2018年12月19日

ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる



「人生を変える幸せの腰痛学校」伊藤かよこさんのFacebook投稿で知った本を読みました。伊藤さんは、腰痛のほとんどは認知の問題だとして、適度な運動が重要と言われていました。そんな中でこの本は、週1回のスクワットで腰痛はもちろん、膝痛、股関節痛も改善すると言っているのです。

著者は、自称「筋肉ドクター」小島央(こじま・ひさし)医師。医療の縦割りによって、整形外科医がリハビリに口出しできず、理学療法士も医師の介入を嫌うという現状で、自らクリニックを開業して効果的な筋トレを指導するようになられたのだとか。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。私が読んだのはKindle版ですので、またページの表記がありません。電子書籍の位置情報はありますが、コピペの限界を過ぎると目安になりますので、ご了承ください。

初期 に 激烈 な 痛み が あっ たり、 患部 が 炎症 を 起こし たり し て いる 場合 には、 炎症 や 痛み が ある程度 治まる まで、 安静 を 保つ 必要 が ある でしょ う。   しかし 初期 症状 が 治まっ たら、 まだ 痛み が 多少 残っ て い ても、 なるべく 早く 体 を 動かし た ほう が いい。 これ が、 医学 的 には 正しい 対処 法 で ある こと が 判明 し て い ます。」(Kindle の位置No.165-168)

たとえばぎっくり腰など、急性期には安静にした方がいいのだそうです。しかし、その後はなるべく早く、動ける範囲で動く方がいいのだとか。


そこで、「 運動 不足 は 世界的 伝染病 で ある」 とさ れ、 運動 不足 が、 肥満、 ガン、 糖尿病、 脂質異常症、 うつ、 認知症 などを 引き起こす もの として 指弾 さ れ て い ます。」(Kindle の位置No.173-175)

これは、世界的権威のイギリスの医学誌「ランセット」の論文から、安静を支持するものは1つもないと言います。逆に安静を続けることのデメリットが大きいのです。

これは目からウロコでした。何かあればすぐに安静にするようにと言われましたから。私は小学生の時、腎盂炎で1ヶ月ほど入院したのですが、最初はトイレすら歩いて行かせてもらえませんでした。最近は少し違うのでしょうかね。


前 に ふれ た とおり、 実際 に 損傷 が ある 場合 は、 安静 の 必要 な ケース が ある こと は 事実 です。 しかし、 初期 症状 が 軽快 し た 後、「 できるだけ 早く 体 を 動かし た ほう が( 患部 にも) いい です よ」 と 親切 に くぎ を 刺し て くれる 医師 や 医療 関係者 は、 そう 多く は あり ませ ん。」(Kindle の位置No.191-193)

医者がそういうことを知っていない、ということも1つの原因なのでしょうね。


つまり、 通常 なら 1 年 かけ て 起こる はず の 筋肉 の 加齢 的 変化 が、 横 に なっ て 安静 に する と、 たった 2 日 で 起こっ て しまう こと になり ます。」(Kindle の位置No.208-209)

安静を続けているとどうなるかと言うと、筋肉量が減っていくのです。20歳を過ぎると、日常の行動しかしてない場合、年に1%の筋肉低下が起こるそうです。それが、1日重ベッドで安静しているような生活だと、1日で0.5%の筋肉低下が起こるとか。つまり、2日で1年年を取るようなものです。


そもそも 炎症( と それ に 伴う 痛み) とは、 体 が 自然治癒 し て いく 過程 で 通る、 欠か せ ない ステップ です。 その 炎症 を 痛み 止め によって おさえ て しまう の です から、 自然治癒 の 進行 は、 必然的 に 遅れる こと に なる の です。」(Kindle の位置No.343-345)

これは、痛み止めの薬は対処療法で、根治療法ではないと主張されている部分に書かれていました。熱や下痢、嘔吐、咳などの症状は、自然治癒力の働きです。対処療法の薬は、その自然治癒力の働きを妨げます。ここで小島医師は、炎症も自然治癒力の働きだと言っていますね。


しかし、 結論 から いえ ば、 歩い ても、 筋力 アップ は 望め ませ ん。」(Kindle の位置No.427)

何か運動をすべきだと言われると、私たちはすぐにジョギングとかウォーキングを思い浮かべます。お年寄りにはウォーキングや散歩などが良いと思いがちです。しかし小島医師は、それでは筋力アップにならないと言い切られます。なぜならそれは日常行動であり、それだけしていても老化による変化(筋力低下)を止められないことが明らかになっているからです。

無酸素運動 は 高 強度 で、 筋肉 に 大きな 負荷 を かける 運動( = ストレス) です。   こうした ストレス が かかる と、 体 が、 筋肉 を 強く 大きく し なけれ ば 対応 でき ない 状況 に 置か れる ため、 それに「 適応」 し、 筋肉 が 強く なる という 現象 が 起こり ます。」(Kindle の位置No.480-482)

運動には、日常生活動作(低強度)、有酸素運動(中強度)、無酸素運動(高強度)の3種類があると小島医師は言います。日常生活動作は、これまで示した通り、筋力アップには役立ちません。有酸素運動は心配に負担がかかるため、高齢者には負担が大きい場合もあります。その点、無酸素運動は短時間でできるため、負担が少ないと言うのですね。

自分の限界に近い力を出すことによって、身体の細胞が筋肉を大きくして対応しようとする。これが動的平衡に基づく適応だと言います。私たちの身体の全細胞は、3ヶ月で生まれ変わるので、私たちは日々、状況に適応しているのです。


心理 社会的 因子 とは、 ストレス や 不安、 疲れ といった 心理的 な 要素 です。 それら の ほう が、 腰 への 負担、 姿勢 よりも、 高い 相関 が 認め られ、 腰痛 の 原因 で ある 可能性 が 高い と 考え られる よう に なっ て い ます。」(Kindle の位置No.746-747)

同じ重い物を運ぶ作業をさせても、片方には常に罵声を浴びる状態にしておくと、そちらの人々は腰痛を起こしやすいのだそうです。小島医師自身もぎっくり腰を経験されていますが、きっかけは重い物を持ったことであったとしても、本当の原因は仕事のストレスだったと分析されています。

私 の ケース で いう と、「 巨大 な ヘルニア が 腰椎 から 飛び出 て いる」 と、 画像診断 で 指摘 さ れ た 事実 を 何度 も 思い返し たり、「 筋 トレ が 悪かっ た ん だ。 あんな 重たい 物 を 持た なけれ ば よかっ た」 と、 腰痛 の 原因 について アレコレ 思い悩ん だり し ては いけ ませ ん。そう する と、 それ が 本当 の 呪い の よう に 働い て、いつ まで たっ ても 腰痛 が 治ら ないということになるのです。」(Kindle の位置No.763)

ヘルニアでさえ腰痛の原因ではないし、ヘルニアは筋トレしていれば勝手に治ることがあることも、小島医師は実証されたのです。

痛くても、「安静のほうが腰に悪い」と思いつつ、体を動かすことが大事です。
「こんな筋トレをやったら腰に悪いだろうな」「ひょっとしたら、痛くなるかもしれないな」などと思いながら運動するのは、よくありません。
」(Kindle の位置No.772)

筋トレで腰や足が悪くなることはない、という絶対的な安心感の中で、筋トレすることが重要だと言います。ストレス、不安というものが、悪い影響を与えるのですから。


小島医師が唱える筋トレとは、次のようなものだと言います。

「高強度」な運動「習慣」で、筋肉に「適応」を起こさせること。」(Kindle の位置No.872)

それが無酸素運動であり、限界的なスクワットなどなのです。

このスクワットに使う時間は、せいぜい30秒。長くても、1分です。」(Kindle の位置No.901)

しかも、原則として、この筋トレの頻度は、1週間に1回。それ以上、間隔を詰めて行っては、きつい運動なだけに、かえって故障の原因になります。」(Kindle の位置No.903)

つまりどういうことかと言うと、せいぜい10回くらいしかできないような負荷をかけて1セットのスクワットをする、ということです。これを1週間に1回行うだけなのですね。

しかも、小島医師の筋トレでは、個別の筋肉を鍛えるというやり方をしません。大きな筋肉を中心に、その周りの筋肉も同時に鍛えられる運動をするのです。

全体を鍛える筋トレとして、私がクリニックで皆さんにお勧めしているものに、「スクワット」「ローイング」「ベンチプレス」があります。
 これらの筋トレは、体の中でも大きな筋肉が使われています。と同時に、多くの補助筋肉群が使われています。これにより、全身的にハイパワーのエクササイズができます。
」(Kindle の位置No.970)

スクワットは大臀筋や大腿四頭筋など、ローイングは広背筋や僧帽筋、ベンチプレスは大胸筋などの大きな筋肉が鍛えられる運動ですね。これらの他に補助筋肉群が同時に鍛えられるのです。


私の筋トレの基本的な考え方は、発揮できる最大限のパワーの運動習慣に、「適応」を促すことです。
 筋トレのポイントは、「パワーを出すときは全力を出す。できるだけ速く動かす」「運動を始めたら、止まらない。動き続ける」です。
」(Kindle の位置No.1068)

最初のポイントは全力を出すよう負荷をかけることですね。せいぜい10回くらい繰り返せるくらい負荷をかけます。

そして、たとえばスクワットで立ち上がる時は、できるだけ素早く立ち上がります。これが、速く動かすというポイントになります。

複数回の動きをするのですが、その間に筋肉が休む時間を作らないというのがポイントの1つです。たとえばスクワットなら、足が伸び切らないようにする、ということですね。それから、しゃがむ時はゆっくりしゃがむことで負荷をかけ続けます。こうすることで、止まらず動き続けることになります。


重たい物を持って不安に思ったときは、「筋トレをするのは、体にいいんだな」と自分にささやきましょう。それが事実ですし、よい自己暗示にもなります。
 筋トレという運動は、自分でできる範囲内でしか行えません。だから適切に行えば、なんらリスクはありません。「筋トレで体が壊れるわけはない」と自信を持って体を動かすことが肝心です。
」(Kindle の位置No.1207)

痛みがある時は、どうしても不安になりがちです。そんな時は自己暗示を使ってでも実行すること。そうすれば、その実践が自信となって、筋力がアップして腰痛など起こりにくくなる、という好循環につながるのだと言います。


骨の強さは、筋力に比例するとされています。有効な筋トレを継続して行って、筋力強化が進めば、それに従って骨も強くなります。」(Kindle の位置No.1287)

特に女性の場合は、骨粗鬆症という骨が弱くなっている状態の人が多く、重いものを持つことに恐怖感があるかもしれません。しかし小島医師は、そういう人だからこそ短時間でできるこの筋トレが良いのだと言います。これによって筋力がアップすれば転びにくくなるし、骨折もしにくくなるのだからと。


筋肉量がへると、インスリンを分泌する、すい臓のβ細胞の機能低下が起こるという相関関係のあることがわかっています。」(Kindle の位置No.1327)

これは糖尿病に対する効果について語っている部分です。糖尿病に対しても、筋肉量を増やすことが効果があると言われるのですね。


動物には筋トレができません。だから、加齢的変化に抗うことができず、年々、体が衰えていきます。私の提案している筋トレは、唯一、加齢に抵抗できる手段です。私は、高齢者にこそ、筋トレをお勧めしたいと考えています。」(Kindle の位置No.1528)

動物は自ら筋トレをしないので、自然と加齢によって衰えていきます。しかし人間は、自ら筋トレをすることができ、それによって加齢による変化に抗うことができるのですね。


週に1回、わずか数分の筋トレで筋肉量や筋力をアップさせることができる。そんなことができるのだとしたら、やらない手はないでしょう。

今、膝や腰が痛くない人も、予防のために行っても良さそうです。80歳のお年寄りが80kgのバーベルをかついでスクワットをしているなんて、何だか超人的にも思えますが、訓練すれば誰でもそうなるのでしょう。そしてそれは、それだけの筋力がついているということ。元気に老後を過ごすために、とても役立つことだと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:27 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月15日

