのはなぜか。住み馴れた故国を離れ、親きょうだいや友人たちと別れて、はるばる日本に来たのはなぜか。決して、金もうけのためでもなければ、出世のためでもないのだ。ただキリストの愛を、この日本の人たちに伝えたいためなのだ。日本人の魂を愛するが故に来たのだ。
 この時点において、既に彼らは多くのものを捧げている。
」(p.104)

これは、かつて起こった洞爺丸事件で、2人の外国人宣教師が、すでに身につけていたライフジャケットを、持っていなかった日本人の若者に譲って、溺れ死んだという事実を取り上げたものです。若い人たちは、これからまだ活躍の場があるのだからと言って、ライフジャケットを譲ったのだとか。

ふつうに想像してみても、すでに身につけているライフジャケットを、見ず知らずの外国人に譲るなんてことをするでしょうか? 三浦さんは、そこにキリスト者の愛を見るのです。そして、それができたのは、いざという状況が起こる前から、すでに自分のすべてを神に捧げていたからだと言います。

たしかにそうですね。普段からそういうことを考えていなかったら、なかなか未練を絶てないかもしれません。「友のために命を捨てる。これほど大きな愛はない。」というような言葉が聖書にあります。三浦さんの小説「塩狩峠」でも、そういう愛を示した主人公が描かれていました。


パスカルは、「パンセ」の中で次のようなことを言っている。
<気晴らし。−−もし人間が幸福であったとしたら、聖者や神のように、気晴らしをすることが少なければ少ないほど、一層幸福であったろう。−−然(しか)り。だが、気晴らしによって愉快になり得るということは、幸福なことではないのか。−−いな。なぜなら、気晴らしは他所(よそ)から、外部から来る。そこで、それは依存的である。故(ゆえ)に、避け難い苦悩を惹(ひ)き起す無数の出来事によって乱され勝ちなのである>(由木康訳「パスカル瞑想録」より)
 またパスカルはこうも言う。気晴らしは確かに、わたしたちの惨めな状態を慰めてはくれる。しかし、それがまたわたしたちの惨めさを最大なものにする。それは、わたしたちの真実な反省を妨げ、わたしたちを知らず知らずのうちに滅亡させてしまうからである−−と。
」(p.108 - 109)

人生は虚無的であるということを三浦氏は言い、そこから抜け出すことが重要なのだと説きます。たしかに考えてみれば、人生は虚無的です。たとえば、オリンピックで優勝したとしても、だから何だと言うのでしょう? 100mの記録を0.01秒塗り替えたことが、いったいどれほどの意味があるのでしょう?

タイ語では、「ギン・キー・ピー・ノーン」という言葉があります。強いて訳すと、「食って、出して、やって、寝る」という意味です。これが人生だということですね。ある意味で達観です。人間がやっていることって、所詮はそれだけに過ぎない。そうも言えると思います。

そこで三浦さんはパスカルの言葉を引用しつつ、気晴らしを少なくして虚無と向き合うことが大切なのだと言います。そして、そうすることによって、神と出会うしかなくなるのです。


わたしには、療養中深く愛している恋人がいた。ある時、彼の友人の金田隆一氏がわたしを見舞ってこう言った。
「もし、どちらかが死んだら、あなたがたは一体生きてい行けるだろうか」
 この恋人は死んだ。一年後に三浦が現れ、五年後にわたしたちは結婚した。
 わたしたちは、必ずしもお互いにとって、かけがえのない存在ではないのだ。
」(p.115)

生涯愛しますと誓って、そのように思っていても、相手が先に死んでいなくなれば心変わりする。それが人間なのだと三浦さんは言います。だからこそ、人間はむなしい存在なのだと。

誰しもが、様々な苦しさ、むなしさに陥らざるを得ないのだ。そのことを、腹の底からよくみとめた時、わたしたちは、
「虚無の隣りに神がいる」
 ことを、知り得るのではないだろうか。
」(p.121)

先日、わたしはある六十を過ぎた癌患者が、日夜世界の平和を祈り、知る限りの人々のために祈りを捧げて、一日の時間が短くてならないという話を聞いた。
 なぜ彼らが虚しくならないのか。それは、誰も彼から奪うことのできない実存を知っているからだ。虚無を満たすもの、それは実存しかない。実存とは、真実の存在なる神である。永遠に実在する神である。この神を信ずる時、わたしたちは虚無を克服することができるのだ。
」(p.123)

人間が、ちっぽけで虚しい存在であることを、まずはしっかりと受けとめる。そうすることで、虚しくない存在である神に気づき、神にすがって喜びの中で生きられるようになる。そういうことを、三浦さんは言われています。


いかなる罪を犯しても、一旦悔い改めて神のもとに立ち返ろうとするならば、神は責めるどころか、大いに喜んで受け入れてくださるのだ。わたしたちが、泥棒をしても、姦淫を犯しても、人を傷つけても、殺人を犯しても、とにかく本気で悔い改めるならば、神は大手を広げて、その御手(みて)の中に迎え入れてくださるのだ。」(p.142)

聖書にある有名な「放蕩(ほうとう)息子の話」(ルカによる福音書第15章)をもとに、三浦さんはこう言います。それほど神の愛は大きいのだ、ということですね。

ただ、「神との対話」を知っている私は、なぜ「本気で悔い改めるならば」という条件をつけるのだろう、と不思議に思います。愛が無条件なら、そんな条件は不要です。そんな条件をつけるのは、本当の愛を知らない人間だからではないでしょうか。実際、この「放蕩息子の話」を読んでも、王は放蕩した息子を迎え入れるのに、何ら条件をつけていません。


子供が父親の大事な物をこわすとする。父が怒って、子供を殴ろうとした時、その間に入った母親がなぐられる。
「どうぞ、わたしに免じてこの子をおゆるしください」
 母親が平あやまりにあやまる。父は何の罪もない母親をなぐってしまった以上、ゆるすより仕方がない。これと全く同じではないが、似た形が、神とキリストと人間の関係なのである。
」(p.162)

なぜ無実のキリストが十字架に磔(はりつけ)にされる必要があったのか? それは、罪深い人間たちの罪をあがなうためだと、キリスト教では言います。そのことを三浦さんは、こんなたとえ話で説明されました。

しかし、これは申し訳ないが無理があると思われます。これでは神は、怒りに任せて子ども、つまり人間を殴ろうとしたことになります。愛の神なのに。いったいどこに愛があるのでしょう? どこに許しがあるのでしょう? それに、身代わりの母親、つまりキリストに罰を与えてしまったから、仕方なく人間の罪を許したのでしょうか? 本当にそう考えているとしたら、それはあまりに神を蔑んでいないでしょうかね。


誘った人が、すべてキリストを受け入れるとは限らない。態(てい)よく断わられ、あるいは軽蔑され、嫌われるかも知れない。が、わたしは、この章の最後に、敢(あ)えて今一度、読者の一人一人に向って呼びかけたい。
「かけがえのない、そして繰り返すことのできない一生を、キリストを信じてあなたも歩んでみませんか。

(中略)
 過去はいいのです。今からの一歩を、あなたもキリストの愛の手に導かれて歩みたいとお思いにはなりませんか。そしてあなたの人生を喜びに溢(あふ)れた人生に変えたいとは、お思いになりませんか。
 そのことが、あなた自身にどんなにむずかしく見えても、神が助けてくださるのです。キリストはこう言っておられます。
<人にはできないことも、神にはできる>
 と」
 光あるうちに光の中を歩もうではないか。
」(p.240 - 241)

三浦さんは、このようにキリスト教に誘います。自分自身がキリスト教によって変わった喜びがあるから、たとえ断られても誘わずにはいられないのです。

私もかつて、新興宗教に入信していて、その活動の一環として勧誘活動(伝道)を行いました。しかし、これが嫌で嫌でたまらなかったのです。相手から否定されることが、受け入れ難かったのですね。それは私自身にまだ、信仰を持った喜びがなかったからだろうと思います。

今、私は、「神との対話」シリーズを積極的に勧めています。これはある意味で伝道なのかもしれません。理解されなくても平気です。批判されても大丈夫です。なぜなら、私の中に喜びがあるからです。


三浦さんの自伝的小説を3冊読んで、三浦さんのことが少しわかったような気がしました。三浦さんは、自堕落な生活をしていたダメな自分から、神と出会うことで熱心な信者になったことを強調されています。しかし私は、元から三浦さんは、本質を求めておられた方だったのだと思っています。

亡くなられた恋人も、結婚されたご主人も、共に人間とは思えないほどの素晴らしい人格者であり、キリスト教信者です。その他にも、素晴らしい信仰者が、三浦さんの回りにはあふれています。それは、本質を求めるべく生まれてきた三浦さんが引き寄せたとも言えます。あるいは、そういう星の下に生まれて来られたのだとも。

ですから他の人が、三浦さんのような信仰を持てなくてもいいし、持たなくてもいいのだろうと思います。ただ、三浦さんの本を読むことで、こういう生き方があり、考え方があると知るだけで、充分なのだと。なぜなら、まずは知ることから人生は動いていくからです。

あることから三浦さんに興味を持ち、3冊を読んできました。三浦さんの人生の一端に触れることができて、私もとてもうれしく思います。

book20181023.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 04:19 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

この土の器をも



前に紹介した「道ありき」に続いて、三浦綾子さんの本を読みました。これも三浦さんの自伝的な小説になります。サブタイトルに「道ありき 第二部 結婚編」とあります。

「道ありき」が、三浦さんの闘病から結婚までを描いたものでした。この本は、結婚後の生活に関して書かれています。



ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

全文切りつけるような文面だった。
 この手紙を見た三浦は言った。
「一人の結婚は、十人の悲しみという言葉があるね。桜井良也さんの手紙といい、国村さんの手紙と言い、考えさせられる手紙だね」
 結婚は必ずしもすべての人の喜びではない。それ故にこそ、只二人だけ仲が良ければよいという閉鎖的な家庭であってはならないと、三浦は言った。
 わたしたちは、自分たちは、自分たちの家庭を、多くの人を受け入れ、愛する家庭にしなければならないと、しみじみと話し合った。
」(p.18)