妻の実家へ行ってきました

5ヶ月ぶりに妻の実家へ行ってきました。妻の実家は、タイの東北部(イサン地方)のサコンナコーン県にあります。

例によって、北バスターミナル(モーチット2)から深夜バスに乗って行きました。
※右上にあるFacebookのマークをクリックすると、その投稿を見ることができるようです。Facebookの仕様で変わる可能性はあります。



このFacebook投稿にも載せたのですが、最初に驚いたのはバスの乗り場が見つからないこと。以前は65番くらいだったのですが、チケットを見ると88番になっていました。

なので、65番辺りから番号が大きくなる方向へ向ったのですが、80番くらいでその先がありません。周りを見回しても、それより大きい番号が見えません。

それで係員に尋ねてみると、反対方向へ行けとのこと。いや、そっちは小さい番号の方だし・・・。ひょっとしたらその途中で、別のプラットホームがあるとか・・・。

そう思いながらも不安で、途中で2回も係員に尋ねちゃいましたよ。そして、一番端まで到着したら、そこにありました。

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この写真は88番ではありませんが、81番以降の大きな番号が、1番より先のプラットホームの先端にまとめてありました。

こういう付け方、するかな〜? まあこれがタイらしいところですね。日本だったら、仮に後から付け足してこうなったとしても、途中に何ヶ所も案内を出すでしょうね。


バスに乗っても驚きがあります。これは前から知っていたことですが、座席番号がわかりづらいのです。

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私の座席は3Cなのですが、目の前の座席の背中中央に、前の座席の座席番号が貼ってあります。これ、誰がどういう状況で見ることを想定しているのでしょうね?

乗ってきた人が自分の座席を探すためであれば、座席番号は上の荷物入れか、座席の肩の部分に貼るでしょう。背部の中央なんて、後の座席に座った人くらいしか見ませんよ。

まあ、座席はそれほど多くないので、前から順番に数えればわかりますけどね。最初はわからなくて戸惑いました。こういうところも、いかにもタイらしいなぁと思います。


到着してからのことも、Facebookに投稿しましたので、そちらをご覧くださいね。










そして、また浮島の聖地、カムチャノーツへ行ってきました。もう何回目か忘れましたが、以前、行った時の様子は記事「浮島の聖地カンチャノートへ行きました」に書いています。

タイ語は「คำชะโนด」なのですが、この発音に近い表記は、カンチャノート、カムチャノート、カムチャノー(ト)などいろいろあります。今回はカムチャノーツと書きましたが、同じものです。



観光地でもありますが、妻は純粋にお祈りに行くようです。幸運祈願ですね。私はついて行っただけです。

この辺りは、前にもお勧めした妻のおじさんが経営するリゾートという宿泊施設から40kmほどなので、車で来るのも簡単です。

近くに、イチゴ農園のようなところもあるし、バンドゥンの街の方へ行くと塩湖があるので、道端で塩を売っています。こういうのもお土産としていいかもしれませんよ。


ということで、今回の旅は無事に終わりました。



今回の旅の目的は2つありました。
1つは、お義母さんのために溜めてきたビールの空き缶と飲料水の空ペットボトルを持って行くことです。お義母さんが、そういうのを溜めていて、売って小遣いにしているのです。それに協力するため、5ヶ月間溜めたものを大きなスーツケース2つに詰めて持って行きました。

もう1つは、妻の実家に置いてある本など必要なものを持って来ることです。「神との対話」シリーズやレイキ関係の本、それから帰国する可能性も考えて防寒服なども。行きのスーツケースはパンパンで軽かったのですが、帰りはかなり重くなりました。


これで準備は万端なので、しばらくは妻の実家へ行かなくても大丈夫だと思います。妻は、来年のソンクラーン(4月にあるタイ正月)は一緒に実家へ帰るようにと言っていますが、さてどうなりますか。帰国することになれば、おそらく難しいでしょうからね。

やることはやっているので、後は運を天に任せています。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:32 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月07日

神とひとつになること(目次)

「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
過去ログを読めるのですが、順番にしか読めないので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)

また、露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。

それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


「神とひとつになること」

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「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。

●はじめに
01「自分の真実に気づくこと」
 (2018年12月3)1回目(〜p.10)

●プレリュード
02「私たちはひとつの声で語る」
 (2018年12月4)1回目(〜p.23)
03「原始的な文化からの脱出」
 (2018年12月5)2回目(〜p.34)

●第1章
04「1.必要性という幻想」
 (2018年12月6)1回目(〜p.40)
05「幻想を活用すればよかっただけ」
 (2018年12月7)2回目(〜p.43)

●第2章
06「2.失敗という幻想」
 (2018年12月10)1回目(〜p.45)

●第3章
07「3.分裂という幻想」
 (2018年12月11)1回目(〜p.51)
08「罰では変わらない」
 (2018年12月12)2回目(〜p.54)

●第4章
09「4.不足という幻想」
 (2018年12月13)1回目(〜p.59)
10「充分でないから競い合う」
 (2018年12月14)1回目(〜p.63)

 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:07 | Comment(0) | メルマガの目次 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月05日

神との対話 完結編



ついに、この本を紹介することができる日がやってきました。昨年、アメリカで「神との対話C」として発売された本です。

今年1月に、古宮昇さんが「神との対話C」のお話し会をされるというので、参加しました。その時に、この本の内容を一部、教えてもらいました。
そのお話し会のことは、私のメルマガ【SJ通信】に書きましたので、そちらもご覧ください。(「旅の第1目的を達成しました」「私たちはすでに覚醒している」

その「神との対話C」ですが、翻訳されたものは「神との対話 完結編」となっています。おそらく、もうこれ以上「神との対話」という名前では出版されないということなのでしょうね。

著者はニール・ドナルド・ウォルシュさん、翻訳は吉田利子さんです。読み慣れているせいもあるのか、吉田さんの翻訳は読みやすいです。なお、


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

神は最初、ニール氏にまだすることがあると言います。もう1つの招待があるのだと。ニール氏はこう答えます。

すでに、二つは受け取っていますよね。ひとつは神についての世界の思い・考えを変えること。もうひとつは、ひとびとを自分自身に返してやること。」(p.16)

それに対して神は、もう1つの招待があり、その時機がやってきたと言います。しかもこれが最後の招待で、ニール氏だけにではなく、すべての人に宛てたものだと。そして、その3つ目の招待について語ります。

さて、今度は三つめの、そして最後の招待だ。なぜなら、いまはあなたがたの星では、前進するのに絶好のとき(Perfect Time for Advancement)だからね。」(p.17)

そして、その絶好の時機の意味を、こう説明します。

たいせつなのは「起こるべき」とか「起こるべきではない」ということではない。何が−−あなた個人の高度に個人的な経験と、人類と呼ばれる集団的な経験の両方で−−起こっているのか、それから、最悪だと感じているらしい部分を、どうすれば変えられるのか、それもどちらかと言えば劇的に変えられるのか、ということだよ。
 いまは、あなたがたがその変更を始めるのに絶好のときなのだ。なぜなら、いま−−環境面で、政治の世界で、経済界で、社会で、そして霊的(スピリチュアル)に−−起こっていることは、どうすればそれが実行できるのかについて、明白で間違えようのない、議論の余地のない、まったく曇りのないシグナルをあなたがたに送っているのだからね。
 だからこそ、いまは三つめの招待のときなのだよ。
」(p.18)

大切なのは、私たちの経験で最悪だと感じている部分をどうしたら劇的に変えられるかということだ、と神は言います。そしてそのことを始めるのに、今は絶好のタイミングだというわけですね。
その理由は、政治や経済、社会などで起こっていることは、どうすればそれができるかということについて、間違いようのないメッセージを送っていることだから、ということなのです。

そこで、この3つ目の招待を神は話します。

人類という種を目覚めさせることだ。」(p.18)

これまでの2つは、自分を目覚めさせること、人びとを目覚めさせることでした。3つ目は、人類を目覚めさせること。
ここまでの話ではまだ、明白なシグナルということも、人類を目覚めさせるという意味も、わかりにくいと思います。その話が、ここから始まるのです。


自分でさえ目覚めているとは言えないのに、人類を目覚めさせるなんて絶対に無理でしょ、と思いたくなるかもしれません。
神は、自分が目覚めるには、他人を目覚めさせることだと言います。他人にすることは自分にすることですから。
そして、このように語ります。

さて真実は、あなたは目覚めているが、自分が目覚めているのに気づいていないということだ。だから、その意味ではあなたは目覚めていない。
 あなたは自分が目覚めているという事実に目覚めていない。それで、自分が目覚めていないかのように感じている。
」(p.22)

本当は、私たちはすでに目覚めていると言うのです。それに気づいていないから、いまだに目覚めていないかのように行動するのだと。
だから私たちに必要なのは、目覚めることではなく、目覚めていることに気づくことなのです。
そこで、人類を目覚めさせるということとの関連で、次のように語ります。

三つめの招待とは目覚めさせること、あなたの個人的な進化のプロセスの一部として、人類という種の多くのメンバーを、すでに目覚めているひとたちを、自分が目覚めているという事実に目覚めさせることだ。それから、その事実にあった行動をしようという気を起こさせること、お手本となり、まだ眠っているひとたちにも目覚めた者らしい行動をしようという気を起こさせることだ−−それもこれも、あなたの個人的な進化がそうせよと呼びかけているからなのだよ。」(p.25)

目覚めた者として行動してお手本となり、人々に同じように生きようという気持ちを起こさせること。そうすることが3つ目の招待なのです。


それでも、人類全体の方向を変えさせるということは、簡単なことではないようにも思えます。そこで神は、そのための方法を見つけている者たちの助けを借りる時かもしれないとして、次のように言います。

地球上の存在ではない者たちからの助けを得るときではないのかね。地球上の生命/人生についてすべてを知っているが、しかし地球の出身ではない者たちの。」(p.53)

わたしはべつの次元に存在する生命体のことを言っている。」(p.79)

バシャールなども、その中に入るのかもしれません。物質的な肉体を持たない生命体です。

不思議なことですが、ここ数日間、やたらとUFOに関する情報が目に飛び込んできます。ニュースで、Facebookで、なぜかUFOについての情報が出てくるのです。
これも、この3つ目の招待に関するメッセージなのかなぁと思いました。


今回も、印をつけながら読んだのですが、ほぼすべてのページに印をつける勢いですから、とてもここにそのすべてを引用することはできません。
またいずれ、「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガの方で解説したいと思います。

「神との対話」シリーズの最終作。これもお勧めです。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:01 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月04日

なぜか似ているんです

私はよく自撮りをして、Facebookに載せています。

これはもともと、自分の恥ずかしさを超えるための一歩だったのですが、最近はもう慣れてしまいました。


先日、たまたま撮った1枚をアップしたところ、「何だか似ているなぁ」という気がして仕方なかったのです。

それで、Wikipediaにある写真を見たら、やはり似ていました。レイキの創設者、臼井甕男(うすい・みかお)氏の写真とそっくりなのです。

ご覧ください。




どうですか? 似ていると思いませんか?

私は、普段はメガネはしません。PC作業をする時だけ、ブルーライトカットのメガネをします。
普段は作務衣を着ません。冷房が効きすぎて寒い時だけ着られるよう、上着を常時携帯してますけどね。
髭を生やし始めたのは、10月中旬からですから、ほんの1ヶ月ほどです。それも、別に臼井氏を意識したわけではなく、単にひげ剃りが面倒だったのと、イメチェンです。

アングルまでほぼ同じって、なかなかあり得ないでしょう。


もちろん、だからと言って「臼井氏の生まれ変わりだ」なんて言うつもりはありませんよ。そこまで面の皮は厚くないので。

でもね、なんかあるなぁって思うのです。

先日完成したナチュラル・レイキの教科書的なもの「犬はナメるが人は手を当てる」ですが、これを臼井氏のエネルギーも認めてくれているのではないかなぁという気がします。
犬はナメるが人は手を当てる

そうだったら嬉しいな。ただただ、嬉しいなと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:49 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

少食の実行で世界は救われる



1日青汁1杯だけという超少食で健康に仕事をされている森美智代さん(以前に「食べない生き方」など紹介しています)は、甲田療法を実践することで難病を克服されました。その甲田療法を提唱されている甲田光雄(こうだ・みつお)氏の本を読みました。

甲田療法では、断食や少食をメインに、生菜食などによって宿便を溜めないことが健康の秘訣だとしています。さらに、西式健康法と組み合わせることで、ほとんどの病気は治るとしています。

この本は、サブタイトルに「「甲田メソッド」の決定総集編」とあります。甲田療法のすべてが書かれているということで、期待して読んでみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

以来約四〇年余りの間、何万人という大多数の患者さんたちに断食療法の指導を行ってきましたが、その中でわかったことは、「宿便」が万病のもとであるということです。
 この宿便を排泄し、また溜めないように予防するのにはどうしたらよいかとの研究に全力を注いできたわけです。その結果、日常の食生活を「少食」にするのが、宿便を溜めない秘訣であるということがわかってきたのです。したがって、少食は、健康長寿の秘訣と断言しても間違いではないと確信できるようになったのです。
 すなわち「少食に病なし」であります。少食というのはなるべく動・植物の「いのち」を殺生しないという、愛と慈悲の具体的表現であるということもよくわかるようになってきました。この愛と慈悲の少食を実行する者に天は「すこやかに老いる」という幸せを与えたもうのであります。してみると、少食(正食)こそ健康生活の原点であると言えましょうか。
 さらに少食の実行で、二十一世紀の人類がぜひ克服しなければならない大問題、すなわち地球環境の汚染、それに世界の食料不足の危機などを解決することもできるということがよくわかってきました。
」(p.6)

ちょっと長かったのですが、「はじめに」に書かれているこの部分が、この本の結論です。もうすべてと言ってもいいでしょう。


筆者はこの五〇年余り前から、断食療法や少食療法の研究に全力を注いできましたが、その間、何万人というたくさんの患者さんたちに、断食・少食の指導を行なってまいりました。それら多数の臨床経験から「宿便」が万病のもとであることを確認できるようになったのです。
 その結果、認知症はもちろん、脳卒中や心筋梗塞、関節リウマチ、それにアトピー性皮膚炎なども宿便を完全に排泄することによって、予防もできるし、また根治もできると自信をもって言えるようになりました。
 中国の古い道書に「抱朴子(ほうぼくし)」という著書がありますが、その中に次のような小文がみられます。

 欲得長生腸中当清
 欲得不死腸中無滓

 これを意訳すると、「長生きをしたいと思ったら、腸の中はいつもキレイにしておかねばならない。不死を得ようと思ったら、腸の中に滓(かす)(宿便)を溜めていてはいけない」となります。
」(p.20 - 21)

ここも少し長く、また繰り返しになるのですが、具体的な病名と、甲田氏の考え方の根拠が表れているので引用しました。
「腹八分目で医者いらず。腹六分目で老いを忘れる。腹四分目で神に近づく」という水野南北の言葉もあるように、古今東西、昔から少食が健康に良いことは言われていました。しかしここで甲田氏が引用しているように、宿便が問題なのだという指摘は少ないかもしれません。


まるで麻薬中毒のようなものです。筆者はこれを「甘いもの中毒」と名づけていますが、この甘いもの中毒でいかほど苦しい思いをしてきたか。
 拙著に『白砂糖の害は恐ろしい』(人間医学社)という著書があります。この本の中で筆者が甘いもの中毒のため、いかほど苦しい思いをしてきたか、また、甘いもの中毒から抜け出すのがいかに難しいものなのかということを詳しく述べておきました。
」(p.27)

甲田氏も、白砂糖は中毒性があるという指摘を、実体験に基づいてされていたのですね。私は、すでに紹介しているように「白米中毒」などで、このことを知っていました。精製されたものには中毒性がある。心しておきたいものです。


食べものはじつは「いのち」であるのです。この大切な「いのち」を私たちは天からいただいて、生かされているのだということを、はっきり自覚しなければならないのです。
 このことが「食育」でのもっとも大切な基本とならねばなりません。
」(p.46)

1日30品目を食べましょうという指導がありますが、これは食べ物を栄養としてしか見ていないという指摘です。「いのち」と見れば、自ずと感謝の気持ちが起こります。

そして、自分の大切な「いのち」を犠牲にして私たちに捧げてくれた、動物や植物、つまり魚や肉、あるいは米や野菜などに、「ありがとうございます」、これからその「いのち」を「いただきます」という感謝のお祈りをしてから、箸を取っていただく。これが正しい食事作法というものです。」(p.46)

最近は、食前の「いただきます」を給食で指導するのをやめた学校もあるとか。私自身、忘れてやらないことが多いのですが、こういう「いのち」に対する感謝の気持ちは、持ち続けたいと思います。


冷え性の身体を温めるというのは、それで身体は冷えないけれども、冷え症は治らないのです。いや、温めれば温めるほど、冷えに弱い身体になってしまうのです。
 そこで、冷え性を治すには、冷える身体をむしろ積極的に冷やすという非合理的な方法を考え、それを実行する必要があるわけです。
 西式健康法の中にある、裸療法や温冷浴もその一つであります。
」(p.106)

私は冷え症ということでもありませんが、手足は冷たい方です。まあそれで苦痛ではないので、私はぜんぜん問題ないのですが、冷え症にこういう逆の対策が考えられるのですね。これは驚きでした。


そして、不思議なことに、一日数回もの下痢が何カ月間も続いているのに、断食中に大量の宿便が排泄されるという人も少なくありません。なんと不思議なことではありませんか。」(p.132)

これは潰瘍(かいよう)性大腸炎の治療で、3日間断食から始めて、慣れてくるにつれ10日間とか2週間の断食を行うという話の中で出てきます。下痢をするから宿便はないはず、ということにはならないのですね。


人間というものは、痛いところがあると自然と無意識的にそこへ手を当てるのです。
 これがまたたいへん気持ちがよいのです。「手当て療法」とはこのことかと、後日わかってきたわけです。
」(p.141)

手当て療法について触れているのはここだけですが、甲田氏も手当て療法の効能をよく知っておられたのですね。


白米めしは、胸やけが特にひどくなる。やはり白米ガユのほうが楽になります。ここでカユの効用を一つ覚えたわけです。
 ところで、玄米ガユで胸やけは楽になるが、痛みのほうはどうもあまりパッとしない。そこで今度は玄米を粉にして、玄米クリームにして食べてみると、胸やけもしなければ、痛みも出てこないではありませんか。
 「うん、これだ!」とわかったのです。
」(p.141)

これは胃・十二指腸潰瘍(かいよう)の治療の話です。玄米クリームというのは、玄米の粉末120gに水540ccを加えて煮て、クリーム状にして塩を加えたもの(1食分)を言います。胃や腸の病気には、これが一番いいそうです。


煮た野菜はどうか、これはあまりすすめられません。
 食物センイの多い野菜は胃にもよかろうと思われるでしょうが、やはり、胃の具合があまりよくないとわかるでしょう。
 野菜は煮てしまうと、少しアルカリ性になってしまうので、胃にはあまりよくないのです。
」(p.143)

これは胃下垂症・胃弱の治療で、玄米クリームのおかずに何が良いかという話です。甲田氏は、豆腐や白身魚のような消化に良いものを勧めています。


吸収されなかった食物の残りは全部「宿便」となって腹の中で腐り、それから猛毒が発生して体内へ吸収されるとなれば、それがいったいどのようなことになるか、よく考えてみてください。」(p.171)

いくら食べても太らないよう、吸収を阻害する薬をダイエットのために服用する人がいます。そういう人への警告です。
たしかに、問題が宿便にあるのであれば、吸収されるかどうかとはまた別のことなのです。食べ過ぎによって食物が腸内で渋滞を起こし、腸が拡張してそこに食物が溜まって腐敗発酵する。それが宿便と言われているのですから。


私たちは本来、やはり「神の子、神の分けみたま」であることは間違いございません。
 大宇宙の親神様の分身です。だから元来は光っているはずです(図4参照)。
 ところが、この本体にべっとりと厚く業想念が取り巻いているので、光るどころか曇ってしまい、いろいろな苦悩が現れ、それが不幸の原因となっているわけです。
 少食を実行しても、それがなかなかうまくゆかず食べすぎて失敗してしまうのも、貪欲という業想念に振りまわされてしまうからです。
 この業想念を浄化し、消え去るようにすれば、本来の「神の子」としての光明が現れ、本当に幸せな人生となってくるのです。
」(p.188)

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私たちが一方で「神の子」などと言われながら、もう一方で「罪根深重の凡夫」と言われる理由について、甲田氏はこのように考えるそうです。ですから、重要なのは「業想念」を浄化することで、そのためには「西式健康法の背腹運動」とともに「世界平和の祈り」が効果的だと言います。

この「世界平和の祈り」は、五井昌久氏によって作られたものだそうです。世界人類と日本の平和、人々の健康、幸せ、そして自分の業想念が浄化されること、すべての「いのち」が天命をまっとうすることを願います。その上で守護霊様、守護神様、大宇宙の親神様に感謝を捧げるという祈りです。

肉体の宿便を溜めないためには「腹七分目」の食事を行い、心の宿便(業想念)を浄化するには「背腹運動」と「世界平和の祈り」を行う。これを、甲田氏は勧めているのです。


その中で、平らな板の上に寝て、半円形の木枕を使用する。それに金魚運動、背腹運動のいずれも、背骨の狂いを治す効果があるのです。
 背骨の狂いは「万病のもと」といわれるほど、私たちの健康に大きな影響を及ぼすのです。
」(p.201)

西式健康法の紹介の部分です。四足歩行から二足歩行になったために、「必然的に背骨に狂いが生ずるようになった」と甲田氏は言います。ですから、常にこの狂いを直すようにする必要があり、これは人類の宿命だと言います。したがって、この西式健康法は、世界のすべての人が行う必要があるのだと言うのです。

う〜ん、これはどうかなぁというのが、私の正直な気持ちです。たしかに二足歩行によって無理が生じているのだと言われますけど、本当にそうでしょうか? そんな出来損ないを、神が創ったとは思えませんが。


それは病人が激減し医療費が大幅に、おそらく二〇兆円くらい節約できたとして、その金で補償費を出すということによいでしょう。」(p.221)

腹七分目の食事をみんなが実行するようになると、病人が激減し、食料品が売れなくなるため、食品製造企業、料理店、医療機関から反対運動が起こると甲田氏は言います。したがって、そうなった時は、減った医療費から補填してあげればいいと言うのですね。

う〜ん、これもちょっと賛同できない内容ですね。まず、仮に腹七分目運動が広まったとしても、そう急激に変化は起こらないでしょうから。それに、それらはもう必要ない産業なのですから、撤退してもらわないといけないのです。そこに補償費を出して存続させてどうするんですか。まったく無意味なことだと思います。

もちろん、すべての人が上手くいくよう考えたいという気持ちはわかります。しかし、変化によって不要になる産業というのは、必ず出てくるのです。レコードやビデオテープが無くなったように。