三浦さんが結婚したことに対し、祝福の手紙はもちろんですが、批判する手紙もあったようです。三浦さんは、自分の友だちのことや届いた手紙のことなどを、包み隠さずご主人に話していました。最初からそういうオープンな関係であること、そして、批判する者さえ受け入れようとするキリスト教的な精神は、なかなか真似できないことだと思いました。


彼は、さっさと先に部屋の中に入って行った。わたしは、玄関で彼の靴をなおしながら、ふとためらいを感じた。三浦の留守に、異性の友人を家にあげてよいのだろうか。そう思う自分に、わたしはふしぎな気がした。
 これは曾(か)つて、結婚前には一度も感じたことのないためらいである。
」(p.42)

三浦さんは闘病中から、異性の友だちがたくさんいました。三浦さんのおおらかな性格は、彼らが1人でやってきて、家族がいない時に三浦さんと二人きりになっても、それを問題視しなかったのです。それに慣れている友だちは、結婚後も遠慮なくやってきたのです。

結婚前の友だちと同じように付き合い、それを今度は夫婦の友だちにする。そう考えていた三浦さん夫婦です。それでも当時の常識からしても、現代の感覚からしても、なかなかできないことだろうと思います。三浦さんはためらいながらも、オープンにすることを選ばれたのです。


「聖書には何と書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい綾子、許すということは、相手が過失を犯したときでなければ、できないことなんだよ。何のあやまちも犯さないのに、許してやることはできないだろう。だから許してやりなさい。弁償せよなどと、決して言ってはいけないよ」
 言われてわたしはシャッポを脱いだ。
」(p.65)

クリーニングに出したご主人の大事な背広の上下を、クリーニング屋が元店員に盗まれたのです。非常に服を大事にするご主人ですから、三浦さんもそれをどう告げてよいか困ったようです。そして、盗まれたことを伝えてこなかったクリーニング屋に腹を立て、不注意で盗まれたのだから弁償させると息巻いたのです。

それに対してご主人は、みごとに聖書の言葉通りに生きておられたのでした。許すという機会が与えられただけだ。大事にしていた服への執着を微塵も見せず、そう言い放つのです。これも、なかなか言えることではありませんね。


「失敗した時は、誰だって、あ、しまったなと思っているのよ。しまった、悪いことをしたと思っている時に叱ったら、もう、そのすまないという思いは消し飛んじゃうのよ。ぐだぐだ言ったって何の役にも立たないわ」
 彼女はそう言って笑い、つけ加えて言った。
「女って、感情的でしょ。おんなじ失敗をしても、ある時は怒ったり、ある時は怒らなかったり、自分のご機嫌次第になるのよ。そんなのは教育上よろしくない」
 と、彼女は冗談めかして笑った。この寛容な態度、許す態度に、わたしは舌を巻いた。
」(p.70)

これは三浦さんの友人のK子さんのエピソード。娘さんが醤油差しを板の間に落として割った時、眉1つ動かさずにいたそうです。そして、娘さんが醤油を入れ直してきた時、「けがしなかったの?」とさりげなく言ったとか。なかなかできることではありませんね。

しかし、この話にはオチがあります。実はこのK子さん、まめにご主人を送り迎えする良妻賢母のようでありながら、裏では恋人を3人も作っていたのです。そして1年後、隣家の高校生に刺されて亡くなったとか。その高校生も恋人の1人で、嫉妬されて殺されたのです。人間というのは、本当にわからないものだなぁと思いました。


それは、大げさに言えば、わたしにとって一つの大きな開眼であった。いかに人間というものが、日常の生活の中で、自分の立場でしか、ものを考えないものか、とわたしは痛切に知らされたのである。そして、ごく単純な事柄であっても、公平に判断するためには、検事的な立場も必要であり、弁護士的な立場も必要であり、また判事的な立場も必要であることをわたしは知った。」(p.111 - 112)

教育者の妻が夫に先立たれてノイローゼになり、2人の子どもを殺して自殺しようとしたが死にきれなかったという事件があり、三浦さんはその裁判の傍聴に行かれたそうです。その時、単純な事件のようでありながら、それぞれの立場でそれぞれの見方があることを知ったのです。これにより三浦さんは、一方的な思い込みで判断してはいけないと思ったそうです。

こう考えて来ると、夫の浮気の問題、子供の非行の問題、親戚兄弟のもろもろの問題、三面記事に書かれた様々な事件、政治のあり方の一つ一つに、わたしたちはもっといろいろな角度からものを考え、せっかちでない判断を下さなければならないような気がする。」(p.112)


わたしはいきなり打ちのめされたような気がした。わたしは何と同情のない人間だろう。なぜこんなにも同情心がないのだろう。
 わたしは、人間関係に苦しんだことのない人間である。むろん自分自身の弱さを知ってはいた。だが、姑や小姑(こじゅうと)、そして夫などの間に立って、現実に苦しむことのないわたしには、彼女の二十年間の苦しみがわからなかったのだ。不貞は悪いと、一方的に決めつけることは知ってはいても、そこに追いこまれる弱さを、わたしは決して同情もしなかったし、思いやることもしなかった。
」(p.143)

幼馴染のM子さんのエピソードです。彼女が結婚後に浮気をして、家を飛び出したというような身の上話を聞かされ、三浦さんは白けて腹立たしかったそうです。ところがその夜、いつものように聖書を開くと、そこにはイエスが姦淫の罪で引き出された女に同情された話がありました。それを読んだ三浦さんは、とても反省されたのです。


「刑務所から出たなんて、あんまり威張って歩かないでよ。後から出て来る仲間が迷惑するわ。それに、刑務所の中の人間も、刑務所の外の人間も、心の中はそう変りはないのよ」
 死刑囚を何人も知っていると言っただけで、わたしはやや優位に立った。わたしも三浦も、死刑囚や無期懲役の人と、親しく文通をしていた。
」(p.170)

三浦さんの家には、物乞いばかりか、刑務所から出てきたばかりだと脅して金を無心する者も訪れてきたそうです。そんな時、三浦さんは、強がって刑務所には知りあいがたくさんいるなどと言ったのです。

しかし、ここで三浦さんが言われたように、刑務所に入った人と入ってない人と、どれだけ違うだろうかという気がします。法を犯したかどうか、法を犯したとしても捕らえられたかどうか、それだけの違いです。イエスが、これまで罪を犯したことがない者が姦淫の罪の女に石を打てと言われたように、人はみな多かれ少なかれ罪を犯しているのではないかと思います。


わたしは内心激しく怒った。耳採血しなかった初診の医師も、不潔な点滴注射をした看護婦も、わたしは共に許せないと思った。もしこのまま三浦が死んだなら、わたしは一生この二人を憎みつづけずにはおかないと思った。その時ふと、聖書の言葉が浮かんだ。
「吾(われ)らに罪を犯す者を、吾らが許すごとく、吾らの罪をも許し給(たま)え」
 という祈りの言葉だった。毎日、わたしたちが祈る「主の祈り」の一節であった。ふだんは何の抵抗もなくとなえていたこの言葉が、いきなりわたしの前に立ちはだかったような気がした。
」(p.179)

ご主人が盲腸炎で死にそうな状態になったエピソードです。医師の誤診、そして看護婦のいい加減な処置、それらに三浦さんは腹を立てたのです。しかし、聖句を思い出すことで、自分の愚かさに気づかれたそうです。


わたしは結婚以来、三浦の弁当には心を使った。お菜入れに、いろいろなお菜を詰め合わせ、塩辛などを小さなビニール袋に詰め、黄色いリボンで結んで、片隅に入れる。すると三浦は、弁当箱の中に、わたし宛の紙きれを入れてくれる。
「綾子、今日のお弁当もおいしかったよ。いかの塩辛の黄色いリボンが美しかった。ありがとう」
 そんなメモが、よく入っていたものだった。
」(p.190)

それにしてもご主人は、よくそんなマメなことができたなぁと驚きます。しかし、そうあるべきなのかもしれないと思いました。ここに書かれているように、愛情を込めていろいろしてくれることに対し、たった一言の「おいしかった」も「ありがとう」もないなんて、その方がおかしいのですね。


彼は後に、刑を受け、手紙をよこした。詫状(わびじょう)だった。幾度かわたしも手紙を出した。
「石にかじりついても、再び罪を犯してはいけない。立派になってから、わたしの前に姿を現わしなさい。心を入れ替えないMちゃんになら、わたしは会いません」
 慰めの言葉と共に、こんなきびしい言葉も書き添えてやった。甘やかしてはならないと思ったからだ。
 彼はほどなく退所したが、わたしの前に現われなかった。そして、わたしは、彼と同じクラスだった教え子から、彼の消息を聞いた。
「先生、Mちゃんは自殺しました。入所中、奥さんを人に取られて、親も家に入れないと言って、行くところもなくなったんでしょう。かわいそうなことをしました」
 それはあまりに悲惨な結末だった。
」(p.205 - 206)

三浦さんの教え子から詐欺を働かれて、いくらかのお金を取られたというエピソードです。他の犯行で捕まり、服役し、三浦さんに詫状を送ってきていました。しかし、出所したものの行き場をなくして自殺したのです。その彼に対し、三浦さんは後になって思ったそうです。悔い改められないならそれでもいいから、いつでも先生のところへ来なさい、と言ってやれば良かったのではないかと。

正義は、時として人を傷つけるものです。正義を振りかざすことによって、弱い人間を切り捨ててしまう。はたしてそれは愛なのだろうか? このようなエピソードから三浦さんは、神の愛を考えていかれたのでしょうね。


「もし綾子が酒を売らないなら、すべてはいいことになるよ」
「そう、じゃ、小説家になれる?」
「なれるとも」
 確信に満ちた三浦の声だった。
」(p.234)

家計を助けるために始めた雑貨屋。それが近くに商売敵の雑貨屋ができたので、三浦さんは酒の販売によって儲けようとしたのです。しかしご主人は、それに反対しました。それでも売るというなら離婚するとまで言って。クリスチャンだからと言って、酒やタバコが禁止されているわけではありませんが、日本の当時のクリスチャンには、そういうことをしないという美風があったそうです。

しかしご主人は、そういうことよりも、三浦さんがお金を稼ぐことに心を傾けていることを諌めたかったのでしょう。だから商売敵の雑貨屋に対して、むしろ向こうを儲けさせるようにとさえ言ったのです。自分たちに必要なものは神が与えてくれる。だから心配せずに、儲けよりも信仰を第一にしなさいと言って。

この時、三浦さんは朝日新聞が募集していた連載小説に応募しようとしていました。優勝賞金は1千万円。当時のご主人の給料が5万円ほどですから、相当な高額賞金だったようです。それに当選すると、ご主人は予言されていたのです。


「Tちゃん。人間の生活って、感覚的なものだけを満たそうとしたら、結局、いつまでたっても、満足することはできないわよ。刺激は刺激を求めるのよ」
 異性との交渉にあき足らず、同性を求めるようになり、同性にもやがてあき足らず、獣姦(じゅうかん)をさえ望むようになる古今東西の話を思いながら、わたしは言った。T子は、夫の淡白さがあまりにも不満で、他の男性と深い仲になったという。
」(p.241)

知人のT子さんのエピソードです。性生活の話になって、T子さんはご主人に不満で浮気していることを語ったのです。一方、三浦さんは体が弱いため、子ども作らないようにしていたそうです。しかしそれにコンドームなどは用いず、ご主人の自制によって行っていたとか。具体的にはわかりませんが、少なかったとあるので、生理の周期を利用する方法ではないかと思います。

この小説が書かれた時期を考えると、LGBTへの正確な知識がなかったのは、仕方ないかもしれません。そして話がこの後も続くのですが、性欲とセックスに溺れることは別のものだということも、気づいておられなかったように思いました。


そしてついに、三浦さんが書かれた小説は、当選することになります。それが「氷点」です。賞金の1千万円が手に入ります。それに対してご主人はすぐさま、次のように言われたそうです。

わたしは、この使い方も、神の御心にかなう使い方ができるようにと、早くから祈っておいた。神と人のために使うことだね」
 まことに三浦らしい言葉であった。
「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾々は土から作られた、土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように」
」(p.262)

ご主人は、本当に素晴らしい信仰者だったのですね。それにしても、最初から当選することを確信し、その賞金の使い道まで祈って決めておられたとは。まるで「引き寄せの法則」をすでに使われていたかのようです。

そして、このご主人の言葉の中に、この本のタイトルがあります。三浦さんの結婚生活は、まさに信仰生活だったのです。


この小説に書かれたご主人の態度や言葉には、本当に感銘を受けます。私自身、神を信じると言いながら、これほどまでに信じていないことを自覚させられます。もっともっと、精進しなければいけないなあ。そんなことを、この小説から考えさせられました。

book20181020.jpg
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

英語はまず日本語で考えろ!



何かを見て気になって、また英語学習の本を買ってしまいました。もう何冊も買って、通信教育を受け、それでもほとんど進歩してない私の英会話力。もう私には向いてないのだと思って諦めかけるのですが、そのたびに、新しいものを見つけては試してみる。その繰り返しです。今回もまた、同じことになるのでしょうか?

著者は、本城武則(ほんじょう・たけのり)氏。例によって英語はからっきしダメだったそうですが、飛行機の免許を取得するためにアメリカに渡り、最初はなかなか英会話が上達しなかったものの、あることがきっかけで話せるようになった、という体験の持ち主です。その体験から、英語上達の秘訣を会得し、その方式に従って英会話スクールを展開しておられます。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、私が買ったのがKindle版のため、ページがありません。ご了承ください。

自分 の 英語 に どれ だけ 自信 が なく ても 話し た ほう が いい し、「 自分 は 話せ て いる」 と 調子 に 乗っ て いい の です。 それ が、 英語 を 話す 最も 近道 なの です。」(Kindle の位置No.557-560)

英語上達のために、まず重要なのが自信を持つことだと言います。これもよく言われることですね。


では、 どう すれ ば こんな 気まずい 結果 に なら ない よう に できる のか。 対処 法 は 1つ しか あり ませ ん。 それ は、 知ら ない 単語・聞き取れ ない 単語 が 出 て き た とき、 堂々 と「 今 なんて 言っ た の?」 と 聞き返す こと です。」(Kindle の位置No.653-656)

会話に知らない単語が出てきた時の対処法です。ともかくわかるまで繰り返し聞き直せと言います。相手は迷惑しないし、むしろ喜んでくれると。
これはどうかなぁという気はします。自分一人が話し相手ならまだしも、複数人いたら、話の腰を折る気がするので。


しかし、 後に 僕 の 英語 の 先生 と なる ノルウェー 人 の 飛行 教官 が、 見る に 見かね て、 僕 に こんな 言葉 を かけ て くれ た の です。 「とりあえず、 自分 の 使い たい 英語 だけ 勉強 し なさい」」(Kindle の位置No.742-745)

これはたしかに言えると思います。英語の教科書や、よくある英会話教材では、まったく興味のわかない内容が延々と続くことがあります。本城氏は飛行機のライセンスを取るという明確な目標があったので、そこに絞って単語などを覚えていったのです。


仕事 の 会話 と いう と すごく 難し そう に 思える のは、 専門 用語 ばかり だ から です。 それ は、 逆 に 言え ば、 専門 用語 さえ 押さえ て しまえ ば、「 知っ て いる 単語 だらけ の 会話」 に なる という こと なの です。 マクドナルド で 注文 一つ でき ない 僕 で すら でき た 簡単 な こと です。」(Kindle の位置No.778-781)

専門用語は、学校で習っていない単語がいっぱい出てきますが、一度覚えてしまえば、それが繰り返し出てくるだけなので、範囲の広い一般的な会話より簡単だと言います。たしかに、そうも言えますよね。まあでも、それでも私はできませんでしたけど。


だれ でも 初めて の セミナー や スクール に 参加 する とき は、 周り が 知ら ない 人 ばかりで、 ドキドキ する もの です。 その 気持ち は わかり ます が、 これから 数 時間 を 共有 する 仲間 に なる の です から、「 こんにちは」 と 挨拶 し あう のは いたっ て 自然 な こと の はず です。 知ら ない 人 を 極端 に 避ける こと は、 海外 では まず あり え ませ ん。 むしろ、 挨拶 し ない 人 という のは 不審 者 に 思わ れ て しまい ます。」(Kindle の位置No.840-844)

日本人は、知らない人ばかりが参加するセミナーへ行くと、隣の席の人とさえ会話しないことがよくあります。どちらかと言えば、私もそういうタイプです。しかし欧米人は、知らない人というのは危険なので、真っ先に言葉を交わすと言います。だから、欧米人と会話することに遠慮は不要だと言うのです。


実は、 日本語 の 文章 を 英語 に 訳す 際 には、 いくつ か コツ が ある の です。 その コツ を つかむ こと さえ できれ ば、 どんなに 難しい 文章 だろ う と、 だれ でも 簡単 に 英訳 する こと が でき ます。 自分 が 考え た 文章 を、 辞書 も 使わ ず に 英訳 する こと が でき たら、 きっと 感動 する はず です!」(Kindle の位置No.1248-1252)

いよいよ本城式の英会話のコツですが、まずは日本語で話したいことを考え、それを英訳するのだと言います。英語で考えるなんてことは不可能だと。


自分 で 考え、 難しい 単語 の 意味 を ほぐし、 簡単 な 言葉 に 置き換え て 話す こと が できれ ば、 中学生 レベル の 英語 力 でも、 立派 に ネイティブ と 話す こと が できる よう になり ます。」(Kindle の位置No.1359-1361)

そこで、まずは自分が話したい日本語の文を、簡単な日本語に置き換える。ここがポイントです。自分が知っている簡単な英語に翻訳できるよう、日本語で簡単な文を考えるのです。

これについては、私もそうだなぁと感じたことがありました。フィリピン人と日本語で会話していたところ、相手から「別の表現で話して」と言われたのです。「あなたは日本人だから、別の表現で置き換えられるでしょう」と。つまり、相手は日本語の語彙や表現方法が少なくて、日本人のすべての言葉が理解できるわけではないのです。相手がわかるような表現に、日本語がよくわかっている日本人が置き換えてやれば、相手も理解できます。

同じことをすればいいんですね。英語能力が低い自分のために、自分の英語力でわかるように日本語の別の表現を考えること。これについては私の友人も、5才児にわかるように話す、という英会話方法を教えています。きっと、同じことなのでしょうね。


リスニング を 最も 早く、 かつ すぐ に 会話 の 場面 で 上達 さ せ たい!   という 場合 に 有効 な 方法 は、「 発せ られる 英語 の 意味 を 日本語 で つかみ ながら 聞く」 という 方法 です。」(Kindle の位置No.2225-2226)

英語を聞きながら、それを英語として理解するのではなく、日本語で理解しながら聞くという方法です。

この 2つ の 方法 を 合わせる と、「 聞き取れ た 英単語・表現 を、 瞬時 に 訳せ た 場合 は 日本語 で、 瞬時 に 訳せ ない もの は 英語 の まま で かまわ ない ので、 そのまま メモ し て いき、 同時に 日本語 で『 なに を 言っ て いる のかな?』 と 想像 し ながら 聞く」 という こと になり ます。」(Kindle の位置No.2407-2410)

全部を瞬時に日本語化できなくてもいいのですね。聞き取れた単語を、訳せるものは日本語で、訳せないものは英語のまま、記憶に遺すことです。

言い換える と、 言語 的 常識 を 使っ て 背景 を 想像 し ながら、 聞き取れ た 単語・表現 を 断片的 に メモ し、 その 2つ の 情報 のみ を 使っ て、「 なに を 言っ て いる か?」 を ストーリー の 形 で 想像 する という こと です。」(Kindle の位置No.2441-2444)

その聞き取れた情報を元に、相手が言いたいことを想像します。ある程度想像できたら、仮に全文を逐次訳せないとしても、会話は成り立ちます。

これは私も実感しています。私もタイ語がそれほど話せないのですが、会話は適当に成り立っています。なぜなら、聞き取れた単語を元に類推しているからです。詳細はわからないものの、たいていの場合、それで困らないのです。