この他にも、世界の飢えている人々を救うのに「腹七分目」が役立つと言われてますが、これもちょっと違うように思います。食糧不足だから飢えている人が多いのではありませんから。貧困が原因です。仕事がないこと、経済が上手く回っていないことが原因です。実際、市場経済と関係が希薄な田舎では、飢えている人はそう多くはありません。

したがって、人口爆発による食糧危機に、「腹七分目」が解決策になるとは思えません。腹七分目であろうと、一定量を必要とするのであれば、それ以上に人工が増えれば同じことではありませんか。

まあそういうのは、甲田氏の本職ではないので、理論的な詰めが甘いのは仕方がないと思います。ただ、甲田氏が、このことで世界の問題を解決したいという気持ちを持たれていることは事実ですし、その思いそのものは尊重したいと思います。


たとえば三〇軒で一家に平均四人の家族が住んでいるとして、合計一二〇名の方が少食の実験に入る。
 これらの人々が少食生活に入ってから、どのように健康状態が変わるかを医学的に調べる必要があるわけです。
 健康になったとか、元気になったとかいってもそれはだめです。やはりだれがみてもはっきり納得できるようなデータをつくって、それを見せてあげることです。
」(p.224)

甲田氏は、全国に健康村を作って、そこで実験を行い、その成果をベースに政策として取り入れてもらうようにするのが良いと言います。そのためには、まずは一部の地域で20〜30軒程度の家を選び、実験をするのがいいと言われます。

この本を読んでいて、まったく数値が出てこない理由がわかったような気がしました。約50年間、数万人の人に対して断食療法や少食健康法を指導してこられたのに、科学的な検証はされてなかったのですね。だから改めてやらなければ他人を納得させられない。

最初に紹介した森さんなど、何人かの方については、その詳細がわかります。しかし、科学的に証明できるほどのデータは揃っていない、というのが現実なのでしょう。ちょっと残念ではありますが、ないものはしょうがありません。こういう実験を、ぜひやっていただきたいものだと思います。


私自身は、断食とか少食に、健康になるための効果があることは信じています。それは、不調の時に動物は食べずにじっとうずくまっている、ということからもわかるからです。また、人類も動物も、満腹という時はほとんどなく、空腹が常態化していて、身体はそれに適応しているということも、理屈でわかるからです。

なので、後はこれが科学的に証明され、世界の常識になればいいなと思っています。そして実際にそれが広まり、健康な人が増え、医療費が少なくなることも願っています。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:06 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

ナチュラル・レイキの教科書

10月末から書き始めて1ヶ月で、ナチュラル・レイキ教科書とも言えるものをノート(note)に書き終え、マガジンにしました。

タイトルは、「犬はナメるが人は手を当てる」です。

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私が提唱するナチュラル・レイキの観点から、レイキ全般を解説する内容となっています。

レイキがどんなものかというところから、具体的な手の当て方、遠隔ヒーリングのやり方、そしてレイキの本質的な意義など、広範囲に渡るもので、ある意味でレイキの集大成とも言えるものになっています。

ぜひこれを読んで、レイキの実践にお役立てください。

また、この「幸せ実践塾」の実践の1つとして、このナチュラル・レイキをご活用いただければと思います。


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:41 | Comment(0) | レイキ・ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月28日

にぎやかだけど、たったひとりで



バリ島に暮らす日本人大富豪、兄貴こと丸尾孝俊(まるお・たかとし)さんの本を読みました。
今回の本は、作家の吉本ばななさんが兄貴の元を訪れ、共に過ごした3日間の中で見聞きしたことをまとめたものになっています。

サブタイトルに「人生が変わる、大富豪の33の教え」とあります。章立てに番号がないので、どう33なのかはよくわかりませんが、3章の中に数項目ずつ兄貴の話やエピソードがまとめてありますが、数えると34あるんですよね。
章の最後には「ばななより」と題して、吉本さんの感じたことなどが書かれています。第4章は、いろいろな人が兄貴に質問したQ&A集となっています。

吉本さんは、兄貴から単に成功の秘訣を得たいというより、女性の視点で兄貴の生き方をまとめたいと思われたそうです。そういう点では、白駒妃登美さん「幸せの神様に愛される生き方」と共通点があるようにも思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

バリのあらゆる地域の大家さんだったり、系列会社の社長たちをまとめたり、バリの人たちの相談に乗るだけでも充分忙しいんだから、夜はご家族といっしょに贅沢な食事をして、好きな映画を観たり、たくさん睡眠を取ったり、静かに過ごすことだってできるわけなのに、兄貴は日本のみんなと過ごすことを選んでくれたんだ、だからこうして会えるんだと思います。」(p.17)

兄貴は兄貴なりの理由で、毎日のように見ず知らずに日本人を招いて一緒に時間を過ごすという生き方をされています。誰にでも真似ができることではないと思います。
また、無理に真似をする必要もないと私は思っています。ただ、すごいなぁと思います。そして、有り難いと思うのです。


兄貴は、それよりも地方の移住者を受け入れているところに移住して、自然があって、食べ物もおいしくて、家賃が安いようなところで、もう一度新しく人生のステージを大きく変えて始めたほうがいい、今の生きがいで生計が立てられないのなら、それもやめたほうがいい、どんなに好きなことでもだ、と彼女に言いました。」(p.24)

これは、ご主人を亡くされて、住まいはあるが生計が不安定で、どうしたらいいかと質問した女性に対する兄貴の回答です。
兄貴は常々、田舎に行けと言われてました。どんな好きなことでも、それで充分に稼げないならやめろというアドバイスは、兄貴がリアリストであることを示しているように思います。

この回答、私の心にも突き刺さるんですよね。なので、ここに取り上げました。


どういう人が儲かって、どういう人が儲からへんか、ちゃんと見つけた。
 ええ人が儲かるんやって。五百円札くれよったのは、三つしかごみ落ちてなかったおばちゃん。整理整頓されてない粉まみれゴミまみれの店では、「何でお前に金やらなあかんねん。お前が勝手に掃除したんやないかい、おっちゃん知らんで。帰れ、早よ」となる。
」(p.27)

兄貴がまだ小学生のころ、勝手に掃除をして手を差し出したら、お金がもらえたという体験の中で学んだことだそうです。
日々のことを手を抜かずにきちんとやる。一生懸命にやる。そういう人が儲かると兄貴は言います。気遣い、気配りが重要なのだと。


子供にとって、一番素晴らしい、いい育て方っていうのは、大人と接する数を増やすことやと思う。
 おじいちゃん、おばあちゃん、おっちゃん、おばちゃん、近所の姉ちゃん、兄ちゃん、こういう者の中に置いてもらえるかにあると思います。そこで一気に人間の成長率が変わってくるから。
」(p.31)

兄貴は、自分を「完全におじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子です」と言います。父親が母親を放り出し、その後も面倒を見てくれなかったので、近所の大人たちの中で育ったのです。
そういう環境が子どもを育てるには最適だと言います。一方、現代は、学校へ行けば同年齢の子どもの社会に大人の教師が1人という状態です。そういう中で成長する。これでは、子どもは大人を見て学ぶことができないと言うのです。

私も、そう思います。同年齢の中でしか過ごさないから、いじめなどの問題も起こるのです。年齢を超えたつながりを持つということは、子どもにとって重要なことだと思います。


結局自分の事にかまける社会、かまけざるを得ない社会なんや。忙しくさせられてる訳やんな。それを何とかせなあかんと思うねん。合理的な考え方って、全部分けることになっちゃうからな。分け隔てないのが人間社会やったやん。それを分けまくりよるのや、今は。」(p.40)

兄貴は、人と人とを分断する社会、分断する考え方に問題があると指摘します。
たしかにそうですね。コミュニティが崩壊しています。コミュニティがあって、互いに互いを思いやる社会であれば、暮らしやすいのではないかと思います。

それと、分断が問題だという指摘は、「神との対話」でも言っていることで、スピリチュアル的にも納得です。これからは、分断から一体化へとシフトしていく。まさに兄貴が目指す方向性と合致しているように思うのです。


人間というのはたまにはそういう「明日起きたくない」「全てを捨てて逃げてしまいたい」というような気持ちにまっすぐに向き合って、ひとりでなんとか乗り越えることをしないと人生の階段を上がれない生き物なのだと思う。」(p.54)

若かったころの兄貴が、暴力団の組長に気に入られ、旅行に誘われたけど断らないとやばいと思い、何とか切り抜けたというエピソードを引き合いに、吉本さんはこのように言われます。

人生には、そうやって自分で決断し、切り抜けなければならないことがあるのかもしれませんね。私自身も、兄貴のような派手なエピソードはありませんが、何度か人生の転機がありました。きっとこれからもまだあるのでしょう。


残せなくなったら、社会的に失敗やと僕は考えているので、残せなくしてしまった日本の社会は、もうすでに失敗なんだよ。
 なんか人に残してやろうってことが、本当に微笑ましくて素敵な事やん。これから来る人に。みんなそうやったよな。公園行って遊んでも、何してもゴミ持って帰れよっていうのは、その考え。
」(p.84)

兄貴は、不動産は残せるからいいのだと言います。後の世代に残すこと。だから伝統や文化も、残していくことが重要なのです。
しかし日本では、相続税が高くて、子孫に家や土地を残せなくなっています。それを指摘して、そういうのではダメになると兄貴は言うのです。

兄貴が残すことを大切にするのは、他の人や子孫への思いやりなのですね。だから美しい自然を残す、快適な社会を残す。そういうことを常に考えておられるのです。

この部分を読んだ時、私の頭には佐藤一斎の言葉が浮かびました。
「当今(とうこん)の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼るべし。一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。子孫の得喪は慮るべし。」(言志録89条)
兄貴は、そういう気持ちを持って生きておられるのだと感じました。
※言葉の意味は「佐藤一斎「言志四録」を読む」の記事をご覧ください。


お金が手元に十七万円しかなくなったとき、その人のほんとうの考えとか才能とかが出てこなかったらうそだと思う。逆に言うと、お金がたくさんあるのが前提の生活しか知らない人は脆(もろ)い。」(p.90)

兄貴は、8千万円くらい持ってバリに来たものの、使いまくって貸しまくって、気がついたら17万円になっていたのだそうです。そのエピソードから吉本さんは、兄貴の輝きはお金持ちだからではなく、いくらであろうと関係ない兄貴自身の輝きにあると言います。

兄貴は、毎日大勢の客をもてなしています。そこには、兄貴自身のお金も時間もふんだんに使われています。兄貴は恩返しだと言います。和橋として、国外から日本を応援しているのだと。その生き方が魅力となって、兄貴を輝かせているのです。


マルガラナ英雄墓地行ったらいい。第二次世界大戦が終わっているのにインドネシアの独立戦争に参加した日本人兵士たち、自分達にとっての正義で死んでもいいやって思ってたっていうのはすごかったと思いますよね。
 玉砕した日本兵はほぼ誰の為に頑張りましたか。九十九・九九パーセント赤の他人の為に玉砕したんや。家族の為は〇・〇一パーセントや。僕はそういう風に思う。これは結果論や。思いは母親にあった。嫁にあったかもしれん。
 ところが結果をちゃんとひもとけば、我々の為の玉砕やったよ。日本人を残そうと思ったんや、日本の未来をや。ということは、それを継承せんかったら、何を継承すんねんって話や。
」(p.120)

マルガラナ英雄墓地というのは、インドネシア独立戦争で戦士した英霊を祀る墓地です。そこに、日本人でありながら帰国せずに残って戦った人々も葬られています。兄貴は、彼らは日本の未来を残そうとしたのだと言います。だからこそ、その思いを継承するべきではないかと。

私も、ここへ行きました。「バリ島2日目はマルガ英雄墓地へ行きました」の記事に書きましたので、よければお読みください。そして、やはりこういう「想い」を持つことが大切だと思うのです。


やらかしてごらんよ。そしたら、もっと表情とか感情が豊かになるはずで、えらいことしてもうたっていう。えらいことしてみるんやって。そのために自然を置いてくれたんや。相手も本気、こっちも本気や。命を頂くという尊さをもう一度きちっと噛みしめる必要があると僕は考えてる。」(p.124)

兄貴は、リミッターを外すことが大切で、そのためには小さな殺生をするなどして、「やらかした」感情を取り戻すことだと言います。
童心に戻ってザリガニを取って殺して、餌にして魚を釣って食べる。その時、湧いてくる様々な思いを逃げずに味わうことで、生きることを本当に考えるようになるのだと。

リミッターが外れない人間は自分の命を大切にします。例えばね、自分の考え方を最重要視します。とにかく自分が大切です。この状態から遠くかけ離れた人、これがリミッターの外れる状態。
 だから僕には元々、自分がないので。人のことばっか考えてます。
」(p.126 - 127)

兄貴は、自分のことにかまけてられないと言います。それがリミッターが外れた状態なのですね。貸し借りのような取引ではなく、ただ与える。相手のことが大切だから。それが、結果的に自分が豊かになることだと言うのです。

これって、まさに「愛」ですね。自分は大丈夫だとわかっているから。だから、自分はどうでもいいのです。そして他の人のことばかり考える。兄貴は、完全に突き抜けている方なのだなぁと思います。


あのね、幸せっていうものは人が運んでくるもので、自分自身が構成出来るものではないということを、まずは認識しないとダメなんや。
 残念やけど、そういう事なんや。人が運んでくるんやもん。全部普通にきれいな海も、青い海も、見て幸せだなって感じることは、僕たちの先人が残してくれたこと。それは手塩にかけたり、必死の思いだったかもしれませんねってことを、汲み取る人間がどれくらいいてるかなってこと。
」(p.130 - 131)

兄貴は、他の人が残してくれたもの、持ってきてくれたものによって、自分の幸せがあると言います。すでにあるものの中に、これまで関わってきた人たちの「想い」を、兄貴は見ているのでしょう。


一度出会った人とは縁を切らないという考えをそのまま発展させていくと、大目に見るということになる、と兄貴は何回もくりかえした。」(p.142)

吉本さんは、兄貴が自分から縁を切ることはない、と言われたことに着目します。それは、相手を選ばずに受け入れること、そして何かダメだと感じることがあっても大目に見て咎めないことになるのです。そうしないから、「キリキリしたヒステリックな大人」が自分の中に出来上がってしまうのですね。


敵を生まん、敵をつくらんことに、そこに一生懸命努力が必要、今の日本は。日本一丸を目指すなら、敵をつくらないことに限るんや。やくざでもそうやろ。反目がおることで大変や。そんでおらへんようになってみ、王様やな。そういうことや。」(p.147)

兄貴は、他人から応援してもらうことが重要だと言います。だから同じ業界の人を敵に回すのではなく、仲間にすることだと。
すべてを受け入れて包み込んでいく兄貴の大きさには、もうかなわないなぁと感じます。


お金を稼いだからってなにをしたいんですか?
 お金持ちの友だちがたくさんできたとして、その人たちと何をして、どんな人生にしたいんですか?
 どこに住んで、だれといっしょにいたいですか?

 それに対して兄貴の人生が出したにぎやかだけれど一人でやっていくという答えが私は大好きだ。
 私は男じゃないからこんな言い方しかできない。成功哲学やお金の観点から兄貴を見ることはできない。でもこう思う。同じようにこう思っている日本の人たちに届けばいいと思う。
」(p.168 - 169)

吉本さんは、このように兄貴の印象を語ります。そして、人それぞれの道を、大目に見ながらリラックスして生きる。あくせくと成功を目指すよりも、その方が自分らしいのではないかと。それぞれの人がそれぞれに輝いて生きれば、世界はより素晴らしいものになる。吉本さんは、そのような考えを持つようになったのです。


私自身、兄貴のような生き方ができるかと言われれば、おそらくできないと思います。今のところ、そうしたいとも思いません。
でも兄貴は、そんな私でも受け入れてくれます。だから兄貴の前では、安心して自分でいられるのです。
できれば私も、そんな兄貴のような寛容な人間でありたいと思います。そんなことを、この本を読んで思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:17 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

世界史で学べ! 間違いだらけの民主主義



Facebookには、様々な投稿があります。その中で、アゴラというメディアサイトのページがあり、私はよくそのサイトの記事を読んでいます。そこに記事を投稿されている宇山卓栄(うやま・たくえい)さんの本を読みました。

宇山さんの本を読もうと思ったのは、宇山さんが私のFacebookの投稿にコメントしてくださったことがきっかけです。それまで宇山さんのことを意識していなかったのですが、歴史のことに関して、同感する記事を書かれていました。それで、それなら一度、ご著書を拝読したいと思い、Kindle版ですが読んでみたというわけです。

一見、「幸せ」とは無関係だと思われるかもしれませんが、政治の在り方は庶民の幸せに影響します「神との対話」シリーズでも、政治の霊性化が必要だと言っています。そのこともありますが、この本の内容は論理的で独自な視点もあり、とても役に立つと思いました。なので、ここで紹介したいと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページはありません。コピペの制限もあるので、途中からはKindle版の位置情報が一部なくなります。ご了承ください。

自由・平等 を 標榜 する 民主主義 において、 なぜ、 これ ほどの 格差 が 生じ、 貧困 が 弱者 を 追い詰め て いく の でしょ う か。   民衆 は、 歴史 の 中 で 貧困 や 隷属 を 断ち切る ため に 戦っ て き まし た。 民主主義 は その よう な 歴史 の 中 から 生まれ た もの です。   なぜ、 その 民主主義 の 国 が 弱肉強食 を 増長 さ せ て いる の でしょ う か。」(Kindle の位置No.23-27)

宇山さんは冒頭で、このように問題提起します。日本は豊かになったとはいえ、まだまだ暮らしにくさを感じている底辺の人々が大勢います。民主主義なのに、どうして上手く機能しないのでしょうか?

民主主義は完璧な制度とは言えないとされています。では、その問題の本質はどこにあるのか? 宇山さんはそれらの疑問に、歴史の事実を明らかにしながら、民主主義の本質をあぶりだしていこうとされます。


民主主義 とは 何 でしょ う か。 それ は、 皆 で 分かち 合う こと を 重要視 する 考え方 です。 王様 や 貴族 などの 一部 の 人間 だけが 富 や 権力 を 独占 する のでは なく、 すべて の 人 が 富 や 権力 を 分かち 合う システム、 これ が 民主主義 です。」 (Kindle の位置No.343-346)

民主主義とは、富と権力の分かち合いのシステムである。これは、なるほどと腑に落ちました。みんなが平等に価値がある存在なのだから、公平に分かち合うことが重要。これは、スピリチュアル的な考え方とも合致します。


「一人 の 満腹」 よりも「 三人 のほど よい 腹 足し」 が 優先 さ れる よう な 状態 を、 イギリス の 哲学者 ベン サム は「 最大 多数 の 最大 幸福」 と 表現 し まし た。 これ は 民主主義 の 運営 の 中核 と なる 理念 です。   限ら れ た 富 を できるだけ 多数 に 分配 し、 彼ら の 幸福 を 最大 化 する こと、 これ が 民主主義 の 求める 理想 で あり、 民主主義 の 政治 は その 理想 を 達成 する ため に 存在 し ます。」(Kindle の位置No.354-358)

「最大多数の最大幸福」という言葉は覚えていましたが、こういう文脈では理解していませんでした。先ほどの分かち合いのシステムとも関連しますが、少数者の幸福と多数者の不幸を選ばない仕組みが民主主義なのです。


憲法 は、 国民 が 国家 を 一緒 に 作る こと を 約束 し た 証文 で あり、 権力 者 や 為政者 で あっ ても 破る こと の でき ない 掟 の よう な もの です。」 (Kindle の位置No.395-396)

民主主義は富だけでなく、権力も分かち合います。その中核が憲法を頂点とする法体系です。君主などの独裁ではなく、法治が民主主義の根幹となります。

そこに至るまでには、民衆対王侯貴族の血を流す対立が繰り返されます。近代憲法の発祥とされる「マグナ・カルタ(大憲章)」がイギリスで生まれたのも、そういう対決の中で、王権を制限するためでした。

かつては民衆に人権などなかったという宇山さんの指摘は、考えてみれば当たり前のことながら、現代の私たちは忘れてしまいがちです。ヨーロッパでは市民革命などで人権意識が確立していくのですが、日本ではそういう革命が起こっていません。上から与えられたと指摘されていますが、だからあまりありがたみを感じないのかもしれませんね。


軍事力 を 統率 する 者 は 一人 で なけれ ば なり ませ ん。 同 程度 の 権力 者 が 存在 する と、 指揮 系統 が バラバラ になり、 軍団 そのもの の 機能 が マヒ し て しまう から です。   その ため、 独裁 者 は、 軍事 が 全て に 優先 する 封建時代 に あっ て 必然 でし た。」(Kindle の位置No.473-476)

独裁体制は必然だったと宇山さんは指摘します。たしかに、そうなのでしょうね。そしてそのことが、民衆の人権を認めないことともつながっています。

武力 で 土地 所有 を 守る こと と 比べ、 法的 な 保障 は 証書 紙 一枚 で 済む 話 で、 はるか に 合理的 で ある こと に 人々 が 気付き はじめ まし た。   こうして、 所有権 などの 個人 の 権利 が 認め られ、 法的 な 所有権 の 考え方 が 社会 全体 に 一般化 さ れ て いき ます。」(Kindle の位置No.525-528)

個人の権利意識の拡大は、民主主義につながっていきます。その過程では、政治と軍事の分離が起こったり、法の支配が始まったりしています。そういう歴史の流れの中で、少しずつ民主主義へと向っていくのです。


では、 奴隷 的 な 労働 酷使 が 民主主義 国家 において 消え て なくなっ た のかと いう と、 実は そう では あり ませ ん。 奴隷 的 労働 は 現在 でも 必要 とさ れ て い ます。   しかし、 それ が、 国内 で 許さ れ て い ない ため 国外 に 求め られる の です。 日本 の 企業 は 安い 労働力 を 求め て、 東南アジア、 インド、 中国 に 進出 し、 現地 の 貧困 層 を 大量 に 雇い 入れ て 生産 に 従事 さ せて い ます。   彼ら は 一日 中 働い て 数 百 円 の 賃金 しか 貰え ませ ん。 一日中、 数 百 円 の 賃金 で 酷使 する こと が 人道的 と 言え ない こと は 明らか です。   では、 彼ら に 数 千 円 の「 人道的」 な 賃金 を 払え ば どう なる でしょ う か。 我々 の 周り の 全て の 生活 物品 が 値上がり、 我々 が 生活 に 困窮 し ます。「 一 〇 〇 円 ショップ」 が「 一 〇 〇 〇 円 ショップ」 に なっ て しまい ます。 つまり、 我々 の 豊か な 生活 は、見え ざる 労働力 の 搾取 によって 成り立っ て い ます。」 (Kindle の位置No.661-668)

これは、指摘されてみるとたしかにそうですね。「貧しい彼らに仕事を与えているんだ」という言い訳は、とても虚しいものです。私たちは間違いなく、発展途上国からの搾取で豊かさを享受しているのです。