もし 知ら ない 単語 が 出 て き たら、「 それ どういう 意味?」 とか、「 今 言っ た こと が わから ない」 と、 何回 でも 聞き返し ましょ う。 ネイティブ は、 聞き返せ ば 聞き返す ほど、 一生懸命 話 を 聞い て くれ て いる ん だ なと 思い ます から、 どんどん 聞き返し て いい ん です。」(Kindle の位置No.2535-2539)

ここでも、知らない単語に出合ったら、相手に聞き返せと言います。


この こと を ネイティブ に 聞く と、 だれ もが 文法 は めちゃくちゃ でも、 大きな 声 で 話し て くれ た ほう が 断然 わかり やすい と、 口 を 揃え て 言い ます。」(Kindle の位置No.2645-2647)

英語は子音で成り立っている言語なので、大声で話さないと、ネイティブ同士でも何を言っているかわからないのだとか。だからネイティブはたいてい大声なのだと本城氏は言います。そんなもんですかね。


海外 は、 日本 には ない 独特 の、「 英語 を 話し たく なる ワクワク 感」 や「 英語 を 話さ なきゃ という ドキドキ 感」 に 満ち あふれ て いる から です。」(Kindle の位置No.3024-3026)

本城氏は、まず海外へ1人で行ってみろと言います。英語を使わなければいけない状況に身を置く。その体験によって、英語を話したいという欲求が高まるからと言うのです。


僕 が ここ で 言い たかっ た のは、 人 は 選択肢 が 2つ ある 状況 だ と−− いつか は 変化 する 必要 が ある という こと を 頭 では わかっ て い ても−−、 ついつい、 楽 な ほう を 選ん で しまう 生き物 だ という こと です。」(Kindle の位置No.3064-3067)

日本語でも何とかなるという選択肢があると、英語力が鍛えられないのですね。ですから、日本語で何とかするという選択肢を捨てることが、英語力を高めるのに重要なのです。


1.まず「本当にあなたがしたいことはなにか」を考え
2.そのうえで、「本当は行う必要の”ないこと”」を考え
3.同時に、「そのことを行うには、今なにが一番必要か」を突き詰めて考え、楽しくやっていきましょうということ。
」(Kindle の位置No.3339-3345)

本城式は英会話上達のためだけの方法ではないと言います。すべてのことを上手くやるために役立つ方法なのだと。そしてその本城式の核心は、この3つだと言うのですね。やりたいことを極め、そのために今、必要なことを探し、それを楽しんでやることです。

本城式英会話術の本当の目的は、「だれでも正しい方法でやれば、(英会話に限らず)なんでも可能なのだ」ということを知ることなのだと、僕は思います。」(Kindle の位置No.3371-3374)

このように、英会話に限らず、すべての自分がやりたいことを達成するための方法。それが本城式なのですね。


私たちは何かやりたいことがある時、直接それをやろうとせず、それができるようになるための準備をしようとしてしまいがちです。英会話は、まさにそうですね。私たちは別に、英会話をしたいわけではありません。ネイティブと会話をしたいとか、1人でアメリカ旅行へ行きたいなど、本来のやりたい目標があるはずなのです。

これまでの英語学習では、その本来の目標をやろうと勧めるのではなく、その前に英会話を学びましょうというスタイルでした。その点、本城式はまったく違うアプローチだと感じました。

この英語学習法が私に有効かどうかはわかりませんが、生き方に大きな示唆を与えてくれるものだと感じました。なので、このブログで紹介したいと思います。この本を読んで気づいたのは、私の場合、「特に会話したいと思っていない」というところが、英会話もタイ語会話も上達しない最大のネックかもしれませんね。(笑)

book20181015.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:11 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月03日

タイの90日報告をオンラインで行いました

タイでは、永住ビザ以外の長期ビザで滞在する外国人は、滞在90日間ごとにイミグレーションに報告する義務があります。これを「90日報告」と呼びます。

国外へ出れば、次の入国日からカウントされます。したがって、90日以内に国外へ出ることを繰り返していれば、この「90日報告」をする必要がありません。私も会社に所属していたころの後半は、年に6〜7回一時帰国したので、まったくしてませんでした。

前回は、今年の6月19日に「90日報告」をしたのですが、この時はパスポートを更新してから初めての報告だったので、イミグレーションへ行きました。この時のことは記事「タイ・バンコクで90日滞在報告をしてきました」に書いてますので、こちらをご覧ください。

その後、7月上旬に一時帰国し、7月18日にタイに戻ってきたので、そこから90日間のカウントになります。したがって、期限が10月15日に迫っていました。

今回は2回目なので、オンラインで「90日報告」ができるはず。さっそく試してみましたよ。結果としては、上手くいきました。

なお、ビザなども同様ですが、ここに書くのは、私が実際に試してみた内容です。今後も同様かどうかの保証はありませんので、ご了承ください。


●申請手続き

オンライン(または郵送)で90日報告ができるのは、期限の15日前から7日前までの期間とされています。したがって、10月1日からできるはずですが、念のために1日遅れの10月2日にやってみました。

申請方法は、いろいろなサイトに書かれています。私もそれを参考にしました。「90日報告 オンライン」で検索すれば、いくつも出てきますので。

その中で、ナディア・コンサルティングさんのWEBページが検索トップだったので、これを参考にしました。とてもわかりやすく書かれていると思います。

申請に必要なものは、パスポートと、そこに挟んであるはずの出国カード(TM6)のみです。

まず「90日報告」のサイトを開きます。以前は、ブラウザはIE(インターネット・エクスプローラー)しか使えないとされていましたが、今回、私は、Chrome(クロム)を使いました。

サイトが開いたら一番下までスクロールして、チェックBOXにチェックして、「Accept」をクリックします。

次に3つの四角が表示されますので、申請は一番上の青い四角をクリックします。1ページ目は、パスポートや出国カードの情報を入力します。一番下の「The CAPTCHA password」は、ランダムに表示されるその下の数字を入力します。ロボットによる不正防止ですね。全部入力したら、「Submit」ボタンをクリックします。

もしここでエラーが出て先に進めなければ、何か入力が間違っているか、初めての申請で元データがないことを意味します。私は1回目の時、ここではじかれました。それで、パスポートを更新してから初めてだったと気づいたのです。(エラーメッセージには、そういう情報はありません。)

次のページでは、ビザや住所などの情報を入力します。この時に注意するのは、住所の記入方法が建物名の次が県名になっていることです。通常の番地、地区、・・・という入力方法とは逆になります。システムで情報を絞り込んで行くので、そうなったのでしょう。

前のページの「Nationality」もそうですが、住所も、最初の1文字を入力すると候補が表示されます。その中からクリックして選ぶようにします。

全部入力したら、また「Submit」を押して、エラーがなければ3ページ目の入力になります。ここはチェックBOXにチェックを入れ、「Accept」ボタンをクリックするだけです。これが通れば申請完了です。

申請が完了したら、4ページ目が表示されます。次のように申請内容が表示されます。

90report20181002.jpg
※写真をクリックすると、大きな画像をご覧いただけます。


●申請の確認

申請が通ったかどうかは、同じサイトで確認できます。3つの四角が表示されたページで、今度は真ん中の緑の四角をクリックします。「Passport Information」のタブを開き、そこにパスポート番号などを入力し、サーチボタンをクリックします。そうすれば、自分が申請した情報が表示されます。

90report20181003-1.jpg

表示されたデータの右側に「Status」とあり、そこが「Approved」になっていれば、申請が通ったことになります。その横の「View」にあるボタンをクリックします。申請時の最後に表示された確認画面が表示されます。その右上に「APPROVED」とスタンプがあるはずです。

90report20181003-2.jpg

そのページの一番下に、「The Next Appointment(PRINT)」というボタンがあるので、それを押すと「90日報告」の受領証がPDFで表示されます。

90report20181003-3.jpg

表示されたPDFを印刷し、また同じように畳んでパスポートに貼り付けておきましょう。

90report20181003-4.jpg

受領証の左下には、次回の90日報告の期限が書かれています。この期限は、申請が通った日から90日後になります。なので、余裕を持って早めに申請すると、次の期限が早く来てしまうことになります。

ただそうは言っても、7日前までに申請しなければならないので、せいぜい7日間の違いです。交通費を使ってイミグレーションへ行く手間を考えれば、少々早くてもオンラインでできてしまうのは楽でいいですね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:11 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月30日

食に添う 人に添う



何の紹介で買った本だか忘れましたが、安全な食に関する本を読みました。著者は「食といのちを守る会」代表の青木紀代美(あおき・きよみ)さんです。

半分くらい読んだあたりで、違和感を感じました。「あれっ?これって食の安全について書かれた本じゃないの?」どうやらこれは、青木さんの自伝のような本だったのです。

そういう意味では期待を裏切られたのですが、別の意味でとても感銘を受けました。それについては後ほど。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

青木さんの一人息子、淳(あつし)さんは、1700gの早産で生まれ、身体がひ弱だったそうです。そのため青木さんは、「よい食べ物」を求めて奔走することになるのです。

その淳さんが、「おいしい」と言って飛びついたのが牛乳でした。そこで青木さんは、おいしい牛乳のことを考えていて、北海道の農協牛乳にたどり着きます。そこで岡田米雄氏と出会い、食について学ぶことになるのです。

人間が考えた牧草や人工的に作った飼料ばかり食べさせていると、あるとき牛は脱柵します。柵の外に生えている草を食べるために、電気が流れている鉄条網を踏み倒して外に出るそうです。いのちを守るためには、集団で脱柵することもあるとか。」(p.55)

狭いところに閉じ込めて配合飼料ばかり与えている牛からは、おいしい牛乳が出ません。青木さんは、自然な放牧によって、時には毒を持つ草も必要に応じて食べるような牛を育てられる北海道の放牧に注目します。そこでは牛が自分の生命を守るために、生命の危険を冒してでも身体によい草を食べようとして脱柵することがあることを知るのです。

そういう生命の不思議を一つひとつ学びながら、青木さんはおいしい牛乳を作ってくれる生産者を訪ね、共同購入という仕組みを作ります。

本土の酪農家を守るために政府は、飲用の牛乳は本土の酪農家だけに許可し、北海道の牛乳は加工用に決めていました。本当はそのまま飲めばおいしいのに、あえておいしくない牛乳を飲まされる仕組みになっていたのです。