かつて、 選挙権 付与 には、 国家 や その 政治 への「 真摯 な 関心」 を 持つ という 条件 が 前提 として あり、 それ を 客観的 に 証明 する ため に 納税 額 や 土地 所有 面積 を 基準 に 用い まし た。   民主主義 を 歴史的 に 見 た とき、 そもそも 民主主義 には 国民 の 全て が 参政権 を 有する「 国民主権」 という 考え方 は あり ませ ん でし た。 今日 の 我々 が持っ て いる「 民主主義 = 全員 参加 の 政治」 という 概念 は 後世 に 付け足さ れ た もの に 過ぎ ず、 決して、 民主主義 の 普遍 の 論理 では あり ませ ん。」 (Kindle の位置No.833-838)

これもたしかにそうです。政治を行うだけの知識や教養があり、政策のためのお金(税金)を出せる人が政治に参加したのです。そして、そういう人たちだから「真摯な関心」がありました。しかし今は、誰もが参加できるために、関心が薄れているのです。宇山さんは、これを民主主義の危機だと指摘されています。

また、民衆が「有徳性」を持っているかどうかも重要だと宇山さんは指摘します。仮に自分が損するように見える政策であっても、全体にとって必要なことであれば、その政策を支持するという特性です。矜持(きょうじ)と言ってもよいでしょう。それを民衆がどれだけ持っているかで、民主主義の持続可能性が決まると言います。


近代 工業化 の 中 で、 ブルジョワ と 呼ば れる 商工 業者 が 台頭 し、 前 時代 の 守旧 勢力 と 社会的 な 対立 が 大きく なり ます。   この 対立 の 対処 の 方法 が、 リンカーン と ビスマルク で 異なり まし た。   大規模 な 内戦 となり、 50 万人 とも いわ れる 犠牲者 を 出す こと に なっ た のが リンカーン。 内戦 を 巧み に 回避 し た のが ビスマルク です。」(Kindle の位置No.1212-1215)

ここは認識を改めさせられた部分です。今でも人気が高いリンカーンは、内戦を引き起こさせ、非常に多くの犠牲者を出すことで対立を乗り越えました。一方で鉄血宰相と呼ばれたビスマルクは、外的を作ることで内部の協力関係を引き出したのです。そのため、アメリカのような多大な犠牲者を出さなかったのだとか。

リンカーンは対立構造を鮮明にし、二者択一を迫ったのです。そこはどうしても譲れない線だったため、南部は戦争を選ぶしかありませんでした。第二次大戦に引き込まれていった日本みたいですね。一方のビスマルクは、プロイセンに従わない南部を直接叩くことはせず、南部を支持していたオーストリアやフランスと戦争をします。ドイツ人同士で戦えば恨みが残る。ドイツ統一のために、融和政策をとったのです。

ただ、このリンカーンのやり方は、民主主義がはらむ構造的な欠陥だと宇山さんは指摘します。多数決でどちらか一方に決める方式だからです。特にアメリカの二大政党のようになると、国民が2つに分かれて対立する構図になりやすいものです。民衆が感情的になってくると、冷静に議論することもできなくなります。そうなると、行き着くところまで行くしかなくなるのです。

国民から選挙で選ばれたリンカーンが50万人もの国民を殺す政策を行い、一方で国王に対してのみ責任を負ったビスマルクは国民を殺さない政策を行った。選ばれ方は民主的ではないのに、その政治は民主的なものだった。本当に皮肉なものです。

また宇山さんは、民主主義には民衆を制御するメカニズムがないと指摘しています。感情的になった民衆は、その感情を抑えようとする為政者を排除し、煽る為政者を好むからです。暴走し始めると止まらないのが民主主義。これは第二次大戦の時の日本にも当てはまりますね。


大久保 は、 一般 民衆 を 愚民 扱い する 反 民主主義 的 な 独裁 者 という イメージ が あり ます が、 彼 の 政策 の 一つひとつ を 見る と、 国民 の 成熟 や 政治 への 参加 を 願う 意識 が 読み取れ ます。」(Kindle の位置No.1517-1519)

日本の明治維新では、大久保利通という有能な政治家がいたことが日本にとって幸いだったと宇山さんは指摘します。大久保はビスマルクと直接会い、いろいろ指導を受けたようです。弱小国のプロイセンからドイツ統一を成し遂げたビスマルクの手法に、大久保は学んだのでしょう。

大久保は、身分の差なく学べる「学制」という教育制度を施行したり、地方議会を開き、成年男子による普通選挙を実施しています。独裁的なやり方が反発を受けて暗殺されますが、独裁でなければできないこともあったのだろうと思います。


欧米各国は、市民革命によって民主主義を進めていく際に、特権階級を大量処刑せざるを得ませんでした。民主主義を勝ち取るために、多くの犠牲者が出たのです。
 これに対し、日本の民主主義への移行は流血が伴いませんでした。最後の将軍徳川慶喜は、大政奉還で権力を平和的に譲り渡しました。
 伊藤博文のような維新の元勲も、権力に固執しませんでした。
」(Kindle の位置No.1595-1597)

日本の民主化は、本当に奇跡の連続です。政党政治を導入した伊藤博文は、元勲の権力に固執せず、一介の野人として政党を組織し、国民の政治参加を可能にしたのです。宇山さんはこれを、「第二の維新」とも言うべきことだと高く評価しています。

日本は政治エリートの支配によって、ゆっくりと情勢に合わせながら民主化が進んだと宇山さんは指摘します。そして民衆もまた政治エリートを信頼し、協調していたのだと。しかし、1925年に普通選挙が始まると、民衆は迎合的な政治を選ぶようになったと言います。それに伴って、政治化の質が劣化したとも指摘します。


政治的に成熟していない民衆であるからこそ、このような「改革」イメージの詐欺的な手法に引っ掛かり、先導されてしまいます。政治を劣化させていく最大の原因がここにあります。」(Kindle の位置No.1714)

宇山さんは、日本の民衆は政治的に成熟していないと指摘します。まず政治について学ぶ機会が与えられていないし、議論をすることをしないからだと。一見、議論しているように見えても、それは単に感情的になって罵り合っているだけだったりします。ネットのコメント欄が荒れるのは、たいていこれですね。民衆が政治的に成熟しなければ、民主主義もまた危ういものなのです。

ヒトラーのナチスも、ドイツ国民が選んだのです。民衆の多大な信任を経て、ヒトラーは独裁者になりました。大多数のドイツ人がヒトラーを支持し、彼の支配を受け入れた。民主主義が独裁を生んだのです。ヒトラーは、こういうことを言っているそうです。

大衆は弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらうことを望む。大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である。」(Kindle の位置No.1919)

ヒトラーは大衆の本質を見抜き、上手に利用したとも言えます。一方で大衆は、自らの意思で民主主義を捨てたのです。


民主主義の本質を突くためには、「民主主義とは何か」と問うことを止めて、「民主主義の目的とは何か」と新たに問い直すべきです。
 民主主義の目的は民を幸福にすることです。具体的には、一部の限られた民だけでなく、全体の隅々にまで幸福を行き渡らせるということです。
」(Kindle の位置No.2006)

宇山さんは、民主主義の定義を議論しても意味がないと指摘します。それよりその目的から考えるべきだと。そして民衆の幸福とは、物質的充足と精神的充足の2つがあり、まずは物質的充足を達成することが重要な政治課題なのだと言います。そして精神的な充足に関しては国家が介入せず、自由にさせるべきであると。

ナポレオンは独裁でしたが、ナポレオン法典によって民法を確立し、財産所有権を明確に示すことによって、フランスの経済活動は盛んになりました。こうして物質的充足を達成したナポレオンは、民衆から圧倒的に支持されたのだと宇山さんは言います。


歴史的に民主主義の変遷を検証してみると、「民主主義が豊かさをもたらす」のではなく、「豊かさが民主主義をもたらす」という現実に気が付きます。」(Kindle の位置No.2095)

無理に革命を起こして民主主義を導入しても、それでは国家運営が上手くいかないのです。独裁が悪いかのように思われますが、実はある時期には独裁が必要なことがある、ということですね。たしかに独裁には、民衆が犠牲になる面があります。しかし政治エリートの支配の方が、効率よく運営することができて、民衆が恩恵をうけることもあるのです。

宇山さんは、中東情勢についても、そういう目で分析します。ISが生まれたのは、思想問題ではなく経済問題であると。豊かさが足りないから、過激派勢力が出てくるのです。宇山さんは、彼らは銃を振り回して仕事をしているのだと言います。豊かさを得ようと働いているのです。


民主主義は富や権力を分かち合う制度です。社会主義は富を分かち合うシステムであるかもしれませんが、権力の分かち合いがなされません。政府の要人や官僚たちだけが権力を行使し、一方的に社会を管理統制するシステムであるからです。
 自由主義において、権力は分散され、国民の一人ひとりにまで行き渡り、国民は主権を持ちます。主権が国民にあるということが民主主義の一つの前提条件であり、自由主義はこれを満たしています。
」(Kindle の位置No.2355)

富と権力を分かち合い、全体の幸福を満たすことが民主主義だと宇山さんは言います。ただ、自由主義はまだ格差の問題を解決していないとも指摘します。所有権を認めれば格差が生まれ、認めなければ民主主義ではなくなります。相矛盾する命題なのですね。

民主主義国における政府は、第一義的に人々の自由や権利を守るために存在します。」(Kindle の位置No.2564)

自由にさせれば格差が生じ、搾取が起こります。それを防ぐのは政府の役割だと宇山さんは言います。


政治は言論です。言論による説得です。政治的なコミュニケーションの成熟がなければ、民主主義の成熟もあり得ません。」(Kindle の位置No.3229)

あとがきで宇山さんは、このように指摘します。歴史を学ぶこと、政治を学ぶこと、冷静に議論する能力を身につけること。民衆のそういう努力なくして、民主主義は成熟しないのですね。


この本は、実に広範囲の知識をベースに書かれています。私が知らなかったことや、新たな視点がたくさんありました。ここで紹介した部分の倍以上、印をつけながらこの本を読みました。とても参考になる内容でした。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:38 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月31日

バカとつき合うな



話題の本を読んでみました。すぐに読みたかったので、Kindle版です。ホリエモンこと堀江貴文(ほりえ・たかふみ)さんとキングコングの西野亮廣(にしの・あきひろ)さんの共著です。堀江さんの本は、以前に「お金はいつも正しい」「もう国家はいらない」を紹介しています。西野さんのは「えんとつ町のプペル」ですね。

Facebookの堀江さんの投稿に、この本の出版を記念した企画をやろうという話があり、2人が飲み屋のママをやって100冊買ってくれた人を招待する、ということでした。で、その100冊を買った証拠をどうするかということで、最終的に100冊を持ってきてもらうことにしたのだとか。「そんなバカ、いるか!?」という企画ですが、さっそく何人かのバカが申し込んでいたようです。これを読んで「面白い!」と思い、読んでみたくなったのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページはありません。コピペの制限もあるので、途中からはKindle版の位置情報が一部なくなります。ご了承ください。

あなた は いま、 自由 です か?

 あなた は 自由 で ある べき だ。
 なのに もし、 あなた が いま 自由 で ない と し たら、その 理由 は 簡単 です。
 バカ と 付き合っ て いる から です。
」(Kindle の位置No.11-13)

まず冒頭で、「自由」と「バカと付き合う」ことの関連性を指摘します。

つまり、 バカ は 遍在 する。
 バカ は ある 意味、 普遍的 な ん です。
」(Kindle の位置No.19-20)

大きな 話 を する なら、 そんな バカ の 存在 が、 人類 文化 の 足 を 引っ張り つづけ て き た ん だ と 思い ます。 正確 に 言う なら、 人類 の 自由 を 邪魔 し つづけ て き た。 同じ 人類 で あり ながら。」(Kindle の位置No.21-22)

昔も今も、そして未来も、「バカ」は存在し続けると言います。そしてその「バカ」によって、自由が邪魔されてきたのだと。
では、どうすればいいのか? 攻撃する必要もなければ、仕方なく受け入れる必要もないと言います。

だから、 あなた が できる こと は ただ ふたつ だけ。

「バカ と 付き合わ ない こと」 と、
「バカ に なら ない こと」 です。
」 (Kindle の位置No.24-26)

これが本書の結論になります。ただ関係を持たないこと。そして、自分自身がそうならないよう気をつけることですね。


しかし、そうは言っても、いろいろなしがらみがあります。そう簡単に付き合わないようにすることは難しい。そう考えがちですよね?
それに対して堀江さんは厳しいことを言います。

環境 や 付き合う 人間 を 選べ ない と 考え て しまう のは、 バカ の 思考 です。」(Kindle の位置No.165-166)

そう考えていることが、もうすでに自分がバカになっていると言うのです。

想像力 って、 生まれ 持っ た 能力 とか では ない。 想像 でき ない という のは、 単に 情報 を 持っ て い ない こと に すぎ ない。 情報 が ない から、 想像力 も ない ん です。
 情報 を 取り に いく こと に 消極的 で、 運 任せ で、 その 結果、 想像力 が ない 人。 ぼく は そういう 人 を、 バカ と 呼び ます。
」(Kindle の位置No.193-196)

環境に従うしかないと思っている人は、想像力が足りないのだと堀江さんは言います。他人や環境のせいにせず、運任せにせず、主体的に生きる。そういう生き方をすれば、バカと付き合わないという決断もできるのだと。


この 現代 において、 上司、 先生、 家族、 友人…… それ が 誰 で あっ ても、「 みんな と 同じ こと を やり なさい」 という 人 は、 全員 バカ です。」(Kindle の位置No.198-199)

西野さんは、日本の同調圧力を否定します。これは私も同感です。むしろ、他人と違うことをやるべき。これは、投資をやる人なら、みんな知っていることですけどね。

日本では、同じように動く工場労働者とか、命令どおりに一糸乱れぬ動きをする兵隊を、子どものころから養成しているような教育です。


いわゆる 受験 までの 学校教育 は、 従順 で ある こと が 成績 に つながり ます。 テスト で いい 点 を とる という こと は、 出題 者 の 気持ち を 忖度 する よう な もの です。 ぼく も 東大 の 入試 では、 答案 に「 出題 者 が 書い て ほしい 回答」 を 書き まし た。
 それだけ なら まだ いい。 怖い のは、 学校 に 従う こと に 慣れ て いっ て、 勉強 の 内容 とは 関係 の ない 習慣 も 刷り込ま れ て いく こと です。
」 (Kindle の位置No.260-264)

出題者が正解と決めたものだけが正解。日本の学校教育は、だいたいにおいてそうです。どんな素晴らしい発想をしても、学校教育では否定されます。ネットで見ると、ピーマンの絵を見せて4文字の答えを書かせる問題で、「パプリカ」と書いた子どもが不正解になった、というものがありました。ピーマンでもパプリカでも正しいと思うのですが、先生の答えに合わなかったということなのでしょう。

学歴 エリート の 得意 科目 は、 数学 や 英語 では ない。 彼ら の 本質的 な 得意 科目 は、 従う こと と 我慢 です。 サラリーマン という 社会 の 歯車 を やる には 最適。」 (Kindle の位置No.268-270)

自分で考えずに、ただ従うことだけ考える。そういう人間になってしまうのです。

ただ厄介なのが、こういう人たちにかぎって、「自分と同じようにせよ」って他人に強要してくるんですよね。このへんは西野くんも書いている通り、バカは強要してくるんです。
 ぼくに言わせれば、理由はふたつ。
 そういう人たちは、自分から勝手に我慢を選んでいるくせに、「自分は我慢しているのにあの人は我慢をしていない、不公平だ、ズルい」と頭の中で論理がスライドしてしまっているから。
 もうひとつの理由は、彼らがストレスを溜めているから。そういう人が口出ししてくるときってたいてい攻撃的です。そうやって人にあたって、結局ストレス発散をしてるんです。
 自分勝手に我慢して、それで他人に迷惑かけてんじゃねーよ。
」 (Kindle の位置No.345-)

こういう人、たしかに多いですよね。やたらと自分の価値観を押し付けてくる。たいていそれは、マナーがどうのこうの、常識がどうのこうのといった、我慢させるものです。

いまの時代に必要なのは、我慢出来ないほど、「これをやりたい!」と欲望する力です。我慢とは真逆の力。」 (Kindle の位置No.358-)

堀江さんは、我慢グセは多かれ少なかれほとんどの人が持っているから、ゆっくりでいいから我慢グセをやめて、自分がやりたいことをやっていくようにしましょうと言います。それが自分の可能性を広げるのです。


なにかをやってみて、成功することも失敗することもあるでしょう。成功も失敗も、経験値が上がるという意味では等しいものです。失敗も、重ねれば重ねるほど経験値が溜まっていく。経験の積み重ねだけが、勘の鋭さを磨きます。」 (Kindle の位置No.388-)

西野さんは、未熟なのに勘に頼るのはバカだと言います。もっと論理的に考えて行動せよ、ということです。しかし、重要なのはたくさん行動することです。行動して体験して経験値を積んでいくこと。それが重要なのです。


座学というスタイルの中に、「行動するな」というメッセージが含まれてしまっているんです。」 (Kindle の位置No.423-)

既存の学校教育の中では、「行動せず黙っていられる子」が偉くなっていく。
 そんな環境の中にいるうちに、「やりたいことを我慢する」ではなく、「やりたいことがない」に変わっていく。「欲望する能力」を失っていく。もともとは全員が持っているものなのに、いわば、去勢されていくんですね。
」 (Kindle の位置No.426-)

堀江さんはゼロ高というスクールを作られていますが、そこでは座学を少なくしているのだとか。たしかに日本の学校教育は、我慢する子、じっとして黙っている子を育てているように思います。そして、その典型的な良い子が私でした。まさに、去勢された子どもとして育ったのです。

ぼくの考えはシンプルで、やりたいことは本当はあるんです。あるいは、かつて持っていた。我慢せず行動する友人たちに囲まれたら、抑えつけられた「欲望する能力」もだんだん復活してきます。」 (Kindle の位置No.441-)

本当に、そうだと思います。私も、子どものころに、こういう話を聞きたかったなと思います。
まあでも、それで親を恨んだり、ただ嘆いていたりするつもりはありませんけどね。常に、今、これからですから。まだ遅すぎるということはありませんから。


「自分はああいうやり方をしない」と言うだけなら結構。批判上等。けど彼らは「怒って」いました。感情で反応していました。

 なぜ感情的にならざるをえなかったか。
 ようは、怒っていた人たちは、その常識がどんなロジックで成り立っているか、本当はわかってなかったんじゃないかと思います。自分が作ったわけではないから、実はロジックはわからない、でもそれが正しいと教えられていた。だから、いざ例外が登場すると、ロジックで議論できないから、感情で反応してしまった。
」 (Kindle の位置No.488-)

西野さんは、「えんとつ街のプペル」をネットで無料公開されましたが、それに対して非常に大きな反発があったそうです。「コンテンツはつねに有料」という常識に反していたからです。和を乱す者とされ、攻撃されたのですね。

たしかに、こういう意味も知らず常識を振りかざす人は多いですね。そして、西野さんが指摘するように、すぐに感情的になって押さえつけようとします。困ったものです。


たまたま、数十年前の高度成長期に、終身雇用幻想が実現する「例外的な時代」がたしかにあった。厄介なのは、その次代を経験した上世代が、それが「例外的な時代」だったことに無自覚だということです。だから下の世代に向けて「大学を出て会社に就職しなさい」と言いつづけてしまう。
 自分がたまたま恵まれていただけという自覚がないのは、バカです。
」 (Kindle の位置No.623-)

堀江さんは、ひとつの仕事を続けることで大成するのは、イチロー選手のような天才だけで、凡人にはそんな生き方は難しいと言います。堀江さん自身も凡人であり、だからたくさんのことをやっているのだと。そのため、「多動力」を重視し、やりたいことを複数持って、そのどれもをやることを勧めているそうです。


必要 に 迫ら れ なかっ た 進化 なんて ない という 話 です。   天才 の 話 も これ と 同じ。 極端 な 才能 も、 極端 な 環境 によって もたらさ れ た もの な ん です。 環境 が 先。 そこ に 帳尻 を 合わせる よう に、 才能 が 出 て くる。 天才 に なる 必要 が ある 環境 に 人 を 追い込め ば、 その 人 は 天才 に なる ん です。」(Kindle の位置No.650-654)

ピンチがチャンスになるというのは、こういうことですね。苦しい環境に置かれるから、そこに適応して才能が開花する。だから、設計図を描いてその通りに生きようとするのではなく、自分を信じて好きなことに飛び込め、と西野さんは言うのです。


多くの人は、人生の時間を、なににどれくらい投じるかについて、主体的に選択していません。学校もそうだし、労働もそう。」 (Kindle の位置No.722-)

人生とはなにか。人生とは単純に、時間のことです。」 (Kindle の位置No.729-)

堀江さんは、社会から自分の時間を取り戻せと言います。何にどれだけ時間を掛けるかは、自分が決めるべきだと言うのです。

それを象徴するのが、日本の高校以前の学校に飛び級がないこと。だから学校には、年齢の多様性がない。大学も結局、18、19歳で入学する人がほとんど。優秀層だけの問題ではありません。逆に、勉強が苦手な子どもが、小学校を12年かけて18歳で卒業するということも許されない。」 (Kindle の位置No.737-)

たしかに、決まった時間で勉強しなければなりません。そうやって、大量に落ちこぼれを作っているのが、日本の学校教育です。
堀江さんは、仕事時間だって自分で決めるべきなのだと言います。会社に使われていてはいけないのです。


人の時間を奪うことに鈍感な人間が多すぎる。
 たとえば、電話をかけてくるバカ。
 電話は、他人の時間に割り込みをするツールです。あなたが電話をかけるとき、相手は必ずなにかほかのことをしています。
」 (Kindle の位置No.817-)

これは同感です。私も、電話がかかってくると「邪魔だな」と感じることがあります。また、なるべく電話はかけないようにしています。だって現代では、メールもあればLINEなどのチャットツールもあるのですから。

メールのほうが早く書けるのにわざわざ手書きで書くというのは、無駄な時間を使って、つまり自分の時間を差し出すことで、相手にへりくだっているつもりなんでしょう。その理屈がもう、キモい。」 (Kindle の位置No.840-)

たしかに、手書きの手紙が好きな人はいますね。私などは、やはりメールで済ませたい派ですから、今や年賀状も出しません。
ただ、手書きの文字に温もりを感じて、それが好きだという人もいます。ですから、一概に否定されるべきでもないかなと思います。

さらに堀江さんは、三国志の「三顧の礼」という故事を否定します。

現代では反面教師にすべき故事成語です。立場が上とか下とか関係なく、現代だったらLINEで「軍師やって」って送って終わりでしょ。俺が欲しければ同じことを言いに三度訪ねて来いなんてやつ、名軍師じゃない。バカです。」 (Kindle の位置No.846-)

これまたバッサリですね。(笑)たしかに、偉そうに見せるためであれば、それはナンセンスだと思います。
ただこの故事で諸葛孔明は、本当は軍師をしたくなかったのでしょう。劉備に会えば引き受けざるを得なくなる。だからわざと会わないようにした。しかし、三度も諦めずに訪ねてきてくれたという劉備の情熱にほだされ、意気に感じて引き受けたのです。そういう一面もあると思いますよ。


どんなに合理的に説明しても、理屈の問題ではなくなってしまっている。なぜなら、おばちゃんの中ではそれは善だから。つまり、善というのが、思考停止をする口実になってしまっている。「これはいいことだからいいんだ!」みたいな。」 (Kindle の位置No.868-)