牛乳の殺菌についても、いろいろあるようです。日本では高温殺菌が普通に行われますが、酪農が盛んなヨーロッパなどではノンホモという脂肪球を粉砕せず低温殺菌された牛乳が当たり前なのですね。こういうことも、青木さんは学びながら、おいしい牛乳を求めて活動されたのです。


先生の姿勢は一貫して「生産者による消費者運動」という立場でした。生産者から消費者へのアピール−−生産者はこういうことを考えています−−と訴えることでした。化粧品や家電でも、テレビCMなどで「うちの商品はこんなにすごいですよ」とアピールするのがふつうです。これは企業から消費者に対する情報提供で、ある種の消費者教育です。しかし、農業や酪農にはこういう活動はありませんでした。」(p.85)

岡田氏は、生産者からその活動を否定されたことから、日本での啓蒙活動をやめられたのだそうです。せっかく流通の仕組みを作ってきた青木さんたちでしたが、生産者の方が「おいしい牛乳を届けたい」という情熱をなくしてしまったのです。高く、たくさん、売れればいい。農産物が商品になり、商品は売れさえすれば何でもよくなったのです。


どんな緊急事態にあっても、落ち着いていることの大切さを母から教わりました。生きるか死ぬかというとき、人はあわてます。動けなくなってしまいます。それが当たり前です。しかしそれでは正しい判断ができなくなってしまいます。大変な事態のときこそ、冷静であれ。母は、そのことに気づかせてくれました。」(p.119)

青木さんのお母様のエピソードは、どれもこれもすごいです。ここでは、甲府が爆撃にあった時の話です。いつもと違うことから、布団をかぶって用水路に避難したそうです。その布団もお母様の機転。お陰で火傷せずに済んだとか。

ところが、爆撃が終わって自宅に戻ると、焼け出されたたくさんの人が、家を占拠していたそうです。青木さんの実家は小地主で、それなりに豊かな家だったようです。お母様は、その避難した人たちを無理に追い出そうとはせず、まずは炊き出しをされたのだとか。人は空腹だと何をするかわからないからと。

こういう知恵を持っておられたお母様でした。青木さんは、そのお母様の生きる指針を受け継がれたようです。


「お役目ご苦労といわれるような仕事はしない」、これが母の口癖で、その後に、「仕事はこともなげに静かにするのですよ」「他人様(ひとさま)の仕事をするときはその相手の人の身になって、もっとも喜んでくださるような仕事をするのです。自分で精一杯したと思ってから、もうひと仕事することがないかを考えることが大切ね」と続きます。」(p.126)

青木さんが子どものころ、身体が弱いお母様に代わって水汲みをしてあげた時のエピソードです。お母様は褒めなかったばかりか、むしろたしなめたのです。それは、青木さんが「なんのために水汲みをするのか」を考えていなかったから。厳しいとも感じますが、青木さんはこういうことから、お母様の教えを身に着けていかれたのですね。


「いくら勉強ができてもだめ」と戒めながら、一方で、プライドを傷つけないように対応していたのです。あの秀才が寝小便だなんて! 私や長男が気づいていたら、バカにしたり、からかったりしたかもしれません。」(p.130)

青木さんの次兄が、小学校6年まで寝小便をしていたことを、還暦を前に話してくれたのだそうです。同じ部屋で寝ていたにも関わらず、誰もそれに気づかなかった。お母様は、冷たく接していたように思われた次男に、実は温かく接しておられたのです。

寝小便が終わったのは、次男が修学旅行へ行く直前。その時、お母様は「大丈夫よ。もう終わったから」と次男に言ったそうです。そして、その通りに寝小便をしなくなったのだとか。まるで超能力者ですね。(笑)

実は私も、小学校6年まで寝小便をしていました。いえ、中学生になっても、1〜2回したと思います。考えてみると、私の母も、一度も私を責めませんでした。それでも恥ずかしかったのですから、もし責められていたら、たまらなかっただろうと思います。寝小便を責めず、文句も言わずに濡れた布団の始末をしてくれる母親は、本当に偉大だと思います。


難しい問題があると、「これ、どういうこと?」とよく母に聞きました。母の対応は、「その問題を大きな声でちゃんと読んでご覧」「もう一回読んでごらん」と決まっています。国語はもちろん数学も、「大きな声で読みなさい」が決まり文句でした。
 不思議なことに、それでわかるようになるのです。
」(p.137)

女子師範に進学されてたお母様は、子どもたちの教育にも熱心だったようです。ただし、いちいち手取り足取り教え込むのではなく、ただ大きな声で読ませるだけだったとか。国語だけでなく、数学でもそうだったようです。これによって、わかるようになったというのですから、面白いですね。

実は私の中学の先生が、関連するようなことを言っていました。すべての教科に関係するのは国語力だと。つまり、文章を理解できなければ、数学も理科も、問題を解けないと言うのです。私は読書は人一倍やっていましたから、国語はほとんど勉強せずに良い点が取れました。すると、数学や理科も良い点が取れるんですね。苦手だったのは、記憶が必要な英語や社会などです。


結婚するとき、功(いさお)さんからは「人間、本来自由だからね、好きなようにするんだよ」といわれました。よくわかりませんでしたが、私はただ「はい」と答えました。自由な時間など持ちようがありませんでしたが、夫はできる範囲で私を自由にしてくれました。ああしろ、こうしろといわれたことはありません。
 結婚して一緒に暮らしはじめると、確かに彼は自由人でした。食事以外、私は夫の世話をすることはありませんでした。
」(p.149)

私は、夫婦間の自由を求めた先駆者だと思っていたのですが、まったく違いましたね。(笑)青木さんは結婚した時、ご主人から「自由だ」と言われていたのです。そういうご主人の理解もあったから、青木さんは食の活動に奔走できたのだろうと思います。


そうして私は気づきました。本物の生産物を作る人をあと押しするのも、私のするべきことだと。本物の生産物を作ろうと思いながら、環境がそれを許さず悩んでいる人もいるでしょう。そういう人と出会い、私にできるささやかな力づけをすることも私の役目なのだと。」(p.202)

黒砂糖は、サトウキビの絞り汁を煮詰めて造ります。それが本来の黒砂糖です。しかし、その作業が大変なため、ザラメと廃蜜を使って、見た目が黒い黒砂糖もどきを造る業者が増えました。しかし、表示はどちらも「黒糖」です。消費者にはわかりません。それで青木さんが消費者庁に働きかけて、「黒糖」と「加工黒糖」の表示分けをさせるようにしたのだとか。

青木さんは、岡田さんの後を継いで、生産者の思いを消費者に伝えることをされているのだなぁと思いました。


「あのね、私の手から電気が出るみたいで、さすってあげるとみんな気持ちいいっていうの、だから高橋さんのおなか、さすりましょうか?」
 高橋さんは不思議そうな顔をしています。
」(p.223)

これが、青木さんが不思議な手の力を実感したきっかけだそうです。この後、青木さんは、4時間ほど高橋さんのお腹をさすり続けたそうです。

実は高橋さん、劇症肝炎で大変な状況だったようです。この後、青木さんは10日間ほどお腹をさすってあげたそうですが、それによって劇的に症状が改善していたのだそうです。


さすられているあいだ、多くの人はとにかくよく眠ります。深い眠り。よっぽど疲れているのでしょうか。その人に寄り添って手を当ててさすっているだけですが、相手の方はそれだけで気持ち良さそうです。」(p.230)

この部分を読みながら、これはまさにレイキだなと思いました。しかし青木さんは、そのことには気づいておられないようです。


Oさんからいわれたことは、私が体をさすると眠くなり、恐怖や不安でコチコチだった頭がゆったりして、いい気持ちになること。しかし、なぜそうなるのか、私にはさっぱりわかりません。」(p.236)

筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹っていたOさんは、3年で亡くなると言われながら、週に1回の手当てで当初の願望だった8年を無事に生き、その後は月に1回の手当てながら、20年を生きながらえておられるそうです。


あれはね、青木さんの気がわかった瞬間です。何かというと、今日の患者さんの脳波で一番反応があったのがアルファ波だった。すべての人の針が振り切れるほど、アルファ波の反応が起こりました。つまり患者がいい気持ちになったということです。
 治らないかもしれないといわれた患者さんや手術後の患者さんは、ものすごい恐怖で、不安だらけになっています。眠るとか、ゆったりするという気持ちになれず、ベッドで悶々としてしまいます。医者としては、仕方なく安定剤や睡眠薬を使って強引に寝てもらうんだけど……。
 患者さんにとっては、リラックスしてなんかいい気持ち、というアルファ波の脳は状態が一番必要なのに、こればっかりは医者の力ではどうにもなりません。しかしあ奥さんが気を当てると、能の中でアルファ波を示す針が振り切れるくらいになりました。青木さんの気は、脳内をアファ派で満たすんです。それが病気を治すときの大切な要素なんです
」(p.238)

青木さんの手当てを科学的に測定した時、九州大学の藤野氏が語った言葉だそうです。私も、レイキをした時に眠くなるのは、アルファ波かシータ波の脳波になっているのではないか、と思っていました。おそらくそうなのでしょう。そういう実験がすでになされていたことに驚きです。


残念ながら、最初に期待していた「良い食」に関する具体的な情報は、それほど多くはありません。どこかの味噌がいいとか、そういう情報はあります。なので、それが欲しい人は、青木さんの会に問い合わせてみると良いでしょう。

しかし、それ以上に得るものがありました。それは、1つは青木さんの生き方です。特に、お母様のエピソードは、素晴らしいと思いました。そして、もう1つは手当ての話です。私は、アチューンメント(霊授)を必要としないレイキを教えていますが、青木さんはまさにその実現者です。

これを、青木さんだからできたのではなく、誰でもできるということになっていくと、素晴らしいなあと感じています。そんなヒントを与えてくれる本でした。

book20180929.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 01:11 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月29日

妻のことを歌に詠みました

私はこう見えても、高校では文芸同好会に入っていました。文学青年だったのです。

と言うのは半分ウソで、人数が足りなくて潰れそうだから救ってくれと1つ年上の姉から頼まれ、しょうがなく文芸同好会に入ったのです。他に陸上部と放送同好会にも所属していましたから。

一応、同好会の活動として会誌(作品集)のようなものを作っていたので、何か作品を作らなければなりません。一番短いのは俳句ですが、これは季語を入れなければならないなど、思ったよりハードルが高い。そこで目をつけたのが短歌でした。

短歌は、五七五七七の三十一文字(みそひともじ)になっていれば、あとは何も問われません。(たぶん)その手軽さから、数首の短歌を詠んで投稿したことがあります。

まあその程度の経歴ですが、三十一文字にするだけで、それなりに歌っぽく聞こえるのが気に入ってます。

最近、三浦綾子さん「道ありき」を読んだのですが、そこには数々の短歌が載せられていました。それに触発されて、私もいくつか詠んで、Facebookに投稿しました。

振り返ってみると、妻のことを詠む歌が多いようです。この妻がいてくれるからこそ、いろいろ経験させてもらえるのだなぁと、改めて思いました。

と言うことで前置きが長くなりましたが、Facebookに投稿した妻に関する短歌を、ここで紹介しておきますね。

本を読む 我の隣に妻おりて
動画に笑う 声や涼しき


ケタケタと 子どものように 笑う妻
汝(な)が幸せを 喜びており


出かけ行く 妻の背中に ありがとう
明日はあらむと 常に思えば


明日なきと 思わば心に湧き上がる
妻への感謝 言葉になりて


帰るたび3万円を小遣いに
与えたい父 遠慮する妻


夜更けて 帰宅するのはかまわぬが
足くすぐるな 我は眠たし

#愛しの妻へ

くすぐるな!
我が手を擦る足を擦る

#妻に言いたいこと
#ゴメンこれもパクリです
※川柳っぽく

あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
長々し屁を 妻こきにけり

#ごめんこれもパクリだ

雷に妻シアンダン(うるさい)だと叫びたる
あなたの声はもっとうるさい

#深夜はお静かに

嗅いでみよ臭くないわと妻が言う
寝ている我の顔に足乗せ

#虐待はやめましょう

※パクリもありますが、パロディですのでご容赦を。


<2018年10月4日追記>

そっちじゃない こっちに寝ろと妻が言う
昨夜はそっちと言ったじゃないか

#朝令暮改
#妻の言いなり

遠慮なくドカンと足を載せてくる
妻と寝る夜は息が苦しい

#安眠妨害
#妻になされるがまま
 


posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:28 | Comment(0) | └ 家族のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月24日

「幸せ実践塾」通信【SJ通信】(目次)

「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」というメルマガをまぐまぐで発行しています。(通称「SJ通信」)
過去ログを読めるのですが、順番にしか読めないので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。

Googleなどの検索では、あまり出てこないんですよね、なぜか。
なので、私が過去ログを使いたい時、すぐにアクセスできるようにするという意味もあります。

※すべてのメルマガへのリンクは張れないので、原則として月の最初の発行日のメルマガと、発行数が多い時は中間点くらいのメルマガのみとします。

※注意:露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。


それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


なお、「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」のメルマガは、最初は独自配信で行っていました。第1回配信は、2012年5月24日になります。
その後、2017年6月24日から、まぐまぐでの配信を始め、 独自配信は2017年12月16日が最後となっています。
(そこまでは両方で配信していました。)

したがって、基本的にまぐまぐ配信になる以前の独自配信分は、このブログの「SJ通信過去ログ」カテゴリの44記事しか過去ログが読めません。

今から全メルマガを読みたいという人もいないとは思いますが、もしご要望があれば、何らかの方法で読めるようにするかもしれません。(笑)

2018年9月24日現在ですが、あと10回くらいでこのメルマガの発行が1000回になる予定です。
気になる方は、ぜひブログの左サイドバーか、こちらからメルマガにご登録くださいね。


●2017年6月
「サンプル誌」
 (2017年6月24日)
「メッセンジャーとして生きる」
 (2017年6月29日)

●2017年7月
「マスターになるために」
 (2017年7月1日)
「終わりを決めておく」
 (2017年7月9日)
「死後の世界はどうなっているのか?」
 (2017年7月22日)

●2017年8月
「グループ意識というもの」
 (2017年8月1日)
「期待に応えなくても良い」
 (2017年8月8日)
「正義は人それぞれにある」
 (2017年8月1日)
「やらなかったことをやってみろ」
 (2017年8月1日)

●2017年9月
「成るようになる、大丈夫だ」
 (2017年9月1日)
「思い通りにならなくても完璧」
 (2017年9月12日)

●2017年10月
「神様の宿題」
 (2017年10月2日)
「「かくあるべし」を減らす」
 (2017年10月13日)

●2017年11月
「ビザ申請で得た気づき」
 (2017年11月4日)

●2017年12月
「心配しない生き方」
 (2017年12月3日)

●2018年1月
「独りの熱狂から始まる」
 (2018年1月2日)
「愛は神である」
 (2018年1月12日)

●2018年2月
「満月は人を狂わす?」
 (2018年2月1日)
「ナチュラル・レイキを始めます」
 (2018年2月12日)

●2018年3月
「引っ越しました」
 (2018年3月3日)
「マスオさんはつらいよ」
 (2018年3月13日)

●2018年4月
「バリ島から帰ってきました」
 (2018年4月1日)
「私は有能でなければならない」
 (2018年4月18日)

●2018年5月
「心配するな、なんとかなる」
 (2018年5月2日)

●2018年6月
「不覚にも泣きそうになりました」
 (2018年6月4日)

●2018年7月
「少しずつ進めばいい」
 (2018年7月7日)

●2018年8月
「フォーカスしたものが見える」
 (2018年8月1日)
「結婚するつもりでいました」
 (2018年8月8日)
 ※ここから始まる「妻との馴れ初め」シリーズは、ブログにまとめてあります。

●2018年9月
「北海道旅行の後で妻に贈る言葉」
 (2018年9月3日)
「心屋仁之助さんのブログについて」
 (2018年9月18日)

●2018年10月
「正直にすべてを開示する」
 (2018年10月3日)



まだまだ継続中です。よろしければ、メルマガにご登録ください。

→ メルマガ「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:49 | Comment(0) | メルマガの目次 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

誰も知らない偉人伝



また白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。この本は、前にも読んだ「こころに残る現代史」のリメイク版の文庫本になります。

今年、白駒さん主催のバリ島の兄貴を訪ねるツアーに参加した時、この文庫本ができることを聞きました。文庫化にあたって、かなりの加筆修正を行うとのことでしたので、期待して読みました。

実際読んでみて、登場するエピソードの中にはよく知っているものが多数ありましたが、まるで新しい本を読んでいるかのような感動がありました。読み始めたらグイグイ引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。しかもその間、ボロボロ涙を流しながら。

かつて、こんな美しい日本人が大勢いたのですね。その美しさに感動します。そして、この「日本人」という伝統を、私も遺していかなければいけないなぁと、決意を新たにしました。ぜひ、多くの人に読んでいただきたい1冊です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

死刑執行官は、射撃手に「射撃用意」と告げた後、ひと言つけ加えました。

「愛をもって撃て……」
」(p.27)


時代は日露戦争のころ。民間人でありながら「日本のために」とスパイ活動を行った横川省三のエピソードです。
省三は、任務を行う前にロシア兵に捕らえられます。そして軍法会議にかけられました。

しかし省三は、機密をバラすようなことはせず、スパイ活動をしている者は多数いると、堂々と供述しました。このことによりロシアは、シベリア鉄道を守るため、多数の監視要員を割かなければならなくなったのです。

民間人の死刑は絞首刑でしたが、省三は軍人に対する礼を求めました。その熱意に負け、裁判長は特例で銃殺刑を下します。しかし、省三の堂々たる態度に胸を打たれた裁判長は、自ら減刑嘆願をするのです。その嘆願は叶いませんでしたが、敵国人にそこまでさせるとは、いったいどれほど素晴らしい態度だったのでしょう。

省三は残された娘たちにあてて遺書をしたためます。国のために尽くせと。まさに省三の生き方そのものでした。さらに省三は、使いきれなかった所持金のすべてを、娘たちへではなく、ロシアの赤十字社に寄付します。

そして死刑執行の日を迎えたのです。死刑執行官は、省三を苦しませないように、心臓を狙って即死させよという願いを込めて、上記のように告げたのです。その堂々たる態度で敵国人さえ感動させる。そしてその感動が、愛の行動を起こさせたのですね。


義和団の乱のときの柴五郎にはリーダーとしての矜持(きょうじ)があり、マクドナルド公使は、その五郎の姿に、上に立つ者のノブレス・オブリージュを見ました。
 こうしたことが下敷きとなり、さらに両国の利害関係の一致があって、日英同盟締結という結果に結びついたのではないでしょうか。

 そして、この同盟がなければ、日露戦争の勝利もまたなかったのです。
」(p.46)

日本の近代化において、その最も特筆すべきエピソードとして日露戦争があります。弱小日本が大国ロシアと戦って勝ったのです。これがなければ、日本は植民地支配されていたかもしれません。そして、アジアやアフリカの独立は、さらに遅れたと思われます。白人支配の常識に風穴を空けた出来事だからです。

その日露戦争の勝利には、数々の要因がありました。その中の1つが日英同盟であることは、よく知られています。これまで一度も他国と同盟関係を結んだことのないイギリスが、こともあろうかアジアの弱小国、日本と同盟を結ぶ。こんな摩訶不思議なことが起こったのが、義和団の乱での日本人の活躍だったのです。

清朝は義和団と組んで、日本、ロシア、イギリスなど8ヶ国の人々が駐留していた居住地域を取り囲みました。925名の外国人居住区に、逃げてきた中国人クリスチャン約3000人。その地域を守る兵力は、わずか500人足らず。連合軍2万人が到着するまでの約2ヶ月間、その勢力で義和団の攻撃に耐えたのです。

その中心にいたのが、英語、フランス語、中国語などをたくみに使った柴五郎(しば・ごろう)。冷静沈着に指揮して、パニックが起こるのを防ぎました。イギリス公使のクロード・マクドナルドは、「彼のしもべになってもいい」と手記に記すほど、五郎に惚れ込んだのです。このことからマクドナルドは、本国に日本との同盟を進言します。ロシアの台頭を抑えたかったイギリスは、日本との同盟に踏み切ったのです。