風の強い日に、軒並み倒されていた自転車を、おばちゃんが起こしていたのだそうです。それを見た西野さんは、また1台ずつ寝かせていったのだとか。まだ風が強かったので、起こした自転車はまた倒れると思ったからです。倒れれば傷つくし、壊れるかもしれません。だから、寝かせたままにしておく方がいい。それが西野さんの理屈だったのです。

けれどもそれはおばちゃんには通じず、たいへん怒られたそうです。被災地に千羽鶴を送るとか、何の準備もせずにボランティアへ行くなど、善意の空回りはよくあることです。重要なのは、そういうことがあると知っておくことと、やはりよく考えることでしょうね。

独善的、つまり独りよがりの善っていう形容詞がありますけど、逆に、世の中に独善じゃない善ってどれくらいあるんですかね?」 (Kindle の位置No.885-)

西野さん自身、振袖詐欺の被害者を救うためのイベントをやったりして、善意の行動をよくされます。しかしそこには必ず「自分が喜ぶ」という要素があるから、独善性が入っていると言います。だから、独善だから悪いのではなく、空回りしないようにしっかり考えることが重要なのです。


堀江さんがツイートで炎上した事件ですが、新幹線で「シートを倒していいですか」と聞いてきた前の席の人に、そんなこと聞かずに勝手に倒せと堀江さんが批判したことがありました。堀江さんは、時間の無駄だからと言います。
また、国内線の飛行機の手荷物検査で、「ペットボトルの中身をお調べしてよろしいでしょうか?」と必ず尋ねることなども、同様に無駄だと言います。調べなければ乗れないのだからと。

まず、ぼくの時間を無意味に奪っているのがダメ。そのうえ、よく考えてみると、他人の時間を奪っておきながら、その人もなにも得ていない。天気の話を振ってみたところで、自分もなにも得るものがないでしょ?ぼくだけじゃなくて向こうも時間を無駄にしている。」 (Kindle の位置No.906-)

ビジネスで会った時、最初に天気の話をするのさえ無駄だと言います。堀江さんらしいですね。

マナーなんてどこかのバカが作ったものです。
 ぼくには、「了解」のLINEスタンプだけでいいです。早いから。
」 (Kindle の位置No.934-)

目上の人に「了解しました」はダメというビジネスマナーに対しても、堀江さんはこのように噛み付きます。合理主義を追求されているようです。


いまでも取材で訊かれることがあるんです。「いわゆるライブドア事件の前後で、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、人間関係を失ったでしょう」って。そういうストーリーに落とし込もうとする下心が透けて見えて、大嫌いな質問です。
 そりゃあ去った人もいるでしょう。でもそんなやつの顔なんてもう覚えてない。人間関係なんてつねに変わりつづけるものだから。
」 (Kindle の位置No.990-)

「孤独になったらどうしよう」と恐怖している人って、世の中に多いんですね。だから、なくならない人間関係の作り方について、ヒケツを教わりにくる。書店には人との付き合い方の本が並ぶ。
 そういう書籍の中で、ぼくが薦められるのは『嫌われる勇気』(岸見一郎&古賀史健/ダイヤモンド社)だけです。あ、あと『バカとつき合うな』か(笑)。
」 (Kindle の位置No.997-)

堀江さんは、人間関係は常に変わっていくものだから、去る者は追わずでいいと言います。そうすれば、自然と新たな人間関係が生まれるからと。

あなたが本当にやりたいことをやって、自分の時間を生きていたら、それにふさわしい「自分の人間関係」は、自然とできてくるものです。もっとも、自分の時間を生きている人に、孤独を恐れている人なんて見たことがないですけどね。」 (Kindle の位置No.1009-)

孤独になることを恐れず、自分の生き方を貫くこと。孤独が嫌だからと言って、バカと付き合っているようではダメなのです。

「自分の時間」はあなたを守る。一方、「他人の時間」は、あなたを守らないどころか、最終的に孤独に追いやるのかもしれない。
 まあ、ぼくは他人の時間を生きたことがないんで、わかんないですけどね。
」(Kindle の位置No.1015-)

やりたくないことを嫌々やる。それが「他人の時間」です。そうやって恨んでいるから、孤独になっていくのです。


でもぼくからの最重要メッセージは、「未来をあれこれ想像して、不安に思うことに意味はない」ということです。」(Kindle の位置No.1087-)

未来予想してみたところで、なかなか当たるものではありません。

どうせそうなら、いま目の前にあるものが、あなたがワクワクできるものかどうかを大事にしてほしい。」(Kindle の位置No.1093-)

過去や未来という概念は、人間がもともと生まれ持っていたものではありません。子どもを見てください。熱心に現在だけを生きているでしょ?
 子どものように、真の現在を生きてください。それも、熱心に。
」(Kindle の位置No.1097-)

堀江さんは、過去や未来にとらわれることなく、不安を捨てて今に生きるようにと言います。けっきょく、ここに行き着くんですよね。「前後際断」です。


西野さんは、ただ有名だという「認知度の高い人で」ははなく、「信用度の高い人」が勝ち組になっていると言います。

信用度の高い人……言い換えれば「嘘をつかない人」ですね。
 場がシラケようが、立場が悪くなろうが、不味いモノに対して「マズイ!」と言えちゃう人たち。
」(Kindle の位置No.1115-)

自分に正直な人と言えるでしょうか。相手の顔色をうかがわない人です。そういう人は信用度が高く、お金はそこに集まってくる、というわけです。


ツイッターで、アンチらしきアカウントがぼくの言動に粘着してくることはよくあるけど、どれもこれも総じてレベルが低い。行動が伴わない人の思考は浅いんです。レベルが低すぎて、ツイートの向こうに人間の思考を認識できない。ああいうアカウントって、自動botなんじゃないかと思ってるんですよね。つまり、ぼくにとっては存在していないのも同然なんです。
 だからこれは、これまでに書いてきたバカとはちょっと違っていて、バカでさえない。バカ以下というか、無です。存在以前。
」(Kindle の位置No.1161-)

たしかに、粘着質の人いますね。私もFacebookでよく絡まれます。絡んでくる人は、だいたい論理的な思考ができないし、批判のための批判ですから、どんなに説明しても納得はしません。「ああ言えば上祐(じょうゆう)」と言う言葉が昔流行りましたが、付き合うのがバカらしくなります。無視するに限りますね。


考えることに時間を費やさなかった分、バカのほうが利口より時間コスパがいい。利口が考え詰めているあいだ、そして小利口がちょっと考えて結局足踏みしているあいだ、バカはもう行動しています。」(Kindle の位置No.1209-)

堀江さんは、こう「いいバカ」のことを言います。考えすぎず、たくさん行動する。前に出た「多動力」です。そして、それはまさに西野さんのことだと。


そして堀江さんがルールを書き換えようとするのは、自分個人の利益のためなんかじゃなかったと思います。自分の後に続く新しい世代が、息苦しさを感じずに、より自由に行動していけるように。その下地として、彼はルールを書き換えなければいけないと考えていたと思う。」(Kindle の位置No.1434-)

西野さんは、堀江さんのことをこのように評します。誰かが作ったルールの中で戦っていたら、絶対にその作った人を超えられません。堀江さんは、社会のルールを変えようとしていた。パイオニア(開拓者)です。しかも後に続く世代のために。そういう堀江さんに対して西野さんは、嫉妬を感じると言います。それだけ、高く評価しているということです。

堀江さんは、本当にそういう人だと、私も思います。
2011年、私は堀江さんのツイートをフォローしていました。3.11の時、身内と連絡が取れなくなった多くの人が、堀江さんを頼りました。「誰が誰を探しているから連絡を」というツイートを、拡散してほしいという依頼です。堀江さんは、寝てないのではと思うほど、腱鞘炎になるのではないかと思うほど、ずっとリツイートをし続けていました。

私は、お節介ながら堀江さんに言いました。「もうやめた方がいいですよ。そういうことをしても効果は少ないし、堀江さんの身体がもたないから。」と。他のフォロワーから批判されました。役に立ったケースがあるのだからと言います。でも、論理的に考えて、そういうツイートでつながることはあまりないし、それでは堀江さんだけが負担になってしまいます。他の手段を講じるべきです。

それでもしばらく、堀江さんはリツイートし続けました。堀江さんは、そういう人なのです。だから私は、堀江さんのことを信用しているし、好きなのです。


「断られるかもしれない」と何度考えてもその時間は無駄で、大事なのはその1回の「乗れよ」に早く出会うこと。そのために必要なのが、バカになることだった。」(Kindle の位置No.1539-)

堀江さんは、大学生の時にヒッチハイクをしたそうです。ほとんどは断られるのですが、10回に1回くらいは「乗れよ」と言ってくれたのだとか。それが「いいバカ」になる原体験だったと言います。


自分がバカであるか天才であるか、あるいは普通の人か。
 それを定義したところで、誰が得をするんでしょうか。それもぼくにとっては「考えてもしょうがないこと」のひとつ。そんなことを考えるのは思考のパフォーマンス低下の理由にしかならない。無駄。
 自分の定義を追い求めることは、突き詰めると結局、人からどんなふうに見られているのかを意識しているだけにすぎません。
」(Kindle の位置No.1551-)

まさにそうなんですよね。他人からどう見られているかが気になる。自分に自信がないから、他人の評価に頼ろうとしてしまう。私は、そういう人間でした。今もまだ、そういう面が残っています。


だから真似することは、個性を育てるんです。
 いいと思ったことは、好きに自由に、真似る。パクる。人と違うことをしなければと考える「自分探し」とは逆の道ですね。
 これが最後まで読んでくれたあなたへの最後のアドバイスです。
」(Kindle の位置No.1658-)

この本を読んで、堀江さんや西野さんの考え方、行動を真似るようにと堀江さんは言います。いくら真似ても、ミニ堀江、ミニ西野にはならないからと。守破離ですね。まずは完全な模倣から入ること。そして時期が来れば、自ずと自分の道が見えてくるのです。


このときの踊りというのが、高尚でストイックなものなんかではなくて、裸踊りだったらしいんですよね。つまり、アメノウズメはバカをやった。それでみんなは笑って、なんだか楽しそうな外の様子が気になるアマテラスが岩戸をやっと開いたという。
 アマテラスが出てきて、みんなに光が戻る。それをなしたのがアメノウズメであり、芸人であり、バカだったわけです。神さまですけどね(笑)。
」(Kindle の位置No.1768-)

古事記にある岩戸の話です。私の田舎では石見神楽をやりますが、この岩戸も演目にあります。子どものころは興味がなかった演目ですが、おとなになってこのストーリーを知ってから、大好きになりました。特にこの天鈿女命(あまのうずめのみこと)が半裸状態で踊ったというところ。大好きです。

日本で最初の芸人、アメノウズメはバカだった。バカをやって、まわりの人を笑わせて、アマテラスオオミカミを岩戸の外に出て来させて、世界に光を与えた。世界を明るくした。」(Kindle の位置No.1815-)

西野さんは、「いいバカ」は世界を明るくするのだと、このように言います。


行動してください。
 この本を閉じたら、すぐに行動してください。
 当然、行動には恐怖や痛みは伴います。それでも、それら一切を受け止めて、走り続けてくだされば、
 きっとぼくらは、どこかの酒場で出会えると思います。
 その時は、堀江さんやぼくやぼくらの友人といった、バカとつき合ってください。
」(Kindle の位置No.1862-)

西野さんは、最後をこう締めくくります。


いいですねぇ、いつかそういう日が来ますかねえ。いや、きっと来ると信じます。「いいバカ」を目指す。私も、そういう生き方をしたいと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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