宮古島に戻った後も、「決して口外してはならない」という約束を守り、5人は自分たちのしたことを家族にも口にしなかったといいます。しかし、やがて彼らの努力は多くの人々が知ることとなり、このエピソードは全国の日本人の胸を打ちました。
 彼ら5人は「久松五勇士」と呼ばれ、戦前の教科書に掲載されます。さらに、沖縄県知事からも表彰を受けることとなりました。
」(p.54)

日露戦争では、バルチック艦隊がどこから現れるかが重要なポイントでした。それを真っ先に発見したのは、宮古島の漁師、奥浜牛(おくはまうし)という若者でした。しかし、そこからの連絡が難しかったのです。宮古島には通信施設がないため、石垣島へ行かなくてはならない。約170kmをサバニと呼ばれる手こぎボートで渡る。その任務に選抜されたのが、漁師の垣花善(かきはなよし)、垣花清(かきはなきよし)、与那覇松(よなはまつ)、与那覇蒲(よなはかま,松原村)、与那覇蒲(久貝原)の5人だったのです。

到着した石垣島も、通信施設があるのは30kmの山道を行った先。彼らは疲労した身体に鞭打ち、八重山郵便局に向かい、大本営へ向けて打電しました。

しかし、彼らの苦労は報われませんでした。それより先に、日本郵船の貨客船、信濃丸が「敵艦見ゆ」の打電をしていました。第一通報者にはなれなかったのです。

役には立たなかった。けれども、日本のために死力を尽くした名も知らない人々がいる。白駒さんは、そのことを掘り起こしたいのです。こういう点は、一隅を照らす生き方をした人にスポットライトを当てた神渡良平さんの姿勢と通じるものがあるように思います。


日本が長年統治していたのは台湾と韓国です。では、その2ヶ国、今はどうなっていますか? ともに先進国じゃないですか。欧米が植民地支配をしていた国のどこに先進国があると言うのですか。日本が統治をしていた国や地域だけが、先進国になっているのですよ。」(p.68)

白駒さんの価値観をひっくり返したという、インドネシアの教授たちから白駒さんが聞いた話です。インドネシアの人たちはみな、日本に感謝していると言われたのです。

歴史上の出来事のプラス面、マイナス面を両方知った上で、自分なりの歴史観を持つこと。それが本当の「歴史からの学び」だと思うのです。
 そういう意味で、このインドネシア独立にまつわるエピソードは、現在の日本に生きる私たちが知っておくべき話だと思い、私はみなさんにお伝えし続けているのです。
」(p.71)

先の大東亜戦争(太平洋戦争)には、いろいろな意味があります。日本が欧米列強と同じように植民地を欲した侵略戦争という一面もあれば、ABCD包囲網でジリ貧になる前に石油を確保したかった自衛戦争という一面もあると思います。そして、欧米の支配からアジアを解放する解放戦争という意味も。

一面的な見方に偏るのではなく、事実をもとに自分の歴史観を持つこと。それが重要だと白駒さんは言います。


あなたが示された寛容と博愛と仁慈の精神を私たちは決して忘れません。そして、もし私たちよりさらに不幸な人々に会えば、あなたに示された精神で私たちも臨むことでしょう。『四海の内みな兄弟なり』という言葉を、私たちはあなたとともに思い出すことでしょう」(p.92)

こう語ったのは、第一次世界大戦の時、青島(ちんたお)で日本に攻撃されて捕虜になったドイツ兵です。四国徳島の一番札所がある坂東に収容所を作り、1000人ものドイツ人捕虜を収容しました。地元の人々からは「ドイツさん」と親しまれ、手厚くもてなされた彼らは、音楽やスポーツの活動も活発に行いました。

その中で生まれたのが、1918年6月1日に行われた日本初の「第九の演奏会」だったのです。彼らを手厚くもてなしたのは、会津藩出身の松江豊寿(まつえ・とよひさ)所長。論語にある「四海の内みな兄弟なり」という精神で、捕虜に対しても真心と礼儀を尽くしたのです。


ところで、沖縄戦といえば、「本土決戦までの時間稼ぎのために、多くの県民が捨て石にされた」というイメージが強いと思いますが、当初、日本軍は住民を戦いに巻き込む気はなく、県民の半分以上を九州や台湾に疎開させ、残り半分以下の県民を沖縄本島北部に移す予定でした。仮に沖縄が戦場になった場合、戦場に多くの住民がいれば被害が大きくなるばかりか、軍は住民を守るため、本来の戦闘力を大きく削がれてしまうからです。」(p.103)

これは知りませんでした。でも、考えてみればそうですね。後で出てくるパラオでの決戦のように、日本軍が民間人を盾に使うことは考えられませんから。

残念だったのは、疎開が遅れたこと。これは、多くの人が疎開に躊躇したことも原因であるようです。そして、アメリカ軍が沖縄本島中央部に上陸して南下したため、住民もろとも追いやられてしまったこと。ここには、官選知事の島田叡(しまだ・あきら)氏が任官を拒否しなかったエピソード、最後まで住民を守ろうとしたエピソードなどが書かれています。

実は、沖縄戦における民間の犠牲者の多くは、首里城が陥落し、軍の南部撤退に伴って本島南部全域が戦場となってから、亡くなっています。まさに彼らは、本土決戦準備のために、捨て石にされたのです。」(p.110)

ここまできては、県庁職員には何もすることができません。島田知事は約100人の職員に解散を命じます。島田知事は、住民全員が逃げられない状況下で、自分が逃げるという道は選ばれなかったのです。

本土から派遣され、このような思いで沖縄の人々に尽くそうとした人がいた。それは、島田知事だけではなかったようです。次の大田実(おおた・みのる)中将が海軍次官へと言って打った最後の電文も心を打ちます。その最後を引用しましょう。

これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公するのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。
 沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。
 沖縄県民は、このように戦いました。
 県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。
」(p.114)

この1週間後に、大田中将は自決したそうです。この大田中将の思いは、現代に伝わっているのでしょうか? まずは、知ることが重要だと思います。


私たちは、過去に起こった出来事を、変えることはできません。でも、当時の人々の思いを知ることで、受け止め方を変えることはできます。
 それによって、過去に生きた人々の命が輝き、同時に、いま生かされている私たちも少しだけ幸せな気持ちになれる……。そこに、歴史を学ぶことの大きな意味があるように思えるのです。
」(p.126)

昭和天皇の行幸のエピソードの最後に書かれてある白駒さんの言葉です。事実は変えられませんし、それを捻じ曲げてはいけません。しかし、その見方を変えることはできます。

それぞれの人の懸命に生きた背景を知ったなら、同じ出来事も違って見えてきます。もし、自分がその立場なら、どんなことができただろうか? そんなことを考えてみるのも、良いことだと思います。


ただし、ここで特筆すべきは、メキシコが日本にとって一番初めに平等条約を締結した国であり、オリンピックの東京開催を、世界で最初に支持してくれた国であるということです。これが、「2番目」だったら、両国の友情は存在していたかどうか……。」(p.137 - 138)

1874年の金星大接近の観測場所として日本が最適だとわかった時、不平等条約を振りかざして上から目線でものを言ってくる欧米諸国に比べ、メキシコは最初から対等に臨んできました。その真摯な態度に応え、日本は最高の観測場所をメキシコに提供しました。それに対してメキシコは、初めて平等条約を結んでくれたのです。

このことがきっかけで、欧米の不平等条約を改定して行くことができました。日本はそのメキシコの恩義に応えようと、都内の一等地を大使館用に無償で提供したのです。メキシコの勇気ある行動がなければ、欧米と肩を並べるまでに相当な時間を要したことでしょう。


エルトゥールル号が遭難する4年前(1886年)に、やはり近海でイギリスの貨物船ノルマントン号が遭難したとき、乗り合わせていた二十数名の日本人乗客全員が水死するという、痛ましい事件が起こりました。このとき、イギリス人の船長、船員は、自分たちだけボートで脱出し、日本人乗客を見捨てたのです。
 この悲劇を、当時の日本人なら誰もが知っていました。悲しくて悔しい出来事でしたが、当時は幕末に結んだ不平等条約が続いていて、日本は彼らを裁くことさえできなかったのです。
」(p.154)

そんな状況下で起こったエルトゥールル号遭難事件です。どうせ外人なんだからと、放っておいても良かったはず。でもそれをしなかった。それを白駒さんは「惻隠の情」があるからだと言います。頭で考えた結果ではなく、直感的に助けずにはおれないと感じる心。そういう心を、日本人は強く持っているのかもしれませんね。

官軍と幕府軍が戦った時も、同じようなことがありました。清水の浜に打ち上げられた幕府軍の兵士を、多くの人が官軍を恐れて見て見ないふりをしていました。しかし、1人、そうしない男がいました。清水の次郎長です。死んだらみな同じ仏様だとして、手下に命じて懇ろに弔ったのです。

また、日露戦争の時もありました。日本海海戦では多くのロシア戦が日本海に沈みました。その中に、島根県江津市沖まで辿り着いた船もありました。イルティッシュ号です。住民はそれを助けて介抱し、乗員265人全員を助けたのです。私の故郷でもある島根県のエピソードです。

たとえ敵国の人であったとしても、戦闘時でなければ人として敬意をもって遇する。そういう気概が、日本人には伝統的にあるように思います。本書にも太平洋戦争時に、沈没した敵艦船の乗員を助けたエピソードが載っています。そういうのを読むと、人としての美しさを感じます。

それにしても、海で受けた恩を空で返してくれるなんて、トルコ人も粋ですね。」(p.155)

エルトゥールル号の恩を忘れなかったトルコによって、イラン・イラク戦争の時にイランに取り残された多くの日本人が救われました。自国民は陸路で避難するようにさせ、優先的に日本人を救出機に乗せてくれたのです。

このエピソードは、映画にもなりました。「海難1890」です。もう思い出しただけで涙がこぼれそうになります。


私は、航空会社に勤務していた頃、仕事や旅行で海外のさまざまな町を訪れましたが、そのたびに、”日本ブランド”を感じていました。「日本人だから」という理由だけで、信用してもらえたり、とても親切にしてもらえたんです。
 それは、先人たちの素晴らしい生き方に、世界中の人々が共感してくれていることからきていたと思います。敗戦後、日本がまたたく間に復興できたのも、日本人の努力や能力以上に、日本人ブランドが世界に愛されていたからではないでしょうか。
」(p.172)

本書には、ベルギー、メキシコ、ウズベキスタン、トルコ、ポーランド、スリランカ、パラオ共和国という国の人たちが、日本に対して親しみを持っていてくれることがエピソードとともに書かれています。日本人があまり知らないことがほとんどです。しかし、間違いなく私たちのご先祖様の誰かが、その国の人々の心に残る対応をしてくれています。

「日本は天国のようなところだった」と語ってくれたのは、シベリアから日本経由でポーランドに戻ることができた孤児の1人、アントニーナさん。ヨーロッパの国がどこも助けなかった時、日本だけが救いの手を差し伸べたのです。そして、その孤児たちに対して親身に接した大勢の日本人がいました。

何か特別なことやとてつもなく大きなことをする必要なんて、ないのです。先人たちがしてきたように、大切な人、大好きな人を笑顔にするために、一日一日を、心をこめて丁寧に生きる。勇気と誇りを持って、この世を天国に変える小さな一歩を、踏み出していきましょう。」(p.173)

白駒さんは、このように言います。目の前の人を笑顔にする。喜びを与える。そうする方法は無数にあるし、そう決意すればその方法は見つかる。そして、他人に喜びを与えれば、自分が喜びを得られる。それが本来の私たちの姿なのだ。そう、「神との友情・下」にもありました。


例えば、コップに半分入った水を「もう半分しかない」と受け止めるのが、マイナス思考。「まだ半分ある」が、プラス思考。でも、まったく違う受け止め方もあるのです。水の量に関係なく、「こうして飲めることが有り難いな」とか、「こうして安心して水が飲めるのも、大自然のおかげであり、先人たちのおかげ」といった受け止め方がある。
 私はこれを「感謝思考」と呼びたいと思います。
」(p.188)

これは新しい視点ですね。多い少ないと量に注目するのではなく、ただ存在していることに感謝する。「感謝思考」という言葉は、私の心に響きました。


八田さんが台湾に残した一番の功績は、八田ダムを造ったことではありません。確かに、それも大きな功績です。でも自分は、それと同じかそれ以上の功績があると思っています。それは、八田さんが台湾に日本精神を伝えてくれたことです」(p.228)

李登輝元総統は、日本で講演する時、必ず于山島(うざんとう)ダム(八田ダム)を造った八田與一(はった・よいち)氏のことを話されるそうです。その時、上記のようなことを話されるのだとか。

「公に生きる」「他人の幸せを考える」「他人の痛みを自分の痛みとする」というような自他同一の感覚が「日本精神」なのです。台湾の人たちにとっては、「日本精神がありますね」というのが、最も嬉しい褒め言葉なのだそうです。


巻末には横田南嶺(よこた・なんれい)氏の解説があります。白駒さんは、これだけでも読む価値があると絶賛されていましたね。私のFacebookに、白駒さんが次のようにコメントされていました。

横田管長の解説が素晴らしく、これだけでも皆様にお読みいただけたら本望です(*^^*)

本書に、日露戦争に先立って金子健太郎ルーズベルト大統領に会いに行き、日本への協力を取り付けたという話が載っています。ハーバード大学で同窓だったよしみがあったからです。その金子がアメリカに渡ることになった時の伊藤博文とのやり取りが、この解説に書かれています。

ちょっとネタバレになるので引用しませんが、さすがは伊藤博文だなぁと思わせるエピソードです。しっかりとした見識と胆識。一流と言われる人は、さすがに違いますね。もし大東亜戦争の時も、伊藤博文が首相だったら・・・と思ってしまいました。気になる方は、ぜひ本書をお読みください。


白駒さんも書かれているように、歴史を学ぶとは、年号や出来事を覚えることではない、と私も思います。さまざまな環境、事情、出来事があり、その中で人々がどう考え、どう行動したのか。そのことを知ることが、歴史を学ぶことだと思います。

それも、ただそれを知ればよいのではありません。知識だけ増えても、評論家になるだけです。それでは意味がありません。その知識を自分の生き方に活かすこと。活用しなければ歴史を学んだことにはならないのです。

そういう意味で、わかりやすくエピソードを伝えてくれる白駒さんの本は、とてもお勧めです。この本も、ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思いました。

book20180920.jpg
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 04:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月19日

仙境異聞・勝五郎再生記聞



「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」の2745号(2018年6月11日発行)「取材ノート」で紹介されていた本を読みました。「天狗のしわざ」と題して編集部の野中千尋さんが書かれたもので、「最近私を「夕飯抜き」にした一冊」ということでした。

Twitterで噂が広まって人気が高まり、急遽復刊され、それがあっという間に1万部も売れたのだとか。そんなことを聞いては読まないわけにはいきません。ということで、さっそくネットで注文し、7月に帰省した時に受け取った本になります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

まず最初に、この本の概要を説明します。「仙境異聞」は文政3年(1820年)に、天狗に連れ去られたという少年寅吉から平田篤胤(ひらた・あつたね)氏らが話を聞いて、それを篤胤氏がまとめたものになります。「勝五郎再生記聞」は、前世の記憶があるという勝五郎の話を、同じく篤胤氏がまとめたものです。

寅吉は、この時15歳だそうです。昔だと数えですから、今の13歳くらいでしょうか。その少年に篤胤氏ら大人が質問攻めにします。それに対して寅吉は、堂々と答えています。

なお、現代語訳ではないので、文章は読みづらく、内容もわかりづらいです。特に最初の「仙境異聞(上)」は、途中で何度も読むのをやめようかと思ったくらいです。次の「仙境異聞(下)」は、質問形式で文章も割と読みやすくなっています。

こういう本がそんなに話題になるとは、ちょっと不思議な気がします。ただでさえ活字離れしているというのに、こんな読みづらい本が売れるとは・・・。まあ、買った人がみんな最後まで読むとは限りませんけどね。


寅吉云はく、宮も家もいかに小なりとも、大勢入りても狭からず、人数に従ひて、広くも狭くも思ふまゝになる物なり。」(p.252)

これは、「十三天狗」と呼ばれる天狗や山人(さんじん:行者のような存在)たちの住まいが、「岩間山の愛宕宮」だと寅吉が答えたことに対し、使者も含めて50人くらいが愛宕宮のような小さなところに入れるのかと質問した時の寅吉の答えになります。

つまり、寅吉らは現世の人間のような存在ではなく、幽界の存在として、3次元空間に縛られていないのだろうと思われます。他にも、備えられた食事を食べても、そのものはなくならないとか、近くに行っても自分たちの姿は見えない、などの記述があります。


寅吉笑ひて云はく、地獄極楽といふは、愚かなる者を縅(おど)す為に、後人の作言したるなり、と師説なり。殊に極楽は十万億土にあるといへば、地つづきと聞こゆるに、師に伴はれて大空に昇り遠く国々までも行きて見たるに、何と見ても大地は円き物にて、くるりと廻りても十万億土はありそもなし。」(p.305)

これは地獄極楽を見たかという問いに寅吉が答えたものです。地獄極楽は作り事だと言い切っているのが面白いですね。師と共に空を飛び、諸外国ばかりか他の星まで言ったという寅吉が、地球をぐるっと回ったと言っています。本当かどうかは何とも言えませんが、当時の15歳の少年に、こういう知識があるとはなかなか信じられません。


さてまづ光りて見ゆる所は国土の海の如くにて、泥の交じりたる様に見ゆ。俗に兎の餅つきて居ると云ふ所に、二つ三つ穴あきて有り。然れど余程離れて見たる故に、正しく其の体を知らず。」(p.313)

これは寅吉が、星のあるところまで行ったなら月の様子を見たかと問われて答えたものです。しかし、質問者は穴が空いているはずがないと、これを否定します。それに対して寅吉は、次のように言います。

我は書物は知らず、近く見て申す事なり。尤も師も岳なりとは云はれつど、近寄りて見れば正しく穴二つ三つ有りて、其の穴より月の後ろなる星の見えたりしなり。然れば穴ある事疑ひなし。」(p.313)

西洋の書物で月をどう言っているかは知らないが自分はこの目で見た、というわけですね。まあ現代の科学では、寅吉の説は完全に否定されることになりますが。


寅吉云はく、わろきと云ふ事は成るたけ云はぬ物なり。殊にわろき天気などいふ事は宜しからず、よくふる天気など云ふべき事と師の教へなり。」(p.326)

ある人が「わろき鮓(すし)ぞ」と言ったことに対して、寅吉が口を挟んだのです。なぜそう言ってはいけないかについては、特に言及がありません。おそらく、言霊ということではないかと思います。


此の国は仏国に非ず神国にて、我も人も貴き神の末なれば、何でも神に成らむと心掛くべき事なり。」(p.333)

寅吉は、最初から仏教は卑しいもので良くなく、神道が優れたものだという立場です。理由はいろいろ書いてありますが、特に決定的なものではありません。強いて言えば、釈迦も人間として生まれたもので、人間を創ったのが神なのだから、というような理由も書かれていました。

どうも篤胤氏の持論を補強するために、いろいろ編集されているのではないか、という疑いがなくもありません。
ただ、少なくともこういう不思議なことを語る少年がいたことだけは、事実ではないかと思います。


最後にもう一度言うと、こういう本がヒットするとは、ちょっと不思議です。読みづらいし、内容的には特に目を見張るものはありませんから。これで示された痛風の薬とか不妊治療の方法などが、現代で受け入れられているというなら別ですが、そんなこともなさそうですし。

けれども、今から約200年前には普通に天狗がいたのかもしれないなぁと想像してみると、ちょっと楽しくなることはあります。科学的でないからと言って、必ずしも間違っているとは言い切れませんからね。

book20180919.jpg
 
タグ:平田篤胤
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 07:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ

スポンサーリンク